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突然亡くなったロックベーシストのクリス・スクワイアと、ジャズベーシストのジャコ・パストリアスは、やっていたことに共通点があります。ベースギターを特別に疾走させ、バンド演奏にスピード感をもたらせていました。

ベース楽器の基本は和音のルートを鳴らし、オカズもつけるわけですが、彼らは合奏全体に斜めに切り込んでいき、もうひとつのテーマを鳴らしていたのです。クラシックでいえば、コントラバスでチェロやファゴットのように音数多く動き回って、一聴してやつだとわかる個性を発揮していました。

そうした楽器の音域に、絵画の色が何となく当てはまります。たとえば重低音が厚い曲は、白い絵よりも黒い絵とイメージが合います。音の周波数の高低が、色の明度の高低に一致する感覚です。

パステルカラーだけで塗られた絵に、少し暗色を加えるだけで、音楽でいえば低音楽器を加えたような重厚と充実感が付加されたように見えます。

二人の演奏は、暗色をバック全体に塗った絵とは違って、明るい絵の上から暗色をたくさん散りばめたような効果を上げ、バンドの雰囲気を大きく支配しました。その散りばめ方に独自の音階と間合いを発揮して、それぞれの分野で特別な敬意を受けるに至ったのです。
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|06-30|芸術の秘密と謎||TOP↑
近ごろの若者は車を買わなくなり、スポーツカーにさえ関心がない。いったい日本の若者たちに何が起きているのか。彼らの思想はどうなってしまったのか。という議論をあちこちで見ます。評論家たちの分析が、次々と登場してきて。

しかし答はわかりきっていて、若者の経済貧困が理由の全てです。所得の数字のみが理由。他に話を振っても空論で、二つ目以降の理由は無効。車は山中でも海中でも手に入らず、大金を投じて購入するほぼ一択なのだから。唯一の正解は、実に簡単な話です。

大金を所持しない人は、大金を使わないのが世のならわしです。車を買う金がないのに車を買う人は、かなり珍しいタイプといえるでしょう。

わかりきった事実があるのに、飛躍した論を出してくる心理は何か。何がねらいで焦点をずらそうとするのか。むしろそちらの方が、日本の社会病理を解析する、意味ある研究課題かも知れません。

さて、若者論の焦点ずれといえば、個性の意味もそうです。今の若者に個性があるかないかの話題が、好悪で測った人間関係論へずれがちな現象です。性格が片寄ったり歪んでいても、それも個性と呼ぶべきなどと、話が混迷するばかり。

要は、やった仕事、できた物に個性があればよいのです。作者の個性ではなく、作品の個性が焦点。実に簡単な話です。
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|06-26|ニッポン事情スケッチ||TOP↑
もう9年も前、フィギュアスケートの荒川選手が金メダルのトリノ五輪。その思い出曲は、イタリアのテノール歌手ルチアーノ・パヴァロッティが開会式でも歌った『トゥーランドット』でした(ただし事前録音)。優勝をきっかけに、クラシック曲が日本でまた売れ出しました。しかも歌モノが。

パヴァロッティをはじめ、イタリアの有名歌手がよく録音する別の曲があります。もりもりと勇ましいその歌は、日本のテレビでもしばしば耳にしたものです。『レイダース』みたいなあれ、しかし曲名を聞くとちょっと引いてしまいます。『フニクリ・フニクラ』。

何だか気恥ずかしくなる曲名。フニフニしたマシュマロかコンニャクみたいで、行け行けどんどんの曲調と合いません。年輩の中にも、あの曲に何か引っかかりを感じている日本人は多いようです。盛り上がる曲なのに、題名がお笑い系みたいに盛り下がって、ちょっと。

クラシックリスナーに知られたあの曲は、オペラや民謡ではなく、イタリアの登山鉄道を宣伝した世界初のコマーシャルソングでした。フニクリ・フニクラとは、ケーブルカーを意味するイタリア語フニコラーレのニックネームで、軟弱どころかメカニカルそのもの。興奮を誘う曲想は、ぐんぐん登って火山の威容が開けていく、そのイメージ音楽でした。

商品名や芸名を他国で変える戦略はよくあり、この曲もNHKが日本に紹介した時は和訳した『登山電車』だったとか。美術でもあるかも知れません。距離を置いてきた作品が親しくなる、ちょっとおもしろい裏話だとか。そして日本の美術も、海外でささいな引っかかりを生じさせることがあろうかと。
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|06-23|芸術の秘密と謎||TOP↑
2013年から温めていた海外向けアーティストサイト計画で、パイロット版として参加者の公式サイトを作り始めました。特製テンプレートはまずは好評で、ただし力点はコンテンツ画像です。

どんな美術も、制作意図の外にまで作品の意思が及んでいて、作者は気づかなかったりします。どれが秀逸かの判断とは別に、見せ方でも自他の価値観が食い違う問題があって。ところがWEBも出版物の一種で、編集判断という視点があります。そこで、編集側が画像づくりも分担します。

画像調整は誰がやってもたいへんで、普通のWEB業者にせよ無料セルフにせよ、どのコースもコストがかかります。一般相場は画像調整1点5千円あたりで、これを別途オプションとせず編集作業に一律で含めたら、スーパーテンプレートも活かされるという合理化です。

これで作家の大負担は激減しますが、ネームをそろえる手間は残ります。タイトル、制作年、寸法などのデータが先にあれば楽ですが、未整備だと家の中をひっくり返す騒ぎもあるでしょう。作品の寸法がないと始まらないから、巻き尺でまず測らないと。

画廊でも目録準備でデータがそろわず、年単位の遅延が起きたりします。最初の年表づくりが山場で、後からの利用はまるで天国。音楽のケッヘル番号やドイチュ番号が、あるとないで大違いなのと同じです。
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|06-21|作家サイト作戦||TOP↑
少人数展で、美術家への指南みたいなことも増えています。「この作品のここをこうすれば、顔役になるであろう」というのに始まって。

美術家は信念どおりに作っていて、その尊い自主性にまかせるべきという自己責任論が、世間の芸術イメージにあるかも知れません。他人があれこれ言わない前提で。しかし実際には、大物もゆれて迷ったりするのです。

迷う原因は、いつものあの問題です。作品は常に芸術と非芸術の分岐点で、トーナメントに直面しています。特殊性と一般性との間で、刻一刻と悩むのが人間でしょう。天才とて、超人とは違う。

特殊性を選べば、独自色でレア化します。しかし独自のレアという価値観は未来偏重であって、今の自身が置いて行かれる場合も多いのです。今現在の自分には逆に一般性が魅力で、作品に「今日らしさ」を求めてしまう落とし穴が常につきまといます。

これはゲシュタルト心理学にあったような、類似性への親近感です。どこかで見たイメージに、親しさ、好ましさ、いやされる思いがわき、そこへ向かわんとする脳のはたらき。その結果、当代に目に映る諸作品に近い作風へ自動的に引き寄せられ、多数派に加わってしまう創造性喪失が起きます。

時代にフィットし、普遍性のない凡作にとどまる方向へと、気づかない力が常にかかっているわけです。芸術はなぜ長い年月を経て、優劣が裏返るのかという命題があります。それは19世紀で終わった話で、僕らの時代にはもう起きないのさという、根拠なき楽観論は結局は間違いです。
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|06-18|芸術の秘密と謎||TOP↑
毎年、梅雨にラジオでボサノバ特集が続きます。この涼しいブラジル音楽はポルトガル語なので、アメリカ進出が壁でした。そこで、ボサノバ創始者の一人ジョアン・ジルベルトの妻で、英語がうまいアストラットが歌ったとされます。彼女はドイツ系ですが、問題はポルトガル語の由来。

南米やアジアには、大航海時代の覇権国家が進出した植民地の形跡として、領地と言語が今も残っています。スペイン領とポルトガル領が穏便に合体して独立したブラジルで、以降は軍政の混乱や紛争が続きました。解放に喜んだらやがて内戦という、よくあるパターン。

アートやカルチャーの分野では、強要されなくても植民地化に似た現象が起きます。日本にも、文明開化後の廃仏毀釈がありました。欧米の帝国様式やギリシャ、ローマ彫像が魅力的に見え、国内の寺や仏像がくだらなく思えて、捨てたり安く売却した集団パニックが起きています。

その後「日本すげーじゃん」と世界に伝えたのは、戦前のドイツ人建築家でした。投げ捨てられた仏像が再び拾われ泥をはらわれたのが、その時だったかは不明ですが。文化には、他人に言われて気づく自分の良さ、という面があるようです。

日本の戦後70年で、「自分が思ったことが正しい」式の教育は、アートには好都合だったはずです。個人主義や自己中は、芸術の本筋だから。しかし自由主義でアーティスト同士の干渉が減った孤立状態になり、自分の良さが何なのかがみえない問題が新たに起きた気がします。
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|06-16|芸術の秘密と謎||TOP↑
ケーシー高峰いわく。「桜の葉を煎じて飲めば、胸の動悸によく効きます」。それを聞いてメモをとる年配者が、たまに演芸会場にいるという。健康に関する耳寄り情報を、知人にも教えてあげようとして。

ウソ情報に翻弄されるのは年輩だけでなく若者も同じで、たとえば日本語で「号泣」とは、ギャーギャー大声を張り上げて、うるさく泣きわめく意味です。「号」がつく怒号や号砲は、でかい声や爆発音。わーわー叫んで、ドカーンと鳴り響いて。ところが最近は、静かに涙ぐんだり、そっと目がしらを押さえるのを号泣と呼ぶ人が増えたと、多くが気づいていることでしょう。

大勢が間違えて使っている言葉はこれだと、マスコミは指摘し日本語の乱れを論じます。しかし誤用は、国民の勝手な暴走ではありません。国民はテレビ番組にならっています。テレビの出演者たちがいっせいに誤用し、国民が耳から学んでいっせいに間違ったのが実態です。

つまり、国民の学習ソース源はマスコミ発言です。人はテレビに教育され、染まるもの。学校の先生の教えさえも、マスコミの言動で上書きされていく現実があります。とすれば、日本がおかしい時代には、先生よりもマスコミを疑えという強硬論は、的を射ているのかも知れません。

そういえば、これまでマスコミは芸術をどうしゃべってきたのか。芸術の価値とは、どういう価値を指して、どういうのを指さないかに、マスコミは注意を払ってきたのか。そういう場面に遭遇したら、ちょっとメモでもとっておきたい気になります。
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|06-12|芸術の秘密と謎||TOP↑
Winkler画廊に常備中の、ペーパーアートコレクション14がボーナス延長を経て、オプション延長に入りました。日常的にお客がファイルブックを見ては、色々な感想が出されています。ただ、それを文章にまとめ日本に集めるのも難しく、想像たくましく良い方に受け取っているわけですが。

ところが、「けっこうな作品でした」で締めくくる客は、日本では見かけてもドイツではそうでもないようです。「これはよい、あれは問題だ」「いや自分は逆だ」と、議論が始まったりします。アートに意見を言う人が多い海外。

アートを社会問題に関連させる視点が、ドイツに多いようで。日本でその方向は、プロパガンダアートなど直接表現が目立ちます。武器や紛争を描いて戦争反対の意味にしたり、戦争以外で戦争を表す暗喩や、遠回しや逆説的な反語は、日本の作家は苦手だと思えます。

では日本では何が得意かといえば、花鳥風月です。あらゆる事物が自然とつながり、ものの命とつながっているという思想です。セミやコオロギの音をノイズ扱いせず風流とみる感覚が、美術にも反映されています。欧米の人にとっては、暗喩や反語よりよほど遠回しかも知れないのですが。

「なーんだ、要するに禅か」というほどには、相手側では意識されていないでしょう。自然派アートが社会派の文脈で読まれてしまうなど、ヨーロッパの目が日本美術とすれ違っていることを疑い始めると、日本美術を語る言葉も必要だと思えてきました。
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|06-09|作品の募集||TOP↑
過去形ですが、新しいカメラを調達する計画で、ドイツの家電店をチェックしました。品ぞろえを見て、やはりそうか当然かと。

日本国内のカメラ店と同じです。メイドインジャパンの高級一眼レフやコンパクトがずらりと並んでいます。サイトも日本のカメラ店サイトを、ドイツ語に書き換えたかに思えるほど。

ドイツでもプレスモデルやコンバットモデルを備えた、一眼レフシステムメーカーの高級品が花形です。1955年、レンジファインダーカメラでドイツのライカ社に結局勝てなかった日本勢は、より難しい一眼レフレックスカメラの製品化に挑戦しました。

よくある話で、オリンピックやワールドカップ会場報道で使われるカメラは、世界で2メーカーに限られます。400ミリや600ミリの望遠で、白レンズはキヤノン製、黒レンズはニコン製。カメラマン席の白と黒の勢力分布が、スポーツイベントの周辺エピソードとしておもしろネタになっています。

日本で買うよりドイツ価格はやや高く、またベルリンに中古市場はほとんどないようです。日本には、博物館のような中古カメラ店もありますが。
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|06-08|写真とカメラの話題||TOP↑
マイサイトに使われている技術が最新をうたっていると、誇らしくなるもの。が、不安が二つあります。一昔前のパソコンだと画面崩壊や白紙になって映らないこと。そして、かえって早くすたれる場合があること。

前者は当然の道理で、最新技術は新言語だから、新しいパソコンや携帯のみ映ります。具体的には昨年のHTML5は、世界で最多のIE8ではきちんと映らずエラーが出ました。映らないと、世にないも同然。

後者は優等生のXHTMLでした。多くの企業がWEB会社のすすめで、最新のXで自社サイトをリニューアルしました。しばらく胸を張っていると、国際団体W3CがHTML4.01の後継はHTML5と発表したので、Xは一転してあだ花相当へ。業界の戸惑いは記事の少なさや表向きの平然ぶりに表れ、しかしスラッシュを後につける構文は一応おしまい。

最新技術の弊害で思い出すのは、1990年代のマルチメディアサイトです。音楽が鳴るページが一例で、社内で仕事中にサウンドが鳴り響き、上司がいやな顔をしたり。FLASHの流行もそうで、トップページのアニメや流れる画像を嫌うビジターは多いという。毎度の出迎えがめんどくさいから。

YahooジャパンサイトのHTML4.01など、旧仕様で絶対安定を得ている大企業もあります。古いテーブル構造まで行けば極論ですが、コンテンツを詰め込んでもレスポンスは確かに従来が快速です。個人サイトは特に、先進のロマンが混じり目的がぶれやすくなります。
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|06-07|作家サイト作戦||TOP↑
人が作る作品は、際限なく上がり続けはせず、上がって下がります。ピークを境に衰えていく宿命。ところが、だんだんではなく突然、以前のようには作れなくなる現象があります。多かれ少なかれ、全員に。

手の能力低下ではなく心因性でしょうが、かといってスポーツにみるメンタルの変調や、ハングリー精神の喪失なのかは疑問もあります。想像するのはバランスの崩れ。年季によって爛熟モードへ突入し、荒削りから洗練へ、簡潔から冗長、ダーティーからクリーン、キレからダレへとパワーダウン。

要は、前はできた深い表現が、浅い表現しかできなくなる問題です。大まかで彫りの深い大声の作品が、細かく彫りの浅い小声の作品へと、小粒化する変化が一般的でしょう。

この変化が顕著な分野は音楽で、クラシックピアニストにも急に弾けなくなった元天才が何人もいます。指がもつれたりではなく、表現の平坦化。神がかったり、悪魔がかった奥行きがなぜか消えてしまい、普通の演奏に変化しての早期引退。

ロックの歴史で知られた衰退コースは、新アルバムほど演奏が完ぺきでスムーズで、リスナーは眠く印象に残らない現象でした。回避策は、ビートルズなら作曲の持ち回り、キングクリムゾンやフリートウッドマックはメンバーチェンジ、ドゥービーブラザーズやシカゴはジャンル変更という具合。

メンバーチェンジできないソロの場合、どう克服するか。この課題は極めて本質的なので、時々触れることにします。
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|06-04|芸術の秘密と謎||TOP↑
マイナンバーという国民総背番号制が、来年日本でも始まります。実現がこれほど延びたのは、情報を盗まれる不安が国民に高まったからでしょう。

絶対に盗まれないようにしますという運営側の誓いは、後で必ずウソになるはずで、奪われる運命は避けられません。時間の問題。原発事故の後だから、危険はあると当局も認めている状態です。正直でよろしい。

大量の個人情報が漏えいするたびに、「なぜ大事な情報をネットから遠ざけないのか」と思えるかも知れません。理由は、ネットからログインできる利便を得るには、ネームとパスワードのセットを必ずオンラインに置く必要があるからです。わざわざ連絡先や銀行口座番号まで記すのは、データベースを分けたらレコード同士がシンクロしない瞬間が生じるから。

個人情報のデータベースソフトは、老舗のオラクル社の商品が多かったのですが、漏えい原因で意外に多いのは、メンテ時にデータを仮置きした場所が公開ディレクトリだった一時ミスです。特別に優秀な人が手がけても、確率的にミスは起きます。学校や会社が休みの日に、うっかり登校や出勤するミス程度の確率で。

ドイツでは背番号制は憲法違反とされ、一方アメリカなど実施国では漏えいと成りすましに手を焼き、困っているという。事情が異なる日本は、人類の不可能をただ一人だけが可能に変えられるか、一眼レフカメラや新幹線のように技術確立できるかという興味もあります。
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|06-02|作家サイト作戦||TOP↑
KIYOKA YAMAGATA個展 「TIMELESS」
在ニューヨーク日本国総領事館18F 広報ギャラリー
6月18日(木)~6月23日(火) (土・日・祝休館)
9:30-16:00 入館時に身分証明書(写真付)を持参
問い合わせ www.kiyokayamagata.com
写真

アメリカからの参加者は、偵察に行ってみてはいかがでしょう。
ベルリンの2+1展にもぜひ。
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|06-01|参加者ニュース||TOP↑

日本現代美術をドイツへ

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