公募展の審査やギャラリー展示の許可で、「技術も見ます」などと断りが入っていたら、いかにも前時代的に感じられます。古い眼鏡で作品を見て切り分けるつもりかいなと、一瞬いやな気分になるのが現代人。

なぜなら、20世紀の前衛芸術運動によって、共通に心得るべき技術なるものが消滅し、美術の技術力は個人単位の領域に達成度の物差しをまかされたも同然だからです。アートは何でもありだから、「技術」の語に多義性が含まれ、とっくに使えないBuzzwordと化しています。

ところがドイツでは技術力を求められます。これは簡単にいえば、プロ仕事として見せて魅せる充実度があるかの常識的な意味です。言い換えれば、「うちの子でも作れそうだね」と見られる作品では通用せず。素人的ナイーブは、日本では親近感が出せても、ドイツでは価値なしの扱いです。

日本では、絵の技術を言い出せば具象デッサンの腕を意味しやすく、だから抽象画には技術の概念がないといえます。写実の技術がない画家が、精進をあきらめて抽象に走った、逃げたとみる意識も根強くあって、これも日本なりの技術観の形成原因でしょう。

技術重視と言い出せば、「えっ、具象画しか許されないの?」という不安になりかねない日本。技術の語を参加者が違う意味に受け取る危険と隣り合わせで、話がやりにくい問題があります。
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