中村紘子が以前ラジオ番組で力説したのは、コンクールの一位の正体でした。非常にうまい凡が選ばれる傾向があって、突き抜けた非凡は優勝から外れるという話題です。

その意味は、刺激や毒を欠いた健全なピアノ演奏に、民主的な票が集まってしまうので、天才の芸術が表に出にくいらしい。選者たちの深層心理に嫉妬心まであって根深いという、えぐい話が十八番の硬派の人。

この法則は各界でよく言われていて、建築設計競技でいえば佳作か二位が芸術的で、一位は事務的で不動産的な傾向です。突き抜けた独裁的な審査委員長がいない限り、創造は浮かばれないという。珍しく花開いた例は、シドニー市のオペラハウスでした。

日本の文学賞で、過去に何度か審査員の辞任劇がありました。変な小説を選ぶ審査団に抗議した保守もあったし、変な小説を選ばない審査団に抗議した革新もありました。国民は何が何だか構造がわからず、ついていけずじまいだったような。

「個性が価値で芸術である」と言い切るジャズ演奏と違い、クラシック演奏では個性はグレーゾーンです。得点か減点かわからない分野。クラシックを自由な音楽と呼ぶ人は、さすがにいないわけで。中村紘子もアンドレ・プレヴィンの逆コースで、ジャズピアノトリオでも組めば上原との共演もあり得たかも。
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|07-31|芸術の秘密と謎||TOP↑
サイト(ホームページ)のレイアウトが、ブラウザソフトによって多少違って映る体験はよくあります。時にはレイアウトが崩れて映ることも。こうした表示の差は、ページを切り換えた時の挙動でも生じます。

このブログ記事を映し、左のリンクを押して過去記事に替えた時、Google ChromeやFirefoxではなめらかに切り替わり、Internet Explorer(IE)ではガクッと粗雑に切り替わります。

IEの粗い動作は、ページ全体を再描画するせいです。前ページと後ページで変化しない部分も、いちいち全部消して映し直すオールクリア方式のせいで、「またたき」が目立ちます。昔のWindows版イラストソフトで、マウスでつまむたびに画面全体がバウンドしたのと似て。

Google Chromeだと、変化しない台紙や画像は消さずに映し続けるという、最小限のリフレッシュ処理が功を奏し、またたくような暴れが起きません。差がある部分のみ、さりげなく差し替わる感じ。ビデオボードへの描画命令がスマートです。

この違いは、ブラウザソフトが使う描画プログラムの違いです。アウトソーシングで作られた描画エンジンなるものは、それぞれ異なる特徴を持ちます。異なるブラウザソフトでも、同一の描画エンジンを採用すれば、映り方は同じです。日本製の描画エンジンも存在します。

WEB制作業者は映り方の違いとシェア動向とで、ブラウザ最適化を行います。昨日まで無料アップグレードできたWindows10では、IEからEdgeに替えてあり、そのシェアで制作のツボも変化するでしょう。
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|07-30|作家サイト作戦||TOP↑
スマホ用ゲーム『ポケモンGO』が大流行する一方、プレイ中の人が危険な地に入ってしまう事故も起きました。現地に足を運び、現地をGPSで映した端末にバーチャルモンスターが現れ、ハントするおもしろい仕様です。あそこにいるぞと進むと崖から転落したり。痛みがリアルで、命まで捨てたり、墓にまで行き着くアドベンチャーゲーム。

いつか画面が全て実写になれば、イラストを重ねたファンタジー映画のように、不思議な違和感が楽しめるでしょう。それは現代アートに見えるかも知れません。そこに、芸術と文明の衝突と交錯を連想しました。

かなり前から、美術は出尽くしてやることはもうないと言われてきましたが、そんなことはありません。写実画の上からフェルトペンでかいた作品さえ、出てこないことでわかるように。

アートの破壊方法もピンキリで、展示室に便器を置く破壊活動なら、作家に痛みはないし平気でしょう。しかし自分でリアリズム画をたんねんに描いて、その美しい完成画の上からイラストを描き足す破壊は、普通の神経ならできないでしょう。

自分の否定はやめましょうという限界は、やっぱりあるのです。何でもありなんかじゃない。グロ系も含め世の破壊アートは、意外に安全圏で回っている疑いがあります。破天荒にめちゃくちゃに投げ出したようで、実は痛みのない、命も捨てない現代アートなのかも。

ポケモンGOのプログラム合成画像を見ていると、リアルとバーチャルがこんがらがって、次元が突き抜けた未来のアートを浮かべました。
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|07-28|芸術の秘密と謎||TOP↑
『文明の衝突』というハンチントンによる概念(1997年出版)は、ベルリンの壁崩壊とソ連分解で、共産主義対資本主義の東西冷戦が終わると、次は異種文明間の紛争になるという予告でした。あれから19年、9.11を経た世界はその予告どおりに向かっています。

昨今の衝突には二つの対立軸が目立ち、ひとつは宗教対宗教、もうひとつはローカル経済対グローバル経済です。不穏な死傷事件が目立つ国には、この二つの対立軸が目立ちます。一昔前の方が幸せだったと言い出す先進国が、急に目立ち始めた今。

日本文明は日本国にのみ存在し、農耕の土着主義のせいで衝突を免れているかっこうです。距離を置いた親キリスト、親イスラムにより、あつれきは十分軽減。ただし、経済のグローバル化で弱体化した先進国の典型です。

内部が貧困勃発などで斜陽になると、外交が攻撃的になるのが国家の常です。日本もまた、文明の衝突に加わる用意を半分は完了しています。

日本が三次大戦に巻き込まれるなら、最大の伏線は安保やNATOや憲法ではなく、善良な国民同士の経済的対立でしょう。最近の銃乱射や爆破の犯人が真面目な良き人柄なのは、文明衝突の本質を暗示させます。

前回の世界大戦では、直前にシュールレアリスム展がありました。不穏な事件が増えて、告発アートも増えた頃。各国が黙っているのをやめて積極的に解決に動いた時に、二次大戦が始まりました。
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|07-26|ニッポン事情スケッチ||TOP↑
ここでの作品募集範囲は、古代、中世、近世、近代、現代まで何でもありですが、そもそも現役作家の新作は現代美術に決まっています。実際に現代風なのだし、ドイツで「現代美術展」とわざわざ銘打った展覧会は覚えがなく、アートフェアの参加作品も全て現代美術です。

それに対して日本では、現代美術の語に特別な仕切りがあり、隔離的に扱う傾向があります。一般的な美術という範囲がまずあって、対して現代美術という特殊なカテゴリーが別にあって、両者の間に高い壁がある感覚が日本。ひとつは理解の壁です。

わけがわからず、突飛で難解で、狂っていたり、お馬鹿な作風。作者も何かおかしい人だったり、外国の時流をまねた若者の軽薄や傍若無人とみるのが、今も残る現代美術のイメージでしょう。日本の大御所や重鎮は、現代美術なんかに間違っても手を出さず、勲章推薦もない話。

日本国民が現代美術展へ行く動機は、ケーキを食べる別腹に似た第二の関心であり、どちらかといえばお化け屋敷に入るフィーリングに近いというか。暴走族の集会イベントを見に行くに似た、好奇の対象。

こうした空気の日本国内で現代美術を作ると、先進意識やはみ出し者のヒロイズムさえ生じますが、輸出すれば無効です。向こうへ持って行くと悪役でなくなり、誰も飛びのいてくれない。モチーフ不明の抽象絵画ぐらいでは叱られず、既成の概念への挑戦とも受け取ってもらえず。何をやれば悪役になれるかは、また別にあります。
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|07-24|ドイツ事情スケッチ||TOP↑
日本で多い振り込め詐欺。簡単に引っかかるのが不思議だとの意見が、国内に多いようです。しかし実は注意力ではなく、結論ありきの思考によってだまされ状態が継続するのです。

「息子をめぐる大事な交渉中だ」の結論ありきだから、それニセ電話だよと周囲から忠告されると、大事な時にじゃま者が現れたと腹が立つだけです。入金を妨害する意地悪な銀行員を倒して送金を遂げたり、怪しいとか何とか言ってからんでくる悪徳警察官に立ち向かった父母さえいて。だまされている最中の哀れぶりは深刻です。

振り込め詐欺とそっくりなのが、誤認ドライバーです。知らずに高速道路を逆走したり、AT車を急停止させようとスロットルペダルをひたすら踏むドライバー。3つの当事者はやっていることがそっくりです。

間違った結論から逆算して物語を組み立てる脳のはたらきによって、最初から敵と味方がひっくり返っているわけです。その洗脳効果は絶大で、市民に啓蒙する役所職員も引っかかったほど。注意力の問題ではなくて。

そもそも結論ありきは、人が得意とする思考法です。たとえば刑事の勘がそうで、しょっ引く人物に沿って証拠を作り変えたり隠したりとか。芸術鑑賞なら、公的評価がちらつくと見る目ががらっと変わるもの。結論から逆算する思考が、脳内を完全に仕切るのです。

振り込め被害が減らない理由は、冤罪事件の多発や、芸術鑑賞が引きずられる現象と同じです。注意深くなれという啓蒙は、脳のはたらきからいえば無意味です。「簡単に引っかかるのが不思議」「途中で気づくだろ」と言う声の多さが、だまされる人の多さを説明しています。
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|07-20|芸術の秘密と謎||TOP↑
ジャパン・フェスティバルで、いち早く完売した絵はコラボレーション作でした。編集も加わって三人がかりになりましたが、日英共作の時点で構図バランスがうまくできているとは感じました。

分担作業だと散漫になりそうに思えますが、攻め手を伸ばす利点はあります。たとえば他人が描いた背景に、自分が描いた人物を合成すると、自由度が上がります。自分作の背景だと、たくさん隠れたら嫌だから人物を小ぶりにとどめるなど、知らぬ間に萎縮しやすいのです。

作品への愛着が壁となって、飛べなくなる場面は意外にあります。「完ぺきに作ってあるので、何も足さないで何も引かないで」という思いも、萎縮フラグです。トリミング絶対不可など。他人の目には完ぺきでなく改良の余地が大きくても、自身には満点に映る現象だと疑う必要があります。

作者がいだく絶対感に永遠の真理はなく、自意識で作品が頭打ちに停滞する例は多々みられるのではと。

逆の飛躍が起きた一例が、マルセル・デュシャンの『大ガラス』でした。絶妙に組み立てた透明な作品が、運搬中に壊れてしまったそうで。たくさんのヒビが入ったガラス板を見て、デュシャンは「これによって作品は失われた」と言わず、「これによって作品は完成した」と言った伝説。
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|07-17|芸術の秘密と謎||TOP↑
日本と違って欧米では、素性のわからない一見さんの作品でも買い手が現れます。だから、外国遠征が初参加の画家が売れることも割とありました。作品の実物を見せているのだから、値打ちを測る材料は足りているわけで、相手は作品をよく見ています。

一方日本で展示を行うと、相手が見たいのは作品よりも値打ちを裏づける資料かと感じることがあります。世間でどういう評価なのかを知りたがるとか。作品実物は補足資料みたいで。日本では人々が自力で見ない前提ができていて、結果的に欧米の方が売買数も圧倒的に多いという。

それなら日本から欧米へ何でもどんどん送ればよさそうですが、日本の作品価格では高すぎます。オープン市場では、安い優れものを探そうとしてコスパ狙いが起きているからです。現地での相場は日本より常に低く、さらに値引き交渉も始まります。

それなら値段を変えて済むかといえば、内容もいじる必要がけっこうあるのです。国内では作品向上に、周囲があまり関心がなかったからです。優劣は評価情報に従うから、内容にシビアにならずに済んだ。買うわけじゃなし、美術家が何をやろうが割とどうでもよかった。買うものがないと文句を言うお客もいないし。

内容がさして注視されない環境で生まれた作品に、不足やスキが多いのは自然の成り行きです。なので海外進出するには、日本では二の次でも済んだ作品内容に、改めて本腰を入れることになります。
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|07-13|作家方針の工夫||TOP↑
海外には十八歳で成人する国が多く、日本は二十歳です。国際化の流れで、以前から世界に合わせるかが争点になっていました。結婚や酒、刑罰も関係します。そこでまず、日本でも選挙権は十八歳に下げており、その後の初の国会議員選挙が今日です。

若者の視点で新風が吹く期待と、二十代の投票率を上げる助走期間の意味があるでしょう。新参者は選挙公報を読んで、難問と感じたはず。しかし組織票でない限り、有権者全員にとって投票は常に悩むものです。

候補者の誓いや公約にウソやハッタリが多い上に、当選後に逆の行動をとったり政党を移るのも可という。特権が目当てで働く気はなかったり、最初から名を売って転身する踏み台目的も意外にあると、早い人は十八歳で知ることでしょう。

三十年も前から日本を変える総理大臣候補として期待され続け、国際都市のトップに登った偉人が、大騒ぎになったのは一カ月前でした。税金から不労所得をつかむ格好の場でもあり、善意と悪徳を見分け切れない限界に、未成年も巻き込まれていく初回が今日。

未成年のラスト二年があいまいな身分で、何かもったいない感じは前からあったのですが。イギリスよりは慎重でも、一応改革はスタートしました。
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|07-10|ニッポン事情スケッチ||TOP↑
事件のニュースで出る、「牛刀」(ぎゅうとう)という名称。ネットに、この刃物の異常性を手がかりに、犯人を推理する人が大勢現れます。牛を一撃で倒せるゴツい刀剣かナタ類が、街で振り回された猟奇的な事件として。

何のことはなく欧米の家庭に普及している万能ナイフで、肉と野菜に適した洋包丁のこと。日本でも所帯を持った最初の一本は、文化包丁か牛刀になります。珍しい道具におびえるその人の台所にも、牛刀はたいていあります。果物ナイフも、牛刀を小型にしたフォルムだし。

要するにこの日本語名称は、現代人の意思疎通に使えません。「役不足」や「号泣」と同様に、受け取り方がめちゃくちゃになるのです。事件現場で目撃した通報者も、闘牛の剣のつもりで牛刀と証言したかも知れず。

このように誤解を招く名称はあちこちにあって、たとえば日本人の間でよく知られた単語「美術」もその代表といえるでしょう。世界のアートワークにくらべ、日本の美術品は意味が狭いから、すれ違いも起きます。

日本人が心得た美術の「美」は、美貌の意味に片寄っています。きれい系への偏愛というか。だから美術と銘打つ作品は、目の保養向けの狭い範囲に集まりがち。少しひねって作ると美術の概念から容易に逸脱し、やむなく「造形作品」「造形作家」と別の語を当てている始末。

明治以降の日本のアートは、ビューティフルの形容詞をセットにしたせいで、制作も鑑賞も自由度が落ちたでしょう。牛刀をタネ明かしされてなお、闘牛や食肉解体の連想から完全には抜け切れないのと似て。オリンピックを五輪と呼び替えた上手とは対照的に。
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|07-06|芸術の秘密と謎||TOP↑
ベルリンのアインシュタインが1922年に来日して講義を行った際に、書き込まれた黒板が日本側で保存されていた裏話がありました。黒板は紛失し、でも写真は残るから今でもジクレー版画にできる理屈です。

作品が平面でも立体でもジクレーにできるから、ジクレー作家と言うだけでは何屋さんかわかりません。近年はゴッホのジクレーも普通に売られていて、アナログ時代の古典画家さえジクレー作家に含まれています。

普通にジクレーと聞けば漫画やCGを連想しやすいのですが、日本のネットショップで最多はおそらく具象の油彩画、それも風景画でしょう。また意外に多いのは版画です。石版画を原画としたジクレー版画という具合に。

手製版画の中には、歩留まりが低くなる技法があります。手の込んだミクストメディアだと、一枚刷ったら版が壊れるとか。そんな場合も一枚だけ刷れば、後はジクレーで増刷できます。量産に耐えない複雑な版画技法でも、ジクレーでつなげば成り立ちます。

参加者へのガイダンスで、思い切った活用も始めています。作品面積を大きくできない小さい筆記具の絵や、長期保管できない素材だったり、内外価格差が目立つ高額作品なども、ジクレー化で市場に乗せて有利な展開に変えられるでしょう。

定型用紙が制約になる場合は、余白が確保できる大きい紙に最初に描いておいて、デジタルの段でカットすれば、紙の端を気にせず伸び伸び手が動くでしょう。手がきの制約からいったん出てから戻ると、手がき技術が強化される効用もあるでしょう。
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|07-05|ジクレー版画物語||TOP↑
「Choshi Art in Fukuoka 2016」
~九州で華開いた仲間たち~
2016年7月19日(火)~24日(日)
10:00~18:00 (初日は14:00から 最終日は17:00まで)
山本文房堂
810-0041福岡市中央区大名2-4-32

新興の伝統工芸品「彫紙」の展示会。大胆な凹凸と色彩配置、精緻な彫りで魅せるレファレンス的クラフト。すでにベルリンでお披露目し、販売向け小品が完売した実績。
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|07-04|参加者ニュース||TOP↑

日本現代美術をドイツへ

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