とりあえずお試しで出品する初回から、作品決めの段で「こうした方がよいかも知れません」と、私案を加えておくことも増えました。大半は、作風の彼岸となる完成度を高めようという方向です。

いうなれば芸術度を高める方向ですが、それが商業主義とぶつかるような混濁はなかったようです。映画にたとえれば、社会問題を告発するシリアス路線を、ファミリー向け娯楽作品へとまとめ直すようなことは、やはり不要なのです。

というのは、美術は一点売れば一応は済むし、映画のように万人向けの集客力による興行成績の競争は不要で、最大公約数的なカバーは考えません。芸術性を下げて商業性を高めるという、妥協的な引き換えの発想はいらない理屈です。ポピュラリティーを加える量が小さくてよい。

参加希望者の作品は、もっと商業方向へ引っ張っても創造性は損ねないと考えています。言い替えれば、独り合点のマイナス面を持つ作品が、国内に多いということかも知れません。そのマイナス面は、ほとんどの場合で何かの不足です。過剰ではなく不足の方。

不足しやすいのは簡単に言えば見せ場で、音楽で言うサビの盛り上がりが抜けている作品が多いように感じます。これは国内の空気のごとき忖度を受け、目立たない地味な方向へ引っ張られるからではないかと。

「その絵はだめでこっちがよい」と日本で誰かが偉そうに言う場合、必ず主張が薄い作品が推奨されます。濃い作品をすすめるケースは皆無といえるほど。薄味にする説教がまた始まったかと。こうした間違った意向によって欠けた何かを、逆の価値観の外国向けに修整することが増えます。
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