日本の美術家が外国に作品を持ち出す裏には、日本美術界の貧困があります。市場らしい市場がなく、売買が少ない経済面の貧困と、市民が美術作品をあまりよく見ていない貧困です。だから海外展には亡命的な意味も含まれます。潜在的な美術難民。

たとえば、日本の歌手や俳優が絵をかく。あるいは騒ぎを起こして事件を起こす自称アーティストたち。彼ら彼女らは、やはり悪く言われています。名前さえ先に社会に通してしまえば、作品は何だって通用して高く売れる。「アートなんてお気楽な仕事だよな(笑)」「総理大臣と裸で握手すれば僕の絵も高く売れるよな(笑)」と。

そこまでわかっているなら、市民は日本に隠れている本気な美術を探せばよいのに。音楽を探す時の熱心さを美術に当てて、ああいうのもある、こういうのもあると話が広がってもよいのに、静まりかえっています。

日本を代表するアート作家は誰かという話題になると、結局は歌手や俳優や事件アーティストの名を次々とあげています。思い当たる全て。それらネームタレントたちを楽勝で上回る作品を、美大出身者に限っても大勢が現に作っているのに、市民は相手にしない。

しかしこの現象に、理解しがたい点はありません。要するに市民はアートが全然わからないから、出回っている名前を支持する以外にないのです。嫌って叩くのも好いて称賛するのも、その範囲内。ならば、誰が市民をわからずやに育てたのか。欧米の市民はそのようになっていないのに。

日本の美術界は対処を誤ってきたはず。具象画壇はピカソ信奉者をおさえるために、市民の声のうち抽象がわからない声に同調した。ポピュリズムに乗じ、写実画の優位性へと我田引水した。黒田清輝の地位を守るために。薬が効きすぎて、黒田を信奉する本職画家たちも、歌手や俳優の陰に隠れる始末。他国の反日教育のブーメランを笑えない事態です。
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|01-30|ニッポン事情スケッチ||TOP↑
ジャパン・フェスティバルは、ジャパン・エキスポと並ぶ日本特集見本市で、市民レベルの文化交流祭です。2017もまた、どんな作品も売れる範囲に入れるべく、編集で加勢できるジクレーアートで挑みました。

1月21日、22日の結果は、ジクレー版画は前回より売却数が増え、再び2ケタ。出品総数はわずかに増えただけなので、ひとまず成功です。一人3~4点の出品が増え、無駄のない厳選したコレクションでまとめました。

結果は予想にだいたい合いましたが、やはりサプライズがみられました。今回はモノクロ線画の抽象がいくつかあって、色々と策をこらしたものの、会場では具象が優勢となったように感じられます。次の課題です。

ヨーロッパでは、購入というかたちで評価が出される上に、比較的廉価なジクレーだと、高価で手が出ない問題は小さくなります。購入に至らなかった作品も、反響を調べているところです。

ジャパンフェスティバルベルリン2017会場

この写真は人が少ない時間帯です。原画は平穏な日本画で、ドイツに送りにくい大型サイズで、しかも過去に売れて他国にあります。夏の頃から何度も濃度を変えて、篆刻とサインも何案もやり直した版で、絵と作業の季節が一致し、よい感触でした。
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|01-28|展示会場スケッチ||TOP↑
このところ金星がとても明るく輝いています。大気に光がにじみ込んで円盤状に見えるほど。金星も月のように満ち欠けするから、半月のごとき半金星になりますが、金星が明るくなる理由は月の場合とは違い、地球のそばに来るからです。

三日月のごとき三日金星になった時、光る部分が細い割にやたらクローズアップされて強く輝きます。今は金星の左上に火星があり、やがて近くに月が来る予定です。正月三が日にも月が来ていましたが、ベルリン展示のことばかりで気づきませんでした。前の冬は木星が仕切っていましたが。

日本から送った探査機は、金星の軌道投入に失敗していて、再トライでかろうじて成功しました。ずいぶん前のことかと思ったら、今調べると13カ月ほど前の話。それから観測は続いていて、ただし表面に降りられないから地味な観測になっています。

ところが、ソ連は金星の地盤部分をすでに撮影していて、そのルックスがまた他の惑星と違います。生物が火星におらず金星にいた場合は、大きいサプライズとなるでしょう。まさかの逆転。

ゴッホと同時代の人は、ゴッホの絵が売れるようになる未来は、まず考えなかったように思えます。その証拠は、ゴッホの死後に絵の奪い合いが起きていないから。所有権や相続をめぐる裁判もなし。要するにゴミ扱い。

ゴッホが出世する確率の低さは、あたかも金星で生物が見つかるほどの意外性だったろうと、今想像しています。だからゴッホへの認知は、同時代の人が心を入れ替えたのではなく、世代交代で進みました。ゆっくりすぎる逆転の金星。
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|01-26|芸術の秘密と謎||TOP↑
海外の美術展に一度チャレンジして、特に評価もなくそれきりあきらめた方は、おそらく日本中に少なくないのではと思います。そんな一方で、作品を改良しながら徐々に評価を上げているケースもあります。

これも一種の人生問題でしょうか。よくあることで、テレビなどに突然現れ脚光をあびて話題の、時の人。うまい芸の思いつきがポンと当たったスピード出世かと思ったら、15年も前から同じことを延々と続けていたとか。

美術も石の上に三年だと足りず、急ピッチでも5年単位が現実です。その行動を追い越すかのように、こよみの年月がスタコラ走っている感覚です。ためらって立ち止まると、空白ばかりが増えてしまって。年輩になるほど、「ついこの前」が7年前だったりする現象と似て。

企画の中では、連続参加による制作の堂々巡りが減るよう、合理的な打つ手をともに考えることが増えています。展示会で売れなかった時、一人で考えても次の一手を決めにくく、しかし止まると復活できないことも多いし。こういうものは、不発の後のリカバーが意外に大事なのかも知れません。

ただしやるべきことは、全方位に広がっているわけではありません。つまり、日本では根本的に「濃い世界観」を敬遠する傾向があり、通俗的にいえば個性嫌いです。日本に暮らすと刷り込まれています。その部分を伸ばす作業が、作品改良の中心となっています。
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|01-25|作家方針の工夫||TOP↑
1月20日に就任したアメリカのトランプ大統領の欠点は、恨み深いところ。敵の矛先を笑ってかわせない神経質が、折々に摩擦を起こすでしょう。

しかし最も致命的なのは、敵を間違えた思い込みかも知れません。アメリカ国が損をさせられている構造は現にあるわけで、TPPが代表するように資本家の財テクのせいで、産業が食い荒らされる問題です。しかも利益は国に入らず、タックスヘイブンに隠匿されるし。

TPPは国と国の闘いではない。アメリカに工業製品を捨てさせ、日本製に勝たせる。その代わり日本に農作物と医薬品と保険商品を捨てさせ、アメリカ製に勝たせる珍アイデアでした。TPP文書の作成はアメリカ政府ではなく、富の偏在を糧とするグローバル企業の顧問弁護士なのがその証拠。

世界を股に各国企業の株を売買する1パーセントの資本家が、99パーセントから搾取する。そこにメスを入れれば彼はヒーロー。なのに彼がアメリカの敵を国単位で考えているのは、グローバルな新自由主義経済を勘違いしている疑いあり。外国の政府が敵だと誤認しているミスです。

1と99のバランスが崩れた格差拡大で、英米は内部分裂しています。EUや日本など先進国の低調も。そこをトランプ大統領が誤解するなら、反トランプのマスコミたちはそこを意図的に黙っていると予想できます。彼が国際構造からずれたまま倒れると、1パーセント側の支配力は温存できるから。電波放送は許認可事業ゆえ、1パーセント側と縁故を持つ構造です。

さて、似た勘違いをアートで探すと、「芸術が堕落している」の訴えが似ています。確かにそれはあるとしてさらに話を聞くと、「近ごろの作品はきれいじゃないからだめだ」と言う。太古から芸術はきれいごっこでなかったわけで、せっかくよいことを言いながら根拠は「そこかよ?」と、そんな感じ。
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|01-24|美術の基盤は経済||TOP↑
ジャパン・フェスティバル・ベルリンの2日間、1月21~22日は無事に終わりました。前月に1キロ先でテロ事件があったので、とても心配でした。

お客は多く、最多の時間帯はやはり混雑状態になったようです。ドイツでこんなに人が多いのは初めてという声が、スタッフ役のアーティストから入りました。混雑時は、人の壁で写真が撮れないのがちょっと悩みです。

前回は花火売り場ふうの構えで挑みましたが、今回はごく普通のレイアウトだったようです。成果はこれから分析し、次に活かします。反省会があります。

サブカルが牽引する日本イベントの中にあって、アートフェアコーナーは常に発展途上だと感じています。つまり、皆の出し物が異なる傾向に変わると、そのまま異なる世界に変わってしまうでしょう。

そういう新進の場なのが、冠を付けた老舗アートフェアにない自由感です。こちらの出品はサブカルの文脈に何となく乗せながらも、ピュアアートの本線をけっこう守っています。

少数精鋭的になっていることも確かです。何でもいいや、というふうにはしていません。見るだけでなく買うつもりでお客が来ているから、アーティストとよく打ち合わせて準備しています。
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|01-23|展示会場スケッチ||TOP↑
ジャパンフェスティバルベルリン2017会場

これは今回手間をかけたひとつで、イケました。元の原画は紙が上下とも一部斜めになっていて、普通に切るとイメージが欠けてしまいます。

そこで、押したり引いたり塗ったり、できるだけ上下をかせぎ、規定の最大サイズに届かせています。そのため、最上部はややふくらんで、龍が末広がりで派手な第二原画となりました。再現できない特別リマスター版です。

ドイツからのFacebook

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|01-22|展示会場スケッチ||TOP↑
ドイツから時々写真が貼られます。
https://www.facebook.com/Japan-Festival-Berlin-ART-from-Japan-3Etage-1218968281490646
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|01-21|展示会場スケッチ||TOP↑
かなり前に、複製芸術論を参考とした未来アイデアとして、レプリカ美術館の提案を読みました。世界の名画をレプリカだけでそろえた美術館です。『モナリザ』も『ひまわり』もイミテーション。ネットもカラープリンターもない頃の話題でした。ヴァーチャル美術館ではなく、リアル美術館。

作品のレプリカといえば、広義で音楽はそうです。編集した複写物を買って鑑賞します。実際の演奏とは違って。しかしレコード時代には、素人は少ししか買わないものでした。それがCD時代にディスクがコンパクトになり、安い輸入盤を狙って年に100枚買う一般人も珍しくなくなったのです。

日本で美術が一般化しないのは、一品生産なので値段が高くて縁遠いからという指摘がありました。もし安いレプリカが可能になれば、日本でも美術を買う一般人が増えて、アートを普及させられるのではないかという論でした。この話が、後のジクレーで現実に近づきました。

そのシナリオは、ドイツでは実現しています。日本でなら2000ユーロ希望の原画も、ジクレー化で100ユーロ以下にでき、資産家でなくとも買い集められます。このシナリオは、本来は日本で実現させたい最終目標です。

ところが日本では、アートを買う目的は音楽CDを買う目的とは違います。美術コレクションの目的に、ステイタスと値上がり期待を含んでいるのです。高い美術品を少人数だけが買う流れが、アートに期待する価値観までを逆に決めてしまっている疑いです。

日本の展覧会は「私の絵を見てください」と発言する場であり、海外の展覧会は「おもしろい絵はないか」と買い手が探す場になっています。この差は作品の値下げだけでは縮まらないでしょう。
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|01-20|ジクレー版画物語||TOP↑
最近ラジオ番組で、ひょんな場面で名前が出たのが、ソプラノ歌手のアンナ・モッフォ。70年代前半に来日していたはずで、当時の雑誌FMファンに見開き特集がありました。タイミングとしては、メゾソプラノのマリア・カラスの来日前だったような気も。

突然名前が出てきたのは、NHK-FM放送番組『夜の停車駅』の話題でした。蒸気機関車の汽笛で始まり、文学の朗読を加えた音楽番組のテーマ曲、ラフマニノフの『ヴォカリーズ』の声が実はアンナ・モッフォだったという。この曲はあのバージョンが理想的だと、今も国内で定評になっていると知りました。

ロシアの作曲家ラフマニノフは二次大戦中の1943年没だそうで、アメリカのアンナ・モッフォと同時に生きた期間は11年ほど。ラフマニノフの晩年に小学生だった知らない女の子が、没21年後に稀有な名演を録音し日本で隠れ名盤になっているという。途切れのないメロディーがモッフォの歌唱に合い、作者の予想以上かも知れず。

ところで今の日本では、あのような番組は継続困難かも知れません。ある頃から暗いもの、悲劇的なものが特別に嫌われるように変わっているからです。そういえばテレビアニメソングも60年代にはメランコリックな曲が多かったのに、後になるとかげりを排除する変化が起きています。

いわゆる「ネクラ」排斥運動?は、日本発の表現物を強く制限しています。21世紀の今も、明るく陽気な影差さない作風が規範となっていて、やはり現代アートも同様に何でもありではなく禁制回避の跡を感じさせます。
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|01-19|ニッポン事情スケッチ||TOP↑
ジクレー版画の参加資格は、版画家だけと勘違いされたことがありました。実際には油彩や水彩画から作ることが多く、また立体物もジクレー版画にできます。

ジクレー版画は、版画以外の作品でも版画で量産できる技法です。技法といっても、作品を撮影してプリンターで出すだけ。すると、疑問もわくでしょう。プリンターで出した印刷物、つまり単なるプリントがどうして美術に格上げされるのかと。日本の15年前の議論でした。

実はその疑問に答が出ています。プリントとは版画を意味する英語です。プリントと聞けば、小中高校の試験問題や答案用紙、あるいは注意説明チラシを浮かべるのは日本的です。プリント版画への違和感には、日本語のいたずらも含まれます。

ヨーロッパでは、版画と印刷物は同じものです。プレスマシンとプリンターは同じ装置を指します。印刷の「刷る」と版画の「刷る」は、完全に同じ意味。類似物をたとえているのではなくて。だから現代の新聞紙も、スーパーのチラシも、書店にある書籍も、正体は全て版画です。

ところで「ヨーロッパでは」と言えば、実は「知ったか」なのです。江戸時代の瓦版(かわらばん)という号外新聞の元祖は、木版画だったからです。浮世絵のやり方。何のことはなく、日本でも版画とマスメディアは同じでした。版画でビジネス文書を作るために、レーザープリンターが開発されました。

現代の版画に入門するなら、絵図をコンビニのレーザープリンターで複写すると、本物(真物)の美術作品ができるのが基本原理です。レーザーの粉末トナーよりもインク吹き付けならずっときれいになりますが、別にきれいだから美術と呼ぶ理屈ではなくて。
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|01-18|ジクレー版画物語||TOP↑
美術と音楽を時々くらべていますが、音楽家で目立つのはイベント回数の多さです。多少でもファンがいるからコンサートが開けるのも確かですが、年間150日ステージに立つのは多めとしても、50日はざら。

アメリカのジャズ系の大物は、若い頃に一晩に二カ所というのもよくあり、日本の現代的クラシック系も国内を飛び回っています。全県を回るのもあるし。音楽では、表現者たちはせっせと布教活動を続けています。武道館だけでなく。それだけに、鍛錬の積み重ねも多大で。

一方、美術を年150日展示したり、10回という美術家もあまりいないのかも知れません。美術の露出度は全般に低く、この程度ではミュージシャンと同等の待遇が受けられないのは、やはり納得はできます。

アートフェア参加の初心者は、全作品が売れて即注目されるような、シンデレラストーリーを何となく思い描く瞬間があるでしょう。しかしリアルタイムの出世は、世界の美術館にある巨匠作品には起きなかったことです。『モナリザ』などは、当初はどうでもいい余技の絵だったし。

今から4日後に、ベルリンで展示会を行います。細かい準備(最後は駆け足でしたが)の成果を、皆で確かめます。しかし、各作家が得るものを大きくする策はあっても、一夜で人生をひっくり返すまでは行かない前提です。この分野で一発屋は困難でしょう。

とことん本気なら、同じ展示会が年に3回ぐらいあってよいのですが、日本にそんなイベントはないような気が。そう思ったら、ドイツには年に4回行うアートフェアがありました。4回やっても落ちない国民の関心と、4回できる資金が前提でしょう。
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|01-17|作家方針の工夫||TOP↑
1990年代から日本の財界は、株主の利益を説き、主張し通してきました。しかし世界中で次々起きる不穏な事件に、やや躊躇し始めたかに思えます。日本国民に食えない下層が生じることに、否定的な社説さえ出したほどで。本来は関心がない部分です。

新自由主義経済の格差社会によって、世界がどんどん暗転している実態への遅れた危惧という印象。危惧する理由は内需が永年伸びないせいで国力低下し、紛争地に日本がすでに含まれてしまった点と、トランプ次期アメリカ大統領への国際的な同調もあるのかも。

裏には、トリクルダウン説の失墜もありました。トリクルダウンとは、企業が大儲けすると、上層から中層下層へと順々に金が降りて、国民に行き渡る経済原理でした。言い出した者が後に虚偽と告白し、次にタックスヘイブンなる資産隠しの企業リストがドイツでタネ明かしされ、格差を肯定した理論武装もおしまい。まあまあ、株主と企業は別人だから当然でしょう。

もうひとつはイギリスとアメリカで起きた、グローバリズムとリベラリズムへの反動。これがそのまま第三次世界大戦の下地です。勝ち組と負け組の差が開くことで、戦争に帰結した過去の経験則が、勝ち組の視野にも入り始めたのです。てことは、戦争はもう避けられない合図か。

驚いたのは、日本を格差社会へつくり変えた時にお手本としたアメリカが、ウッソーな言い方を始めたことです。グローバリズム批判、新自由主義経済批判、ボーダーレス社会批判が、何とアメリカから出てきたのです。メキシコの自動車工場も。日本は周回遅れで浮いてしまった状態。

アメリカの投資会社の弁護士が文書作成し、日本をアメリカに帰属させる経済ルールがTPPの正体でした。そのアメリカが、TPPは日本によるワナだと言い出す始末。まあまあ、株主と国家は別人だから当然でしょう。
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|01-16|美術の基盤は経済||TOP↑
2017年1月21~22日のジャパン・フェスティバル・ベルリン出品は、三回めの出力として現地で超高級プリントに発注しました。年内に刷った枚数の方が少なかったという。

ジャパン・フェスティバルに参加する意義は、日本を伝える総力結集ですが、同時に買う気満々のお客へ供給する文化交流の面もあります。もっと大きい面では、消費税でいっそう物を買わなくなった日本よりも、中国への関心を強めたドイツの雰囲気を、日本にもう一度引き寄せるなども。

今回のジクレー編集では、より充実感のある作品をそろえるために、デジタル処理がより大胆になっています。作品選定がベスト集に向かうほど、解像度の低い古い撮影しか残っていない問題があるからです。

徐々にお客が増え会場がにぎやかになっているので、薄味の作品は課題でした。個展の作品は音楽で言えばアルバム曲相当、でも合同展はシングル盤的な編集にします。時には回転数を上げたりもして。
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|01-14|ジクレー版画物語||TOP↑
真田 希展
「~晴れときどき祈り~」
Art Space 88 KUNITACHI
東京都国立市中1-9-66(中央線国立駅徒歩2分)
2017年2月2日(水)~2月7日(火)
20170202-sanada.jpg
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|01-13|参加者ニュース||TOP↑
2017年の今日は、ロックミュージシャンのデヴィッド・ボウイ没一年。素晴らしい音楽だったというほめそやしに、少し違和感はあります。というのはデヴィッド・ボウイの1970年代前半を、日本のティーンエイジャーはほとんど支持しなかったからです。

日本ではその頃の人気はバンドに集中し、レッド・ツェッペリンとディープ・パープルの人気がそのまま、日本のバンドブームに続いています。後発のクイーンでも、ヴォーカルのフレディー・マーキュリーより、ギターのブライアン・メイが注目の的で。

バンドにくらべ、ソロシンガーの人気は低いものでした。シングルは買っても、アルバムは買わない。ロッド・スチュワートやマーク・ボランはリードギタリストをフィーチャーしましたが、デヴィッド・ボウイはそうでもなかったのです。ローリング・ストーンズとウィシュボーン・アッシュの中間ぐらい。

日本のもっと上の世代は洋楽が苦手な人も多かったし、ヴォーカル好きかつ洋楽ロック好きという、狭いファン層にとどまったのが実際でした。その最大の証拠が、当時の音楽番組へのリクエストの少なさです。

『ダイアモンドの犬』(1974)も不評だった記憶があり、ジェンダー不詳のルックスもあってカルト的な位置づけでした。当時のデヴィッド・ボウイをリアルタイムに追いかけた人は、日本では珍しかった印象があります。

70年代の強豪ロックバンド衰退後の新しいファンが、デヴィッド・ボウイには多いようです。今語る人たちもそれほど語り慣れないことからも、ソウルやディスコブームも含む変遷で巻き返しつつ見直された、変則的なクリエイターといえるでしょう。日本では、大島渚がフィーチャーするまでは。
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|01-10|ニッポン事情スケッチ||TOP↑
今日2017年1月9日の成人の日は、いつもどおり二十歳が対象で、2016年に十八歳に下げた選挙権とは無関係です。

画学生や立体学生に何か言うなら、横の連帯のすすめでしょうか。昔から先輩は後輩にこの言い方をよくやるから、またかでしょうが。ムーブメントは一人では無理で、二人以上なら何とかなるから。

その点で、美術というジャンル自体に元から不利な構造があります。芸大の内情を書いた本でも、変わり者偏重がありました。変人のみ創造ができ芸術に届くという、最低条件みたいなものが学内で想定されているようで。アーティストが一人ずつ孤立するフラグです。

しかしその前提「変人説」の普遍性は疑わしいのです。日本は美術の一般化に失敗した珍しい先進国だという前提の方が、先にくるからです。日本に限り美術が特殊化して、一般の生活から遠く離れた位置にあり、当然ながら芸術家を取り立てて特殊扱いしたがる。そこを見落とせません。

精神病理や脳障害の線で芸術を解釈したがる一般人の思いに、くだけた美術エッセーが迎合的に応じている疑いです。現代アートに手を焼く国民感情への配慮でしょうが、そこには人類の感性が後世ほど下がっていく文明の運命を、計算に入れ忘れている問題があります。

ネットに精神病患者である芸術家が列挙されていますが、不思議な造形の作者が片っ端から並べてあって、要するについて行けない者が腹いせで書いています。理解できない自分は健常者に生まれてよかったと言いたげ。これは、ヒトラーの『退廃芸術展』と動機が同じです。
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|01-09|作家方針の工夫||TOP↑
明日は成人の日ですが、このフルデジタル画の作者は学生だそうです。

ペイント系のデジタル画は、最初にボードサイズを決めます。小さい値だと粗い絵になり、後で小さくしかプリントできません。ジクレーだとギザギザが見えたり、オフセットだと画素が不足し色にも影響が。

値が大きすぎると、描いて消しての反応が重くなり動作がノロノロします。縦横ナンバーを適切に決める必要があります。デジタル画には後で改変できる利点があり、ここでは絵はがきにうまく収まるよう帽子の上部と、絵の最下部を描き足してもらいました。

ブランド絵はがき
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|01-08|ブランド絵はがき物語||TOP↑
今年の抱負は、作品を売ることです。しかしそれだけでは、何のことかわかりません。営業の話ではなく、制作の話です。営業部のがんばりで売りますというのは、日本では流行らなくても、外国では当たり前で珍しくないでしょう。それに徹するだけでは、違いを出せません。

製造部門を立ち上げ、商品開発を行う意味です。音楽にたとえれば、広報以前に編曲や演奏も行うということ。そこまでやってでも、参加者の作品を売って前に進めようというわけです。

日本国民は美術の売買自体に何となく抵抗があるもので、国内の展覧会は売らない前提の品評会がほとんどです。売る前提なら、事前に落選させて商機を減らす損はやらないわけで。現状は、作る側も売れそうな作品へ走るでもなく、売れてたまるかと逆方向へ走るでもなく、中間的であいまいな作品が多い日本です。

その中間的な作品を外国へ持って行くと、プロに見られにくい問題がありました。現代アートの扱いがサブ的同然の日本で、芸能人の副業ぐらいでも国民には足りています。かくも美術の存在意義が二義的に落ちている事情は、生まれる作品にやはり反映してくるのでしょう。

邪心なく作って後は天にまかせるというのでは、傑作になかなか向かわないものです。「売れるように作る」と、「売れないように作る」の違いを意識し合う方向で、改革を考えてみました。
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プロ将棋界をゆるがす将棋ソフトのカンニング疑惑事件は、理解を超える幕引きになるようです。何と疑惑の発端となった対戦で、本人が席から長く消えていた時間はないと撮影ビデオで判明した調査結果です。状況証拠さえ存在しなかった。何じゃそりゃ。論者たちの全ての発言は無駄になり。

疑惑棋士の行動は現実の出来事ではなく、関係者の頭の中にのみ構築された、妄想性集団パニックだった疑いに変わりました。自信満々に不正を訴えた棋士や、一億パーセントクロと断言した棋士など、現実を見たかのような証言。どうも1979年の児童の「口避け女」パニックに似ています。

これはつまり、将棋ソフトという人工知能に対して、将棋を職業とする人たちが深層心理でおびえていることを意味します。事件はゲームやハイテクの話題ではなく、精神医学の話題といえるでしょう。

たとえばネットに、人と対戦してソフトが勝てば、王位はソフトが得て人は退くべしという主張があります。鉄道の自動改札やスーパーのセルフ式レジと同様に、伝統的ゲームでもハイテク失業が始まる空気があるのです。

人間への尊敬が下がり、ロボットへの尊敬が上がる、そうしたムーブメントが起きそうで、文明が人間排除へ向かっていることに多くが気づき始めたような。その先にある人類滅亡の気配を、将棋で何となく感じ始めていて。まさに将棋は人生。

「機械に劣ろうが人間に主役として期待します」「人間を一位指名します」と言い切れる未来を、多くが確信できないわけです。国民は、関係者は全員辞職せよとは騒がず、悲運の棋士の復権に重心が向くのは、加速度的に伸びる人工知能への不安に、誰しも共感があるせいかも知れません。
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