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2019/10/21

写真は芸術かという日本的な思想心情

写真は芸術なのかを議論するサイトでは、写真と芸術の屈折した関係が読めます。多いのは、写真は真を写す記録だから思想が入らず、芸術表現に当たらないという意見。これは芸術の原点に絵画を置き、くらべた写真に不足があるから芸術失格とする主張です。

でも絵画史に詳しい人は、この考えを持たないでしょう。カメラの原型はギリシャ時代にあり、写実が目的だったから。本命は写真術の方であり、19世紀に感光用の湿板ができるまで記録メディアがなくて、しぶしぶ手作業で妥協したのが絵画史です。大昔からカメラがあれば、絵なんて不要だったのが現実です。

写真こそが原点でした。現代の具象画でも、画家は絵具箱やイーゼル持参でなく、カメラを持参して撮影取材します。その写真をアトリエで絵に置き換えるのが画業であり、抽象画さえもが抽象写真を見てのインスパイアが多い。

議論で興味深いのは、「芸術は押しつけがましいから」という不思議な論法です。写真を愛するゆえに、芸術表現にカメラを使わないで欲しい、写真の素晴らしさを芸術の名で汚されるのは困るという意見です。どう反応してよいのかわからないほどの、アンチ芸術的な論です。

写真は芸術かという議論の場に、芸術的な表現行為をいやがる意見が異口同音に出てくるのです。写真には芸術になって欲しくない願望というか。芸術から遠い写真が好きで、芸術写真は嫌いという意思。芸術を敵と見立てています。

もっと興味深いのは、「そもそも芸術の定義など存在せず、何を芸術と定義するかで答が変わる」という主張。そんなわけはなく、芸術の定義が空白なのは日本だけです。歴史名作は全て創造性が高く、芸術の第一義は創造だとの永遠の答が昔からあります。結論。創造に否定的な日本人が多すぎ。
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2019/10/05

足が短いカワイコちゃん芸能人の写真集と絵画撮影カメラ

まとめブログサイトに、短足芸能人の特集があります。ステージやイベントの写真を見せて、こんな足が短いぞというおもしろネタ雑談サイトです。一部のタレントは自ら短足を名乗っています。でも写真を見ればトリックだとわかります。

低い位置の被写体ほど、カメラマンが見下ろすことになり、光学レンズの特性で頭でっかちに写って当然です。犬や猫が立面図にくらべ短足に写るのと同じで、単純に見下ろした写真です。短足サイトの写真はやはり俯瞰アングルばかりで、室内壁の線も下すぼまりに写っています。

体の下部ほど遠方にあるから、焦点板上の画角が小さくなり、小規模に写ります。顔にくらべて靴がかなり小さい。西洋画の遠近法と同じですが、慣れたカメラマンはこういう時、レンズの光軸が水平線近くになるようアイレベルを下げます。建築写真では、大型カメラのレンズをフォールさせました。

短足写真の大半が素人のスナップショットなのは案の定で、真横から見たつもりでも実はかなり見下ろしています。この現象は美術作品の撮影で、特に絵画類をデジタルカメラで撮る場合に気をつかう課題です。

絵画の水平面に対してカメラセンサーの平面が多少でも傾くと、撮影画像にパースペクティブがついて、長方形の絵が台形や四辺形に歪み、長さの比が変わっていて元に戻すのに手間がかかります。AIソフトはまだなく、手動で戻してデジタル版画にすると、人物画の顔が微妙にやせたり太ったりすることも。

絵画とカメラを平行にして写すのが理想ですが、カメラのファインダーをのぞいても、微妙な傾きは見てわかりません。そこでファインダーにタテヨコ線が現れる、方眼スクリーンが昔からありました。一部のデジタルカメラはスイッチで出せるので、要チェックです。
2019/09/30

自衛隊の次期制式拳銃SIG320と金属製カメラ

アメリカで銃撃テロ事件が繰り返され、トランプ大統領は全米ライフル協会の幹部と話し合い、ある程度の規制に成功しました。決めて押しつけるのでなく、不利益者といっしょに考えたという。とはいえ、善良な市民に銃が行き渡るのを阻止する規制まではいきません。

別のニュースで、アメリカの一軒家に入った強盗4人を、家主が銃で始末した話。この使い方がアメリカの法律では期待されていて、隣家まで音も光も全く届かない広すぎる国土で、自ら身を守るべしと銃に市民権を与える憲法なのです。

昔から銃愛好家が多く、ガンスミスと呼ぶ銃砲職人とカスタムショップも多いし、ガンショーも盛況です。アートフェアと同じぐらい。見本市の人気は、唐草模様を彫ったエングレービングモデルをケースに収めた、記念品の拳銃です。撃たない前提。ハンドガンに古風な彫刻が似合い、不思議なアート感覚です。

ところで、日本の自衛隊の次期制式拳銃はアメリカ製のSIG320となり、流行りのハイポリマー製ボディです。上部スライドはステンレスでも、フレームとグリップは一体成形の樹脂製。18発装填できる高性能でも、見た目は何かおもちゃみたい。

金属から樹脂に変わったチープ感は、ある時期の一眼レフカメラを連想させます。70年代のカメラはクールなアルミ合金で、機械的な魅力がありました。ワインダーとストロボ内蔵で電池が大型化した頃には、コロンと丸い樹脂製に交替しました。

アメリカの銃マニアの目的は主に射的と狩猟ですが、工芸品の美感も大きいと思われ、それが金属カメラへの愛着と似ています。日本でたまに外側も金属製のカメラが発売されますが、もうすでにロストテクノロジー化が進んでいます。
2019/08/03

カメラの値段がインフレでなくデフレで上がった平成

消費税は買い物にかかる税なので、買い物を食い止めるのが主目的です。この議論は1988年の日本では起きませんでした。当時、税金は国の運転資金だと、誤解一色だったから。今は誤解を続ける者と、やめた者に分かれています。

誤解をやめるには、国税は財源でなく物価安定機能と知れば早い。ただ各国で貨幣を際限なくプリントしないのは、需要増でも供給できない国だとインフレ、つまり物価高騰と貨幣価値下落が起きるからで、分岐点は工業技術の高低です。不器用で増産技術が低い途上国は、インフレになりやすい。

1989年4月の消費税導入当時を振り返ります。電器や光学品や高級車が軒並み価格下落し、急に売れ出しました。オートフォーカスのフィルム式一眼レフカメラは、交換レンズが品薄で製造待ちが何カ月も続きました。たとえばNikon社の300ミリF2.8、通称サンニッパはどうなったか。

従来価格50万円が、物品税廃止と消費税新設で456000円に下がりました。店頭から消えて、注文してもなかなか入ってきません。4年後の1992年秋まで同じ値段でした。金余り現象で商品不足だった当時、物価が高騰する超インフレは、なぜ起きなかったか。今の経済学者の警告と合いません。

理由は、メーカーが難なく量産できたから。先進国日本の生産能力は高く、生産と購入が両方伸びて経済成長した。日本は金満景気でも、インフレが非常に起きにくい証明です。しかしデフレ不況と消費税でひどく高騰し、2018年にそのレンズは81万円となりました。主流派経済学の教義と正反対の現象です。

財界が恐れるインフレは迷信で、デフレで物価は無駄に上がりスタグフレーションしています。身近な証拠は、お菓子のグラム数が減ったり、チクワが短くなったりテーブルロールの直径が小さくなった実質的値上げ。22年もデフレスパイラルだから、政府が積極財政に転じる以外に手は残されていません。
2019/03/05

写真のプロはプロ用の特殊なカメラを使っているのか

学生の時に後輩の一人と写真を話題にして、プロカメラマンが使う機材の話になりました。「プロは僕らアマチュアが買えない、市販されていないカメラとレンズを使っている」と彼は言い出したのです。「だってプロ写真家が撮った写真は全て、僕らと全然違ってきれいだから」。

プロも普通の市販カメラとレンズを使っているのだといくら言っても、「それはさすがに、どう考えてもウソだとわかる」「機材が違うから勝てない」と相手は自説を曲げません。プロ用の特別製カメラを、業者ルートで調達できるプロ特権があると信じていました。

たとえば宅地造成された空き地を写真に撮るとします。赤土に少し雑草が生えて、茶色く枯れた状態。その空き地をアマチュアとプロの誰が撮っても、できた写真はショボい。光景が平凡すぎて。そんな平凡な光景を、プロ写真家は撮らないだけの話です。

カメラが特別なのではなく、探し出した光景が特別なだけ。劇的なルックスと色彩がある光景を見つけ、レイアウトするのがプロ。これは「写真は芸術ではない」という芸術観に対して、反論にもなるでしょう。写真は機械に頼るから、人の手の跡が残らず芸術失格だという、日本に根強い論法があります。

ドイツでは逆に写真芸術が盛んで、芸術観の違いも読み取れます。特別な光景を探し出す目にワザありという発想が、ドイツにはあるのです。選択眼が芸術力。日本で多く語られてきた、デッサンの手腕と年季でにじむ匠の味わいを礼賛する、名画ファンの感覚とは異なります。だから日本で写真の地位は低い。

光景の探しやすさと構図のまとめやすさはファインダーの機能ですが、最近は一眼レフの光学ファインダーをテレビカメラ化した、いわゆるミラーレス一眼の商品競争が激化しています。ロストテクノロジーも関係があり、レフ式光学ファインダーの精度を日本以外で実現できない限界がからんでいます。
2018/08/01

写真のハイキーとローキーの意味が平凡化している

アート・マネージメント・システムの中で、写真のハイキーとローキーの話題がまた出たので、ネットの説明を紹介しようと探して驚きました。かつてのプロ写真家たちが行った説明とは、全く違うネット説明だらけです。

かつてのハイキー写真の定義はこう。「階調の明暗がそろった上で、明色が主体の写真」。ローキーは、「階調の明暗がそろった上で、暗色が主体の写真」。ハイキーは明るい写真に、ローキーは暗い写真に見えます。

重要なのは、ハイキーもローキーも明色から暗色まであること。前者の例は「白いカーテンの前で黒いバッグを持つ人」です。後者は「夕暮れの空を切り裂く雷の閃光」。それぞれ写真が浮かびますが、明るいハイキーには暗いシャドーがあり、暗いローキーには明るいハイライトがあるのがミソ。

ところがネット説明はほぼ全てが、ハイキーとは露出オーバーで、ローキーとは露出アンダーです。カメラ設定やソフト調整で、明るく飛ばしぎみにいじればハイキー、暗くいじればローキーだとの説明に今はなっています。絞りをあけたり、シャッター速度を遅くして、適正露出から外れたまぶしい感じに写せば、それがハイキーなのだと。

これはかつて、間違いやすい典型と警告された解釈そのものです。往年の誤解が今は大手をふるってびっくり。そもそも露光量の加減なら、「明るい」「暗い」や、「露出オーバーぎみ」「アンダーぎみ」の言葉があります。その話とは違う別の作画技法を説明するために、「ハイキー」なる別語をあえて用意していたわけです。

この解釈違いは、一人がネットに「あの芸人は殺人者」と書くと、何万人が引用して広がり続ける現象かも知れません。そして、かつてのハイキーに相当する語が今はないからボキャ貧が生じ、話が単純化されて大ざっぱ。写真芸術を語るプロも、不況で絶滅したせいかと思えてきました。
2018/03/21

ベルリンを撮影した写真の見栄えがよくて

昔うちにもあったけれど、とっくに廃品回収に出して今はもうないという、雑誌やブックレットなど。それが、ネットオークションで一万円以上で落札されていてびっくりなんてことが。

そんな古本みたいに値段はつかずオークションに出ないけれど、似た現象があります。自分が住む街の風景写真です。都心の知られた場所や観光地なら報道写真やビデオがどこかにありますが、郊外の自宅近くは事件でもないと記録されません。

身近な街の風景は一度も記録されず、ひっそり消滅し続け、全人類から忘れ去られます。値打ちがある風景もあるはずです。そこで、外国にしばらく移り住む方々に進言しています。とりあえず、異国の身辺の地を意味もなく無駄に撮影しておけばよいと。デジタルカメラを利用して。

そこに住むと景色は見放題で珍しさが消え、あえて撮影する気になりません。見飽きた雑誌と同じで、価値を感じなくなって。しかし日本へ戻った後、当地の当時の写真があれば本も出せます。ないと絵にならないから、出版話も持ち上がらないだろうと。

今ありふれているものは価値がないと感じ、しかし時間がたつとお宝になる。ノスタルジーを超えて、貴重な資料になる可能性が身近に転がっています。今こちらでは、ベルリンの美術展会場写真がそれです。

今回、ベルリン写真を皆様から快くお貸しいただき、クラウド・ファンディング用に使います。絵画作品と並ぶ写真作品群みたいに、一枚ごとに物語が感じられます。
2018/01/29

展示イベント会場写真の30年後

ジャパン・フェスティバル・ベルリン2018

オリンピックの日本選手、優勝候補が銅メダルに終わった直後。「銅ならいらない」「捨てたい」「誰かあげる」と本人の感想。自分史に黒歴史が生じたからと、インタビューでも不満顔。

生涯一個に終わったその銅メダル。しかし後年テレビの感動シーン特集で繰り返され、スタジオに出演でき、議員に当選できと、絶大な効力。結局あきらめずに獲得してよかった。あの時の金銀とも後の天才たちで、自分は善戦していたと後で知る。

似た現象を美術で考えてみて、時間がたつほど価値が出るひとつは展示イベントの写真です。世に山とある賞状類より、むしろ貴重になるから。

開催直後は、この程度の写真はいらないと感じて関心もなく。ところが歳月は怖いもので、30年後に本でも出す時に写真があれば違います。記者たちの合言葉「絵が欲しい」というやつ。一枚の写真で記事が書けるから首がつながる、パパラッチの必死さもそれでしょう。

この時間差の有用性も考え、会場撮影は計画的に進めます。まずカメラの選定。簡略カメラが画質を誇るのは戸外で、屋内イベント会場では散々なのが普通です。低照度のタングステン光やミックス光の下は、撮影条件が難しい部類だから。

ぶれてぼんやり、ピントが合わない、黄色すぎ、じめりと暗い、霜ふりノイズ、カサカサ灰色に浮いた黒、真っ白ハイライト。が、高画質カメラは大きめだし調節カ所が多く、機能を片寄せる特殊な設定も必要だから、説明書を見ながら打ち合わせます。
2017/09/15

電気自動車とデジタルカメラ

ガソリン自動車やディーゼルをやめて、電気自動車へ替える話題が続いています。各国が電気への移行時期を宣言し始め、メーカーも急ぎ出して。しかしユーザーが盛り上がらないのは、電気自動車一辺倒は不況を強めるフラグだから。

部品数を減らす合理化で、製造メーカーは縮小されるから、大量失業は必至です。従来車でナンバーワンのドイツに焦りの声もあります。エンジンと変速機やデフなど動力伝達の設計技術も工作精度も全て御破算となり、代わりに原子力発電所が必須だから。

自動車史で元々先に出された本命の案は、電気自動車でした。実現が無理とわかりガソリンに振り替えた、その時先行した一人がドイツのダイムラーさんでした。近年は蓄電池の改良で実現可能となり、長い寄り道からやっと本命に戻るところ。

すると、すでにある燃料車はゴミになります。歴史的なスタイリッシュ・スポーツカーも、乗る対象から外れて値打ちも下がるでしょう。それが実際に起きた例はカメラでした。過去のカメラ名機はデジタル時代が進むと暴落し、今や中古店でだぶついています。

死蔵のオブジェになったフィルムカメラを復活できないかと、ハイテク時代の夢があります。すぐに思いつくのは、市販フィルム型の電子センサーです。パトローネサイズのコントローラーと薄膜センサーを合わせたユニットを装填するだけで、裏ぶた交換が不要なタイプ。

フィルムの代わりに入れて済めば、ドイツのライカやコンタックス、日本のペトリやミランダも甦るでしょう。アメリカではすでに市販され、しかしキヤノンとニコンの特定カメラ専用で、裏ぶた交換式で低画素です。復活するカメラは主に日独の製品だから、まず日本で改良するのが自然でしょう。
2017/03/10

一眼レフとスマホカメラの画質の差は大きいのか小さいのか

カメラ業界もまた不況業種の近傍にいて、その原因は携帯電話機にカメラ機能があるからでしょう。ネットでも、携帯電話があればカメラは永久的に不要という声がみられます。

最新の携帯電話カメラの画質を検証しようと、一眼レフカメラとスマホカメラで撮りくらべた画像がネットによく出ています。大きな違いは、色の再現性です。その差は、日中の晴天で目立たず、室内や暗がり、またライト類が画面内に入ると激しく目立ちます。出版DTPの現場で困る現象です。

一般に小さいカメラほど撮像センサーも小さいから、レンズを通して焦点を結んだ一画素ずつの色を、よりアバウトな精度で受け取ります。それを補完計算して推測値で記録します。暗部に発生する偽色(ぎしょく)もそうです。小さいカメラほど補う量が増えます。レンズも小さいので、結んだ焦点の精度も低い。専門用語で言えば、収差が大きい。

略式の小さなカメラは、白と白の違い、黒と黒の違いの描写が苦手です。クリーム色など明色が白一色に飛んだり、ぐんじょう色の服が後の黒カーテンと分離せず、溶け込んだりします。オークション画像で、黒服が濃灰のシルエット状にのっぺり写るのも同じ性能不足です。布地の凹凸が消えてしまう。

小さいカメラはぱっと見重視できれいにつくろった画像なので、出版向けの調整であまりに時間を食い、十倍ですまない効率の差になります。どんなにいじっても、プロのクオリティーにならない。意外にWEBサイトの美術作品も、撮影カメラで見栄えの差がはっきり出ます。

プロカメラマン以外は携帯で十分だという結論を見かけますが、これは日本人の美的感覚が落ちた証明とは違うでしょう。25年めの平成大不況で所得減がさらに続き、「読みたい本がない」「乗りたい車がない」「行きたいデパートがない」と同様、カメラもまたイソップ物語のぶどうになっています。
2016/02/29

月面で撮った星空の不思議?

1969年から72年まで7回中6回成功し、12人が月に立ったアメリカのアポロ計画。さらに中国が送った探査機が写した、2014年の月面写真も公開されています。ところがそれらの写真に、素人から疑惑の声が出ていました。

星空の疑惑です。月面の真っ暗な空になぜか星がひとつも出ていないから、写真はニセの月面だと言う。アリゾナ州の砂漠にでも建てたスタジオで撮影した世紀の大陰謀。地球の巨大な屋内スタジオの黒塗り天井に、光る星の点々を美術さんが作り忘れたポカ。「それを見抜くことのできた僕の何と賢いことか」。

その主張は、カメラの仕組みを知る者には、相手にする気も起きないほど初歩的な勘違いです。しかし物ごとを知らない人ほど、けたたましく勢いが強いもので、裏世界でこじれています。

「それはこういうこと」と親切な人が現れて説明を始めても、当たり前と感じながらだと舌足らずで、めんどうになって一言であしらったりもします。すると疑った側は、極秘の機密をかぎつけた自分に対して、闇組織が反応して煙に巻いたと、さらに本気で疑いを深めるわけです。

プロ写真家が一番わかる解説はこうかも。月面は13EVで撮り、天文雑誌の星空はマイナス7EVで撮り、晴天のベルリン市街は13EVで撮ったと。

カメラに限らず道具の全自動化が徹底すると、物の仕組みを知らないだけでなく、仕組みという概念があること自体に気づかないユーザーが増えます。人間の生身の技能が昔より下がった状態です。身近な例は電子炊飯器を使わない炊飯。べちゃべちゃ。何でもできるが腕はないという、肥大した全能感と乏しい実力の落差が人類の近年の悩みでしょう。
2016/02/26

大集団の衝突

NASAの宇宙望遠鏡の写真で、星雲は抽象画的な花形です。我が銀河系(天の川、ミルキーウェイ)の内にあるガスの広がり。この冬も目視できるオリオン座の星雲も銀河系の中にあり、美しいピンクは水素元素の色。

そんな星雲も混じって、恒星が数千億個集まった上位団体が銀河で、銀河系の外で起きる大事件に、銀河同士の衝突があります。巨大な銀河と銀河が半分めり込んだ写真もあって、しかし奇妙な衝突です。

太陽の隣の恒星は40兆キロメートル離れ、月旅行で4日かけた人類史上最速の乗用ロケットで11万年かかる計算。文明史の10倍の年月にもなり、速度を100倍に上げても1100年以上。仮に異星人がいても地球に来ない最大の理由がこの距離で、生き物が乗った時点で漫画の世界になって、だからボイジャーも人が乗らずに無人です。

言い換えれば銀河の中はガラガラで、中の恒星は実にちっぽけ。銀河同士が合体しても、恒星同士がドスンと当たる確率はほぼゼロでしょう。銀河の衝突は遠目には壮大でも、密度だけなら真空同士の素通り同然。

宇宙には弱いながら到達距離が無限大の重力があるから、二つの銀河は慣性で行きつ戻りつ、もつれ込んでいつかは一体になる理屈です。我が銀河系と隣のアンドロメダ銀河も、いずれ衝突してひとつになるそうです。

上位団体が衝突しても個人は衝突しない、何か民間交流イベントでも暗示させますが、団体にどんな終わりがあるかは案じるところ。EUはさしずめ銀河が集まった銀河団にでも相当し、最近は合体強化より分裂の気運が出てきたという。集団への貢献度に、国別の差がありすぎる問題で。
2016/02/13

アートフェア会場の記録写真は貴重

海外美術展に何度も参加した方は、会場の写真が手に入りにくい現実を知っているはず。オーストラリアやカナダも含めた欧米展で、主催者が配布する写真は少ない。少しでも送ってくれたら良心的な団体でしょう。

通常のイベントは、写真が豊富に欲しい人は直接行ってねというスタンスです。そして会場へ行ってみると、撮影禁止の張り紙があります。我々も2016のフェスティバルは、スタッフ登録したベテランによる撮影でした。

作家サイトの制作で、実績写真がなくて困ることがあります。たった一枚だけが手元に残っていたりして。ここで受注したサイトでも、実績ページを埋めるのはここで配布した会場写真が主だったりします。そして、日本国内展の会場写真もほとんどないというありさま。これが現実です。

かつて募集手配だけの頃、ベルリンのフェアで400枚以上、ニューヨークのフェアで500枚以上を参加者全員に配りました。いずれもこちらがデスクとなり、事前に撮影計画を立てました。こちらにプロ写真家がいるからできるわけで。あの時はフルサイズコンデジで、今回は一眼レフを使いました。

「たいした写真じゃないね」はビギナー感覚で、後に間違いなく心変わりします。年月たてば世の現実を知り、その写真を頼るはず。わずか一枚の写真で違うのが、サイト制作の現場です。だから昔の参加者からも、「あの展覧会の写真が残っていれば」と問い合わせがあります。当初はどうでもいい写真と感じても、あって助かったーと喜ぶ時がずっと後に来ます。

3.11以降、警察、消防、自衛隊、ボランティアが回収した写真がデジタル化され、最近になって現物写真の廃棄が始まりました。まだしばらく現物を捨てないでいる自治体もあります。命の次に大事なのは意外にも写真かもという、人生経験と人心の理解が、これらの熱意になっています。
2016/01/08

美術品の撮影と測光の課題

美術品を撮影する時、フルオートカメラは不便です。オートフォーカスやプログラムオート露出、マルチパターン測光、オート感度、オートホワイトなど日常撮影で便利な自動メカが、美術に限っては失敗撮影につながります。

たとえばマルチパターン測光(評価測光)は、適正露出を経験データで割り出すテクノロジーです。輝度分布をパターン認識し、極端な明暗や逆光でも、大失敗せずに写ります。しかし変則すぎる分布だと外すし、評価に地球面の上下も含まれ、カメラの縦位置で倒す向きが左か右かで結果が異なる不合理もありました。

美術撮影に向くカメラは、手動操作が用意されたタイプです。全てが切り換え簡単な一眼レフなどを入手すれば、次にやることは測光。単体露出計がない前提で、カメラ内蔵の反射光式露出計だけで、作品を照らす光のEV値を知ることはできるか。今、一件その課題に当たっています。

たとえばアニメセル撮影用の標準グレー板があれば簡単そうですが、基本原理を心得る必要はあります。絵画と写真の両方にまたがったアーティストは、こうした光の性質の理論にも関わることになるでしょう。
2015/10/23

撮りガールとカメラ女子ブーム

平成日本で、写真サークルや講座に女性が入門するブームがありました。まんま「カメラ女子」の名。発端は、デジカメの高解像度化と思われます。フィルム現像代が省ける上に、美しく写る時代が到来。

しかし、女性向きとされる小さなオートカメラはブラックボックスなので、腕を上げる余地が限られます。誰が写してもいっしょ。そこで、マニュアル操作が充実した一眼レフでスタートし、写真術の全体を学ぶわけです。

写真の基本は撮像系や光学系などに分かれ、意外に細かいものです。撮像の基本が「相反則」で、絞りとシャッター速度が反比例し、積が一定になる組み合わせが何通りもあります。組み合わせで結果が変わり、事務的な写真とアート写真を撮り分けるのが一眼レフだと容易なのです。

素人が撮ると味気ない光景でも、プロが撮ると雰囲気が大きく高まり雑誌掲載も可能になる。同一カメラを使いながら、その差は何かという疑問が、カメラ女子の最初の関心でしょう。

「使いこなす」とは、カメラの全機能を駆使する意味ではありません。たとえば絵画を撮影してジクレーの原版を用意するとします。スマホ撮影とはかけ離れて、写真の仕組みにさかのぼることになります。

明るい絵画と暗い絵画をオートで1枚ずつ撮ると、明るい絵画は暗めに写り、暗い絵画は明るめに写ります。自動露出補正の余計なお世話が裏目に出て、どちらも中間値へずれて失敗。そこでマニュアル露出に切り換えて、絞りとシャッター速度を全絵画とも同じ数字で写すわけです。
2015/06/08

ドイツのカメラ店の品ぞろえ

過去形ですが、新しいカメラを調達する計画で、ドイツの家電店をチェックしました。品ぞろえを見て、やはりそうか当然かと。

日本国内のカメラ店と同じです。メイドインジャパンの高級一眼レフやコンパクトがずらりと並んでいます。サイトも日本のカメラ店サイトを、ドイツ語に書き換えたかに思えるほど。

ドイツでもプレスモデルやコンバットモデルを備えた、一眼レフシステムメーカーの高級品が花形です。1955年、レンジファインダーカメラでドイツのライカ社に結局勝てなかった日本勢は、より難しい一眼レフレックスカメラの製品化に挑戦しました。

よくある話で、オリンピックやワールドカップ会場報道で使われるカメラは、世界で2メーカーに限られます。400ミリや600ミリの望遠で、白レンズはキヤノン製、黒レンズはニコン製。カメラマン席の白と黒の勢力分布が、スポーツイベントの周辺エピソードとしておもしろネタになっています。

日本で買うよりドイツ価格はやや高く、またベルリンに中古市場はほとんどないようです。日本には、博物館のような中古カメラ店もありますが。
2015/05/27

撮れなかった写真のエレジー

松永喜久という人は自伝も出していますが、忘れられかかった境界線にあるかも知れません。女性初のボクシングプロモーター、初のボクシング記者という、その本人がラジオ番組で語った体験を思い出しました。

一人の少年がプロ入りを果たして、何回戦ボーイだかやっと手にした初めての試合。控え室へインタビューに行った松永は、少年の嬉しそうな笑顔を見て、なぜか写真を撮らなかった。特に理由はなかったのだけれど、いつもは必ず撮影していた試合前の選手の一枚を、その時に限ってどういうわけだか撮影しないまま、リングへ見送ったという。

試合直後に少年は急死し、のこされた母親に会った松永は嘆く。母親も知らない、自分だけが見た笑顔が、写真に残っていないことを痛切に悔いる。言葉で伝わらないあの日の少年の輝く表情は、頭の中にしかない。80歳を超えて忘れられないと、たんたんと証言するスタジオ。

撮影意欲というやつに従いすぎると、感情と空気の偶然に左右され、思わぬ穴があくという写真術の裏教訓だと、今は受け取れるのです。自分の気持ちに忠実でなく、気が向かない行動を起こす破れた人間にしかできないことがあろうと。右へ行きたいと思った瞬間に、左へ足を踏み出す者にのみ、開けられる扉があろうと。

純情に素直に思い通りに筆を動かせば、自然に芸術に届くという絵画道の教えは間違っているのだと。俗世の通念が虚構だと触れておきたくもなる、忘れかけていた逸話でした。
2015/05/16

カメラが決める撮影意欲というやつ

レンズ付フィルム、いわゆる使い捨てカメラを初めて使って、それきり使うことがなかった人は多いのかも知れません。

何しろ画質が悪く、初期はプラスチックの一枚レンズで、児童向けトイカメラに負けるほど。夏の日の景勝地も、色気のない寒々としたガサガサのプリントになって、撮影意欲が消えたものです。

美麗に写るカメラは結果が脳にフィードバックして、自然に撮影枚数が増えます。何を撮っても、美しく深みのある画像ができて感動できれば、シャッターを押しまくる気持ちが高まるわけです。あっちこっちにカメラを向けたくなって。ガラスレンズの面積が大きい、ずっしりしたカメラの優位性です。

アートフェアや見本市の見物でも、高画質カメラを持って行く方が枚数が増えて、収穫も増える理屈です。逆に略式カメラだと、撮った枚数がやけに少ないと後で気づいたりします。同様に操作フィーリングで指摘されるのが、一眼レフカメラのシャッター音です。写真作家の「パシャッ」とか、報道記者の「キシャン」という音。

日独で、撮影の勉強会をすすめています。三脚禁止を前提に、撮影テクニックの再確認中。暗がりのパンフォーカスとか、タングステンやLEDのミックス光とホワイトバランス、直射ライト下のフレア低減というように、略式のオートカメラでは失敗する場面への対策です。そこでも枚数確保が最重要で、どうでもいい一枚が後で貴重になるという心得です。
2015/03/20

フィルムカメラとデジタルカメラ

フィルムカメラとデジタルカメラは、音楽のレコードとCDの関係に似ているような。デジタル一眼レフカメラで撮影したデモ画像はネットにもあります。その高画質から、一部の写真家は思い出すかも知れません。大型カメラのアポクロマートレンズを。

レンズが光を屈折させて感光面に届ける際、プリズムの原理で波長の違う7色が分光し、たとえば赤色と青色が微妙にずれます。その色ずれを完全になくすには、レンズ群の前半部で分光させておいて、後半部で再び集めて打ち消せばよい理屈です。

その理屈どおり前後を鏡面対称に設計したのがアポクロマートレンズで、主目的の製版以外に商品撮影にも使われました。特徴は、非常に高画質でありながら、全く味がないこと。

フィルム時代の作家たちは、逆にレンズに固有の味を利用しました。残存歪みが生むにじみや、甘くなる描写傾向などを、すさびの風情や表現の隠し味に使ったのです。

今では入門用レンズさえ、非球面や低分散ガラスの投入で、収差が激減しています。コーティング材も隔世の性能。このハイテク応用はレンズ側の事情ですが、今のメーカーが味を消す最大の動機はボディ側のデジタルセンサーです。撮影後にパソコンで見て、微細にかっちり写る製品を神扱いするユーザー評が、売れ台数を直接左右する時代だから。

フィルムメーカーが転進や廃業した今、デジタルの表現力がフィルムに劣ると指摘されています。レコードよりも格段に高音質のCDが、音楽の心を伝えないと評されたのと似て。最初は扱いの簡便さでデジタルが歓迎され、時間がたってからアナログの味わいが見直されるパターンです。
2015/03/17

展示会と写真

思ったのは、人は何のために生きているかです。毎日いっしょうけんめいでも、振り返ってみれば何もない決算かも知れない。そこで「人は写真を残すために」と、無理に考えてみました。

サイトをひとつ改装中で、過去の展示会場の写真を今チェックしています。振り返って、一枚の写真の中に色々なことが起きていたと気づきます。

絵を見つめる外国の人がいて、議論する人がいます。その日のために準備して、会場へ駆けつけてくれたのでしょう。人と作品が偶然同じ場に来て、また散り散りになって。今だって、人も作品も消滅せずにどこかにあるのでしょうが、一応その組み合わせは終わった後。再現不能。

展示作品にカメラを向けるお客の姿も、こちらのカメラに写っていたりします。自分史の記録みたいに。鑑賞者はつかの間に美術に没頭しながら、特別な場を記憶にとどめているのでしょう。こちらも、現地の記憶に残るようにと考えています。