日本でハロウィーン祭が、過去最大の盛り上がりだそうです。北半球の収穫祭だから在来の村祭りと似た主旨ですが、現代のハロウィーンは要するにくだけた市民祭でしょう。仮装は祭礼の原初的なモチーフであり、非日常の芸能に結びつくのはいわば正統というもの。

だからこそ、日常とのずれ方にモラル側の抵抗と嫌悪感がハンパでなく、ちょうど権威なき創造作品への拒絶反応と似て映ります。芸術はこういうふうに嫌われるという、シミュレーションをやっているみたいな面が、ハロウィーン祭批判にもあるのでしょう。

向こうの世界に入って笑顔の人と、こっちにとどまり顔をしかめる人に、国民が塗り分けられた様相です。反対派の言い分も、静かだった頃に戻せ、商魂が気に食わない、守るべき伝統が他にあるだろと。寺内たけしや加山雄三のエレキの時にも似て、歌舞伎の初期もこんな感じだったのかも。

クリスマスやバレンタイン同様、日本の文脈でローカライズされ、コスプレとも合流し、古来の河童や映画のゾンビ、漫画のネズミ男なども混じっています。広告代理店の思惑どおりでもなく。テーマパークのアトラクション、秋の商戦、地域祭との混合とか、落ち着く先が定まらない初々しさがまだあります。騒音とゴミを出さなければ、全く変わるわけですが。
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|10-31|芸術の秘密と謎||TOP↑
物ごとには道理があり、しかし同時に人の感情もあります。作家コンセプトにも、道理と感情の割り切れない部分はみられ、それが作品の幅を広げているように思われます。歪みが生むおもしろさというか。

道理を感情がじゃまして結論が歪んだ例として、光を超えた通信速度、未来へのタイムマシン効果があります。たとえば地球から長い棒を伸ばして、月に届かせる。その棒を、ぐいっと1秒間に1センチ押す。秒速1センチなら、光よりはるかに遅い物質移動で済みます。誰もが出せるスピード。

次の瞬間、月の側では棒が1秒で1センチ突き出して来るから、光が到達する1.3秒よりも一瞬早く信号を受け取るのに成功できる。このリアル感をもって、光速を超えることは可能だとする世界認識を、本気で信じる現代人が多いというのです。「こんな簡単なことに気づかない物理学者たちは頭が悪いね」と、ジョークでない本気の声さえ出てきて。

実際には、1.3秒よりも早く月に信号を送るのは不可能で、それは重い棒を押せる力持ちが地球にいないとか、途中でぐにゃりと曲がってロスするなどを理由としません。粒子の波動が伝達する速度が光速よりはるかに遅いという、抽象的な説明になります。

この抽象論は、すぐに具象的な感覚とぶつかります。ついには、世に完ぺきな棒さえあれば光を超えられるという結論に行き着く始末です。この結論は間違っていて、「光より速い物体があれば、光より速い方法は存在する」式のトートロジー的な閉そく論理循環にすぎません。「可能な手段さえあれば、可能になるのに」と悔やむのは無意味です。

人間のこうした不正な現実感は、科学には出番がなくて、架空の創造たるアートに出番が用意されます。しかし残念なのは、日本では絵画を模写的なさし絵とみなす点です。理にかなったモチーフが喜ばれ、科学なら許すファンタジーを、アートでは許さない固い感覚が悔やまれるところ。
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|10-30|作家方針の工夫||TOP↑
先日ベルリンで、ドイツ統一25周年記念行事がありました。ここで活動拠点としているラインハルト通りは、当時は日本から行けない東ドイツだったわけです。ブランデンブルク門から近いので、大勢の人出があったそう。

「去年の秋も25周年だったような」と、思い出されるかも知れません。それは1989年11月9日のベルリンの壁崩壊から25年で、先日は90年10月3日の東西ドイツ統一から25年。

日本では、90年より89年が激動の年でした。元号が昭和から平成へ変わり、消費税が導入された節目。ビックリマンチョコ現象が話題に。物価の3パーセントアップと便乗値上げで消費が冷え込み、今の大不況へ続いたとの説がありますが、それはウソ。物品税が廃止になったから。

テレビ、ステレオ、カメラなど、電器や精密機器類がいっせい値下げとなりました。当時の写真家も大きい買い物を開始し、人気の望遠レンズは注文して何カ月も製造待ちでした。どんどん物が売れる時代になったのです。

価格変化を音楽CDで説明すると、3200円のCDは物品税廃止で2921円に下がり、消費税3パーセントを加えた3008円が新価格。192円下がって、CDソフトがブレイクしました。大きい酒税も整理され、1万円近かったジョニ黒やワイルドターキーは2480円で買えるように。

ほどなくソヴィエト連邦は崩壊し、社会主義は民主主義に敗北、ウクライナやカザフスタンなどはロシアから離れ独立国に戻りました。バブル好景気の日本は経済援助を行い、しかし壁崩壊から東西統一までの間、壁から266日で湾岸戦争となる軍事侵攻が起き、9.11から今のISへと続きます。
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|10-28|ドイツ事情スケッチ||TOP↑
日本で個展をやろうとギャラリーを訪問し、証明書を求められた画家がいるかも知れません。国内外の大きい賞をとった証明、または欧米アートムーブメントの影響を受けた証拠、東京の有力者が書いた紹介状の三点です。

この三点セットへの依存は、マネージャー氏がポートフォリオ作品を見ても判断できず、活字情報を頼っていることを意味します。自力では画家の価値を測れず、外部の評価に頼らざるを得ない実情です。要するに、うちは芸術はわかりませんと、画家に告白したかっこう。

この時、画家は悩み始めます。この地において、美術が一番できるプロ画廊がこれだと、客も知れているだろうという不安。芸術がわからないと最初から釘を刺された場所で、やる意味があるのか迷い始める画家。

日本では、美術の価値は中央の偉い人が決め、地方へ伝令が行くイメージが定着しています。若い画家たちは作品の工夫で先は開けないと知り、資格社会と縁故社会に合わせた身の振り方を迫られるのが実情でしょう。

そこで、試しに外国へ出品する。そこには、審査を通過した作品のみ展示される検定発表会はなく、展覧会はアンデパンダン展式の商談の場がほとんどです。客の誰も、芸術がわからないとは言い出さない。わかっているかどうかは別にして、無名の穴場を狙ってくる客の多さ。

この時、画家は悩み始めます。この地において、美術で一番伝えたいことを決めていない不安。自分の価値を知らない不安。芸術がわからないと言い出さない相手に、いつもの証明書が通用しない不安。
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|10-26|作家方針の工夫||TOP↑
平成日本で、写真サークルや講座に女性が入門するブームがありました。まんま「カメラ女子」の名。発端は、デジカメの高解像度化と思われます。フィルム現像代が省ける上に、美しく写る時代が到来。

しかし、女性向きとされる小さなオートカメラはブラックボックスなので、腕を上げる余地が限られます。誰が写してもいっしょ。そこで、マニュアル操作が充実した一眼レフでスタートし、写真術の全体を学ぶわけです。

写真の基本は撮像系や光学系などに分かれ、意外に細かいものです。撮像の基本が「相反則」で、絞りとシャッター速度が反比例し、積が一定になる組み合わせが何通りもあります。組み合わせで結果が変わり、事務的な写真とアート写真を撮り分けるのが一眼レフだと容易なのです。

素人が撮ると味気ない光景でも、プロが撮ると雰囲気が大きく高まり雑誌掲載も可能になる。同一カメラを使いながら、その差は何かという疑問が、カメラ女子の最初の関心でしょう。

「使いこなす」とは、カメラの全機能を駆使する意味ではありません。たとえば絵画を撮影してジクレーの原版を用意するとします。スマホ撮影とはかけ離れて、写真の仕組みにさかのぼることになります。

明るい絵画と暗い絵画をオートで1枚ずつ撮ると、明るい絵画は暗めに写り、暗い絵画は明るめに写ります。自動露出補正の余計なお世話が裏目に出て、どちらも中間値へずれて失敗。そこでマニュアル露出に切り換えて、絞りとシャッター速度を全絵画とも同じ数字で写すわけです。
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|10-23|写真とカメラの話題||TOP↑
出品する全員が売れることが、Japan Festival Berlin 2016での目標です。売れたらラッキー的な運天まかせでなく、売れるように持っていく、購入を取り付けにいく行動プログラム付きプラン。このベルリン祭ではもろ美術の参加が他になくて、主催者からも芸術分野で期待を受けています。

ところが、純粋芸術のキャンバス画あたりは日本国内価格よりかなり下げても、ベルリンでは高価格帯に入ります。比較的廉価なイラストやCG系プリント作品が好調なのに対して、ピュアアート系には何となく参考品止まりに映る内外価格差問題がありました。火がつかない作品群があります。

値段が高いほど価値も高いのだという理解の仕方は外国では一般的でないし、未知の作家の初期モノを狙うコレクターがけっこういるのです。価値観の上意下達を当てにする日本には、あまりいないお客のタイプです。

シリアスな高級系は、国内価格との調整が難しくなって損していました。各国のアートが集まって競合する都市では、買う側にとってよりどりみどりで、日本のロイヤル価格は不利になりやすいから。

そこで、日本の高級アートを手頃なサイズと価格の版画に作り直すことで、中味勝負の土俵に上げる作戦です。これによって、原画サイズの制約もなくなります。
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|10-21|ジクレー版画物語||TOP↑
「ジクレー版画に向かないのはどういう作品か」という質問が時々来ます。万物は撮影してジクレーにできるから、「向き不向きなし」が答です。しかし逆に、撮影できないものはジクレーにできない理屈です。

たとえば、誰も見たことがない、誰も知らない何かは、ジクレーにできません。記憶にあって取り出せない、思い出の光景も同様です。見えない何かをジクレーにするには、見える何かに作ってからになります。

以上はナンセンスな議論に思えますが、ひと頃流行った空白作品がこれに該当します。買ってきた白キャンバスを展示会場に並べて、各個人の心の絵を投影してください式の作品は、ジクレー化が困難でしょう。

つまりジクレー版画づくりには、トンチ的な概念飛躍を許さない面があります。「目をつぶってください、何か見えますか、見えたものが僕とあなたの共同作品です」というメンタル系のプレゼは、ジクレー化では無効という。

向かない作品はわずかだとして、非常によく向く作品はあります。最有力なケースは非売品です。内外価格差が大きい場合や、作品自体が手を離れている場合に、ジクレー化すれば原画なしに展示販売を続けられます。それが許されるのは作者だけだから、活用したいところ。
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|10-20|ジクレー版画物語||TOP↑
各国の商業ギャラリーは、画家の制作に注文をつけます。作風をこうして欲しい、ああしないで欲しいと。アメリカのギャラリーも注文が多いと、参加者からも一報がありました。我々も、とっくに制作アドヴァイザー兼任です。ただし指示や要求とはいえない、プチ提案止まりですが。

商業ギャラリーが取り扱い作品の改良を要求するのは、買い手の価値観に合わせて売りやすくする目的なのは当然です。商品にお客の声を反映すればするほど、繁盛する近道なのも当然。

しかし画家としては、納得できない作品を作るのはちょっとねという人生観があります。その根底に、今日の古典名作は当時は対価に見合わず、売れ残ったものばかりという基礎知識もありそうで。今売れまくったら将来消えるという普遍的法則が、売り絵への傾斜を躊躇させているだろうと。

デザイン物と違い、一過性トレンドに色気を出すわけにもいきません。「あっちよりこっちが、より芸術的に感じられる、その根拠となる原理と、差異が生じる秘密はこうこう」という、選択分岐の説明がここでは中心です。人類史的な基準だから、美術学校や業界の風向きとは違っています。

ただし、より売れやすい方向と、より芸術的な方向が、ぴたり一致する場合もあれば、正反対の場合もあって複雑です。そのずれが日本よりEU国は小さかろうとの感触は一応あるのですが。EU国から日本に進出する画家が少ない点も、そのひとつの根拠です。
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|10-18|作家方針の工夫||TOP↑
電子版画を、電子絵画と混同した話がありました。両者は全く別です。電子版画とは、油彩画や水彩画を撮影しプリントした作品です。対する電子絵画とは、ソフトウェアで描いたサイバーアートです。筆記用具は、電子版画は筆で、電子絵画はポインティングデバイス。

プレス機、つまりプリンターなる装置で刷った平面作品を、昔から版画と呼びます。英語でプリント。西欧ルネサンスのプリンターは凹版のエッチングでした。一部の浮世絵で使われたプリンターは凸版の木版で、当時の新聞である瓦版も同じ方法。後世の教育用や家庭用プリンターは孔版のシルクスクリーンが多く、「プリントごっこ」という商品名が知られました。

現代では、まずオフセット輪転機があります。1990年頃にローン購入が流行った絵がオフセット版画です。次にチバクロームカラーコピーシステム、そしてカラーレーザーのコピープリンターが現れ、インクジェットプリンターやプロッターが登場します。1997年に記念すべき6原色インク。

現代の何が電子化かといえば、画像の供給です。貼り込みレイアウト用紙や、イメージセッター出力のリスフィルムから、パソコン出力のデジタルデータへと入稿法が変わった点。プレス機に送り込む情報からしてデジタルなのが、現代版画の特徴です。

ちなみに、電子版画はサブカルとは無関係です。コミケ系の各地催しでは漫画家のイラストジクレーが人気ですが、ネットショップでは油絵ジクレーの高級額付きが売れ筋の定番です。「非常にきれいだからアートです」がショップの言い分ですが、別に汚くてもアートです。

最も売れるプリントは、今も『モナリザ』と『ヴィーナスの誕生』だとか。こうした作者がノータッチの純粋な複製画も、ジクレーの美麗さに乗じて版画と呼ぶべきという議論があり、定義も少しずつ変動します。
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|10-17|ジクレー版画物語||TOP↑
最近、購入客がついたのはこれ。興味深いのは、サブカルがかった画に、ヨーロッパの関心が向いている傾向です。今に始まったことでもなく、ペーパーアートコレクションでもサブカルふうがいくつも売れていました。

以前は、「自分はサブカルだ」と言えば、B級グルメ的なへりくだった意味でした。イラスト系やコンピューター画なら平気でそう自称できても、誇り高き伝統的油彩画としては「わしゃサブではなくメインだぞ」と。しかし、サブカルと無縁の作風がめっきり減ったのが現状です。

カメラが完全に普及した今では、まず抽象画、そしてデフォルメや省略が進んだ具象画が前線にいて、芸術性を画策しています。デフォルメを進化させると、自動的に劇画ないし漫画とクロスオーバーしていって。結局、具象はサブカルふうへと向かうわけです。別にアニメ出身でなくても。

そして、サブカル度が19ないし88程度が人気なのです。100段階で。作品がサブカル度いくらかは、念のため点検してみるのもよいでしょう。

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ただし、これは整理整とんではありません。サブカル度5と95が出会うバトル企画も、ここではやっています。
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|10-16|展示会場スケッチ||TOP↑
日本の歌謡ファンが、一度は持つ疑問があります。歌手と曲の組み合わせが違えばどうなっていたかという、「たられば」考察です。歌が大ヒットしてスターに仲間入りし、紅白の名士に上がっていく歌手たち。世間に認知させた一発大ヒットの作詞作曲が、大御所先生だったケースです。

ちょっと待てよ、その歌手がその曲ではなく、平凡な曲をあてがわれていたらどうなったのか。その名曲が別の歌手に与えられていたら、別の歌手がスター街道まっしぐらだったのでは、という疑い。

この疑問の裏には、大ヒット曲の歌唱が意外に稚拙だとリスナーが突然気付いたり、凡曲を歌い方で大ヒットさせた実例がまずないなど、一定の根拠があります。要するにヒット曲は最初から巧みな作曲だから、何を指してヒット歌手の才能なのかが不透明なのです。

ここでクイズ。次の作曲は誰か。『上を向いて歩こう』『襟裳岬』『なごり雪』。すぐに歌手の顔と声が浮かんでも、作曲者は浮かばないのが普通です。歌っている人の自作だろうと、真っ先にイメージする庶民感情があります。そこに、美術の盗作もつけ込んでくるのです。盗作絵画は、秘密裏のカバーバージョンなわけです。

日本人は原作を軽視するふうに思われますが、シンガーソングライターへのリスペクトも常にあり、オリジナルにうるさい層が常にいました。ロックやフュージョンバンドは、コピー曲だけが上手でもプロ入りできなかったほど。
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|10-15|芸術の秘密と謎||TOP↑
画集の図版やジクレー版画と違って、絵はがきは縦横サイズが定型です。絵と絵はがきの縦横比はまず一致しないから、少なくとも一辺は絵が切れます。原画が細長かったり正方形に近いと大きく削られ、Fサイズのキャンバスもその傾向です。

課題はまだあって、絵の見せ場や重要部分が周辺近くにあって、裁断しろにはみ出すと仕上がりで切れます。この裁断しろがくせもので、理論値どおりとは限らず、うまくかわしたつもりが裁断ずれで切れることがあります。

これらの問題を軽減するために、トリミングによるカットとは逆に、描き足しという特殊な方法が考えられます。原画の縦横比まで、前もって変えておくわけです。しかしCG画のベタ塗りバックと違い、手描き絵画を周囲へ続けて広げるには、細かい手作業を加える必要があります。

熟練スタッフを長時間拘束するから、別途技術料が高めなのが普通。というか、単価が低廉な絵はがきビジネスでは論外です。絵はがきになじまないサイズの絵は、選ばなければ済む話でもあるから。しかしここではコレクション構築が優先で、二作目で早くも伝家の宝刀は抜かれました。

ブランド絵はがき

犬の左に芝の空間が十分ないと、原画とくらべて狭苦しくなります。同時に、右上のやまぶき色の小さい花が欠けすぎると、全体の華やかさが落ちてしまいます。そこで下部に絵を描き足して捨てしろをつくり、左右幅をかせいでいます。
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かなり前の『AnAn』『NONNO』など女性ファッション誌か、別誌かも知れませんが、「尊敬する男性は誰」という読者アンケートがありました。人気歌手やイケメン俳優に票が集まる中、ポツンと梅棹忠夫が入っていました。

梅棹忠夫は、大阪にある国立民族学博物館の初代館長で、日本の文化人類学の父、世界の文化研究の日本代表といった人物です。梅棹スクール出身の学者も次々と名物教授になっていたような。スクールの特徴は、解説文体が日常語調だとか。

梅棹忠夫が尊敬される理由は、欧米の民族学に先進国意識が潜むと戒めた論の一方で、川喜多二郎らのフィールドワーク技術をいわゆるB6カードの形に集約して、日本の学術界に普及させた功績が思い当たります。カードを使わない人も、方法論は使っているほどです。

日本で理科系、医科系のノーベル賞が続くと、大学の人文系を縮小して理系を増やす予算傾斜配分案が唱えられます。ところが理工系、医科系は人文系と裏でつながり、相互に成果と方法を糧としている伝統があります。

その裏返しが、たとえば美術を参考にして美術を作っても、塩漬け作品ができて低迷する法則でしょう。ノーベル医学賞の人が、美術館を運営していた報がありました。学問を全方位的に連携させ、個性競争が苦手な日本でもエポックが出やすくする団体戦の知恵ともいえそうです。
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|10-09|芸術の秘密と謎||TOP↑
日本を旅行した外国の人たちの手記が、よく話題になっています。自国よりも便利で、親切で公正だと感心した体験です。日本社会のシステムは正確で行き届いてスムーズだとか、業者も一般人も旅行者に温かく、出発前の心配が入国して吹き飛んだとか。

迎える日本人の行動規範は道徳です。規律や戒律や契約の履行ではなくて。損得勘定に優先する正義というか、物ごとのあり方、正しい秩序があるとして、守ろうとする日本人。相手と自分を入れ替える思考は長年の教育の成果で、一億総中流でモラルの底上げに成功しているのでしょう。

お客が多く払いすぎても、店員はラッキーとは考えず秩序の乱れとみて、正常に戻そうと反射的に数え直して返す。世がきしみなく円滑に流れるようにと。誰もが同一価格で、爆買いも単に個数倍。日頃の積み重ねが得とする長期的打算もない、生き方の美学でしょう。

こうした観光に向いた絶好の構えができていながら、フランスなどにくらべ国境を越えた来日客数がかなり少ないそうです。原因は行政の未整備で、例によってあちこちに法の壁があるからでしょう。自動車で言えば、ドアミラーは危険だからだめとか、さしたる根拠のない禁止事項の壁。

未整備の背景には、呼び込み宣伝活動への気後れもあるのでしょう。自然発生的に人気が出るのを待ちはしても、自分からは言い出しにくい性分です。日本発の美術にも、観光と似た面があろうと想像します。
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「優しくなるには強さが必要」的なフレーズがあります。高倉健もスクリーンで言ったような、言わなかったような。絵をかく時、そこはどうなのか。優しい絵に、強さは必要なのか。

強い調子の絵は、見る者を押し返そうとする。その逆の優しく引き込む繊細な絵が目標だからと、弱い感じに描く。そんな画家がいます。作者にヒアリングしなくても、そう絵に書いてあるし。しかし結果は裏目に出ています。

おしるこを甘くするのに塩を入れる話以前に、引きぎみの絵は普通は死んだように感じられるものです。死の表現でもなく、気の抜けた、だれた絵。引いたとたんに発言力が薄れて、本命の穏和な表現も相手に届かない。原理はともかく、結果はそうです。

つまり傑作の中には、強い絵と弱い絵の二とおりはないわけです。強い傑作と、弱い駄作に分かれるだけ。ではいったい何を指して強い弱いというのか、疑問も出るでしょう。簡単なことで、パーツが小さい絵は弱い。全体に対して部分が負けた状態。少ないおかずを、大きい弁当箱に入れた感じ。

それなら単に大きく描けば済みそうな話になりますが、実際にやるとできないのです。見えない描画プレッシャーに気持ち負けして、自然体で挑んでも小さく縮んでしまいます。良好な絵を目指して筆を手にした人は、例外なく全員がこの壁にぶつかります。

日本でよく言う絵の強い弱いは、たいてい商品価値の話です。買い需要に照らし、売れ線を強い絵と言っているだけ。企業株の強弱といっしょ。今はそのエコノミックな話ではなく、時間と空間を度外視した普遍性として、作品が場を支配する力の話です。
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|10-05|作家方針の工夫||TOP↑
昨日も、盗作で美術大賞が取り消しになったテレビニュースがありました。

日本で続く美術の盗作は、日本人の芸術観の表れです。盗作画家たちとて、別にでたらめな行動には出ておらず、日本人の感覚に適合した冷静な判断のうちです。盗作する側に、悪役キャラが特にない理由もそこ。

ならば盗作の原因となる、日本人の芸術観とは何なのか。それは芸術の意味を創造としないで、年季でにじみ出る味だとする一般常識です。

筋書きはこう。画家の卵は、偉い先生を目指して模写する。優れた絵の模写を続けるうちに、絵の心を学び、筆を運ぶ手が熟練していく。その手慣れの果てに出た味、美しく温かく心にしみる風味をもって芸術と呼ぶという。少なくとも日本では。だから、主に高齢者が芸術に達する話になっているわけです。

逆に、変わった方向へ走ったり、画面に革命を起こした創造行動は、それこそ懲罰の対象です。日本でオリジナルは、自分勝手な心の汚れた俗物の悪あがきとされます。それよりも、秀逸作品に敬意を払って模写する者の方が人格が上という、そんなイメージが国民に根付いています。

国内美術コンテストが、変わった方向へ走った絵や、画面に革命を起こした絵に賞を与え、どこかで見たようなありがちな秀作を落選させれば、画家も応じるでしょう。現実は正反対の扱いを受けるから、画家もそれに適した盗作という効率の良い方法で順応しています。そして現に大賞に輝いて、人々も頭を下げているわけです。
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|10-02|芸術の秘密と謎||TOP↑
新規絵はがき制作募集もリニューアル、リスタートしました。変更点は、ジャパン・フェスティバル・ベルリンを主マーケットとしたこと。そちらの方がずっと売れて、気を良くしたのがきっかけです。

また、現地では日本ブランドこそがバリューなのだから、思い切ってベルリンのギャラリー名を外して、日本の出版社名に替えました。これによって、ギャラリーが衝突する業界の禁断に引っかからずに、第三アートギャラリーへも置きやすくなります。

ブランドに関しても、寄らば大樹は日本国内での出世法ですが、海外では逆です。日本では、美術で穴場狙いする人は聞いたことがありませんが、海外にはかなりいるのが実態です。だから、絵はがきの背後にメジャーがちらつくとマイナスで、日本とは逆に孤立して浮いている方が有利です。

アーティスト名が変わったり、URLができたり変更時のお代わり制や、いっそ別の作品に差し替えてしまうオプションなども検討中です。日独間をリアル輸送するとハイコストなので、残った製品の扱いがネックですが。
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