「良い作品」の語がダウトなのは、美術では常識です。多様化した価値と、年月経て入れ替わった幾多の傑作流転の歴史のせいで、良し悪しの通念がとっくに失効しているからです。俗に良い作品とは、作品と趣味が合う人のマイブームだったりがオチ。

ところが、落とし穴は二重になっています。現代美術はしばしば衝動の表現と解釈され、これがイージーアートを下支えしているからです。たとえば作者の思いや感情をありのまま、素直に表現するコンセプト。かくなる無為をてらった実直アートが、しかし結局は手抜きに向かいやすい落とし穴です。画材を普通に置いた、誰がやってもそうなりそうな習作相当とか。

「気の向くように描いてみました」式のなるがまま流は、概して気が抜けた成果になりがちです。何でもないものに、客が納得するかという問題にすぐになるでしょう。見物側の批評の目を完全無視した我が境地を尊ぶあまり、作品が凡俗でつまらなくなる現実的な話です。

現地から、「力量」というキーワードも出されました。善意の作であれ、悪意の作であれ、保守であれ革新であれ、ある種の「力」が求められます。日本で「絵の力」といえば、購入客がすぐ見つかる商品力の意味でしょうが、今の話はそれではなくてエネルギー感のことです。

きれいでも汚くても、鑑賞客は力のこもった芸を見たい。このエンタメ価値のアップに悩んでいない作品は、自然体の良さも出にくいでしょう。

市販の雑貨品にサインを書いて題名つけたら、国内美術館に買い取られ、芸術名士になれてしまう現代。それにならった後輩が試しに力を抜いてみたら、海外では歯が立たずという、もうひとつの落とし穴があります。
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