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2021/03/31

デジタル版画の増刷はお金の発行に似ている|需要と供給を理解

コロナ以前から日本の病気はたった一つだけ、デフレ不況です。原因は自国通貨を削減してきたからです。お金は使えばなくなるから、皆で使わず温存しようという宗教的信念です。1997年4月1日から続けた緊縮財政と消費税増税です。ところがこの因果関係を国民は理解できません。

理解の障壁は貨幣観が間違っているから。全員がそろって間違っているから、正す人がいない状態です。「世界はテーブル形で、海の端には滝があって海水が落ちていく」を全員が信じていた、あれの現代版が貨幣を誤解する現象です。

これはデジタル版画で考えるとわかりやすい。デジタル版画がお金と似ている最初の点は、必要なだけ増やし続けられる融通です。手刷り版画と違い、デジタル版画を欲しい人が現れれば、全員に行き渡らせられます。つまり総量が決まっていなくて、後から増やせるのです。枯渇や窮乏があり得ない。

「現代のお金はいくらでも出せます」と言えば、「無限に出せるなら、この世はお金で埋まるぞ」などと揚げ足取りが出てきます。この誤解は、デジタル版画を無限に出す画家がいないことで謎が解けます。多く出しすぎるとあり余るので、1枚の価値が落ちるからです。

たとえば同一図柄の版画を一回に5枚ずつ買わされるなら、世にだぶついて価値は暴落します。お金も同じであまりにも多く発行して総量が激増すると、ある臨界点から価値が落ち始めます。超インフレーションです。お金の臨界点は新型コロナのマスクや小麦粉で起きたとおり、買いたい商品が品切れ続きの時です。

そこで各国政府は、国産品を開発し増産して品切れを防ぎ、お金も増刷して売れ行きを上げて国力を上げます。日本は国産品が豊富で世界一インフレから遠いのに、貨幣観の間違いで自国通貨をわざと削減して、24年間もデフレです。ユニセフから女性と子どもの貧困国に指定されています。最後の頼りは外圧か。
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2020/01/13

日本とドイツの美術物価の内外差が課題|毎度悩んでばかり

日本は美術市場が小さいというか、確かな市場がない話を時々出しています。日本は諸外国と異なり、合同展覧会の大半が公募コンテスト展だからです。公募コンテストでは、審査員が作品の格づけを行い、作品を売るのはまず禁止です。

だから作品を売った体験も少なく、自身のアベレージ価格が決まっていないわけです。その結果、世界の一般的な価格とは違う値づけになりやすい失敗があります。しかしもうひとつの原因があります。

それは市場が小さいと購入客が少ないので、値がこなれない問題です。つまり買う人が少ない分野ほど、逆に単価が上がってしまいます。買う人は特別な考えで買おうとする見込みとなり、高値で成り立つわけです。お客が限定される前提で。

フランスだとおにぎり弁当はまだ珍しいから、3個700円でも行列はできます。日本だと一般化してどこにでもあるから、3個350円でも高いと感じられます。これが美術でも起き、日本からドイツへ送った作品は、おにぎりとは逆に日本価格だと高くて手が出にくい。

実はジクレー企画では、その問題も含めて解決を考えています。プリントアートだと原画は手元に残り守られます。複製の一種であるジクレーなら、現地の相場に合わせやすくなります。プリント料の実費部分も、日本より値がこなれているし。

日本の事情はまだあり、できれば出品参加費の元をとれるほど高くしたい思いもあるご時世です。すると自ずと個展の事前リサーチや、トレーニング的な意味が浮上します。価格アップ以前に、内容を充実させてという考えになります。
2020/01/07

絵画の撮影カメラがものを言う|デジタル版画時代の海外アート進出

現代のデジタル版画は、写真画像をプリントして量産するものです。写真に収まる全てのものを版画にできます。自分の顔でも。ジクレーと呼べば、グラビアやオフセットでなくインク吹付式を指すので、高級版画の部類になります。

ジクレー展覧会は、出品の制約が小さく自由度が高いのが利点です。まず作品サイズが小さくても巨大でも出品でき、売却済みでも出品できます。入門用のハードルの低さと、応用範囲が広く奥も深くなっています。

ただ、撮影の画質で版画のクオリティーが左右されるから、まずは画素数が多くてセンサーが大きいカメラが理想です。写真スタジオに外注にしても、絵画用大型スキャナーがないところでは、意外に上手でもありません。料金も高く、全点写すとコストがかさむし。

過去にスタジオ写真がイマイチで、作者自身が写し直したこともありました。光る素材の作品でした。自分で撮ると、ある部分をピカッと光るようにライトを当てる細工ができます。そうして作品に特別なライブ感を加えてうまくいきました。

問題は、カメラはスマホだけ持っている場合が増えていて、三脚につけて絵にまっすぐ向けることがやりにくい欠点があります。画質も概してジャリジャリしたノイズ感があり、JPG圧縮も避けられずに圧縮率で劣化が目立ちます。

デジカメ撮影技術の底上げも思いつき、そちらの準備も考えています。比較的安価で、絵画撮影に向いたカメラはいくつかあります。こうして、いくら簡単になっても、また手間をかける方向になってしまいますが。
2019/12/17

ジクレー版画の駆け込み参加も可|英語でプレスとプリントは同じ意味

ジクレー版画という技法について、最近はあまり説明しなくなっていました。版画は昔から、プリントアートのことです。このプリントという語は、版画のプレス機と、印刷のプリンターのどちらも含み、しかも両方は同じものです。

プリントの語は日本では学校で配るチラシだから、版画のイメージには遠くなっています。しかし英語圏ではプレスとプリントは近い意味です。印刷技術で絵を量産すると版画になります。新聞紙や一万円札も版画です。

フランス語のジクレーは、デジタル画像を版として使い、インク吹付プリンターで刷った紙作品です。写真光沢紙からテクスチャーのある美術紙まで、用紙で画風が変化します。電子データを外国へ送って現地で刷ればよいから、日本で刷って輸送する手間が省けます。

幸いドイツではデジタル版画が一般化し、国内注文数が多いスケールメリットで、プリント料金は日本よりかなり安くなっています。日本に戻ると高くてショック。その内外価格差を利用する展示が、ジクレー版画企画です。出品者は画像を用意すれば調整もいらず、プリント仕様に合わせる作業はこちらで行います。

そうして時間が余るなら、原画を加工する時間に使えます。複製画に作る以外に、特別エディションとしてレイアウトを変えたワンメイク版にしたり、気になっていた部分を色変えしたりもできます。二作品を合成したりも。

完成作品の大きめ画像がすでにあるなら、あわてる作業も特にありません。撮影の重要性だけはこの企画に限らずありますが。現代では、版画と無縁の画家も全員がジクレー版画家になっているといえます。自分の絵の高精細な撮影画像が、生涯の販売用資産になる時代だからです。
2019/07/01

JFBのジクレー用紙のマッチング改良|アートプリンターは日本製

ジャパン・フェスティバル・ベルリン2020の出展のめどが立ち、ジクレー版画と大型絵はがきの作品募集を始めています。アシスタント・ディレクターが伝統芸術系の新人なので、新たな可能性を感じています。

2014年の絵はがき企画スタート時は、印刷見本を早めに受け取ることができ、画面で見る絵と印刷結果との差異を小さくできていました。一方2015年からのジクレー版画は、作品が大きいので見本はなかなか入手できず、当面ヤマカンでの手探りでした。

ドイツで使われるアートプリンターは日本製で、こちらも大型インクプリンターを管理していた時代もあり、再現具合を予想はできました。メーカーごとのクセはあります。ただし、光沢紙と半光沢紙しか使ったことがありませんでした。

キャンバス目や水彩紙などテクスチャーのある厚い美術紙は、日本ではプレミアム扱いの高級品なので、見本の画像で想像するのみでした。後で一部を日本へ送ってもらい、おおむねうまい画調で刷られていたと確認できました。

しかし用紙にもクセがあり、暗い絵のディテールが埋もれやすい紙もありました。その作品は早く売れていたのですが、特性がわかったので原画の質感重視で改善します。売れればよいというだけではないし。

絵がシンプルだと、テクスチャーのある用紙でにぎやかにします。ドイツのファインアートにも写真光沢紙がありますが、写真用ながらテクスチャーがあったりします。廉価なカットペーパーの光沢紙よりは、経年耐久性が高いのでしょう。
2019/06/24

ジクレーと絵はがきJFB募集開始|ドイツは好景気で日本は不景気

ジャパン・フェスティバル・ベルリン2020の日本新作美術展、5回目を募集開始しました。スペースは前回のコンパクトより広がります。新たに作家資料づくりで、マイクロポスター化を考えています。作品リストは毎回手間がかかっています。

現地の物価を時々調べていますが、デフレ日本以外の国は普通にインフレ基調なので、各種料金が高度成長時代の日本みたいに年々上がります。郵便料金や国際便、宅配やあらゆる入場料も上がっています。ジャパン・フェスティバルのエントリー料もかなり上がりました。

今の日本も物価は上がっていますが、これは増税で強制される総額アップと、物が売れないから採算悪化で値上げした、デフレ下のスタグフレーションであり、所得は下がり物価が上がる現象です。不景気下の採算割れ対策の例が、ヤマト便の値上げでした。

日本国内だけみれば、右肩下がりの斜陽が永続しそうな暗い気分ですが、世界各国は人口減でも少子化でも経済成長しています。経済は国民の覇気や能力ではなく、政策のさじ加減しだいです。具体的には所得分配率と政府財政出動です。所得移転を続けるレントシーキングを止める動きは、日本にはまだない周回遅れ。

一人負け日本の落ち込みは国際的な発言力低下にもなり、こうした海外イベントへの出資と出番の減少もあります。今回もへたすれば日本からの遠征が全滅し、現地だけで回るかもという不安がありました。脱落せずに踏ん張ります。

今回ジクレーの編集と用紙選択を少し見直します。絵はがきは全デザインが手元にそろっていますが、ジクレーは一部をチェック用に取り寄せただけでした。美術紙のテクスチャーと絵とのマッチングも改良します。
2019/05/01

ジャパン・フェスティバル・ベルリン2020準備|現地リーダー決め途中

令和二年に東京五輪の前に開催される、ジャパン・フェスティバル・ベルリン2020の下準備中です。会場担当ガイドさんを決めるところです。チームづくりで、ボランティアも買って出ていただけました。少数精鋭展の可能性も視野にあります。

前のジャパン・フェスティバル・ベルリン2019の会場は、雰囲気が従来と少し変わりました。大口出展が入れ替わり、ピュアアートのボリュームが小さくなったせいでしょう。ジャンルが混在したこともあり、他の階と似てしまいました。

展示会は、もちろん展示物でガラッと変わります。もしピュアアートの出品が消えると、ゾーンごとなくなる理屈です。仮に地元の幼稚園児の絵が加われば、やっぱりその方向に瞬時に染まるものです。展示物のタレント性が場を支配します。

日本の90年代のファッションビルには、どこかの階にアート販売店がありました。歴史名画のポスターとかオリジナル版画とか、ポストカード類を置いていました。しかしある日通ると、靴下店に変わっていたりしたものです。デフレ不況だから。ビルの印象まで変わった気がしたものです。

ところで、なかなか場所が決まらないベルリン少数精鋭展の続きですが、早く再開したいと考えています。これはEUが発端の世界同時デフレでプロギャラリーが低調で、代わりになんちゃってギャラリーが台頭した、欧米の事情が関係します。

平成の最後に、アメリカからおもしろ貨幣理論が登場し、あまりに現実どおりなので守旧派との攻防が起きています。その理論では、日本は簡単に経済発展できる道理です。今の正反対をインフレターゲット内で続けるだけ。ところがEUは原理上共食い構造なので、日本と同じだけ有利なのは、先行したアメリカ以外はイギリス、カナダ、スイス、オーストラリアだけだそう。
2018/12/12

デジタル版画の編集は時間が欲しい|手塚治虫の漫画のかき変えに納得

ラブレターを書いて直面するのは、翌日になって自分で読むとひどい内容だというショック。これはしかし電子メールでもそうだし、また論説記事やライトノベルの執筆も同様です。文章はなぜ一発で完ぺきにならないのか、という疑問です。

執筆時の思いは片寄っていて、後日読むと「こりゃだめだ」となります。Yahooなどに出るネット記事を読むと、内容がつかめない文や誤解を招く表現など、突っ込みどころが多くあります。概してまとまりが悪く間違いも多い。

これは一記事が800~1500円というジャンク価格で外注されているからで、見直し時間をとらない前提だから駄文の域から出ない典型例です。十倍に値上げしないと改善はありません。同じことが美術作品にもいえます。

たとえばピカソは生涯に絵だけでも13000枚も描き、非常にハイペースな作業でした。ところが過去の絵にちょこちょこ加筆していたから、即席仕事でもなかったのです。ネット記事の執筆者も半年後に推敲すればよくなりますが、ピカソはそれを絵画でやっていました。

これはジクレーの版下編集でもいえるでしょう。夏のうちにあっという間に完成していた版は、展示会までの残り時間に見直す機会があるから、何カ月もかけたのと同じように念入りになります。改良の余地がほとんどない状態にできます。

見直しの最極端は手塚治虫の漫画でした。旧作を別の漫画雑誌に転載するたびに、セリフを変えたりストーリーまで加えたり抜いたりしました。バリエーションは増えたけれど、作者にとっての完全版がどれなのか今も確定できず、初連載誌だけに残された幻の物語もあるらしく。その手もあった。
2018/12/05

ジクレー版画用の絵画撮影は意外に手間|絵画撮影ガイダンスあります

毎年12月は、ジクレー版画と絵はがき作りの作業が混みます。その作業工程の中で意外にネックになるのは、作品の撮影です。写真スタジオやジクレー工房へ外注せずに、参加者自身が撮影するには多少の技術知識もいるからです。

ストックした作品画像を使おうとすると、画素数が小さいから撮り直したい場合があります。それなら、カメラの世代交代が進んで自作品のストック画像の情報量が時代遅れになれば、時々撮り直して更新しておくのも手です。

セルフで撮り直す時の悩みがあります。今の時代は全自動カメラが一般的なので、写真撮影の理論を調べ直すべき必要も出てくるからです。絵画撮影は全自動の恩恵対象に入らず、マニュアル撮影が必須だから。

SNSで見映えするスナップショットではなく、純粋に商品撮影(ブツ撮り)の知識が必要で、ISO感度、絞りとシャッター速度の相反則に、回折や収差の原理、色温度、照度など、物理学も動員されるものです。カメラ小僧やカメラ女子なら楽勝でも、活字にすると長い説明になります。

写真家やCG画家は画素数を常に念頭に置き、作品が引き伸ばせるサイズ限界に見当をつけていることでしょう。しかし今や、手描き画家もCG同様に商品化できる時代で、一度は写真の講習を受けるのもよいかも知れません。

こちらのサイト制作ワークショップでは、絵画撮影ガイダンスも用意しています。所持カメラの活用法や、新型カメラの選定から始まります。本格カメラはほぼ日本製の一択なので、ドイツより日本で買う方が安く、また日本だと中古カメラの店が多く、キットレンズなどは市場に余っています。
2018/05/21

美術印刷とサイト画像のカラーマネージメントは難解|再び研究と整理

ジクレー版画と絵はがきとでは出力手順が大きく異なり、しかも印刷所ごとに入力原稿仕様が厳格に決まっています。ドイツの印刷所を使う時は、資料を取り寄せドイツ語を調べる必要もあります。

ところがいくら厳格でも、OSや各機器ドライバーソフトのクセもあり、データどおりの再現は不確定です。個別事情でさじ加減も必要だから、雑誌社も印刷所の特定職員と連携することが増えます。

カラーマネージメントのネット情報を読むと、非常に難解です。一枚の画像データにカラープロファイルが一個必ずついて、相互に変換可能というだけの仕組みなら理想です。ところが現実は、消したり他を名乗ったりも可能で、画像ソフトの設定とファイル操作は難しく、トラブルが絶えません。

ネットの人物写真が赤ら顔だったり、逆に生気がなかったりは、カラープロファイルの不一致でよく起きます。画像ソフトで保存時にカラープロファイルなしが選べたり、なしにするテクニックもあるせいで、後にミス選択が起きるわけです。当面PNGデータにはつけるなという意見も、困りものです。

一般にプロのデジタルカメラは、カラープロファイルが印刷出版向けに設定されます。同じRGBデータでも色空間が大きいので、画像の内部数字は異なります。主流の色空間が少なくとも二種類あるから、どの種かを宣言するカラープロファイルを消せること自体、発想がおかしいわけです。

消されていたらブラウザソフトが博打的に決め、外れたら二度濃くして赤ら顔や、二度薄めれば生気なしが起きます。対策として、絵画の画像でも撮影時のカラープロファイルを必ず埋め込みます。大量の原本画像がカラープロファイルなしなら、メモ文書を添えるのが現実的でしょう。
2018/05/08

版画を身近に親しむドイツ|日本はサインやエディションの形式に執着

日本で起きる美術の様々な現象には、やっぱりある種の事大主義が見え隠れします。版画の仕様の取り決めが細かいのも、この表れかも知れません。陶芸の箱書きと似た感じで、お墨付き書類で作品の値打ちを左右する意識が大きいという、程度問題があります。

こういう手続きを踏んだ版画は値打ちが高く、欠けたら値打ちが下がるという強い規則が、薄れつつも残っているのが日本です。何とかエディションという、グレードを示す規格に比較的深く執着する傾向です。

日本では鉛筆書きナンバーなしはエスタンプと呼び、格落ち扱いです。当のフランス語圏では、エスタンプは版画の意味で、そうピリピリしません。外国ではアートは自由という意識が優先し、便器を美術と呼ぶ時代に強い検問で制するのはアンバランスだし。日本は資格重視、外国は内容重視。

ドイツでも関心の対象は画のイメージ、図柄です。仕様の規格で値打ちを測っていないみたい。だからドイツで絵にサインを求められるのは、サインで値打ちが変わるからではなく、名前ぐらい書いてねという意味です。

もちろん出展するこちらは、手がきと誤認されないよう看板にジクレーと表示します。日本側ではフランス語のジクレーですが、外国で一般に通るのはアートプリントの語だと知りました。二つの語を明示しています。

ジクレー展では日本での値打ちも考え超高級紙に刷りますが、対外的にはオーバースペックかも。同じ絵を用紙のグレードを変えて刷り、相応の価格差にすると、安い方が売れる傾向があります。絵の資産価値よりもコンテンツイメージがお目当てで、リセールバリューは後回しらしいから。
2018/04/22

印刷物と版画は違う、プリンターとプレス機は|日本語の豊富さが裏目

国境を自由に越え、国境をなくして世界を均質化する主義がグローバリズム。それを国際社会に仕掛ける者は、持ち株会社や資産運用会社などマネーを商品とする企業が中心です。その理念のひとつが、英語への言語統一でした。英語以外を世界から消したい立場です。

しかし日本語は世界有数の広範なボキャブラリーを持つので、英語に移行すると表現範囲が減ります。たとえば、日本語の「君」と「あなた」は違う意味です。Jポップの歌詞でも、「ユー」だけだと光景や情感を表現しきれないから、歌の芸術性は狭まるでしょう。

そんな日本で生じた衝突に、「印刷物と版画は違う」があります。この区別は、わずか10年前でさえ日本版画界の悩みでした。英語だと印刷物も版画も「プリント」なので、二つは同一とわかるのですが。言語の国境が、アート業界の足を引っ張りました。

版画とは、印刷して量産した絵画のことです。英語でアートプリントと呼ぶから、プリンターで刷った紙とわかります。ところが日本だと、版画のプレス機と印刷の輪転機が、まさか同種の機材とはイメージしにくい。まして電動式で電子式でUSB接続となると、別世界に思えてしまいます。

そこで国内のジクレー販売店は「それは本物の美術か単なる印刷か、どっち?」の疑問に対して、「非常に美麗だから芸術的な価値がある」という説明をよく行いました。美しいから本物の美術なのだという論法に頼ったのです。原色が従来の倍に増えた、六色インクに救われたかたちで。

しかもそんな2008年頃でさえ、「印刷物が美術を名乗ったニセ絵画の商売をなくそう」と主張する糾弾サイトがありました。印刷物が美術を名乗った紙を、版画と呼んできた欧米の長い歴史に対して、日本語の豊富な単語が裏目に出たのでした。
2018/01/25

2日後迫るジャパン・フェスティバル・ベルリン2018|やや少数精鋭的

あさって1月27日に始まるジャパン・フェスティバル・ベルリン2018のスタッフ用資料は、すでに現地へ送っていました。日本側としては待つだけです。

日程は、
2018年1月27日(土)10:00~20:00 (日本時間18:00~4:00)
2018年1月28日(日)10:00~18:00 (日本時間18:00~2:00)
日本時間は8時間先行します。

今回は前回のドイツ国側の盛況を受けて、恒例化を意識したものとなり、個々の作品をいっそう充実させる方向を狙いました。昨今は外国で日本アート歓迎ムードがあるとしても、物足りないまま売り抜けるのは避けたいからです。ただし日本は不況なので、登場メンバーは限られました。

今回の見どころは、まずジクレー版画。強豪の少数精鋭に近い状態です。4点の出品がいっそう増えています。単価を上げたい希望もあります。

ブランド絵はがきも新作はわずかにとどまり、途中で降りた方が多かったのです。絵はがきは100枚つくるから、誰も買わない前提では出しにくい事情もあります。そこはジクレーと違い、売れ数を伸ばしたいところで。

マイクロ個展は、アートアクセサリーの後継です。絵画作品にまで広げたので、4種類の作品群が並びます。海外の展覧会は見物よりも買い物なので、絵をテーブルや床に置いても成り立つので詰め込みました。お客様はちゃんと中味を見ていますので安心。
2018/01/03

作品を買う理由を盛り込む改良|ジクレー版画の撮影と編集作業の作戦

24日後に展示するジクレー版画の多くは、すでにレイアウトデータをドイツ側へ送ってあり、遅れている分は引き続き編集中です。版下を並べると過去最高の品ぞろえに見え、少数精鋭的に総力が上昇した気はします。

原画を輸出し会場に置くやり方から微妙に変えたのは、売れた作品点数の割合が少なかったからです。一点も売れなかった展示でも、日本でなら見てもらえてよかったという喜びになります。が、外国では売買が文化交流の本意なので、購入数が皆無の展覧会は失敗です。

そこで、相手が買う気になる理由を持っている作品を集める発想に変えたわけです。買う理由が足りない作品があれば、買う動機となる何かを編集で足します。よくあるのは撮影時の綾を表現に加える微妙な世界で、トリミングしたりサインをカッコよくしたりもあります。

こうした作品改良は、欧米にもあるのか。たとえばアメリカのギャラリーは、取り扱い作家に意見や要望を細かくつけてくると、参加者から聞きました。貸ギャラリーと違い企画ギャラリーは美術商店なので、商品を向上する意見や注文がついて当然。えっ、アートを商品と呼んじゃっていいの?。

実はこの問題は根が深く、日本では見せてナンボ、他国では売ってナンボの差があります。売れるようにしますと言うと、売れなくていいから自分のやりたいとおりを希望と、日本特有の思想が根強いのです。ヒットは打てずとも、今のスイングフォームを続けるんだ式のバッターに似た心意気。

こうしたプロ否定傾向が合成された結果、日本に美術の一般市場が築かれなかったと考えられます。作る側に売るつもりがないと、買う文化ができない。それは一応ニワトリとタマゴですが、我々のジクレー版画は知らない他人様が買う理由を盛り込んでから、現地へ届ける考え方です。
(作品見本
2017/12/11

アート展示会の下準備でやることが増えている時代

大学で屋外彫刻をつくり、苦労して完成し市街地に運ぶ直前に、教官から突然言われました。「作品タイトルは何?」。考えもしませんでした。ひどくあわてたのですが、たまたま台風が来て外は強風だからそこから取り、後の芸能タレントグループと同名になり。

音楽分野で曲のタイトルに、その時に起きた事件をヒョイと題名にするのはよくあり、ビートルズ曲にもそうしたテキトーなタイトルがあります。問題は、美術展に向けて美術家がやっておくべき準備の多さです。

アーティスト名と作家サインを決めていないと、けっこうあわてます。日本ではサインは作品を汚すもので、絵の純粋さと清潔感を保つためにサインを省くか、しぶしぶ淡く小さく入れる傾向があります。しかし市民が価値を決める欧米文化では、署名なき状態は不利だという。

また作品が人手に渡ると、サイズや材質などの情報が永久にわからなくなります。サイトをつくる時に作品一覧をつくりますが、ネームがそろわず空欄ばかりになり格好がつかないことに。だから出品前に作品を計測します。

特に絵画は、撮影画像がないと悔恨となるでしょう。非常に精密な複製画がつくれるハイテクの時代になっているから、作者の存命中は版画の名で売るルールです。作品完成時の高画質な画像は生涯の収入源になり、展示会にも顔を出し続けられる利点です。昔はなかった今の特典です。

大学の彫刻では、教官からのもうひとつの質問に面食らいました。「作品の値段はいくら?」。考えもしませんでした。2人チームで組み上げた高さ3メートルの鉄製彫刻を、売る発想がこちらに全くなかったのです。この最初のつまずきは、後に日本国内によくみる問題だと知ります。
2017/12/07

ジャパン・フェスティバル・ベルリン用の作品編集が混み始め

この秋の寒波は例年の11月ではなく、12月に始まりました。ジクレーの版下づくりも混み始め、前年より遅れたピークになります。夏に準備した作品が今回はなく。毎度着手を早めたい理由は、時間を多く当てた作品はやはり相応に練られるから。

ドイツ側でフェスティバル主催者の宣伝が始まり、アーティスト資料は例年ジクレー版画の中から送っています。ただ、決定した作品はまだ少しだけ。

版画系の募集は今の時流に話が広がりますが、前回も啓発の苦心がありました。ジクレーは何でも版画にできて便利だとしても、複製作品への抵抗は国内にまだ残るからです。日本画より洋画に多いジクレーへの敬遠があります。

原画は本物で複製は偽物だと何となく感じるのは、比較的新しい感覚でしょう。近世の画家たちの方がむしろ、複製作品に寛容でした。多色インクプリンターが発売された1997年から、日本では印刷美術の是非論が起きました。

では現代のアート市場の反応はどうか。意外にも撮影画像にデジタルで描き足すタイプの作品が、ドイツで売れゆきがよいのです。もしかすると美術作品が複製物に入れ替わる流れが、ごくゆっくりでも起きているのかも。

原画は下絵にとどめ、プリント画で完成させる方法だと、絵を写真のごとく何度も市場に出せるメリットがあります。原画を手放しても資産が残る時代の特権でしょう。そこが大事な理由は、一人の最高傑作は比較的若い頃に出るせいもあります。撮影画像が命綱で、作者が持っている限り特権として再発売できます。
2017/11/16

個展の前準備にもなる手頃な団体展

参加希望者にたまにみるのが、「ドイツでの個展を望み、それ以外は不要」という初心です。一発勝負にかける気概らしく。ところが結果的にこちらで個展や二人展をセットするのは、団体展参加者の中からです。なぜそういう結果になるのか。

これは現地がついて来る下地づくりと、作者がついて行く下地づくりです。日本でも個展は、6日間で10万円は最低限。ドイツだと2~4週間でもっと高いから、的を外すとダメージが大きい。個展の初日にお客たちが「これは違うなあ」と感じたら、互いに損です。どうせなら的に当てたい。

そこで助走がてらマーケティングリサーチというわけで、低廉な団体展で事前調査し、方向性を決めて個展の設計に入るのが得策で近道です。この慎重さは、現代アートの時代性とも関係があります。それは、一人の作者が多品種になっている現実です。

一人で、具象画、抽象画、写真、オブジェとマルチに手がけるのは、現代日本ではよくあること。いかにも現代らしいのは、各々に一貫した作風がなく別人のごとき作風になりやすい点です。世に出回る作品に感化されてしまうから。情報過多の時代に、世に出回る作品に感化されるのは避けられません。

一人展で雑多に並べると何屋さんかが焦点を結ばず、現地の関心は薄れると予想されます。かといってヤマカンで選べば、外れる確率も高い。現地でイケるイケないを事前にチェックした方が、よいペースを保てることでしょう。一発シンデレラはもう起きないし。

ジクレー展でめぼしい作品を顔見せして、感触を確かめるのは無駄になりません。だからなのか、当初はベスト作を推奨していたのですが、今は新作や試作の出品が多くなっています。原画が温存され消耗しない利点もあるし。
2017/10/19

ジクレー版画展の参加資格は制約なし

今でもたまに誤解があるのが、ジクレー版画展の参加資格です。ジクレー版画の本を読んで勉強したり、ジクレー版画セットを買って彫刻刀で彫るとか、版画家になる訓練をイメージしているケースがありました。

実際にやる作業は、作品を写真撮影するだけ。調達が必要なのは版画づくりキットではなく、デジタルカメラです。版画業界で版画に定義されているジクレーなる技法は、厳密には技法ではありません。表現法と言っても、何か違う。

人によってやることが違うからです。ある人は油彩画だし、アクリルや水彩画かも知れないし。クレヨンや鉛筆も当然あります。さらに、風景を撮った画像をジクレー化してもよいわけです。間に絵をはさまなくても。

それは写真作品と呼びます。写真引き伸ばし機(エンラージャー)を使った従来の暗室作業は、後にミニラボに替わり、写真引伸プリンターかジクレープリンターに替わりました。シャッターを押せばジクレーにできるから、人類全員が訓練なしにジクレー作家になれる理屈です。

ジクレーの条件はインク吹付プリンター出力なので、レーザープリンターで印刷するとレーザー版画と呼ぶべきでしょう。90年代に日本で大売れしたアメリカの版画に、輪転機で印刷したオフセット版画がありました。これは虫眼鏡で見ると網目になっていて、簡単に判別できます。

ジクレーの利点は、原画を売った後に版画で再販できることでしょう。昔はデジカメがなかったから、自分のヒット作を手で模写して、木版画に彫り直して量産しました。そうして再発売を目指した実例に、ムンクの『叫び』がありました。
2017/09/11

ジクレーが一般化して起きつつある絵画の変化

ジクレーはアート制作の技法というより、仕上げの仕様です。できた作品は版画。たとえばムンクの『叫び』は何枚も存在します。作者は油絵を目視で版画に彫り直し、刷って量産しました。その目をカメラに替えて、インクジェットプリンターで刷ればジクレーになります。

ジクレー化で芸術性は失われません。ディテールのニュアンスは当初は失われましたが、ハイテクの力でもう水彩画はジクレーと見分けられず、専門家の鑑定が必要です。油絵なら、触れたりにおいでわかりますが。

立体造形をカメラワークで演出した不思議な版画もつくれ、『叫び』の頃より自由度が高まりました。しかしジクレーの積極的活用とは別の面で、全ての絵画作品が影響を受けています。一枚の絵にかけるエネルギーが上がる傾向です。上げざるを得ないというか。

逆に、簡素な略画や消化作品は値打ちが下がっています。というのは、絵を一枚かいて売ったらそれで終わりではないからです。撮影画像を使ってジクレー化して、もう一度売れるから。二度でも三度でも百度でも。まるで、打ち出の小づち。

イメージの著作権は作者にあるから、極論すれば生涯に一枚だけに全力投球して傑作をつくれば、生涯何枚も売り続けられる理屈になりました。一枚に力を注ぎすぎないよう労力を配分すべしという、従来の力学がなくなります。

音楽で一つのヒット曲を何度でも歌って千回でもコンサートが組める、それと似た立場に美術も近づきました。版画家に限らず、画家と名のつく全員が。広く浅く多作するよりも、一点をディープに作る作戦も考えられます。『叫び』だけを増産する手が取れる時代なのです。
2017/05/31

ドイツでジクレーアートは売れるとわかっていた

日本からドイツへ作品を送って、売れ方を調べて研究していました。比較的早くわかったことは、売れる作品の第一は写真だという点。日本にくらべてヨーロッパでは写真アートの地位が高いとは想像していましたが、真っ先に売れるのは印画紙の作品だったのです。

写真系が売れ、フォトエフェクト系やCG系のジクレーから売れていくこともわかりました。キャンバス画やパネル作品はあまり動かない、その理由は値段に大差があったからだと、すぐにはわかりませんでしたが。

日本は20年以上不況が続いて感覚が鈍っていますが、世界同時不況が聞こえ始めると、ペーパーアートのみのアートフェアがドイツで伸び始めていました。イギリスがEUオブザーバー脱退を言い出したり、移民難民問題が日本のニュースになるより以前の話です。

新企画も現地に合わせることを考え、日本のペーパーアート作品をファイリングした展示販売も試しました。すると売れたのは、手刷り版画とCGとやはり写真系でした。複写ものが強い。それなら全作品を最初からジクレーにして、もう一度ファイリングすればいけると考えたのです。

日本では美術は特殊化し、ゴージャスやプレミアムが求められます。しかし美術が一般化済みの諸外国では作品の価値は造形イメージであり、ソフト重視です。データ化する意味ではなく、コンテンツ本意の意味です。手で持つと重い必要もなく、ペラ紙の作品から売れていく欧州です。

ドイツで求められる本物志向は、作品の物理的な高級感よりも内容だとわかりました。ただ、ペラ紙だと折れたり長持ちしないから、ハイエンドアートプリンターと超高級厚手用紙にしています。日本だとかなり高額になるタイプです。