松永喜久という人は自伝も出していますが、忘れられかかった境界線にあるかも知れません。女性初のボクシングプロモーター、初のボクシング記者という、その本人がラジオ番組で語った体験を思い出しました。

一人の少年がプロ入りを果たして、何回戦ボーイだかやっと手にした初めての試合。控え室へインタビューに行った松永は、少年の嬉しそうな笑顔を見て、なぜか写真を撮らなかった。特に理由はなかったのだけれど、いつもは必ず撮影していた試合前の選手の一枚を、その時に限ってどういうわけだか撮影しないまま、リングへ見送ったという。

試合直後に少年は急死し、のこされた母親に会った松永は嘆く。母親も知らない、自分だけが見た笑顔が、写真に残っていないことを痛切に悔いる。言葉で伝わらないあの日の少年の輝く表情は、頭の中にしかない。80歳を超えて忘れられないと、たんたんと証言するスタジオ。

撮影意欲というやつに従いすぎると、感情と空気の偶然に左右され、思わぬ穴があくという写真術の裏教訓だと、今は受け取れるのです。自分の気持ちに忠実でなく、気が向かない行動を起こす破れた人間にしかできないことがあろうと。右へ行きたいと思った瞬間に、左へ足を踏み出す者にのみ、開けられる扉があろうと。

純情に素直に思い通りに筆を動かせば、自然に芸術に届くという絵画道の教えは間違っているのだと。俗世の通念が虚構だと触れておきたくもなる、忘れかけていた逸話でした。
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