アート・マネージメント・システムはオプション企画で、コラボ制作のかたちの制作プロデュースです。これが生まれた背景は、もちろん日独美術事情の変化です。まず、ドイツ側の変化は素早く、値打ちがある日本美術を探し求める行動に変わっている点。

一方で日本側では、基本的に国民は美術がよくわからないとして、敬遠的敬意で接する違いがあります。称賛すれど買わない新進美術家への対応の中で、作品の資質ハードルが下がりがちな事情です。わからない分野ゆえ何でも許せる、ブラックボックス展へのあこがれと根は同じ。

「美術は自由なり」「何だってアートになる」「作者の衝動が尊いのだ」式の現代アート特有のノリが、ともすれば手抜き作の横行を生む側面です。この指摘に日本側は納得できないかも知れませんが、ラフスケッチふう作品は他国で通用せず苦情まで来ましたから。正直テコ入れに迫られた。

日本で美術を作るよくある目標は、公募コンテスト展です。審査者は購入と異なる視点で、自身の哲学を披露する目的も兼ねて選抜する方式。応じる美術家の作品制作の寄せ方も、買う尺度よりも選抜する尺度に合わせてきた問題。二つの尺度は意外に異なります。買う方が責任重大。

これらの課題を整理し、回を重ねて徐々に距離もとれるようになったので、作品に買う価値を盛り込むアート・マネージメント・システムをセットしたわけです。

自由主義を唄う現代アートのノリが素人芸に向かう問題に、日本では気づきにくい構造もあります。欧米に山とあるアートフェア方式は日本にわずかで、代わりに公募コンテスト展が山とある特異性もそうです。展覧会の方式が全く違う差異が、作品の差にもなる背景が読めてきました。
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|08-11|物語の局面||TOP↑
新人の勢いに押されて、停滞している部分を動かそうとしています。ひとつは、個展と少数精鋭展の復活です。ベルリンは変化が激しく、前の場所が消えてこちらの判断もノロノロしていました。新スタッフの力で、今からまた下準備の準備です。

通常のグループ展示を減らした理由は、ドイツのお客の目が高度化したからです。向こうとしてもお試し的な見学は卒業して、新しい価値を具体的に探し出しました。そこで個展や2人展など少数精鋭型に進めたのでした。

なかなか場所決めが進まない理由は、日本のようなレンタルギャラリーがあまりないからです。日本によくある、払えば自由に使える貸しスペースが流行りません。会場オーナーが内容を選ぶ前提で、日本作品のタイプにもその好みが反映されます。

もうひとつ、南アジア国ルートを調査中です。全く未知数で、個人作家サイトからのつながりですが、経済成長している南アジアの親日国で展示会を考えました。エキサイティングな場は、欧米国に限りませんから。

資金さえあれば何でもできますが、あいにくジャパンマネーは絶不況中です。日本は裕福な国だと思われているうちが華という面は、確かにあるでしょう。テストにはドイツで展示済みのジクレー版画を使う予定で、売却済み作品の増刷も考えます。

全ては、日本のある流れと競争しています。国内は構造改革者の進言でデフレを強めGDPを下げる政策がとられており、当然ながら付加価値の代表格である美術品は絶滅危惧種。為政者たちが未来を放棄した暗い日本から、明るい外国へ出なければ、誰も助からない危機は感じています。
|07-27|物語の局面||TOP↑
今年の抱負は、作品を売ることです。しかしそれだけでは、何のことかわかりません。営業の話ではなく、制作の話です。営業部のがんばりで売りますというのは、日本では流行らなくても、外国では当たり前で珍しくないでしょう。それに徹するだけでは、違いを出せません。

製造部門を立ち上げ、商品開発を行う意味です。音楽にたとえれば、広報以前に編曲や演奏も行うということ。そこまでやってでも、参加者の作品を売って前に進めようというわけです。

日本国民は美術の売買自体に何となく抵抗があるもので、国内の展覧会は売らない前提の品評会がほとんどです。売る前提なら、事前に落選させて商機を減らす損はやらないわけで。現状は、作る側も売れそうな作品へ走るでもなく、売れてたまるかと逆方向へ走るでもなく、中間的であいまいな作品が多い日本です。

その中間的な作品を外国へ持って行くと、プロに見られにくい問題がありました。現代アートの扱いがサブ的同然の日本で、芸能人の副業ぐらいでも国民には足りています。かくも美術の存在意義が二義的に落ちている事情は、生まれる作品にやはり反映してくるのでしょう。

邪心なく作って後は天にまかせるというのでは、傑作になかなか向かわないものです。「売れるように作る」と、「売れないように作る」の違いを意識し合う方向で、改革を考えてみました。
|01-06|物語の局面||TOP↑
「タダほど安いものはない」は誤用やもじりで、本来のことわざは「タダほど高いものはない」です。0円パソコンや、1円携帯がその典型でした。

日本語IME(漢字変換ソフト)も、わかりやすい例でしょう。国語辞典を元に作られた国産市販ソフトの効率にくらべ、無料ソフトだと日本語に存在しない熟語が次々と候補に並び、毎日のタイムロスがハンパじゃない。

また無料ソフトの多くは、個人情報を流用します。日本語IMEがやはりそうで、ユーザーがよく使う単語をベンダーが回収し、関連商品の広告を画面に映したり、グループ企業で情報を使い回す条項がついています。カタカナ変換で多用する語がルアーかルオーかで、呼び出す広告が釣具だったり画材だったり変化するのでしょうか。

Windows10もそのタイプではとささやかれ、現にいつもは半額ほど払うバージョンアップ料が今回は無料です。莫大な開発コストをかけて無料だと、資金に無理があり裏があるのは確実。希望しないのにWindows7や8が10に入れ替わった事態が、世界中で騒ぎになっています。

7や8から省かれたり制限された機能が10に多々あり、企業向けのプロ仕様10では復活していて有料。「僕らは税のようにOSに払い続けるべきか」の疑問が聞こえますが、払い続ければ正常進化が可能であり、良心的なソフトに向かう確率は高いであろうと、ことわざは導きます。
|06-01|物語の局面||TOP↑
この活動の説明が、ある部分でどうも遠回しの書き方になります。その部分とは、制作のアドバイスやアシストです。

「あなたの素晴らしい作品を、外国に出すチャンス」とは言わない理由は、どんな作品も十全ではなく、最初は何かが足りないからです。現地で大いに称賛された場合でも、足りない何かも同時に指摘されて、売れるところまでは行かなかったりがあります。

そこで、「好きなものを出しましょう」ではなく、「得るものが多い作品を選びましょう」に変えました。たとえば作品選定で自薦と他薦のずれがよく起きて、作者は自分の代表作を意外に外しやすいのです。作者を補強する必要を感じています。

プロデュース面をここでうまく言えない理由に、「芸術は自由」というテーゼがあります。現代美術は自分本位を尊ぶ自由主義です。そのせいでアーティストは自己責任だけを負って、実は孤立しています。外国には画壇の団体がない代わりにチーム戦略があり、結果的に芸術性の実現に内外差が生じています。

日本の作家を外国で知らしめるには、やはり作品の引っかかりづくりに課題が集中します。実力を試す企画から、実力向上を図る企画へ変化させました。「ご指導いたします」では偉そうだから、作戦会議としています。
|05-08|物語の局面||TOP↑
ドイツ側のメインパソコンで怪しいソフトを引っかけたのか、軽度の不調があったそうです。日本側から原因解明を優先と考えたので長引き、しばらく美術の作業が停滞しています。

Windows95時代のデスクトップ型パソコンは、マザーボードのBIOSが光ドライブを認識しない仕様だったから、OSの再インストールはフロッピーディスクで日本語フォントとCD-ROMドライバを読み込む複雑な手順でした。

一方のノート型は早くからBIOSが進歩的で、簡単な操作でCドライブのOSを修復したり、出荷状態に戻せました。ノート型はパーツの増減や変更がないから、そこも手間がかからず。最近のノート型も踏襲されています。

ただしOSを再インストールできても、ワープロやメールソフトも入れて個人設定も行う手間はかかります。それも省くために、構築して好調のCドライブを節目に丸ごと複写しておけば、非常時に再現できるソフトがあります。

光ドライブで起動し、パーティション単位でつかみ取る機能で、今でもDVDでなくCDの製品が中心。ところがユーザーインターフェイスが洗練されないから、たまに使うとメニュー手順を忘れていてビギナー同然になります。
|03-19|物語の局面||TOP↑
謹賀新年。次の目標は、マネージアンドプロデュースの進化です。ちょっと前までは、「作家の未来は作家しだい」でした。今では変えています。作品選定の共業から始まり、徐々に制作コラボレ企画に進んでいるところ。

この方針をとった理由は、一人の力が限られている事実です。独力のピークは必ずしも独力では伸びずきらず、周囲の好条件があってやっと実現していくという、経験則や歴史教訓があります。

作品は作者の子どもみたいなもので、本人は全作品にそれなりの愛着があります。しかし他人が見れば、どの子が才かはすぐわかるでしょう。身内はかえってわからず、自己採点が難しい問題があります。ピークの出る幕で、アベレージで挑んで済ませてしまう失敗がよくあるのです。

制作が行き詰まるのも似ています。我が子は育てにくい面もあるから、学校などという制度もあるわけで。非凡に育てる仕掛けが必要とわかり、黙々と作品を往復させるだけでは足りないと考えるようになりました。
|01-01|物語の局面||TOP↑
パソコンと携帯電話のそれぞれに、別のメールアドレスをお持ちの方も多いのではと思います。しばらく一方ばかり使っていて、もう一方に届いていたメールに長時間気づかない事故が起きたりもします。

対策は簡単で、メールアドレスの国際ルールは共通なので、相互に転送できます。一方に来たメールを、もう一方のアドレスへも丸ごと送る設定が、全プロバイダーで可能です。「Aアドレスに来たメールは、Bアドレスにも転送」という設定が、Aアドレス側のどこかにあります。

たとえば全メールをパソコン側に集めると、順序の時系列を確認しやすくなり、携帯を紛失してもバックアップが存在して安心。デジタル通信にはあらゆる機能が用意され、手を抜いて楽ができるようにしてあります。
|12-17|物語の局面||TOP↑
前に、アーティスト掲載サイトからこういう連絡が。「アートTシャツを作って販売するので、図案を出してください」。他店で商品化前の原案をひとつ送ると、やがて全員に通知が。「Tシャツ専門家に見せて、いずれも売れないと言われたので中止します」。

奇妙な結論です。確実に売れる図案のみ扱うなら、中抜きピンハネ業にすぎません。ずるい立場。そもそも大売れする図案があるなら、Tシャツ専門家の手を借りずに、すでに存在したデザイン小物サイトにセルフ登録すれば、全国販売されたのだから。

その時Tシャツ専門家に期待されたのは、図案を市場向けにアレンジする頭脳と手腕のはず。現に音楽業界には、このアシストの仕事が多い。単に合否判定する選別人がいても、狩っているだけで何も生まないでしょう。

日本の画廊にもいえるかも知れません。売れる絵がある画家求む、という呼びかけは変です。すでに人気がある画家には、後から加わったピンハネ仲介者など不要だから。人気がない、うまくいっていない画家、中途半端ないし最低で最悪の画家求む、と呼びかけないと理屈としておかしい。有力画家を待望して狩っても、業界は末広がりしないし。

最低を最高に仕立てるべく、画廊マネージャーはクリエイターであるべきでしょう。画家に、「これは売れる」「これは売れない」と言うのは、誰でも簡単でしょう。「これなら売り方はこうしよう」が言えて、初めて本物でしょう。
|11-18|物語の局面||TOP↑
「良い企画があれば参加します」という声を時々聞きます。しかし、展示会は旅行への参加とは違います。旅行会社に申し込む参加者の立場は見物人です。が、美術展に申し込む参加者は見物される立場です。役者側。

参加アーティストは、ショーの舞台に上がる出演者に立候補するわけで。祭を開催する業者の一員でもあるから、企画の成否を動かす立場に回ります。作品に魅力があれば、その展示は見物客の目に良い企画に映るでしょう。逆に魅力不足だと、ダメ出しを受けることもあるでしょう。

日本の展覧会は、心を豊かにする体験学習の意味合いで雰囲気が重視されますが、外国では展覧会は売店です。雰囲気にひたるよりも購入目当ての物色が主目的で、予算も決めて来るのが普通です。買えないものばかりだと、良い企画とはいえないわけです。

会場の見た目も相手には二の次で、暗い場末的一角をギャラリストが聞きつけて偵察に来たりします。場所の良し悪しで成否が決まらず、結局は作品が主役を張ることになり、場を染めるキーマンの役になります。旅行への参加とは大違い。

これは、日本の権威ある美術館学でさえ長年勘違いしてきたことで、美術館のハードウェア自体に客を感動させる物語性を表現しようとした設計は、言ってみれば邪道だったわけです。
|11-06|物語の局面||TOP↑
物語へメールを送って、待てど暮らせど回答が来ないという方はいませんか。原因は二つあります。ひとつは、メールフォームへのアドレス誤記。もうひとつは、実は返信はとっくに届いていて、届いていることに自分で気付くことができない、メール設定の不備です。

解決策も二つ。前者は、メールアドレスのスペルを訂正して送り直すだけ。後者は、別のメールアドレスへ変更して送り直すだけ。届いたメールがポストに入った後で紛失が起きるアドレスは、プロバイダーのサーバー問題が多いのです。メール性能でアート活動が不調になるのは避けたい。

アーティストで、自分のメールアドレスの拒絶反応癖にさえぎられて、外からオファーが届いているのに知らずにいるケースがあるはず。なぜそこまでわかるかといえば、現にこちらからオファーを出しているからです。
|11-03|物語の局面||TOP↑
映画の内容は、大半が特別な事件の物語です。主人公が不思議な現象に気づき、調べ始めたら何者かに命を狙われたとか。遠い昔に自衛隊の小隊がタイムトラベルして、戦国武将と合戦するとか。

一方で大きい事件のない、日常の暮らしや仕事を描いた映画も時々ヒットしています。社会の片隅の小さな分野でも、特殊性と普遍性が新鮮ということでしょう。

美術セールにも、特別イベントと日常イベントがあります。アートフェアは特別イベントの代表で、日常イベントはペーパーコレクションや絵はがき販売など。いずれのイベントでも、人と作品の出会いがあって、新鮮なエピソードがたくさん生まれています。

エピソードを回収すれば成果のフィードバックになり、ゆくゆくは映画化できそうに思えますが、実際は困難です。過去に特別展で、学者らしきが絵を語る写真がありました。何と言ったのかを作者からたずねられ、スタッフにヒアリングしたものの結局わからずじまい。

声を拾うにも、活字に直すにも、想像より壁は高いものです。お客の反応や感想を逐一知らせて欲しいとの出品者の願いは、人類の誰も実現していないはず。人の発言が全て記録される超監視社会が完成した暁にも、山とある発言から欲しいデータを探すコストは小さくないでしょう。

前に現地の声を収集しようと計画し、現場のテンポが机上の論と違う前提で、オープニングの反響などを思い出せる範囲でも活字にまとめてきました。フィールドノートの技術も使って、改善を試みています。
|05-29|物語の局面||TOP↑
ここしばらくドイツ側で、他国で行う日本アートイベントの準備に関わっています。ヨーロッパ国ではEU景気のかげりへの対策も意識してか、日本美術を舞台へ上げる機会が増えています。

流れが加速した発端は東日本大震災でした。原発が感じさせた人類の運命とは別に、ついでの日本特集がきっかけで最近の創作物も見てみようというムーブメントが欧州各国で起きています。

ところが日本国内では、失われた23年の決算が消費税アップなど、むしろあきらめ政策だったので、内需景気が今さらの後退モードに入ったようで、その報告も公から出されたところ。賃金カット促進の法律が新たに国会提出されたり、次なる症状悪化も伝わってきます。

90年代にヨーロッパから、日本の経済対策は「too little, too late」と言われ続け、もう言われもしなくなって、美術家が活動休止や撤退に追い込まれ、舞台に上がるどころでないという。それこそ、路上生活の回避で精一杯との悩みもあるほど深刻。

ワインで一杯やりながらの美術談議が楽しまれるヨーロッパと何とかつながって、日本の美術家の復帰策をも考えるようになりました。
|05-22|物語の局面||TOP↑
美術家は誰だって作風が固定しているわけではなく、進化や変転、実験やぶれたりもあります。それがない安定した制作は、実は職人カテゴリーに属していて、それゆえ芸術の文脈にはなじまない場合も多い。今も有効なアルティスト対アルティザンの対称性です。

プロも良い情報を仕入れたいし、先生もまた先生役が欲しいもの。たびたび話題になってきた「伸びしろを残したままの作品」というのを、過去形に終わらせず前線の課題に変えていくところです。

そのマネージ・アンド・ブロデュースの入り口は、「ブランド絵はがき」です。作者が絵はがきにのせたい画像を、事務的に受付処理するのでなく、作戦から入ります。どの作品のどの部分を作家の看板にするかを、検討し合う方式です。

アーティストの大きい目標は、「本物の重み」だと思います。「普通」から脱出する意味。一心不乱に作って済む話ではないし、作風によって解決すべき次元も違うし。

ところで、かつての芸術運動、たとえばシュールレアリスム時代に、美術家は意見交換の場を持ち、異種ジャンル間の交流もあったようです。

それに対して、何でもご自由にどうぞ、誰もじゃましませんという現代では、美術家は不干渉の気楽さの陰で、行き詰まりを解決させにくい問題があります。かといって、模範作品との差異を欠点とみなす審査で、自分の発見にはつながらないし。合否や切り捨てに他人の手を借りても非建設的。
|03-31|物語の局面||TOP↑
マネージとプロデュースへ手法を進めていく理由は、美術のタイムスパンの長さです。音楽では、一夜でスターになれる現象がみられます。実例はロックのオールマン・ブラザーズ・バンドや、ジャズのキャノンボール・アダレイ。クラシックなら、ショパンコンクール入賞なども。

音楽では時々起きている一発逆転は、しかし美術ではまずないでしょう。美術では気長に回数を重ねて、少しずつ認知を進めるスローを強いられます。世界中の美術作家が共通して直面する課題です。焦っても全然前に行けないものです。

なぜ美術がスローなのかは、いずれ論説でも読んでいただくとして、この違いが戦術の心構えになります。自信の展示が不発でも落ち込まず、大成功でも燃え尽きないよう注意がいります。中長期も視野に入れた資金準備もいるでしょうし。

美術は露出度が生命線なので、作品の出し惜しみは禁物です。しまっておいても無意味。とはいえ、作品のポテンシャルだけでは扉が開きにくいことも確かで、画廊も最初は雲をつかむ毎日です。作品を作る側に責任を投げてしまう、貸しスペース型ギャラリーが日本に増える理由はこれかも。

ベルリンの中堅現代ギャラリーに作品を1個置くコストは、プロファイリング込み2千ユーロもざらです。しかも作品評論文をつくるのはまた別途料金で。そんなギャラリーにも、こちらから作品を貸し出しています。こちらもまた後続の作品を探しています。結果に落ち込まず、燃え尽きず。
|01-26|物語の局面||TOP↑
謹賀新年
今年はスローかつヘヴィーに行こうと思っています。毎年そのつもりで、結果はシャカシャカしたテンポになっていました。今、サイト制作の毎日なので、少し記事の間があいていました。


|01-01|物語の局面||TOP↑
何人か外国人が集まった場で、さしみ料理を食べるかで二つに分かれることがあります。すしネタを初めて見てギョッとした人には、気分だけではない科学的な心配も起きるでしょう。腐敗していないか、虫がいないか、生体が持つ毒も。

外国の目には、採ったままの魚を食べてしまう未開の風習と映り、一か八かのゲテモノ食いをイメージしたり。日本人は慣れているから、生魚が平気なのだろうと考える外国人は多いのでしょう。

ところが調理する側は、ルールとノウハウでガチガチです。自由とは違う。まずネタはいつも同じ顔ぶれで、何でもありではない。さしみにできない魚種こそが膨大にあって、本職の板前がつくる場合はあれだけの限られた魚種の、限られた部位に厳選されるわけです。同じ魚種でも、さしみ用と煮焼用のシールが貼り分けられているし。

添えられた植物は、刺激的な味ばかり。薬味の意味に、初心者は気づかないかも知れません。身に刃を入れる向きや切り幅にも、赤身と白身で異なるセオリーがあって。念入りなお膳立てで築かれた食文化体系だから、こうした知識から入る道もあってよいでしょう。

目を展示室に移します。日本美術を外国人の知る範囲で解釈させて、好き嫌いを決めさせて足りるのか、いつも気になります。たとえば書の作品には個別の表現意図以外に、分野全体で共通した哲学でもあるのか。そもそもこれはノーマル作品なのか、それともアブノーマルなのかなど。危険な腐敗したアートではないか、相手はビクビクすることもあろうかと。

「作品を見てもらえばわかります、それが全てです」と投げるだけでは足りないと考え、こちらも対応を考えています。
|11-29|物語の局面||TOP↑
「作品のレベル」という言い方をここでやらないのは、芸術の話が職人芸の話に簡単にそれるからです。それてしまうと、似て非なる分野が芸術の座に付いてしまい、焦点がどんどんずれていくことになります。

たとえば色鉛筆を紙に塗る時。プロは断然うまい。線の方向がピシッとそろって、筆圧も安定して、ムラのないさわやかな塗り跡が残ります。プロのドローイングは、素人とは大違いの技量です。

しかし、幼児がクレヨンでかいた絵とくらべるとどうか。幼児の絵の展覧会は、大人の展覧会よりも強い感慨を与えることもしばしばです。見る大人は幼児のレベルの低さを笑わない代わりに、年齢のわりに上手だと持ち上げもしないでしょう。レベルの次元を、適切に度外視しているわけです。

プロの行き届いた達筆よりも、幼児の行き届かない達筆の方が、生きた感じ、ライブ感で超えてしまうという現象を、多くの人がちゃんと把握できているように思えます。

美術品の豊かさは精度的な次元とは違うと理屈でわかっても、レベルという語を使ってしまうとそちらへ観点が寄ってしまいます。職人の匠の技を芸術扱いする害は大きく、19世紀パリや20世紀ニューヨークで起きた芸術運動が、何のためだったのか理解しにくいなども生じます。

芸術がよくわからないと言う人も、職人芸ならよくわかるもので、匠の仕事は意外に文化カテゴリーよりも文明カテゴリーではないかと感じます。
|11-17|物語の局面||TOP↑
日本とドイツの時差でよく勘違いします。時計を見て、もう終わったと思った展覧会が、現地ではまだ続いていたりとか。向こうは日本より8時間遅い取り決めです。逆に日本はドイツより8時間早く翌日になります。

今の皆既月食が見えるかも知れないと、ドイツ側へ伝えたとたん気づいたのですが、ドイツは正午頃です。惑星直列などと違って1時間で終わるから、日独の両方で見るのは全く無理です。ということは、向こうでは話題さえ存在しないはず。

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|10-08|物語の局面||TOP↑
タネ明かしすれば、ギャラリーに作品があれば、取り扱い作家になります。鑑賞と購入目的の顧客に、そう映るからです。

ギャラリーは、作品の取り扱い時間を増やして売ろうとします。こちらでも特集展示会の期間を長めにとって、さらにじりじり延長したり、遅れた問い合わせ向けに、展示後もすぐ解散せずにしばらく取り置きます。しばしば、展示が終わってから売れたこともあって、逆にプレビューの前に売約になることも考えられます。

取り扱い作品強化の目的に、作品の高級化など上昇志向もあります。ただし、高額作品を仕入れて高値転売しても、古美術を回しているだけで、やはり新人発掘で先見性の表明が第一志望です。国際アート情報発信地とは、世界の新人が舞台に上がる地にほかならないから。

では、図版で新作家の露出度を上げる手はどうか。アーティスト年鑑2014を編集し、ベルリンの他ギャラリーにも置いてもらったりとか。しかし冊子の編集出版は、現地事情があって延期してしまいました。

日本では、絵画のローン購入が流行った頃がありました。が、ドイツでは人と美術の関係はそんなに大層ではなく、女子高生も低予算でメッセに買いに来るほど。アートが暮らしの中にあるドイツでは、作品の実物を置いたが勝ちです。コレクターや他ギャラリストの視察、報道取材でも、冊子より実物の方が話が早い。

他の高級ギャラリーにも、出資すれば作品を置くことはできます。1点で2千ユーロからのレベルです。実際に売り出しに色々とコストがかかるから、ベルリンの感覚では驚く額でもないようです。
|08-26|物語の局面||TOP↑

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