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2019/02/19

ふるさと納税で勝ち組と負け組が生じた難しい局面

「ふるさと納税」を聞いた時、こう受け取りました。地方都市を離れて東京や名古屋や大阪など大都市で働く人が、納税の一部を出身地に送金し、故郷を支援するのだと。寄付ではなく資金移動だとしても、お金の移動先は前に住んだ田舎だと。

実際は誰がどこへ納税してもよい制度だから、理想からかけ離れました。資金不足で困っているA市があるとします。A市に住んでいる人が裕福なB市にふるさと納税が可能だから、格差が悪い方へ広がるアンバランスも生じます。

3万円をふるさと納税すると税額に手出しは生じず、2千円の手数料で返礼品が7千円なら、納税者は5千円得します。地方自治体側は、3万円受け7千円出費だから、やはり得する。貧困なA市の税金を、裕福なB市が巻き上げる能力は、恵まれた地域特産物だという。

本質的に資金付け替えなので、自治体の貧富に番狂わせが起きるだけで、経済発展とは違うでしょう。返礼品競争に負けたA市は、自己責任で滅べばいいでしょと、今の日本の気分には一応合うものの、どうも先進美術館と似た感じ。

そこでA市は奥の手で、大手ネット通販の商品券など有価証券類を返礼品にして、ハンデを巻き返すわけです。「プロジェクト支援」のクラウド・ファンディングでは市販品のリターンは禁止ですが、ふるさと納税では禁止ではないらしい。

ふるさと納税3万円の返礼に、2万8千円で仕入れた3万3千円の金券も、やればできました。総務省が指導を始めましたが、手出し2千円での上限は高所得者ほど高く返礼品も増えるから、納税者は制限に大反対。制度の本意は消費税率上げのカモフラージュであろうが、考案者自身が景品目当てで我田引水した疑いもあり。
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2019/02/12

ポスト・トゥルース時代の事実と真実と

最近きちんとしたネット記事で、気になったのはこの主張でした。「ある言い方をする人は信用できない」「それは事実はひとつだと言う人である」「事実がたったひとつだなんて怖いことだ」「世に事実がひとつしかないのは危険だ」と。

ちょっと待てよという気がしました。それも言うなれば「真実はひとつではない」のことではないかと。事実はひとつです。事実を言葉に表した真実が、複数あるというのが本当ではないか。この執筆者は、言葉を取り違えたのではないか。

まず世間一般では、「真実はひとつである」という言い方がよく出ます。たとえば殺人事件で、容疑者が真犯人であるのかないのかという場面です。検察側と弁護側が真っ向から対立すると、「真実はひとつ」の言い方が市民からよく出ます。

学問の世界ではその言い方は否定され、「誰々の真実」として考察されます。つまり真実は学説のようなものです。そして事実はひとつとする。ということは、事実という語は言葉表現ではなく現象そのものを指すのだと、学術の世界で諒解されているわけです。

殺人事件でいえば、容疑者は家を出た時に刃物を持っていた、前日に近くの店で買った包丁だというのが事実です。その事実は神のみぞ知る絶対的な現象であり、人間にとっては抽象概念のような存在です。事実を文章化すると真実となり、人それぞれの言葉だから真実は論者の数だけあるわけです。

アメリカのトランプ大統領就任の頃から急に言われ出したポスト・トゥルースは、嘘が支持され主流になる現象として話題になりました。マスコミが主流側にいる点が今日的です。ただしポスト・トゥルースの語もまた、嘘で得する側が論敵を封じる殺し文句に多用されます。「あなたはヒトラーだ」と似た使い道。
2019/02/05

バレンタインデー日本のもうひとつの憂うつがこれ

毎年、この季節に話題が出てくるチョコレートです。今年の話題は、社内でチョコレートを配る女性を社則で禁止して欲しいとの要望です。チョコを買う側から出た訴えなら不景気が理由でしょうが、もらう側の男性の訴えが意外に多いという。

ははーんモテない男の訴えかもねと疑う声が出ていますが、別の訴えもみつかります。メーカーやデパートやスーパーを儲けさせないよう、チョコを贈る風習を絶対にやめて欲しいという願いです。菓子業界にお金儲けさせないでくれという切実な訴えが、今回もまた多数出ていたのです。

この憂うつな訴えが興味深いのは、芸術で似た願望が根強いからです。芸術をお金にしてはならない思想が、日本に特別に強いのは確かです。ミューゼオロジー研究で考えても、日本の展覧会で作品を売らない慣習が強固である謎があります。物の売り買いを不浄で不吉とみる思想が根底にあるような。

聖バレンタインに本来無関係のチョコレートを便乗させたアイデアは、店ではなく製造業が考えたもので、当時は売れなかったチョコレートを人気商品に変えることに成功しました。昔あまり売れなかった理由は、要するに国際社会で円が安いせいで原料のカカオ豆が高価すぎたから。高いチョコに付加価値が欲しかった。

このアイデア商法に微笑みや苦笑いではなく、強い憤慨と断固反対のこぶしを振り上げる人の多さが、日本の特異な一面にみえます。他人の商売がうまくいくぐらいなら、全国が消費低調で不景気になる方が心休まる「ストップ・ジ・商い」の心理が、よくある「芸術で商売するな」と同根ではという疑惑です。

バレンタインデーの商戦で他人が繁盛するのが悔しくて足を引っ張る動機なのか、全く違う何か過去のトラウマでもあったのかは、フォークロアや社会学で研究済みかも知れません。美術界にある「売り絵」という隠語的な用語も、この話と関係があるのです。
2019/01/12

白い恋人たちと東京五輪スキャンダルの掟

映画『白い恋人たち』の1968グルノーブルオリンピックでは、ジャン・クロード・キリーというスキーヤーが三冠王(滑降、大回転、回転)になりました。映画のサウンドトラックは2018年秋に亡くなったフランシス・レイが担当した、誰もが耳にしたことのある曲です。

「すぎてゆくのねー」の和訳歌詞に対して、サントラ曲の直訳は「じゅうさんにちかーん」となります。映画タイトルの直訳も『フランスでの13日間』でした。その年に引退したジャン・クロード・キリーのライバル、オーストリアのカール・シュランツは実は回転で優勝していた疑惑に泣いて、次回を目指しました。

しかしカール・シュランツは、4年後の札幌オリンピックを追放されました。理由は『クナイスル』。オーストリアのスキーメーカーで、スキー板の宣伝ポスターに写った彼を、オリンピック委員はアマチュア規定違反として札幌入り後に失格としたのです。

この極度のアンチ商業主義を完全否定し広告収入で成功したのが、1984年夏のロサンゼルスオリンピックでした。以降の冬五輪はアルペンもジャンプも、選手たちはスキー板を持つ時にメーカー名を常にカメラに向けるようになりました。国際オリンピック委員会は、1988年にカール・シュランツの失格処分を取り消します。

2016年以来の問題は、2020東京オリンピックの開催地選びの賄賂疑惑です。東京都は札幌オリンピックでのカール・シュランツのように、失格候補44人のうち1人だけ失格のスケープゴート役なのか。しかし2016リオデジャネイロオリンピックでは、すでに賄賂疑惑は解明され処分も終わっています。裏金はよくあること。

「フィクサーなしには票がとれない闇の掟があるのに、演技ふうの取り締まりだけが行われる」という事情があるのかも含め、全体像を語れる者がいない状態です。1998長野オリンピックでは、普通なら後世の記念物になる資料を素早く燃やしたので、疑惑は過ぎてゆくことなく固定しました。
2018/12/24

インターネット時代に流行る文章とデザインの手法

ネット上で調べごとをすると、同じ文章があちこちに見られます。同一ではない、よく似た文章も目につきます。これはどういうことなのか。同じ人が同じ文をばらまいていることも一応あります。しかし多いのはパクリ改変です。

文筆(ライティング)の仕事で多いのは、12個のキーワードを出現させて2000字で書いてくれ式の注文です。アナログ時代なら、図書館で文献を調べるにしても、専門分野の心得がないと書けないのが普通でした。専門家が登用されました。

ところがネット時代には、キーワード検索で既存の文を探り当て、コピーして改変する道が開けました。俗にリライト業務と呼び、専門性を持たない素人アルバイト向けの仕事です。リライトの意味は、たとえば独文和訳を口語に整える作業も一応ありますが、需要の大半はネット文章を盗んで書き換えて使う盗作です。

前に事件ニュースになった医療サイトでは、医療関係者が書いた文の「しかし」を「だが」に変えて別内容に見せかけるなど。肩こりの原因を幽霊で説明し問題化しました。ネット読者が画面表示すればサイトにお金が入るから、内容はどうでもよかった。ウソ情報がネットに激増する動力源は、ネットアクセス広告収入です。

「こんな文でプロだなんて楽な仕事だね」と読者は悪口コメントしますが、超高額報酬でも2000字で1500円などで、本来なら10時間かけても足りない作業で、文章に中味があるわけもなく。読んだ若者はウソを覚えて生きていく。この文章づくりをデザイン業務で使ったとの指摘が、2020東京五輪のロゴマークでした。

あの時「盗まれるのが嫌ならネットに出すな」の声が多かったのは、盗作で食べている業者が多いせいです。これらの背景はデフレで質低下が進む流れであり、産地偽装、車の不正検査、新幹線の台車亀裂、川の氾濫と共通する国情です。この貧困の起点は偶然Windows95の発売年、つまりネット元年の人材派遣ブームでした。
2018/12/18

社会インフラと美術インフラの日本的な特殊事情

日本のデフレ不況で起きた社会の変化を、適切に言い表したことわざが「貧すれば鈍する」でしょう。「衣食足りて礼節を知る」と同じ意味を、裏返しに言った先人の知恵であり、普遍的な法則といえます。貧困で常人も気がすさむ。

すぐ浮かぶ例は、1998年頃に急増したモンスタークレーマー。オレオレ詐欺も同じ文脈か。マネー市場と成果主義に感化され、他人を効率よく倒しやすい犯罪が好まれる。あおり運転やらの不機嫌と、邪推や被害妄想で沸点が下がった狂気の沙汰が日常化し、日本が22年間のGDP横ばいで得たものを物語ります。

しかし解体前の日本の空気は、それとは逆の精神でした。1997年以前の日本が行く道は中庸と互助でした。ゴルバチョフ書記長時代にソ連職員が日本国内を見学し、「我が国が理想とした社会主義は、日本で実現していた」と放心したという。官民が連携した都市インフラも国民健康保険も、和の国日本ならできた。

日本が一億総中流社会を続けた動機は、国土のハンデでした。地震と噴火と台風。ハワイ諸島が日本側に寄ってきて、海底でめりこみ日本海溝となり時々反発する。日本全国どこでも震度7という。富士山の噴火も近いらしい。しかも台風が列島をなぞるように縦断。西洋にはない致命的な慢性欠陥です。国内不和だと困る。

災害銀座を思い出させたのは、新潟地震から時間がたった阪神淡路大地震でした。しかしその95年から「格差社会」「勝ち組負け組」「自己責任」など、助け合いを捨てたミーイズム思想が大流行しました。金欲しさに西洋側に立ち、日本の解体を促す日本人ロビイストが扇動したのです。

最近経済学者が、日本が裕福なのは僕らの功績ではなく、亡き先祖の功績だと説きました。円が世界三大通貨なのもそう。思えば美術も、先人の名画名作が今を盛り立てています。社会インフラと同様に美術インフラも、過去の才覚と蓄積が現代を支えている現実です。一方のミーイズムは死んだらゼロ。
2018/11/26

ジョン・レノンはどうしていれば命が助かったのか

12月8日はパールハーバーでの開戦日で、音楽界ではジョン・レノンの命日です。ビートルズ解散後も印象的な名曲がポツポツ出ていたジョン・レノンが、ニューヨークの自宅近くで撃たれたのは1980年。犯人の動機は陰謀でなく、有名人にからんで有名になりたかったという。おそらく発達障害。

ジョン・レノンは、どうしていれば撃たれずに済んだのか。ひとつの答は簡単で、日本に引っ越していればよかったのです。ジャズドラムのアート・ブレイキーや、ロックギターのマーティー・フリードマンのように。

トーキョーでなくニューヨークへ引っ越した理由は、悲しい気分を誘います。というのは、ジョン・レノン自身はニューヨークへ住みたくなく、イギリスに居たかったから。トーキョー移住が選択されなかったのは、ひとつは小野財閥の別荘が地方にあって足りていたからかも。

ニューヨークで受けた不歓迎はオノ・ヨーコが語っていて、まずCIAが一家を電話盗聴していたという。合衆国公文書にも記録があったはず。市民を動かす力のある平和運動のカリスマに、東西冷戦下の覇権国政府は国益を懸念し、当局が警戒したのでしょう。反戦平和運動は通りはよくても、跳ね返りもあるようで。

裏返しに、ニューヨークからの情報発信は、効き目が倍加するメリットがあったわけです。トーキョーだと、世界的アーティストならむしろ余生を送るイメージになるのかも。ニューヨークの方が刺激も大きくエキセントリックで、勢いやトピック性も拡大されるから。美術で考えればわかりやすい。

刺激のひとつが違法行為のたやすさです。絶望者は自殺を選ぶトーキョーと違い、ニューヨークには有名人を狙って有名になる奥の手があると、世界が知らされました。日本では自宅所持が完全禁止の金属薬莢式連発短銃も、アメリカでは小口径ならスーパーマーケットで売られていたのも近い過去でした。
2018/11/02

変態仮装行列と呼ばれる渋谷ハロウィン騒動と日本の芸術

2018年のハロウィン祭が国内各地で行われましたが、渋谷では暴動になり事件化しています。地元商店街からも「変態仮装行列」と呼ばれ、話題が世界に拡散中。しかし暴動の原因をコメンテーターが語る時に、どうしてもブレーキがかかる部分があります。

「27年目になる長期デフレ不況によって、人生が丸ごと停滞の時代に含まれる若年層は、いつでも狂い出せる心因と背中合わせ」というような分析は厳禁です。なぜかといえば、今は空前の好景気だと政府が定義しているから。政府の顔に泥を塗ると、政府から報道ソースがもらえなくなる。

今は不景気だという直接表現だと、テレビ局から排除され職を失い所得を減らす危険に、コメンテーターや局職員たちもさらされます。自由トークは許されず、人を虐げると何が起きるかも今の日本でアンタッチャブル。

渋谷のあの場所は、国際的に東京の顔です。テレビニュースでも素人動画サイトでも、東京の映像といえば、あの向きから見た渋谷交差点と街並みがよく出てきます。渋谷に関係がない日本全般の話題でも、象徴的に渋谷の写真が使われます。

養護施設の19人刺殺事件が起きた時も、職員だった若い男が故意犯かつ確信犯という、その動機を報道は説明できませんでした。しかし日本版の格差社会にきちんと向き合えば、犯人の思考や情熱や狙いは順当すぎるミエミエの犯行だったのです。首をかしげる人こそ世情にうとい。

調査基準を変えて不景気を好景気と言い替え、庶民の滅入る気分が悪化し、何かの拍子に狂う下地はできています。庶民はそんな思いを芸術表現にでも向けようにも、市場もなく無意味。やむなく粗暴な破壊行動で発散した「日本死ね」のきずなはミエミエすぎ。要は、秋葉原の続き。
2018/10/24

免震構造ダンパー不正検査事件の原因を言い出せない日本

1990年頃に、免震構造の建築設計に関わりました。物件は免震構造業者の自社ビルで、当時は珍しい画期的な実験建物として、補助金などもついて特別な建築許可が出ました。95年の阪神淡路地震より前です。

今や免震マンションも続々と増えています。免震ビルは敷地と建物の間にエキスパンション(伸縮)ジョイントを設け、地震で地面が強く揺れても、地下の水平ダンパーがショックアブソーバーとなり、建物は弱く揺れる仕掛けです。ビルが崩れたり、中の家具が倒れたりを防ぎます。

そのダンパー製造メーカーの検査不正が大ニュースです。ダンパーを使用中の建物があまりに広範で、車のエアバッグに似たジャパンスキャンダルになっています。こうした品質低下の不正がなぜ続くのかよりも、口にしにくい国情が深刻です。

日本国内で続く不祥事は、要するにデフレ不況が原因です。キーワードは「節約」「節減」「削減」「倹約」「縮小」「緊縮」「コストカット」。出費をとことん切り詰める思想が、検査を減らし、捨てる分を減らし、改善の手間も減らすという、平成の日本病です。いわゆる手抜き競争。検査は冗長性であり、本来は余裕であり無駄の一種です。美術品の存在と似ているかも。

カツカレー店が捨てたトンカツを、廃棄物処理業者から買い取った別業者が、格安トンカツ弁当に転用した事件と同じ動機です。そこそこ使える安い製品を消費者へという、グローバル経済下でのデフレ社会に順応した「賢い」倹約法です。しかしデフレ不況との関係を指摘するのはタブー。なぜか。

日本の歴史で最大の好景気が今だと、政府が定義した後だから。デフレ不況を指摘すると、反政府の姿勢で浮いてしまう。だから不祥事の原因に向き合えず、日本人の特性になすりつけるほかなく。実際には、国をあげた節約励行で全国の全分野で品質低下しており、不正の域でばれた分のみがニュースになります。
2018/10/09

日本の借金は1000京円を目指すべきというおもしろ経済論

この26年の日本は経済政策を間違い、国力が低下しました。近隣国との摩擦が激化するなど国威の衰退も目立ちます。最近ニューヨークタイムズが、その失敗をまた指摘しました。その失政の根が何かはネットにも書かれ始め、日本の借金700兆円というデマでした。

今も国民の大半が胸に刻んだ700兆円、800兆円、900兆円、1000兆円、1100兆円という数字。赤ちゃんも含め、国民一人当たり800万円以上の重い借金。日本の未来を真っ暗に変えた子孫の絶望的な負債は、実は国民の学力を低く見切った巧妙なウソでした。

日本の未来を論じる議員や評論家、会社員や主婦たちの勘違いが強固で、国ぐるみ妄想から戻れない状態です。勘違い同士が長い議論の末に、暗い未来を再確認し合う繰り返しが平成時代でした。

その勘違いとは何か。1000兆円を返す前提です。返済。国の破綻を嘆く悲観者も、破綻は起きないとなだめる楽観者も、ともに借金を返す前提で話をします。返済してがんばって零円に戻し、いつかは黒字に持って行くつもり。そんな奇行を考える国は地球上にないのに。しかも奇行と気づかない状態。

「日本の海外借金」はウソで、「政府の国内借入」です。政府プライマリーバランス(基礎的財政収支)で、日銀と他金融が出資した国債で生じる貸方円建て残高であり、日本政府が日本国民に借金している額です。赤ちゃん以上が政府に800万円以上貸しています。国にではなく政府に。しかも国民は貸した側。国民の借金ではなく貸金。

政府借入金は明治時代から何万倍にも増え、やがて一京円、いずれ百垓円(今の千万倍)になっても正常です。経済学者たちは財政立て直し急務は虚構と知る上で、「日本は借金で破綻するから節約しろ」のポジショントーク中。識者が自己実現のために国民をあざむくのは、芸術分野より経済分野がひどい。
2018/09/23

君には絵の才能がないと他人から言われた悩み

昔、雑誌だったかの悩み相談コーナーに、好きで絵をかいている素人からの質問が出ていました。美術をある程度心得た知人に自信作を見せると、「絵の才能がないから向いていない」と言われて。それ以来は落ち込んでいるという相談でした。

ネット時代にも同種の相談が見られます。対するアドバイスは、「絵は才能ではない」「努力すればうまくなるし」「いや天才は常人の手が届くものではないし」など、ありがちな定型回答が集まります。

実は質問者も回答者も、大きい間違いをやっています。時代の違いも国の違いも、条件から抜けているのです。ここの活動でも、ドイツで売れて躍進しているタイプは、日本に戻ると意外に散々だったりします。国内では閉め出されたも同然で、海外でのみ活躍できる亡命状態が時々みられます。

日本で日本人に絵を見せたとして、独創性と毒性があるほど「わからん」「才能ゼロ」「対価に見合わず」の反応が返り、実際に売れないわけです。そんな絵はドイツなら完売するし、だから市場もはるかに大きい。相談者も回答者も、国内の常識感覚で芸術の真実を追究するのは無理な話です。

こちらに届いた作品は、「ここがこうならベター」「こうすれば浸透力が違う」と瞬時に判断されます。その視点は国際市場向けであり、芸術性を高めると買い手が現れやすい前提です。この真っ直ぐさを求めて、日本から海外へ出て行く美術家が多いのです。国内に見切りをつけて。

質問も回答も、絵のうまいへたをデッサン技術で語る点が18世紀的です。その常識をカメラが崩したのが19世紀でした。悩みのネット議論には新興絵画への苦手感がただよい、現代アートを遠い机上で語る感じ。要は、絵の才能は20世紀に大変化したのに、国内の議論は18世紀の感覚のまま。
2018/09/08

日本で美術作品が売れない原因の分析は間違っている

美術大国のアメリカや中国よりも、日本での美術の市場規模は小さく、100分の1のオーダーだと言われます。以下のイギリス、フランス、ドイツよりもずっと小さい取り引き金額です。古美術を別にした現代美術で差が目立ちます。

日本で絵や彫刻があまり売れず、美術市場が小さい理由は、前からネット掲示板などにありました。「美術界は国民に美術の資産価値を伝えていない」「だから国民は美術を買う意義を見出せない」「価値がわからないから信用できず買わない」という分析です。

この分析の何が間違いかは、日本人には難しい話です。なぜなら日本では、美術の価値は上から下へ教え込む慣習だからです。この慣習が売れない原因だと、国民が気づくのは困難です。

ドイツの市民は作品個々の資産価値を知った上で、資金運用しようと絵や彫刻を買うのではありません。彼ら彼女らは作品を見て楽しみ、時に驚き、知人と話題にして、いやされたり奮起するなど、自分の変化が目的です。「価値は僕が見て決めるだけさ」が集まって、大きい市場ができています。

日本で美術が売れないのは、価値を自分で決める人が少ないからです。苦手だから教えてくれる者を待つわけで。それに美術界が応じる間は、永久的に国民が自分の目を持てない。作品を見て楽しみ、時に驚き、知人と話題にできる日が、日本には来ない道理になっています。

上が下に伝える値打ち情報で市場を回す日本方式だと、新人の新作を買う空気はなくなる理屈です。他国では思想を込めたエンタメで美術を考えているのに、日本では値上がり益が最大関心事です。東証一部上場の株式みたいに、美術を蓄財や投機商材とみる通念が、偉い人たちにも広がっている事情があります。
2018/09/03

ニッポン体操競技選手の引き抜き騒動と画廊

大相撲あたりから始まって、レスリング、アメフト、ボクシング、居合道など、競技団体の協会や連盟などで、組織上層部の事件がニュース続きです。また出た、次はこれ次はこれと、目新しい感じで走馬燈のように。次は体操競技だという。

体操での話題のキーは、選手の引き抜きです。選手がどこでトレーニングするか、所属する団体などを移る時に出てくる権力行使です。これが体操競技で問題になり、すでにメダルをとって引退している選手が何人か、引き抜き批判を述べています。工作意見が出てきて裏が発覚しました。

体操で問題にされるのは、よその監督やコーチが苦心して有力に育てた選手を、オリンピックでメダルをとれそうになるとヘッドハントでさらう、その行為への批判です。選手が強く立派になったのを見計らって巻き上げる、いかにも不道徳な立ち回りを、先輩メダリストたちも批判しています。

野球やサッカーには、金銭トレードや移籍金があり、選手の実力に合わせて価格をはじき出して、得する側が払います。移籍金は選手の報酬額ではなく、チームからチームへ払う調整金です。

「引き抜きは自由だ」「抜かれた側が無能だ」と関係者はネット投稿していますが、野球やサッカーでは自由でなく、公正な取り引きがあります。だからパ・リーグ投手を巨人軍が次々巻き上げた頃は、パ・リーグは活動資金を得る恩恵を受け、選手を育成しても無駄にならなかった。

芽から育てる苦労は他人にやらせ、開花前に奪い去る問題は、芸能界にもありました。たとえば、売れ出したタレントがプロダクションを捨てて家内運営を始めると、不義と恩知らずを理由に業界追放する慣例があります。画廊の取り扱い画家も、昔はこの問題がありました。
2018/08/28

日本のアートフェアは欧米のアートフェアとかなり違う?

かつて著書でアートフェアを説明した時、日本のアートフェアも一応チェックしました。あれから時間がたったので、最近の様子も調べました。参加した人のブログの中には、「日本版アートフェアはもう全然だめ」「やめちまえ」の声がいくつもあります。むろん、やめずに改良を続けるべきでしょう。

ドイツでは全品が現代アートなのに対して、日本では古美術商や骨董市が加わります。日本国民が新美術への関心が低いから、古美術で補う必要があるという隠せない事情が、いきなり雰囲気をレトロにしています。音楽祭でいえば、常に昭和歌謡の支えを頼る感じか。

しかも公募コンテスト感覚までついて回ります。そのひとつが、目玉の有名アーティストに関心が集中する現象です。有名どころが来場するから見たい、大物に触れて感動したい、感動の輪を広げてきずなをつくり、みんなとつながりたい・・・

若い画家や彫刻家や造形作家に対しては「無名はみんなゴミだろ」の声が集まったりして。日本の現代アートが、人々の目にどう映っているかの象徴といえそうな。そもそも有名人が出品しない理由は、買う空気が乏しい懸念と、若い無名と並べば内容負けする懸念なのです。

日本の美術は特殊化しており、「現代アートは嫌いだけど、たまに見るのもよいから見学します」と、鼻をつまんで食べる感じ。そんな日本に対し、ドイツ国内のアートフェアは美術の一般化が下地であり、市民が楽しみ期待しているのです。この起点の差は果てしなく大きい。

ドイツ市民は買い物目的で来て、自分にとっての傑作を探します。美術界の評価を頼らず、片隅の埋もれた絵も掘り出して見ていく。だから出品者も内容づくりに力を入れます。彫刻に火をつけて話題をさらうなど、出し抜こうと焦る必要もないのがドイツ。
2018/08/25

サマータイム制に隠れた人間の優劣評価?

ロシアはサマータイムを2011年に廃止しましたが、EU国は今も続けています。サマータイムがなぜヨーロッパに多いかは緯度が高いからで、高緯度ほど夏の昼間が長いから、早朝から夜暗くなるまで働けば、労働時間がうまく収まるという農業国の知恵でした。

ドイツの首都ベルリン市も、日本の北海道の札幌市よりもっと北の稚内市より、さらに高緯度です。だから家庭にクーラーがいらず。自国ではあまり使わないドイツ車のクーラーは、オール日本製だったりしました。

イギリスも日本の真横あたりにあると思えて、ずいぶん北寄りです。日本の東北や北海道は南欧のスペインの緯度にあり、東京はヨーロッパではなくアフリカ大陸と重なります。低緯度の日本にサマータイムのメリットは原理上なく、せいぜい欧米並みを目指すあこがれ程度か。

近年の欧米では、夏時間は人体に有害で事故やショック死が増えると医者が指摘しています。特に夜型人間にダメージがあると推測できます。そういえば最近の研究では、人の体質は朝型と夜型に生まれつき分かれているそうです。

しかし体質への配慮は日本になく、朝が弱い夜型人間は非難されました。朝起きられないのはだらしがなくて勤勉でないとか、夜ふかしは深夜番組やゲーム依存症だとか、悪い評価がついたものです。ぐうたらをバンカラにみせにくい女児には、しんどい時代が長かったかも。

サマータイム導入の電子システム変更で収益悪化するから、財界は抵抗しています。しかし実質賃金が下がるので、少し前は賛成でした。今も望んでいるのは一人の元議員のみで、周囲はその恩に忖度しつつも本気では検討せず、時間切れでポシャらせる芝居にみえます。
2018/07/21

2018年日本の夏はなぜ気温が高すぎるのか

前年の天気予報サイトにはなかった「厳重警戒」マークが、この夏はよく出ます。さらに上の「危険」マークも出て、熱中症の死亡ニュースも続く毎日。7月8日が最後の雨で、この先も晴れマーク予報が並んで、しかも盆地以外は夕立ちもなく。

記録的な高温を地球温暖化ガスで説明する報道は、さすがに減りました。二酸化炭素を減らした結果の気温上昇だし、涼しい夏だった昨年との違いも説明できないし。直前の冬が並はずれて寒波続きだった記憶もあろうし、陽光と宇宙線のはたらきの知識や、ヒートアイランド現象の知識も、報道局に広まったことも大きいでしょう。

グーグルマップで過去を知る地を確かめると、前はあった林も池も山も消えて、宅地になっています。当時の日本は人口増で、土と水と緑をコンクリートや瓦など石質に替えると、年々暑くなる理屈で、これがヒートアイランド現象。むろん気象変動の最大の要因は、太陽活動の変動ですが。

しかも裏話もあるようで。日本の最高気温は長年、山形県の40.8度だったそう。原因は盆地のフェーン現象。が、別の地でついに新記録が出ました。しばらくしてトリックが指摘され、現代の百葉箱たるアメダスの敷地を、アスファルト舗装で囲むようにして生じた高温でした。

なぜそんな場所に変えたかは、気温の記録を上げるためだそうで。地表を覆う材質によって日光の反射率と保持率が変わり、気温が大きく上下する土木技術を利用して、「日本一暑い町」の称号をゲットする町おこしが目的だったらしく。各地が日本一の座を狙って競争していたそうで。

近年意外なのは、国民が緑化を求めない点です。植樹で街を涼しくする話が出ないのは、新築マンション全室にエアコンがあるからか。激しい気候が景気につながる期待など、熱波願望もあります。安価な対策は、一日に飲む水の量を倍に増やせば死なないあたりでしょう。
2018/07/18

不景気な気を打開するアートを探す

日本は好景気だとの声は意図的なデマで、不景気の最中です。その証拠は、残業代カットが国会のせめぎ合いだから。実際が好景気なら、残業代を上げる案のラッシュです。もうひとつ、仮に好景気なら増税ではなく増収が耳タコなはず。現実は逆で、GDP拡大で増収した歓喜を聞かない。

たとえばこういう違いがあります。好景気なら人々が「お金を残したら負け」と本気で感じて、使うのにやっき。今は「お金を使ったら負け」と本気で感じて、節約にやっき。土用のウナギも食べずに。この冷えた心を、日本語で不景気と呼びます。景気は心理だから。

大正昭和のことわざ「景気は気のもの」はその意味です。サイフのひもがゆるい時が好景気、固い時が不景気。好景気デマを流す目的は、持ち株会社や資産運用企業など資本主義の上層への中央からの忖度です。貧困時代と呼ばずに、宴会離れやゴルフ離れや旅行離れと呼び変え、思想変化で説明するのが忖度のわかりやすい例か。

人は景気が良いとポジティブ思考、景気が悪いとネガティブ思考になります。貧すれば鈍する。後者の典型が日本は終わった説。しかして美術のように率直表現する分野は、ネガティブ思考にこそ基盤があります。楽天的なアートは、緊張が切れて見ごたえがないから。

ドイツで求められるアート表現の内容面で、社会性や社会問題の語が出てきます。写真分野でよく聞いたのですが、この概念は日本人は苦手です。なぜなら日本美術の基盤は花鳥風月で、作品に社会性を込める感覚から遠いから。ソーシャルをどう料理すべきかわからない。

日本は1995年あたりから格差社会の乱世へ踏み出し、国際発言力も低下して、花鳥風月で楽しくやる空気は落ちています。三番ではだめで二番に上がりたい、その気概を美術に込めたいと思い、そういう目で国内作品を見たりもします。
2018/07/14

コンクリートから人へと土建行政を改めた新日本の悲劇

先日の台風に続いた梅雨末期の豪雨で、瀬戸内海の北に面した県で想像しがたい水害が起きました。岡山、広島、山口など。過去の東南アジア国を連想させる水びたしとなり、日本は大丈夫かと感じた国民も多そうで。

実家をやられた芸能タレントが言うには、住宅の床上浸水どころか床下でも、後で住めないほどだそうで。清水でなく泥水は当然として、トイレの下水も容赦なく混じるから。下水を閉じ込めるインフラも検討すべきと、今回ささやかれたほどです。

土砂崩れは、山沿いの宅地開発と関係します。かつてテレビで公開された「水害の履歴を地名につけた」昔の知恵を、「平成の市町村合併」で自由に地名変更して消し去る流行が、前から危険視されたものでした。

一方の河川の氾濫は、平成大不況が関係します。直前のバブル時代には全国各地で河川の大工事ブームがあり、完成後は異様に高いコンクリート護岸の底に水がちょろちょろ。数十年に一度の豪雨を計算に入れたスペックでした。バブルで大金投じたそれら改良河川は、今回は氾濫せず。

ところが平成大不況の事業仕分けで経費削減ブームに転じ、残りの工事は中止されました。東日本大震災でも言われた話。コンクリートから人へと転換し、災害に弱い途上国状態で時間が止まったかたちです。土建立国と言われるうちが華だった、日本のローカル事情です。

五月に、リーディング・ミュージアム(先進美術館)なる政府案が出ました。各美術館の収蔵品を市場で売り、運営費に当てる不景気対策です。当事者の学芸員たちは反論し損ね、国民が懲罰的に国に賛同する懸念があります。政府の都合に対しキュレーターの都合をぶつけた対立を、芸術文化育成の都合でまとめて倒す出版原稿を考えています。
2018/06/29

ワールドカップ2018でポーランド戦を壊して切り抜けた苦心

ポーランドはどんな国かの今どきの説明で、ラジオ番組では歌手バーシアの曲を流しました。イギリスの音楽グループ、マット・ビアンコの初期メンバーで、ダニー・ホワイト作曲のブラジリアン・ユーロポップス。

そのポーランド代表との試合で、日本はやってくれました。試合を壊す奥の手です。あの時の日本代表は、イラク代表と最終予選を戦っていました。落選確定のイラクに日本が勝てば、1994年のアメリカ大会に参加できる。終盤に日本はイラクを勝ち越す一点を追加。

日本選手にまだ教えていないことがあったと、監督は後に告白しました。それは試合を壊す方法でした。攻撃すれば、反撃される確率も上がる。残り時間を放置すれば夢のアメリカ大会に行けるから、フィールド内を皆でぶらぶらしていればよかった。遅延行為ととられない範囲で。

ところが日本は攻撃を続けます。アディショナルタイムにそのボールをイラクに奪われ、相手のコーナーキックで点を入れられ引き分けに。アメリカ大会に落選します。ワールドカップの初デビューをかけて、最後の最後の何秒かで大転落。渋谷で応援していた男は涙ぼろぼろ、女はわあわあ号泣。この「ドーハの悲劇」を連想しました。

今回は、負け側がボール回しで試合を破壊。法外な入場料の客もいたはずで、日本代表へのブーイングがスタジアムに響く。現場にいた日本側は落選確定のポーランドが明らかに強いと身にしみ、同時にコロンビアがセネガルより強いと状況把握。博打に出てグループリーグ突破に成功。

入社試験の論文に出てきそうな、究極の選択に思えます。逆をやっていたら、道徳の教科書にのりそうなものですが。前監督への奇襲解任に賛同を得るための結果論が必要な国内事情もあり、攻める博打は選べなかったと想像できます。国の名誉を保つ難しさを感じる一幕でした。
2018/06/03

サッカー日本代表のアンチ能力主義的な保守回帰

サッカーワールドカップ2018ロシア大会で、日本代表チームが国内ファンから祝福されずに出国しました。世界でも珍しい直前の権力側クーデターで、セルビア(旧ユーゴスラビア)人監督を電撃的排除。彼が予定する能力主義的な選手の登用を、連盟が阻止した反動といえます。

セルビア人監督はワールドカップ16位の監督実績で、世界の技術的潮流かつ日本選手が苦手な高速縦反撃を重視し、従来の広域パス回しを卒業させようとしました。この現代化で直面する一対一で負けない動きに対応できたのは、主に若いニューフェイスでした。新個性の萌芽。

そのニューフェイスたちは、過去に日本が勝っていないオーストラリアにも初勝利した手柄で、日本はアジア地区予選を一位通過し出場権獲得。が、新世代だから過去の実績がなく、強い支援者の縁故もない。美術にたとえれば、新進の前衛的な作品たちです。

テレビや新聞のCMは、名が知られる年長のビッグ3やビッグ4で制作済みとされ、ニューフェイスたちとポジションが競合します。そこで知名度の方を重視し、指名権を持つ監督もろとも片づけたのではと、もう雑誌にも書かれています。能力主義の野球やスケート、卓球のようにはいかず。

名のある先輩選手が、名のない後輩選手の手柄を召し上げ舞台に出る。しかもチームに新技を加えたのはセルビア人監督で、仮に準優勝すれば彼の功が大きいわけで、続けていたら優勝できた理屈。勝てても正義は対オーストラリア時の体制にあり、新監督は時間不足で役も小さい。

美術よりスポーツの方が、能力尺度が明瞭なのは確かなはず。しかし新しい才能が削られ、本番でよくみる新人成長劇も封じられ、4年前のブラジル態勢に戻したも同然。年輩選手の過去を高く買った再起用に、コアなファンほど「何だかなー」と気持ちの整理がつかない状態です。