企業でも起きることですが、組織内部で賛否や葛藤の攻防に明け暮れる。そのせいで、企画商品がまとまらない。何かがじゃまして、新製品がいつまでも完成せずにズルズル。

たずさわった人は、手をこまぬいていたのではなく、けんめいに動いていました。気持ちの中では、やるだけのことをやった。しかし、外に向けて発信していないから、世に存在しないも同然なわけです。

誰からも注目されなくて当然だと理屈ではわかっても、心情はまんざらでもないから現実とずれていきます。水面下とはいえ仕事はしたのだから、そこそこ充実感を得ていたり、戦った自信だけはつかんで残っているだけに、逆にやっかいです。

美術作品の話ではなく、公開されないネットサイトの話です。サイトの枠組みはできていて、細かいバグ取りも済んでいて、ネタもある程度埋まり投入できる状態で。しかし決定的な理由もないまま、何となく詰めにこぎつけられず、お蔵入りの未発表サイト。それがいくつもたまってきて。

書いたことに問題はないか、世界から見られた時の影響はと、警戒心がふくらみ足が止まって、機をうかがって待つケースも。時間も労力も投じた後だけに、何となく生きた証だけは一応立っていて、でも無に帰しているから未来へつながらない、全くのエア成果。
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|02-27|作家サイト作戦||TOP↑
プリンター印刷した紙作品は真物の美術です。ニセモノではなく、ホンモノ。ところが一昔前に、プリンターの印刷物アートをニセ絵画商法と呼ぶ声がありました。美術史をたどると、これは奇妙な論です。

たとえば彫刻のケースで考えると。コンクリートブロックなど市販品をただ並べた作品があって、美術館が予算を投じてコレクション収蔵するなどは、発端が父の父の父の時代でした。美術は何でもありの時代に、かなりの昔からなっています。

1985年頃、兄の時代に繰り返された新聞紙アートも似ています。新聞社が電算写植と輪転機で印刷した紙を、床や壁に並べたインスターレーションの時代。あれも堂々とアートとして君臨していました、それから四半世紀もたった、今さらのプリンター否定論。その心中は。

プリンターアート反対派の動機は、コンピューターテクノロジーへの畏怖でしょう。紙幣を刷るがごとく作品を刷る脅威を、何とか阻止したい正義感とか。だからプリンター批判は、人気漫画のイラストをジクレー化したコミケが発端でした。漫画の切り売りはよしたまえと。

ところが西洋の中世の版画は、絵を量産する打ち出の小槌が最初から目的だったのです。版画の歴史は、印刷マシーンの発達史です。紙幣を刷る技術は、要するにエッチングという版画。だから、英語で版画をプリントと呼ぶという。現代の認識とは逆で、版画のプレス機の呼称がプリンターだったのです。
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|02-23|ジクレー版画物語||TOP↑
日本はもう長く価格破壊の時代を続けて、欧米先進国の感覚とずれてきた面があります。人件費の概念もそうで、欧米では人が動けば金が動いて、あれもこれも有料です。アートフェア作品を送っても、荷物保管料を毎日とられるから、現地に基地を持たないと実現性がありません。

日本なら誰かがタダか安く働いてくれる発想が起きますが、先日のニュースのように、ドイツの地方は最低賃金が日本の178パーセントだったりします。サービスを受けたら払い、しかも高い。これが人権意識を形成し、この方向を進めた国がスイスとされます。

これを思い知ったのは、外国語訳でした。現地の誰かがヒョイと訳してくれると見込んでいたら、向こうの知り合いに縁故で頼んでも有料でした。他人の時間や腕をタダ借りする慣習がない。これだから、ベルリンの中堅ギャラリーに作品を一個置いて世話してもらうだけで、自動車の値段の請求が来るわけです。

以前ネットで仕事依頼サイトに、こういう求人説明がありました。

「我が社は、誇りを持てる素晴らしい仕事を提供します。引き受ける方は社会人として自覚を持ち、仕事をきちんと正確に誠実に行ってください。ただし報酬はありません」。日本の出版関連会社が本気で出した求人で、零円で他人を動かそうとしていました。

ドイツの感覚なら、フェアリュクト。あちらでは「やりがい搾取」のたくらみは一般化しておらず、人の買い叩きを前提とせずに回っている点に注意を要します。この内外差は意外に見落とすのです。
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|02-20|ドイツ事情スケッチ||TOP↑
ブランド絵はがきをつくる時に、売れそうな絵を探す必要はありません。結果は予想と合わないでしょう。絵はがき企画は、最初からデザイングッズの逆を目指しました。ありがちなベタ図案とは違う珍品シリーズです。

複数の作風を持つアーティストは、選択で迷うことでしょう。実は、目立って変な絵を選べばよいわけですが、売れることがノルマだと、どれもウケない気がしてきて、縮み思考になりがちです。

迷いは作者の物語だから、お客の物語とは一致しないし、結果は水ものです。ビミョーだった絵が伸びたりもあります。日本でデザイングッズがベストセラーになる大半は、テレビドラマで話題の芸能人と、失言国会議員の顔イラストで、売れる決め手は盗んだパブリシティー権だったりします。

絵はがきにのせる作品選定に、こちらも加わることもあります。基準は簡単に言えば、やりたいことがはっきりした絵。売れそうかではなく、やりたいことが目立つことが大事です。
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|02-18|ブランド絵はがき物語||TOP↑
美術展は音楽のライブステージに相当するから、選曲の妙が存在します。音楽ライブでよく起きる議論に、ニューアルバム中心でいくか、ベストヒット集でいくかの企画判断があります。

ニューアルバム紹介のライブだと、客は聴き慣れないから概して反応が悪いもの。逆に初期のヒット曲を散りばめると、客は大ウケで満足度が高い。でもミュージシャン側は、時代を前へ進めたいし、今最も関心がある新作をまとめて演奏したい。過去の作品は、もういいやと。

後になってみると、往年の曲を実演した記録が結局はお宝音源や映像になっていたりします。これはひとつは、作曲の才は比較的早期に発揮されていて、時間とともに爛熟と希薄化が起きやすい特性もあるでしょう。新鮮な傑作曲が、若い頃に多発する構造といえます。

美術の個展でも、近作でいくかベスト集でいくかが、見る側には大きい違いになります。今手がけているシリーズ作品だけを並べると、数学的な確率からも表現幅が狭く限られやすく、作家の実力が伝わらないかも知れない心配はあります。

初めての地でやる個展は、ベスト集の方が向くと考えられます。
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|02-14|作品の募集||TOP↑
個展指向の方が増えているので、メンバー窓口を用意しました。パッケージ個展を公開募集することはあまりないので、お早めにご相談ください。

開催場所は、作品傾向で選びます。スケジュールが空いたギャラリーから、作家探しの話が舞い込むこともあります。額縁店スペースでの個展は年に1回程度になるでしょう。

2人展、4人展を何となく増やしているのも、わけがあります。「日本からようこそドイツへ」の交流展で沸いた段階は終わりへ近づき、地に足を戻した現地コレクターは作家単位に関心を移しています。

同じ20点なら、10人の総花的展示より1人の特集展示へ、ドイツ側の関心は向かっています。大勢の力作が色々混じって掘り出しものもあると、こちらは言いたいところですが。テーマ展だと作品数がそろわない難しさがあって、結局個展に向かってしまうわけです。
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|02-12|作品の募集||TOP↑
かなり前に、まずいものを食べ歩くクラブが、東京だかにありました。まずい料理はなぜまずいか、グルメを裏返して真実を探る試み。

しかしまずい料理によくある特徴はわかっていて、味がないことです。典型は、一時流行った野菜スープの缶ジュース。野菜を水で煮た液体部分だけの商品で、味がわずかすぎて水っぽかったので、健康への効果をことさら訴えたのに非常に短命でした。誰も二度と買わないひどさ。

まずは味がかすんでいることが、まずさの秘訣です。にぎり寿司でも、へたな冷凍でネタの味が抜けていると食べるのが困難です。味が変だからまずいケースは、かえって少ないのが実態。わざと塩を多く入れてゆでた、食えないカニの食い放題は、まずいとは言わず塩辛いと言う。

これを応用して濃い美術作品を作ろうとした時、反対派がいました。「主張する美術は僕は嫌いだ」という言い方が、文化人のエッセーなどで昔から多かったのです。かすんだ薄味を高く買う論調になっていて。

ペンキを投げつけたサプライズアートが流行ったことがありました。そうした前衛に対する嫌悪のけん制にとどまらず、キャラの立つ美術全般へお見舞いするヘイトスピーチが盛んだった一昔前のことです。今もあるかも。

国際的には、ドーンと主張するアートの方が幸い多いのです。展示バトルでも発言力があるし。コレクターの価値観もメリハリ重視の傾向。まずい例なしと言われるカレーとは対照的に、野菜の水煮に相当する美術はやはり短命です。
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|02-09|作家方針の工夫||TOP↑
自信作を見せてもらって、「うーん、これを売り込むにはどうコピーを打つか、何を主張できるか」と思いあぐねた時。実は別タイプの作品も作っているらしくて、それも見せてもらうと・・・。「これだ、こっちで決まり」。

作家が、複数の系統を作り分けているケースがあります。試行錯誤もあろうし、やりたいことが複数あったり、あるいは気が多くて拡散したものもあり。観客からみれば、作品に当たり外れがある作家かも知れません。

マネージ・アンド・プロデュースでは、「今回はこれ」と集中強化を図りますが、自薦と他薦が一致しないことはやはり多いのです。自薦は思い入れ優先になりやすく、他薦は訴求力優先になりやすい。

やりたいことが見えにくい作品の意図を知って、なるほどと感じ入ることもあります。ただし、アートの一次機能を対人コミュニケートとするなら、好感系か嫌悪系かを問わず、他人が焦点を結べる作品が初舞台では有利との計算になります。相手が作者のことを全く知らない前提があるから。

一貫した特徴のない作り分けもよくあるケースで、「何をやっても、どこで切っても、あなたらしいね」とはならずに、別人と替わったかのような離れた作風もよくあります。これも風潮とみるなら、作家色を消したグラフィックデザインをも美術と呼ぶようになった、ポップ以降の流れも関係があるのでしょう。
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|02-03|作家方針の工夫||TOP↑

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