時々ある質問で、「自分の作品は、そちらの指向に合わないと思いますが」という前置きが届きます。その合わない作品というのを見ると、互いの共通性がなかったりします。色々と多様。たぶん気持ちの萎縮でしょう。

日本ではデフレ不況が長く続き、たとえば今の30歳は、小学校に入ると不況が始まりました。不況の時代は、普段から何かとギスギスした暮らしの空気になるものです。重箱の隅をつつくような否定的気分に影響されて。

たとえば、今の国内求人はバブルを超えた好景気とアナウンスされ、むろんデマです。バブル時代には猫の手も借りる事態でした。「手があいた男がいるって?、いや女か、何でもいいから連れて来て」という調子。その場で採用。やがて社員化。

今は違います。求人で不採用だった声の山。足りないのは猫の手でなく、超人の手だという。該当者がいるのか疑わしい、条件つき求人のラッシュ。昔流行ったコンピューター結婚システムが、有名大卒、年収2000万、身長180センチ以上を求めたのと似た、超買い手市場の人探しブーム。

国内のこのシビアな渋い求人の空気は、求美術でも起きるでしょう。作る側が、条件クリアの義務を多く負っている気分の蔓延。しかしお客のドイツ側では求日本美術状態が続いていて、特に難しいハードルもありません。あらゆる作風を買う気運が、現地にあります。割とゆるい。

ここで募集する作品にも、指向性はないのです。ただ、芸術性が低いメリットはないという普遍性はあります。どんな料理でもよいとして、味がしないと誰にとってもまずいから、味付けする用意はあります。世界の作品が集まる話とは別に。
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