何人か外国人が集まった場で、さしみ料理を食べるかで二つに分かれることがあります。すしネタを初めて見てギョッとした人には、気分だけではない科学的な心配も起きるでしょう。腐敗していないか、虫がいないか、生体が持つ毒も。

外国の目には、採ったままの魚を食べてしまう未開の風習と映り、一か八かのゲテモノ食いをイメージしたり。日本人は慣れているから、生魚が平気なのだろうと考える外国人は多いのでしょう。

ところが調理する側は、ルールとノウハウでガチガチです。自由とは違う。まずネタはいつも同じ顔ぶれで、何でもありではない。さしみにできない魚種こそが膨大にあって、本職の板前がつくる場合はあれだけの限られた魚種の、限られた部位に厳選されるわけです。同じ魚種でも、さしみ用と煮焼用のシールが貼り分けられているし。

添えられた植物は、刺激的な味ばかり。薬味の意味に、初心者は気づかないかも知れません。身に刃を入れる向きや切り幅にも、赤身と白身で異なるセオリーがあって。念入りなお膳立てで築かれた食文化体系だから、こうした知識から入る道もあってよいでしょう。

目を展示室に移します。日本美術を外国人の知る範囲で解釈させて、好き嫌いを決めさせて足りるのか、いつも気になります。たとえば書の作品には個別の表現意図以外に、分野全体で共通した哲学でもあるのか。そもそもこれはノーマル作品なのか、それともアブノーマルなのかなど。危険な腐敗したアートではないか、相手はビクビクすることもあろうかと。

「作品を見てもらえばわかります、それが全てです」と投げるだけでは足りないと考え、こちらも対応を考えています。
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