物ごとには道理があり、しかし同時に人の感情もあります。作家コンセプトにも、道理と感情の割り切れない部分はみられ、それが作品の幅を広げているように思われます。歪みが生むおもしろさというか。

道理を感情がじゃまして結論が歪んだ例として、光を超えた通信速度、未来へのタイムマシン効果があります。たとえば地球から長い棒を伸ばして、月に届かせる。その棒を、ぐいっと1秒間に1センチ押す。秒速1センチなら、光よりはるかに遅い物質移動で済みます。誰もが出せるスピード。

次の瞬間、月の側では棒が1秒で1センチ突き出して来るから、光が到達する1.3秒よりも一瞬早く信号を受け取るのに成功できる。このリアル感をもって、光速を超えることは可能だとする世界認識を、本気で信じる現代人が多いというのです。「こんな簡単なことに気づかない物理学者たちは頭が悪いね」と、ジョークでない本気の声さえ出てきて。

実際には、1.3秒よりも早く月に信号を送るのは不可能で、それは重い棒を押せる力持ちが地球にいないとか、途中でぐにゃりと曲がってロスするなどを理由としません。粒子の波動が伝達する速度が光速よりはるかに遅いという、抽象的な説明になります。

この抽象論は、すぐに具象的な感覚とぶつかります。ついには、世に完ぺきな棒さえあれば光を超えられるという結論に行き着く始末です。この結論は間違っていて、「光より速い物体があれば、光より速い方法は存在する」式のトートロジー的な閉そく論理循環にすぎません。「可能な手段さえあれば、可能になるのに」と悔やむのは無意味です。

人間のこうした不正な現実感は、科学には出番がなくて、架空の創造たるアートに出番が用意されます。しかし残念なのは、日本では絵画を模写的なさし絵とみなす点です。理にかなったモチーフが喜ばれ、科学なら許すファンタジーを、アートでは許さない固い感覚が悔やまれるところ。
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