アート・マネージメント・システムでアーティストのコンセプト整理に当たるうち、スピリチュアリズムに話が行くことがあります。思考より哲学より、まだ奥のもの。並行して、個人サイト用の増補出版草稿も進めており、これがなぜか東日本大震災の幽霊関連テーマです。

東日本大震災は世界にツナミとゲンパツの衝撃を起こし、ドイツでは政策が急きょ180度変わったほど。ただ副産物として、「今の日本はどういう国か」「日本に特別なものが多い」「旅行して最高だった」「僕も日本を知りたい」という世界的反応も起きました。

2016年から、東日本大震災の現場に出る幽霊の話題がネットに増えました。大学の研究が発端ですが、どれも霊体存在論には向かわない様子。太古以来の慰霊方向へと収束し、興味本位の不謹慎との指摘もあったものの、割り切らないグレーなとらえ方に理解ある日本人が多い。

災害現場の怪現象は、かつての民放テレビならこうかも。「不思議な体験が続く、犠牲者の霊が出没する夜、その時カメラは見た」。しかしこうした昭和の感覚は変容し、今はフォークロアの原型にむしろ忠実です。「今の日本はどういう国か」が表明されている感じ。

はっきり感じ取ることと、存在することはイコールでなく、空白があります。そのすき間で、もめるひとつが芸術です。上手なデッサンや鮮やかな色とは違う、説明困難な次元に芸術性が宿るから。

日本の画家は花鳥風月を基本形として、社会問題を後回しや婉曲にとどめる作り方が多いようです。そこには、かえって原始的なスピリチュアリズムが入りやすいのでしょう。ただそれを絵に表すのに、慰霊方向に落ち着きながらも、「その時カメラは見た」の衝撃も欲しいのですが。
スポンサーサイト

関連記事
|09-18|作家方針の工夫||TOP↑
ガソリン自動車やディーゼルをやめて、電気自動車へ替える話題が続いています。各国が移行時期を宣言し始め、メーカーも急ぎ出して。しかしユーザーも盛り上がらないのは、電気自動車一辺倒は不況フラグだから。

部品数を減らす合理化で、製造メーカーは縮小して大量失業は必至です。ナンバーワンのドイツでは焦りの声もあります。エンジンと変速機やデフなど動力伝達の設計ノウハウも工作精度も全て御破算で、代わりの必須は原子力発電所の増設だし。

自動車史で、元々先に出された本命の案は電気自動車でした。実現が無理とわかりガソリンに振り替えた、その時先行した一人がドイツのダイムラーさんでした。近年は蓄電池の強力化で実現可能となり、長い寄り道からやっと本命に戻るところ。

すると、すでにある燃料車はゴミになります。歴史的なスタイリッシュ・スポーツカーも、乗る対象から外れて値打ちも下がるでしょう。そんな区切りが実際に起きた例は、カメラでした。過去のカメラ名機はデジタル時代が進むと暴落し、今や中古店でだぶついています。

死蔵のオブジェになったフィルムカメラを復活できないかと、ハイテク時代の夢があります。すぐに思いつくのは、市販フィルム型の電子センサーです。パトローネサイズのコントローラーと薄膜センサーを合わせたユニットを、ただ装填するだけ。裏ぶた交換は不要。

フィルムの代わりに入れて済めば、ドイツのライカやコンタックス、日本のペトリやミランダも甦るでしょう。アメリカではすでに市販され、しかしキャノンとニコンの特定カメラ専用で、低画素にとどまっています。復活するカメラは主に日独の製品だから、まず日本で改良するのが自然。
関連記事
|09-15|写真とカメラの話題||TOP↑
KAORI SUZUKI個展
「White variation」
銀座K's Gallery
東京都中央区銀座1-13-4、大和銀座一ビル
2017年10月2日(月)~7日(土)
月-木 12:00-19:00、金 12:00-20:00、土 11:30-17:00

写真

Kaori SUZUKI 作品撰集サイト
関連記事
|09-13|参加者ニュース||TOP↑
ジクレーはアート制作の技法というより、仕上げの仕様です。できた作品は版画。たとえばムンクの『叫び』は何枚も存在します。作者は油絵を目視で版画に彫り直し、刷って量産しました。目視をカメラに替え、インクジェットプリンターで刷ればジクレーです。

ジクレー化で芸術性は失われません。ディテールのニュアンスは当初は失われましたが、ハイテクの力でもう水彩画はジクレーと見分けられず、鑑定が必要です。油絵なら、触れたりにおいでわかりますが。

立体造形をカメラワークで演出した不思議な版画もつくれ、『叫び』の頃より自由度が高まりました。しかしジクレーの積極的活用とは別の面で、全ての絵画作品が影響を受けています。一枚の絵にかけるエネルギーが上がる傾向です。上げざるを得ないというか。

逆に、簡素な略画や消化作品は値打ちが下がっています。というのは、絵を一枚かいて売ったらそれで終わりではなく、続くからです。撮影画像でジクレー化して、もう一度売れるから。二度でも三度でも。まるで、打ち出の小づち。

イメージの著作権が作者にあるから、極論すれば生涯に一枚だけ全力投球して傑作をつくれば、生涯何枚も売り続けられる理屈です。一枚に力を注ぎすぎないよう労力を配分すべしという、従来の力学がなくなります。

音楽で一つのヒット曲を何度でも歌って千回でもコンサートが組める、それと似た立場に美術も近づきました。版画家に限らず、画家と名のつく全員が。広く浅く多作するよりも、一点をディープに作る作戦も考えられます。
関連記事
|09-11|ジクレー版画物語||TOP↑
日本に限らず、世界の報道各社がフェイクニュース競争に明け暮れているそうです。印象操作の工作も、内外ともめっきり増えました。しかもデマを、視聴者たちが比較的早く見破る時代です。ウソの浸透も、その否定も高速化。日本の妊娠米とか。速さの理由がインターネットだと言われます。

日本で多いフェイクニュースのひとつが、書店の消滅はネットが引き金だというもの。無料の電子情報に食われて、出版不況が起きたと。これがデマとわかる理由は、書店の倒産ラッシュは1998年だったからです。当時のIT雑誌をめくると、ネットが全然普及しない日本を嘆いています。光通信じゃないし。話が合いません。

紙の本が全盛の時に、街の本屋さんはバタバタ倒れました。ネットの被害者ではなく、不況の被害者だったのです。さらに最近台頭してきた「事の真相」系の報道にみる、「消費税5パーセントへのアップで日本は一気に傾いた」説が因果関係の蓋然性が高い。

何のことはない、1989年に3パーセントで始めた消費税を1997年に5パーセントに上げて、その消費の冷え込みで書店が翌年に倒れたのでした。国民は一日二食に減らさずに、本や雑誌の不買で節約に努めたからです。年に50冊も雑誌を買ったのをゼロにした人も、当時みました。その雑誌はやがてどれも休刊して。実は同じ年に、街のCD店も急に消えました。

新聞社が新聞の値段に軽減税率を求めるのはなぜか。消費税アップでどれほど出版物が落ち込むかを、社内で痛感しているから法律を変えたいのでしょう。新聞社の幹部は人の心をよくわかっていて、あの時消えた書店の二の舞を避けようとしています。不況の原因をよく知る人たち。

新聞テレビ対ネットのどちらがウソつきメディアかが世界で議論されますが、人が事実を述べても主観的な表現に必ずなります。別人が書けば違う内容。だから、論の多彩化を正常とするほかありません。絶対の正解はなく、最高のものも逆方向からみると最低なのは美術作品と同じ。
関連記事
|09-08|美術の基盤は経済||TOP↑
サッカーチームが活躍して躍進をみせたかと思えば、一転して不調な姿をみせる展開は、もちろん各国の全チームで起きます。そこでたとえばイタリアの記者は、試合ごとに良かった選手をベタ誉めし、次回に悪いと言葉を尽くしてけなします。

その切り換えが、日本では少しやりにくい空気があります。ネットサイトの一般意見をみると、「前回はあんなに持ち上げたのに、今回は冷たいね」「てのひら返しがひどい」「見物人は勝手なことを言う」との指摘がよくみられます。

「現代のベートーベン事件」「STAP細胞事件」の騒ぎでも同様でした。「あれほど称賛したのだから、今になって叩くなんてひどい」という意見も多かったのです。「上げるだけ上げて、どーんと落とす行動は、態度が矛盾している」と言いたげな嘆き、そして冷やかし。「どっちやねん」と。

冷やかしの奥に潜むものは、縁故社会の度合いではないかと感じます。好調時に称賛したら味方同士の関係になるから、味方である以上は不調時に助けなくてはいけないという人情があるような気が。情が移る前提だから、薄情な裏切りは糾弾されるという理屈で。

要するにムラ社会と言われる往年の社会学的考察、そのまんまの一面が表れている疑いです。ひいきの関係が好まれる日本。お友だち内閣とか、政府の諮問委員会みたいに、無批判のスルーが好き。そうした縁故重視の評論に対して、だんだんイタリア方式の日本人も増えたのかも。

何年か前にゴッホ作とされる絵が見つかり、ショボい出来でした。ゴッホらしさがない習作。世界の美術館は、アートは内容が大事だとして低評価の意思表示でした。やはり日本の関係者が高く落札して、アートは名前が大事だと意思表示しました。
関連記事
|09-06|その他||TOP↑
時々ある質問で、「自分の作品は、そちらの指向に合わないと思いますが」という前置きが届きます。その合わない作品というのを見ると、互いの共通性がなかったりします。色々と多様。たぶん気持ちの萎縮でしょう。

日本ではデフレ不況が長く続き、たとえば今の30歳は、小学校に入ると不況が始まりました。不況の時代は、普段から何かとギスギスした暮らしの空気になるものです。重箱の隅をつつくような否定的気分に影響されて。

たとえば、今の国内求人はバブルを超えた好景気とアナウンスされ、むろんデマです。バブル時代には猫の手も借りる事態でした。「手があいた男がいるって?、いや女か、何でもいいから連れて来て」という調子。その場で採用。やがて社員化。

今は違います。求人で不採用だった声の山。足りないのは猫の手でなく、超人の手だという。該当者がいるのか疑わしい、条件つき求人のラッシュ。昔流行ったコンピューター結婚システムが、有名大卒、年収2000万、身長180センチ以上を求めたのと似た、超買い手市場の人探しブーム。

国内のこのシビアな渋い求人の空気は、求美術でも起きるでしょう。作る側が、条件クリアの義務を多く負っている気分の蔓延。しかしお客のドイツ側では求日本美術状態が続いていて、特に難しいハードルもありません。あらゆる作風を買う気運が、現地にあります。割とゆるい。

ここで募集する作品にも、指向性はないのです。ただ、芸術性が低いメリットはないという普遍性はあります。どんな料理でもよいとして、味がしないと誰にとってもまずいから、味付けする用意はあります。世界の作品が集まる話とは別に。
関連記事
|08-31|作家方針の工夫||TOP↑
WBCボクシングで、山中選手のTKO負けニュースが話題でした。具志堅選手の13連続防衛記録に並ぶかというタイトルマッチで、一度もダウンがないままコーチがリングへ上がって試合を止め、「神の左手」がさく裂せずに不完全燃焼となった4ラウンド。

これで引退だから、果たして棄権が早すぎなかったかがテレビでも議論されました。「打たれたダメージはそれほどなく、いつもの逆転勝ちの余地があった」「相手のペースだったから、続けても身の危険が高まっただけ」などの対立意見が噴出して。

ところがチャンピオンベルトを奪取したネリ選手は、その後の検査で来日前の禁止薬物ドーピングが発覚し、没収試合になるかもという。山中選手を棄権させたことが妥当だったかはもう過去の議論で、今はベルト返還や再試合の議論へ移った目まぐるしい展開です。

オヤジ談議ならともかく、評論家やスポーツ記者が書いたスポーツ新聞や専門誌はどうなるのか。元挑戦者の好調と、元王者の不調を細かく取材した入魂の分析も、全て的はずれだった結果論になるわけです。敗因分析も、全く無意味だったという。

似たことは五輪でもあり、ハンマー投げの銀メダルが金に繰り上がった以降、日本も何度か巻き込まれてきました。表彰台の記録映像と公式記録で顔ぶれが食い違う、おもしろくない事態です。最終勝者による八百長と断じるネットプロパガンダも当然現れるし。後で結果がくつがえる心配も大きいなら、評論家たちも真剣に論じる熱意が落ちるはず。

美術で似ているのは、コンテストの受賞作が盗作だったケースです。違法ドーピングでの一位なら、作者の創造力や感性を美しく飾り立てた称賛の文章は、勘違いの妄想みたいな作り話に転じて、全てパー。数年に一度の騒ぎでも、業界イメージは大きくダウンするでしょう。
関連記事
|08-26|その他||TOP↑
初参加で出品作が完売するつもりでいても、実際は希望どおりにならないのが普通です。おそらくSNSで国内からの「いいね」評価が多かったから、その作品を流通量が多いヨーロッパへ持って行けば、ほぼ確実に売れるという読みなのでしょう。

しかし日本とドイツの美意識の違い以前に、美術が特殊化している国と、一般化している国の違いがあります。尺度をどこに置くかで、見る価値に置く日本と、買う価値に置くドイツの差です。

日本での作品評価は見る価値に寄りがちですが、ドイツだと買う価値になるから本気度が違います。想像ですが、日本では「拍手するけれど買おうとは思わない」が多く、その分甘い評価になりやすいと推測できます。見るだけならタダだから、何とでも感じて、何とでも言えるという。

見る価値の採点よりは、買う価値の採点の方が真剣なはず。この差はまんま、売らない公募コンテスト方式と、売るアートフェア方式の違いに一致します。だから海外遠征では、公募コンテスト感覚からアートフェア感覚へ切り換えることでうまくいくでしょう。

しかも海外遠征だと、相手は全く知らない人だから、共感仲間の「いいね」はありません。結果的に参加者は、何かを変えつつ方法を修正しながら、やりたいことを固め直す作業にすぐに入ります。「芸術は自由に伸び伸びやるものさ」の信念だけでは、相手がついて来ない確率は上がるから。

世間一般の募集展なら、全て自己責任でやってください式のプライベート領域に終始します。がここでは、傾向と対策はある程度わかっているから、それを使って効率化を図る手だても用意しています。
関連記事
|08-22|作家方針の工夫||TOP↑
ネタ半分と思うのですが、ドイツ人が魚ソーセージを思いついたおもしろ動画がありました。ドイツ国内に動物肉のソーセージはあっても、魚肉のソーセージはない。なぜ世の中に魚をソーセージにするアイデアがないのかという、ドイツ人からの呼びかけ。

そこで世界で初めて、我々ドイツが開発しようではないかという提案。やがて誰かが日本に魚のソーセージが1960年代から存在すると発言し、やっぱり日本かということになり、一度見てみたいという話に向かったとか。

1960年代の日本で売られたのは、魚肉ソーセージと魚肉ハムばかりでした。メーカーは水産加工業。誰もが知るのが、長さ20センチで直径が指ほどの、オレンジ色のビニールで包んだ、中味がピンク色のあれ。昔の学校給食に出て、ビニールをむくコツがあったあれ。

お中元用ハムの詰め合わせは、それを太くしたようなもので、今でもすたれずに続いています。断面が長円形の、ハンバーグ名の商品もあります。それどころか赤と白のウインナーソーセージも、長く魚肉が主体でした。よりポークらしい味なら、フランクフルトソーセージがあった程度。

日本でソーセージの概念が大変化したのは、1980年代のポークブームでした。カリッとくる食感とジューシー、強い香りの本格派が急に現れました。あらびきや黒豚などの広告合戦。過渡期に淡白な魚製からの慣れを要し、やがて一般化しました。最初の印象は、あぶらっこい。

日本で魚肉ソーセージが開発されたのは、豚肉ソーセージが高額だったからで、社会はまだ貧しかった。それが動物的なきつい風味の敬遠と歩調を合わせたような。昔からあるちくわとかまぼこも、日本型のソーセージだという見解も動画にありました。確かに高級かまぼこは高額。
関連記事
|08-18|ドイツ事情スケッチ||TOP↑
アート・マネージメント・システムはオプション企画で、コラボ制作のかたちの制作プロデュースです。これが生まれた背景は、もちろん日独美術事情の変化です。まず、ドイツ側の変化は素早く、値打ちがある日本美術を探し求める行動に変わっている点。

一方で日本側では、基本的に国民は美術がよくわからないとして、敬遠的敬意で接する違いがあります。称賛すれど買わない新進美術家への対応の中で、作品の資質ハードルが下がりがちな事情です。わからない分野ゆえ何でも許せる、ブラックボックス展へのあこがれと根は同じ。

「美術は自由なり」「何だってアートになる」「作者の衝動が尊いのだ」式の現代アート特有のノリが、ともすれば手抜き作の横行を生む側面です。この指摘に日本側は納得できないかも知れませんが、ラフスケッチふう作品は他国で通用せず苦情まで来ましたから。正直テコ入れに迫られた。

日本で美術を作るよくある目標は、公募コンテスト展です。審査者は購入と異なる視点で、自身の哲学を披露する目的も兼ねて選抜する方式。応じる美術家の作品制作の寄せ方も、買う尺度よりも選抜する尺度に合わせてきた問題。二つの尺度は意外に異なります。買う方が責任重大。

これらの課題を整理し、回を重ねて徐々に距離もとれるようになったので、作品に買う価値を盛り込むアート・マネージメント・システムをセットしたわけです。

自由主義を唄う現代アートのノリが素人芸に向かう問題に、日本では気づきにくい構造もあります。欧米に山とあるアートフェア方式は日本にわずかで、代わりに公募コンテスト展が山とある特異性もそうです。展覧会の方式が全く違う差異が、作品の差にもなる背景が読めてきました。
関連記事
|08-11|物語の局面||TOP↑
前回のジャパン・フェスティバル・ベルリン2017で、日英コラボ作品の英側のパソコンでハードディスクが故障し、2点が出品できなくなっていました。急きょ旧作に差し替え、こちらには目新しかったし売れたものの、新作の登場は延期。

BSD系のMacOSならドライブ番号はないとして、Windows系はOSをCドライブに置き、データは論理ドライブのDやEに保存します。一個の物理ドライブを、CとDの2つかそれ以上のパーティション(区画、部屋)に分けると、どれかがアクセス不能になっても他が助かる確率は上がります。

Dドライブの保存データは、作業中に外部のUSBハードディスクなどに何度も複写するのが通常の作法です。Dドライブ故障時に、できるだけ最新に近いデータが残るように。

Dドライブのバックアップコピーやくみ出しは、手動でできます。しかしCドライブは手動コピーで再現できません。ランダムコピーでは無効になる、指定セクタ部分があるから。そこでCドライブ用の特別バックアップ法もありますが、ネット説明はわかりにくいことが多い。

Cドライブのバックアップは、ハードディスクが盗まれ燃やされドリルで穴をあけられても、別ハードディスクに再現できる必要があります。OS不調時に健康時のOS状態に戻す機能だけだと、酷使などでディスクのメカが壊れると復元できないからです。

そこを解決するために、CDで起動してイメージバックアップする、「時間差クローン引っ越しソフト」が市販されています。しかしネット説明のバックアップ法は、この最悪の事態向けか、それとも軽い事態向けかが不明瞭なことが多い。似て非なるものの説明が苦手なのは、芸術論と似ています。
|08-05|パソコンのメンテナンス||TOP↑
アメリカのジャズピアニストのジェリ・アレンが、6月27日に亡くなって一カ月以上たっています。が、日本語ネットに情報は少なく、かなり知られざる人だったのかと感じさせます。

ピアノの達人タイプでなく、作曲も含めた個性を聴かせるタイプで、不穏でスローな節回しを流し込むスタイルはすぐ判別できるもの。反面、職人気質型プレイヤー好みの日本では、個性の人がそれほどウケないのはやはりというか。微妙な地位です。

スタンダードナンバーを演奏して、古参リスナーをうならせるには向かず。『100ゴールドフィンガーズ』と称する、NYから日本へ大物ピアニストを一度に10人呼ぶジョイントコンサートに出た際に、話題にならなかった覚えがあります。日本では悲運にもブレイクせずの感。

アメリカのジャズシーンに、同じ女流で有名なリズム楽器演奏家が少数います。歌うベーシストとして世界的スターとなったエスペランサ・スポルディングと、著名ドラマーのテリ・リン・キャリントンとACS JAZZ TRIOを結成して活動中。突然なので、アルバムはなくNYコンサートも穴があいて。

日本では各界で女性を優先的に起用しては、前代未聞のトラブルで幕引きするパターンが続きますが。こちらは夢の共演も続き、バークリー音楽院の名誉博士やピッツバーグ大学の教鞭など、後進の育成も順調でした。

しかし90年代後半からのジェリ・アレンは、若き日のカルト的な作曲も演奏も薄れていたのも事実。カルト的な画風の画家が、毒が薄まり埋没ぎみになってきた時のような焦りを、このピアニストに感じていました。
関連記事
|08-02|芸術の秘密と謎||TOP↑
日本は製品もサービスも質が高いと外国から称賛されますが、やりすぎと言う声もあります。そこで価格破壊だけでなく値上げで飛び出したU社は、付加価値つきのワイシャツを高く売り始めました。通常1600円ほどのワイシャツを、部分オーダー可能で2900円にしたという。

この商品を買ってリポートしたニュース記者がいて、普通なら7000円するオーダー品を、ここまで安くできたU社をたたえました。続いて欠点もあげ始めました。ここも、そこも、オーダーできればベストだったと、他社とくらべた不足分を次々と指摘して。

「出たあ、モンスタークレーマー」と、ネットに飛び交う批判。「安物に高額品の高性能を強いる悪質ユーザー登場だ」と。物足りないから安くできたわけで、全部そろった商品なら2900円でなく7000円で売れる道理です。

「安い価格」の意味を、勘違いする人が増えた指摘があります。相場より安い製品は、必ず劣っています。一例が激安トンカツ弁当で、ISO14001に則って廃棄された古いトンカツの生ゴミを、途中で誰かが拾い集めて入れたから激安で出せた話。ゴミの使用をやめたら、価格は上がる。

逆に変に高い弁当を買うと申し分なく美味だった体験は、鉄道駅の売店などであります。思い出したきっかけは、パソコンパーツです。「玄人志向」なる国内ブランドは、ユーザーの自力救済を条件に安価ですが、サポートが弱点だとの勘違い苦情がやはり出て、別の人に叩かれていました。

パソコンパーツはボックス(リテール)品とバルク品に分かれ、ハードディスクなら12000円と7000円の違いがあります。中味は完全に同じで、安い方は詳しいユーザー向けです。しかし最近、中グレードの電源ユニットを買うと初期不良でした。不良品に慣れたユーザー向け。
関連記事
|07-29|その他||TOP↑
新人の勢いに押されて、停滞している部分を動かそうとしています。ひとつは、個展と少数精鋭展の復活です。ベルリンは変化が激しく、前の場所が消えてこちらの判断もノロノロしていました。新スタッフの力で、今からまた下準備の準備です。

通常のグループ展示を減らした理由は、ドイツのお客の目が高度化したからです。向こうとしてもお試し的な見学は卒業して、新しい価値を具体的に探し出しました。そこで個展や2人展など少数精鋭型に進めたのでした。

なかなか場所決めが進まない理由は、日本のようなレンタルギャラリーがあまりないからです。日本によくある、払えば自由に使える貸しスペースが流行りません。会場オーナーが内容を選ぶ前提で、日本作品のタイプにもその好みが反映されます。

もうひとつ、南アジア国ルートを調査中です。全く未知数で、個人作家サイトからのつながりですが、経済成長している南アジアの親日国で展示会を考えました。エキサイティングな場は、欧米国に限りませんから。

資金さえあれば何でもできますが、あいにくジャパンマネーは絶不況中です。日本は裕福な国だと思われているうちが華という面は、確かにあるでしょう。テストにはドイツで展示済みのジクレー版画を使う予定で、売却済み作品の増刷も考えます。

全ては、日本のある流れと競争しています。国内は構造改革者の進言でデフレを強めGDPを下げる政策がとられており、当然ながら付加価値の代表格である美術品は絶滅危惧種。為政者たちが未来を放棄した暗い日本から、明るい外国へ出なければ、誰も助からない危機は感じています。
関連記事
|07-27|物語の局面||TOP↑
「日本はもう経済成長しないから、それに合わせた国づくりを考えるべき」と、ひんぱんに耳にした7年間でした。しかしこの言い方は、20代の若者にはむごい。しかも70代の名士が言っていれば、若者も頭に来るはず。当人は過去の経済成長で財を得て、余裕の笑顔で日本沈没を容認する。

そもそもこの25年間、アメリカもEU国もブリックス国も東南アジアも、経済成長しました。フランスもドイツもG20も。例外的に日本だけが一人、GDPの横ばいを続けたのが統計。これでいいのだと永遠の斜陽を前提とする、その悪意は国内空気の伝染なのか。

国ぐるみ25年間も落ち続けているから、少子化にも拍車がかかりました。それを、結婚しない特殊な価値観の「奇妙な若者たち」が現れた話にして、連中が日本をだめにした主犯とするのは、奇妙な責任転嫁でしょう。

最近経済新聞が、さらに奇妙な論を情報発信しました。若者たちがシェアハウスに住み込んだ現状を指して、昭和末期の漫画『めぞん一刻』のほのぼのとした下宿を引き合いに、人情と絆を大事にする新たな生き方を始めた、今の若者を評価するコラムでした。

そうじゃなくて、満足な家賃が払えない低所得ゆえのシェアハウスでしょう。6万円のマンションは手が届かず、3万円のシェアハウスへ若者たちは撤退した。貧乏だからシェアに甘んじているだけ。路上生活の一歩手前。美しい思想の台頭ではなく、貧困の表れです。

退却を転進と言い替える報道の伝統。デフレと搾取の肯定。支配者層の世論操作に、若者は勝たなければいけません。負けたら日本はさらに縮みゆく。仮に東南アジアの人がこの地に来ても、伸びずに縮む大前提の空気になじめず、母国よりも夢が乏しいと一年半で気づくでしょう。
関連記事
|07-25|美術の基盤は経済||TOP↑
暑い一日が連日のニュースネタですが、過去との比較で「昔はここまで暑くなかった」という言い方が聞こえてきます。データとしても、日本は昔よりも最高気温や平均気温が上がっていたはず。そして、その理由はわかりきったことです。

昔の暑さはましだったとカメラに答える人は、今の方が太陽エネルギー照射が増えたという、例の地球温暖化をイメージしているのかも知れません。しかし世界の科学者が恐れているのは寒冷化の方であり、日本が暑くなった最大の原因はペイヴメント面積の増加です。

造園分野には、地面に敷く素材で周囲環境がどう変わるかのデータハンドブックがあります。土や芝生、池などにくらべ、アスファルト、コンクリート、レンガ敷きなどは、はっきり体感するほど気温が上がります。文明の進歩で、都市が暑くなるパターン。

都会を歩くと、さらに冷房のラジエーターからの送風が歩道に吹いたりして暑い暑い。街の中に空き地や鎮守の森、沼地などが減って駐車場やビルに変わると、どんどん暑い夏になっていきます。

こうして、硬質な素材で地表を覆うことによって、その地域全体の気温までが人災的に上がる変化を、ヒートアイランド現象と呼んでいます。それを裏づける証拠は、ネット地図に見られます。グーグルマップで故郷を見ると、山も谷も田園風景も消えて均質な住宅地になっていたりします。

そして自然が残っている所は、限界集落などとなって人が住むに適さなくなっているようです。ある人口密度を境にして、住宅地がゴースト化していたりもします。
関連記事
|07-22|その他||TOP↑
市販パソコンも自作パソコンも、ある頃からドライバープログラムに由来しないメカの故障が増えました。昔のパソコンの方が安定しており、今のパソコンは不安定です。

今の方が動作が不安定な原因は、大規模集積回路のプロセスルールが微細になった以上に、周波数の上昇です。メガヘルツから、ギガヘルツというあれ。デジタル信号を人が話す声にたとえると、昔は大声でゆっくりしゃべりました。今は小声で非常に早口です。小声は省エネが目的。

今のパソコンの突然の不調は、多くの場合メモリーが原因です。たとえば2008年のノートパソコンでは、起動したりしなかったりの不規則な挙動がひんぱんで、社員たちはソフトの再インストールに翻弄されました。

実際はOSの入れ直しは無意味で、原因はメモリーの接触不良です。そこで同型ノートが多くある企業では、互いにメモリーを交換したり、二枚差しの場合は一枚ずつ確かめて、犯人を特定します。

やっと真犯人はこのメモリーとわかり、何気なく一台のノートパソコンに差すと、あっさり起動したり。ギャフンと振り出しに戻り、途方に暮れる結末。デスクトップもノートも、起動不良や突然プツンと落ちる場合は、分解してメモリーモジュールを抜いて差せば、復活する確率が高い時代です。

しかしメモリーがいよいよダメか、電源やメインボードがダメとわかった時に、どうするか。暑い日には熱暴走を疑います。重い映像データを延々と映す時など、半導体内のジュール熱によって、突然倒れます。いわばパソコンの熱中症で、冷えるといつもどおり起動する簡単な解決法。
関連記事
|07-17|その他||TOP↑
その昔、西部劇の映画でカウボーイだかガンマンだかが、ハーモニカで吹いたメロディーだったから、映画のサウンドトラック用としての作曲だと思っていました。後に、実は古いアイルランド民謡だと知った曲。

ある女性が採譜記録した後に、アイルランドのロンドンデリー州の人が世に紹介したので、『ロンドンデリーの歌』と呼ばれます。アイルランド島北部の陸続きで、現在の国籍はUK(イギリス)になります。

後世に何種類も歌詞が当てられ、フレデリック・ウェザリーの作詞でヒットした同曲が『ダニー・ボーイ』。題名からして、アメリカの西部劇を連想させます。西部開拓史の、いわゆるボウイ・ナイフなどがすぐに浮かんで。その曲に当てた和音が日欧で異なる理由が気になります。

冒頭の歌詞「Oh Danny boy the pipes the pipes are calling」の、「オー」で始まって「パイ」の部分でどの和音を当てるかで、ヨーロッパと日本では趣味が異ります。ヨーロッパでは「オー」はメジャー・セブンス・コードで始まり、「パイ」でセブンス・コードにチェンジすることが多い。ググッと変化する劇的な展開が、どうやら欧州人の趣味です。ダイナミズム優先。

対して日本人が歌うバージョンでは、「パイ」の部分もメジャー・セブンスのまま、チェンジしないアレンジが多いのです。だから、ヨーロッパ式バージョンはクラシック名曲やジャズのコンボ演奏ふうに聴こえ、日本式バージョンはイージーリスニングか童謡ふうです。平坦で抑揚が乏しい。

ヨーロッパ式はドラマチックな都会型で、日本式はのどかな田園型という違い。この違いは、双方のあらゆる表現物に広くみられます。日本の制作物をヨーロッパへ持ち込むと、より薄まった表現に感じられ、主張不足に受け取られやすいと一応は推測できます。
関連記事
|07-12|芸術の秘密と謎||TOP↑
企画の準備で重点を置くのは、売れる傾向と対策です。しかし作品を売る意識は、日本にいるとあまり感じないものです。一因は、日本の団体展の多くが公募コンテストだから。

審査という関門が頭にあるから、誰に向かって絵をかくかの自由度はやはり制限され、お客の存在がかすんでいます。日本の新作アート全般が何となく帯びる固い雰囲気は、いうなれば受験生の態度と似たものだったのです。しかも、コンテストでは作品を売らないことも多いという。

ドイツで売れている作品には、概して「自分の腕を試す」式とは全く違う自由感があります。審査員が狭い人間かも知れない想定におびえる気配がただよわず、自分の声を自然に出せている伸び伸び感が強い。何かに忠実たろうとする萎縮が感じられません。

日本の新しい作品はどこかに「資格試験の実技」「技能検定」的な雰囲気をかもしていることは、ドイツに持ち込むとよくわかります。アートが民主化、民営化、一般化している欧米の目には、統制と教条を感じる作品でしょう。ジャパニーズ・リクルート・アート。

日本ではコンテスト以外の個展やグループ展も、仲間内の顔見せ的な発表会が多いようです。目の保養や心の糧とする目的の鑑賞会であり、他人が所有目的で偵察に来る前提じゃない。そこがドイツは異なり、日本での当落基準とは無関係に市民がチェックする市場が活況です。

ドイツで好評だったのに売れなかった場合、そこを出発点に作品改良を考えます。その回は早く忘れて次に行こうと焦るのをやめて、作品をどういじれば売れるかを一歩ずつ検証する考えです。この作業を企画化するために、もう実験を始めています。
関連記事
|07-08|ドイツ事情スケッチ||TOP↑

リンク

カテゴリ

最新記事

月別アーカイブ

最新トラックバック

QRコード

QR