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2014/12/31

2014年のご参加に感謝します

2014年中に売れた作品の配当を、出品者にリターンする手続きをすすめていて、年末を感じさせます。一般的な画廊では半分こが多いのですが、ここでは画廊が少ない配分にしており、それでもこちらは助かります。

秋以降に目立って円安になっているので、ユーロを円に両替えすると、思ったより円の金額が増えます。何かが外国で売れたら、円安なほど得した気分です。円を上積みしないと、強いユーロと釣り合わないという理屈。

逆に、日本の円を欧米へ送ると、前より大きい数字で割り算して価値が目減りします。1万円札を送って受けられるヨーロッパでのサービスが、円高の頃より小さくなっています。

年末年始は国際サイトをひとつ作っていて、徹夜の連続になるでしょう。ドイツ側と時間帯を合わせるためですが、8時間遅いドイツよりさらに4時間遅い就寝へと追い越しています。昼夜が12時間ずれた計算です。

2015年は、作品セールの手も広げていきます。
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2014/12/29

ブーイングしない日本人

前回に続いて年末のドイツ公演、ワーグナー『ニーベルングの指輪』の最後に、ブーイングが会場に響きました。オペラ『ニーベルングの指輪』の曲は、要するにベトナム戦争映画『地獄の黙示録』のヘリ攻撃や、昔の日本なら落下傘部隊のニュース映画でBGMだったあれです。

問題は客によるブーイング。ヨーロッパでは日常的にあるようで、客が騒いで公演が中断になることも実は多いという。日本ではブーイングは少ないという内外差に着目し、芸術がわかる欧米人対わからない日本人という比較文化論が過去にはみられました。

その場合の「芸術」の語は、「芸能」の意味に近いでしょう。芸術に良いも悪いもなく、趣味に合う合わないの嗜好は真理とは無関係です。

斬新な現代演目にブーイングが増える法則に常連が気づき、これは新しい試みについて行けない保守派が騒いでいるとする指摘もあるほどで。現に音楽の無調や不協和音、変拍子のアブストラクト系は、どれも初演がブーイングの嵐に見舞われたものです。後世に再評価される名曲の宿命で。

舞台への反応が日本で概して静かなのは、その場で理解できないとしても非が自分にあるかも知れない慎重行動かも知れません。今の実感だけで反射して、後で恥をかきたくない心理です。場慣れ不足もあろうと推測はできても、音楽全般への寛容な日本の国民性は特筆に値するでしょう。

変わった趣向をねらった外国アーティストは、日本でなら最後まで滞りなく鑑賞してもらえると見込めそうです。その代わり、騒ぎを起こして目立つには適さない地かも。結果的には、日本公演を特に重視する音楽家は世界中に増えています。
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2014/12/26

作る力とは言うけれど

90年代のコンピューターグラフィックス雑誌で、読者のアート作品が掲載された時のこと。未来世界を描いたリアリズム画が、鮮烈な色で目を引きました。「おおー、やっているな」と感じさせる作品。

ところが、一カ月後の号でおわびと訂正が入りました。あの色は編集部の処理ミスなので、本当はこういう色の作品です。ということで再び載せられた絵の渋くて地味なこと。「その色だったら、誰でもやってる普通の絵だ」「昭和の油絵も普通にそんな色だったし」。

想像したのは、一人にあらゆる可能性がありながら、本人自ら削り落としていることがある疑いでした。変に見えた部分を作者が除去して完成度を上げたつもりでも、実は捨てた部分に絵の生命があったとすれば。絵の発言力をそいで、黙らせてどうするのかと。

歴史名作の鮮烈な色に感心することがあります。塗った当時に奇抜に見えるからといって、目になじむ範囲に入るよう修正していたら、長く残らなかったかも知れません。当時「ココがだめ」の部分が、後世「ココがいい」に変わった。変に浮いた突き出しへの対処が分岐点となって。

芸術は、精進の末に到達する遠い境地というより、むしろ日常的な選択眼の問題なのかも。手が作る以上に、目が選ぶ。途中でヒョイと達成していながら、目に余ってヒョイヒョイ消して回っている疑いです。手が飛躍しても、目が取り締まって骨抜きにしている疑い。
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2014/12/24

ウケるかウケないかのアート哲学

展示会が好評なら結果オーライで、不評ならオーマイガーか、という問題があります。芸術とまで言って特別扱いするから、純然たるコマーシャリズムとは違うはずで。

芸能と芸術は違う的な昔からある議論ですが、後輩たちはこの争点自体を見落としていくものです。

外国の先鋭アーティスト集団の展示が、日本で賛否の騒ぎになったこともありました。酷評がずらり並んで。だからといって、逆に大方がすぐ気に入って歓迎したなら、普及済みのイディオムに作品がとどまっている証明で、創造には値しない理屈です。反対の声があがらない穏当な展示こそ失敗とみなすべき、根底的な本質論です。

この部分で人類は、ほとんど補整不能です。在来種に親しみを覚え、なじめて親愛を感じるのを、逆方向へ変えてしまう反転はがんばっても起こせない宿命です。だから後世の子孫が、どれが傑作かを選び直すのが普通で。今の人が永遠の傑作を決めるわけじゃない。

日本発の美術の中で、いくつかのタイプが海外で反応が悪いようです。そこで、その系統をたくさん集めて特集的に問い直すことも考えています。

かつて、濃いソースを料理に使う国の人々が、和食には味がないぞと批判することがよくありました。すぐに好かれたスキヤキとは違って、素材を加工しない淡白な味は昔はまずいとされ、今日ではヘルシーとして復活しています。時代が変わって値打ちも変わって。
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2014/12/21

プリンター印刷アートの手間と将来

画集が総天然色になった歴史は新しく、カラー印刷の普及は20世紀後半のこと。名画の画集が次々出版されました。1960年代でも粗末なもので、大判画集はカラー印刷した紙を本文ページにノリ貼りしたものでした。

絵画の撮影にはジレンマがあり、早い時代に撮ると画質がイマイチ。そこでフィルムの進歩を待つと、今度は絵画が傷んでいたりします。今でも、以前撮ったリバーサルフィルムが退色していると、新たにデジタルカメラで撮り直したくなります。しかし絵はほこりだらけで。

次世代の撮影技術がまた出た日には、また撮り直したくなるでしょう。音楽ソフトのAADとDDDの違いや、マスターテープの保存状態と最新デジタルリマスターとの調整が、画集にも一応あるわけです。

後世ほど美しくなる作品は、写真とCGです。デジタルデータはその後劣化しないから、印刷機や引き伸ばし機が改良されると、何もしなくても前よりきれいな作品に出し直せます。

しかし今現在は、毎度サイズを計算したり用紙を選ぶ手間があり、失敗もあります。以前、CG作品を光沢紙でなく塩ビシートに印刷して、暗部がつぶれて全滅したことがありました。こうした試行錯誤も、未来の成果へと向かっています。
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2014/12/18

キャラクター系アートの命

動物イラスト作品は、どの会場に置いても人気です。擬人化された絵は日本の名物というか、おそらく漫画からの影響や派生もあるのでしょう。その伝統は800年も前、平安時代の「鳥獣戯画」がルーツではないかと言われます。カエルがウサギを投げ飛ばす、あの伝説の絵巻物。

そうしたDNAを継いだ最新の動物キャラクターも、美術作品となれば人物画の一種になるでしょう。だから、その命はやはり目です。目元の妙は日本の伝統芸で、人間国宝の人形絵師の場合も、弟子がていねいに作り上げた最後に師匠がさっと目を描き入れて完成します。

日本の漫画本やアニメが世界で人気の一因は、ストーリーの普遍性以外に、目の表現力も大きいと思われます。目元の喜怒哀楽の描き分けが豊富で、たとえば機嫌がよくないドヤ顔とか、喜んで寂しげだとか、困りながらまあいいやとか、複雑に込み入った感情表現がうまいのです。

ミステリー漫画の場合は、味方か敵かを先に読者に目で知らせたり、逆に読者を混乱させるようセリフと合わない目にするとか。登場人物の物語とは別に、読者の中にも物語ができるよう、目でコントロールしていく手法もあるでしょう。

サブカルっぽいキャラクターで、イラスト画から脱してアート作品に仕上げる時には、ひとつは色の重心を下げる手が近道です。劇画調みたいに、ちょっとでも重々しさを加えて。が、美術的な目というのも研究する価値があるでしょう。
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2014/12/14

作家サイトのドメインネーム

作家サイトは、家でいえば一戸建てに相当します。アパート式の集合サイトと違い、自分専用のグローバルアドレスが割り当てられます。国際アドレスとなる独自ドメインは登録料も下がり、安いと年間千円ほど。

独自ドメインはアドレスに枝番がつかず字数が少ないから、印刷物に記されたURLを目で見ての入力も簡単になります。アドレスが長いとそこは不利だし、共同サイトだと駆け出しかなと思うのがヨーロッパ流。

最近続々と出たのが、「tokyo」「okinawa」などご当地ドメインです。既得ドメインネームとの重複を避け、作家名のとおりで取得できる確率が上がるサービスです。

独自ドメインが便利なのは、別サーバーへ引っ越しても、ドメインネームが永久不変で使える点です。そのため名刺や広報の作り直しは不要。これはインターネット通信が、ドメインネームとIPアドレスを字引きに従って変換する方式だからで、DNSサーバーの名前解決という機能で実現しています。

オーダーメイドの作家サイトは自由がきくので、後で模様替えや拡張をしたくなります。ボタンの色を変えたりとか。しかしプログラム構造が雑然とした突貫作業の納品だと、自分のサイトでも難しくて触りにくいものです。後から内部の整理は大変だから、たいていは手付かずになるでしょう。

WEB制作の現場が若年に寄っていることも関係があるのでしょう。アートフェアのサイトが突っ込みどころ満載なのと同じ理由で、書籍よりサイトの方がまとまりが悪い傾向は長年言われてきました。
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2014/12/13

暗い美術の立場

日本で「自分は暗い絵が好きです」と言い出せば、引きこもりのネクラ君にイメージされたり、社交性の乏しい問題児などと思われがちです。影のない明るく快活な性格に見られたい人たちは、暗く重たい作風を鬼門として遠ざける傾向がやはりみられます。

「芸術は最後は好き嫌いの問題だ」の言い方がダウトなのは、芸術はデザインと違い精神の暗部に触れる力があるからです。好き嫌いの割り切りで済むのは、あくまでも商業次元。最もむき出しに人間描写に迫れる絵画を、デザイングッズ的なC調にとどめる値打ちが、どの程度あるかという。

今でも公募などで「明るい作品求む」の一言がそえられるケースがあり、皆さんそんなにダ・ビンチやルーベンスやドラクロワの作風が大嫌いなのか、現代の偏食ぶりに逆に開眼するほどです。しかし画廊の半数は、黒ずんだ影差す作品を店のイメージダウンとして警戒する実態があります。表裏のない青空系を歓迎する、さわやか指向を前面に。

この空気がヨーロッパにもある前提で乗り込んだところ、日本と国民性が似るとされるドイツでも、暗い絵は平気どころか興味ありとわかりました。陰気な絵を見る人の顔は陰気ではないし、繰り返し売れたシリーズも暗色の重い絵だったし。

この文化ギャップのせいで、暗い絵でアングラのオタクが演出できる日本での利点が、ヨーロッパへ持って行くと期待できなくなります。重い色調が思弁的な挑戦者の証しとなる日本とは、また違う計算が必要になります。
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2014/12/10

抽象美術の立場

日本で「自分は抽象美術がわかる」と言い出せば、宇宙人みたいな不思議ちゃんにイメージされたり、めんどくさい人と思われがちです。素直で健康的な常識人を演じたい、万人向けの人気職にあれば、美術の話題になると自ずと注意を払い、抽象を鬼門として遠ざける傾向がみられます。

アートのあるまちづくりや、地域のアートフェスティバルなどで、大勢の若者たちが抽象作品を運び込んでいます。まるで、世間の壁がなくなったかのよう。しかし、世間の目はあくまでも道を外したマイノリティーへの関心であり、価値の一般化は起きていません。

「具象を極めた免許皆伝の人のみ許されるべき抽象なのに、勝手に飛び級的に成果を急いだ、わがままアートだ」などと映っている疑いです。若気の至りとして許された一時の宴にとどまった感が残るのは、当事者である都市プランナーの率直な印象。

その証拠に、アートの街を宣言すべく決定版の彫刻を駅前に置く話へ発展すると、最終案はブロンズの母子像などに取り替えられていたものです。前回の屋外彫刻ブームもそれで、保守派の営業でそうなったのではなく、公の常識という空気を読んだ行政判断でしょう。

この空気がヨーロッパにもある前提で乗り込んだところ、日本と国民性が似るとされるドイツでも、抽象は普及した後でした。Made in Japan展でも抽象画に最も声がかかり、他ギャラリーへの貸し出し作品も抽象でした。

この文化ギャップのせいで、抽象ならひとまず先進的に見える国内での利点が、ヨーロッパへ持って行くと期待できなくなります。抽象が若さや反逆のシンボルとなる日本とは、また違う計算が必要になります。
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2014/12/09

宇宙旅行の進歩と美術

アメリカの新型宇宙船オリオンが、衛星軌道の15倍の遠距離まで達して、地球へ戻ったニュースがありました。地球外に人が住む計画は、現大統領が月から火星へ変更しています。火星にも国際宇宙ステーションにも行ける、多目的スペースクラフトのテスト。

感想は、世代で違うようです。先輩たちは、「次のチャレンジが着々と進んでいるな」。後輩たちは、「自分が生まれる前に月へ人が行ったのに、火星へスッと行けないのはなぜ?」。新世代に特有の疑問への答は、地球からの距離だけでなく、ハイテクとローテクの関係もあります。比例しないもの。

たとえば1960年代の電卓の内部には、半導体パーツが詰まっていました。ところが80年代の電卓だと、切手より小さいMPUと配線フィルムだけで中はほぼ空洞。現代人が誇る進歩は、実は半導体の集積度がその正体で、10億トランジスターという数字が自信の源だという。

アポロから45年たった世代交代で、ローテクは実はロストテクノロジーになっています。ウルトラ警備隊が手首につけた架空のテレビ電話は、45年たって携帯電話として普及したものの、水に落とすとだめになる制約がローテクの運命を暗示します。2010年代の電卓も、ゾウが踏んでも壊れない向上とは違う。

人類の能力は全方位が右肩上がりはせず、オリオンのローテク部の工作はジェミニやアポロの工作より苦労している疑いがあるのです。要するに45年で職人が没落。探査機「はやぶさ2」の製作はレアな金物職人が手がけ、江戸や明治から続くローテクの伝承で何とか実現していました。

美術もまた、全面的な右肩上がりではないのでしょう。アイデアやコンセプトが上昇した反面、手の動きが生む魔力は下降したような。多くが何となく比例よりも反比例を感じる変化が、宇宙開発でも起きています。
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2014/12/06

ベルリン市内の二人展スタート

ラインハルト通りの近隣ギャラリーで、リレー展示のシリーズが始まっています。昨年も取材し、現地アーティスト2人の協力で今実現しました。

ベルリン市内には、ヨーロッパ全域、北米、南米、中東やアジアからも、各種アートが集まります。当然、他国の勢力と比較もされるし、何となく出品作が国を背負った感じもあります。国境なんかないとの意見も多いのですが、実際にはやっぱり気になるものです。

今回は作家を半ば指名的に選んでいて、作者といっしょに方針を考えています。作家カードにのせる作品やキャッチコピーもそうです。特別な切り出し方は、前後関係によっては重要です。いずれ論文も予定中。

ギャラリー同士、横のつながりがあります。「おもしろいのがあれば買おう」と構えている人は多く。またコレクターと並んで、業界人の偵察もよくあります。しかし何しろ市内に多くある美術の渦中なので、目立たせ方をどんどん考えていきます。

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2014/12/01

良い作品の落とし穴は二段階

「良い作品」の語がダウトなのは、美術では常識です。多様化した価値と、年月経て入れ替わった幾多の傑作流転の歴史のせいで、良し悪しの通念がとっくに失効しているからです。俗に良い作品とは、作品と趣味が合う人のマイブームだったりがオチ。

ところが、落とし穴は二重になっています。現代美術はしばしば衝動の表現と解釈され、これがイージーアートを下支えしているからです。たとえば作者の思いや感情をありのまま、素直に表現するコンセプト。かくなる無為をてらった実直アートが、しかし結局は手抜きに向かいやすい落とし穴です。画材を普通に置いた、誰がやってもそうなりそうな習作相当とか。

「気の向くように描いてみました」式のなるがまま流は、概して気が抜けた成果になりがちです。何でもないものに、客が納得するかという問題にすぐになるでしょう。見物側の批評の目を完全無視した我が境地を尊ぶあまり、作品が凡俗でつまらなくなる現実的な話です。

現地から、「力量」というキーワードも出されました。善意の作であれ、悪意の作であれ、保守であれ革新であれ、ある種の「力」が求められます。日本で「絵の力」といえば、購入客がすぐ見つかる商品力の意味でしょうが、今の話はそれではなくてエネルギー感のことです。

きれいでも汚くても、鑑賞客は力のこもった芸を見たい。このエンタメ価値のアップに悩んでいない作品は、自然体の良さも出にくいでしょう。

市販の雑貨品にサインを書いて題名つけたら、国内美術館に買い取られ、芸術名士になれてしまう現代。それにならった後輩が試しに力を抜いてみたら、海外では歯が立たずという、もうひとつの落とし穴があります。
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