ジクレーはアート制作の技法というより、仕上げの仕様です。できた作品は版画。たとえばムンクの『叫び』は何枚も存在します。作者は油絵を目視で版画に彫り直し、刷って量産しました。目視をカメラに替え、インクジェットプリンターで刷ればジクレーです。

ジクレー化で芸術性は失われません。ディテールのニュアンスは当初は失われましたが、ハイテクの力でもう水彩画はジクレーと見分けられず、鑑定が必要です。油絵なら、触れたりにおいでわかりますが。

立体造形をカメラワークで演出した不思議な版画もつくれ、『叫び』の頃より自由度が高まりました。しかしジクレーの積極的活用とは別の面で、全ての絵画作品が影響を受けています。一枚の絵にかけるエネルギーが上がる傾向です。上げざるを得ないというか。

逆に、簡素な略画や消化作品は値打ちが下がっています。というのは、絵を一枚かいて売ったらそれで終わりではなく、続くからです。撮影画像でジクレー化して、もう一度売れるから。二度でも三度でも。まるで、打ち出の小づち。

イメージの著作権が作者にあるから、極論すれば生涯に一枚だけ全力投球して傑作をつくれば、生涯何枚も売り続けられる理屈です。一枚に力を注ぎすぎないよう労力を配分すべしという、従来の力学がなくなります。

音楽で一つのヒット曲を何度でも歌って千回でもコンサートが組める、それと似た立場に美術も近づきました。版画家に限らず、画家と名のつく全員が。広く浅く多作するよりも、一点をディープに作る作戦も考えられます。
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|09-11|ジクレー版画物語||TOP↑
日本からドイツへ作品を送って、売れ方を調べて研究していました。比較的早くわかったことは、売れる作品の第一は写真だという点。日本にくらべてヨーロッパでは写真アートの地位が高いとは想像していましたが、真っ先に売れるのは印画紙の作品だったのです。

写真系が売れ、フォトエフェクト系とCG系のジクレーから売れていくこともわかりました。キャンバス画やパネル作品はあまり動かない、その理由は値段に大差があったからだと、すぐにはわかりませんでしたが。

日本は20年以上ずっと不況だから感覚がつかめませんが、世界同時不況が聞こえ始めると、ペーパーアートのみのアートフェアが、ドイツで伸び始めていました。イギリスがEUオブザーバー脱退を言い出したり、移民難民問題が日本のニュースになる以前の話で。

新企画も現地に合わせ、日本のペーパーアート作品をファイリングする展示販売も試しました。すると売れたのは、手摺り版画とCGとやはり写真系でした。複写ものが強い。それなら全作品を最初からジクレーにして、もう一度ファイリングすればいけると考えたのです。

日本では美術は特殊化しており、ゴージャスやプレミアムが求められます。美術が一般化している諸外国では作品の価値は造形イメージであり、ソフトウェア化しています。データ化の意味ではなく、コンテンツ本意の意味。手にして重い必要もなく、ペラ紙の作品から売れていく現実です。

ドイツで求められる本物志向は、作品の仕様よりも内容だとわかりました。ただ、ペラ紙だと長持ちしないので、ハイエンドジクレープリンターと超高級厚手用紙にしています。日本だとかなり高料金のタイプ。
|05-31|ジクレー版画物語||TOP↑
募集中のジクレー版画企画では、参加者はジクレーを用意しません。国境を電子で越えドイツの工房で刷り、国内ではあまり労力を使わずに済みます。もちろん梱包や発送は不要。作業の種類は少なく、代わりに作品決めなどの準備に時間をかけます。

現地で使うジクレープリンターは日本製です。ドイツのジクレー工房はどこも、「うちの機材は日本製」と宣伝します。カメラと似た状況ですが、最高品質の用紙はドイツ製で品種も多いようで、日本の紙ではないよう。さすがに画材の伝統的先進国。

工房の入稿仕様に合わせるため編集はこちらでやり、参加者は撮影するだけです。この分業で、別のメリットが目立ってきました。作品の完成度を上げる調整を加えられます。

編集調整で、一番多いのはサインです。サインはなくても売れますが、ある方がはるかに有利です。作品鑑賞向けに展示する日本と違い、作品購入向けのヨーロッパでは、資産価値の担保でサインは大事になります。最善を尽くすため、絵に収まりのよいサインを用意してもらいます。

次に多いのは、カメラ撮影した絵画のプリント範囲調整です。少しある裁断しろを計算に入れ、一歩前に出た絵を狙います。この時に撮影の救済が必要になります。一部切れているとか、傾いて写っている場合の補正。同時にピクセルのロンダリングも。

見るだけの展覧会ならどう作っても済みますが、買う展覧会ではトンデモ絵図であれ、買える範囲に入れる必要があります。会場の外でも、アートが多く売られている市だから。買う側にその他大勢に映らないよう、編集で細工をこらすことがあります。
|05-28|ジクレー版画物語||TOP↑
最初は一攫千金や一発で元を取ろうと、力んだ体験を思い出します。しかし10号絵画を、ドイツで希望価格3000ユーロ(36万円)とすればいけるか。日本の画廊でよくある価格ですが、ドイツでは新人の100号並みだから、難しいことがやがてわかります。

売買が日本より盛んであると同時に、作品が充実した堅い市場でもあるから、価格相場は下がっていて買い手市場ぎみだからです。ローンを組んでまで買う日本と違い、ドイツでは焦って買う必要はそうありません。

相手にすれば、チャンスは何度もあるわけです。アートに正価はなく内容しだいで買値はピンキリとはいえ、作品の量も質も豊富な市場では、知られない作者がとれる価格レンジに限度もあります。

日独の相場の差どおりに下げると、日本としては貴重な代表作が惜しい。そこで惜しくない作品を選ぶと、ベストでなくなる。別問題として、傑作が手元にないなら出すものがなくなるし。これらの難題をまとめて解決するために、ジクレー版画で作戦を組み直しました。

ジクレー版画で、展覧会の目的も変化します。売る目的が前面に来ます。原画と違い惜しまなくてよいし。売り物のつもりでない作品さえ、商品化の視点で考え直せます。幸い、編集や用紙選びで味付けも変えられるし。

相手の予算内に収まる利点と引き換えに、一発当てるロマンは引っ込むでしょう。夢から現実へ。必然的に手数を打って次につなぐ作戦となります。こうして、リサーチして補強しつつ前進するのが、現実に合うと判断しています。その成果は少数精鋭展につながるようにします。
|05-24|ジクレー版画物語||TOP↑
ジクレーとは、原画を撮影しインク式プリンターで刷った版画作品です。プリンターとプレス機は同じ性質のものです。この方法が昔あれば、喜んだ画家はムンクでしょう。彼は後にあの『叫び』を自分で木版画に彫り直し、複製して売りました。

「ジクレー制作は未経験だし、普通に原画を展示したい」という希望も聞きます。前はその普通どうりにやっていましたが、現地で通用しにくいとわかり変更しました。原画だと作品内容ではなく、値段が通用しなかったのです。原因は内外価格差です。

たとえば音楽CD。一昔前に国内盤は一枚3000円でしたが、それを香港に輸出すると現地価格1800円でした。裏を知った日本のリスナーは逆輸入盤を買い始め、国内メーカーが一定期間逆輸入禁止にしました。あの頃のアメリカでは、旧譜CDが1000円程度。

日本のみ高額なのは美術も同様で、日本の画家が外国デビューした時、高くて売れないか、安売りを余儀なくされます。現に何度も売れた画家は、ぐっと低い希望価格を書いていました。これだともったいなくて自己A級作を送れず、B級作で妥協したり。最高作が大作だとお手上げ。

しかも、美術展の目的にも内外差があります。日本は見物が目的で、ヨーロッパは売買が目的。非売品相当の高値だと、相手の関心さえスルーしやすい。それほど、現地では世界のアートが集まり、国際市場化しています。売買総量も日本よりはるかに多く、価格破壊しています。

ジクレー化の読みは当たり、売れる作品数は増えました。売れない理由は値段かも知れないという迷いは消え、作風の嗜好や完成度などに課題を絞り込めます。原画展の場は、別ステージで用意します。
|05-21|ジクレー版画物語||TOP↑
2018年のジャパン・フェスティバル・ベルリンに出すジクレー版画の募集がスロースタートしました。毎回の目標があり、次は価格アップ作戦です。

今回、会場の別ゾーンにあったサブカルプリントを偵察しました。こちらで出したジクレー版画は、似たサイズのサブカルの4~20倍の価格で売れました。しかしこれは仕様の差もあり、こちらのプリント料金はかなり高額で、最低価格が高くなります。

美術品は永久保存が前提だから、経年変化しにくい紙、染料でなく顔料で堅牢なハイエンドインクの、耐久性ある仕様です。用紙は、世界的に高級な日本製かドイツ製です。

しかし現地の購入客は、財産価値にはあこがれません。絵のコンテンツである意匠イメージが目当てで、資産価値やリセールバリューを考えないのがドイツ。後日の値上がり期待で買うわけではないから、画風のへたりは気にしても、絵の端の折れなどは気にしないほどで。

原画よりも安価に出せる版画に替えたことで販売数は増えましたが、販売数を追うと値下がりを招きます。日本美術の価格破壊が起きないように、多角的に研究する回にもなります。
|04-03|ジクレー版画物語||TOP↑
かなり前に、複製芸術論を参考とした未来アイデアとして、レプリカ美術館の提案を読みました。世界の名画をレプリカだけでそろえた美術館です。『モナリザ』も『ひまわり』もイミテーション。ネットもカラープリンターもない頃の話題でした。ヴァーチャル美術館ではなく、リアル美術館。

作品のレプリカといえば、広義で音楽はそうです。編集した複写物を買って鑑賞します。実際の演奏とは違って。しかしレコード時代には、素人は少ししか買わないものでした。それがCD時代にディスクがコンパクトになり、安い輸入盤を狙って年に100枚買う一般人も珍しくなくなったのです。

日本で美術が一般化しないのは、一品生産なので値段が高くて縁遠いからという指摘がありました。もし安いレプリカが可能になれば、日本でも美術を買う一般人が増えて、アートを普及させられるのではないかという論でした。この話が、後のジクレーで現実に近づきました。

そのシナリオは、ドイツでは実現しています。日本でなら2000ユーロ希望の原画も、ジクレー化で100ユーロ以下にでき、資産家でなくとも買い集められます。このシナリオは、本来は日本で実現させたい最終目標です。

ところが日本では、アートを買う目的は音楽CDを買う目的とは違います。美術コレクションの目的に、ステイタスと値上がり期待を含んでいるのです。高い美術品を少人数だけが買う流れが、アートに期待する価値観までを逆に決めてしまっている疑いです。

日本の展覧会は「私の絵を見てください」と発言する場であり、海外の展覧会は「おもしろい絵はないか」と買い手が探す場になっています。この差は作品の値下げだけでは縮まらないでしょう。
|01-20|ジクレー版画物語||TOP↑
ジクレー版画の参加資格は、版画家だけと勘違いされたことがありました。実際には油彩や水彩画から作ることが多く、また立体物もジクレー版画にできます。

ジクレー版画は、版画以外の作品でも版画で量産できる技法です。技法といっても、作品を撮影してプリンターで出すだけ。すると、疑問もわくでしょう。プリンターで出した印刷物、つまり単なるプリントがどうして美術に格上げされるのかと。日本の15年前の議論でした。

実はその疑問に答が出ています。プリントとは版画を意味する英語です。プリントと聞けば、小中高校の試験問題や答案用紙、あるいは注意説明チラシを浮かべるのは日本的です。プリント版画への違和感には、日本語のいたずらも含まれます。

ヨーロッパでは、版画と印刷物は同じものです。プレスマシンとプリンターは同じ装置を指します。印刷の「刷る」と版画の「刷る」は、完全に同じ意味。類似物をたとえているのではなくて。だから現代の新聞紙も、スーパーのチラシも、書店にある書籍も、正体は全て版画です。

ところで「ヨーロッパでは」と言えば、実は「知ったか」なのです。江戸時代の瓦版(かわらばん)という号外新聞の元祖は、木版画だったからです。浮世絵のやり方。何のことはなく、日本でも版画とマスメディアは同じでした。版画でビジネス文書を作るために、レーザープリンターが開発されました。

現代の版画に入門するなら、絵図をコンビニのレーザープリンターで複写すると、本物(真物)の美術作品ができるのが基本原理です。レーザーの粉末トナーよりもインク吹き付けならずっときれいになりますが、別にきれいだから美術と呼ぶ理屈ではなくて。
|01-18|ジクレー版画物語||TOP↑
2017年1月21~22日のジャパン・フェスティバル・ベルリン出品は、三回めの出力として現地で超高級プリントに発注しました。年内に刷った枚数の方が少なかったという。

ジャパン・フェスティバルに参加する意義は、日本を伝える総力結集ですが、同時に買う気満々のお客へ供給する文化交流の面もあります。もっと大きい面では、消費税でいっそう物を買わなくなった日本よりも、中国への関心を強めたドイツの雰囲気を、日本にもう一度引き寄せるなども。

今回のジクレー編集では、より充実感のある作品をそろえるために、デジタル処理がより大胆になっています。作品選定がベスト集に向かうほど、解像度の低い古い撮影しか残っていない問題があるからです。

徐々にお客が増え会場がにぎやかになっているので、薄味の作品は課題でした。個展の作品は音楽で言えばアルバム曲相当、でも合同展はシングル盤的な編集にします。時には回転数を上げたりもして。
|01-14|ジクレー版画物語||TOP↑
ジクレー化に抵抗がある画家の心配ももっともで、原画に備わるスピリットが複製の過程で消えて伝わらないという思いです。元絵のみが本物であって、派生物は偽物にすぎないという純粋論です。

しかしその自信を画家自身が疑っていることも、またよくあることなのです。きっかけは、作品を作り直しても超えられない現象です。ひとつの絵があって、訳あって別にもうひとつ作り直す場合があります。紛失とか、傷んだとか、売れたのでもう一度かくとか。

その時、どうしても最初の絵に届かないと本人は感じます。これは二つの現象が混じっています。ひとつは、最初の絵は手探り状態でかいたせいで、道なき道を行く緊張感や葛藤が何となく焼き付く現象です。一枚目にのみ、生きた感じが強く出ていて。

もうひとつは、最初の絵を見慣れると、それが原点として脳内に固定する刷り込み現象です。二枚目の違いが、全て悪い方に感じられるという。これはいくつかの動物が、生まれて最初に出会って世話を受けたメスを母親と認識し、変更が困難なインプリンティング現象で知られます。

先に記憶した方を脳内で正統に位置づけ、後で出会う類似物をおかしいと感じる本能です。子どもの幼少期に贋作やまがい物を見せるなという戒めは、同じ根拠でしょう。ネット上でパクリ文を読んで時間がたってオリジナル文を見ると、後で見た方を著作権法違反と感じるのも同様でしょう。音楽でカバー曲を耳にして、演者のオリジナル作曲と思い続けるなども。

今、1月にドイツに並べるジクレー版画の入稿版をいくつか並行してつくっていますが、本来は関係のない互いを見くらべて再調整するなど、個々の制作時と違う環境です。元絵が本物である前提で、他人の目でこうあって欲しいという願望を込めた新解釈の原版づくりになります。
|12-13|ジクレー版画物語||TOP↑
日本で美術展を行う場合、お客は鑑賞を楽しむために来てくれます。それで当たり前のように思えますが、欧米では違います。お客は買い物を楽しむために来てくれます。見る支持でなく買う支持。置いておくだけで売れるかも知れない期待は、外国の方がむしろ高いかも知れません。

美術の市場が非常に細い日本国内ですが、ならば絶対に誰も買わないかといえば、人づきあいの交流を通した売買がわりと多いのです。名簿とダイレクトメールが大事とされ、画家は知人の輪をつくるのに力を入れます。知っている画家なら買ってもよいという消費行動に合わせて。

それに対して欧米では、何者かわからない素性の知れない作品も、さっと買われることがあります。お客側に早めにヘッドハントしようとの意識があって、作品探し競争しているからです。売る方と買う方がともに一見さんでも支障がない、オープンな面があります。

そしてこれが、ジクレー制作の注意点になります。日本では売れた原画は、知人の範囲内に存在する場合が増えるでしょう。対して欧米では、販売ギャラリーで記録しない限り、原画のゆくえを追跡しにくくなります。

原画を後でジクレー化する時に、粗めの画像しか手元に残っていない問題は、参加者にも起きています。その予防のために、予定がなくても無理して高画素で撮影しておくのが得策です。ここでも、撮影技術やカメラ購入作戦の話が増えています。

なお作品イメージの所有権は、原画作品やジクレー作品の売買で移動しない国際法があります。買ったお客が複写して売ってもうける自炊事業は、作者没50年を過ぎるまでは違法です。この質問は今も時々来ています。
|11-30|ジクレー版画物語||TOP↑
ジャパン・フェスティバル・ベルリンは、前回より1時間早い朝10時スタートです。規模が徐々に大きくなり、そのうち3日間になりそうなほど。もっともアートフェアが3日間なら、初日はプレスや業界迎賓のプレビューが普通です。今回も訪問参加者に入場券をとる予定。

ここしばらくは初回のプリント準備中で、特別編集に時間をあてていました。入稿条件に足りない画像もあって、大幅な画素数不足や低画質なら、サビをずらして最初からそういう表現物だと見せてしまいます。

ところで、ファインアートの画家に多い思い入れが存在します。手描きの原画には魂があって、原画以外ではカットされて伝わらないという思いです。カメラが普及し始める頃、写真は魂まで吸い取るから怖いと言われたものらしいのですが、それとは反対の写真無力論といえるもの。

そんな思い入れのあるピュアアートも、ジクレー化ではデザイン視点で動きます。音楽業界と感覚が似ているでしょう。音楽は基本的に複写した曲が主要作品であり、クラシックの指揮者もスタジオワークに加わります。ミックスダウンというクリエイティブな工程があります。

タブローとしての完成度よりも、断片の書き散らしが生きている絵も多いものです。原因はたぶん創造の偶発性でしょう。大半のジクレー作品は原画の忠実再現としていますが、複数の画像を合成するワンタイムのバージョンという新式の作画も加わっています。
|11-26|ジクレー版画物語||TOP↑
CG画や写真作品は、最初からジクレーづくりと同じコースになっています。CGは印刷しないと絵が取り出せないし、写真は引伸機がプリンターに替わっただけ。

しかし油彩画や水彩画などでは、ジクレー版画化は想定外の後づけ作業になる場合がほとんどでしょう。そのため、作品撮影や版起こしが別人の手になることもあるし、意図的な分担も可能です。

ここで募集するジクレー版画も、油彩画や水彩画はこちらで版を作ります。デジカメ画像そのままではまずいし、ジクレープリンターの仕様や特性へのマッチング作業は必要です。その時、原作者が心配するひとつは、原画の精神性や魂がジクレー化で失われることでしょう。

ジクレープリントは料金ごとの最大サイズがあるから、原画と同じサイズに再現することは少なく、拡大縮小がほとんどです。縮小だと原画の真価は守られる代わりに、当然面積が減って迫力は減ります。それではおもしろくないので、別の何かで利点を出そうと考えるわけです。

画像編集といえば、ホコリ取りや範囲決め、濃度調整を思いつきますが、撮影画像から版を起こす際に、最も大事なのは作品の「自説」です。作家が狙った意図と違うところに、作品の意志があることが多いので。

つまり、ジクレー版画を単なる複製画とは考えず、編曲版と考えることも可能で、原画そのままでは売れないと踏んだ場合に、打ち合わせ回数は増えます。
|11-01|ジクレー版画物語||TOP↑
ドイツでなかなか売れない日本作家も何とか売ろうとして、現地で売れ筋のペーパーアートへ仕様変更する意図が、ジクレー版画作戦にありました。でも最初の関心は、テイストの増幅でした。

作品を見た瞬間、ここがこうなっていればと聞こえてくることがあります。編集でそこをそうすると、結果売れたことがあります。これを制作にフィードバックし、作家といっしょに考える実験的な意図もあります。

作家が原作の純粋性を守るあまり、鳴かず飛ばずで停滞するケースも前から感じていました。音楽のリミックスバージョンのようにいじって、先が開けるかもという発想転換もできます。要するに、生きている間に色々試してみた方が得策だと。

現地のお客が「これの原画も見たい」と思えば御の字で、その突破口として廉価な版画が活用できます。ジクレー版画化すれば、どんなに孤高な作品も売り物へシフトし、これは一般的でない作風ほど効果的でしょう。

日本国内では作品をどう作っても、あまり抵抗を受けません。寛容であるというよりも、買わない前提があるから何だって許せてしまう面があるのです。それで画家は他人を知人の輪に加え、知人として買ってもらう活動になりがちです。

対してドイツでは赤の他人が買い物目的で見に来るので、他意識をマーケットリサーチすることに意味があります。何を作っても「好きにしてください、反対しません」で流れる日本との違いです。前回も何人かの作家は、協議してアレンジで挑戦しています。
|10-24|ジクレー版画物語||TOP↑
前回のジャパン・フェスティバル・ベルリンでは、2点のジクレー版画をいずれも1日間、180度か90度回って展示するミスがありました。天地逆と横倒しに掛けてしまい、それらは次回に1日ずつ再展示する予定です。

現場で絵の向きを間違って飾る問題は、前回も力を入れていた作家サインの日欧差と実は関係があります。ジクレー編集の、「編集」とは何かという疑問にも関連していて。版画は量産アートなので、目的は見本よりも商品実物です。

ヨーロッパ向け商品として、サインは日本よりも重要です。デジタル制作のCGや写真系以外は原画の拡大縮小なので、サインの調整が増えます。売れた作品のいくつかは、サインを作者にやり直してもらったり、サイン案を複数書いてもらうなど、買う値打ちを上げようと講じました。

なぜ欧州の購入客がサインを重視するかは、要するに購入するからです。日本では買わないからサインはどうでもいい。ジクレー編集は、照明ムラやピントムラ、解像度の適合作業以外に、サインの位置や濃さにかなりの時間をかけます。同じ作家の別作品で筆跡を変えたり。

全作の中で2名の4点のみ作者がサインなしを希望し、うち1点だけはこちらから説得してサインを入れました。3点だけがサインなしでの出品となり、その3点中2点が間違った向きで壁に掛けられました。
|10-09|ジクレー版画物語||TOP↑
ベルリンのアインシュタインが1922年に来日して講義を行った際に、書き込まれた黒板が日本側で保存されていた裏話がありました。黒板は紛失し、でも写真は残るから今でもジクレー版画にできる理屈です。

作品が平面でも立体でもジクレーにできるから、ジクレー作家と言うだけでは何屋さんかわかりません。近年はゴッホのジクレーも普通に売られていて、アナログ時代の古典画家さえジクレー作家に含まれています。

普通にジクレーと聞けば漫画やCGを連想しやすいのですが、日本のネットショップで最多はおそらく具象の油彩画、それも風景画でしょう。また意外に多いのは版画です。石版画を原画としたジクレー版画という具合に。

手製版画の中には、歩留まりが低くなる技法があります。手の込んだミクストメディアだと、一枚刷ったら版が壊れるとか。そんな場合も一枚だけ刷れば、後はジクレーで増刷できます。量産に耐えない複雑な版画技法でも、ジクレーでつなげば成り立ちます。

参加者へのガイダンスで、思い切った活用も始めています。作品面積を大きくできない小さい筆記具の絵や、長期保管できない素材だったり、内外価格差が目立つ高額作品なども、ジクレー化で市場に乗せて有利な展開に変えられるでしょう。

定型用紙が制約になる場合は、余白が確保できる大きい紙に最初に描いておいて、デジタルの段でカットすれば、紙の端を気にせず伸び伸び手が動くでしょう。手がきの制約からいったん出てから戻ると、手がき技術が強化される効用もあるでしょう。
|07-05|ジクレー版画物語||TOP↑
プリント展に出品して残った作品は、回収しないと著作権を失わないかとの心配が時々聞こえます。簡単な話で、日欧はベルヌ条約に従います。作者と作品を保護する原則で、日本は明治時代の19世紀に加入しています。

作品の正体を、物体とコンテンツイメージに分けて考えると簡単です。ベルヌ条約では、コンテンツイメージが守られます。ブツの話ではなくて。他人がコンテンツで得するうまい話を、ことごとく禁じる条約になっています。

作品の売買や譲渡は、ブツの所有権の話です。ブツの権利は小さい。作者から作品を買った人は、その実物をどこかに展示して入場料を得られますが、印刷は不可です。これがベルヌ条約。ポスターもカタログも絵はがきもつくれない。絵の画像的な中味、図案としての意匠やアイデアは、ブツを手放した後も作者が持ち続ける約束ごとです。

その権利が誰かに渡る抜け穴を疑う原体験に、日本の慣行がありました。地域の展覧会などに出品すると、コンテンツイメージの版権を主催者が得て作者が失うとした、悪質な規約が現に多かったからです。参加者を弱者とみたてて、出品と引き換えに著作権ごと巻き上げるという、合法を装った搾取が日本で横行していました。

絵画とコンテンツイメージの関係は、CDと曲、本と文章の関係と同じです。ブツとコンテンツを混ぜた話や、違法コピーや模倣ネタ活用、インスパイアを与える損得まで混ぜると、著作権の原理がみえにくくなります。

ヨーロッパで作者のサインが信頼されるのは、誰の作品かの直接証拠があると、オリジナルの値打ちやプライオリティーが保てる理由もあるのでしょう。箱書き的なお墨付き以前の問題として。
|06-16|ジクレー版画物語||TOP↑
日本で本が売れない原因を求めてアンケートをとると、「最近の本はつまらない」という回答が多いそうです。新車のアンケートでも、「最近の車はつまらない」が多数。しかしこれらは、イソップ物語のぶどうかも知れません。

もし楽々と手が届けば、同じ本が、同じ車が、おもしろく感じられるのかも。本が好きなだけ買えるサイフ状況なら、「最近の本はけっこうおもしろい」に転じるであろう疑いです。実際に書店へ行くと、いたるところに読みたい本が。買わない原因は24年続く不況だった。

これらで、経済に余裕がない以外に、二つ目の原因を探して論じても無意味です。買えない物をつまらない不要物とみなす合理化の心理が、この現象の全てだから。

これを美術品に応用するとどうか。日本の美術展は、多くが順位発表会や鑑賞会です。対して欧米の美術展は、見本市や売店です。日本価格は買う人が少ないから高めなのであり、その価格のまま欧米に出しても買うつもりで来た人に「すっぱい作品」に映る不安は残ります。

そこでまずは廉価にしようと、複製技術を使う企画を考えました。全て同額なのがブランド絵はがきで、価格はまちまちでも手が届く範囲に降ろしたのがジクレー版画。

日本では、新人でも10号20万円などは普通です。しかし、美術に満ちあふれたドイツでその金額だと価格交渉は決裂するため、次に打つ手がありません。このようなイソップのぶどう問題が、現地生産方式の版画のコンセプトに含まれています。
|06-07|ジクレー版画物語||TOP↑
日本にも版画の通販店が多くあります。以前からオフセットポスター製品によくあった『モナリザ』や印象派などの歴史名画を、今度はジクレー製品化することで、美術関連の小さい市場には福音になっています。

そんな通販サイトに、よく版画のルールが出ています。ルール説明の中心は、作品の由緒を示すサインやエディションナンバーです。版画は後でも増刷できるから、直筆サインやリスト記録で価値を担保するわけです。

江戸の浮世絵には木版画もあり、その版木は明治時代に欧米へ流出しました。その古い版木で今から新たに刷ったら、どういう価値になるかという問題が起きます。その混乱も何とか調整しようとするルールです。

ただ、版画店は出荷数を増やしたいから、後刷りに遺族のサインを付けたり、デジタルならサイズ変更して別シリーズを出したりと、パターンが増えていきます。200枚限定の『モナリザ』と言っても、世界にはすでに何万枚もあるだろうから、希少性はないでしょう。

版画のルール説明の最後はたいてい、「版画の価値は内容が決める」に落ち着きます。鉛筆サインとナンバー入りの正統ジクレーより、コンビニのレーザープリントに値がつくかも知れません。その一枚だけが幻の途中案である場合とか。最後の説明で、ルールが覆える仕掛けです。
|04-22|ジクレー版画物語||TOP↑
油彩画や水彩画を撮影してプリンター出力した作品は、日本でもすでに美術品として売られ買われています。しかし2000年代半ばにはまだ、保守派と進歩派に意見が分かれていました。

保守勢に多かったのは、「デジタルは単なる印刷だから美術でない」という主張。対する進歩勢は、「とても美しいから美術なのだ」が主流でした。しかしそれだと、画質が悪いと美術と違うのかと、揚げ足とりが簡単でした。

そもそも、版画というものは全てが印刷物です。版から転写し複製します。一品の手がき作品は版画と呼ばない。印刷で量産した絵を版画と呼びます。印刷だから美術でないとの説明は不合理にすぎます。それだと版画の歴史の全否定になってしまって。

電算写植で出した読売新聞などを展示室に敷き詰めた、いわゆるインスターレーションでアート界が回ったのは1980年代でした。20年後に新聞紙の代わりに、自作画の印刷紙を壁に張ると、今度は美術失格になるとは、いきなり中世以前に戻った論争がアンバランスです。

こうした版画特有の混乱はルネサンスから増え、今もあります。技法名称の林立と意味の交錯が目立ち、言い換えやロンダリングもみられて。新しい食い違いはデジタル・リトグラフで、ジクレーを指すとの説明と、パソコンで電子データを送るアルミ板プレス機を指すという、二説があります。
|04-05|ジクレー版画物語||TOP↑

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