日本の美術家が外国に作品を持ち出す裏には、日本美術界の貧困があります。市場らしい市場がなく、売買が少ない経済面の貧困と、市民が美術作品をあまりよく見ていない貧困です。だから海外展には亡命的な意味も含まれます。潜在的な美術難民。

たとえば、日本の歌手や俳優が絵をかく。あるいは騒ぎを起こして事件を起こす自称アーティストたち。彼ら彼女らは、やはり悪く言われています。名前さえ先に社会に通してしまえば、作品は何だって通用して高く売れる。「アートなんてお気楽な仕事だよな(笑)」「総理大臣と裸で握手すれば僕の絵も高く売れるよな(笑)」と。

そこまでわかっているなら、市民は日本に隠れている本気な美術を探せばよいのに。音楽を探す時の熱心さを美術に当てて、ああいうのもある、こういうのもあると話が広がってもよいのに、静まりかえっています。

日本を代表するアート作家は誰かという話題になると、結局は歌手や俳優や事件アーティストの名を次々とあげています。思い当たる全て。それらネームタレントたちを楽勝で上回る作品を、美大出身者に限っても大勢が現に作っているのに、市民は相手にしない。

しかしこの現象に、理解しがたい点はありません。要するに市民はアートが全然わからないから、出回っている名前を支持する以外にないのです。嫌って叩くのも好いて称賛するのも、その範囲内。ならば、誰が市民をわからずやに育てたのか。欧米の市民はそのようになっていないのに。

日本の美術界は対処を誤ってきたはず。具象画壇はピカソ信奉者をおさえるために、市民の声のうち抽象がわからない声に同調した。ポピュリズムに乗じ、写実画の優位性へと我田引水した。黒田清輝の地位を守るために。薬が効きすぎて、黒田を信奉する本職画家たちも、歌手や俳優の陰に隠れる始末。他国の反日教育のブーメランを笑えない事態です。
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