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ドイツの美術展は、会場がオンボロでも成り立ちます。作品の周囲が乱れてごちゃごちゃしていても平気。場所の体裁が悪くても展覧会場に即仕立てられ、皆も慣れていて違和感がありません。美術が一般化している前提があるから、どこでも展覧会場にできる手っ取り早さがあります。

対して日本で美術展を開く場所は、きちんと整っている上で清潔感や格調も期待され、クリーンな透明な場所を用意しなければならない手っ取り遅さがついて回ります。会場の美化にコストがかかります。

この差の理由として、日本では美術作品のどこに注目すべきかが、個人の中に備わっていない前提が考えられます。見る目が作品のみに集中できるように、透明や白い背景が必要なのであろうと推論できます。冠婚葬祭のような、雑念を排したおごそかな静かな場所で。

言い換えれば、作品を置く環境しだいで鑑賞があまりに影響され、曲げられ妨害されやすいのでしょう。雰囲気しだいで、作品の味が大きく変わってしまう、頼りない鑑賞が常態化している疑いです。自分の好きなように見ることができていない証明なのでしょう。

ドイツによく見る貸し展示イベント会場は、廃屋のリユースです。リフォームではなく、リユース。壁を塗り直さずボロボロのまま。中古車にたとえれば、外観がかなり凹んだまま板金塗装をやり直さず、赤く錆びた状態のような展示会場です。そこを背景に絵や彫刻を置きます。

ボロボロの壁の絵にはアーティスティックな趣が出て、何だかかっこいい。日本でも1980年代前半、ウオーターフロント再開発のフィッシャーマンズ・ワーフのブームで、古倉庫やロフトの美術展が話題になりました。レンガ壁やアールデコ調が日本にもあった。でも美術が一般化していない前提があり、関心が作品に向かわずじまい。
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|09-16|ドイツ事情スケッチ||TOP↑
美術大国のアメリカや中国よりも、日本の現代美術の市場規模は100分の1のオーダーだと言われます。以下のイギリス、フランス、ドイツよりも、はるか小さい金額です。古美術を別にした現代美術で差が目立ちます。

日本で絵や彫刻があまり売れず、美術市場が小さい理由は、前からネット掲示板などにもありました。「美術界は国民に美術の資産価値を伝えていない」「国民は美術を買う意味がつかめない」「どの作品に価値があるかがわからない」「国民は作品を信用できないから買わない」。

この分析の何が間違いかは、日本の感覚だとわかりにくいでしょう。日本国内では美術の価値は上から下へ、大本営発表を国民に降ろす慣習だからです。この慣習の末が、現代美術が売れない現状です。

ドイツの市民は作品個々の資産価値を知った上で、資金運用で絵や彫刻を買うのではありません。彼ら彼女らは作品を見て楽しみ、時に驚き、知人と話題にして、いやされたり奮起するなど、自分の変化が目的です。それが集まっての大きい市場です。

日本で絵や彫刻があまり売れないのは、作品がわからない人が多いからです。芸術が苦手だから。アートオンチだから、大本営発表を頼るのでしょう。それに美術界が合わせると、現状を強めてもっと売れなくなります。いつまでも国民が自分の目を持たず、作品を見て楽しみ、時に驚き、知人と話題にできる日が来ません。

上が下に伝える値打ち情報で市場を回すなら、新人の新作を買う空気はなくなる理屈です。他の国は思想を込めたエンタメで美術を考えているのに、日本だけが値上がり益で資産形成する目的で、投機商材とみる常識がオピニオンリーダーにも広がっています。
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|09-08|ニッポン事情スケッチ||TOP↑
大相撲あたりから始まって、レスリング、アメフト、ボクシング、居合道など、競技団体の協会や連盟などで、組織上層部の事件がニュース続きです。また出た、次はこれ次はこれと、目新しい感じで走馬燈のように。次は体操競技だという。

体操での話題のキーは、選手の引き抜きです。選手がどこでトレーニングするか、所属する団体などを移る時に出てくる権力行使です。これが体操競技で問題になり、すでにメダルをとって引退している選手が何人か、引き抜き批判を述べています。

体操で問題にされるのは、監督やコーチが苦心して有力に育てた選手が、オリンピックでメダルをとれるかという直前に、ヘッドハントでさらう行為への批判です。選手が強く立派になったのを見計らって巻き上げる、いかにも不道徳な立ち回りを、メダリストたちは批判します。

野球やサッカーには、金銭トレードや移籍金があり、選手の実力に合わせて価格をはじき出して、得する側が払います。移籍金は選手の報酬額ではなく、チームからチームへ払う調整金の意味です。

引き抜きは自由なので抜かれた側が無能だと、体操関係者はネットに書いていますが、野球やサッカーでは自由ではなく、公正を図るための移籍金です。だからパ・リーグ投手を巨人軍が次々巻き上げた頃は、パ・リーグは活動資金を得る恩恵を受け、選手を育成しても無駄にならなかった。

芽から育てる苦労は他人にやらせ、開花前に手柄ごとタダで持ち去るのは問題でしょう。芸能界で売れ始めた芸能人がプロダクションから出て家族運営を始めると、業界追放になる慣例を連想します。画廊の取り扱い画家も、昔はこの問題がありました。勝ち馬に乗らない美徳がどの程度日本的であるのか、興味深いところです。
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|09-03|ニッポン事情スケッチ||TOP↑
かつて著書でアートフェアを説明した時、日本のアートフェアも一応チェックしました。あれから時間がたったので、最近の様子も調べました。参加した人のブログの中には、「日本版アートフェアはもう全然だめ」「やめちまえ」の声がいくつもあります。むろん、やめずに改良を続けるべきでしょう。

ドイツでは全品が現代アートなのに対して、日本では古美術商や骨董市が加わります。日本国民が新美術への関心が低いから、古美術で補う必要があるという隠せない事情が、いきなり雰囲気をレトロにしています。音楽祭でいえば、昭和歌謡で支えるみたいな感じか。

そして公募コンテストの感覚もついて回ります。そのひとつが、目玉の有名アーティストに関心が集中する現象です。有名どころが来るから見たい、大物に触れて感動したい、感動の輪を広げてきずなをつくり、みんなとつながりたい・・・

若い無名の画家や彫刻家や造形作家に対して、「あとはみんなゴミだろ」の声が集まったりして。日本の現代アートが、人々の目にどう映っているかの象徴といえそうな。そもそも有名人が出品しない理由は、買う空気が乏しい懸念と、若い無名と並べば内容負けする懸念なのです。

日本の美術は特殊化しており、「現代アートは嫌いだけど、たまに見るのもよいと思って見学します」となりやすい。そんな日本に対して、ドイツ国内のアートフェアは、美術の一般化の上に築かれています。市民が現代美術を楽しみ、期待している社会背景があります。この起点の差が大きい。

ドイツ市民は買い物目的で来て、自分にとっての傑作を探します。美術界での評価に従うのではなく。片隅の埋もれた絵も掘り出して見ていく。すると出品者も、内容づくりに力を入れます。出品側にすれば売れない前提は不要で、見過ごされないよう突飛な演出で目を引かなきゃという焦りも起きにくいのがドイツ。
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|08-28|ニッポン事情スケッチ||TOP↑
ロシアはサマータイムを2011年に廃止しましたが、EU国は今も続けています。サマータイムがなぜヨーロッパに多いかは緯度が高いからで、高緯度ほど夏の昼間が長いから、早朝から夜暗くなるまで働けば、労働時間がうまく収まるという農業国の知恵でした。

ドイツの首都ベルリン市も、日本の北海道の札幌市よりもっと北の稚内市より、さらに高緯度です。だから家庭にクーラーがいらず。自国ではあまり使わないドイツ車のクーラーは、オール日本製だったりしました。

イギリスも日本の真横あたりにあると思えて、ずいぶん北寄りです。日本の東北や北海道は南欧のスペインの緯度にあり、東京はヨーロッパではなくアフリカ大陸と重なります。日本のサマータイムのメリットとデメリットを検討しようにも、メリットは欧米並みを目指すあこがれ程度しかなく。

近年の欧米では、夏時間は人体に有害で事故やショック死が増えると医者が指摘しています。特に夜型人間にダメージがあると推測できます。そういえば最近の研究では、人の体質は朝型と夜型に生まれつき分かれているそうです。

しかし体質への配慮は日本になく、朝が弱い夜型人間は非難されました。朝起きられないのはだらしがなくて勤勉でないとして、夜ふかしは深夜番組やゲーム依存症だろうと、否定的評価がついて。ぐうたらをバンカラにみせにくい女児には、しんどい時代が長かったかも。

現代のサマータイム制は、体質闘争も加わりややこしい上に、財界はシステム変更の経費で収益悪化するから抵抗があるようです。だからか、日本のサマータイム導入は実質は一人の望みです。周囲の検討も本気でなく、過去の恩に忖度しつつ実質は時間切れに持ち込む芝居だという。
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|08-25|ニッポン事情スケッチ||TOP↑
大事な受信メールがスパムメールや迷惑メールのボックスに隔離されていて、存在にも気づかなかった体験は誰でもあるでしょう。そのメール設定はすぐに見直した方がよいでしょう。

まず迷惑メールかどうかは、自動判別での的中は不可能です。スパム側に対抗して強化すると、誤認逮捕や冤罪が増える理屈です。ある単語が含まれたりマークが並ぶと迷惑認定するなど、メールソフトのプログラム設計にすぐに限界が来ます。当たり外れの確率が存在します。

だから逆に、スパム内容なのに安全メールボックスに届いている体験もよくあります。迷惑メールの自動判別はあくまでもビギナー向けで、ベテランは瞬時に目視判別できてしまうから、自動を普通は切ります。

また自動判別をオンにする時も、別フォルダーに隔離しないのがコツです。危険物はマーキングすれば十分で、見る前に排除して見えなくするのは、ビジネスユースでは取り返しがつかず忌避されるもの。

最近出回る迷惑メールは有名企業のなりすましが多く、リンクか添付に仕掛けがあります。一方、表示しただけでマルウェアに感染するHTMLメールなどは、メールサーバー側で事前除去していることも多いのです。スパムメールは、かつてほど大量には来なくなっています。

迷惑メール判別機能は一種の人工知能ですが、百発百中で当たるように作れそうな気はしても完成は遠いようです。初心者が目で見分けるよりも、外れの多い判別能力にとどまっています。 メールとPCのトラブル解決
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|08-20|パソコンとネット関連||TOP↑
日本のアーティストが海外で活躍している話題は、わかりやすい国力指標です。ただ、海外で伸びている美術家も、日本の市場に戻るとそう多くは売れません。美術に、ホームの洗礼があります。アウェーの洗礼ではなくて。

5月に政府が提案した『先進美術館(リーディング・ミュージアム)構想』が、タイムリーな話題になりました。小さすぎる日本の美術市場を問題視して、マーケット拡大のために美術館を大きく変える計画案でした。

その構想に大反対したのは美術館側です。が、美術館に国民が味方するかは不確定です。前年に「文化学芸員を一掃すべき」という発言が、地方創生担当大臣からありました。観光マインドの語はあったものの、学芸員の何が悪いかは勘違いだったような。

特に公立美術館には文化遺物を保全する大役があり、前線で美術市場をリードする役目ではないでしょう。ならば市場拡大は誰がやるかの問題です。ここでは美術館の出番も用意し、政府と違う別案を考えました。

この件はクラウド・ファンディングで触れたように、若い美術家が欧米へ移り住まずに日本にいるなら、常につきまとうホーム問題です。

ドイツ展示企画の陰に常にあった課題は、日本国内市場の相変わらずの狭さです。国内に買い気がない。日本に経済基盤を置けないアーティスト全般の深刻さが、作品を売る場がある欧米とは対照的なのです。
→ アートの本格解説4(スマホ版)
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|08-17|クラウドファンディング美術支援||TOP↑
数カ月前に組み直した新PCが、突然起動しなくなりました。マザーボードに通電しながらBIOSは起動しないから、電源ユニットは原因から外れ、BIOS不良かメモリー不良に決まります。CPU不良は考える必要がなく。

そこで2枚のメモリーを外し、エチルアルコールで金メッキを清掃しました。しかし起動せず。次に、マザーボードのピンを差し替えてCMOSクリアすると、正常起動しました。しかし翌日まただめ。そこでメモリーを1個外すと、正常起動しました。ほらまたねという感じ。メモリーが犯人です。

ここからがおもしろいのです。メモリーソケットは1~4まであります。メモリーが1枚ならソケット1か2に差し、2枚なら1と2ともに差し、4枚なら4ソケットに差すタイプのマザーボードです。そしてメモリーは2枚持っていて、1枚だけを使う差し方は4通りあります。

4通りとも試した結果、メモリーAはソケット1と2のどちらに差しても起動し、メモリーBはソケット1と2のどちらでも起動しません。つまり登場する6部品のうち、メモリーBが故障していると特定できました。

しかし大手BTOノートパソコンでの経験則では、あり得ない登用にも可能性はあるのです。そこで、メモリーAをソケット1に、メモリーBをソケット2に差しました。これは単に、二日前に起動しなくなった配置に戻しただけ。

結果は正常起動しました。ほらまたねという感じ。論理も何もなく理屈で解決せず。何か人材登用のヒントになりそうな不合理のおもしろさで、道徳の教材にありそうな。なぜこうなるかは、高周波のノコギリ波形がアバウトに崩れた程度がマージンを越える偶発現象です。デジタルなのにアナログ的な随時不調が起きます。
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|08-13|パソコンとネット関連||TOP↑
私立東京医科大の受験で、女子と男子浪人の試験点数を減らして不合格にしていたニュースが、世界に発信されました。当初は女性差別だとして、マスコミでも騒ぎになりました。差別に抗議するデモも起きて。

大学病院と系列大手医院で、女性医師だと当直に穴があきやすい問題が指摘されました。だから男子学生を増やしたという。これは弁解のやり損ねで、当直のローテーションを工夫せよとか、長時間労働をなくせ、育児負担を女性に押しつけるなと、受けのよい批判へ世論が向かいました。

問題は科目です。女子の合格が増えすぎると、切断した腕をつないだり、心臓の穴をふさいだり、肺や頭部を切開する外科医が減りすぎるのです。代わりに皮膚科、眼科、麻酔科、産科、小児科が増える現実があるという。ローテーションや育児休暇どころでない、人命救出の悩みでした。

だから、男女の定員枠を決める手が正解でした。すると女子は競争倍率が上がり、最低偏差値が上がり、受験生は減ります。女子からの受験料収入は落ちる。そこをイカサマして、受験料を奪う詐欺事件だったのです。

ただし金欲しさにみえても、差別議論の回避で始めたイカサマだったのかも知れません。たとえばビルの便所掃除は、女子便所もあるから女性しか採りません。異性のトイレへ入るのは、女性のみ許される。しかし男女差別する管理会社にみられたくないから、男性も応募させて奇問試験や面接で落とす策略がありました。これの大学版かも。

患者をメスやノコギリで切り込む難しい手術は、女子医学生の進路希望が少ない。この性差を、医学部が国民に打ち明けられない理由が焦点です。国民は医学部に対し、「どうか定員枠を設けてください」と命ごいする必要があります。その陳情場面なら、生々しいルネッサンス絵画にありそうだと想像してしまいました。
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|08-06|その他||TOP↑
アート・マネージメント・システムの中で、写真のハイキーとローキーの話題がまた出たので、ネットの説明を紹介しようと探して驚きました。かつてのプロ写真家たちが行った説明と全く違うのです。

かつてのハイキー写真の定義はこう。「階調の明暗がそろった上で、明色が主体の写真」。ローキーは、「階調の明暗がそろった上で、暗色が主体の写真」。ハイキーは明るい写真に、ローキーは暗い写真に見えます。

重要なのは、ハイキーもローキーも、明色から暗色までそろっていることです。前者は「白いカーテンの前で黒いバッグを持つ人」です。後者は「夕暮れの空を切り裂く雷の閃光」。それぞれの写真が浮かびますが、ハイキーにはシャドーがあり、ローキーにはハイライトがあるのがミソ。

ところがネットに出ている説明はほぼ全てが、ハイキーとは露出オーバーで、ローキーとは露出アンダーです。カメラ設定やソフト調整で、明るく飛ばしぎみにいじればハイキー、暗く落としてやればローキーだとの説明に今はなっています。絞りをあけたり、シャッター速度を遅くすれば、適正露出から外れてまぶしい感じに写り、それがハイキーなのだと。

これはかつて、よくある間違いだと警告された内容そのものです。かつての誤解が今は大手をふるってびっくり。そもそも露光量のさじ加減なら、明るい写真と暗い写真とか、露出オーバーぎみとアンダーぎみの言葉がすでにあります。ハイキーなど、別の語をさらに用意する意味がありません。

この解釈違いは、一人がネットに「あの芸人は殺人者」と書くと、何万人が引用して広がり続ける現象かも知れません。そして、かつてのハイキーに相当する語が今はないからボキャ貧が生じ、話が単純化されて大ざっぱ。写真芸術を語るプロも、不況で絶滅したのかと思えてきました。
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|08-01|写真とカメラの話題||TOP↑
世界最悪のテロは、1995年の日本で起きた地下鉄サリン事件とされます。カルト宗教が化学兵器を使い、不特定多数の殺りくを成しとげた唯一の例だから世界一。政情不安な国でも、ここまでの惨事はないらしく。

日本国民に最悪の感覚が薄いのは、当時のカルト団に賛意が集まった点もひとつ。今も犯人側に同調する識者は多く、外部応援団がいた当時のままかと錯覚するほど。日本を変えたい潜在願望の層の厚さなのか。

目立つ同調はテロ実行犯は良い人だというもので、これはマインドコントロールが広範に及んだ当時を知らないと理解が困難でしょう。警察官や自衛官など公務員も入信し、事件阻止と捜査に逆風が吹きました。団体と報道関連の縁故も複雑にからんだ難事件でした。

今も聞く意見に、「事件の動機が明らかになっていない」があります。この動機解明願望の例として、ジョン・レノン殺害事件を思い出します。延々と続く「動機は何だ?」の問いに、動機の解明とは何だ?を思うのです。

動機は犯人が語っています。なのに未解明との声があるのは、解明内容が気に食わないからか。自分なら殺意なんか抱かないから、告白内容は虚偽なのであり、代わりにアメリカの闇を早く白状しろという思いのファン。望む解明内容を延々と待ちわびることになるという。

動機の闇といえば、絵画制作の動機が記憶にない現象もあります。画家なら知ることで、制作には自発と偶発が混じり、作品はただ残るだけ。ピカソ『ゲルニカ』がモノクロ画調である動機は、戦争表現の意図よりも、大画面に塗る絵具の混色がめんどうだったのかも。動機なんてこんなもん。
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|07-30|芸術の秘密と謎||TOP↑
前年の天気予報サイトにはなかった「厳重警戒」マークが、この夏はよく出ます。さらに上の「危険」マークも出て、熱中症の死亡ニュースも続く毎日。7月8日が最後の雨で、この先も晴れマーク予報が並んで、しかも盆地以外は夕立ちもなく。

記録的な高温を地球温暖化ガスで説明する報道は、さすがに減りました。二酸化炭素を減らした結果の気温上昇だし、涼しい夏だった昨年との違いも説明できないし。直前の冬が並はずれて寒波続きだった記憶もあろうし、陽光と宇宙線のはたらきの知識や、ヒートアイランド現象の知識も、報道局に広まったことも大きいでしょう。

グーグルマップで過去を知る地を確かめると、前はあった林も池も山も消えて、宅地になっています。当時の日本は人口増で、土と水と緑をコンクリートや瓦など石質に替えると、年々暑くなる理屈で、これがヒートアイランド現象。むろん気象変動の最大の要因は、太陽活動の変動ですが。

しかも裏話もあるようで。日本の最高気温は長年、山形県の40.8度だったそう。原因は盆地のフェーン現象。が、別の地でついに新記録が出ました。しばらくしてトリックが指摘され、現代の百葉箱たるアメダスの敷地を、アスファルト舗装で囲むようにして生じた高温でした。

なぜそんな場所に変えたかは、気温の記録を上げるためだそうで。地表を覆う材質によって日光の反射率と保持率が変わり、気温が大きく上下する土木技術を利用して、「日本一暑い町」の称号をゲットする町おこしが目的だったらしく。各地が日本一の座を狙って競争していたそうで。

近年意外なのは、国民が緑化を求めない点です。植樹で街を涼しくする話が出ないのは、新築マンション全室にエアコンがあるからか。激しい気候が景気につながる期待など、熱波願望もあります。安価な対策は、一日に飲む水の量を倍に増やせば死なないあたりでしょう。
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|07-21|ニッポン事情スケッチ||TOP↑
日本は好景気だとの声は意図的なデマで、不景気の最中です。その証拠は、残業代カットが国会のせめぎ合いだから。実際が好景気なら、残業代を上げる案のラッシュです。もうひとつ、仮に好景気なら増税ではなく増収が耳タコなはず。現実は逆で、GDP拡大で増収した歓喜を聞かない。

たとえばこういう違いがあります。好景気なら人々が「お金を残したら負け」と本気で感じて、使うのにやっき。今は「お金を使ったら負け」と本気で感じて、節約にやっき。土用のウナギも食べずに。この冷えた心を、日本語で不景気と呼びます。景気は心理だから。

大正昭和のことわざ「景気は気のもの」はその意味です。サイフのひもがゆるい時が好景気、固い時が不景気。好景気デマを流す目的は、持ち株会社や資産運用企業など資本主義の上層への中央からの忖度です。貧困時代と呼ばずに、宴会離れやゴルフ離れや旅行離れと呼び変え、思想変化で説明するのが忖度のわかりやすい例か。

人は景気が良いとポジティブ思考、景気が悪いとネガティブ思考になります。貧すれば鈍する。後者の典型が日本は終わった説。しかして美術のように率直表現する分野は、ネガティブ思考にこそ基盤があります。楽天的なアートは、緊張が切れて見ごたえがないから。

ドイツで求められるアート表現の内容面で、社会性や社会問題の語が出てきます。写真分野でよく聞いたのですが、この概念は日本人は苦手です。なぜなら日本美術の基盤は花鳥風月で、作品に社会性を込める感覚から遠いから。ソーシャルをどう料理すべきかわからない。

日本は1995年あたりから格差社会の乱世へ踏み出し、国際発言力も低下して、花鳥風月で楽しくやる空気は落ちています。三番ではだめで二番に上がりたい、その気概を美術に込めたいと思い、そういう目で国内作品を見たりもします。
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|07-18|ニッポン事情スケッチ||TOP↑
先日の台風に続いた梅雨末期の豪雨で、瀬戸内海の北に面した県で想像しがたい水害が起きました。岡山、広島、山口など。過去の東南アジア国を連想させる水びたしとなり、日本は大丈夫かと感じた国民も多そうで。

実家をやられた芸能タレントが言うには、住宅の床上浸水どころか床下でも、後で住めないほどだそうで。清水でなく泥水は当然として、トイレの下水も容赦なく混じるから。下水を閉じ込めるインフラも検討すべきと、今回ささやかれたほどです。

土砂崩れは、山沿いの宅地開発と関係します。かつてテレビで公開された「水害の履歴を地名につけた」昔の知恵を、「平成の市町村合併」で自由に地名変更して消し去る流行が、前から危険視されたものでした。

一方の河川の氾濫は、平成大不況が関係します。直前のバブル時代には全国各地で河川の大工事ブームがあり、完成後は異様に高いコンクリート護岸の底に水がちょろちょろ。数十年に一度の豪雨を計算に入れたスペックでした。バブルで大金投じたそれら改良河川は、今回は氾濫せず。

ところが平成大不況の事業仕分けで経費削減ブームに転じ、残りの工事は中止されました。東日本大震災でも言われた話。コンクリートから人へと転換し、災害に弱い途上国状態で時間が止まったかたちです。土建立国と言われるうちが華だった、日本のローカル事情です。

五月に、リーディング・ミュージアム(先進美術館)なる政府案が出ました。各美術館の収蔵品を市場で売り、運営費に当てる不景気対策です。当事者の学芸員たちは反論し損ね、国民が懲罰的に国に賛同する懸念があります。政府の都合に対しキュレーターの都合をぶつけた対立を、芸術文化育成の都合でまとめて倒す出版原稿を考えています。
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|07-14|ニッポン事情スケッチ||TOP↑
サッカーワールドカップを通して、よく言われた語は「てのひら返し」。その意味は複雑です。観衆が良いと思えば絶賛し、悪いと思えば批判するのは当然だから、その入れ替わりを思想変節の意味で「てのひら返し」と呼んで問題視するのは、何か違うぞと。

西洋美術史上最大の「てのひら返し」は、やはりゴッホで起きたのでしょう。今さらの恥ずかしいまねを消すために、僕らもゴッホを19世紀同様に冷遇しようという解決は、もちろん無意味な秩序維持でしょう。一貫していないことを批判するのは、やはり何か違うぞと。

日本代表サッカーの課題に、チーム強化の目的意識の整理があり、これを長年やらずに今回もやらないのは理由がありそうです。ひとつには、何をどうすれば結果がどうなるかの因果関係がわからない問題です。分析能力との相談になるわけです。

たとえば縦パスでスピードを上げ、前を向いてのシュートは、あれほど苦手だったのに今回できていました。成否は相手も関係するし、偶然のはずみも多分に含まれるから、失敗した部分を直せば未来が開けていくかは不明です。偶然のはずみの最たるものがオウンゴールです。

これは美術展覧会の結果にも言えます。売れた作風に重点を移し、売れ残りは今後廃止すればよいかは、芸術の神でないとわかりません。数回だめでやめたら、ゴッホもなかったわけで。不人気な作品が最も正解なのかも知れないし。

ドイツ代表は過去にない散々な一次リーグ敗退でしたが、同じ監督で次を目指すそうです。偶然起きた成功や失敗を慎重に除外し、データを冷静に分析する専門家集団がいるのでしょう。何ごとにもたまたまの浮き沈みがかなり混じるから、過剰反応には注意がいるということか。
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|07-09|ドイツ事情スケッチ||TOP↑
ベスト8進出への決勝トーナメント、日本対ベルギーは世界から強い関心を持たれました。16カ国中、ヨーロッパ10カ国、中南米5カ国、アジア1カ国と、ポツンとひとつ混じった特別ゲスト状態で。その日本は試合内容で個性を発揮できたので、文化芸術にもつながればよいのですが。

苦悩する日本が奇跡的に勝ちかけて世界は仰天し、苦悩するベルギーが奇跡的に逆転勝ちする、サッカー漫画にありそうな展開でした。あるいは『あしたのジョー』みたいな。このミラクル結果が大量の「たられば」を誘い、諸説が出回っています。

「ああやっていたら勝てた」「こうやっていれば上に行けた」の仮説が、SNSに林立しています。そんな中「もし日本の監督を替えなければ、16位で止まらず4位まで行けた」という意見もありました。それに対し「たらればは言うだけ無駄」と反発する意見が多いのです。

終わればもう始まらない、というのが反発する理由です。さらにこう続きます。「前監督が指揮すれば、そもそも全敗し32位で終わっていたはずだ」と。出たあー。他人の「たられば」は空想無用と否定し、自分の「たられば」は通す。勝つ証拠がないように、負ける証拠もないのに。

人は仮説を心の支えにするものなのか。仮定で出した結論を証拠として、次の結論を固める思考が世界中にみられます。いわゆる論理の飛躍というやつ。願望と我欲の世界。

「たられば」は画家の作風選択でもいえます。作風が複数あった場合に、果たしてどれで行けばよかったかと悩みます。一回売れないだけで失望し捨てた画風が、実は生涯には正解かも知れないし。逆に大売れして、スジを読み違える失敗もあるわけで。
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|07-03|世界に伝えたい日本の奥義||TOP↑
ポーランドはどんな国かの今どきの説明で、ラジオ番組では歌手バーシアの曲を流しました。イギリスの音楽グループ、マット・ビアンコの初期メンバーで、ダニー・ホワイト作曲のブラジリアン・ユーロポップス。

そのポーランド代表との試合で、日本はやってくれました。試合を壊す奥の手です。あの時の日本代表は、イラク代表と最終予選を戦っていました。落選確定のイラクに日本が勝てば、1994年のアメリカ大会に参加できる。終盤に日本はイラクを勝ち越す一点を追加。

日本選手にまだ教えていないことがあったと、監督は後に告白しました。それは試合を壊す方法でした。攻撃すれば、反撃される確率も上がる。残り時間を放置すれば夢のアメリカ大会に行けるから、フィールド内を皆でぶらぶらしていればよかった。遅延行為ととられない範囲で。

ところが日本は攻撃を続けます。アディショナルタイムにそのボールをイラクに奪われ、相手のコーナーキックで点を入れられ引き分けに。アメリカ大会に落選します。ワールドカップの初デビューをかけて、最後の最後の何秒かで大転落。渋谷で応援していた男は涙ぼろぼろ、女はわあわあ号泣。この「ドーハの悲劇」を連想しました。

今回は、負け側がボール回しで試合を破壊。法外な入場料の客もいたはずで、日本代表へのブーイングがスタジアムに響く。現場にいた日本側は落選確定のポーランドが明らかに強いと身にしみ、同時にコロンビアがセネガルより強いと状況把握。博打に出てグループリーグ突破に成功。

入社試験の論文に出てきそうな、究極の選択に思えます。逆をやっていたら、道徳の教科書にのりそうなものですが。前監督への奇襲解任に賛同を得るための結果論が必要な国内事情もあり、攻める博打は選べなかったと想像できます。国の名誉を保つ難しさを感じる一幕でした。
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|06-29|ニッポン事情スケッチ||TOP↑
昨日の早朝のサッカー試合は2対2で引き分け、日本は3勝はなくなったものの、イエローカードの少なさでグループリーグを突破できる確率が100パーに近い。ところが今度は、ゴールキーパーへのバッシングが起きています。世界からも。

キャッチした場所がゴールの中だったとか、ボールをグーで前方へはじいたら、すぐ前にいた相手の足にはね返され、ゴールに入った場面。各国からコメディー扱いされていて。それさえなければ、日本はセネガルに勝てていたとのため息が出ています。

しかしサッカーの「たられば」の分岐予測は、他の競技よりも外れる確率が高いでしょう。勝てそうなら負けて、負けそうなら勝てる異様な不安定さが、ゲーム中にも作用するからです。

何ごともなくキャッチしていたら、双方の選手たちの心境が順当に推移し、前評判どおりだったかも知れません。「コメディー」が互いの目に入り、全員に心理的カオスが起きた計算も必要でしょう。事態が深刻だと感じた側が、攻める気持ちが高まるなど。

勝ち負けのパラドックスが法則どおり双方に起きたから、海外で言われた「ジェットコースターのような」あっちがゴール、こっちがゴール、あっちがゴール、こっちがゴールとなったのかも。思い出すのは、2011年の日本女子の決勝戦です。それが男子でも起きました。

70日前の監督の異常な交替で、カオスが選手の心理萎縮を解いて奮起につながったのかも知れません。3年指導した日本人監督が異常解任され、急きょセルビア人監督に差し替えても、似た展開が起きた疑いです。その根拠は、運動力と思考力は選手の内部にあるから。
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|06-26|その他||TOP↑
今夜の日本のサッカー試合も、事前のフラグどおりの結果でした。すなわち、前評判が高いチームは振るわず、最低最悪と言われたチームが善戦する法則です。期待と結果がひっくり返る、いつものお約束というか。

勝てそうなら負けて、負けそうなら勝てる結果論が、サッカーには異常に多い。ロシア大会のここまでの試合は、その法則が次々と表れています。ドイツに勝ったメキシコ。そして日本も。むろん偶然を含めた乱高下で逆転できる程度には、底力がある前提ですが。

評判と結果が逆転しやすいのは、人間の脳内で安心と不安がパラドックス的に作用するせいでしょう。開き直りや居直りの集中力や馬鹿力。アベレージの差が消えるほど躍進したり、逆に空回りしたり。手を使わないサッカーでは、その凸凹が増幅され、事前予想をくつがえします。

しかし同時に、見守る周囲も安心と不安で動揺を増幅させ、絶賛や非難で激しく反応します。今回の日本の監督解任も、鴻鵠の志を知らぬ取り越し苦労が濃厚。三カ月前のウクライナ戦とは逆に、2006年と2014年の日本は最高の仕上がりと言われ、本番の結果は散々でした。

ある程度で済まないほど、あべこべ結果が多発するのがサッカーのワールドカップです。不思議だけれどわかる気もするとしても、他の競技ではそれほどの番狂わせは少ないようで。サッカーの特異性でしょう。

身近には、美術作品でも起きている気がします。よくあるのは、素晴らしいスケッチ画をキャンバス画に仕上げると、つまらない作品に終わる結末です。どうでもいいスケッチの方が着彩して伸びる、逆転の法則。しかしこれは似ているだけで、サッカーの法則とは関係なさそう。
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サッカーワールドカップ2018ロシア大会の、賭け予想に使うオッズがイギリスで発表されています。日本代表チームは勝てそうにないから倍率が高いのですが、アジア勢では最も勝利に近いと予想されています。おそらくジャパン・ミステリーというもの。

日本チームに期待される何かは、まずは幸運でしょう。サッカーで耳タコのことわざに、「強いチームが勝つのではなく、勝ったチームが強いのだ」があります。勝負は水ものだから、結果をみて初めて強弱を言えるという、ゲームの不安定さを言っています。

サッカーと逆の傾向はバスケットボールで、得点回数が多いし、地力と逆になるほどの誤差は出にくい。力量差の最新推移が、結果に相関しやすい。サッカーの方が番狂わせが目立つのは、得点回数が極端に少なく、また手元の狂いよりは足元の狂いの方が大きいからでしょう。

だから、仮にジダンにでも長く監督をまかせ、試合直前に高校教師に監督を取り替えても、「自分たちのサッカー」で勝てる可能性はあります。それだけに、チーム育成と本番の指揮を別人が担当すると、手柄があいまいになり喜びも悲しみも半減する道理で。

ところで、美術制作の勝ち負け。日本なら受賞を目指す公募コンテスト展、外国なら売却を目指すアートフェア。これらに作品を出しての勝負は、果たしてどの程度水もので、番狂わせが起きやすいのか。貴重な一点とは。

誤差どころか、ワザありの尺度がTPOで正反対なのが美術です。なぜこれが高く売れた?、なぜこっちが売れない?。スーパー水もの。それどころか零点のみじめな全敗が、百年後に値千金に輝くかも知れず。おもしろさを通り越して、わけわからん混沌がいつものことなのがアート。
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