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2019/08/08

自己責任論ですっかり傾いた日本を回復させる他者

スポーツ大会で優勝して金メダルの選手が、開口一番に何を言うか。日本の選手に顕著なのはこれ。「皆さんのおかげです」。自分の手柄で優勝したのではないと、第一声で訴えようとするのです。実は世界的にその傾向があります。

これは謙虚というより、現実をみているからでしょう。一般に強豪選手ほど現実の把握が適切であり、自身が競技を始めた頃は下位だったものの、協力者、支持者、支援者に押し上げられたのだと。ここ一番の大勝負でさえ時の運が決することに、年月を費やすうちに気づいているわけです。

勝った裏にたくさんの他者の力があったと観衆が気づかないまま、自分だけが尊敬されても心苦しいという。わかっている範囲以上の見えないチームが自分を支え、守られここまで来られたドキュメントをルポしているかたちです。

二位に終わった選手を敗者と思わないで欲しい、たまたまの神のさい配だとして、瞬間的な実感を伝えています。この世界の真実を皆に感じて欲しいと、何でも言える立場になってこその真剣な訴えでしょう。一人だけでは勝てなかったのだと。

日本の好景気のピークは1992年で、95年には斜陽が顕在化し、97年から本格的なデフレ不況となり今も続きます。金余りニッポンが貧困ニッポンに転じると、並行して大流行した言葉があります。勝ち組負け組と自己責任。強い勝者は残り、弱い敗者は消えるべき淘汰の論理と、優生思想です。

「貧困者は単に努力が足りないだけ」「儲かる仕事につけない馬鹿は死ねばよい」がネットに広範に書かれました。真に受けた大量殺人の連鎖もスタート。平成時代の半分は内紛テロ時代で、令和時代にも継続する方向。すると他国から「もうそのへんで自滅を中止しろ」の声が出てきたのです。
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2019/07/26

イギリスがEUから合意なき離脱を行う立場を理解する

国際政局のいつものパターンは、まず英米が先行主導し、各国に次々と伝播して、成果が出そろってから最後に日本がついて行く序列です。日本より先行する国に、欧州以外のアジア勢が増えてきたのも国際化か。日本で流行り始めた頃には、他国はもうその次へと進んでいたりして。

この数カ月の各国の動向は、このパターンどおりでした。イギリスがEUを無理やり脱する動機は、日本が世界に逆行して一人経済成長を止めた斜陽と根が同じです。しかし日本の視点では、EUに内在する経済面の不合理がわからず、人種差別問題が焦点だと思いがちな限界があります。

そもそもEUは誰が何のために設計したか。フランスやイタリアやスペインの上に、誰が決めたのか「指導的役割を持つ委員会」を置き、主権在民を封じた規則がEUです。グローバル金融が上に詰めており、イギリス側は規則で弱肉側に回されるワナに気づいた。博愛をうたうマネー争奪戦だった。その地獄からの脱出。

イギリスは民主主義が国技で国是です。経済財政の非民主化というか私物化、私人が主導するモリカケ式よりは、庶民の声を集める民主手続きを演じたいイギリス。英米はともに、自治区の連合体が好きで、全体主義は嫌い。国の方針を国民が決める方式に戻す、単純な話です。要は貧困化に鍵をかけたくない。

民主主義は芸術と似ています。日本で民主主義や芸術は崇拝され、でも本物の民主主義や芸術作品に面すると、「僕にはちょっとだめ」となる。類例で、前にドイツのソーセージの話をしました。本物は動物臭が強くてちょっと、それで魚肉ハムなどライトなにせ物へ回避。民主主義と芸術は日本でライト化しました。

日本のネットによく出るのは、国の運営を偏差値の高い上級国民がしっかり行い、下級市民の選挙権を廃止する改革案です。大衆の政治参加を害とみる意見が多い。これは、美術の公募コンテストを望む動機と同じ。優秀作は上が決めて下に伝えるべきで、市民感覚で良否を判断してはだめと考えるのと同じ。
2019/07/12

東京銀座の画廊はもう高級ではなくなったのか

東京の銀座が、グレードダウンして困っているニュース記事がありました。「銀座街づくり会議」の報告書で、銀座らしい風格が消えたという悩みです。要するに、安物店が並ぶ平凡な商店街に落ちてしまった。

銀座といえば、まず宝石店と時計店と画廊です。高級クラブやバー、高級寿司など単価と付加価値の高い店の集まり。高級靴やアクセサリー類なども。それらが没落して、大衆衣料や安売りドラッグストアや、回転寿司などへ交代が続く。

時代の流れなどでなく、平成日本の貧困化の一環であり、いつ何が原因で、犯人が誰かもわかっています。やるべきことの逆をやった。金満で増税し金欠で減税するセオリーに反し、バブル終了で金欠ぎみの1997年に、消費税を減税でなく何と増税した奇行の結果です。金欠の原因は不良債権処理の借金返済による貨幣消滅。

しつこく言うけれど、消費税は財源ではなくインフレ抑制です。本来の消費税は、プラス百パーからマイナス百パーの範囲で、上げ下げして内需を加減調整する貨幣経済のバルブです。上げて固定する使い方でなく、こまめに上げたり下げたりしながら景気と駆け引きする税です。サーモスタットの機能。

消費税は、暑い時に冷やし、寒い時に温める考え方です。家のエアコンと同じで、冬には冷房しないものです。冬とは不況の意味。冷房とは増税の意味。今が夏か冬かは、そりゃ経費削減オリンピックが共通認識で、銀座の絵もバーゲン価格なら、寒風吹きすさぶデフレ不況とわかります。税収を増やすには減税が正解。

国民は今も消費税の機能を勘違いして逆走を支持し、銀座の経済沈没は確定。芸術を高尚に難しく考えて、こね回してわけわかんなくする。それと似て、本来単純な消費税も細かく考えすぎて、かんじんの下げる好機に上げたら、昭和恐慌みたいになるはず。現になっていて、中小でない有力企業も次々取り壊される危機。
2019/07/07

すし職人が修行する無駄な年月は日本にとって無駄か

にぎり寿司職人の世界がアホらしいという話題を、前に人気コメンテーターが出しました。焦点は二つあり、親方が新入りにノウハウをなかなか教えない問題。その教えない期間に店内の掃除をやらせる問題。

掃除の原型は、おそらく小中高生の教室掃除でしょう。掃除当番が机を後に運んで床を掃除し、前に移して反対側の床も掃除し、机の天板をぞうきんでふく。トイレ掃除も。外国だと清掃業者がやる作業が、日本だと生徒の義務です。

低年齢教育で生徒が掃除までやる理由は、日本の道徳教育でしょう。自己完結する自立の精神と、職業に上下なしとする良心の育成が目的だと考えられます。掃除は汚れ役なので、外国では下っ端扱いでしょうが、日本では皆が手を汚すから貴賤意識が薄れるというわけで。

これは平等社会の肯定であり、身分社会の否定です。日本に欧米のような堅固で絶対的な階級社会がない歴史を、今も裏づけている証明にもみえます。イギリスにもその思想はあり、女王の孫の王子が学校トイレの便器に手を入れて清掃する姿が、かつて雑誌で出回りました。階級社会でも教育的に掃除させる。

新自由主義経済のグローバリストである人気コメンテーターが、寿司職人を上級国民としてエリート教育すべきという警告は、時代の流行に沿った思想といえます。地位とお金が人生目標である今の競争社会に合うように、古来の職場を改革せよという意図でしょう。

寿司職人の減少は百円寿司の流行など、デフレ不況の節約による販売不振ですが、格差社会も原因です。後輩を育てた先輩がコストカットで切られる平成に、技術伝承が途絶えました。ベテランが日本を追われ他国に拾われ、向こうに貢献した技術亡命ブームもありました。半導体だけでなく、果物の品種も持って行かれて。
2019/05/30

アメリカ車が買えた90年代の日本に戻すには

令和時代の天皇陛下初の国賓はアメリカのトランプ大統領で、大相撲の観戦とトロフィー授与などの動画が話題です。F35戦闘機を日本が購入する再確認など商談は進み、しかし東アジアの核とイラン問題、アメリカの貿易赤字を減らす課題などは残りました。

中でもアメリカ車が日本で売れない問題に関して、大統領の護衛車列にヒントを感じました。アメリカ大統領の海外訪問は、サービス車一式を空輸しパレードみたいに移動します。大統領専用リムジン、キャデラック『ワン』の「ビースト」の前後に、大型のアメリカ車が並びます。

ホワイトハウスとの通信車は「ロードランナー」と呼ばれ、フォード『エクスカージョン』か『F350改造仕様』か。7メートル弱のフルサイズバンは、パラボラアンテナのドームが前より大型化していました。

両国国技館付近に待機した「クラシファイド」と呼ぶトラック、四角いボックスを持つフォード『F250』は前より一新されたのか。ボックスの中は諸説あり、武器庫や兵員輸送や緊急手術台など。いわゆる救急車説。実はABC兵器の検査測定用機材と、ウィンチなど多目的支援だという。

「クラシファイド」はもう一台あり、棒状アンテナで爆発物のリモート起爆を阻止する妨害電波を出す車。シークレットサービスとドクターが乗る「コントロール」「サポート」と呼ばれる、端正な車種と同じシヴォレー『サバーバン』で、小ぶりに見えても車幅2メートル超の大型SUVです。

これの前々モデルが日本で売れた時期があります。バブル後の1995年頃にアメリカンSUVブームがあり、書店にアメリカ車の特集情報誌が何種も並びました。消費税5パーセント化と緊縮財政と8ナンバー規則の見直しで、アメリカ車ブームが消えて軽自動車全盛、フォード社は日本撤退。日米貿易摩擦の再来という流れでした。
2019/05/20

ゼンメルワイスの死闘と日本現代貨幣の新千円札

「外から帰れば手を洗いなさい」という親の小言。「なぜ?」に答を出したのは、ゼンメルワイス(センメルヴェイス)というハンガリーの医者でした。彼はある謎に首をかしげました。出産後の母親の死亡率は当時三割で、彼の病院でも一割前後で、しかし医者でなく助産婦がやれば半減するのはなぜか。

医者の手から何かが出ていると推理したゼンメルワイスは、試しに医学生たちの手を消毒液につけてから母親に触れさせると、死亡率が十二分の一へと激減したのです。そこで彼は、医者の手が何かの毒物で汚れて死なせていた説を唱えます。その解決策もセットで。

彼は医者をクビになり、狂気の人と呼ばれて大学からも追われ、精神病院へ送り込まれ撲殺されます。この時の医学界の行動が「センメルヴェイス反射」とネットにあります。医学界にとってゼンメルワイスはおじゃま虫で、その後も医学界が母親の死亡率を高いままにしたのは言うまでもなく。

センメルヴェイス反射の語が急に表に出たのは、『現代貨幣理論』と呼ぶ今ホットな経済原理が、ゼンメルワイスの説と立場が酷似するからです。現代貨幣理論では国内の自国通貨量の上限を、インフレ率で決めるのが正論と解きます。緊縮財政で公金を削減して増税する日本の政策は、デフレ時のデフレ促進策なので、文明史上最長のデフレも貧困化も老舗企業倒産も、説明がつくという。

ところが従来の経済は、総額一定のお金を分け合う思想です。お金を市場に増やし需要創造する正論が不都合な権威者が多く、マスコミを動員してセンメルヴェイス反射を始めました。連想したのは、ピカソに死刑を宣告したフランスサロンの画壇です。ピカソは撲殺は免れたものの、悪口雑言にさらされました。

ゼンメルワイスの説を実証して名誉回復に至らせたのは、よく知られたフランスのパスツールとドイツのコッホなど細菌学の研究者で、コッホの十歳下の助手が北里柴三郎。次期千円札の図案。人類が微生物と死闘を繰り広げ、勝ち目を得た最初期の闘士たちでした。
2019/05/18

日本は本当にダメなのかと問われると答えにくい

日本はダメだと言われたのは1990年代後半で、「終わった」「終了」の声が広がりました。2008年頃のネットがひどく。現代のベートーベンやSTAP細胞のてんまつを指して、日本はもうおしまいのフレーズが飛んだのは2014年後半。

日本が落ちぶれ、国力が下がり、途上国化したのは事実です。たとえば有名企業が海外に買収され、技術が流出したり、学術論文の激減、海外団体からの貧困児童勧告など。一方テレビには「日本すごい」特集が増え、その手の内外の動画も多い。それなら2019年5月の日本は、果たしてすごいのかダメなのか。

日本は病気だと言われ続けました。病状は無駄の多さ。公金の無駄づかいで、お金がなくなる慢性病だという。やり玉にあがったのは全国の高速道路と、瀬戸内海の5つの吊り橋でした。そこで平成30年のうち22年間は、お金を使わない主義に徹したのです。

そうして1997年から無駄を削減し続け、でも凋落が止まらない。それもそのはず、診断も治療も逆で、日本はデフレ不況と呼ぶ節約病だったのです。節約気運を日本の俗語で「不景気」と呼ぶわけで。節約で国が衰退したと気づいた国民は一部で、今も国民から意見を募ると、「出費を減らせ」と衰退促進案が集まる始末。

国を人にたとえます。屈強な人を指して、君は危ない死ぬぞと誰かが言った。死亡を防ぐために、食事制限して一日一食で量も減らした。その人はやせて衰弱した。それを指して「ほらね、言ったとおり危ないでしょ」「健全化のために食べる量はゼロを目指せ」と。この種の集団パニックはたぶん1941年以来です。

普通に食べていれば屈強なはずが、断食させて弱体化した。「日本はダメなのか、すごいのか、どっちですか?」の質問に、何と答えたらよいのでしょう。健康だったのに、誤診で病弱に変えた。この悪い冗談のような自滅を、言い表す四字熟語が今週のクイズです。
2019/05/13

幼児教育・保育の無償化法案への批判が何か変

幼児教育・保育の無償化法案が国会で決まり、そのための財源とする消費税10パーセントへのアップがほぼ確定しました。興味深いのは、この消費税増税の必然性を伝えるニュースへ国民が投稿した意見です。たとえ話に替えてみます。

船員が冬の海に落ちて、海上に漂ったのをヘリで救助されたとします。次に何をやるべきかの対応が国会で法律化されます。船員を水風呂に入れることが決定。当然国民は「とんでもないことはやめろ」と非難ごうごうです。

国民はこう批判するのです。「どうせ汚れた水を使うんだろ」「風呂を無料にするのか有料なのかが問題だ」「待機船員がいるのに順番抜かしかよ」「風呂会社の残業と長時間労働には反対だ」「風呂会社とつるんだ政治家は辞職せよ」「国会議員の総数を減らしてからやれ」と。

この声が出ないのです。「入れるなら水でなく、お湯の風呂だろ」。たまにあっても賛同者は少ない。人の体温が下がれば温める、上がれば冷やす。すると死を防げる簡単な原理を、国民が知らないかのように批判はバラバラに散りました。

焦点は幼児教育のあり方ではなく、経済成長です。デフレ時は減税して消費を温める。インフレ時は増税して消費を冷ます。今はデフレ時だから減税すべき時です。少年ジャンプが売れない理由と、福島原発が壊れた理由は同じで、デフレ不況下の増税が招いた、国ぐるみの出費削減です。今必要なのは削減とは逆の行動。お金を使い経済を温める。冷やすのでなく。

「違う、焦点はそこじゃない」は、美術にも多い。最近気づいたのは、形と色を見るのをそっちのけで価値を読もうとする鑑賞の多さです。すでに一編書いたほど。価値を言い出せば、古典名作以外は鑑賞不能です。美術の「そこじゃない」は、作品の価値を読む努力です。バラバラに散った美術批判の根っこのひとつ。
2019/05/09

大津市保育園児死亡事故のガードレール論

日本国民の勘違いは、琵琶湖畔の大津市保育園児死亡事故でも炸裂しました。典型例がこれ。「歩道にガードレールや道路ポールがあれば防げたなどと無理な要望はやめて、車の運転は一人一人が気をつけよう」という発言です。このよくある模範的発言は完全に間違い。

この考えが招いた取り返しがつかない失敗が、福島原発でした。「堤防を高くしていれば津波が防げたと無理な要望はやめて、不景気の実情を計算に入れて、工事をどんどん削減すべきだ」と、2011年から散々聞いたものです。

普通に考えて、ガードレールや防潮堤で危険率を下げるのが、国の統治でしょう。倉敷市の川の堤防も、削減して途上国並みの水びたし。大事なのは、ガードレールは日本の道路を管轄する日本の自治体が、日本のメーカーに日本円で払って買う点です。日本日本と、日本しか出てこない。

アメリカ製やドイツ製のガードレールと違い、日本製だと円で払ってドルやユーロは払わず、国内で完結します。政府が国債を発行するなどで、地方に補助金を出しても解決します。内々のやりとりだから、誰も損しません。増えた政府負債は国内の財産になります。死者数の減少と引き換えたかたちで。

ところが根本が誤解されているのです。ガードレール代が自国通貨建てだと知らない。国内では好きに資金創造して、買い物し放題だと知らない。お金を自在につくれると知っても、天罰を受けそうで怖い。結局ありもしない怖い神に、園児の命を差し出しておしまい。皆で運転女性を叩いて終わり。

道路整備のお金がないのは、あえてお金を刷らない特殊な思想信条が続くせいで、原典は1947年の進駐軍の法律条文だという。全国の小学校長は、通学路の歩車分離とガード設置を長年要求し続けてきました。設置費は円で、財源は印刷インクだと国民が理解すれば、敗戦時の人命軽視の原則を72年ぶりに変更できます。
2019/05/05

2019年は日本と世界の経済が変わるかも知れない

キリがよい数字でない1989年に、日本は昭和から平成に変わり、消費税導入で不況の発端となりました。世界では、ドイツ人の手でベルリンの壁が壊され、東西冷戦終了と欧州国再編が起きました。ユーゴスラビアが分裂してクロアチアやセルビアが生まれ、ソ連は解消してウクライナやカザフスタンの復活など。

キリがよい数字でない2019年にも、世界が激変する可能性があります。しかも焦点は日本だという。日本が平成4年まで好景気で、5年からは不景気で、9年から世界記録となるデフレ不況が31年の今も続くのは、国民の能力不足ではなく経済政策の間違いだとされます。

間違いを簡単にたとえると、腹が減った人にダイエットを強いる逆走思想で、無理やり続けた不況だという。日本解体とささやかれて。ところが平成と令和の交代が近づいた頃、ひとつの経済理論が海外で話題になり、世界が激しく反応しました。イギリスは喜び、半泣きなのはEU。

腹が減った人に飯を食わせたら国は豊かになる理論だったのです。財界とマスコミが猛批判した理由は、今の新自由主義経済とは逆だから。新自由主義は政府を解体してデフレ不況を強め、負け組を淘汰する選民思想です。それとは逆の、インフレ好況で庶民が富む方向の提言は不都合ゆえに、大騒ぎが起きたのです。

美術でいえば、美人画が芸術だと決まっているのに、顔をいびつに描く者が現れたような感じか。「クレージーなブードゥー教が登場」と猛反発。「飯を食うと腹が破裂して危険だ」と。ところが話題の経済理論は、単にお金の原理の説明です。

「現代のお金は現にこうである」のドキュメントです。令和時代の日本は世界から注目されるでしょう。注目点は2020東京オリンピック後に必定の経済落ち込みを、現代貨幣理論で救う最初が日本かも知れない関心です。当然、救われては困る利害とぶつかるはず。世界の経済を変えるポジションに日本が着いた。
2019/04/23

交通事故を演じるスタントマンが事故死した?

4月になって、交通事故を芝居する動画をまとめて見ていると、12日にまさにその事故が起きました。事故を再現する交通教室で、高校生が見ている中スタントマンがトラックに本当にひかれた事故です。大丈夫かと思っていると、その直後にやっぱりと。

動画を見て変だと感じたのは、生身の人間が頭を守っていない点です。自転車が出会い頭に車にはねられる演技で、スタントマンは車の屋根を転がって後部に落ちますが、地面に落ちる瞬間に頭の位置がまちまちなのです。そりゃまずいでしょ。

映像体験は効果が小さいから、リアルな事故再現が必要としても、ロボットを使えないか考えました。まず自転車に実物大の人形を乗せ、サーボモーターのバランスとりで自動運転させ、時速50キロの車ではね飛ばすとか。ドガーンと耳に残る衝撃音なはず。

人の芝居よりは抽象化した演出ですが、この案が難しい理由は人形セットも毎回壊れて、コストがもったいないからでしょう。人命を危険にさらした方が安上がりになるという、まさにデフレ不況の逃げられない宿命です。

過去の記録動画に、スタントマンが地面に寝て掛け布団のようにトラックが上に来て、人はバンパーをつかんでズルズルひきずられる実演があります。トラック車内に二人いて、一人がひかれ具合をテレビカメラで見ながら走らせていると思っていました。そんな安全策はなかったから、今回の死亡事故です。

経費削減した結果、安全も人命も削減して、途上国的な生身のスタントが流行っていたわけです。入札価格が低い業者が仕事をもらえるから、安全を省いて死を賭すのも致し方なく。もし令和が平成の延長なら、今後人件費をさらに下げて外国移民にやらせることになり、海外からも糾弾されるでしょう。
2019/04/14

世界も日本も対立と分断が進む原因はグローバル思想

イギリスのブレグジットは、イギリス分裂とEU分裂の同時進行ですが、似た現象は日本にもあります。一例は大阪都構想で、上司の大阪府からみて部下の大阪市が強すぎるから、市を政令指定都市から格下げする改革です。

東京23区のように大阪市を区分けし、長年の既得権者を排除する意図らしく。イギリスのブレグジットと同様に、住民投票で賛成反対が真っ二つでした。似た独立への動きはいくつかあります。「北海道独立宣言」「横浜市特別自治構想」「琉球独立運動」以外にも潜伏していて。

一方東京23区の住民には、東京市へ戻したい願いが昔からあるという。動機は民主主義と自治権の回復で、イギリスのブレグジットと同じですが、大阪都構想とは逆方向です。大阪市を補強する特別自治市構想と思いきや、府を補強する都構想なので「?」が多かったのです。

これら独立ブームの背景は自己責任論です。根幹は、新自由主義経済による世界のグローバル化で、人、物、金の移動の自由は規制緩和なる保護放棄とセットゆえ、助け合いやセイフティーは不正です。傾いたやつは不要だから倒して、勝者は一人とするのがグローバル思想。そこで二番以降が脱退し独立するわけ。

二重行政などの無駄を削減したくなる原因は、むろんデフレ不況です。内部の資金争奪戦は当然の帰結。グローバルは耳当たりがよくても、富を上方移転させ庶民を貧困化させるビジネスモデルなので、社会の余裕が消えてギスギスします。きずなの語が平成に流行ったのは、互助を違法とする時代風潮だから。

発想を転換した有志グループも現れました。イギリスの混迷は他人事でなく、令和時代をきっかけに新自由主義経済をやめ、節約もやめて経済成長を優先する運動。ところで分断で伸び悩む事例は、日本で起きた美術からの現代美術の脱出もそうです。現代美術の立場は、北海道、横浜、沖縄と何かが似ているのかも。
2019/04/09

先進美術館構想から一年、本当にやるつもり?

先進美術館(リーディング・ミュージアム)構想が政府から提案され、やがて一年です。当時ネットに多かった反応は、「役所がまた変なことを始めた」「国が文化にタッチするとロクなことがない」「官にはセンスがない」など昔ながらの言い方でした。しかし注目点はそこではないでしょう。

国民が気にすべきは、お役所仕事がどうこうではなく、法律の裏に受益者がいる点です。近年の日本でも、受益者がロビー活動で政策委員に要望し、委員がまとめた案を国会議員の起立多数で、簡単に法律に加える手順が続いています。

利益供与は違法でも要望は合法であり、実際に世界中の法律の多くは特定の願いをかなえる目的です。穴があいた法律や、なぜか罰則がない刑事法も、私人の都合が割り込むからです。近年のキーワードは「レントシーキング」。

日本の美術館が昔買った有名絵画など所蔵作品を、欲しがる者は世界中にいます。具体的な作品は、リストアップ済みだったりするでしょう。ミレー、ゴッホ、ピカソ、ミロ。ステラなど現代も含めて。彼らがそれを入手するのに、美術館が自由に売り払える制度を設けて欲しいわけです。

当時は3億円や8億円の絵がニュースでしたが、今では価格も20倍などです。今こそ欲しがる国際投資ファンドや金満国があります。経営難の県立美術館などから名画を引きはがし、新興の富裕国へ移すプログラムが先進美術館の主目的でしょう。

一人当たりのGDPが日本より高い国は、2017年に24カ国です。「日本はもう経済成長しない成熟国だ」などと将来を放棄すると、今ある名画名作を引き抜かれてしまうでしょう。大企業や科学技術の次は、美術品を海外へ持って行かれる番だと、少し気を回しておきたいところです。
2019/04/02

令和時代と美術公募展覧会のコンテスト対アートフェア

昭和時代は年に25足せば西暦の二ケタとなり、暗算は楽でした。平成時代は年に88足すと西暦で、しかし世紀をまたぐと12引くめんどうさ。来る令和時代は年に18を足しますが、繰り上がりでやや暗算しにくいでしょう。偶数奇数は一致します。

「令和のレイは命令の令」と、ラジオで繰り返されました。昭和の国語大辞典では令の一字に「命令」「おおせ」の意味があります。そのせいか否定的意見もネットに続々と上がり、勝ち組の上から目線説や、政官財の癒着強化説さえみられます。もっとも、グローバル経済主義のデフレ促進策は全世界同時ですが。

国語大辞典に命令以外に書いてあるのは、尊敬の意味です。ただ令嬢の語は出生の格差だから、やはりお姫様願望的な現代日本の深層心理はあるのかも知れません。女児向けキラキラネームみたいでも、高齢男性名に同じ二字があるそうで。国民は早く慣れるのでしょう。

「平成」の時にも批判は多く出ました。サウンド面で、母音が「えいえい」で発音は「ええええ」となるから、メリハリがないとの批判もありました。しかし平静な時代にはならず、バブルのピークと貧困家庭が急増したボトムとも含み、起伏のあるジェットコースターになりました。結果がよければ文字も輝いてみえるはず。

「令和」が日本らしく映る一面をこじつけると、日本の展覧会のほとんどを占めるコンテスト方式を浮かべます。事前に審査員が作品の優劣を決めて、結果を庶民に教えるかたちで、上から指導していくイベントです。国民も指図に違和感はなく、これは令と和のイメージどおりでしょう。

対する欧米の展覧会はアートフェア方式が大半で、作品に色づけしない状態で市民一人一人が審査し、優劣を決めて買うことで授賞に替える慣習です。欧州は19世紀に価値の多様化や多極化を意識しており、表現の検閲を避けようとしてきました。日本は令を発してでも、この部分だけは国際化してよいはずですが。
2019/02/19

ふるさと納税で勝ち組と負け組が生じた難しい局面

「ふるさと納税」を聞いた時、こう受け取りました。地方都市を離れて東京や名古屋や大阪など大都市で働く人が、納税の一部を出身地に送金し、故郷を支援するのだと。寄付ではなく資金移動だとしても、お金の移動先は前に住んだ田舎だと。

実際は誰がどこへ納税してもよい制度だから、理想からかけ離れました。資金不足で困っているA市があるとします。A市に住んでいる人が裕福なB市にふるさと納税が可能だから、格差が悪い方へ広がるアンバランスも生じます。

3万円をふるさと納税すると税額に手出しは生じず、2千円の手数料で返礼品が7千円なら、納税者は5千円得します。地方自治体側は、3万円受け7千円出費だから、やはり得する。貧困なA市の税金を、裕福なB市が巻き上げる能力は、恵まれた地域特産物だという。

本質的に資金付け替えなので、自治体の貧富に番狂わせが起きるだけで、経済発展とは違うでしょう。返礼品競争に負けたA市は、自己責任で滅べばいいでしょと、今の日本の気分には一応合うものの、どうも先進美術館と似た感じ。

そこでA市は奥の手で、大手ネット通販の商品券など有価証券類を返礼品にして、ハンデを巻き返すわけです。「プロジェクト支援」のクラウド・ファンディングでは市販品のリターンは禁止ですが、ふるさと納税では禁止ではないらしい。

ふるさと納税3万円の返礼に、2万8千円で仕入れた3万3千円の金券も、やればできました。総務省が指導を始めましたが、手出し2千円での上限は高所得者ほど高く返礼品も増えるから、納税者は制限に大反対。制度の本意は消費税率上げのカモフラージュであろうが、考案者自身が景品目当てで我田引水した疑いもあり。
2019/02/12

ポスト・トゥルース時代の事実と真実と

最近きちんとしたネット記事で、気になったのはこの主張でした。「ある言い方をする人は信用できない」「それは事実はひとつだと言う人である」「事実がたったひとつだなんて怖いことだ」「世に事実がひとつしかないのは危険だ」と。

ちょっと待てよという気がしました。それも言うなれば「真実はひとつではない」のことではないかと。事実はひとつです。事実を言葉に表した真実が、複数あるというのが本当ではないか。この執筆者は、言葉を取り違えたのではないか。

まず世間一般では、「真実はひとつである」という言い方がよく出ます。たとえば殺人事件で、容疑者が真犯人であるのかないのかという場面です。検察側と弁護側が真っ向から対立すると、「真実はひとつ」の言い方が市民からよく出ます。

学問の世界ではその言い方は否定され、「誰々の真実」として考察されます。つまり真実は学説のようなものです。そして事実はひとつとする。ということは、事実という語は言葉表現ではなく現象そのものを指すのだと、学術の世界で諒解されているわけです。

殺人事件でいえば、容疑者は家を出た時に刃物を持っていた、前日に近くの店で買った包丁だというのが事実です。その事実は神のみぞ知る絶対的な現象であり、人間にとっては抽象概念のような存在です。事実を文章化すると真実となり、人それぞれの言葉だから真実は論者の数だけあるわけです。

アメリカのトランプ大統領就任の頃から急に言われ出したポスト・トゥルースは、嘘が支持され主流になる現象として話題になりました。マスコミが主流側にいる点が今日的です。ただしポスト・トゥルースの語もまた、嘘で得する側が論敵を封じる殺し文句に多用されます。「あなたはヒトラーだ」と似た使い道。
2019/02/05

バレンタインデー日本のもうひとつの憂うつがこれ

毎年、この季節に話題が出てくるチョコレートです。今年の話題は、社内でチョコレートを配る女性を社則で禁止して欲しいとの要望です。チョコを買う側から出た訴えなら不景気が理由でしょうが、もらう側の男性の訴えが意外に多いという。

ははーんモテない男の訴えかもねと疑う声が出ていますが、別の訴えもみつかります。メーカーやデパートやスーパーを儲けさせないよう、チョコを贈る風習を絶対にやめて欲しいという願いです。菓子業界にお金儲けさせないでくれという切実な訴えが、今回もまた多数出ていたのです。

この憂うつな訴えが興味深いのは、芸術で似た願望が根強いからです。芸術をお金にしてはならない思想が、日本に特別に強いのは確かです。ミューゼオロジー研究で考えても、日本の展覧会で作品を売らない慣習が強固である謎があります。物の売り買いを不浄で不吉とみる思想が根底にあるような。

聖バレンタインに本来無関係のチョコレートを便乗させたアイデアは、店ではなく製造業が考えたもので、当時は売れなかったチョコレートを人気商品に変えることに成功しました。昔あまり売れなかった理由は、要するに国際社会で円が安いせいで原料のカカオ豆が高価すぎたから。高いチョコに付加価値が欲しかった。

このアイデア商法に微笑みや苦笑いではなく、強い憤慨と断固反対のこぶしを振り上げる人の多さが、日本の特異な一面にみえます。他人の商売がうまくいくぐらいなら、全国が消費低調で不景気になる方が心休まる「ストップ・ジ・商い」の心理が、よくある「芸術で商売するな」と同根ではという疑惑です。

バレンタインデーの商戦で他人が繁盛するのが悔しくて足を引っ張る動機なのか、全く違う何か過去のトラウマでもあったのかは、フォークロアや社会学で研究済みかも知れません。美術界にある「売り絵」という隠語的な用語も、この話と関係があるのです。
2019/01/12

白い恋人たちと東京五輪スキャンダルの掟

映画『白い恋人たち』の1968グルノーブルオリンピックでは、ジャン・クロード・キリーというスキーヤーが三冠王(滑降、大回転、回転)になりました。映画のサウンドトラックは2018年秋に亡くなったフランシス・レイが担当した、誰もが耳にしたことのある曲です。

「すぎてゆくのねー」の和訳歌詞に対して、サントラ曲の直訳は「じゅうさんにちかーん」となります。映画タイトルの直訳も『フランスでの13日間』でした。その年に引退したジャン・クロード・キリーのライバル、オーストリアのカール・シュランツは実は回転で優勝していた疑惑に泣いて、次回を目指しました。

しかしカール・シュランツは、4年後の札幌オリンピックを追放されました。理由は『クナイスル』。オーストリアのスキーメーカーで、スキー板の宣伝ポスターに写った彼を、オリンピック委員はアマチュア規定違反として札幌入り後に失格としたのです。

この極度のアンチ商業主義を完全否定し広告収入で成功したのが、1984年夏のロサンゼルスオリンピックでした。以降の冬五輪はアルペンもジャンプも、選手たちはスキー板を持つ時にメーカー名を常にカメラに向けるようになりました。国際オリンピック委員会は、1988年にカール・シュランツの失格処分を取り消します。

2016年以来の問題は、2020東京オリンピックの開催地選びの賄賂疑惑です。東京都は札幌オリンピックでのカール・シュランツのように、失格候補44人のうち1人だけ失格のスケープゴート役なのか。しかし2016リオデジャネイロオリンピックでは、すでに賄賂疑惑は解明され処分も終わっています。裏金はよくあること。

「フィクサーなしには票がとれない闇の掟があるのに、演技ふうの取り締まりだけが行われる」という事情があるのかも含め、全体像を語れる者がいない状態です。1998長野オリンピックでは、普通なら後世の記念物になる資料を素早く燃やしたので、疑惑は過ぎてゆくことなく固定しました。
2018/12/24

インターネット時代に流行る文章とデザインの手法

ネット上で調べごとをすると、同じ文章があちこちに見られます。同一ではない、よく似た文章も目につきます。これはどういうことなのか。同じ人が同じ文をばらまいていることも一応あります。しかし多いのはパクリ改変です。

文筆(ライティング)の仕事で多いのは、12個のキーワードを出現させて2000字で書いてくれ式の注文です。アナログ時代なら、図書館で文献を調べるにしても、専門分野の心得がないと書けないのが普通でした。専門家が登用されました。

ところがネット時代には、キーワード検索で既存の文を探り当て、コピーして改変する道が開けました。俗にリライト業務と呼び、専門性を持たない素人アルバイト向けの仕事です。リライトの意味は、たとえば独文和訳を口語に整える作業も一応ありますが、需要の大半はネット文章を盗んで書き換えて使う盗作です。

前に事件ニュースになった医療サイトでは、医療関係者が書いた文の「しかし」を「だが」に変えて別内容に見せかけるなど。肩こりの原因を幽霊で説明し問題化しました。ネット読者が画面表示すればサイトにお金が入るから、内容はどうでもよかった。ウソ情報がネットに激増する動力源は、ネットアクセス広告収入です。

「こんな文でプロだなんて楽な仕事だね」と読者は悪口コメントしますが、超高額報酬でも2000字で1500円などで、本来なら10時間かけても足りない作業で、文章に中味があるわけもなく。読んだ若者はウソを覚えて生きていく。この文章づくりをデザイン業務で使ったとの指摘が、2020東京五輪のロゴマークでした。

あの時「盗まれるのが嫌ならネットに出すな」の声が多かったのは、盗作で食べている業者が多いせいです。これらの背景はデフレで質低下が進む流れであり、産地偽装、車の不正検査、新幹線の台車亀裂、川の氾濫と共通する国情です。この貧困の起点は偶然Windows95の発売年、つまりネット元年の人材派遣ブームでした。
2018/12/18

社会インフラと美術インフラの日本的な特殊事情

日本のデフレ不況で起きた社会の変化を、適切に言い表したことわざが「貧すれば鈍する」でしょう。「衣食足りて礼節を知る」と同じ意味を、裏返しに言った先人の知恵であり、普遍的な法則といえます。貧困で常人も気がすさむ。

すぐ浮かぶ例は、1998年頃に急増したモンスタークレーマー。オレオレ詐欺も同じ文脈か。マネー市場と成果主義に感化され、他人を効率よく倒しやすい犯罪が好まれる。あおり運転やらの不機嫌と、邪推や被害妄想で沸点が下がった狂気の沙汰が日常化し、日本が22年間のGDP横ばいで得たものを物語ります。

しかし解体前の日本の空気は、それとは逆の精神でした。1997年以前の日本が行く道は中庸と互助でした。ゴルバチョフ書記長時代にソ連職員が日本国内を見学し、「我が国が理想とした社会主義は、日本で実現していた」と放心したという。官民が連携した都市インフラも国民健康保険も、和の国日本ならできた。

日本が一億総中流社会を続けた動機は、国土のハンデでした。地震と噴火と台風。ハワイ諸島が日本側に寄ってきて、海底でめりこみ日本海溝となり時々反発する。日本全国どこでも震度7という。富士山の噴火も近いらしい。しかも台風が列島をなぞるように縦断。西洋にはない致命的な慢性欠陥です。国内不和だと困る。

災害銀座を思い出させたのは、新潟地震から時間がたった阪神淡路大地震でした。しかしその95年から「格差社会」「勝ち組負け組」「自己責任」など、助け合いを捨てたミーイズム思想が大流行しました。金欲しさに西洋側に立ち、日本の解体を促す日本人ロビイストが扇動したのです。

最近経済学者が、日本が裕福なのは僕らの功績ではなく、亡き先祖の功績だと説きました。円が世界三大通貨なのもそう。思えば美術も、先人の名画名作が今を盛り立てています。社会インフラと同様に美術インフラも、過去の才覚と蓄積が現代を支えている現実です。一方のミーイズムは死んだらゼロ。