「優しくなるには強さが必要」的なフレーズがあります。高倉健もスクリーンで言ったような、言わなかったような。絵をかく時、そこはどうなのか。優しい絵に、強さは必要なのか。

強い調子の絵は、見る者を押し返そうとする。その逆の優しく引き込む繊細な絵が目標だからと、弱い感じに描く。そんな画家がいます。作者にヒアリングしなくても、そう絵に書いてあるし。しかし結果は裏目に出ています。

おしるこを甘くするのに塩を入れる話以前に、引きぎみの絵は普通は死んだように感じられるものです。死の表現でもなく、気の抜けた、だれた絵。引いたとたんに発言力が薄れて、本命の穏和な表現も相手に届かない。原理はともかく、結果はそうです。

つまり傑作の中には、強い絵と弱い絵の二とおりはないわけです。強い傑作と、弱い駄作に分かれるだけ。ではいったい何を指して強い弱いというのか、疑問も出るでしょう。簡単なことで、パーツが小さい絵は弱い。全体に対して部分が負けた状態。少ないおかずを、大きい弁当箱に入れた感じ。

それなら単に大きく描けば済みそうな話になりますが、実際にやるとできないのです。見えない描画プレッシャーに気持ち負けして、自然体で挑んでも小さく縮んでしまいます。良好な絵を目指して筆を手にした人は、例外なく全員がこの壁にぶつかります。

日本でよく言う絵の強い弱いは、たいてい商品価値の話です。買い需要に照らし、売れ線を強い絵と言っているだけ。企業株の強弱といっしょ。今はそのエコノミックな話ではなく、時間と空間を度外視した普遍性として、作品が場を支配する力の話です。
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