平昌(ピョンチャン)オリンピックの開会式が終わったところ。日本のスノーボード選手は、そろそろ五輪金メダルが出てもよい頃に思えます。前回は銀でした。ボードのやや異物的ポジションを、一般化させる機会でもあり。

1986年頃は長野県の大半のスキー場で、スノーボード(当時はスノーサーフィン)は禁止でした。ボード持参でリフトに乗るのも禁止で、登山客としてテクテク歩いて上に行き、オフピステを滑るしかなかったのです。

当時のボード製品は砲弾型シェイプで、180度プロペラしてバックで滑れないもの。映画『私をスキーにつれてって』では、スノーボーダーのエピソードもなく、実際のゲレンデでも珍しかった超マイナースポーツでした。

それが、前後対称の長円形フリースタイルボードと、モノスキーに似たアルペンボードに分かれてヒット。旧型スキー板の物理限界によるスキー場の大不況を、救世主的な新アイテムとして支えた歴史となったのです。

ボードはスキー場の秩序を、一時的に壊しました。両足スタンスが固定で、雪面に止まって立ち続けられず、谷に向いて座ってばかりの障害物。左右非対称の死角が原因で、前走者への追突。厳禁のイロハだった靴歩行で雪面に穴をあけ、コース外の遭難騒ぎもボードが圧倒的比率。

スノーボードを美術にたとえれば、具象アカデミズム相当のスキーに対して、新興の現代アートでした。高齢の先輩がいない自由度の高い世界で、80年代の若い入門者が今最長老の重鎮となって、技術的な蓄積もできてきました。しかし、国際スキー連盟の下に置かれた自主問題はあります。
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