時々参加者から、「自分の作品は正統ではない」という声があります。外国へ出すには、日本の由緒正しさがあるべきという心配でしょう。しかし本来は制約はなく、何でもありが正統です。全ては許されている前提で。

「正しい美術のあり方」を考える時、真摯、真面目でひたむきな作品が真っ先にイメージされます。要するに、ふざけてはだめ、真面目にやれという指導。しかしこれは片寄った思い込みです。

歴史名作の真摯ぶり、正統ぶりは、名作と銘打って生じた後付けイメージであり、作者が追究したものは今感じるものとは違っていました。古典を見直すと、おふざけ混じりでニヤリとなったり、当時のなんちゃってギャグが意外に広くみられます。

「ドラクロアは最低」と言ったアカデミーの権化アングルも、けっこう変な絵を作っています。往年の芸術家は、意外に聖俗反転や無茶振りやキッチュを織りまぜていて、真面目一筋の作品とは違うという。

ゴッホの『ひまわり』は、今では真摯な絵に見られますが、当時は勘違い作品として笑う対象でした。今昔のギャップがないかのように誉めそやすのでは、実は誤解釈しているといえるでしょう。異端たれではなく、美麗たれの意味で説教する材料にゴッホを使うのでは、歴史から学べません。

アートに欲しいのは真摯より事件性です。何かアブノーマル要素。少しでもよいから。しかし、自然志向が根底にある日本の美術は事件性が乏しく、だから作品の事件と聞けば不法行為の話題に向かいやすいような。書類送検や裁判の話が先に来るような。作る側も、警察官に背けば芸術に届くつもりでいるような。
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