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ジャパン・フェスティバル・ベルリンはまだ規模が小さいから、ひとつの作品で会場の印象を左右できます。とはいえ出演者心理としては、より大きい展示会に参加する方が誇らしく、実績としても有効でしょう。

しかし現実には、延々と広がり続く大型フェスティバルだと、規模に比例して作品の脇役感が増し、相対的に個々の出し物の印象は薄れるでしょう。町祭りも大規模になるほど、たこ焼きや金魚すくいなどのひとつひとつの存在感がなくなるあの感じ。

美術館学の研究で、展示作品が多いほど来館者が個々の作品に入れ込まない法則があり、これは無意識に脳の疲労回避で、気持ちを浅く保つ反応と説明できます。高級アートフェアでは、作品数が意外なほど少ないのに全部売れるなど、この応用あっての成果でしょう。

作品が最も目立つのは部屋に一点だけの展示で、今はどうか『モナリザ』がそうだったような。ルーヴル美術館の旅行者から、時代順に絵画を一点ずつ全て鑑賞する失敗が言われたもので、歴史名作以外の自分的傑作を探すのもしんどい作業です。

ジャパン・フェスティバル・ベルリンは全体が昇り調子にあって、芸術の階のお客によその市からの偵察訪問があると聞き、今回は初めて意識しています。ここへ行けば何か見つかるぞという、期待感の種をまいておくことを考えています。看板も出して。

ベルリン市の地理はドイツのかなり北東で、ロシア寄り。中心街は旧東ドイツ側エリアも多い歴史事情で、今ベルリン市内で会うアートコレクターは、裕福な南部からの出張も多いのだそう。前に取り扱い画家で売れたケースは、ベルリンに別荘を用意した南部の方で、フェスティバルで作品を見ての追っかけで、アフターにも買ってくれました。
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|09-30|物語の局面||TOP↑
日本でネットアクセス数が多いネタは、芸能人、金儲け、ファッション、東アジア問題、ダイエット、政権対立、健康だそうです。殺人事件の三大動機である金、異性、名誉プラス生命の話題は、人々の永遠の関心でしょう。

活字執筆の募集も、芸能人追っかけルポや株や為替投機、美容ダイエットが圧倒的に多いそうです。登山とか鉄道模型、夜釣り、クラシック音楽などは、国民の関心が低くアクセス数がかせげず、広告収入に結びつかず。

鉄道模型よりは熱意が少ないであろう現代アートは、社会現象につなげてイベントを成り立たせている面があります。実際に現代美術どころか美術全般で、ネットで情報を探す人はかなり少ないとわかっています。マイナースポーツの方が、まだ一桁以上多いほど。

だから、日本向けの作家サイトでは何も起きないものです。ムキになって芸術論などサイトに並べても、それほど増えないし。民主的なアートフェアと独裁的な公募コンテストの、どちらが主流かに照らせば、国内で庶民が美術を探す目的はあまりなく、一応つじつまが合いますが。

ならば外国向けに作家サイトを作れば、外国からアクセスがあるかといえば、アルファベットサイトの大海で、偶然発見される確率はやはり低いでしょう。そこで、現地の展示会でアドレスを知らせ、直接アクセスされるアポイントツールとするのが現実的です。

展示会場で作品を見て、作家サイトで調べる慣習が向こうにあります。その目的にマッチした作家サイトを作って、話が進んだ例があります。気をよくして、見てわくわくするサイトを研究中です。方針は自演を薄めること。
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|09-25|作家サイト作戦||TOP↑
アート・マネージメント・システムでアーティストのコンセプト整理に当たるうち、スピリチュアリズムに話が行くことがあります。思考より哲学より、まだ奥のもの。並行して、個人サイト用の増補出版草稿も進めており、これがなぜか東日本大震災の幽霊関連テーマです。

東日本大震災は世界にツナミとゲンパツの衝撃を起こし、ドイツでは政策が急きょ180度変わったほど。ただ副産物として、「今の日本はどういう国か」「日本に特別なものが多い」「旅行して最高だった」「僕も日本を知りたい」という世界的反応も起きました。

2016年から、東日本大震災の現場に出る幽霊の話題がネットに増えました。大学の研究が発端ですが、どれも霊体存在論には向かわない様子。太古以来の慰霊方向へと収束し、興味本位の不謹慎との指摘もあったものの、割り切らないグレーなとらえ方に理解ある日本人が多い。

災害現場の怪現象は、かつての民放テレビならこうかも。「不思議な体験が続く、犠牲者の霊が出没する夜、その時カメラは見た」。しかしこうした昭和の感覚は変容し、今はフォークロアの原型にむしろ忠実です。「今の日本はどういう国か」が表明されている感じ。

はっきり感じ取ることと、存在することはイコールでなく、空白があります。そのすき間で、もめるひとつが芸術です。上手なデッサンや鮮やかな色とは違う、説明困難な次元に芸術性が宿るから。

日本の画家は花鳥風月を基本形として、社会問題を後回しや婉曲にとどめる作り方が多いようです。そこには、かえって原始的なスピリチュアリズムが入りやすいのでしょう。ただそれを絵に表すのに、慰霊方向に落ち着きながらも、「その時カメラは見た」の衝撃も欲しいのですが。
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|09-18|作家方針の工夫||TOP↑
ガソリン自動車やディーゼルをやめて、電気自動車へ替える話題が続いています。各国が移行時期を宣言し始め、メーカーも急ぎ出して。しかしユーザーも盛り上がらないのは、電気自動車一辺倒は不況フラグだから。

部品数を減らす合理化で、製造メーカーは縮小して大量失業は必至です。ナンバーワンのドイツでは焦りの声もあります。エンジンと変速機やデフなど動力伝達の設計ノウハウも工作精度も全て御破算で、代わりの必須は原子力発電所の増設だし。

自動車史で、元々先に出された本命の案は電気自動車でした。実現が無理とわかりガソリンに振り替えた、その時先行した一人がドイツのダイムラーさんでした。近年は蓄電池の強力化で実現可能となり、長い寄り道からやっと本命に戻るところ。

すると、すでにある燃料車はゴミになります。歴史的なスタイリッシュ・スポーツカーも、乗る対象から外れて値打ちも下がるでしょう。そんな区切りが実際に起きた例は、カメラでした。過去のカメラ名機はデジタル時代が進むと暴落し、今や中古店でだぶついています。

死蔵のオブジェになったフィルムカメラを復活できないかと、ハイテク時代の夢があります。すぐに思いつくのは、市販フィルム型の電子センサーです。パトローネサイズのコントローラーと薄膜センサーを合わせたユニットを、ただ装填するだけ。裏ぶた交換は不要。

フィルムの代わりに入れて済めば、ドイツのライカやコンタックス、日本のペトリやミランダも甦るでしょう。アメリカではすでに市販され、しかしキヤノンとニコンの特定カメラ専用で、低画素にとどまっています。復活するカメラは主に日独の製品だから、まず日本で改良するのが自然。
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|09-15|写真とカメラの話題||TOP↑
KAORI SUZUKI個展
「White variation」
銀座K's Gallery
東京都中央区銀座1-13-4、大和銀座一ビル
2017年10月2日(月)~7日(土)
月-木 12:00-19:00、金 12:00-20:00、土 11:30-17:00

写真

Kaori SUZUKI 作品撰集サイト
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|09-13|参加者ニュース||TOP↑
ジクレーはアート制作の技法というより、仕上げの仕様です。できた作品は版画。たとえばムンクの『叫び』は何枚も存在します。作者は油絵を目視で版画に彫り直し、刷って量産しました。目視をカメラに替え、インクジェットプリンターで刷ればジクレーです。

ジクレー化で芸術性は失われません。ディテールのニュアンスは当初は失われましたが、ハイテクの力でもう水彩画はジクレーと見分けられず、鑑定が必要です。油絵なら、触れたりにおいでわかりますが。

立体造形をカメラワークで演出した不思議な版画もつくれ、『叫び』の頃より自由度が高まりました。しかしジクレーの積極的活用とは別の面で、全ての絵画作品が影響を受けています。一枚の絵にかけるエネルギーが上がる傾向です。上げざるを得ないというか。

逆に、簡素な略画や消化作品は値打ちが下がっています。というのは、絵を一枚かいて売ったらそれで終わりではなく、続くからです。撮影画像でジクレー化して、もう一度売れるから。二度でも三度でも。まるで、打ち出の小づち。

イメージの著作権が作者にあるから、極論すれば生涯に一枚だけ全力投球して傑作をつくれば、生涯何枚も売り続けられる理屈です。一枚に力を注ぎすぎないよう労力を配分すべしという、従来の力学がなくなります。

音楽で一つのヒット曲を何度でも歌って千回でもコンサートが組める、それと似た立場に美術も近づきました。版画家に限らず、画家と名のつく全員が。広く浅く多作するよりも、一点をディープに作る作戦も考えられます。
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|09-11|ジクレー版画物語||TOP↑
日本に限らず、世界の報道各社がフェイクニュース競争に明け暮れているそうです。印象操作の工作も、内外ともめっきり増えました。しかもデマを、視聴者たちが比較的早く見破る時代です。ウソの浸透も、その否定も高速化。日本の妊娠米とか。速さの理由がインターネットだと言われます。

日本で多いフェイクニュースのひとつが、書店の消滅はネットが引き金だというもの。無料の電子情報に食われて、出版不況が起きたと。これがデマとわかる理由は、書店の倒産ラッシュは1998年だったからです。当時のIT雑誌をめくると、ネットが全然普及しない日本を嘆いています。光通信じゃないし。話が合いません。

紙の本が全盛の時に、街の本屋さんはバタバタ倒れました。ネットの被害者ではなく、不況の被害者だったのです。さらに最近台頭してきた「事の真相」系の報道にみる、「消費税5パーセントへのアップで日本は一気に傾いた」説が因果関係の蓋然性が高い。

何のことはない、1989年に3パーセントで始めた消費税を1997年に5パーセントに上げて、その消費の冷え込みで書店が翌年に倒れたのでした。国民は一日二食に減らさずに、本や雑誌の不買で節約に努めたからです。年に50冊も雑誌を買ったのをゼロにした人も、当時みました。その雑誌はやがてどれも休刊して。実は同じ年に、街のCD店も急に消えました。

新聞社が新聞の値段に軽減税率を求めるのはなぜか。消費税アップでどれほど出版物が落ち込むかを、社内で痛感しているから法律を変えたいのでしょう。新聞社の幹部は人の心をよくわかっていて、あの時消えた書店の二の舞を避けようとしています。不況の原因をよく知る人たち。

新聞テレビ対ネットのどちらがウソつきメディアかが世界で議論されますが、人が事実を述べても主観的な表現に必ずなります。別人が書けば違う内容。だから、論の多彩化を正常とするほかありません。絶対の正解はなく、最高のものも逆方向からみると最低なのは、やはり美術作品と同じ。
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|09-08|美術の基盤は経済||TOP↑
サッカーチームが活躍して躍進をみせたかと思えば、一転して不調な姿をみせる展開は、もちろん各国の全チームで起きます。そこでたとえばイタリアの記者は、試合ごとに良かった選手をベタ誉めし、次回に悪いと言葉を尽くしてけなします。

その切り換えが、日本では少しやりにくい空気があります。ネットサイトの一般意見をみると、「前回はあんなに持ち上げたのに、今回は冷たいね」「てのひら返しがひどい」「見物人は勝手なことを言う」との指摘がよくみられます。

「現代のベートーベン事件」「STAP細胞事件」の騒ぎでも同様でした。「あれほど称賛したのだから、今になって叩くなんてひどい」という意見も多かったのです。「上げるだけ上げて、どーんと落とす行動は、態度が矛盾している」と言いたげな嘆き、そして冷やかし。「どっちやねん」と。

冷やかしの奥に潜むものは、縁故社会の度合いではないかと感じます。好調時に称賛したら味方同士の関係になるから、味方である以上は不調時に助けなくてはいけないという人情があるような気が。情が移る前提だから、薄情な裏切りは糾弾されるという理屈で。

要するにムラ社会と言われる往年の社会学的考察、そのまんまの一面が表れている疑いです。ひいきの関係が好まれる日本。お友だち内閣とか、政府の諮問委員会みたいに、無批判のスルーが好き。そうした縁故重視の評論に対して、だんだんイタリア方式の日本人も増えたのかも。

何年か前にゴッホ作とされる絵が見つかり、ショボい出来でした。ゴッホらしさがない習作。世界の美術館は、アートは内容が大事だとして低評価の意思表示でした。やはり日本の関係者が高く落札して、アートは名前が大事だと意思表示しました。
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|09-06|その他||TOP↑

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