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サッカー日本代表の敗戦の弁で、「僕らは未熟だった」の言い方が時々出てきます。これが奇妙に感じることがあります。

スポーツのナショナルチームは、一人一人がライフワークにできるわけもなく、選手がどんどん入れ替わります。だから2年前も未熟で、2年後も未熟だったら、解決の手がありません。世代交代が速い性質上、じっくり時間をかけた熟成は不可能だからです。

まず、うまいベテランが去ります。技術向上を体力低下が越えると脱退していくから、チームの総力が年々上がる根拠がありません。自動的に下がる分を補うだけで手いっぱい。

身近な例でいえば、高校の文化祭や大学の学園祭が似ています。実行委員も委員長も来年は別人だから、今年できなかったことが来年ならできる道理が存在しません。来年の方がつまらない可能性もつきまといます。参加者は今回に全てを賭けるほかないわけで、届かなかった分を次回に上乗せするのは期待薄。

サッカーの「未熟だ」は試合直後の選手の手ごたえ感と思われ、熟する時間が欲しい願いではないでしょう。ならば、決定力不足という言い方とは別に、具体的に誰のどのプレーがまずいか、なぜまずいか、それをこう変えたらという案を、選手が共有するのが現実的です。日本女子チームはこの話し合いが好きらしく、男子チームはそうでもないみたい。

美術制作は一人一人のライフワークなので、ナショナルチームと違って年月を費やせます。しかし一人で事に当たるから、どの作品の何がまずくて、どう変えたら良くなるかは放置になりやすい。また誰かに勝つことが主目的でない性質上、開眼する日はサッカーよりは遅れるでしょう。
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