一カ月後のジャパン・フェスティバル・ベルリン2018に並ぶブランド絵はがきの新作は、わずか5点にとどまりました。うち人手に渡っている原画が3点あり、過去に撮影されたストック画像から版を起こしています。トップセールスが出やすいのは新作なので、会場では目立たせます。

申し込み数はもっとあったのですが、製品化に至りませんでした。絵はがきは今どき家庭でもつくれますが、他の作品と同じ現地事情です。ヨーロッパ国では美術があふれ、一般化し、アートのグルメも多いから、相手の手が出る根拠がひとつ以上欲しいという事情があります。

ところで現地の社会はといえば、EUのグローバル政策で相対的に勝ち組となったドイツさえ、景気失速中にあるのは確かです。が、延々と停滞中の日本と違いGDPはやはり上がっているので、消費活動は活発です。新作をもっと送って欲しいというのが、向こうの事情です。

版はすでにドイツ側へ送っています。向こうはGDP上昇に合わせ、印刷料も人件費も前回より上がっているとわかりました。

ブランド絵はがき
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|12-29|ブランド絵はがき物語||TOP↑
国内でクラウド・ファンディングが流行りだと複数の参加者から教えていただき、さっそくCF事業の担当者と話をしてみました。わかったことは、まず支援を受ける側が一方的に得しない点。当然、寄付する側も平成大不況の中にいて、お互いに余裕が少ない前提です。

ちょうどふるさと納税と似て、本来ないはずの納税を受けた自治体が高級和牛をたくさん贈るなど、謝礼の量と質から入る必要があります。タダで受けるのはだめ。美術の場合は謝礼を作品とすることが多く、市販されない記念品となり、外注経費にもならず釣り合います。

物語企画でやれば謝礼の品として何があるかを考えると、けっこう充実しています。「ドイツで売れた絵はこれです」と実績つきのジクレー版画が輝いているし、ベストセラー絵はがきもあります。いずれも刷る前に厳選してあるから、どれもほぼ当たり。

今回知った大きい現実は、知らない他人からの寄付が少ない点でした。前に外国で話題になったような、広域から支援が集まったというネット時代ならではの美談は、美術ではあまりないらしいのです。

つまり、親兄弟や友人や職場の同僚と町内のご近所さんが、支援の多くを占めている現実です。昔でもあり得た縁ある人々からの寄付が、意外に多いというデータを聞きました。ちょうど美術の売却と似て、内輪の人づてが絵画などの購入者になりやすい日本の傾向を思い出します。

物語企画のドイツ展の作品購入は逆で、作者を知らない他人ばかりです。現地では作品の中身で食指が動きます。その現地へ作品を送るイベントへの支援は、出品者に縁ある方々が頼りになると予想できます。出品者の作品を、欲しい物へと完成させておくことが最重要課題です。
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|12-27|クラウドファンディング美術支援||TOP↑
クレーンゲームはマニピュレーターを操作し、中の景品をつかみ取ったり、引っかけて落とすマシン。ゲームセンター側が不正に設定した詐欺事件として、大阪府警がいっせい摘発した珍しいニュースです。日本語が不自由な外国人旅行者もカモにしていたらしく。

外国人がクレーンゲームを、日本のサブカル文化として紹介した動画がありました。ところが国内ネットには何年も前から、ぼったくりだの詐欺だのと報告が多くあります。客の撮影では、景品をアームでつかむタイプは握力をひどく弱く調整し、景品が自重で滑って持ち上がらない手口が大半。

器具を落下させ穴に命中させるタイプは、客がやれば全て失敗し、店員は全て成功します。命中率ゼロと命中率一を切り換える電気的な隠しスイッチがあり、店員が押し分けて客をあざむく様子が動画にあります。

景品を吊すひもを切るタイプは、ハサミをあえて故障させてあり、景品を横へ押すタイプは、横へ押す動作を殺してあるという具合。景品にもおもりを入れて持ち上がらなくしていたり、針金や両面テープで固定し移動を食い止めてあったり。累計投入金額に達した直後のみ、機能障害が正常に戻り客が成功する「確率機」が主流だとは、元店員の証言。

アームの爪は大きく、穴も大きく、ハサミも大きく、この大ざっぱなデザインが詐欺の伏線です。難易度を上げて腕を試す方向ではなく、いかにも平易そうなデザインにした上で機能障害でプレーを妨害し、客から料金をだまし取るマシンに仕上がっています。なぜその方向へ進歩したのか。

現行のクレーンゲームの機能障害を正すと、平易すぎるデザインゆえ景品を取りまくる客が続出するでしょう。だから本来は、イカサマを排除してなお成功率が低くなる、日本の技術を活かしたデザインが必要だったのです。その方向へ行かないのは国内の空気なのか。似た例が他のジャンルにもないか気になります。美術作品にはないと思いつつ。
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|12-24|ニッポン事情スケッチ||TOP↑
完結した作品が必要です。出品用の作品を探して断念した例に、タブロー不在が少なからずあります。一枚の作品として完結しておらず、かきさしのスケッチ画をためているだけとか。

「自分は絵をかいていて、あれもこれも色々やってみたい」系のブログに見かけますが、断片スケッチの紙があるとして、並べると迫力も出るでしょう。でも一枚単位だと物足りないのです。弁当をつくる時に、おかずのつくりさしが一個ずつ入った弁当箱なら、何箱もあるみたいな。

売る時は一箱ずつだから、そのままでは腹につもらず市場に出せません。部分的におかずを上手につくれても、市場に出すにはもう何歩か進めて、箱を満たす必要があります。売れる弁当をつくるために充実が必要。

ただそこで、「自由が大事だ」「売る目的はよくない」「商業主義は敵だ」の抵抗感が生じやすいのが芸術です。コマーシャリズムの作為を排除したい思い。しかもそれは日本特有の心情です。世界ではあまり一般的でない、普遍性のない特殊な思いです。

商業と芸術は相関しないのに、反比例する関係でもあるかにとらえやすい日本では、美術家が実力発揮しにくい面があります。「モナリザ」「夜警」「浮世絵」など、商売目的だった絵を過剰に信仰し崇拝した空気が、国ぐるみ隠れハンデになっている疑い。

「現代は何でも自由だから」をまんま認めるなら、むしろ売るに徹するのも自由だし、聖俗反転も自由で、教条の余地こそがなくなる道理です。現にアメリカ産の商用版画は年月経て、日本で「現代の大物画家を三人あげよ」で真っ先に名前が出ます。この矛盾した商業観念にならう必要なし。
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|12-21|作家方針の工夫||TOP↑
今年の新人は、申し込み前の検討時に出品を断念したケースが多かったようです。ここでは不合格はないから、最初に出品向けの作品を探すわけですが、途中で準備不足を感じたのかも知れません。制作の上手下手の次元ではなくて。

出品に向くかは、当初の企画では不問でした。当落と無関係な市場参加だから。ところがドイツ側のお客は、日本のように何でもありではなかったのです。作品が至らない時は、現地客ははっきり指摘したそうな。現地情況を伝えられて、内容がショボいとまずいと知ったのです。

日本の展覧会は全く違う考え方ですね。鑑賞無料だから、出品する側の美術家が望むとおりの作品を気が済むよう展示するものだと。作る側の自由であり権利だというのが、日本のアートイベントにみられる心得でしょう。

しかしアートが一般化し、市民一人一人が審査権を持つヨーロッパは違います。無料見物であれお客たちの時間を消費しているのだから、引き換えに得るものが必要なのだと。この得るものとは、目の保養だとか心の糧となる体験などではなく、作品の実物だったのです。

現地客は作品を買いに来ます。自身の家の壁やコレクションに加えるために、日本の新作美術展にも足を運んでくれます。裕福なコレクターは、内容しだいで高くても買う。当然ながらこちらも応じます。売り物のつもりで作っていない実験作品や奇抜作品も、何とか相手が買い取れる範囲に入れて送り出します。

ところが日本では、「芸術は自由なはず」「自分を曲げるべきでない」「ゴミが何億円にもなる時代だし」の何でもありが低い方に広がり、相手の存在が消えているのです。「別に売れなくてもよいさ」の割り切りが、芸術度の低下に直結する隠れ法則さえ読めてきました。ちなみに、ジャパン・フェスティバルなどフェア会場は全て入場有料で、前売り券も発売中。
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|12-17|作家方針の工夫||TOP↑
芸術弁論タブーのひとつは、外国アートにくらべ日本の何かが劣っている話題です。が、もうひとつ顕著なのは、人類にとって芸術の意味が変化している話題かも。悪い変化はタブー。ダーウィンの進化論と似て、拒絶反応が素早い。

ちなみに進化論が今も猛烈に攻撃される動機は、よく言われる宗教との整合問題は二の次です。最大の動機は、猿が人間に進化するという誤読による、チンパンジーなど霊長類との確執でしょう。えっ、誤読だって?。

進化論を嫌う感情の正体は、人の祖先が猿だとは許せない自尊の思いであり、だから昔からダーウィンを猿の顔に描く報復行動が多発。しかも実は曲解です。ダーウィンはそんなことを言っていません。言わないのに言ったとカッカする人類の事情は、類人猿を嫌う深層心理でしょう。

かくも感情で収拾がつかない類例に、ロストテクノロジーがあります。昔の人にできて、今の人にできないこと。MT車のダブルクラッチ?。一例はエジプトの大ピラミッドで、現代人が信じたくなる説は、「当時地球に飛来した宇宙人がピラミッドを建てた」「それなら今できないのも納得」。

これと同じ感情がアポロ陰謀説で、50年前の人にできて今の人にはできないから、映画監督がスタジオで収録した壮大な芝居だった説が、正論を圧倒しています。若者のほぼ全員が半信半疑で、ピラミッド同様に永劫疑う動機を乗り越えられない人類の宿命でしょう。

このロストテクノロジーが、芸術に起きている疑いがあります。昔の作品を見てインスパイアされ、燃える思いで作った成果が自動的にショボくとどまる現象です。要するに彫りが浅い。口に気をつける公人の弁みたいな制作態度の縮こまりで、太古よりも必ずスケールが小さい凡作どまり。個人の問題というより、人類が何かを喪失しつつあるプロセスの疑い。
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|12-14|芸術の秘密と謎||TOP↑
大学で屋外彫刻をつくり、苦労して完成し市街地に運ぶ直前に、教官から突然言われました。「作品タイトルは何?」。考えもしませんでした。ひどくあわてて、たまたま台風が来て外は強風で、そこから取ったのです。

音楽分野で曲のタイトルに、その時に起きた事件をヒョイと題名にするのはよくあり、ビートルズ曲にもそうしたテキトーなタイトルがあります。問題は、美術展に向けて美術家がやっておくべき準備の多さです。

アーティスト名と作家サインを決めていないと、けっこうあわてます。日本ではサインは作品を汚すもので、絵の純粋さと清潔感を保つためにサインを省くか、しぶしぶ淡く小さく入れる傾向があるみたい。しかし市民が価値を決める欧米文化では、署名なき状態は敬遠されるようです。

また作品が人手に渡ると、作品サイズ、材質などの情報がわからなくなります。作品一覧をつくってサイトをつくる時に、ネームがそろわず空欄ができて、カッコがつかないことに。

特に絵画は、撮影画像がないと悔恨となるでしょう。非常に精密な複製画がつくれるハイテクの時代になっていて、作者の存命中は版画の名で売るルールです。作品完成時の高画質な画像は生涯の収入源になり、展示会にも顔を出し続けられる利点です。昔はなかった今の特典。

大学の彫刻では、教官のもうひとつの質問に面食らいました。「値段はいくら?」。考えもしませんでした。2人チームで組み上げた高さ3メートルの鉄製彫刻を、売る発想がなかったのです。この最初のつまずきは、日本国内によくみる問題だと後で知ります。
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|12-11|ジクレー版画物語||TOP↑
今秋の寒波は11月でなく12月に始まったようです。ジクレーの版下づくりも混み始め、前年よりも遅れたピークになりそうです。夏に準備した分がない回になります。着手を早めたかった理由は、時間を多く当てた作品はやはり相応に練られるから。

ドイツ側でフェスティバル主催者の宣伝が始まり、アーティスト資料は例年ジクレー版画の中から送っています。ただ、決定した作品はまだこれだけ(2018年の新作ジクレー版画)。

版画系の募集は今の時代変化に話が広がり、前回も啓発の苦心がありました。ジクレーは何でも版画にできて便利だとしても、複製作品への抵抗は国内にまだ残るからです。日本画より洋画に多いジクレー化の敬遠。

原画は本物で複製は偽物だと何となく感じるのは、比較的新しい感覚でしょう。近世の画家たちの方が、複製作品に寛容だったほど。多色インクプリンターが発売された1997年から、日本で是非論が起きました。

では現代のアート市場の反応はどうか。意外にも撮影画像にデジタルで描き足すタイプの作品が、ドイツで売れゆきが安定しています。もしかすると美術作品が複製物に移る流れが、ごくゆっくりと起きているのかも。

原画は下絵にすぎず、プリント画で完成させる方法なら、絵を写真のごとく何度も市場に出せるメリットがあります。原画を手放しても資産が残る時代の特権でしょう。そこが大事な理由は、一人の最高傑作は比較的若い頃に出るせいもあります。撮影画像を作者が持たないと特権を失うから、現代画家の命綱になっています。
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|12-07|ジクレー版画物語||TOP↑
日本には美術の一般市場がないから、現代アートフェスティバルは市街地で開催されず田舎へ向かう。市民社会と切り離された、オタク文化の内輪で珍世界の存在意義を保つ。この現代アートの冷遇構造をつくった犯人は誰でしょうか。

たぶん単にニワトリとタマゴと思われ、いざ売らんとした時のウリの少なさが新しい原因でしょう。作者は最初から出し物と考え、売り物と考えないから、作品にウリがない。実際「過去にドイツで売れた作品はこれこれです」とサイトを示すと、一定数の参加辞退があります。ハードルを感じるらしく。

自分の思いで作るには慣れていても、売るには慣れていないと考えられます。それも当然で、日本の公募展覧会は販売禁止のコンテストが大半なのも大きいでしょう。お客が見るだけに制限されているから、作者も見せるだけの想定で考え、他人が買わない範囲で作る。

「我が家に飾るため、無名の作品を買いに来ました」というお客は、ドイツには多く日本には少ない現状です。作品と鑑賞者のこの関係が、独日アートの隠れた大差です。買って友人に自慢したくなるおもしろい絵画が、日本にはできにくい構造でしょう。

見て終わる前提のお客には何だって通用しても、買う前提のお客だとボーダーラインは上がるでしょう。展覧会イコール売買マーケットのドイツでは、作品がウリの華を持っていて当たり前なのでしょう。市販音楽CDの曲づくりと同じで。

売れる作品を商業主義とみなし、芸術の神への冒涜とみる通念が日本にあります。ゴッホやモディリアニなど、売れずの画家が尊ばれるのも、原因であり結果でもあり。たぶんその空気のせいで、買う気を刺激しない作品が主流。美の常識への挑戦や、既成の概念超えが目的ではない、普通に心温まる作品さえがウリを欠いてお客とすれ違って。
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|12-05|ニッポン事情スケッチ||TOP↑
最近、著書ブログでよく触れるのは、美術の一般化と特殊化です。これが日本に特有のデフレ脱却失敗劇とも関係がある問題です。その問題とは、美術家が作品を売り払う場が少なすぎる制約です。展覧会は山とあれど、売る場は限られる。困窮時に絵や彫刻を売り払う場が国内にない。

日本の美術が特殊化している根拠は、現代アートフェスティバルを田舎や離島で行う慣習です。1980年代から変化していません。地域文化の創造育成にみえて、実はみやこ落ちした隔離策かも知れない、うがった見方もできます。「うがった」は邪推ではなく、隠れ正論の意味で。

先進国のアートフェスティバルは、市街地や生活圏で行います。会場で飲んで食べて鑑賞するのは同じでも、基本的に都市祭であり売買の見本市です。ドイツのお客も買う作品探し。美術館の見学とは異なります。

売買しない展覧会は盛り上がらないから、出品する側の目的も市場に問い換金することです。売るつもりの作者は本気。だから我々も、ドイツの現地市民が買える範囲に作品を入れます。あの手この手で。

一方の日本には市場がないか、あっても限定的です。展覧会は見学会にすぎない。その証拠に、公募美術展覧会の大半は売買禁止のコンテスト展です。売らない展示ばかりが多く、レギュラー的なアート市場がない現実。買わない前提の市民は本気で見ないし。

結果、画家は作品を放出する場がなく追い込まれます。美術通販も欧米がずっと売れる。それプラス、生活圏で美術即売会がひんぱんに開かれるのだから。差は歴然。あちらには駆け込み、投げ売るマーケットが一応あるなら、完全ゴッホ化しにくい。写真アートも同じ状況です。
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|12-01|ドイツ事情スケッチ||TOP↑
現東京都知事がつくった新政党の公約に、「AIからBIへ」がありました。人工知能からベーシック・インカムへ。交替させる意味ではなく、同時に求める意味です。元大阪府知事も以前唱えていました。人の頭脳を電子頭脳に替えるAI革命が、ホワイトカラーを不要にするから。

高給取りだった銀行員も、熟練幹部が頭を使う融資業務さえAIへの置き換えが確定しており、早晩仕事が消えます。現に大手都市銀行でも、全社員を25パーセント減らすと発表したばかり。非正規に替えないで。アメリカに「近い将来に消える百の職業」なんてニュースがありました。事務や営業や管理はもちろん、弁護士やファンドまでもが消滅候補。

仕事が不足して国民が死んでいくので、全国民に月7万円などを支給し、残り少ない職場で働いたら上乗せする制度がベーシック・インカム。いくつかのヨーロッパ先進国は着手済み。急ぐ動機に、日本企業がデモするロボットの衝撃もあるでしょう。曲芸師や兵士も不要になりそうだから。

日本で全く議論されないのは資産家が国を仕切るせいと思われ、実際ネットの議論も自分に有利か不利かで意見が割れています。財源がないとか、働かない人が増える指摘は、働く場が消えて人材が不要になる現実への反論になっていません。社会性のないミーイズムで回る光景か。

自動運転車が普及してからでは遅いだけでなく、電気自動車への移行も部品数が激減して大量解雇になって手遅れ。車の電化が遅れた日本はなおさら。影響を読めない理由で議論を遅らせようにも、今起きて身近に迫っている問題です。早く研究して失敗を重ねるトレーニングが必要。

ベーシック・インカムのメリットに、老後の不安が縮小し過剰な貯蓄が不要で、お金が市場に出て経済が回る点が言われます。すると趣味や教養への関心が増えるかも知れず、美術には有利かも。ただし、うまく制度設計する人材がいない国では、輸入したAIに指示をあおぐのかも。
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|11-26|美術の基盤は経済||TOP↑
ドイツ遠征に抽象絵画の参加が減っています。原因は国内で減っているからで、買う空気がない不景気で意気も落ちやすように感じます。我こそはという抽象画があれば、ドイツに向けて送り出しましょう。

「最近は抽象画に抵抗がない人が増えたね」なんて意見はみられません。何でもありのネットでも、「全然わからん」「意味不明」「きれいでもない」「いらね」の意見が圧倒的です。局地的に売れるゾーンはあっても、理解が広がっている様子は国内にみられません。

たとえば先日の、五千万円の絵を盗んで有罪になったニュース。元は駅の壁にあったあのアクションペインティングの純粋抽象を見て、金額に合った内容なのかの議論は起きず、難しくて僕は全然わからないと言う感想ばかり。何よりも反響の小ささ。

こうした抽象へのマイナス評価が寄せられてきた一因は、実は作品側にありました。抽象画はモチーフのおもしろさをウリにできず、見せ場づくりが難しい。その難しさに打ち勝った抽象画が少ない、往年の構造問題があります。高度ゆえ、傑作率が元々低いという宿命的なものです。

抽象画をいくら切り回しても、腹ペコの人にジュースを出すような、的へ当たりにくい面があります。世界中で多様な作風が出そろうにつれ、抽象画の新作が他人と趣味が一致する確率は下がっているのでしょう。そこは、モチーフできずなをつくれる具象画が有利。

そこで、いっそチーム化して作ろうではないかと考えました。こちらが買う身になり、作品に足りないものが何なのか調べる。徐々にそうした解決法が増えているところです。独りでやりたいように作っても一向に夜が明けない理由は、別に謎ではないのだから。
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|11-23|作家方針の工夫||TOP↑
日本で自慢だった原子力発電所は、地殻変動の津波で壊れました。かぶった海水で、海辺に置いてあったディーゼル冷却装置が破損し、原子炉は温度上昇で水蒸気爆発しメルトダウンへ。原発の地位は失墜し国際競争から離脱。発電所の関係者が不可抗力の無実を訴えたものだから、ならば今後また起きるから全部なくそうという世論に。今ココ。

しかし日本の失敗とは関係なく、フランスや中国など各国は原発をいっそう増強中です。そもそも原発という悪魔的エネルギー交換装置を人類が頼る最大の根拠は、種の生存です。昔から言われてきた氷河期の地球寒冷化で、暖をとれないと人類は絶滅が確定。

次に逆に地球温暖化への対処を要し、太陽の残り寿命の50億年よりもはるかに早期に、赤色巨星化する過程で核融合は活発化し、地球上の生物の死滅は確定。座して死する前に、人類は火星か土星の衛星へ逃げ延びるほかありません。月の空洞へ逃げたのでは、近すぎてやけどする。

大気が酸素ではない移住先で、電力づくりは酸素で燃やす石油や石炭ではなく原子力に依存する道理です。ただしこれらの長期スパン以外にも、近未来の需要が新たに出てきました。電気自動車です。

車から燃料タンクが消え、スタンドで売らなくなったガソリンと軽油を、発電所に集めて充電用の電力をつくることになります。が、化石燃料は国際政情で供給が不安定だから、地震が少ない国は原子力を主に使うでしょう。

悪いタイミングで原発事故が起きた日本は、世界貢献と商機に近いポジションから離脱中。自滅中。だからか国内に出回るプロパガンダでは、電気自動車の時代は今後百年来ない予想になっています。電気自動車の時代が来る日を遅らせたい願いは、内部にも外部にも山とある現状です。
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|11-20|ニッポン事情スケッチ||TOP↑
モンゴル出身の横綱が他部屋の力士を叩いた凶器は、ビールびんかゲンコツかで、しばらくマスコミがゆれています。最近マスコミのフェイクニュースがひどいと言われます。マスコミ自身は指摘せず、指摘するのはインターネットのWEBサイトですが。

そのWEBサイトで、新聞社サイト以上にアクセス数が多いのが、トレンドブログと呼ばれるニュースまとめサイトです。そのトレンドブログが、最近の事件に関連して被害を出しました。東名高速道路の夫婦死亡事件です。

その容疑者の関係先として、ある会社をトレンドブログが詳しく報告した。すると国民が電話で糾弾し始めました。「倒産させてやる」「殺してやる」などという脅迫が続々とその会社に。市民たちの手で悪人たちを世の中から退治し、抹殺する正義の鉄槌がついに爆発。

よくあるように、関係ない別人の会社でした。騒ぎに大喜びしたのは、トレンドブログの関係者。ガセネタで読者を山のように釣って、アクセス数を飛躍的に伸ばして得た広告料で、一億円以上の年収を獲得。大成功。

この問題で学者たちは憂慮しました。「これではインターネットは信用されなくなる」「アクセスが多いからと、検索ソフトがフェイクニュースを優良扱いしてよいのか」「良質な情報が下位に落とされ、読まれなくなってしまう」と。こうした意見は、異論なのか、ぶれなのか。

良貨を駆逐した悪貨を良貨と呼ぶ、勝ち負け社会に変えたはず。「富を最高の価値とする」「富む者の情報を最高の価値とする」。これらは新自由主義の諒解だったのに?。支持の多さが正義となる単純化した世界秩序へ、日本を変えた後で忘れるのがチト早すぎ。
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|11-17|ニッポン事情スケッチ||TOP↑
参加希望者にたまにみるのが、「ヨーロッパでの個展を望み、それ以外は不要」という初心です。一発勝負にかける気概らしく。ところが結果的にこちらで個展や二人展をセットするのは、団体展参加者の中からです。なぜそういう結果になってしまうのか。

これは現地がついて来る下地づくりと、こちらがついて行く下地づくりです。日本でも個展は、6日10万円は最低限。ドイツだと2~4週間でもっと高いから、的を外すとダメージが大きい。個展の初日にお客たちが「これは違うなあ」と感じたら、互いに損です。的に当てたい。

そこでマーケティングリサーチというわけで、低廉な団体展で事前調査し、方向性を決めて個展の設計に入るのが得策で近道です。この慎重さは、現代アートの時代性とも関係があります。それは、一人の作者が多品種になっている現実です。

一人で、具象画、抽象画、写真、オブジェとマルチに手がけるのは、現代日本ではよくあること。いかにも現代らしいのは、各々に一貫した作風がなく別人のごとき作風になりやすい点です。外部に感化されがちな、情報過多の反映でしょう。

一人展で雑多に並べると何屋さんかが焦点を結ばず、現地の関心は薄れると予想されます。かといってヤマカンで選べば、外れる確率は低くない。現地でイケるイケないをチェックしてからの方が、よいペースを保てるはずです。一発シンデレラは、美術以外の分野でももう起きないし。

ジクレー展でめぼしい作品を顔見せし、感触を確かめるのは無駄になりません。だからか、当初はベスト作を推奨していて、今は新作や試作の出品が多くなっています。原画は温存され、消耗しないのも利点。
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|11-16|ジクレー版画物語||TOP↑
入社試験の面接では、しっかりした信念とやる気をアピールした学生が、優れた人材と認められる傾向があります。わが社を目指す動機は何かとたずねた時、整理された明快な答がはきはきと返ると、面接官も感心して一押しであろうと。

しかしその常識的な見方が無意味、あるいは現実はそうならない例が、ある業界から示されました。ネット投稿サイトで活躍している葬儀社の、社長による内情報告です。しっかりした信念を胸に抱いて、やる気に燃えていた学生は、入社してから仕事が続かずやめていくという。

よくある信念は、「みんなの役に立ちたい」「社会貢献したい」という高い志です。葬式を取り持つ重要さへの尊い気持ちと、冠婚葬祭の伝統を守っていきたいという立派な見識。そうした学生は、早い時点で転職するらしい。同業他社へ移るのではなく、職種を替えて業界を去って。

何となく食っていくために、仕方なしに葬儀の仕事でいいやという学生が、長続きするという。入社後もその調子かと思ったら、それも逆で。かえって仕事の本質が板について、ベテラン化する法則らしい。

かっこいいことを言うと化けの皮がはがれるとか、最初から軽い気持ちだと壁に当たらないなど、脳の作用もあるのかも知れません。しかし大事なのは、世の業務は食っていくために仕方なく存在する二重性が最初からある点です。絶対に欠かせない聖職も同じ。企業理念も後づけだし。

美術でも、可能性を夢みる人を見かけます。しかし事前のやる気と高い志が作品に結晶したためしがなく、早めに撤退してしまう法則を感じていました。大儀なしに作る方が、挫折は起きにくいのかも。
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|11-13|作家方針の工夫||TOP↑
美術作品サイト(ホームページ)を作る時、作家が注意すべきは需要の細さです。簡単に言えば、アーティストを見たい意欲が世界的に希薄。欧米ではある程度アート探索して作家サイトが重宝されても、日本だと作家サイトの出番がほとんどありません。

「皆さんお元気ですか」と芸能人が書くのと、芸術家が書くのでは、見たい人の数が何ケタ違うか。画家も彫刻家も、人気職種との差から出発する必要があります。サイトを見たい人数が絶対的に少ない現実は消せない。

日本に限るなら、芸術とか美術とか現代アートとかは、難しくてわからないから嫌いという気持ちが一般的です。絵や彫刻を別に見たくないし、生涯関係ない。ネットを見るなら芸能タレントの結婚や、政治家の失言や、東アジア国家紛争が先なのが普通。ヒマがあればそっちに目が向きます。

日本でアートサイトに来る読者の目的に、作品画像の回収があります。同業の美術家が参考目的でパクるのではなく、ビジネス企画書や報告書に貼るイメージ画像の調達です。こういう現実も、一応与条件です。

美術サイトを探訪してくれる貴重な読者とて、画面に作品を映して引っ込めてが手間だったり、ボタンを押し進んで迷子になると、閉じて去ります。殺人事件報道や保険料計算サイトほどは見たい気持ちが強くないアートだから、サイト操作がメンドクサイとすぐに帰ってしまいます。

普通のサイトはメンドクサイに決まっており、ここで受注する作家サイトは、そうした隠れ事情に合わせて、さっさと作品の力量を見せつけ、美点を伝えきるに徹しています。相手側に、時間をかけてゆっくり楽しむ用意が最初からない前提で。購入動機へ直結する特殊機能も装備し、作品も自薦の独演会とは距離を置いています。
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|11-08|作家サイト作戦||TOP↑
住宅建築家の宮脇檀が語った悩み。「初めてマイホームを建てる人は、ショートケーキみたいな家を欲しがる」と。意味はおそらく小さなお城。出窓と丸いアーチやとんがり屋根にレンガ積み、屋根裏部屋に上がるはしご、回り階段や対面キッチン。

実際にはすぐに飽きて不便で寒かったり負担ですが、初心のあこがれが強いから今では住宅会社はお城ふうプレハブもラインナップします。実は美術作品サイトも似て、ファッショナブルでファンシーなお城や御殿ふうのサイトにあこがれる人も多いみたい。

住宅でよく言われる格言が、「家は三度建てないと良いものにならない」。簡単な話で、初回はショートケーキに向かう。反動で逆方向へ走り、三度目にほどよく落ち着く流れです。石の上にも三年や、ホップ・ステップ・ジャンプの三ではなく、こっち、あっち、真ん中と振動するキーナンバー三。

美術サイトも初回はファンシー、次は反動で凡、三度目に読者優先に目覚めるのかも。実際に注文主の好みが日替わりしたり混乱して、制作途中にこっち、あっち、真ん中と振動して、制作中止も起きやすい。ファンタジーと現実との間で、注文主も迷い始めるから。

ファンシーの例は、古くは音楽で始まるサイトでした。大好きな曲を皆に好きになって欲しくて。読者はうるさくてすぐ閉じました。音楽に代わったのがアニメと映写や動画で、WEB業者も住宅会社のように顧客のあこがれ意識に応じています。応じた方がオプション料で儲かるし。

おしゃれ度重視の作品サイトで多い失敗が、北欧住宅の白壁ふう真っ白。そこに並べた作品が暗く沈んで見えるのは瞳孔が開く生理現象で、日本的な絵を引き立てていない結果もみられます。器の美に目が行きすぎやすい点で、住宅とサイトは似ています。
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|11-07|作家サイト作戦||TOP↑
ブログもサイトも無料レンタルだと、広告が出ます。広告をなくすには有料となります。無料のままだと対外的に難もあるので、無料レンタルサイトを有料で使うケースも多いようです。

ただ、ある無料レンタルサイトでは、独自ドメインを他業者から引き込むのは不可で、中で新規取得するほかなく、しかもドメイン移管ができない規約でした。途中で方針転換できない。支払い額は、零細手作りサイトからみて安くもなく、何年かでコストが逆転し開いていく計算です。

これは無料にとどまる利用者の分まで払ってやるからで、だからサイトから直接収入がない美術では、無料レンタルと丸わかりのサブドメイン名と広告表示でしぶしぶ続ける傾向があります。しかしテンプレートや入力ソフトがいくら無料でも、当人の手間賃はかかっています。

利用者の労力をゼロ査定して無料だから、ユーザーの国の就業率や失業率でありがたみが変動します。好景気になると無料の価値は下がり、爆買いの気運に転じるでしょう。日本人がパリで爆買いしたのは80年代。景気を測るのに、無料の語の価値は株価よりわかりやすい。

無料レンタルサイトが世界的に急伸した背景は、世界同時不況といえます。しかし有料サイト業者は今も駆逐されずに栄え、実は無料サイト制作者と同一人物だったりします。これは作りやすいテンプレートが供給過剰で、値落ちしている事情もあるのですが。

サイトの印象はテンプレートで決まるかに思えて、実は画像と活字で雰囲気が大幅チェンジします。「これいいね」と一目ぼれしたサイトは、貼られたレンタル写真の魅力だったりして。最近のブログとサイトはレスポンシブル設計で、全般にすき間が広めで大味です。でもアクセスする読者に切実なのは、迷子にならない整理された操作性とボタンの感触です。
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|11-04|作家サイト作戦||TOP↑
日本のニュース番組で近年話題になった、現代アートフェスティバル。都市の喧噪から離れた郊外、あるいは田舎や離島などに現代アート作品を集めて展示するイベントです。お祭りの見世物と親睦会の目的があります。バーベキューとビールが人気。

それに対して欧米でいうアートフェスティバルは、要するにバザーです。買い物をする市場を開く意味。だから伸び伸びする郊外ではなく、サイフを取りに帰れる日常の距離で行われます。日本の美術祭とドイツの美術祭は、方向性が全く異なります。ドイツでは遠方に隔離しない。

ジャパン・フェスティバルのように欧米以外にアジアにもある日本特集や、先輩のジャパン・エキスポも同様に商戦の場です。だから出展者は、日本人以外も混じります。人が集まる場では、売れたが勝ちの論理。

「この作品で驚かせてやるんだ」「話題をさらって新聞に掲載されたい」という目標は、日本の事情です。世界中の美術祭ではその手の戦いではなく、お客に多く高く売ることで社会貢献します。当然我々も、多く高く売れる方向に引率します。親睦会や思い出づくりよりも優先して。

ジャパン・フェスティバル・ベルリンのステージプログラムでは、各国の人たちが日頃の日本文化技芸を披露します。一方でアートの階にはドイツ国内コレクターが買い出しに来て、業界人も回っているとわかってきました。たこ焼きや日本酒の宴の中で。

だからここでも、「結果は参加者の力しだいです」なんて話はやりません。「こうやれば反応は良かった、これだと悪かった、この方向なら伸びそう、こういう改善もあり得る」と、売れる確率を上げる話し合いになります。
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