日本で「自分は抽象美術がわかる」と言い出せば、宇宙人みたいな不思議ちゃんにイメージされたり、めんどくさい人と思われがちです。素直で健康的な常識人を演じたい、万人向けの人気職にあれば、美術の話題になると自ずと注意を払い、抽象を鬼門として遠ざける傾向がみられます。

アートのあるまちづくりや、地域のアートフェスティバルなどで、大勢の若者たちが抽象作品を運び込んでいます。まるで、世間の壁がなくなったかのよう。しかし、世間の目はあくまでも道を外したマイノリティーへの関心であり、価値の一般化は起きていません。

「具象を極めた免許皆伝の人のみ許されるべき抽象なのに、勝手に飛び級的に成果を急いだ、わがままアートだ」などと映っている疑いです。若気の至りとして許された一時の宴にとどまった感が残るのは、当事者である都市プランナーの率直な印象。

その証拠に、アートの街を宣言すべく決定版の彫刻を駅前に置く話へ発展すると、最終案はブロンズの母子像などに取り替えられていたものです。前回の屋外彫刻ブームもそれで、保守派の営業でそうなったのではなく、公の常識という空気を読んだ行政判断でしょう。

この空気がヨーロッパにもある前提で乗り込んだところ、日本と国民性が似るとされるドイツでも、抽象は普及した後でした。Made in Japan展でも抽象画に最も声がかかり、他ギャラリーへの貸し出し作品も抽象でした。

この文化ギャップのせいで、抽象ならひとまず先進的に見える国内での利点が、ヨーロッパへ持って行くと期待できなくなります。抽象が若さや反逆のシンボルとなる日本とは、また違う計算が必要になります。
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