ジャパン・フェスティバル・ベルリンは、ビギナーからベテランまで参加しやすい展示です。早めに作品が集まれば、物語として初参加できます。ジャパン・フェスティバルと聞けばフランスが有名ですが、ドイツではこれ。

Japan Festival Berlinサイトには、芸能や武道が大きく掲載されています。和太鼓や剣道とか。しかし最大の集客力はサブカル系デザイングッズで、ヨーロッパ輸出歴60年の漫画アニメやコミック本の功で、お客が毎年増加中です。そして主催者が入れ込み始めたのがファインアート。

隔年だったのが、今回連続開催となり、芸術指向の階が準備されます。ただしイベント自体が若いので、お客の予算は専門アートフェアと差があります。普及価格帯がよく動く結果をみて、号5万円クラスはペーパーアートのジクレーにすればいけると、こちらでは考えました。

ところで、ドイツではローンで高額美術に手を出す人はおらず、現金予算の範囲内で考えます。高い値段を優れものの根拠にはせず、これも版画が普及しやすい理由です。プリントアートはたびたび売れていて、作家照会も多い方なので。

会場で一番売れる商品を思い出すと、おにぎりと緑茶が目立ちました。パリパリのり、そして昔からあった駅弁用のあのお茶。日本のふるさとを感じさせる会場になっています。
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|08-30|ジクレー版画物語||TOP↑
ジクレー企画への質疑で目立つのは、自分の作品はジクレー版画に適するかわからないというもの。これは版画という語も原因かも知れません。

CG作家や写真家は、普段の作業がジクレー版画づくりと同じだと心得ているでしょう。合わない作品はなくて。しかしキャンバス画や水彩の立場では、新たに版画を彫る作業が発生する話じゃないとは百も承知でも、何となく版画の伝統技法のイメージに引っ張られます。語感の問題で。

ジクレー版画の正体は、作品の写真プリントです。絵画を撮って印刷したら版画になる理屈。版画は英語でプリントと呼ぶので、欧米では違和感が生じません。版画のプレス機は、昔からプリンターと呼んできたし。

しかし日本で版画といえば、原始的な手作りの味わいを浮かべ、素朴で雑な「いもばん」あたりを連想しがちです。日本の伝統的な書道の墨汁が、英訳するとインディアンインクやチャイニーズインクになってピンとこないのと似ています。プリントといえば、試験問題用紙を浮かべてしまって。

今回は水彩紙やキャンバスペーパーも選べ、ハイテクの美術用プリンターでリアルな作品になります。キャンバス画をキャンバスペーパーにプリントすると、キャンバスの雰囲気だけは出ますが、水彩画を水彩紙にプリントすると、見ても触っても水彩直筆に感じます。

見慣れた絵をジクレー版画にすると、元の絵と違うサイズになるから、見え方が変わって新たな発見がよくあります。自分の作品を分析するような面もあるでしょう。
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|08-27|ジクレー版画物語||TOP↑
1964年の東京オリンピック時代の便器がホテルに残存し、これを目玉に便器の博物館をオープンした北九州市のメーカーのニュース。霞ヶ関ビルのオリジナルトイレも並び、まるでビンテージ骨董品のような扱いです。

便器アートといえば、フランスのあのお方の、あの名作です。オリジナルは証拠隠滅で捨てられ、何でもアート検閲への抗議が目的の出品でした。まんまと引っかかったアンデパンダン展主催者が、便器作品をひそかに始末したというのが通説で。

送った本人は便器を造形美と考えたのではなく、主催者を困らせるために美術から遠い物品を使っただけの話です。俳句の募集で、封筒にカミソリの刃を入れたような感じ。現代人が美の表現と受け取るのは、これはこれで保守的な美観で、はっきり言って勘違い。何ごとも具象的に受け取って、額面どおり解釈する悪いクセです。

ところで、二つの東京オリンピックの時間差に、日本では便器のパラダイムシフトが起きました。1964年東京の頃、テレビでアトムや鉄人を放映した頃。ほぼ全ての家庭の便器は和式でした。たまに洋式を見つけると、「変なの」「どうやるの」「よくわからん」「嫌い」「絶対使いたくない」。

当時は洋式に向けられた敬遠の言葉を、今の子どもは和式に向けます。国民の気持ちと常識が、後日ひっくり返った実例です。しかもネットにこの話題はなく、皆さん過去をケロリと忘れています。

一方美術で好みと常識がひっくり返るのは、世代交代によってです。同一人物が心を入れ換えた便器とは厳密には違う展開ですが、時間がたって世の中が完全に正反対に変わってしまう点は同じです。
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|08-26|芸術の秘密と謎||TOP↑
「ドッキング」というキーワードが出回っているようで、日本の宇宙貨物補給船「こうのとり」が国際宇宙ステーションへ荷物を届ける話題です。たまたま米ロの打ち上げが三連続失敗して、日本が切り札を出したかたち。5500キログラムもの荷物になるという。

宇宙開発史のリアルタイム世代は、ドッキングと聞くと直ちに「ランデブー」を連想し、次の瞬間「ジェミニ」の語が浮かぶはず。

宇宙でドッキングに初めて成功したのは1966年のアメリカ船とアメリカ衛星で、後に月に初めて立ったアームストロングが、その3年前にジェミニで飛んだ実験だったと最近知りました。

ソ連のドッキング成功は翌67年とすでに遅れ始めていて。当時の話題性は今よりはるかに大きいものの、ボストークやマーキュリー計画よりはやはり地味なドッキングでした。

当時も難しいドッキング作業でしたが、今回はマニピュレーターで引き寄せるメカを日本人が操作し、結局人が手で微調整するものでした。訓練した飛行士だけの職人的な作業になっているらしく、自然体を捨てて宇宙に進出する人類の意志を感じさせます。器用な手が切り札です。
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|08-25|芸術の秘密と謎||TOP↑
ベルリンの日本祭Japan Festival Berlinでは、一般ギャラリーでは売れなかったものも売れたから、今度も楽しい会場体験物語ができそうです。

全ての美術作品は、画像データ化することでジクレー版画にできるので、外国へ持ち出せない作品も出せます。すでに何件か作品選定で協議中ですが、作風傾向を広げつつ芸術的な含みも増やそうと考えています。

祭に合った作品を選ぶのはよいのですが、特別に合わせて作るまでは不要でしょう。日本を感じさせる作品が合いそうな気がしますが、日本の作品はほとんどが該当します。伝統論を持ち出さなくても日本製は日本的で、いつもの作品で済んでいて課題というほどではありません。

では、サブカルチャーという次元はどう考えるか。今回はサブカル寄りの選択眼も確かにあります。ただしジクレー版画の実験フォーマットが、すでにサブカル指向です。ジクレーにはレプリカ技術の側面もあって、複製芸術論でいう「美術の日常化」と家庭入りを支えるテクノロジーです。これがサブカルの方向性と何となく合っている「雰囲気」はあるのです。
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|08-24|作品の募集||TOP↑
ビジネスで成功する人には共通点があります。まず手数が多い。考えたことを形にして、とりあえず社会に問いかけてみるタイプ。

逆に成功しない人は、色々と試作するところまでは同じで、しかし自ら否定的な理由を綿密に考えて、試作のまま眠らせて終わっているタイプです。眠らせた案には賛同者は絶対に現れないから、成功しない結末が最初から約束されています。

反対者をつくらない気づかいよりも、賛成者をつくる無理走りこそが、うまくいく秘訣というわけです。これは、偉大な人ほど失敗の山が高くて、踏んだドジのエピソードも多いという実態が裏づけているでしょう。美術制作にも、この法則が当てはまるかも知れません。

自分でブレーキをかけて沈んだケースに、ジャズの音楽レコードがあります。ジャズ演奏を史上初めて録音した人は、音バランスがきれいにまとまらず、レコード発売を見合わせて時間を過ごしました。

それより後に録音した人が、バランスの悪い粗末な音のままレコード発売に踏み切り、世界初の栄冠をさらった逸話があります。

完ぺきな異性を探し続ける人生など類例が広がりそうな話ですが、後悔を楽しむほどでないと成功しないのかも。参加者の作品の中にも、作者本人が否定的な理由をあれこれ考え眠らせているものがあります。それを堀り出すのが最近の楽しみです。
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|08-22|芸術の秘密と謎||TOP↑
ドイツ側スタッフは、ベルリン市から遠いダイデスハイム市へ出張中です。今回は現地サーヴェイが目的ですが、ある実験絵はがきを持って行きました。質素な字はがきです。ドイツの美術館ショップでは、かなり地味な記念はがきも意外に人気という。

しかし店頭で有利なのは、派手で目を引く絵柄です。色々な作風が広範に売れるJapan Festival Berlinでも、話のタネになりやすい絵柄やおもしろ系はひときわ人気で、絵はがき化でブレイクする作品があります。

先日募集し始めたジクレー版画はJapan Festival Berlinでお披露目しますが、早い参加作品はいつもの傾向で油彩キャンバスや水彩ペーパーなどアナログ絵画です。

リアル絵画を電子プリント化すれば、シリアスな内容でも何となくサブカル寄りの雰囲気を帯びる気がします。原画がファインアートでも別の顔を見せ、元と少し違う世界に変換されたかのように。美術らしさの一本調子から出て、作品の意味が新しくなった感じで。

版画化すれば、油絵具のにおい、麻布の弾力、木枠の木目ぐあいなどは消えます。マテリアルの風合いも略され、あるのはマット紙やアート紙のテクスチャーだけ。作品を飾る小道具は引っ込んで、お客は作品の中味だけを相手にします。
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|08-20|ジクレー版画物語||TOP↑
2020東京オリンピックのロゴや、その作者が過去に作ったデザイングッズが、先日から盗作騒ぎです。ニュースでひっきりなし。しかし日本では、盗作に批判的なクリエイターは偉くはなれないものです。理由はふたつ。

ひとつは、成功例の二番煎じは、成功の確率が高いから。この正論がとっくに実行派を形成済みで、盗作は堅実な伝統ビジネス手法に実質なっています。模倣こそ得るものが多く、模倣に背を向けたら逆境となります。

もうひとつは美術で多い話題で、オリジナル主義者は業界には危険人物に映り、敬遠される傾向があります。アンチ模倣の画家は、仲間の輪が広がらず孤立するもの。模倣で上がった名士たちとの関係がうまくいかず、わかりやすい話です。

この話題で必ず出てくるあの格言「芸術は模倣から始まる」は、剽窃者がステマ目的に流す殺し文句に使われるほど。「始まる」の意味は、駆け出し時代の訓練の話ではなくて、一作一作にもれなくパクリ元ネタがあることを許容せよ、という言い分だったりするのです。

よく聞く「オリジナルに走る」の言い方は、独自路線にバツをつけて買わない空気の反映です。オリジナル志向にマイナス評価をつける態度。先人なきオリジナルを、自己主張の激しい自分勝手な問題児とみるコモンセンスが、日本では広く定着しています。アンチ模倣の美術は、敵を増やして出世を閉ざすイバラの道。

キャラ的にも、オリジナル常習者は感じ悪く映ります。真似やコピペの常習者は気さくな好人物に映り、周囲の反応も温かいし愛される法則があるはず。同業者による盗作擁護が今回も多かったのは、これが表れました。逆の流れを起こしても、国内で上には行けないのでしょう。
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|08-19|芸術の秘密と謎||TOP↑
ジクレーとは電子プリントアート、版画の一種です。世界のジクレーの多くは、日本の技術で作られています。印刷機、プリンター、プレスマシーンに日本製が多いから。

電子版画とジクレーはイコールではなく、多種ある電子版画のうちひとつがジクレーです。それならジクレーでない電子版画はといえば、レーザープリンターやオフセットの版画がそうです。そういう作品も売られているし、昔のカラーコピー機の作品は色がすごかったもので。

その三つはページプリンターで、つまり輪転機です。それに対しジクレーはインク吹き付け式のラインプリンターで、繊細な絵を再現できます。その代わり量産は苦手。最大の特徴は、六原色や八原色以上のインク数です。原色を増やせば、明るい鮮やかな色がかなり出せます。

三原色では出せず六原色なら出せる色の代表は、きらめくグリーンです。三原色のカラーレーザーだと、くすんだ渋いみどりに化けます。アクリル絵具にあるウルトラマリンブルーも色あせてしまい。群青色を鮮やかにした濃い青は、六原色を必要とします。燃えるようなオレンジやショッキングピンクも、多原色なら出せます。

ジクレーは写真と関係が深く、写真画質のプロッターの発展形が、今のジクレープリンターです。そして最初のジクレーも、絵画ではなく写真でした。
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|08-18|ジクレー版画物語||TOP↑
この季節に、日独ビール比較論がよく出てきます。日本のビールは、ドイツではビールと呼べないあの話。あちらでは原料が麦芽とホップのみ可で、日本で最も人気のラガーとドライは、米とコーンスターチで調味されているから、ドイツでは非ビール扱いになるという。

日本にも麦芽とホップだけの本物ビールは昔からあって、さらに各社が新発売しては消えます。客の評価は、「麦芽100パーは飲んだら重くて嫌い」「麦芽100パーは飲んだら軽くて嫌い」と、バラバラ。国民にビールの味がわからないことだけはわかった。「重さ」や「切れ」で語る時点でアレ。

味オンチとなる原因は、アルコール目当てやキンキン冷却など、複数あるのでしょう。ビールふう大豆飲料の国内ヒットも、その裏づけ証拠かも。ベルギーに炭酸がない有名ビールがありましたが、本来ビールの基盤はアルコールや炭酸ではなく、麦芽でしょう。

日本で麦芽らしいビールを試すのに、ビール園の生があります。ビール工場内のレストランやガーデンで出る生ビールは何が違うか。目立つのは農作物の香りです。缶やびんだと消えてしまう、農業の風味。穀物の、植物の、草のにおいが決定的です。愛好家たちが冷やさずに飲む理由は、これだった。ノンアルコールのロングセラーが輸入される理由もこれ。

ビールは草が香る農産物なのに、アルコールの一種で片づけた認識が味オンチを招いたのです。アートと同じで表現物を味わい損ね、鑑賞オンチに陥る共通性があるのかも。しかしそれならアートと同じで、模範から外れたトンデモ飲料の未来にも期待してしまいます。
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|08-16|芸術の秘密と謎||TOP↑
作品募集が始まりました。次のペーパーアートコレクションはジクレー版画コレクションを結成し、ジャパン・フェスティバル・ベルリンに店を出します。

全ての美術は電子版画化できますが、コンピューター版画はデジタル出版技術なので、こちらの作業も細かい数学の計算が中心になります。

ドイツのジクレー制作会社の入稿仕様は細かく、分析してやっと試刷り版ができたら、ジクレー制作会社はとっくに夏休みに入って10日先まで閉店中。日本の盆よりかなり長め。超高解像度だから、上限で補完度を上げるか、下限で補完度を下げるかなど実地テストがいるのです。

ジャパン・フェスティバル・ベルリンの利点に、数が出やすい面と、アフターに問い合わせが多い面があります。コレクターから、作家プロファイルの照会リクエストが多い行事です。狙われているというか。開催中や終了後にも、日本のデスクから作家資料を編集して送ったことが何度もあります。

ジャパン・フェスティバルは他国でも、サブカルチャーが花形です。ゆるキャラや萌え系、魔界伝説や近未来デスバトルなどの定番が期待されますが、ここではキャンバス画などファインアートの版画を多く入れて、芸術の香りを出していく計画です。
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|08-14|作品の募集||TOP↑
夏の夜。じめじめと蒸し暑い曇り空。真っ暗な墓場のそばを、ひとり急ぐ人。気がつくと、頭上にぼんやり青白い火の玉。出たあー。

人から抜けた魂とみたのは昔。後世の科学では、動物の遺体から発生したリンかメタンの燃焼とされました。日本の自動車メーカーが、メタンガスのひとだま発生車に成功したのは90年代。もちろん今ではどちらの解釈ともガセとわかっていて、要するにセントエルモの火です。

夏の夜。じめじめと蒸し暑い曇り空。真っ暗な海を行く帆船のマストの先に、青白い丸い光がぼんやり見える現象で、ジジジジと音も聞こえるあれ。積乱雲の下部にたまった電荷が、とがった物体に放電した一種のミニ落雷です。気温差で上昇気流が生じ、気体の摩擦が起こした天然の電位差が原因とされます。

昔から不思議現象として知られてきたひとだまとセントエルモの火が、実は同一の電気現象だとわかったのは21世紀になってから。ならば、そっくりな現象がなぜ長く別扱いされたのか。思い込みや結論ありき、いかにも落としやすい物語で固まり、既成事実化していく怖さもあります。

美術でも、この手の心理が鑑賞のじゃまをします。よくあるのは、巨匠は腕達者という物語です。はるか過去の巨匠たちは、意外にへたくそで当時の異端だったりもします。そもそも時の主流でもなければ顔役でもなく、変な人として嫌われ者だった史実があったりして。

我々は巨匠に値するイメージに合うよう、エリート街道を歩んだ由緒ある人格者の物語へと、曲げて解釈したがるわけです。イメージに合う史実を強調して、合わない史実はカットして。夏の夜。じめじめと蒸し暑い曇り空。真っ暗な展示室に、ジジジジと亡き巨匠の魂のつぶやき。「誰の美談なの?。俺、そんないい人じゃないけど」。
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|08-08|芸術の秘密と謎||TOP↑
ペーパー16の企画募集がまだリリースされない理由は、ジクレー版画の入稿仕様に不明点があるからです。調査中です。

この企画は、もちろん参加者が作品を制作します。その作品に制約はありません。F200号であってもよいし、切手サイズでもよいし、1トンの重さでもよいし、いくら壊れやすくても、濡れていても。その作品をきれいに撮影すると、現地で版画作品になります。

一方、版画作品化はこちらで行い、ドイツのジクレー工房に出力を依頼します。その入稿ルールが完全には分析できていないので、募集要項の条件に空欄が多いままです。出力用版下に何が必要なのかが不明なので、参加費がまだ数字としてあがってこない状態で。あと少しなのですが。
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|08-07|作品の募集||TOP↑
TPPがまとまらないという。そのデリケート部分にある米は、他国の大規模農法に負ける高価格や、減反政策や後継者問題へ話が向かいます。日本人は米を食べなくなったと嘆く声も。しかし戦後にまいた毒を、忘れている問題もあります。それは、「米を食べると馬鹿になるキャンペーン」です。

日本人の米離れを「成功」させた最大の功労者は、政府が行ったストップ米食の運動でした。米をやめた代わりは小麦へ向かい、まずパン、そして日本と西洋のパスタへ主食が拡散しました。子どもがおかわりしないようご飯を少なめに炊いて、パンやそうめんで補ったあの頃の各家庭たち。給食のパンも実は関係あったとか。

広めたデマを打ち消すキャンペーンは省かれたので、今もご飯好きの人が何となく野暮にみえる感覚が国民の心に残っています。トーストやパスタがヘルシーでおしゃれに感じる心理に、舶来信仰だけではなく、国をあげた白米イコール馬鹿という刷り込み効果がありました。時の黒歴史で勝敗が決まり、国内でいまだ米が完全復権しない敗北状態のまま自由貿易へ。

このように、昔の特殊事情を忘れて後世の認識だけで空転し、中途半端が続く現象はよくみられます。日本の美術界で、「具象を極めた人だけが抽象へ進んでよい」という戒律は、年輩者が今もひそかに胸に刻んでいるモラルのひとつ。薄れたけれど、まだある中途半端な課題。

その昔、誰かがキャンペーンを張ったのか。「具象が基礎で、抽象が応用」「基礎なき応用は馬鹿」という政府の指導か。まさかヒトゲノムに元々記述があって、生まれた子は自動的にその意識を持つコンセプトなのか。国内でいまだ抽象が復権しないまま自由貿易へ。
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|08-05|芸術の秘密と謎||TOP↑
ペーパーコレクション16企画は、電子で行こうか思案中です。ジクレーという形式。まず基本定義から。ジクレーとは、主に6色以上のインク吹き付けプリンターで印刷した美術作品です。レーザープリンターやオフセット印刷の美術だと、ジクレーとは言いません。

現役画家の指示で印刷されたジクレーは、版画に分類されます。が、昔のルノワールをジクレーにすると、複製画に分類されます。こうした作者の指示がない後世の複製画も、版画に含める考え方も一応ありますが。

その元原稿となる画は、デジタル出身とアナログ出身があります。デジタル出身はCGデータ、アナログ出身は撮影データ。両者のハイブリッドもあり。

油彩も水彩もノートの落書きも、何でもかんでも撮影してインク印刷すればジクレーになるから、この語は画材や技法に言及しません。木版画やリトグラフを撮影してジクレーにでき、そういうプロもいます。版画を版画にできるおもしろい世界です。

電子プリントが美術に当たるかは、もちろん真物美術です。版画の定義は印刷して量産した平面作品のことで、昔の銅版画も当時の最先端プリンターを美術に使ったものです。しかし別の説明もできます。新聞紙を展示したら現代美術となる時代に、新聞でなく自分の絵だと美術に該当しないとしたら、近現代美術の全否定になってしまいます。

通常、ジクレー作家はインク吹き付け印刷で完結する美術家です。が、物を撮影すれば皆ジクレー原稿になるから、平面、立体を問わず美術家は全員がジクレー作家も最初から兼ねている理屈です。現にルノワールのジクレーもあるわけです。ルノワールの顔写真をジクレー作品にもできます。
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|08-02|ジクレー版画物語||TOP↑

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