ドイツの美術展ではよく議論が始まります。アメリカの会場でも、作品への意見は飛び交うもの。しかし日本のお客は美術にあまり意見せず、感想も「明るい絵ですね」「暗いなあ」程度。「美術は難しいもの」で定着していて、何か言うと恥をかく危険もあるし。美術と社会に断絶があります。

美術家の孤立を思ったのは、地方美術館を巡った日本縦断でのこと。私立現代美術館の展示室で個展が開催中で、若くない作者本人が陣取って筆をとって描いていました。その大作に、一目で幻滅した覚えがあります。

駆け出しの試案を思わせる、踏み込みの浅い佳作未満が並んでいたからです。工夫したり悩んだ痕跡が感じられない、詰めの甘い抽象画の山という状態。その制作ペースを五分の一に落として、一点ずつを五倍に濃縮すればよいのにと首をかしげました。

「平凡なまま安定して感興なし」と、誰も指摘しないのかと。しかし次に思ったのは、誰がどう言い出すかでした。日本の美術批判は、「デッサンが狂っている」「描けてない」など具象向けで、抽象は「難しい」「わからん」で払いのけて済んだから言葉がない。誉め言葉も情緒的なポエムが中心だし。

何でもありのリベラル美学や、コンセプチュアルやハッタリを時代が許しているマイナスもあります。ガリレオやゴッホの逆転劇を持ち出せば何でもかばえる陰で、美術家個人は実は孤立しています。悪口が来ない代わりに、助言も来ない状態でしょう。学生みたいに放任された許され方で。

許されない異端に届いた抽象画と、許されない異端に届かずじまいの抽象画。その違いを語り分ける言論基盤が必要だと感じたものでした。
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