その昔、西部劇の映画でカウボーイだかガンマンだかが、ハーモニカで吹いたメロディーだったから、映画のサウンドトラック用としての作曲だと思っていました。後に、実は古いアイルランド民謡だと知った曲。

ある女性が採譜記録した後に、アイルランドのロンドンデリー州の人が世に紹介したので、『ロンドンデリーの歌』と呼ばれます。アイルランド島北部の陸続きで、現在の国籍はUK(イギリス)になります。

後世に何種類も歌詞が当てられ、フレデリック・ウェザリーの作詞でヒットした同曲が『ダニー・ボーイ』。題名からして、アメリカの西部劇を連想させます。西部開拓史の、いわゆるボウイ・ナイフなどがすぐに浮かんで。その曲に当てた和音が日欧で異なる理由が気になります。

冒頭の歌詞「Oh Danny boy the pipes the pipes are calling」の、「オー」で始まって「パイ」の部分でどの和音を当てるかで、ヨーロッパと日本では趣味が異ります。ヨーロッパでは「オー」はメジャー・セブンス・コードで始まり、「パイ」でセブンス・コードにチェンジすることが多い。ググッと変化する劇的な展開が、どうやら欧州人の趣味です。ダイナミズム優先。

対して日本人が歌うバージョンでは、「パイ」の部分もメジャー・セブンスのまま、チェンジしないアレンジが多いのです。だから、ヨーロッパ式バージョンはクラシック名曲やジャズのコンボ演奏ふうに聴こえ、日本式バージョンはイージーリスニングか童謡ふうです。平坦で抑揚が乏しい。

ヨーロッパ式はドラマチックな都会型で、日本式はのどかな田園型という違い。この違いは、双方のあらゆる表現物に広くみられます。日本の制作物をヨーロッパへ持ち込むと、より薄まった表現に感じられ、主張不足に受け取られやすいと一応は推測できます。
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|07-12|芸術の秘密と謎||TOP↑
今日気づいたことですが、連続テレビ小説『おしん』(1983)のテーマ曲に元ネタがあったのかと感じました。ジョニー・ピアソンの『ヘザー』がそうで、きっかけはカーペンターズのベストセラーアルバム『ナウ・アンド・ゼン』(1973)。しかしネットにこの情報は一件もなく。

出だしから曲の回し方が似て、共通するコード展開です。途中で和音がガク折れして、テンションを高める部分は酷似。ただし主旋律は異なり、盗作とは感じない範囲でインスパイアーかもという程度です。『サウンド・オブ・サイレンス』と『夜明けのスキャット』の関係に近い感じ。コード拝借なら『チェロキー』と『ココ』みたいなものか。

『おしん』のテーマは開始わずか5秒でサビとなる劇的な曲で、連続テレビ小説シリーズ曲の最高傑作と定評があります。1980年代のアメリカから始まった、低域を厚くした音づくりを感じさせるもの。市販のサウンドトラックはモノラルだったので、ステレオ盤が待望されていました。

鳴かず飛ばずの曲を劇的に改良した例に、ジョージ・ハリスンの『マイ・スイート・ロード』がありました。盗作裁判の原告側が示した元ネタ曲が、煮え切らないもどかしい不発作品で、これがイマジネーションの差かと感じた人も多かったのでしょう。

もっとも、既存作品の改良作業はたやすい一面もあるはず。現に、表現物の多くは他の表現物を参考にしています。似ない場合でさえ。しかしまた、オリジナル作に最も普遍性が宿り、二番ものは亜流くさい例も多く。

以前の美術大学教育で、有名画家作品の模写が不自然に評価され、劣化コピーが推奨されるも同然で、部外者もあきれたと騒いでいたニュースがありました。オマージュは本来、元祖に対して「出藍の誉れ」といえる差異と向上が期待されるはずで。
|04-06|芸術の秘密と謎||TOP↑
日本にエイプリルフールは定着せず、過去に新聞社がジョーク記事をのせた時、読者は怒り出しました。冗談が通じにくい東アジアの地域性なのか、中国共産党もこの風習に乗らないよう人民に呼びかけています。

エイプリルフールの虚報を真に受けた例に、「アポロ陰謀説」があります。月に降りた12人に、今の価値で総額1億円もの口止め料を払ったとされる事件。元は4月1日制作と記した英テレビ番組(放映は別の日)でしたが、世界に潜伏するアメリカ国への私憤と混じり、アメリカ下げプロパガンダが形成されました。

「巨大イナゴ」「スパゲティのなる木」も、今も信じる人がいます。よくあるパターンは「ツタンカーメン王の呪い」で、冷遇された出版社の恨みの創作と当時は知れていたのに、年月経て信者が増えた時間差薬効でした。テレビのウルトラシリーズも後世に、宇宙生物が地球に来ていた証拠映像として引用されるのは確実。

ところで、今や毎日がエイプリルフールです。たとえば、水道水に「ありがとう」と言ったり、モーツァルト曲を聴かせると、味がよくなるデマがあります。デマと言われて反発する立場は、水や装置の販売業者だけでなく、一般人にも広がりました。最大の理由はアフィリエイト。

見え透いたデマでも一定率で洗脳できる統計成果を利用するのが、今日のフェイクニュースサイトです。米トランプ大統領の選挙でも、本国内外のフェイクニュースメーカーが複数動員されたとされ、有名な虚偽報道サイトはロシア企業でした。デマの創作と流布は法律違反でないから。

在来の報道機関のエイプリルフール化も負けておらず、アメリカ公文書の公開分を元にした731部隊の記事は日本になく、細菌兵器の悪魔団という情報だけが創作流布済み。「ニセの情報に気をつけろ」という警告はほぼ無意味で、人が享楽と利害で正誤を決め取捨するという、美術展の審査に似たやり方は今後も強まる勢いです。
|04-01|芸術の秘密と謎||TOP↑
ある恒星に地球に似た惑星が7個あるらしいと、NASAの記者会見がありました。地球からの距離は39光年で、宇宙的規模では地球のご近所さんといえます。このニュースへの反応で、「光の速度で39年かかるなら、往復で人間の一生ぎりぎりか」という意見がありました。

実際には、はやぶさ探査機の巡航速度でも片道39万年かかる計算です。縄文時代から今までの1万5千年の26倍の時間。光の速度で考えた時点で、1万倍もずれています。だとしても、遂行済みの月旅行を応用してその惑星へも行けないのかと、疑問も起きます。

が、火星へ人が行く難易度と同様に、距離の大きさは決定的です。地球から月までの距離が地球一周分の9.6倍だとは早くからわかっていて、月に限ってとても近い。月旅行の提唱はアポロ計画より100年以上前にあり、ゴッホが生まれる以前だったほどで。

39光年は月までの9億6千万倍なので、科学者は行くつもりにならないでしょう。似た夢でも、実現性に大差があります。月と他の恒星は距離が7桁以上違い、どうにもならない壁です。でも必ず出てくるのが、「今の科学技術なら無理でも、将来の科学技術なら行けるだろう」という言い方です。

これも量的な拡張で済む範囲か、未知の原理に取り替えるかで、意味は大きく違うでしょう。燃料式モーターでは宇宙船の速度は上がらないから、空間の抜け穴を発見する想定が多いようです。「もし可能になる方法があれば、それは可能なのだ」式の、循環論で勇気づけているだけですが。

可能な方法の想定はワープで、小説や映画のアイデアが既成の概念になっています。架空の作り話に信頼を置き、将来を託す不思議です。小説や映画は現実と区別がつかず、フィクションと割り切れずにいる空気が濃いのです。ちなみに90年代に、ワープは不可能と証明されたらしく。
|02-25|芸術の秘密と謎||TOP↑
このところ金星がとても明るく輝いています。大気に光がにじみ込んで円盤状に見えるほど。金星も月のように満ち欠けするから、半月のごとき半金星になりますが、金星が明るくなる理由は月の場合とは違い、地球のそばに来るからです。

三日月のごとき三日金星になった時、光る部分が細い割にやたらクローズアップされて強く輝きます。今は金星の左上に火星があり、やがて近くに月が来る予定です。正月三が日にも月が来ていましたが、ベルリン展示のことばかりで気づきませんでした。前の冬は木星が仕切っていましたが。

日本から送った探査機は、金星の軌道投入に失敗していて、再トライでかろうじて成功しました。ずいぶん前のことかと思ったら、今調べると13カ月ほど前の話。それから観測は続いていて、ただし表面に降りられないから地味な観測になっています。

ところが、ソ連は金星の地盤部分をすでに撮影していて、そのルックスがまた他の惑星と違います。生物が火星におらず金星にいた場合は、大きいサプライズとなるでしょう。まさかの逆転。

ゴッホと同時代の人は、ゴッホの絵が売れるようになる未来は、まず考えなかったように思えます。その証拠は、ゴッホの死後に絵の奪い合いが起きていないから。所有権や相続をめぐる裁判もなし。要するにゴミ扱い。

ゴッホが出世する確率の低さは、あたかも金星で生物が見つかるほどの意外性だったろうと、今想像しています。だからゴッホへの認知は、同時代の人が心を入れ替えたのではなく、世代交代で進みました。ゆっくりすぎる逆転の金星。
|01-26|芸術の秘密と謎||TOP↑
キュレーションサイトとは、美術館のキュレーターと同じ語源で、ネット情報を集めて紹介するサイトだそうです。月に2千万アクセスという、アート系ならあり得ない超人気の医療健康情報サイト群が、インチキ情報を発信していた責任で公開を中止するとか。肩こりの原因を幽霊としたり、自殺志願者を引き込む細工が全国ニュースになりました。

インチキ情報とは、学者などの優れた論説をネットで探し、その文章を改変して転用したもの。もし著作権で裁判になっても決定的な証拠となりにくい程度に、言葉をあちこち言い替えて罪をのがれる方法です。その細工の時に、ジャンク文章やガセネタで水増しします。

現場の認識が甘くて起きるわけはなく、一般的には故意の複写作業をメシのタネとして、他人のアイデアを奪ってもうけるネットの流儀どおりでしょう。一応、最初から悪気があってやる類のビジネスモデルが多いのです。

ネット情報は基本的に無料だから、通販ショップ以外は広告収入で成り立ちます。読者がタッチするだけで即収入になる広告もあるから、1アクセスが微々たる金額でも百万、千万、億と途方もなくアクセス総数を増やせば、大金が得られます。

そこで、読者にお手つきさせる手法が種々編み出されました。狙われる例は動画配信サイトで、幽霊やUFO、巨大なカニや磁石人間など目を引くつくり話を用意し、本物や事実と思わせてクリック(タップ)させる手法が一般的。その詐術を医療健康情報サイトの活字でやったら、健康を害した人が出てニュースになったわけです。

虚偽情報は美術分野でも出回っていて、医療健康問題で多いのはゴッホは統合失調症という素人診断です。創造の原因は発狂だという結論を欲しがる大衆向けの、比較的古典的なポピュリズム言説でしょう。このデマは、芸術が苦手な国ほどよく広まるのです。
|12-07|芸術の秘密と謎||TOP↑
ボブ・ディランのノーベル文学賞はサプライズで、世界で賛否が分かれました。ボブ・ディランに関して少し知る人は、まずいと感じたかも知れません。というのも、ボブ・ディランは自然体で生きてきた人ではないからです。

かなり前に、ボブ・ディランなる人物のブランドメカニズムを書いた本が出版され、音楽界でやっぱりねと受け取られた暴露本でした。一人の才ある若者の発見と、芸名から始まるイメージ戦略を演出したチームワークの裏話で、ファンはその演出を楽しむというもの。舞台劇ほどではなくとも。

哲学的で思弁的な雰囲気は、チームの戦略管理でつくった虚構だとネタばれ済み。新型アイドルで売り出す時、ベトナム戦争が最重要キーでした。アメリカの戦場撤退(敗戦とは違う)のきっかけのひとつ。

この予備知識で、ボブ・ディランはノーベル賞を無視する可能性が想定できるのです。チーム企画が築いたイメージは、反権力で反権威のシンボルたるカリスマ巨匠だから、賞を与える側が輝くでしょう。ノーベル財団は吸い取りイメージアップ、ボブ・ディランは吸い取られイメージダウン。

ところがどんな反体制の徒も、高齢化すれば権力側に加わる経験則も存在します。ボブ・ディラン側がどちらに動くかは、読めなくなっています。もらえるものはもらっておけの状態に、なっていない可能性も不明です。

有名画家がイメージ戦略で言動も企画した例はサルヴァドール・ダリで、後年の脱力作品にまで下駄をはかせていました。またアンディー・ウォーホルの虚構は早めに表に出て、二度楽しませてくれました。
|10-22|芸術の秘密と謎||TOP↑
プロの将棋ソフト不正疑惑の騒動です。タイトル戦で一手指すごとに別室で休憩をとったプロが怪しいと。スマホなどで、将棋ソフトの指南を得ていた疑惑で、数年前の大学入試ネット質問カンニング事件を連想させます。

すでにチェスはコンピューターが人間を超えていて、将棋はまだまだと言われながらもAI(人工知能)がおおむね上回ったそうです。おもしろいのは、AIが指す手は人間が指す手と違うというプロの情報です。

コンピューターアルゴリズム(思考手順)は何種類もあり、パラレルワールド的に未来を分岐させ、成功する手を抽出する手順がまずあります。他の方法に、場面を大量に記憶させ現状と照合させる手順も考えられます。

AIは人間の思考よりもはるかに先の手までシミュレーションするはずで、人間ならやらない意外な指し手を選ぶ傾向があります。ある場面で指したとたんに、高段者のプロ棋士は「この指し手は相手の傾向と違うし、人間とも違うぞ」と感じるそうで。

AIの弟子となって将棋を勉強した人が、AIふうの差し手を覚えて脳の使い方がAI的に変化するかについては、プロでないと不明です。

それならと、人工知能で美術を作って補正なしに完成させれば、人間離れした作品になるかも。ただし、詰めるという単一の目的がないから、アルゴリズムを設計する時点で意外性が消えてヤラセになっていますが。
|10-20|芸術の秘密と謎||TOP↑
『与那国島の海底遺跡』が、今もブルーな話。青い海に沈む『与那国島の海底遺跡』を、古代の建造物だと直感した人がいました。階段や祭壇があるから、太古の人工的な神殿だと。ムー大陸かアトランティスではと。

が、日本の考古学で人工とみる人は皆無です。自然物とする根拠は、新しい地殻変動がなかった地で、全体が100分の17も傾いている点。ステップ段差が不ぞろいで、1メートルなど人間は歩けない。そもそも人間に可能な組石造でなく、岩盤削り出し構造だし。旗竿の穴はウニの穿孔習性。

世界に多々ある自然の造形でした。しかも現場近くの陸上に、もう一セットあるのです。方状節理なのでダブル天然記念物で誇るべきが、一人だけが水中の方のみ人工物と主張し膠着しました。プレゼンテーションを外国で行ったから、日本考古学界のレベルは低いと外から見られてしまって。

おもしろいのは、その一人は専門外なのに別分野で地位が高いそう。一分野の有力者が別分野で権威を発揮したケースに思えます。人工説の論文に誇張や変な記載がいくつか見つかり、当初から指摘されました。

いまだに答は出ていないと誰かが蒸し返し、海波で直線が作れるわけないだろと無意味に騒いで抗するうちに、すっかりイメージダウンしました。後の新型細胞事件も、似たパターンをたどったような。

素人のトンデモを歓迎するロマンや、専門家を軽視する自主性を、芸術でやらず科学でやる。これは世界中にみられる人間的な反応のようで。
|09-24|芸術の秘密と謎||TOP↑
「つまらない男だ」と、党首のことを言った次期候補の女性議員。同党でボケてつないで、ギャグに落として喝采を得るかと思いきや、ショボい展開。「言ってはいけないこと」と仲間から猛省を促され、謝罪に至ったオチ。

伏線が直前にあって、リオデジャネイロ五輪から東京が引き継ぐセレモニーで、政敵たる首相がアニメのマリオに扮したサプライズが、世界から喝采を受けたばかり。そのノリに野党が張り合ったと思いきや、団体戦でスベっておしまい。

各議員は基本的に同輩も先輩も後輩も敵なので、足の引き合いは日常茶飯でしょう。くだんの候補者は以前も「二番ではだめですか」と、官僚に向けた反語含みの表現が額面で受け取られ、謎の意図のままという。

英語で「バッド」「ファンキー」などマイナス表現が、「最高だぜ」に転じる市民のノリがありました。日本は「クール」がやっとで、「くさいやっちゃ」は反転せず、通用せず。各国のこうした言語遊びの幅が、もしかすると芸術鑑賞の幅と一致するのかも知れません。

たとえば、具象画はわかるが抽象画はわからないリミットは、言葉の柔軟性と相関しないか。わけのわからない美術は、英語圏ではバッドだとして、日本では悪だから粛々と取り消すだけ、なんていう違い。
|08-27|芸術の秘密と謎||TOP↑
レスリング女子の吉田選手が四連覇ならずの主因はわかりきっていて、歳をとったということ。相手選手は9歳も下。四連覇の伊調選手より年長で、本業以外も多忙だとしても、根本は加齢に勝てない生物の宿命です。

他の理由を探してくれる世論とは別に、現実にはベテラン選手の全員がある時期から悩んでいます。脳の指令を、徐々に体が遂行できなくなるから。瞬発力の低下を技術力の上昇で埋めて、だましだまし勝つ傾向に。自分らしいプレーができない実感が増えて。

水泳の古橋選手やマラソンの瀬古選手など、全盛期に政治的事情で欠場を強いられ、人生が全く変わってしまった悲話も記憶にあります。

原理自体はスポーツに限らず、アートも同様かも知れません。一人の人生でピーク作品は若い頃に生じ、後年の飛翔はまれ。年季で芸術性が高まるイメージは願望や治世の都合にすぎず、スポーツ競技とアート創造の年齢による変化が似ているのは世界的傾向です。

画学生や若手造形作家は、極める日を遠い将来ではなく、近未来に設定する必要があります。ただし勝敗が明瞭なスポーツと違い、知名度が混入するのがアートの特性。芸術の創造力が年輩ほど高いとする俗説は、芸術点を知名度で盛った採点で生じている疑いもあるでしょう。
|08-21|芸術の秘密と謎||TOP↑
ビートルズ来日公演から50年を経たのが、6月30日でした。これまで特集番組がいくつかありました。当時のおもしろエピソードが、前座のドリフが速やかに帰ったとか、マイクの向きが安定せずポールとジョンが困ったとか、武道館の館長がチャラい4人の使用不許可を死守したなど。

その来日公演の10日前にアメリカでのみ発売されたコンピレーションレコードアルバムが、ビートルズ七不思議のあれです。白衣を着た4人のメンバーが、首がとれた人形と生肉を手にした不気味なジャケットデザイン。

いくら何でも気味が悪すぎて、アメリカ側でボツになりました。が、穏当なデザインに戻された後、ボツの一部が市場に出て、また貼り足して隠した再利用製品もユーザーがはがして中古市場で高騰しました。

当時、あのジャケットが嫌だったのはジョージとリンゴ、エプスタインも大反対。強く推したのがポールとジョンだったわけで、飛躍したクリエイターほど奇抜なものが平気という、一般認識どおりという。

ところでロック系レア盤で、世界に全く情報がない謎のアルバムをひとつ。今回がネット史上初の情報です。ピンク・フロイドの『狂気』で、ラジオ放送局用デモ盤がありました。冒頭の『スピーク・トゥー・ミー』で、デヴィッド・ギルモアがピックでアルペジオ演奏するやつ。ジャケットは「プリズム」ではなく、「ゴリラの顔をしたスフィンクス」。これが、なぜかドイツにある予感。
|08-14|芸術の秘密と謎||TOP↑
中村紘子が以前ラジオ番組で力説したのは、コンクールの一位の正体でした。非常にうまい凡が選ばれる傾向があって、突き抜けた非凡は優勝から外れるという話題です。

その意味は、刺激や毒を欠いた健全なピアノ演奏に、民主的な票が集まってしまうので、天才の芸術が表に出にくいらしい。選者たちの深層心理に嫉妬心まであって根深いという、えぐい話が十八番の硬派の人。

この法則は各界でよく言われていて、建築設計競技でいえば佳作か二位が芸術的で、一位は事務的で不動産的な傾向です。突き抜けた独裁的な審査委員長がいない限り、創造は浮かばれないという。珍しく花開いた例は、シドニー市のオペラハウスでした。

日本の文学賞で、過去に何度か審査員の辞任劇がありました。変な小説を選ぶ審査団に抗議した保守もあったし、変な小説を選ばない審査団に抗議した革新もありました。国民は何が何だか構造がわからず、ついていけずじまいだったような。

「個性が価値で芸術である」と言い切るジャズ演奏と違い、クラシック演奏では個性はグレーゾーンです。得点か減点かわからない分野。クラシックを自由な音楽と呼ぶ人は、さすがにいないわけで。中村紘子もアンドレ・プレヴィンの逆コースで、ジャズピアノトリオでも組めば上原との共演もあり得たかも。
|07-31|芸術の秘密と謎||TOP↑
スマホ用ゲーム『ポケモンGO』が大流行する一方、プレイ中の人が危険な地に入ってしまう事故も起きました。現地に足を運び、現地をGPSで映した端末にバーチャルモンスターが現れ、ハントするおもしろい仕様です。あそこにいるぞと進むと崖から転落したり。痛みがリアルで、命まで捨てたり、墓にまで行き着くアドベンチャーゲーム。

いつか画面が全て実写になれば、イラストを重ねたファンタジー映画のように、不思議な違和感が楽しめるでしょう。それは現代アートに見えるかも知れません。そこに、芸術と文明の衝突と交錯を連想しました。

かなり前から、美術は出尽くしてやることはもうないと言われてきましたが、そんなことはありません。写実画の上からフェルトペンでかいた作品さえ、出てこないことでわかるように。

アートの破壊方法もピンキリで、展示室に便器を置く破壊活動なら、作家に痛みはないし平気でしょう。しかし自分でリアリズム画をたんねんに描いて、その美しい完成画の上からイラストを描き足す破壊は、普通の神経ならできないでしょう。

自分の否定はやめましょうという限界は、やっぱりあるのです。何でもありなんかじゃない。グロ系も含め世の破壊アートは、意外に安全圏で回っている疑いがあります。破天荒にめちゃくちゃに投げ出したようで、実は痛みのない、命も捨てない現代アートなのかも。

ポケモンGOのプログラム合成画像を見ていると、リアルとバーチャルがこんがらがって、次元が突き抜けた未来のアートを浮かべました。
|07-28|芸術の秘密と謎||TOP↑
日本で多い振り込め詐欺。簡単に引っかかるのが不思議だとの意見が、国内に多いようです。しかし実は注意力ではなく、結論ありきの思考によってだまされ状態が継続するのです。

「息子をめぐる大事な交渉中だ」の結論ありきだから、それニセ電話だよと周囲から忠告されると、大事な時にじゃま者が現れたと腹が立つだけです。入金を妨害する意地悪な銀行員を倒して送金を遂げたり、怪しいとか何とか言ってからんでくる悪徳警察官に立ち向かった父母さえいて。だまされている最中の哀れぶりは深刻です。

振り込め詐欺とそっくりなのが、誤認ドライバーです。知らずに高速道路を逆走したり、AT車を急停止させようとスロットルペダルをひたすら踏むドライバー。3つの当事者はやっていることがそっくりです。

間違った結論から逆算して物語を組み立てる脳のはたらきによって、最初から敵と味方がひっくり返っているわけです。その洗脳効果は絶大で、市民に啓蒙する役所職員も引っかかったほど。注意力の問題ではなくて。

そもそも結論ありきは、人が得意とする思考法です。たとえば刑事の勘がそうで、しょっ引く人物に沿って証拠を作り変えたり隠したりとか。芸術鑑賞なら、公的評価がちらつくと見る目ががらっと変わるもの。結論から逆算する思考が、脳内を完全に仕切るのです。

振り込め被害が減らない理由は、冤罪事件の多発や、芸術鑑賞が引きずられる現象と同じです。注意深くなれという啓蒙は、脳のはたらきからいえば無意味です。「簡単に引っかかるのが不思議」「途中で気づくだろ」と言う声の多さが、だまされる人の多さを説明しています。
|07-20|芸術の秘密と謎||TOP↑
ジャパン・フェスティバルで、いち早く完売した絵はコラボレーション作でした。編集も加わって三人がかりになりましたが、日英共作の時点で構図バランスがうまくできているとは感じました。

分担作業だと散漫になりそうに思えますが、攻め手を伸ばす利点はあります。たとえば他人が描いた背景に、自分が描いた人物を合成すると、自由度が上がります。自分作の背景だと、たくさん隠れたら嫌だから人物を小ぶりにとどめるなど、知らぬ間に萎縮しやすいのです。

作品への愛着が壁となって、飛べなくなる場面は意外にあります。「完ぺきに作ってあるので、何も足さないで何も引かないで」という思いも、萎縮フラグです。トリミング絶対不可など。他人の目には完ぺきでなく改良の余地が大きくても、自身には満点に映る現象だと疑う必要があります。

作者がいだく絶対感に永遠の真理はなく、自意識で作品が頭打ちに停滞する例は多々みられるのではと。

逆の飛躍が起きた一例が、マルセル・デュシャンの『大ガラス』でした。絶妙に組み立てた透明な作品が、運搬中に壊れてしまったそうで。たくさんのヒビが入ったガラス板を見て、デュシャンは「これによって作品は失われた」と言わず、「これによって作品は完成した」と言った伝説。
|07-17|芸術の秘密と謎||TOP↑
事件のニュースで出る、「牛刀」(ぎゅうとう)という名称。ネットに、この刃物の異常性を手がかりに、犯人を推理する人が大勢現れます。牛を一撃で倒せるゴツい刀剣かナタ類が、街で振り回された猟奇的な事件として。

何のことはなく欧米の家庭に普及している万能ナイフで、肉と野菜に適した洋包丁のこと。日本でも所帯を持った最初の一本は、文化包丁か牛刀になります。珍しい道具におびえるその人の台所にも、牛刀はたいていあります。果物ナイフも、牛刀を小型にしたフォルムだし。

要するにこの日本語名称は、現代人の意思疎通に使えません。「役不足」や「号泣」と同様に、受け取り方がめちゃくちゃになるのです。事件現場で目撃した通報者も、闘牛の剣のつもりで牛刀と証言したかも知れず。

このように誤解を招く名称はあちこちにあって、たとえば日本人の間でよく知られた単語「美術」もその代表といえるでしょう。世界のアートワークにくらべ、日本の美術品は意味が狭いから、すれ違いも起きます。

日本人が心得た美術の「美」は、美貌の意味に片寄っています。きれい系への偏愛というか。だから美術と銘打つ作品は、目の保養向けの狭い範囲に集まりがち。少しひねって作ると美術の概念から容易に逸脱し、やむなく「造形作品」「造形作家」と別の語を当てている始末。

明治以降の日本のアートは、ビューティフルの形容詞をセットにしたせいで、制作も鑑賞も自由度が落ちたでしょう。牛刀をタネ明かしされてなお、闘牛や食肉解体の連想から完全には抜け切れないのと似て。オリンピックを五輪と呼び替えた上手とは対照的に。
|07-06|芸術の秘密と謎||TOP↑
コンテンポラリーアートと立場が似て、とっくに死んだと言われたコンテンポラリージャズ。それを一人のアメリカの若者が生き返らせ、進展が始まったようです。よく聞く名前、ロバート・グラスパー。基本形はピアノトリオ、そしてヒップホップとの融合。

90年代からジャズ界はピアノトリオブームで、なのに死んだと言われたのは、予定調和な美曲の飽食感もありました。由緒正しきピアノ演奏と、日本企画のスタンダード集連発も、後向きの絶滅危惧を漂わせて。いわゆるバップ系のリラクセーションやら、モードの無機質が惰性した停滞感。

ロバート・グラスパーはブラッド・メルドー似の旋律と、エリカ様ふうダークなサウンドを合体させた音づくり。酷似した曲は彼女とのコラボレ。だからむしろまとめの達人ですが、暗く重く影差す作品が最大の特徴です。

劇的な明暗の構成はイギリスとブラジルに多いのですが、90年代からアメリカは特にかげった曲を慕っています。グラミー賞のエリカ・バドゥのシングルも驚くべき暗く重いサウンドで、日本だとボツか修正になるでしょう。

黄金時代の1950年代を至高とする往年のモダンジャズファンからは、こんなのはJAZZではないとして糾弾を受けることでしょう。これはいつものことで、保守派の怒り具合でニューカマーの値打ちも決まっていくでしょう。
|06-25|芸術の秘密と謎||TOP↑
時々参加者から、「自分の作品は正統ではない」という声があります。外国へ出すには、日本の由緒正しさがあるべきという心配でしょう。しかし本来は制約はなく、何でもありが正統です。全ては許されている前提で。

「正しい美術のあり方」を考える時、真摯、真面目でひたむきな作品が真っ先にイメージされます。要するに、ふざけてはだめ、真面目にやれという指導。しかしこれは片寄った思い込みです。

歴史名作の真摯ぶり、正統ぶりは、名作と銘打って生じた後付けイメージであり、作者が追究したものは今感じるものとは違っていました。古典を見直すと、おふざけ混じりでニヤリとなったり、当時のなんちゃってギャグが意外に広くみられます。

「ドラクロアは最低」と言ったアカデミーの権化アングルも、けっこう変な絵を作っています。往年の芸術家は、意外に聖俗反転や無茶振りやキッチュを織りまぜていて、真面目一筋の作品とは違うという。

ゴッホの『ひまわり』は、今では真摯な絵に見られますが、当時は勘違い作品として笑う対象でした。今昔のギャップがないかのように誉めそやすのでは、実は誤解釈しているといえるでしょう。異端たれではなく、美麗たれの意味で説教する材料にゴッホを使うのでは、歴史から学べません。

アートに欲しいのは真摯より事件性です。何かアブノーマル要素。少しでもよいから。しかし、自然志向が根底にある日本の美術は事件性が乏しく、だから作品の事件と聞けば不法行為の話題に向かいやすいような。書類送検や裁判の話が先に来るような。作る側も、警察官に背けば芸術に届くつもりでいるような。
|05-28|芸術の秘密と謎||TOP↑
日本の新しい美術が欧米にくらべてひどいのは、美術大学の教育問題が原因だと多くが指摘しています。内容も教え方も、教官たちの間違った芸術認識で歪められ、学生たちが育たないという。

しかし、その指摘にそもそも大きい落とし穴があります。さらに上位にある「事件」を見逃しながら、教育システムや教官の質を細かく語り尽くしても、出口は見えません。

上位にある事件とは、文明が進歩すれば文化が退行する宿命です。人類は年々芸術が苦手になっていくという、生物種の運命をわきにどけてはいけないはず。教授の質すら支配する、大きいメカニズムがあります。

焦点は、人が文明と文化の関係を正比例だと誤認する点にあります。文明の利器を多く持つにつれ、芸術の理解力も上がったとみる心情が原因でしょう。たとえば、大きい車を持っている人ほど、より芸術をわかっている人だなんてイメージはありませんか。本人もまた、所持品が上等なほど芸術の意識高い系に近づけた自覚。

ということは、美術学校にいくらしっかりした教官を集めても、人類の運命どおりに芸術から遠ざかる流れは回避不能です。生気なき作品から出られず。この温順な流れから逸脱した異常な人間がいて、初めて芸術に近づくというか復帰できる理屈です。

外国の美術大学でそれができているとすれば、後年ほど文化が落ちていく前提で動いているのかも知れません。日本でその前提が視野にない善人や人格者を今後いくら増やしても、好転はないと予想できます。
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