一カ月後のジャパン・フェスティバル・ベルリン2018に並ぶブランド絵はがきの新作は、わずか5点にとどまりました。うち人手に渡っている原画が3点あり、過去に撮影されたストック画像から版を起こしています。トップセールスが出やすいのは新作なので、会場では目立たせます。

申し込み数はもっとあったのですが、製品化に至りませんでした。絵はがきは今どき家庭でもつくれますが、他の作品と同じ現地事情です。ヨーロッパ国では美術があふれ、一般化し、アートのグルメも多いから、相手の手が出る根拠がひとつ以上欲しいという事情があります。

ところで現地の社会はといえば、EUのグローバル政策で相対的に勝ち組となったドイツさえ、景気失速中にあるのは確かです。が、延々と停滞中の日本と違いGDPはやはり上がっているので、消費活動は活発です。新作をもっと送って欲しいというのが、向こうの事情です。

版はすでにドイツ側へ送っています。向こうはGDP上昇に合わせ、印刷料も人件費も前回より上がっているとわかりました。

ブランド絵はがき
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|12-29|ブランド絵はがき物語||TOP↑
国内でクラウド・ファンディングが流行りだと複数の参加者から教えていただき、さっそくCF事業の担当者と話をしてみました。わかったことは、まず支援を受ける側が一方的に得しない点。当然、寄付する側も平成大不況の中にいて、お互いに余裕が少ない前提です。

ちょうどふるさと納税と似て、本来ないはずの納税を受けた自治体が高級和牛をたくさん贈るなど、謝礼の量と質から入る必要があります。タダで受けるのはだめ。美術の場合は謝礼を作品とすることが多く、市販されない記念品となり、外注経費にもならず釣り合います。

物語企画でやれば謝礼の品として何があるかを考えると、けっこう充実しています。「ドイツで売れた絵はこれです」と実績つきのジクレー版画が輝いているし、ベストセラー絵はがきもあります。いずれも刷る前に厳選してあるから、どれもほぼ当たり。

今回知った大きい現実は、知らない他人からの寄付が少ない点でした。前に外国で話題になったような、広域から支援が集まったというネット時代ならではの美談は、美術ではあまりないらしいのです。

つまり、親兄弟や友人や職場の同僚と町内のご近所さんが、支援の多くを占めている現実です。昔でもあり得た縁ある人々からの寄付が、意外に多いというデータを聞きました。ちょうど美術の売却と似て、内輪の人づてが絵画などの購入者になりやすい日本の傾向を思い出します。

物語企画のドイツ展の作品購入は逆で、作者を知らない他人ばかりです。現地では作品の中身で食指が動きます。その現地へ作品を送るイベントへの支援は、出品者に縁ある方々が頼りになると予想できます。出品者の作品を、欲しい物へと完成させておくことが最重要課題です。
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|12-27|クラウドファンディング美術支援||TOP↑
クレーンゲームはマニピュレーターを操作し、中の景品をつかみ取ったり、引っかけて落とすマシン。ゲームセンター側が不正に設定した詐欺事件として、大阪府警がいっせい摘発した珍しいニュースです。日本語が不自由な外国人旅行者もカモにしていたらしく。

外国人がクレーンゲームを、日本のサブカル文化として紹介した動画がありました。ところが国内ネットには何年も前から、ぼったくりだの詐欺だのと報告が多くあります。客の撮影では、景品をアームでつかむタイプは握力をひどく弱く調整し、景品が自重で滑って持ち上がらない手口が大半。

器具を落下させ穴に命中させるタイプは、客がやれば全て失敗し、店員は全て成功します。命中率ゼロと命中率一を切り換える電気的な隠しスイッチがあり、店員が押し分けて客をあざむく様子が動画にあります。

景品を吊すひもを切るタイプは、ハサミをあえて故障させてあり、景品を横へ押すタイプは、横へ押す動作を殺してあるという具合。景品にもおもりを入れて持ち上がらなくしていたり、針金や両面テープで固定し移動を食い止めてあったり。累計投入金額に達した直後のみ、機能障害が正常に戻り客が成功する「確率機」が主流だとは、元店員の証言。

アームの爪は大きく、穴も大きく、ハサミも大きく、この大ざっぱなデザインが詐欺の伏線です。難易度を上げて腕を試す方向ではなく、いかにも平易そうなデザインにした上で機能障害でプレーを妨害し、客から料金をだまし取るマシンに仕上がっています。なぜその方向へ進歩したのか。

現行のクレーンゲームの機能障害を正すと、平易すぎるデザインゆえ景品を取りまくる客が続出するでしょう。だから本来は、イカサマを排除してなお成功率が低くなる、日本の技術を活かしたデザインが必要だったのです。その方向へ行かないのは国内の空気なのか。似た例が他のジャンルにもないか気になります。美術作品にはないと思いつつ。
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|12-24|ニッポン事情スケッチ||TOP↑
完結した作品が必要です。出品用の作品を探して断念した例に、タブロー不在が少なからずあります。一枚の作品として完結しておらず、かきさしのスケッチ画をためているだけとか。

「自分は絵をかいていて、あれもこれも色々やってみたい」系のブログに見かけますが、断片スケッチの紙があるとして、並べると迫力も出るでしょう。でも一枚単位だと物足りないのです。弁当をつくる時に、おかずのつくりさしが一個ずつ入った弁当箱なら、何箱もあるみたいな。

売る時は一箱ずつだから、そのままでは腹につもらず市場に出せません。部分的におかずを上手につくれても、市場に出すにはもう何歩か進めて、箱を満たす必要があります。売れる弁当をつくるために充実が必要。

ただそこで、「自由が大事だ」「売る目的はよくない」「商業主義は敵だ」の抵抗感が生じやすいのが芸術です。コマーシャリズムの作為を排除したい思い。しかもそれは日本特有の心情です。世界ではあまり一般的でない、普遍性のない特殊な思いです。

商業と芸術は相関しないのに、反比例する関係でもあるかにとらえやすい日本では、美術家が実力発揮しにくい面があります。「モナリザ」「夜警」「浮世絵」など、商売目的だった絵を過剰に信仰し崇拝した空気が、国ぐるみ隠れハンデになっている疑い。

「現代は何でも自由だから」をまんま認めるなら、むしろ売るに徹するのも自由だし、聖俗反転も自由で、教条の余地こそがなくなる道理です。現にアメリカ産の商用版画は年月経て、日本で「現代の大物画家を三人あげよ」で真っ先に名前が出ます。この矛盾した商業観念にならう必要なし。
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|12-21|作家方針の工夫||TOP↑
今年の新人は、申し込み前の検討時に出品を断念したケースが多かったようです。ここでは不合格はないから、最初に出品向けの作品を探すわけですが、途中で準備不足を感じたのかも知れません。制作の上手下手の次元ではなくて。

出品に向くかは、当初の企画では不問でした。当落と無関係な市場参加だから。ところがドイツ側のお客は、日本のように何でもありではなかったのです。作品が至らない時は、現地客ははっきり指摘したそうな。現地情況を伝えられて、内容がショボいとまずいと知ったのです。

日本の展覧会は全く違う考え方ですね。鑑賞無料だから、出品する側の美術家が望むとおりの作品を気が済むよう展示するものだと。作る側の自由であり権利だというのが、日本のアートイベントにみられる心得でしょう。

しかしアートが一般化し、市民一人一人が審査権を持つヨーロッパは違います。無料見物であれお客たちの時間を消費しているのだから、引き換えに得るものが必要なのだと。この得るものとは、目の保養だとか心の糧となる体験などではなく、作品の実物だったのです。

現地客は作品を買いに来ます。自身の家の壁やコレクションに加えるために、日本の新作美術展にも足を運んでくれます。裕福なコレクターは、内容しだいで高くても買う。当然ながらこちらも応じます。売り物のつもりで作っていない実験作品や奇抜作品も、何とか相手が買い取れる範囲に入れて送り出します。

ところが日本では、「芸術は自由なはず」「自分を曲げるべきでない」「ゴミが何億円にもなる時代だし」の何でもありが低い方に広がり、相手の存在が消えているのです。「別に売れなくてもよいさ」の割り切りが、芸術度の低下に直結する隠れ法則さえ読めてきました。ちなみに、ジャパン・フェスティバルなどフェア会場は全て入場有料で、前売り券も発売中。
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|12-17|作家方針の工夫||TOP↑
芸術弁論タブーのひとつは、外国アートにくらべ日本の何かが劣っている話題です。が、もうひとつ顕著なのは、人類にとって芸術の意味が変化している話題かも。悪い変化はタブー。ダーウィンの進化論と似て、拒絶反応が素早い。

ちなみに進化論が今も猛烈に攻撃される動機は、よく言われる宗教との整合問題は二の次です。最大の動機は、猿が人間に進化するという誤読による、チンパンジーなど霊長類との確執でしょう。えっ、誤読だって?。

進化論を嫌う感情の正体は、人の祖先が猿だとは許せない自尊の思いであり、だから昔からダーウィンを猿の顔に描く報復行動が多発。しかも実は曲解です。ダーウィンはそんなことを言っていません。言わないのに言ったとカッカする人類の事情は、類人猿を嫌う深層心理でしょう。

かくも感情で収拾がつかない類例に、ロストテクノロジーがあります。昔の人にできて、今の人にできないこと。MT車のダブルクラッチ?。一例はエジプトの大ピラミッドで、現代人が信じたくなる説は、「当時地球に飛来した宇宙人がピラミッドを建てた」「それなら今できないのも納得」。

これと同じ感情がアポロ陰謀説で、50年前の人にできて今の人にはできないから、映画監督がスタジオで収録した壮大な芝居だった説が、正論を圧倒しています。若者のほぼ全員が半信半疑で、ピラミッド同様に永劫疑う動機を乗り越えられない人類の宿命でしょう。

このロストテクノロジーが、芸術に起きている疑いがあります。昔の作品を見てインスパイアされ、燃える思いで作った成果が自動的にショボくとどまる現象です。要するに彫りが浅い。口に気をつける公人の弁みたいな制作態度の縮こまりで、太古よりも必ずスケールが小さい凡作どまり。個人の問題というより、人類が何かを喪失しつつあるプロセスの疑い。
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|12-14|芸術の秘密と謎||TOP↑
大学で屋外彫刻をつくり、苦労して完成し市街地に運ぶ直前に、教官から突然言われました。「作品タイトルは何?」。考えもしませんでした。ひどくあわてて、たまたま台風が来て外は強風で、そこから取ったのです。

音楽分野で曲のタイトルに、その時に起きた事件をヒョイと題名にするのはよくあり、ビートルズ曲にもそうしたテキトーなタイトルがあります。問題は、美術展に向けて美術家がやっておくべき準備の多さです。

アーティスト名と作家サインを決めていないと、けっこうあわてます。日本ではサインは作品を汚すもので、絵の純粋さと清潔感を保つためにサインを省くか、しぶしぶ淡く小さく入れる傾向があるみたい。しかし市民が価値を決める欧米文化では、署名なき状態は敬遠されるようです。

また作品が人手に渡ると、作品サイズ、材質などの情報がわからなくなります。作品一覧をつくってサイトをつくる時に、ネームがそろわず空欄ができて、カッコがつかないことに。

特に絵画は、撮影画像がないと悔恨となるでしょう。非常に精密な複製画がつくれるハイテクの時代になっていて、作者の存命中は版画の名で売るルールです。作品完成時の高画質な画像は生涯の収入源になり、展示会にも顔を出し続けられる利点です。昔はなかった今の特典。

大学の彫刻では、教官のもうひとつの質問に面食らいました。「値段はいくら?」。考えもしませんでした。2人チームで組み上げた高さ3メートルの鉄製彫刻を、売る発想がなかったのです。この最初のつまずきは、日本国内によくみる問題だと後で知ります。
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|12-11|ジクレー版画物語||TOP↑
今秋の寒波は11月でなく12月に始まったようです。ジクレーの版下づくりも混み始め、前年よりも遅れたピークになりそうです。夏に準備した分がない回になります。着手を早めたかった理由は、時間を多く当てた作品はやはり相応に練られるから。

ドイツ側でフェスティバル主催者の宣伝が始まり、アーティスト資料は例年ジクレー版画の中から送っています。ただ、決定した作品はまだこれだけ(2018年の新作ジクレー版画)。

版画系の募集は今の時代変化に話が広がり、前回も啓発の苦心がありました。ジクレーは何でも版画にできて便利だとしても、複製作品への抵抗は国内にまだ残るからです。日本画より洋画に多いジクレー化の敬遠。

原画は本物で複製は偽物だと何となく感じるのは、比較的新しい感覚でしょう。近世の画家たちの方が、複製作品に寛容だったほど。多色インクプリンターが発売された1997年から、日本で是非論が起きました。

では現代のアート市場の反応はどうか。意外にも撮影画像にデジタルで描き足すタイプの作品が、ドイツで売れゆきが安定しています。もしかすると美術作品が複製物に移る流れが、ごくゆっくりと起きているのかも。

原画は下絵にすぎず、プリント画で完成させる方法なら、絵を写真のごとく何度も市場に出せるメリットがあります。原画を手放しても資産が残る時代の特権でしょう。そこが大事な理由は、一人の最高傑作は比較的若い頃に出るせいもあります。撮影画像を作者が持たないと特権を失うから、現代画家の命綱になっています。
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|12-07|ジクレー版画物語||TOP↑
日本には美術の一般市場がないから、現代アートフェスティバルは市街地で開催されず田舎へ向かう。市民社会と切り離された、オタク文化の内輪で珍世界の存在意義を保つ。この現代アートの冷遇構造をつくった犯人は誰でしょうか。

たぶん単にニワトリとタマゴと思われ、いざ売らんとした時のウリの少なさが新しい原因でしょう。作者は最初から出し物と考え、売り物と考えないから、作品にウリがない。実際「過去にドイツで売れた作品はこれこれです」とサイトを示すと、一定数の参加辞退があります。ハードルを感じるらしく。

自分の思いで作るには慣れていても、売るには慣れていないと考えられます。それも当然で、日本の公募展覧会は販売禁止のコンテストが大半なのも大きいでしょう。お客が見るだけに制限されているから、作者も見せるだけの想定で考え、他人が買わない範囲で作る。

「我が家に飾るため、無名の作品を買いに来ました」というお客は、ドイツには多く日本には少ない現状です。作品と鑑賞者のこの関係が、独日アートの隠れた大差です。買って友人に自慢したくなるおもしろい絵画が、日本にはできにくい構造でしょう。

見て終わる前提のお客には何だって通用しても、買う前提のお客だとボーダーラインは上がるでしょう。展覧会イコール売買マーケットのドイツでは、作品がウリの華を持っていて当たり前なのでしょう。市販音楽CDの曲づくりと同じで。

売れる作品を商業主義とみなし、芸術の神への冒涜とみる通念が日本にあります。ゴッホやモディリアニなど、売れずの画家が尊ばれるのも、原因であり結果でもあり。たぶんその空気のせいで、買う気を刺激しない作品が主流。美の常識への挑戦や、既成の概念超えが目的ではない、普通に心温まる作品さえがウリを欠いてお客とすれ違って。
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|12-05|ニッポン事情スケッチ||TOP↑
最近、著書ブログでよく触れるのは、美術の一般化と特殊化です。これが日本に特有のデフレ脱却失敗劇とも関係がある問題です。その問題とは、美術家が作品を売り払う場が少なすぎる制約です。展覧会は山とあれど、売る場は限られる。困窮時に絵や彫刻を売り払う場が国内にない。

日本の美術が特殊化している根拠は、現代アートフェスティバルを田舎や離島で行う慣習です。1980年代から変化していません。地域文化の創造育成にみえて、実はみやこ落ちした隔離策かも知れない、うがった見方もできます。「うがった」は邪推ではなく、隠れ正論の意味で。

先進国のアートフェスティバルは、市街地や生活圏で行います。会場で飲んで食べて鑑賞するのは同じでも、基本的に都市祭であり売買の見本市です。ドイツのお客も買う作品探し。美術館の見学とは異なります。

売買しない展覧会は盛り上がらないから、出品する側の目的も市場に問い換金することです。売るつもりの作者は本気。だから我々も、ドイツの現地市民が買える範囲に作品を入れます。あの手この手で。

一方の日本には市場がないか、あっても限定的です。展覧会は見学会にすぎない。その証拠に、公募美術展覧会の大半は売買禁止のコンテスト展です。売らない展示ばかりが多く、レギュラー的なアート市場がない現実。買わない前提の市民は本気で見ないし。

結果、画家は作品を放出する場がなく追い込まれます。美術通販も欧米がずっと売れる。それプラス、生活圏で美術即売会がひんぱんに開かれるのだから。差は歴然。あちらには駆け込み、投げ売るマーケットが一応あるなら、完全ゴッホ化しにくい。写真アートも同じ状況です。
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|12-01|ドイツ事情スケッチ||TOP↑

日本現代美術をドイツへ

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