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2019/03/20

アポロ11号の月着陸と新八犬伝

今年2019年はアポロ11号の月面着陸と人類の一歩から50周年になり、イベントもあるでしょう。しかし10年前の2009年に、NASAがアポロ40周年を記念して資料を整理すると、愕然とする事実が発覚しました。映像がどこにもないのです。

なぜないのかをたんねんに追跡調査して、寂しい結果が報告されました。アナログ映像信号のマスターテープが、その後の計画の記録に回され、上書きされていたのです。その後の計画とは当然スカイラブを含みます。アームストロング船長の一歩の動画原版は消え、ため息が残りました。

似たことは当時の個人でも起きました。まだラジカセ類がない頃、初期カセットテープレコーダーでラジオ録音を行った人は、今ではテープがほとんど残っていないでしょう。一本のカセットテープが貴重で、別の番組を録音するために次々と上書きした時代だからです。

カセットテープを10本の箱単位で買い、録音すれば爪を折ってライブラリーがずらり並ぶような、物量投入ができたのは1970年代前半からです。使い回しのやりくりが、アポロやその後の宇宙ステーション計画で起きていたわけです。

連想するのは、NHKテレビの『新八犬伝』です。文学の原作は曲亭(滝沢)馬琴(1767~1848)で、坂本九がナレーション担当の人形劇が、やはり歴史から消えています。今になってDVDシリーズが出ないのはそのせいだという。人形制作担当の辻村ジュサブローは、後にラジオ番組で説明しました。

初期のビデオテープは貴重で、前回放映分を消して次回放映分を撮っていたと。古いフィルム時代の番組なら残っているのにと。とても残念がっていました。先日、日本国政府はデジタル公文書案を出しましたが、ダビングして日本各地に置く必要があります。アポロは当時の放送映像をかき集めて、かろうじてデジタル化できました。
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2019/03/16

実質賃金の意味を大物経済評論家が間違うのはなぜ

文章に使えても、会話に使えない日本語がいくつもあります。ひとつが「役不足」です。国民の5割が意味を間違っているそうです。役不足とは、作業が簡単すぎて能力が余った状態です。大人が5キロの箱を持ち上げるのは役不足で、50キロなら能力不足でしょう。

しかし「この仕事はあなたには役不足ですね」と言えば、相手は怒るかも知れません。ほめられたとは思わず、「不足」の字のイメージで、何かが足りないだめな人だと悪口を言われたと思う率が5割だから。似たことが「実質賃金」という語でも起きています。

実質賃金をネットで見ると、ウソ解説の方が圧倒的に多く強い論調です。たとえば「名目賃金は収入を指し、実質賃金は税や健康保険料を払った残りを指す」という説明です。これは「実質」を「正味」のイメージに結びつけ、確定申告の差し引き所得と混同したのでしょう。

また「失業率を改善したから就業者が増えて、その功績と引き換えに実質賃金は下がる計算だ」もよくある説明です。実質賃金に人数で割る工程がないから変です。「増えた労働者は低賃金スタートだから平均が薄まる」のイメージで、一人当たりの賃金と混同したのでしょう。

ネットで、この間違いを続けた大物経済評論家を吊し上げています。しかし原因も大事で、字面イメージの支配力に注目できます。一字でも人の脳を染める誤導現象は、アート制作でも応用されます。作品タイトルだとか、絵に何かを描き足すだけで意味が一変する記号的な効果もそうです。

実質賃金指数は、名目賃金指数を物価指数で割った(分母とする)数字で、関係が深いのは売却量総計(売れ行き)です。賃金の上下の話で、名目と実質を適宜切り換えて、国民を引っかける手が横行しています。この実質賃金の政府発表に偽りがあったとして、国会でまたもめました。
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2019/03/15

カリスマ政治家の登場を待つ世界の人々

日本の総理大臣は常に「降ろし」の声にさらされます。現総理にやめろの声がかかるのは、憲法を変える目標を公言しているからでしょう。防衛力は強めずに弱めよという声が集まりました。一方で、難解なデフレ経済悪化への批判は少なめ。

それが異例の長期政権となった理由は、代わりがいない悩みです。国民が願うのはカリスマ総理大臣で、誰かものすごく有能な人が現れたら、日本の問題は根本から解決するのにという願いがあります。東京都知事と大阪府知事の選挙でも常に言われてきました。

郵政民営化のあの人が総理大臣になった時、美しい写真集と自伝が大ヒットしました。やっと本命キターと。結果はワーキングプアを激増させる元年となり、日本の最新技術(ハイテク大企業)が外国の手に次々渡っただけだったねと、年月を経て評価も転じました。

日本にシャッター通りを定着させたのは消費税5パーのあの総理大臣ですが、リーゼント総理と呼ばれた後、下ネタまで出てすたれたきり。時のカリスマ偉人とて、後で皆が冷静になれば煩悩多い一人の人にすぎず、中味が特別すごい超人は現実にはいないわけです。裸の王様だらけ。

3月が予定だったイギリスのブレグジット(EU脱退)は、暗礁に乗り上げました。そもそも脱退を進めるメイ首相は脱退反対派なのに、脱退推進派が次々去った後始末に回る不遇です。グローバル社会と民主主義が合体困難な治世の難易度が、人の能力を超えてしまった意味にみえます。何となくユーゴスラビア状態。

カリスマをわかりやすく示すのが美術作品で、当時の大ヒット絵画が後退し、代わりに後世の教科書を占めたダメ絵画列伝は、印象派やゴッホ限りではないわけで。それで、近代の巨匠画家には自伝があまりないのでしょう。
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2019/03/13

2020東京オリンピックに反対する意見は正当なのか

2020東京オリンピックまであと500日を切りました。このオリンピックに反対する声は多くみられます。一番多い声は「五輪の後に必ず景気が落ち込む」という経済法則です。長くデフレ不況を続けている日本には、財力も体力もないから、活動を止めて静かにしている方がよいという意見です。

シンガポールのペーパーカンパニーに開催地決めの投票工作を依頼したと、フランスが日本を調べているニュースもあり、インチキなら直ちに開催を返上せよという声も多い。声の裏には、政界のお友だち企業だけが儲かる仕組みがあるのは確か。その根拠は人件費節約宣言です。経済波及を小さな輪にとどめる宣言です。

しかし注意がいるのは次の声です。「オリンピックはもう飽きた」「もうたくさんです」「どうせ見ないし」。飽きていない人や、実物を見たことがない人のために開催しても公平なはず。21世紀だけでソルトレイク以降の冬夏すでに9回ですが、実物を見た人は一部だけ。

まして1964東京オリンピックを見た世代の「もういいよ」は説得力なし。少年少女や児童が世界一のスポーツを間近に見るなら、断片シーンであれ教育的な意義は大きいでしょう。開催が大国の持ち回りの貧乏くじだとしても、降りると斜陽感が大きいだけ。

「無駄な東京五輪はやめろ」の意見は、どの国のどの人が書いたかわかりません。世に一個しか存在しないインターネットのおもしろい性質で、アメリカ大統領選の候補者攻撃を、ロシアの団体がロシアから書き込んでいた現実もありました。昔は資金工作、今はネット工作。

1964東京オリンピックの翌年には法則どおり経済悪化し、しかし五輪運営は赤字でも内部の借金にとどまります。外国からの借金で開催するわけではなく、国内での金の貸し借りは内需に相当します。文化波及効果も全て足せば、日本株の支えにはなるでしょう。
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2019/03/10

大阪都構想のメリットの分量がわかりにくい問題

2015年に住民投票の僅差で反対多数だった大阪都構想は、メリットの規模がわかりにくいと言われ続けました。たとえば京都府と京都市の間にも、大阪と同じ問題はあるのかと疑問もわきます。普遍的な構造問題なのか、固有の特異性なのか。

大阪都構想が怪しまれた理由は、大阪市を五つの特別区に分割する点でした。全体の指揮を大阪府か都に一本化しても、特別区に五重コストがかかり相殺や逆効果になるから。五つをすっきりまとめた合理化が、現在の大阪市だともいえて、分けるとスケールメリットで不利です。

そもそも論もあり、節約で景気が上がると言われても、今日本は節約で沈んでいるわけで。何しろ、節約意識と不景気はイコールなのだから。二重行政の人件費ロスとずさんな地域計画は解決法が異なるし、空費のお金も一応府内や近畿圏の地域経済になった理屈だし。

日本各地に必要なのは無駄な経費の削減よりも、単純に市民が物を買うことです。庶民の購買力アップにつながらない改革は、失業した公務員の数だけ経済縮小するオチかも知れず。役所の経費を削減して、阪急百貨店や心斎橋商店街の売り上げが増える理屈が欲しい。

とはいえ現状維持だと最悪でしょう。大阪全体の落ち込みは慢性化し、その危機感で賛成票も多かった。東京一極集中による本社移転が構造問題であり、東京と大阪の二重出費を削減する国内の合理化で大阪府も伸びないわけで。やや好転した市の税収を、府の負債に回す策では間に合わない。

日本全国の二重行政のひとつは美術館です。よくあるのが、県立美術館と市立美術館の併存。両方とも県庁所在地の市にあるのが普通で。しかしある県では、新築の私立美術館は近代美術が主力で、古い県立美術館は現代美術が主力となりました。実験アートが県立へ残る棲み分けでした。二重三重も意外に悪くない。
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2019/03/08

はやぶさ2が小惑星りゅうぐうへタッチダウンした動画

小惑星探査機『はやぶさ2』が撮影した写真をつないだ、映像ふうの動画がJAXAから公開されました。小惑星『りゅうぐう』へ一本足を当てた、いわゆるタッチダウンの場面です。小石や砂がパラパラと舞い上がる様子が写っています。

初代『はやぶさ』が小惑星『イトカワ』にタッチした時は、衝撃で燃料もれが起き何カ所か故障したために、今回はあらゆる改良が行われたそうです。そのタッチ時に弾丸を撃ち、舞い上がった小石を採取する方式です。

初代は持ち帰った石が砂煙だけのプチ成功にとどまり、今回は改良されています。人類が得た地球外天体の土壌は、今もアポロとルナで得た月の石や土だけで、他天体の十分な量が欲しい。人が行けば手づかみできても、機械だとなかなか。

小惑星『りゅうぐう』は直径870メートル、重力は地球の8万分の1とわかり、質量50キロの人は約0.6グラムと、1円玉より軽くなります。人が何とか立てても、歩く一歩の動作だけで脱出速度を超えて、飛び立ってしまい戻れないでしょう。

なぜ大量の小天体が火星と木星の間隙に存在するかの疑問よりも、炭素や水はあるのか、太陽系の起源と生物の起源などの調査です。少し前に、地球の生物誕生は、月の前身が地球に激突した時だとする仮説が出されました。その前提の激突自体は昔の太平洋飛び出し説の後、アポロ15号で手堅い説になっています。

地球に衝突した天体にまぎれていた生物が、地球に乗り移った俗説がありますが、今は地球で生物が生まれた説が有力です。ただ、原始地球の水と電気だけでは有機物質に生命が宿るのは無理との実験結果もあるようです。日本は今、他天体の鉱物資源よりも、生命の不思議に関心が向いています。
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2019/03/05

写真のプロはプロ用の特殊なカメラを使っているのか

学生の時に後輩の一人と写真を話題にして、プロカメラマンが使う機材の話になりました。「プロは僕らアマチュアが買えない、市販されていないカメラとレンズを使っている」と彼は言い出したのです。「だってプロ写真家が撮った写真は全て、僕らと全然違ってきれいだから」。

プロも普通の市販カメラとレンズを使っているのだといくら言っても、「それはさすがに、どう考えてもウソだとわかる」「機材が違うから勝てない」と相手は自説を曲げません。プロ用の特別製カメラを、業者ルートで調達できるプロ特権があると信じていました。

たとえば宅地造成された空き地を写真に撮るとします。赤土に少し雑草が生えて、茶色く枯れた状態。その空き地をアマチュアとプロの誰が撮っても、できた写真はショボい。光景が平凡すぎて。そんな平凡な光景を、プロ写真家は撮らないだけの話です。

カメラが特別なのではなく、探し出した光景が特別なだけ。劇的なルックスと色彩がある光景を見つけ、レイアウトするのがプロ。これは「写真は芸術ではない」という芸術観に対して、反論にもなるでしょう。写真は機械に頼るから、人の手の跡が残らず芸術失格だという、日本に根強い論法があります。

ドイツでは逆に写真芸術が盛んで、芸術観の違いも読み取れます。特別な光景を探し出す目にワザありという発想が、ドイツにはあるのです。選択眼が芸術力。日本で多く語られてきた、デッサンの手腕と年季でにじむ匠の味わいを礼賛する、名画ファンの感覚とは異なります。だから日本で写真の地位は低い。

光景の探しやすさと構図のまとめやすさはファインダーの機能ですが、最近は一眼レフの光学ファインダーをテレビカメラ化した、いわゆるミラーレス一眼の商品競争が激化しています。ロストテクノロジーも関係があり、レフ式光学ファインダーの精度を日本以外で実現できない限界がからんでいます。
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2019/03/01

日本の強みが次々捨てられている原因はデフレ不況

100年近く前に、「世界で人種差別を禁止すべきだ」と訴えた国があったらしい。当時の先進国は反対し、国際会議で否決しました。訴えた国は世界の常識から浮きました。この史実は伏せられる傾向があります。訴えた国は戦前の日本だった。

中国のトウショウヘイ委員長の思想「黒猫も白猫も、ネズミを取る猫がよい猫だ」が、人種差別禁止と似てはいます。とはいえ、経済開放で金をかせぐ者を優秀な猫にたとえた成果主義の意味なので、日本の平等思想とは異なります。

日本の思想は、生まれつきの条件を採点するのは正義でないとする、公平性の哲学でした。これが日本国内の助け合いの慣習になり、近年海外から来た観光客が口をそろえる「日本は人に優しい国だ」の感想につながるようです。

日本の思想の集大成が国民皆保険制度であり、幸運な人が悲運な人の医療費を払う方式です。幸運な人同士の互助会とは違うから、運営に細かい加減も必要で、でも制度を放棄していません。悲運も自業自得で自己責任だという考えを、本来の日本人は嫌うからでしょう。

ネットで「僕の国は終わった」の声が各国からあり、「日本も終わり」と投げやりです。日本が21年間傾いた原因はデフレ不況で、呪いの言葉は「節約」「削減」でした。新幹線車両の検査費を削減して、台車の鉄が割れて製造から撤退したとか。トンネルの天井が落ちてワゴン車の全員が死に、高級家具店は身売り、省庁は障がい者を入れず経費節減。

巨大堤防計画があったのに建設費削減で、結局チェルノブイリを超えた福島原発。輸出列車は台湾で珍しく大脱線。ところで、日本美術の斜陽到来はいつか。最近のアート大暴落は節約のすすめが流行し始めた1988年と、30年も前でした。日本は江戸時代からハイコストの内需拡大が強みで、実は平等思想の表れでした。
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2019/02/24

サイトの目的がすぐにずれてしまう問題は深刻

医療関係サイト制作で、アドバイザーの仕事を受注したことがありました。サイトを通して患者というか、お客が一人も来てくれない問題の解決でした。つまりコンバージョンが獲得できないという、深刻だけれどよくある悩みでした。

この部分はセオリーよりも、経験則がものを言う経験則があります。既存サイトの全ての文章を書き直して、最短で集客できる手順書も納品し、ネットの今日的な仕組みを解説しました。将来はセルフ制作に移行できるコースも示しました。

するとやはりというか、クライアントは今後はセルフ制作でいくと決心しました。後日、無料ブログツールのテンプレートを使った自作サイトを見せてもらうと、「きれいに作れましたね」と言いたいものの、問題はそっくり持ち越され残っていました。

サイトを通して買ってもらうコンバージョンが目的だったのに、サイトのDIYへとずれたのです。コンバージョンに難があるサイトを、前は知人に作ってもらったのを、今度は自力で再現したという。つまり振り出しに戻った状態。聞くと、次はサイトを宣伝する広告業者との契約を考えているという。

違うのです。中小零細がネットで善戦する方法は、自ら宣伝業者相当になること。そうしないで制作の実費分を浮かせても、本業の時間を食われ、宣伝費も食われ、高コスト体質になりやすい。三カ月のタイムロスだけでも大きいのに、本業に集中しにくいセルフ制作のマイナス面が懸念されます。

美術作品サイトにも似た問題があり、本来は作品の買い手を集め出資を募る目的のはずなのに、初期投資削減への挑戦に化けやすい。らしくカラオケで歌うみたいに作り充足しても、サイトがお客を連れてこない停滞コースです。セルフのあるあるは、ビジネスがホビーに化ける問題です。
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2019/02/21

自分の傑作に気づかなかった音楽家ビリー・ジョエル

先日亡くなった世界的ジャズ評論家の児山紀芳は、前にフィル・ウッズが亡くなった直後のジャズ番組で、冒頭に突然ポップソングをかけました。ビリー・ジョエルの『素顔のままで』。リチャード・ティーのフェンダーローズエレクトリックピアノで始まり、間奏部のアルトサックスが世界有数の歌伴で知られるあれ。

そのバラード曲をビリー・ジョエル本人は不要と思い、ニューアルバムから外すつもりでした。ところが、別曲の録音にも加わったシンガーソングライターのフィービー・スノウが、「それを入れないのは信じられない」「おかしい」と簡単に許さなかったという。

アルバム『ストレンジャー』(1977)にやむなく入れた『素顔のままで』は、不発続きのビリー・ジョエルの一発逆転ホームランとなったのは知られるところ。あの時代の音楽風景ともなるこの一曲で、次の『ニューヨーク52番街』の大ヒットは約束されたのでした。

自分の最高傑作を本人がそうは思わず引っ込めるのは、音楽では割とよくある現象です。クラシック音楽でも「なぜこの曲を放置するのか」と、楽譜を見た他の作曲家が初演して表に引っ張り出した名曲があります。

この時ビリー・ジョエルが自分に忠実なら、伝説はなかった。思いを曲げたから伝説になった。この現象は、美術家のサイトでも起きていると感じます。作者自身が自分の感覚に忠実にサイトを作ると、『素顔のままで』を欠いた自己紹介に陥ることがあるから。

美術家が一人で好きに作り、孤立している生涯のイメージは、音楽文化とくらべて悪い傾向だと思えます。交流なしでは埋もれる。ただし、こんなことはさすがに好ましくないでしょう。美術家仲間で持ち回りで審査員になり、お友だちの輪で受賞を配分する「上から方式」とか。閉鎖系だと伝説にならない。
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2019/02/19

ふるさと納税で勝ち組と負け組が生じた難しい局面

「ふるさと納税」を聞いた時、こう受け取りました。地方都市を離れて東京や名古屋や大阪など大都市で働く人が、納税の一部を出身地に送金し、故郷を支援するのだと。寄付ではなく資金移動だとしても、お金の移動先は前に住んだ田舎だと。

実際は誰がどこへ納税してもよい制度だから、理想からかけ離れました。資金不足で困っているA市があるとします。A市に住んでいる人が裕福なB市にふるさと納税が可能だから、格差が悪い方へ広がるアンバランスも生じます。

3万円をふるさと納税すると税額に手出しは生じず、2千円の手数料で返礼品が7千円なら、納税者は5千円得します。地方自治体側は、3万円受け7千円出費だから、やはり得する。貧困なA市の税金を、裕福なB市が巻き上げる能力は、恵まれた地域特産物だという。

本質的に資金付け替えなので、自治体の貧富に番狂わせが起きるだけで、経済発展とは違うでしょう。返礼品競争に負けたA市は、自己責任で滅べばいいでしょと、今の日本の気分には一応合うものの、どうも先進美術館と似た感じ。

そこでA市は奥の手で、大手ネット通販の商品券など有価証券類を返礼品にして、ハンデを巻き返すわけです。「プロジェクト支援」のクラウド・ファンディングでは市販品のリターンは禁止ですが、ふるさと納税では禁止ではないらしい。

ふるさと納税3万円の返礼に、2万8千円で仕入れた3万3千円の金券も、やればできました。総務省が指導を始めましたが、手出し2千円での上限は高所得者ほど高く返礼品も増えるから、納税者は制限に大反対。制度の本意は消費税率上げのカモフラージュであろうが、考案者自身が景品目当てで我田引水した疑いもあり。
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2019/02/12

ポスト・トゥルース時代の事実と真実と

最近きちんとしたネット記事で、気になったのはこの主張でした。「ある言い方をする人は信用できない」「それは事実はひとつだと言う人である」「事実がたったひとつだなんて怖いことだ」「世に事実がひとつしかないのは危険だ」と。

ちょっと待てよという気がしました。それも言うなれば「真実はひとつではない」のことではないかと。事実はひとつです。事実を言葉に表した真実が、複数あるというのが本当ではないか。この執筆者は、言葉を取り違えたのではないか。

まず世間一般では、「真実はひとつである」という言い方がよく出ます。たとえば殺人事件で、容疑者が真犯人であるのかないのかという場面です。検察側と弁護側が真っ向から対立すると、「真実はひとつ」の言い方が市民からよく出ます。

学問の世界ではその言い方は否定され、「誰々の真実」として考察されます。つまり真実は学説のようなものです。そして事実はひとつとする。ということは、事実という語は言葉表現ではなく現象そのものを指すのだと、学術の世界で諒解されているわけです。

殺人事件でいえば、容疑者は家を出た時に刃物を持っていた、前日に近くの店で買った包丁だというのが事実です。その事実は神のみぞ知る絶対的な現象であり、人間にとっては抽象概念のような存在です。事実を文章化すると真実となり、人それぞれの言葉だから真実は論者の数だけあるわけです。

アメリカのトランプ大統領就任の頃から急に言われ出したポスト・トゥルースは、嘘が支持され主流になる現象として話題になりました。マスコミが主流側にいる点が今日的です。ただしポスト・トゥルースの語もまた、嘘で得する側が論敵を封じる殺し文句に多用されます。「あなたはヒトラーだ」と似た使い道。
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2019/02/05

バレンタインデー日本のもうひとつの憂うつがこれ

毎年、この季節に話題が出てくるチョコレートです。今年の話題は、社内でチョコレートを配る女性を社則で禁止して欲しいとの要望です。チョコを買う側から出た訴えなら不景気が理由でしょうが、もらう側の男性の訴えが意外に多いという。

ははーんモテない男の訴えかもねと疑う声が出ていますが、別の訴えもみつかります。メーカーやデパートやスーパーを儲けさせないよう、チョコを贈る風習を絶対にやめて欲しいという願いです。菓子業界にお金儲けさせないでくれという切実な訴えが、今回もまた多数出ていたのです。

この憂うつな訴えが興味深いのは、芸術で似た願望が根強いからです。芸術をお金にしてはならない思想が、日本に特別に強いのは確かです。ミューゼオロジー研究で考えても、日本の展覧会で作品を売らない慣習が強固である謎があります。物の売り買いを不浄で不吉とみる思想が根底にあるような。

聖バレンタインに本来無関係のチョコレートを便乗させたアイデアは、店ではなく製造業が考えたもので、当時は売れなかったチョコレートを人気商品に変えることに成功しました。昔あまり売れなかった理由は、要するに国際社会で円が安いせいで原料のカカオ豆が高価すぎたから。高いチョコに付加価値が欲しかった。

このアイデア商法に微笑みや苦笑いではなく、強い憤慨と断固反対のこぶしを振り上げる人の多さが、日本の特異な一面にみえます。他人の商売がうまくいくぐらいなら、全国が消費低調で不景気になる方が心休まる「ストップ・ジ・商い」の心理が、よくある「芸術で商売するな」と同根ではという疑惑です。

バレンタインデーの商戦で他人が繁盛するのが悔しくて足を引っ張る動機なのか、全く違う何か過去のトラウマでもあったのかは、フォークロアや社会学で研究済みかも知れません。美術界にある「売り絵」という隠語的な用語も、この話と関係があるのです。
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2019/02/01

2019年の世界の動きと日本のデフレ不況の継続情況

おかげ様でジャパン・フェスティバル・ベルリン2019が無事終了しました。皆様ありがとうございます。日本の空気に戻りました。が、次の一年がみえない理由は、2019年秋の消費税の増税です。誰もが経済が悪化すると予測しておびえています。死刑執行を待つ心理がこんな感じ?。

財界のみならず、日本国政府までが増税で起きるさらなる不況を予測し、経済低下を小さくする策を打ち出しました。軽減税率や電子マネー割引もそうで、ルールを穴だらけにした例外規定は、後年に既得権となり国の首が締まる悪政でしょう。

税率を上げても税収は増えないという、消費者心理の法則があります。ラーメンが一杯380円で、店の収入が800万円だとします。一杯760円に値上げすれば、収入は1600万円に倍増するのか。逆に、700万円にでも下がる可能性の方が高い。

税率5パーを10パーに上げると、パイ全体となるGDPが横ばいを保ってさえ、庶民の購買力は952分の909に落ちる理屈です。だから本来消費税は、景気が良すぎる時にインフレを食い止める目的の税金だったわけです。誤用が続くと、シャープやパイオニアのように外資に買われる企業が増え続けるだけ。日本の解体。

ネット配信番組も、政府が悪手を指す動機が読めずにいます。ささやかれるひとつの動機は、官僚の人事評価基準が、「税額」ではなく「税率」だからというもの。800万円から700万円に落ち込んでも叱られず、380円を760円に上げたらボーナスが出る、省内での出世レース説です。

今回のジャパン・フェスティバル・ベルリン参加で、日本側では「出品したいけれどお金がつくれない」の声が続出しました。一方、日本のバイト時給は780円などでも、ドイツでは最悪でも1300円と社会のデフレ度が違う。日本は貧乏。日本側の少ないお金の大半を現地へ送り、何とか実現した貴重な回でした。
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2019/01/27

JFB2019の2日目は早くも3時間が過ぎて

ジャパン・フェスティバル・ベルリン2019美術展示の、今日の様子です。これは担当マネージャーの撮影で別のカメラです。







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2019/01/27

ジャパン・フェスティバル・ベルリン2019の初日は無事終了



ジャパン・フェスティバル・ベルリン2019の初日は、ドイツ時間1月26日20時にお開きになりました。日本時間で27日朝4時です。ドイツの見本市の中で、アートフェアは夕方17時に終わるタイプが多いのですが、これはアート単独でないからか長めです。終盤に売り上げを伸ばせる機会があります。明日を目指します。

初日の速報で、絵はがきは堅調でしたが全般に重かったようです。なぜか今回お客の数が少ないと、常連の間で話題になっていたそうで。何かイベントのバッティングでもあったのか。それとも景気なのか。

ドイツはいわゆるリーマンショックの当事国だから、2008年以降の世界同時不況の大構造に含まれます。1997年以来デフレ不況の日本からみると良好でも、GDPの伸びは世界の中では全く小さい。ペーパーアートとプリントアートの人気は、この21世紀世界史と関係があります。

継続的に出展していると、国全体の流れに巻き込まれる感覚がありますが、近くでテロが起きて危機感があった時は逆にお客が多かったような。お客の多い少ないはドイツの主催者団体の収入に響くので、心配でもあり。

ところでこの撮影カメラは、Canon EOS 5Dというフルサイズセンサーの高級機種です。毎度ホワイトバランスの自動調整が難しい会場です。上は雪の会場建物で、偶然生じた配色です。

向かいのブースとの間の通路が狭く、レンズの焦点距離が長めなので、正面から全体を入れて撮ることができないようです。それで斜め向きが多くなります。2日目は作品レイアウトの模様替えを考えています。



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2019/01/26

ジャパン・フェスティバル・ベルリン2019の会場16時前



開催初日のベルリン市は、年明けて初の雪景色でした(現地撮影係より)。日本も全国的に雪模様でした。日本はドカ雪にならない程度の小さめの寒波でしたが。

日本時間はもうすぐ1月27日になります。ドイツはまだ26日の夕方で16時前です。売れ行き情報は絵はがきが堅調で、全体に小さいものから出ているような。ここからがんばります。

それにしてもマニアックな雰囲気で、さすがアートの階というか。観客は慣れていて、自分が探しているものを見つけてしまうので、期待しています。

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2019/01/26

ジャパン・フェスティバル・ベルリン2019搬入直後



ドイツ時間25日夕方に作品を搬入しました。まずは詰め込んでみたところ、こんな感じです。かなりのごってり感で、周囲を圧迫するような一角に見えます。

しかしまだ試し置きで、ジクレー版画は掘り出される縁起を期待するとしても詰まりすぎに見えるから、これから広げたり狭めたり動かします。例年よりスペースの制約がありますので、お客が見るたびに変化するぐらい動的に考えています。

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2019/01/25

明日はいよいよジャパン・フェスティバル・ベルリン2019

いよいよ明日は、ジャパン・フェスティバル・ベルリン2019開催です。ジャパン・フェスティバルと名がつくイベントは、世界中に二ケタはありそうですが、互いに無関係です。ベルリンでは一般商品やサブカルデザイン系と階を分け、芸術関連の階が用意されます。

ドイツの美術展は、概して高尚な場ではありません。何となくかっちりした堅そうなイメージの国ですが、実際はフォーマルスーツが合わないくだけた雰囲気です。これは外国主催の外国展覧会は、基本的にアート売買市場だからです。お客は鑑賞目的でなく購入目的で、難しい顔をする必要がない。

家に飾るとか自ギャラリーに置くとか、民主的な価値観で動いています。審査員はいないというよりも大勢いる意味になり、過去の審査傾向へと収束しがちなコンテスト展にくらべ、作風の幅が広いのが普通です。

今回はミニマルスペースで実験的な対処になりそうです。作品を広げるスペースが得られなかったので、欧米に見かけるカウンターテーブル式みたいなのが予想されます。図書館の閉架書庫式みたいですが、過去にやったことはあります。

展示物はアートプリント(ジクレー版画)と大型絵はがきがレギュラーで、原画の内容をできる限り濃縮したものにしてあります。これは、日本からただ持って行くだけでは、売れ率で伸び悩んでいたから改革しました。今回はマイクロ個展も同居し、詰め込んだ感じになるでしょう。

皆が制作にずいぶん時間をかけてきましたが、二日間はあっという間に過ぎます。外国では日本よりも美術が多く売れると言われますが、実は条件つきです。受賞に向いた作品と、個人が買う作品が異なる壁も意外に大きいのです。全方位何でもありとはまた違うので。
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2019/01/18

絵はがきコレクションの再スタート元年

ジャパン・フェスティバル・ベルリンは主催団体が大きくなったみたいで、ドイツで宣伝に力が入っているそうで。主要国でドイツは日本の次にGDPが伸びず、しかし21年間も横ばいの日本より消費はずっと好調で、市民の顔も明るい。

日本は政策の誤謬で節約に徹してしなび続け、その典型が東京五輪の経費削減方針です。あえて経済刺激を放棄し自滅を選んだ日本にくらべ、ドイツは末端にもお金が回る仕組みで、バイト料の下限が時給1300円という。

当企画では今回、最小単位のスペースだけ確保しました。春のうちに早く埋まったらしく、場所どりに失敗。ドイツ人脈に頼り復活で滑り込めたのですが、消費税上げアナウンスで四番底へ向かう秒読みとなった日本の空気にこちらもやられ、腰が重くなっていた失敗です。

絵はがきコレクションは2013年の発案で、翌年が消費税アップでした。増税により風邪がぶり返すように再び冷えた内需低迷で、大手企業シャープなどが外国に身売りする5年となりました。絵はがき展は5回目で、種類が増えて保管問題がふくらんだのを解決することになりました。大手企業と似た窮地です。

絵はがきの海外転戦企画がよそにない理由は、やってみてわかりました。たとえば店舗に絵はがきを預け、委託販売するとします。どれが何点売れたか記録してもらうには、人件費が必要です。タダ働きを強いて済むデフレ日本とは違うから。

記録にお金をかければ、最初から企画参加料は高くなります。デフレ不況だから安くして現地の友情出演に頼れば、売上金歩合と絵はがき残りしか回収できません。後で数が合わないと、店頭での万引きが疑われます。被害届を出すべしなどと気に病む方には向かず、だから絵はがき転戦を実行する企画はここだけです。
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