日本の美術界の特徴的な構造は、「伝統具象」と「現代抽象」の並立です。「伝統的な具象画壇」と、「現代アート界」に大きく二分されています。思想も尺度も人脈もショップも、何もかもが異なる別世界へと離反。地方美術館のもめごとも多く、現代アートの仕掛け人がクビになったあの事件もそう。

しかしドイツでは、そういう分かれ方は特にないようです。日本でなら現代美術展とタイトルをつける行事も、ドイツでは単に美術展です。ドイツで新作展は全て現代美術なので、あえてそう呼ぶ必要もないから。日本の会社求人案内に、「現代人求む」と書かないのと同じこと。

つまり日本で現代美術は特殊化しています。一般の新作美術とは別枠に分けられています。一般の新作美術とは、印象派や野獣派の延長にある近代具象画壇と、地域の油絵グループやスケッチデッサン画サークルなど、おなじみの社交場です。

日本のそのゾーンを現代美術と呼ぶと何だか調和せず、昭和歌謡をロックと呼ぶ感覚に近いでしょう。日本の現代美術は現代音楽や現代バレエと同じで、理解しがたい意味も込めて呼ばれます。これが特殊化。「僕は現代美術を作っています」と自己紹介すれば、変な人に思われそうな社会。

「ドイツで美術展をやります」と呼びかけると、カテゴリーのミスマッチを心配する質問者がやはり現れます。国際的な場の現代アート展に、自分のような古来の具象画は参加資格があるのかという不安が、今も残っていて。

ドイツでは全てが現代美術になるので、具象画壇の絵も区別されません。日本ではあまり見ない、派閥を超えた展示光景になります。伝統的な具象洋画は、ここでのプリントアート企画では、日本的なモチーフを選ぶことが増えます。縮小加工するとサブカル風味も帯び、見た目が日本画に近づくからか、現地でどちらかといえば売れる方です。
スポンサーサイト

|06-17|ドイツ事情スケッチ||TOP↑
デュッセルドルフ市の「ジャパン・デー」(ドイツ語=ヤーパン・ターク)は、ジャパン・フェスティバル・ベルリンより前からあったそうで、最近参加者から知らせてもらいました。今年2017年は5月20日開催でした。

ジャパン・デーの主な出し物は、コスプレと打ち上げ花火だそうです。百万人集まる花火が目立って、観客からみて屋内会場の規模バランスに課題があり、人混みになりすぎて行きたくてもしんどい声も多いそうな。

手頃な見本市であるジャパン・フェスティバルよりも市民祭化し、舞台アトラクション以外の出店はバリエーションが足りない悩みがあるそうです。アート出展エントリーの呼びかけが日本に来ていますが、日本から出展しにくい理由は景気の内外差です。

日本だけが25年目のデフレ不況で一貫し、美術家が撤退と廃業する不安が続いて、もう活動停止しているケースもみられます。そのため日本から出品するモチベーションは、投資よりも資金回収する意識に向かいがち。ベルリンから離れるほど、参加費が上がる悩みも効いてきます。

ちなみに、ジャパン・フェスティバル・ベルリン企画ではフェア参加の考え方を変え、見せ作品から売る作品へ、作品集合から作家育成へと趣向を変えています。日本美術販売プロギャラリー的なやり方は、仮にジャパン・デーに拡大しても続けることにします。

ジャパン・フェスティバル・ベルリンでは、たまに作品販売で黒字化して参加費を取り返す強豪が現れましたが、ジャパン・デーでは一日限りなので、むしろ作家宣伝に投資する方向が強まる気がします。よその市なので事情がわからず、情報を集めています。
|06-04|ドイツ事情スケッチ||TOP↑
トラック暴走テロの背景をさかのぼれば、イスラエル建国に始まり、アフガニスタン戦争とイラク戦争による、中東の怨念の連鎖があります。十字軍もあったでしょう。もっとも、テロ国家の旗揚げは原因ではなく結果です。

テロ実行のハードルを下げたのは、ゆるい国境と移民難民の受け入れでしょう。人種差別をなくそうとする理想主義と、人類は皆わかり合えるとの博愛主義で、盟主国たちは難民を大勢迎えました。しかし、相手も博愛主義で話のわかる人で、郷に従い価値観を共有するとした想定は妄想なのか。出身国では指名手配犯の逃亡や、送られた工作員もいた結果論。

裏から支えているのは、グローバルスタンダードとされる新自由主義経済です。ベルリンの壁が消えて共産主義が後退し、勝ち残った資本主義は先鋭化し、支配者層のみ潤す方向へカルト化しています。「株主の利益を守る」という耳タコのお題目がそれ。

たとえば日本政府が増収を賃金に回すよう企業へ促すと、経済新聞は増収は株主のものだと社説で釘を刺しました。ドイツでもこうした階級闘争の本音では、企業は安い労働力として移民や難民が欲しいわけです。清掃業務などでも。難民受け入れは、実は株主の利益です。博愛は口実で。

日本国内では、特有の文化意識がカウンターとなっています。人は生まれた地で暮らすのが幸福で、流浪の民は無駄に苦労し寿命も縮むとする土着主義です。だから、過去に日本から送り出したからゆきさんやブラジル移民は、今も苦渋で傷心の記憶となっています。

ドイツでも何かをきっかけに国民が次なるヒトラーを求め、ドイツ製トランプならじきに現れるとの予想が出されています。どの国が公式に暴発するかわからない、奇妙なチキンレースをグローバルに興じている現状です。
|12-24|ドイツ事情スケッチ||TOP↑
12月19日(日本時間20日朝4時頃)にベルリン市中心部で起こされたテロ事件は、大型トラックを暴走させたものです。隣国ポーランドから盗まれたとされる、かなり大きいトレーラートラック。8年前に日本の秋葉原で起こされた、小型トラックのテロを連想させます。

場所は地図上では、ベルリン中央駅の左下方向です。ブランデンブルク門を起点にすれば、門のすぐ西(旧西ベルリン領側)に広がる森の、反対側の端っこあたりです。Urania Berlinビルから1000メートルほど西で、周囲にベルリン動物園やベルリン工科大学もあり、文京区のような場所に思えます。

現場のカイザー・ヴィルヘルム教会をGoogleマップで3D化すると、ごく近代的なビルに描かれています。実際にはガウディーがつくった教会を思わせる、有機的な意匠の文化財です。当然ながらキリスト教の施設であり、そうした背景を感じさせます。
|12-23|ドイツ事情スケッチ||TOP↑
日本にいて気づかないのは、銃規制が最も徹底した国のひとつが日本だということ。薬装連発短銃の個人所有は不可能です。単発でも全国50人限りの競技者枠で、銃は警察署に保管します。

日本の平和ぶりを示す好例に、ケネディ大統領暗殺の陰謀説があります。オープンカーの後席の大統領を撃った犯人は、前席の運転手だとする新説です。銀色のハンドガンを撃つ一部始終の動画がネットにありました。

大勢の観衆が見ている中でこっそりと銃口を後に向け、大統領の頭を撃ったオートマチックピストルとやらの正体は、運転手のセットされた髪型が日光で輝いている部分です。しかし主張者は明らかに本気で、発砲すると音と炎と煙とモーメントとにおいが発生することを知らないようす。

たとえば、映画『ダーティーハリー』のSW44マグナムで市販実包(純正火薬量)を撃つと、レストランなら店内の全員の鼓膜が破れるでしょう。無煙火薬でも火と煙がドバッと出て、銃身が跳ね上がり後へ飛び、グリップが弱いと手が滑って銃がねじれつつバクテンしたり、撃鉄が額に刺さる事故も。においが店内に立ちこめて。衆目の中、人知れず撃つのは不可能。

海外では、一般人が銃を持っている確率も上がります。一例は中立国スイスで、よく日本の国会議員が理想の平和国としてたたえた後で黙るのは、スイス方式は全国民が兵士だからです。多くの家庭に自動小銃を配備しています。戦闘訓練する徴兵もあるし(女性は希望者のみ)。

異国で銃の乱射にでも出くわすと、犯人が照準しにくいよう行動する必要があります。それだけではないようで、先日コロンビアを旅行中の大学生が、強盗を追い詰めて撃たれた殺人事件がありました。盗られ用のスマホを別に用意する必要もあるでしょう。
|11-23|ドイツ事情スケッチ||TOP↑
美術館批判が日本で流行ったことがあります。発端は、山梨県の美術館がミレーの絵画を買った騒ぎで、一点豪華主義批判が噴出しました。「そんな古物はやめて近年のピカソやミロを買え」という主張も特に出てこなかったのは、抽象がわからなかったからでしょう。

そういう時代に、日本の大型美術展への批判がありました。応募が増えて入選も増えて、絵が二段掛けになってひどいという批判でした。ところがヨーロッパの美術展だと、絵を二段三段に並べるのはよくあります。上だけでなく、床に立て掛けたりも。

二段三段が平気なのは、あっちの展覧会が商品陳列の場だからです。お客の目的はアート散策や心の浄化ではなく、買い物です。絵が目の高さになくても、額がなくても全然平気。品ぞろえが豊富なのはありがたい。

お客は雰囲気や格式を乗り越えて作品をよく見ているから、会場の自由度も高く、ホテルの各室に作品を詰め込んだ展示会もありました。ヨーロッパでは、見るだけで買う物がないのが実は最悪です。

前に、外国展が初めてという参加美術家が、日本と違いすぎるドイツの展示光景に憤慨していました。日本の展覧会は売らない前提で、心休まる静的な場を求めたガラパゴスだから、無理もないことでした。アメリカと違いドイツの美術展では音楽は鳴らないから、日本に近いのですが。

|10-14|ドイツ事情スケッチ||TOP↑
ベルリンにはドイツと日本以外に、フランスやイタリア、アメリカ、ロシアからも美術が集まっています。二つの戦いが繰り広げられ、ひとつは作品の量と質の戦い、もうひとつは各国マネーの戦い。ジャパン作品とジャパンマネーが強ければ、現地で優位に立てます。

ジャパン作品の量と質は、日本国内美術の活性度に相関するでしょう。日本のハンデは、現代美術や現代写真の市場が国内でかすんでいる点です。この30年のその変化を知ろうと、9月に東京の展示場を使ってみました。「2+1展」の東京巡回計画が発端で。

日独の差は、国民が美術展へ行く理由にも表れます。ドイツのお客は、欲しい物を探して展示場を回ります。それに対して日本のお客は、見て楽しむ目的です。ドイツは買う前提、日本は買わない前提。

ドイツでは、買うに値しない物ばかりだとお客は落胆します。それに対して日本ではどんな作品でも怒らず受け流せて、一見すれば心が広い寛容な国民に映ります。これは、買わない前提で生じたトリックです。

だから、本物の芸術創造は日本で生まれやすく、その日本でスルーされておしまい。同時に「小学4年生のような絵」(幼児のような絵ではなく)も、日本で出やすい理屈です。玉石混交ぶりが、日本の方が大きいはず。

ジャパン・フェスティバル・ベルリンの作品編集に入りますが、もちろん欧州式の会場なので相手は買う物を見つけに来ます。こちらも商談に強い版画に仕立て、日本ではあまり考えずに済んだ値段づけにも時間をさきます。
|10-07|ドイツ事情スケッチ||TOP↑
公募展の審査やギャラリー展示の許可で、「技術も見ます」などと断りが入っていたら、いかにも前時代的に感じられます。古い眼鏡で作品を見て切り分けるつもりかいなと、一瞬いやな気分になるのが現代人。

なぜなら、20世紀の前衛芸術運動によって、共通に心得るべき技術なるものが消滅し、美術の技術力は個人単位の領域に達成度の物差しをまかされたも同然だからです。アートは何でもありだから、「技術」の語に多義性が含まれ、とっくに使えないBuzzwordと化しています。

ところがドイツでは技術力を求められます。これは簡単にいえば、プロ仕事として見せて魅せる充実度があるかの常識的な意味です。言い換えれば、「うちの子でも作れそうだね」と見られる作品では通用せず。素人的ナイーブは、日本では親近感が出せても、ドイツでは価値なしの扱いです。

日本では、絵の技術を言い出せば具象デッサンの腕を意味しやすく、だから抽象画には技術の概念がないといえます。写実の技術がない画家が、精進をあきらめて抽象に走った、逃げたとみる意識も根強くあって、これも日本なりの技術観の形成原因でしょう。

技術重視と言い出せば、「えっ、具象画しか許されないの?」という不安になりかねない日本。技術の語を参加者が違う意味に受け取る危険と隣り合わせで、話がやりにくい問題があります。
|09-14|ドイツ事情スケッチ||TOP↑
ここでの作品募集範囲は、古代、中世、近世、近代、現代まで何でもありですが、そもそも現役作家の新作は現代美術に決まっています。実際に現代風なのだし、ドイツで「現代美術展」とわざわざ銘打った展覧会は覚えがなく、アートフェアの参加作品も全て現代美術です。

それに対して日本では、現代美術の語に特別な仕切りがあり、隔離的に扱う傾向があります。一般的な美術という範囲がまずあって、対して現代美術という特殊なカテゴリーが別にあって、両者の間に高い壁がある感覚が日本。ひとつは理解の壁です。

わけがわからず、突飛で難解で、狂っていたり、お馬鹿な作風。作者も何かおかしい人だったり、外国の時流をまねた若者の軽薄や傍若無人とみるのが、今も残る現代美術のイメージでしょう。日本の大御所や重鎮は、現代美術なんかに間違っても手を出さず、勲章推薦もない話。

日本国民が現代美術展へ行く動機は、ケーキを食べる別腹に似た第二の関心であり、どちらかといえばお化け屋敷に入るフィーリングに近いというか。暴走族の集会イベントを見に行くに似た、好奇の対象。

こうした空気の日本国内で現代美術を作ると、先進意識やはみ出し者のヒロイズムさえ生じますが、輸出すれば無効です。向こうへ持って行くと悪役でなくなり、誰も飛びのいてくれない。モチーフ不明の抽象絵画ぐらいでは叱られず、既成の概念への挑戦とも受け取ってもらえず。何をやれば悪役になれるかは、また別にあります。
|07-24|ドイツ事情スケッチ||TOP↑
イギリスの国民投票でEU離脱派が勝利し、世界経済の動転が始まっています。しかし勝利側にとっては、世界経済より自分の家計が大事なはず。この点で、先進国のリーダーたちはうかつに過ぎるでしょう。

イギリス国民がEUをやめたい動機に、移民受け入れ規定があります。移民は低賃金でも平気だから、企業が人件費削減で飛びつき、既存のイギリス人労働者が失業していく道理です。仕事を奪われる悪夢への恐怖が根底にあることが、市民の声にも表れていました。

安泰な特権階級やセレブたちがリベラル発言する陰で、犠牲になる庶民の危機意識はふくらみました。ドイツでも表に出ている話です。世界秩序より我が身を優先するイギリス国民の行動は、容易に想像できます。レイシズムだと攻撃されたくなくて、表に出しにくい問題ではあれど。

日本から欧米へ送るアートにも、この摩擦はあるでしょう。現地で商品を増やすのだから、既存商品と取り替わって終わりでは、相互の利にならないでしょう。それだとシェアという語でかわした、単なるパイの奪い合い。

日本発のアートは現地の売り絵とバッティングせず、ユニークであることが期待されます。現地にないものを持ち込み、現地にあるものを下げない。節約目的で飛びつかせる代替需要は、創作の目的ではありません。

芸術交流はシェア争いではなく、異なる価値の拡張合戦だと規定したくなります。常に実験で、常にプロトタイプで、常に景気刺激策。勝ちをさらっていくスポーツとも違い、勝利者の定員枠を広げる役がアートです。
|06-24|ドイツ事情スケッチ||TOP↑
ドイツの美術展ではよく議論が始まります。アメリカの会場でも、作品への意見は飛び交うもの。しかし日本のお客は美術にあまり意見せず、感想も「明るい絵ですね」「暗いなあ」程度。「美術は難しいもの」で定着していて、何か言うと恥をかく危険もあるし。美術と社会に断絶があります。

美術家の孤立を思ったのは、地方美術館を巡った日本縦断でのこと。私立現代美術館の展示室で個展が開催中で、若くない作者本人が陣取って筆をとって描いていました。その大作に、一目で幻滅した覚えがあります。

駆け出しの試案を思わせる、踏み込みの浅い佳作未満が並んでいたからです。工夫したり悩んだ痕跡が感じられない、詰めの甘い抽象画の山という状態。その制作ペースを五分の一に落として、一点ずつを五倍に濃縮すればよいのにと首をかしげました。

「平凡なまま安定して感興なし」と、誰も指摘しないのかと。しかし次に思ったのは、誰がどう言い出すかでした。日本の美術批判は、「デッサンが狂っている」「描けてない」など具象向けで、抽象は「難しい」「わからん」で払いのけて済んだから言葉がない。誉め言葉も情緒的なポエムが中心だし。

何でもありのリベラル美学や、コンセプチュアルやハッタリを時代が許しているマイナスもあります。ガリレオやゴッホの逆転劇を持ち出せば何でもかばえる陰で、美術家個人は実は孤立しています。悪口が来ない代わりに、助言も来ない状態でしょう。学生みたいに放任された許され方で。

許されない異端に届いた抽象画と、許されない異端に届かずじまいの抽象画。その違いを語り分ける言論基盤が必要だと感じたものでした。
|06-10|ドイツ事情スケッチ||TOP↑
ドイツから日本へ送る手紙やはがきの切手代が、2016年に上がりました。前の値上げは2014年らしく、2013年は二段安かった記録も。

思い出したのですが、この20年のGDPは何倍かに増えた中国やBRICs国以外に、ヨーロッパ各国も軒並み5割前後アップしています。例外は横ばいの日本。不況のまま消費税を上げた日本の無謀は、その焦りでした。

日本の物価は消費税で上がる印象がありますが、高度成長期以降は10円のアイスがやがて20円、30円と上がったもの。最近の日本では4500円の服が2980円、2480円、1980円と下がるから、できるだけ物を買わないのが賢いというアドバイス一辺倒です。これが日本の不景気の正体で、待てば上がるドイツと逆の行動原理が支配的。

よく聞く「買いたい物がないから買わない」は、不景気で落ちた気分にすぎず、その証拠が書店やコンビニの立ち読み需要の高さです。25年前なら、時間が惜しくて読みたい本をまとめ買いし、持ち歩いたもので。目を通したら捨てて。人を小心にし、教養まで下げる不景気の罪。

日本の地位が上がるには、今日より明日の方が物価が上がる国に戻る必要があるでしょう。そうして全員の所得を上げ失業も減らすと、政権側も自ら言っていたわけで。

デフレのおかげで業績が伸びた企業人に国をまかせたり、90年代価格破壊幸福説への配慮は、消費税を上げて便乗値上げも許した2014年に一応消えました。人口減を不況の原因とした若者犯人説など、怪情報に議員も釣られないように。
|03-08|ドイツ事情スケッチ||TOP↑
ドイツのメルケル首相は、難民受け入れをトーンダウンさせ停滞状態です。いざ大勢が押し寄せると、予想とは違っていたせいかも。日本の3.11以降、ドイツは発電インフラで悩み、次は難民、そして中国経済。

一方の日本人は、国境を越えた民族移動に概して否定的です。農耕の島国のせいか、人は生地で暮らすのが一番幸せという自然志向があって。留まるに越したことはないと、現地の正常化を考えるのが日本流のよう。

ドイツの難民問題は、日本の移民提言とよく混じります。移民提言の根拠は日本の人口減で、そこに差別問題もささやかれます。というのも輸出企業が語ると、目当てはユーザーよりワーカーと想像できるからです。

日本人より低賃金で長時間労働に耐える人が欲しくて、だからイギリスやドイツの人ではなく、途上国の人を連れて来る話になっています。コンゴやガーナから農園労働者を輸入した、アメリカ開拓時代を連想する人々。移民反対よりも賛成する意図にこそ、差別主義がみられるからくりです。

この混濁が生じる道理は、ユーザーとワーカーは同じ人がなるからです。日本の長い不景気は、ノーマルワーカーになれないローエンドユーザーが増えすぎたせいであり、順番としてその改善と復興が先に必要でしょう。

不況の中で起きた人手不足は、人口減ではなくローエンド賃金への敬遠です。デフレで下がり切った賃金を前提とした提言は、だから評判が悪い。そもそも賃上げでインフレ基調に変えるのが現政権の題目なので、逆向きの提言を出すたびに消費マインドが改めて冷え、政権にケチがつく繰り返しになっています。

|03-06|ドイツ事情スケッチ||TOP↑
日本は先進国の中でも、美術の一般普及に失敗した国といえるでしょう。地方中核都市に現代美術市場は無きがごとき。ゆえに埋蔵金のごとき伸びしろはあれど、長大な不景気でモラトリアムのごとき。

ドイツでのアート活動の特徴は、購入目的の観客がはるかに多い点です。日本だと心の糧とする鑑賞会や親しき集いの披露宴ですが、向こうは売買と発掘の場です。そのせいか、会場をきれいに整える日本と違い、ドイツはあり合わせ会場が好き。

古建築を再利用した展示場は、壁を塗り直さないボロボロだし。場末ふう会場も平気で、作品を前に議論を始める観客たち。作品を自宅に飾った姿を想像する特技があるのか、絵を床置きやビニール袋でぶら下げてもちゃんと見ていて。額縁の有無も当然問わない。

究極のあり合わせ展示に、ライプツィヒ市の「芸術の夜」があります。一本の道を順路とし、沿道に会場が点在する簡素な美術展で。空き家と民家やオフィスを部分開放して、作品を一日並べるだけ。

「芸術の夜」の写真を見ると、日常の中にアートを投入した空間が妙に絵になり、特に早い時刻の夕景は芸術的で、昼より夜が魅力です。このような「どこでも展示場」の慣習が、作品を鍛える面もあるのかも。

音楽イベントで、「では歌ってください」「えっ、ここで?」という場合があり、すわりの悪い場所でも歌って聴かせる歌手は実力者という。「では絵を置いてください」「えっ、ここで?」という場所がドイツには多いのです。
|03-02|ドイツ事情スケッチ||TOP↑
ブラック企業は、失敗が社内で頻発するのが特徴です。誰か社員が「用事ができたので休みます」と、電話に出た者に告げたとします。その日の社内で、あいつがなぜ来ないのかと騒ぎになります。そんな失敗が、いちいち起きるのはなぜか。

ブラック企業は、サイコパスが運営する会社という定義がよく言われます。異常なトップから悪意が伝染し連鎖し、部下たちも感情的で意地が悪い。内部が元から険悪な雰囲気になっていて、互いに攻撃し合い、警戒し合う不和が全社に行き渡っています。

だから、知らせを聞いた社員は上司の今の機嫌を探るのです。上司の意地悪なリアクションを免れようと、伝言を告げるタイミングを慎重に選ぼうとするうちに、告げること自体を忘れてしまう。上からの懲罰を恐れ、知らない話だとウソをつく。

ホワイト企業では起きないこうした事故と水掛け論が、ブラック企業では来る日も来る日も、入れ替わり立ち替わり続きます。自称常識人の上司は、いっそう不機嫌になっていく毎日。

美術界そのものがブラック企業化していないかは、ひとつの注目点です。この件で何度かドイツ側の美術がどうなっているかを問い合わせても、いったい何の話なのかが伝わりませんでした。団体は不和や内部抗争がない方が発展すると、普通は考えるから当然でしょう。
|02-03|ドイツ事情スケッチ||TOP↑
日本にも作品募集する展示イベントは豊富にあり、地方公共団体が主催する場合も多く、あるいは企業メセナもあります。日本の感覚では、展覧会は何となく上から与えられるイメージなのかも。美術全般を見上げるか見下ろすか、どちらかの人がそもそも多いわけですが。

そんな日本と違い、欧米ではアートフェア会社が繁栄していて、美術が民間活動として定着しています。フェア団体もギャラリーも、緊張感を持って誇り高くもあるようで。

ある新進アートフェアに参加した後、盛況の会場写真が主催団体サイトにきれいに並んでいました、しかし翌々年にはサイトごと全部消えて、フェア名すらネットから完全になくなっていました。全検索すると、何とこちらのサイトが唯一見つかる状態で。

欧米の展覧会は、上が決めたものを与えられるものではなく、みんなが集まって実現しています。Japan Festival Berlinでも、期限までにしかるべき出品アーティスト数が集まって、今回やっと参入できました。
|01-28|ドイツ事情スケッチ||TOP↑
ジャパン・フェスティバル・ベルリンでは、過去に美術が比較的よく売れました。ただ、他のアートフェアと少し違う特徴もあります。それはプリントアートが特別に人気な点で、水彩、版画、CG、写真などが好調でした。

ペーパーアートが堅調になった現象は、EUの景気と関係があるのは確かです。流れの発端はやはり、アメリカ発のリーマンショックとEU発のギリシャ危機。が、別のメカニズムもあって、サブカルの陰でアートが出遅れ、お客の予算がまだ低めという傾向です。クールジャパンに遅れた美術。

現地では予算外なら買わないから、よいものはきっと売れるであろうという考えは禁物です。日本では高ければ優れ物と思いローン購入しますが、EU国では値打ちを自己判断して予算内で現金買いです。しかしそれに合わせて、2000ユーロから80ユーロに下げるのはこちらも無理。

そこで、高級絵画からジクレー版画をつくれば、サイフの範囲にも入って、非売的な参考品からも脱するという計画です。電子で国境を越えて現地生産すれば、梱包や輸出入を考えなくてよいし。

将来はリアル40号キャンバス画を並べる日も来ると信じますが、今募集しているのは40号絵画を温存して版画化するハイテク戦の実験です。
|12-04|ドイツ事情スケッチ||TOP↑
先日ベルリンで、ドイツ統一25周年記念行事がありました。ここで活動拠点としているラインハルト通りは、当時は日本から行けない東ドイツだったわけです。ブランデンブルク門から近いので、大勢の人出があったそう。

「去年の秋も25周年だったような」と、思い出されるかも知れません。それは1989年11月9日のベルリンの壁崩壊から25年で、先日は90年10月3日の東西ドイツ統一から25年。

日本では、90年より89年が激動の年でした。元号が昭和から平成へ変わり、消費税が導入された節目。ビックリマンチョコ現象が話題に。物価の3パーセントアップと便乗値上げで消費が冷え込み、今の大不況へ続いたとの説がありますが、それはウソ。物品税が廃止になったから。

テレビ、ステレオ、カメラなど、電器や精密機器類がいっせい値下げとなりました。当時の写真家も大きい買い物を開始し、人気の望遠レンズは注文して何カ月も製造待ちでした。どんどん物が売れる時代になったのです。

価格変化を音楽CDで説明すると、3200円のCDは物品税廃止で2921円に下がり、消費税3パーセントを加えた3008円が新価格。192円下がって、CDソフトがブレイクしました。大きい酒税も整理され、1万円近かったジョニ黒やワイルドターキーは2480円で買えるように。

ほどなくソヴィエト連邦は崩壊し、社会主義は民主主義に敗北、ウクライナやカザフスタンなどはロシアから離れ独立国に戻りました。バブル好景気の日本は経済援助を行い、しかし壁崩壊から東西統一までの間、壁から266日で湾岸戦争となる軍事侵攻が起き、9.11から今のISへと続きます。
|10-28|ドイツ事情スケッチ||TOP↑
Macパソコンの補足説明です。歴史では、アメリカのXeroxパロアルト研究所を見学した二人の若者の、一方がMacOSを、一方がWindowsをつくったとされます。画面にウィンドウが開いてアイコンが並ぶデザインはゼロックス社の発明で、それまではSF映画に見るような活字行が出て問答する画面でした。

現在のMacパソコンのOSコア部はUnixのBSD系で、最近ベルリンのビジネスマンにMacファンが増えたと聞きました。Macがクリエイター向けで、Windowsがビジネス向けだったはずが、近年逆転したようで。20年来のクリエイターは、転換時期はWindowsNT版「3Dスタジオ」の頃とご記憶かも知れません。

OS9の後継OSXも、Windowsと相性がよくない部分があります。OSXのファインダーにある圧縮解凍ソフトは、知られたバグで実用性に難があります。代わりに優れたフリーソフトが出回り、ビジネスでは必須です。またメールプログラムのバグで、不規則な貼付化けも起きます。

MS-Officeデータは、両者で互換がありません。これはWindowsのいわゆるOLE技術に当たる、MacOSのマルチメディア混在機能が、コスト理由で互換性を捨てているからかも。アイコンやリソースフォークの可視制限や、役物の文字化け、カラースペースの優先順など、まあ色々あります。

何かが起きてもガイドしますので、ここでは心配はいりません。不具合ではなく、仕様の場合もあります。
|09-09|ドイツ事情スケッチ||TOP↑
日本はもう長く価格破壊の時代を続けて、欧米先進国の感覚とずれてきた面があります。人件費の概念もそうで、欧米では人が動けば金が動いて、あれもこれも有料です。アートフェア作品を送っても、荷物保管料を毎日とられるから、現地に基地を持たないと実現性がありません。

日本なら誰かがタダか安く働いてくれる発想が起きますが、先日のニュースのように、ドイツの地方は最低賃金が日本の178パーセントだったりします。サービスを受けたら払い、しかも高い。これが人権意識を形成し、この方向を進めた国がスイスとされます。

これを思い知ったのは、外国語訳でした。現地の誰かがヒョイと訳してくれると見込んでいたら、向こうの知り合いに縁故で頼んでも有料でした。他人の時間や腕をタダ借りする慣習がない。これだから、ベルリンの中堅ギャラリーに作品を一個置いて世話してもらうだけで、自動車の値段の請求が来るわけです。

以前ネットで仕事依頼サイトに、こういう求人説明がありました。

「我が社は、誇りを持てる素晴らしい仕事を提供します。引き受ける方は社会人として自覚を持ち、仕事をきちんと正確に誠実に行ってください。ただし報酬はありません」。日本の出版関連会社が本気で出した求人で、零円で他人を動かそうとしていました。

ドイツの感覚なら、フェアリュクト。あちらでは「やりがい搾取」のたくらみは一般化しておらず、人の買い叩きを前提とせずに回っている点に注意を要します。この内外差は意外に見落とすのです。
|02-20|ドイツ事情スケッチ||TOP↑

リンク

カテゴリ

最新記事

月別アーカイブ

最新トラックバック

QRコード

QR