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時々参加者から、「自分の作品は正統ではない」という声があります。外国へ出すには、日本の由緒正しさがあるべきという心配でしょう。しかし本来は制約はなく、何でもありが正統です。全ては許されている前提で。

「正しい美術のあり方」を考える時、真摯、真面目でひたむきな作品が真っ先にイメージされます。要するに、ふざけてはだめ、真面目にやれという指導。しかしこれは片寄った思い込みです。

歴史名作の真摯ぶり、正統ぶりは、名作と銘打って生じた後付けイメージであり、作者が追究したものは今感じるものとは違っていました。古典を見直すと、おふざけ混じりでニヤリとなったり、当時のなんちゃってギャグが意外に広くみられます。

「ドラクロアは最低」と言ったアカデミーの権化アングルも、けっこう変な絵を作っています。往年の芸術家は、意外に聖俗反転や無茶振りやキッチュを織りまぜていて、真面目一筋の作品とは違うという。

ゴッホの『ひまわり』は、今では真摯な絵に見られますが、当時は勘違い作品として笑う対象でした。今昔のギャップがないかのように誉めそやすのでは、実は誤解釈しているといえるでしょう。異端たれではなく、美麗たれの意味で説教する材料にゴッホを使うのでは、歴史から学べません。

アートに欲しいのは真摯より事件性です。何かアブノーマル要素。少しでもよいから。しかし、自然志向が根底にある日本の美術は事件性が乏しく、だから作品の事件と聞けば不法行為の話題に向かいやすいような。書類送検や裁判の話が先に来るような。作る側も、警察官に背けば芸術に届くつもりでいるような。
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|05-28|芸術の秘密と謎||TOP↑
日本の新しい美術が欧米にくらべてひどいのは、美術大学の教育問題が原因だと多くが指摘しています。内容も教え方も、教官たちの間違った芸術認識で歪められ、学生たちが育たないという。

しかし、その指摘にそもそも大きい落とし穴があります。さらに上位にある「事件」を見逃しながら、教育システムや教官の質を細かく語り尽くしても、出口は見えません。

上位にある事件とは、文明が進歩すれば文化が退行する宿命です。人類は年々芸術が苦手になっていくという、生物種の運命をわきにどけてはいけないはず。教授の質すら支配する、大きいメカニズムがあります。

焦点は、人が文明と文化の関係を正比例だと誤認する点にあります。文明の利器を多く持つにつれ、芸術の理解力も上がったとみる心情が原因でしょう。たとえば、大きい車を持っている人ほど、より芸術をわかっている人だなんてイメージはありませんか。本人もまた、所持品が上等なほど芸術の意識高い系に近づけた自覚。

ということは、美術学校にいくらしっかりした教官を集めても、人類の運命どおりに芸術から遠ざかる流れは回避不能です。生気なき作品から出られず。この温順な流れから逸脱した異常な人間がいて、初めて芸術に近づくというか復帰できる理屈です。

外国の美術大学でそれができているとすれば、後年ほど文化が落ちていく前提で動いているのかも知れません。日本でその前提が視野にない善人や人格者を今後いくら増やしても、好転はないと予想できます。
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|05-25|芸術の秘密と謎||TOP↑
『サヴォア邸』『ロンシャン礼拝堂(教会堂)』で有名なル・コルビュジェ。各国にある建物17点がまとめて世界遺産登録になるそうです。『上野の森』の『国立西洋美術館』(1959)も含まれ、晴れて永久保存となります。

コルビュジェはピカソやストラヴィンスキーに近い世代で、世界を現代へと変革した近代巨匠の一人です。装飾のないモダニズム建築で、当時の新工法の鉄筋コンクリート造をシステム化した功績が大きいでしょう。マルセイユとベルリンなどの高層集合住宅『ユニテ・ダビタシオン』が、日本にも多い下駄ばきマンションの原型といえます。

人間の寸法から割り出した数字を単位とする、モデュロールという手法も特徴です。後世のオリンピックスタジアムのような大規模架構でも、その思想は応用されています。

コルビュジェは彫刻志望でしたが、立体派ふう具象混じりの抽象画も印象的です。ピカソほどの重いごってり感はなく、明朗でインテリアアート的。最初の建築は、偶然ピカソの『アビニョンの娘たち』と同じ1907年だそうで、この時歴史が動いた感があります。
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|05-19|芸術の秘密と謎||TOP↑
今、通信用パソコンを取り替え中で、本来の作業が遅れています。旧機から新機へのスイッチですが、絶版の旧ソフトから新ソフトに乗り替えるしか選べず、やはりトラブルに気づきました。

ひとつは、インターネットエクスプローラー(IE)11のフォント表示問題です。MS社はフォントを見やすくしようと独自の代替や字間広げを行い、これはW3C(WEB標準化団体)の勧告に反します。サイト設計側の指定を優先するのが、その勧告です。

何ポイントの何パーセントという科学的ルールを破ったブラウザだと、たとえば一行に収まるはずのタイトルが二行に渡り、サイトが崩れます。IE11で見ると、逃げマージンがあるリキッドサイトのYahooも崩れています。このブログも崩れていて、テンプレートを取り出して補正しました。

それでも収まらず、一字だけ改行された部分が散見されます。Firefoxだと一行にちゃんと入りきっています。作家サイトワークショップでも起き、全ブラウザで映るとしてWEB業界で推奨されてきたフォントセットなのに。物語サイトもIE11で一字あふれた部分があります。

MS社の言及は、「ゆとりあるサイトを作りましょう」と非論理的な案内で、崩れる以前に一社だけ違って映ることが問題でしょう。IE離れが進みFirefoxがシェアで勝った原因は、自分のブログやサイトを見て崩れていた体験かも知れません。
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|05-16|作家サイト作戦||TOP↑
シンセサイザーという楽器が広く知られた発端は、ドイツ系スタジオ・ミュージシャン集団ホットバターの『ポップコーン』(1972)でした。世界的ヒットとなって、テレビ『吉本新喜劇』でも使われたり。後にテクノの元祖に位置づけられています。

シンセサイザーの初期メジャーアルバムは、キース・エマーソン(1970)と冨田勲(1972)が有名。両者が使ったモーグ博士の大型シンセサイザーは、エマーソンも開発参加したもので、バッチケーブルでつなぎ、音が出なかったり止まらなかったり苦難の機械でした。単音なのでマルチトラックレコーダーが前提で、ステージに何台も置いたのもその対策。

当時語られた夢は、どんな音でもつくれる万能性でした。出せない音はないと。正弦波をフィルターで自在に変形し、自然音も出せる原理です。実際にはエマーソンも冨田も、未来的な宇宙音を多用しました。

ただし、ノスタルジーはあったのです。同時代の人々はノスタルジーとの接点も期待しました。ノスタルジーとの接点がほとんどない楽器テルミンは、結局広まりませんでした。

コンピューター・グラフィックスもそのニュアンスが似て、既存の光景を模するより、いかにもCGらしいSF画が多い傾向があります。色も派手で。このように新しい道具が新しい世界像を生み出すことが、伝統の発端となるのでしょう。

そしてやはり、古い道具である絵具とキャンバスとの接点もCGに求められていることを、ジクレー版画を販売して感じています。
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|05-12|芸術の秘密と謎||TOP↑
今、制作募集している作家サイトは、見せ場づくりに力を入れています。一般サイトの不満点を改善し、読者と楽しい出会いができるように。

しかし、その読者とは誰なのか。そもそもネットでは情報デフレが顕著です。作家サイトを出しても何も起きなかった体験は、情報発信する値打ちが下がり、場の権威がすでにないという理由もあるでしょう。ネット空間が輝いたのはネット普及前の1990年代でした。

その頃に画廊サイトという場がありました。入会金や年会費を払い、作品画像を置かせてもらうバーチャルギャラリーです。その手の有料サイトも2006年頃には絶滅し、次に流行ったのは芸術家無料相互リンクサイトでした。しかし20カ所登録しても効果はなく、Googleがスパム認定したせいもあって下火となりました。

一般人がネットで美術家探しを行うのはまれで、主に同業者がネタ探しや勉強に来るだけです。だから、アクセス増にコストをかける意味はそれほどありません。皆から見つけ出されるためではなく、対面用のポートフォリオ役が作家サイトの実際なのです。

そして、無料サイトの普及で価値が落ち、サイトを持っても尊敬されず飽きられている前提で、デザインをどう差異化するか、相手に違いが見えるかという細かくて大きい課題が残っています。
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|05-09|作家サイト作戦||TOP↑
この活動の説明が、ある部分でどうも遠回しの書き方になります。その部分とは、制作のアドバイスやアシストです。

「あなたの素晴らしい作品を、外国に出すチャンス」とは言わない理由は、どんな作品も十全ではなく、最初は何かが足りないからです。現地で大いに称賛された場合でも、足りない何かも同時に指摘されて、売れるところまでは行かなかったりがあります。

そこで、「好きなものを出しましょう」ではなく、「得るものが多い作品を選びましょう」に変えました。たとえば作品選定で自薦と他薦のずれがよく起きて、作者は自分の代表作を意外に外しやすいのです。作者を補強する必要を感じています。

プロデュース面をここでうまく言えない理由に、「芸術は自由」というテーゼがあります。現代美術は自分本位を尊ぶ自由主義です。そのせいでアーティストは自己責任だけを負って、実は孤立しています。外国には画壇の団体がない代わりにチーム戦略があり、結果的に芸術性の実現に内外差が生じています。

日本の作家を外国で知らしめるには、やはり作品の引っかかりづくりに課題が集中します。実力を試す企画から、実力向上を図る企画へ変化させました。「ご指導いたします」では偉そうだから、作戦会議としています。
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|05-08|物語の局面||TOP↑
出版不況はインターネットが情報を提供したせいで起きたという、間違った説明が日本に出回っています。書店が撤退し始めたのは1998年であり、その時まだ日本にインターネットは普及していません。当時の日本はネット後進国と言われました。だからインターネット博覧会を開いたわけで。

日本の出版不況は95年から表に出た不景気、バブルがはじけ不動産暴落で銀行が経営難となる中で生じました。あの頃、国民の一人一人が倹約に努め出し、真っ先に本を買うのをやめたのです。毎号買った雑誌を増刊号だけにするとか、年に52冊買ったのをゼロに減らすとか。

本なんて読みませんと言う最大の動機はサイフ事情であり、貧しくてケチになったから。だから、国民の精神的な変化やら、思想哲学の変容をいくら分析しても無意味です。今すぐ余剰金ができれば、今すぐ本を買い始めるのは明らかで、現に立ち読みは相変わらず多く図書館も盛況です。

トランプ大統領候補への追い風は、グローバリゼーションで生じた中産階級の没落です。「強いアメリカ」の正体は、誰もがダッジに乗れた経済配分でした。書籍は中所得者が安定的に購入する商品なので、そこが落ちると出荷は激減するでしょう。一人が同じ本を二冊は買わないし。

こうして本離れが進んだ後で、後発のインターネットが代替となった順序です。ところがネットの無料情報は書籍よりずっとラフだから、インターネットが出版不況を起こしたという間違った説明も、コピペで広まります。ネットには、際どい事情を丸め単純化して済ませる欠点があります。簡単に言えば間違い情報推進本部。
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|05-06|作家サイト作戦||TOP↑

日本現代美術をドイツへ

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