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2019/03/15

カリスマ政治家の登場を待つ世界の人々

日本の総理大臣は常に「降ろし」の声にさらされます。現総理にやめろの声がかかるのは、憲法を変える目標を公言しているからでしょう。防衛力は強めずに弱めよという声が集まりました。一方で、難解なデフレ経済悪化への批判は少なめ。

それが異例の長期政権となった理由は、代わりがいない悩みです。国民が願うのはカリスマ総理大臣で、誰かものすごく有能な人が現れたら、日本の問題は根本から解決するのにという願いがあります。東京都知事と大阪府知事の選挙でも常に言われてきました。

郵政民営化のあの人が総理大臣になった時、美しい写真集と自伝が大ヒットしました。やっと本命キターと。結果はワーキングプアを激増させる元年となり、日本の最新技術(ハイテク大企業)が外国の手に次々渡っただけだったねと、年月を経て評価も転じました。

日本にシャッター通りを定着させたのは消費税5パーのあの総理大臣ですが、リーゼント総理と呼ばれた後、下ネタまで出てすたれたきり。時のカリスマ偉人とて、後で皆が冷静になれば煩悩多い一人の人にすぎず、中味が特別すごい超人は現実にはいないわけです。裸の王様だらけ。

3月が予定だったイギリスのブレグジット(EU脱退)は、暗礁に乗り上げました。そもそも脱退を進めるメイ首相は脱退反対派なのに、脱退推進派が次々去った後始末に回る不遇です。グローバル社会と民主主義が合体困難な治世の難易度が、人の能力を超えてしまった意味にみえます。何となくユーゴスラビア状態。

カリスマをわかりやすく示すのが美術作品で、当時の大ヒット絵画が後退し、代わりに後世の教科書を占めたダメ絵画列伝は、印象派やゴッホ限りではないわけで。それで、近代の巨匠画家には自伝があまりないのでしょう。
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2018/08/06

東京医科大学の受験点数操作のイカサマに隠れた深刻な性差

私立東京医科大の受験で、女子と男子浪人の試験点数を減らして不合格にしていたニュースが、世界に発信されました。当初は女性差別だとして、マスコミでも騒ぎになりました。差別に抗議するデモも起きて。

大学病院と系列大手医院で、女性医師だと当直に穴があきやすい問題が指摘されました。だから男子学生を増やしたという。これは弁解のやり損ねで、当直のローテーションを工夫せよとか、長時間労働をなくせ、育児負担を女性に押しつけるなと、受けのよい批判へ世論が向かいました。

問題は科目です。女子の合格が増えすぎると、切断した腕をつないだり、心臓の穴をふさいだり、肺や頭部を切開する外科医が減りすぎるのです。代わりに皮膚科、眼科、麻酔科、産科、小児科が増える現実があるという。ローテーションや育児休暇どころでない、人命救出の悩みでした。

だから、男女の定員枠を決める手が正解でした。すると女子は競争倍率が上がり、最低偏差値が上がり、受験生は減ります。女子からの受験料収入は落ちる。そこをイカサマして、受験料を奪う詐欺事件だったのです。

ただし金欲しさにみえても、差別議論の回避で始めたイカサマだったのかも知れません。たとえばビルの便所掃除は、女子便所もあるから女性しか採りません。異性のトイレへ入るのは、女性のみ許される。しかし男女差別する管理会社にみられたくないから、男性も応募させて奇問試験や面接で落とす策略がありました。これの大学版かも。

患者をメスやノコギリで切り込む難しい手術は、女子医学生の進路希望が少ない。この性差を、医学部が国民に打ち明けられない理由が焦点です。国民は医学部に対し、「どうか定員枠を設けてください」と命ごいする必要があります。その陳情場面なら、生々しいルネッサンス絵画にありそうだと想像してしまいました。
2018/06/26

ワールドカップ2018で日本は強豪セネガルに勝てていたのか

昨日の早朝のサッカー試合は2対2で引き分け、日本は3勝はなくなったものの、イエローカードの少なさでグループリーグを突破できる確率が100パーに近い。ところが今度は、ゴールキーパーへのバッシングが起きています。世界からも。

キャッチした場所がゴールの中だったとか、ボールをグーで前方へはじいたら、すぐ前にいた相手の足にはね返され、ゴールに入った場面。各国からコメディー扱いされていて。それさえなければ、日本はセネガルに勝てていたとのため息が出ています。

しかしサッカーの「たられば」の分岐予測は、他の競技よりも外れる確率が高いでしょう。勝てそうなら負けて、負けそうなら勝てる異様な不安定さが、ゲーム中にも作用するからです。

何ごともなくキャッチしていたら、双方の選手たちの心境が順当に推移し、前評判どおりだったかも知れません。「コメディー」が互いの目に入り、全員に心理的カオスが起きた計算も必要でしょう。事態が深刻だと感じた側が、攻める気持ちが高まるなど。

勝ち負けのパラドックスが法則どおり双方に起きたから、海外で言われた「ジェットコースターのような」あっちがゴール、こっちがゴール、あっちがゴール、こっちがゴールとなったのかも。思い出すのは、2011年の日本女子の決勝戦です。それが男子でも起きました。

70日前の監督の異常な交替で、カオスが選手の心理萎縮を解いて奮起につながったのかも知れません。3年指導した日本人監督が異常解任され、急きょセルビア人監督に差し替えても、似た展開が起きた疑いです。その根拠は、運動力と思考力は選手の内部にあるから。
2018/03/08

パラリンピックのアルペンスキー

冬のオリンピックのたびに、日本のアルペンスキーは地味でした。オーストリア、ノルウェー、ドイツ、スイス、フランスなどアルペン強豪国には伝統の蓄積があるとされ、日本が及ばない理由が様々言われてきました。

一方のパラリンピックは、日本も存在感があります。2014ソチでは、チェアスキー(シットスキー)の男子滑降とスーパー大回転で日本は二冠でした。

そのアルペンコースは容赦なく荒い中急斜面だから、転倒も激しい。片足で滑る選手がギャップで大クラッシュしたり、視力がない選手はマイク通話しながらも前走ガイドに追突したり、ゴール後に止まれない転倒も多い。

そんな中、チェアスキーは一本スキーのかかし状態で、スタンス幅や前後差、外向外傾もプルークもステップもなく。ひざ屈伸はコイルバネで代用され、時速120キロに達して荒れた部分で飛びはねて怖い。でも上位選手はさすがにうまい。

長野の頃はカテゴリー細分化でメダルの総数が多かったのを、後にハンデ制で同じ土俵にまとめてメダルを減らしました。それも含めメダルの重みは安定せず、価値の公平性がすっきりせず、パラリンピックと距離をとる人も世界に多いのではないかと。

成績の価値から離れてみると、スキーの激しさと難しさが残ります。その点は美術も似て、作品の値打ちから離れたら、もっと作品に近づいた鑑賞ができるでしょう。現実は、どういう価値を持つのかに気を回すあまり、作品と距離をとることになりやすいのですが。
2018/03/07

アルペンスキーとパシュートの待って待って待って

テレビは理解を広めるのが早い代わりに、早合点した誤解を広めやすい欠点もあります。スポーツ選手の中にも若いなりに言葉を選び、誤解を解こうとする場面がみられます。

平昌オリンピックのスピードスケート女子パシュートで、日本が優勝した直後のテレビ番組。準決勝に出て決勝に出なかったメンバーを、「四番手の控え」と呼びました。チーム側が聞いたら、それはないよとなりそうな。

スキージャンプ団体などと異なり、団体パシュートは同時に固まって滑走するのが特徴。データに基づいた組み合わせと隊列で戦略を組み、互いが互いを非常に頼る役割分担となり、チーム内に番付け序列と違う構造があるはず。一家の父母を番付けしないのと似て。

変わって、80年代末に年長者が語った話。「海外のアルペンスキー五輪メダリストと、日本の指導的プロスキーヤーが番組の中でレースした。日本のプロが楽勝し、アマチュアが出る五輪は格下と知った」「五輪金の欧米選手より優れたスキーヤーは、日本にゴロゴロいるとわかった」と。

待って、待って、待って。アルペンスキーの聖地キッツビュールの滑降コースを完走できた日本人は、1987年から31年間いません。ところが2018年に56位に入りお祝いだという。回転種目でも、1956年の猪谷選手以来62年間メダルはなく。ゴロゴロどころかスッカラカン。

「学校のプロ美術教官は、歴史名画より上の絵が描ける」みたいな誤認識は、バラエティー番組の演出を真に受けたのでしょう。いや待って、待って、待って、絵には旗門不通過や転倒はなく、完成できて勝算もあるかも。
2018/02/25

五輪アルペンスキーが日本は弱いのはなぜか

平昌オリンピックの閉会式がやがて始まります。今回はスケート種目の伸びと、カーリングなど初メダルや入賞があった陰で、アルペンスキーはほとんど空気でした。滑降、スーパー大回転、大回転、回転。昔から言われてきた、「日本のアルペンスキーはなぜ弱い?」の疑問です。

答は「勝ちに行かないから」で、こうやれば勝てる道理から逆算した準備が足りないせいです。準備のひとつは、異常に雪が荒れたコースです。荒れたコースは国際スキー連盟の策で、気持ちよく整ったコースで下位選手が勝つ番狂わせを防ぐため。

気持ちよく滑れるコースでポール練習ばかりやっても、オリンピック本番は飛ばされたりつまずいて完走も難しい。実際に日本のトップ選手は、繊細な技術はあっても、序盤のポール不通過や転倒が昔から多かった。

整った氷上で自分を出すスピードスケートと違い、ウソだろ?という起伏とガサガサ雪の危ない斜面を、スキー選手は滑らされます。スケートと違いスキーは障害物競走でもあり、きれいにかっこよくきめるゲームでなく。

その結果を指して、体格が劣る、体重が軽い、手足が短い、スキー人口が少ない、性格が向かないなどの理由づけが百出。こういう場合に真っ先に疑うべきは、組織が思想的に分裂していないかです。勝ちに行く合理的な解決へと、焦点が結ばない何かがないか。

この着眼で日本の美術をみると、思想的な分裂みたいなものは確かにあるでしょう。一例は、お手本に似ていることを芸術と呼ぶ派と、似ていないことを芸術と呼ぶ派の対立です。二つの思想は完全に逆だから、間にはさまった画家は迷って中途半端になりやすい。
2018/02/20

道具のスポーツたる冬オリンピックと美術のマテリアル

スキー複合個人ラージヒルの渡部暁斗選手は、ジャンプがトップなので金メダルに近づきながら、結果はドイツ勢三人が表彰台を独占。やはり気になったのは、体重以上にワックスが合わなかった疑いです。

スキーやスノーボードの裏面のワックスは、雪質によって変えます。日本国内でも、鳥取、長野、北海道の各スキー場で使い分けることが多く。雪温が高いと撥水性向上、低いと摩擦軽減のために、パラフィンやフッ素樹脂などの固形ワックスが多種製造されています。アイロンで溶かして塗ります。

草レースだと選手が塗るわけですが、ワールドカップや五輪ではワックスマンが同行し、当日の雪質を分析しワックスを選びます。「スキーが滑らなかった」という声は、ワックスが雪温と雪質に合わなかった意味です。

ワックスがあまりに合わないと微妙な差どころでなく、何となくつんのめって後傾に構える重い感覚が起きるなど、初級者でも滑走性の悪さに気づきます。冬の五輪で純粋にタイムを競う種目は全て、空気抵抗とともに雪と氷の摩擦との闘いになっています。

ワックスの失敗を選手が訴えないのは、ワックスマンに全面的に頼っている理由もあります。ドイツ選手がそろって好調だったのは、ワックスかストラクチャー(裏面の細かい刻み加工)のノウハウもあったのかも。

マテリアル選びは美術でもあります。一歩離れるとかすんで他人に伝わらない絵は、線が細すぎるペンが原因なのも見かけます。世界に挑むには太くて繊細に見える絵へと、やり方を変える必要もあるでしょう。
2018/02/13

スポーツとアートの公平性

冬のオリンピックは、全員が公平にはなりません。スキーの回転や大回転は、ポールや旗門のきわを皆が回り、徐々に雪が掘れ自分のラインどりが難しくなります。そこで塩類をまいてアイスバーン化し、ランキング順に一本滑り、タイムの逆順に二本目を滑って合計タイムで競うなどが対策です。

雪と氷の宿命で足元の状態が皆違い、だから夏の大会ほど厳密性がないのは確かでしょう。そこでジャンルごとのワールドカップのシーズン成績と照らし合わせて、リザルトが順当か波乱かを観客も計算に入れて見ることになります。

平昌オリンピックで、スキージャンプ男子とスノーボード女子スロープスタイルは、法外な強風で波乱となったようです。「でも全員が同じ条件だから、言い訳はやめよう」という声もありますが、そんなわけはありません。

仮に選手一人の体に吹きつけた強風のエネルギー量が全選手とも等しくても、吹きつけたタイミングは異なります。その瞬間の姿勢によって運悪く転ばされたり、運良く無傷だったりします。

そこまでの波乱はなくとも、公平のばらつきは美術の団体展でもあるでしょう。会場のどの場所か、隣に何が来るかでビジュアルな干渉が起きたり。自信作が低評価となった時、位置の不運を嘆いたり不満もあるかも知れません。しかし自分がよい位置を占めると、他人は逆になります。

この課題に対してこちらで行ってきたのは、ビジュアル的に引き立つ配置を考えることと、途中で行う作品の並び替えでした。さかのぼって、搬入時に梱包開封を簡便化して、時間の余裕をつくる必要があります。展示会場に零下十度の強風はなくとも、下準備はやっぱり重要です。
2018/02/10

2018年平昌オリンピックのスノーボード日本選手

平昌(ピョンチャン)オリンピックの開会式が終わったところ。日本のスノーボード選手は、そろそろ五輪金メダルが出てもよい頃に思えます。前回は銀でした。ボードのやや異物的ポジションを、一般化させる機会でもあり。

1986年頃は長野県の大半のスキー場で、スノーボード(当時はスノーサーフィン)は禁止でした。ボード持参でリフトに乗るのも禁止で、登山客としてテクテク歩いて上に行き、オフピステを滑るしかなかったのです。

当時のボード製品は砲弾型シェイプで、180度プロペラしてバックで滑れないもの。映画『私をスキーにつれてって』では、スノーボーダーのエピソードもなく、実際のゲレンデでも珍しかった超マイナースポーツでした。

それが、前後対称の長円形フリースタイルボードと、モノスキーに似たアルペンボードに分かれてヒット。旧型スキー板の物理限界によるスキー場の大不況を、救世主的な新アイテムとして支えた歴史となったのです。

ボードはスキー場の秩序を、一時的に壊しました。両足スタンスが固定で、雪面に止まって立ち続けられず、谷に向いて座ってばかりの障害物。左右非対称の死角が原因で、前走者への追突。厳禁のイロハだった靴歩行で雪面に穴をあけ、コース外の遭難騒ぎもボードが圧倒的比率。

スノーボードを美術にたとえれば、具象アカデミズム相当のスキーに対して、新興の現代アートでした。高齢の先輩がいない自由度の高い世界で、80年代の若い入門者が今最長老の重鎮となって、技術的な蓄積もできてきました。しかし、国際スキー連盟の下に置かれた自主問題はあります。
2017/10/07

日本のロヒンギャ問題が内戦に発展しない理由

テレビ特集番組で知られる、バングラデシュ、ミャンマー、マレーシアなどの国名が出てくるロヒンギャ問題。南アジアの国籍なき人々の集団ですが、日本では群馬県に多いそうです。国籍がないまま民間に退避していて。

そしてミャンマー国では国際問題となり、各国が責め立てている最中です。差別はよせと。しかし訳ありな過去のいわくが大きいから、差別をやめろとだけ圧力をひたすらかけるのは、たぶんまずいのでしょう。

東京での話。パビリオンに入る行列に並ぶ日本人が、1人の外国人旅行者からあなたの前に並ばせてくださいとお願いされた。時間不足で困っているならと、係員を呼んでOKを出すと、観光バス3台分の人を連れて来たという。1人なら許せても、100人は許せないのが普通です。

日本でロヒンギャ問題が破裂しないのは、人数が200人台だからです。ミャンマー国では50~80万人と数千倍です。数量の程度問題を考えないで、ミャンマー国は差別がひどいと各国報道やコメンテーターが叩くのは、たぶんまずいのでしょう。

ドイツのデュッセルドルフ市には日本人が多く、ジャパン・デーと呼ぶフェスと日本人街もあるという。しかし合計5千人だそう。企業の派遣であれ1年以上いると移民になりますが、その規模なら許されるのでしょう。選挙権もないし。でも100倍の50万人となれば、扱いが変わる覚悟も必要でしょう。

差別差別と簡単に口にする前に、負担できる国力かも計算に入れないと、たぶんまずいのでしょう。人間の力は無限ではないから、程度問題を考える習慣を国際社会は持つべきでしょう。程度問題への配慮を欠いた原理先行のポジショントークは、世界の歪みを拡大させるでしょう。
2017/09/06

サッカーとアートで誉めたりけなしたりの切り換え

サッカーチームが大活躍をみせたかと思えば、次の試合で不調の体たらくをみせる展開は、各国の全チームで起きています。それに対してイタリアの記者は、試合ごとに良い選手をベタ誉めし、次回に悪いと言葉を尽くしてけなします。

その切り換えが、日本では理解されない空気があります。ネットの意見をみると、「前回はあんなに持ち上げたのに、今回は冷たいね」「てのひら返しがひどい」「見物人は勝手なことを言う」「愛がないなら見るな」の声がよくみられます。

「現代のベートーベン事件」「STAP細胞事件」の騒ぎでも同様でした。「あれほど称賛したのだから、今になって叩くなんてひどい」という意見が多かったのです。上げるだけ上げてから、どーんと落とすのは悪い行動だと言いたげな、観衆への嘆きと冷やかしです。「君らはどっちやねん」「態度が矛盾している」と。

この嘆きと冷やかしに潜むものは、縁故社会の度合いだと感じます。好調時に称賛したら味方同士の関係になり、味方なので不調を見逃してやれという人情があるのです。つまりほめるだけの味方と、けなすだけの敵の、二種類にきっちり分かれる前提で考えているのが日本式なわけです。

これは往年の社会学的考察にみる、ムラ社会性が疑われます。ひいきの関係で回転する、お友だち内閣とか政府の諮問委員会みたいに、無批判のスルーが好き。そうした縁故重視に対して、イタリア方式の日本人も増えたのかも。今回の試合という「新作」だけを採点して、過去の名作を評価に混ぜない感覚が日本にも増えた。

何年か前にゴッホ作とされる絵が見つかり、ショボい出来でした。ゴッホらしさがない習作です。世界の美術館は、アートは内容が大事だとして低評価を意思表示しました。ところが日本の関係者が高く落札して、アートは内容よりネームバリューなのだと世界に意思表示しました。
2017/08/26

アスリートのドーピングとアーティストの盗作

WBCボクシングで、山中選手のTKO負けニュースが話題でした。具志堅選手の13連続防衛記録に並ぶかというタイトルマッチで、一度もダウンしないままコーチがリングへ上がり試合を止め、「神の左手」がさく裂せず不完全燃焼の4ラウンド。

これで引退だから、果たして棄権が早すぎなかったかがテレビで議論されました。「打たれたダメージはそれほどなく、いつもの逆転勝ちの余地があった」「相手のペースだったから、続けても身の危険があった」など対立意見が噴出して。

ところがチャンピオンベルトを奪取した相手選手は、その後の検査で来日前の禁止薬物ドーピングが発覚し、没収試合になるかもという。山中選手を棄権させたことが妥当だったかはもう過去の議論で、今はベルト返還や再試合の議論へ移った目まぐるしい展開です。

オヤジ談議ならともかく、評論家やスポーツ記者が書いたスポーツ新聞や専門誌はどうなるのか。元挑戦者の好調と、元王者の不調を細かく取材した入魂の分析も、全て的はずれな結果論になるわけです。敗因分析も全く無意味だったという。

似たことは五輪でもあり、ハンマー投げの銀メダルが金に繰り上がった以降、日本も何度か巻き込まれました。表彰台の映像と公式記録で顔ぶれが食い違う、おもしろくない事態です。八百長でメダルを奪ったと、アクセス広告狙いのフェイクも現れるし。後で結果がくつがえる心配が大きいのなら、評論家たちも真剣に論じる熱意が落ちる。

美術で似ているのは、コンテストの受賞作が盗作だったケースです。違法ドーピングでの一位だったわけで、創造力や感性を称賛した文章は、勘違いの妄想みたいに浮いてひどい被害。数年に一度の騒ぎでも、美術業界の悪いイメージが抜けなくなっていきます。
2017/07/29

価格破壊するほど世知辛くなる国内経済

日本は製品もサービスも質が高いと外国から称賛されますが、やりすぎと言う声もあります。サービス残業だとか。価格破壊だけでなく値上げで飛び出したU社は、付加価値つきのワイシャツを高く売り始めました。通常1600円ほどのワイシャツを、部分オーダー可能で2900円にしたという。

この商品を買ってリポートしたニュース記者がいて、普通なら7000円するオーダー品を、ここまで安くできたU社をたたえました。続いて欠点もあげ始めました。ここも、そこも、オーダーできればベストだったと、他社とくらべた不足分を次々と指摘したのです。

「出たあ、モンスタークレーマー」と、ネットに飛び交う批判。「安物に高額品の高性能を強いる悪質ユーザー登場だ」と。他社より不足しているから安くできるわけで、全部そろった商品なら2900円でなく7000円で売るのが道理です。

「安い価格」の意味を、勘違いする人が増えた指摘があります。相場より安い製品は、必ず劣っています。一例が激安トンカツ弁当で、ISO14001に則って廃棄された古いトンカツの生ゴミを、途中で誰かが拾い集めて入れたから激安で出せた話。ゴミのおかずをやめたら、弁当の価格は上がる。ゴミを詰めたから安く食べられる。

逆に妙に高い弁当が美味だった体験は、駅の売店などであります。それを思い出したきっかけは、パソコンパーツです。「玄人志向」なる国内ブランドは、サポートが弱点だとの勘違い苦情がやはり出て、別の人に叩かれていました。玄人並みユーザーの自力救済を条件に安価だと、企業理念に書いてあるから。

パソコンパーツはボックス(リテール)品とバルク品に分かれ、ハードディスクなら12000円と7000円の違いがあります。中味は全く同じで、安い方は部品に詳しいユーザー向けです。しかし最近、中グレードの電源ユニットを買うと初期不良でした。不良品に慣れたユーザー向けか。
2017/07/22

日本温暖化はなぜ起きたのか

暑い一日が連日のニュースネタですが、過去との比較で「昔はここまで暑くなかった」という言い方が聞こえてきます。データとしても、日本は昔よりも最高気温や平均気温が上がっていたはず。そして、その理由はわかりきったことです。

昔の暑さはましだったとカメラに答える人は、今の方が太陽エネルギー照射が増えたという、例の地球温暖化をイメージしているのかも知れません。しかし世界の科学者が恐れているのは寒冷化の方です。日本が暑くなった最大の原因は、単にペイヴメント面積の増加です。

造園分野には、地面に敷く素材で周囲環境がどう変わるか、データハンドブックがあります。土や芝生、池などにくらべ、アスファルト、コンクリート、レンガ敷きなどは、はっきり体感するほどあたりの気温が上がります。赤外線の輻射を受け、周囲に伝導するから。文明の進歩で、都市が暑くなるパターンはこれです。

都会を歩くと、さらに冷房のラジエーターからの送風が歩道に吹いたりして暑い暑い。街の中に空き地や鎮守の森、沼地などが減って駐車場やビルに変わると、どんどん暑い夏になっていきます。田舎を都会に変えると暑い夏が来るもの。

こうして硬質な素材で地表を覆うことで、地域の気温統計までが人災的に上がる変化を、ヒートアイランド現象と呼んでいます。それを裏づける証拠は、ネット地図に見られます。グーグルマップで故郷を見ると、山も谷も田園風景も消えて均質な住宅地になっていたり。昔より暑いはず。

そして自然が残っている所は涼しいままだけれど、限界集落となり人が住むに適さなくなっているようです。ある人口密度を境にして、住宅地がゴースト化していたりもします。涼しい地は人がいないのだから、ここは涼しいぞと言い出す声もなく、暑さを訴える声ばかりが集まるわけです。
2017/06/11

美術よりも早くひっくり返ってしまった野菜健康法

日本で売られる鶏肉はブラジル産が多く、輸出元の食品不正があって各国で禁輸となっていましたが、最近解けました。しかしそうなる前から、アメリカでは輸入禁止対象だそうです。アメリカが禁止するとは相当なもの。

危ない食品をあげていけば、食べるものがなくなると騒ぎが起きたのは、1960年代でした。語りぐさがあり、香り高いジュース類が無果汁だと雑誌『暮らしの手帖』が暴露したのがひとつの事件でした。

最近では、ニュースに多い小麦アレルギーとは別に、出回り始めた警告は野菜です。一昔前の日本では、野菜は健康に良く肉は悪いとされました。たぶん当時のチョコレートやピーナツと同じで、肉は値段が高かったから、買わない理由が後づけされた気がします。つまりイソップのぶどう。

ところが1990年代に学者が「野菜には毒が多い」と生物学の基本を告げて、近年は信じられ始めたのかも知れません。野菜の毒はジャガイモの芽やホウレンソウのアクが連想されますが、動物に食われないよう全般に毒素が多く、新しい話題は年月経て悪影響する遅効性物質です。後年になって害が現れる毒。

健康食品でもある植物性オイルにも、長年かけて脳障害を起こす物騒な説が出ています。日本に菜食主義が流行らないのは、もはや輸入肉が安価で地場野菜が高価になった逆転もありますが、確率的なリスク分散を図る合理性もある気がします。賭けをせず、どの馬にも賭けるローリスク・ローリターン。

美術ではよく駄作と名作が交代しますが、その変化は時代をまたいでスローです。一方で、コーヒーや卵やスイカの評価が変更される早さを思えば、美術は価値が長続きするたとえに使えるほど安定しているのかも。
2017/05/02

車で出かける行楽シーズンの思わぬ危険

大型連休は行楽日和ですが、高速道路のサービスエリア(SA)のトイレで手を洗う時に、一瞬迷うのは水道の蛇口です。レバーを回す手動もあれば、手をかざすだけの自動もあります。気になったのは、レバーを下げると水が出るタイプと、レバーを上げると出るタイプです。

当然ながら水は下へと落ちるので、レバーを下げると水が出るなら、イメージが合致します。逆に上げると出るなら、人間の感覚の道理、人間工学にさからっていてミスを誘います。水を止めようとしたら、逆にジャーと激しく出たりして。鏡を見ながら紙に絵をかく難しさと似ています。

問題はこの手の人間工学無視を、よく売れている車で行っている点です。前にこちらでAT車のペダル踏み間違いが起きる主因を世界で初めて詳細に記し、芸術の本に加えて出版しました。ところが足ペダルとは別に、手でギアを入れ間違う新しい失敗事例が日本で増えています。

事故を起こした車のギアは、レバーを前へ押し込むと車がバックし、レバーを後へ引くと車が前進するという、水道蛇口の逆転と似た設計になっていたのです。ユーザーは不思議体験ミュージアムにいるかのように、レバー操作するたびにクイズ解きをやらされます。錯覚を起こせば病院へ直行。

こうした予想外の作動であっと思わせる遊びは、本来ならアート分野でやるべきなのに、デザイン分野でやって死者が出ています。デザイナーとエンジニアは設計ミスだと認識し、意地になってでも動作方向を感覚に一致させるべきでしょう。あべこべはそろそろ終わりにして。

日本がMT車ばかりだった頃、AT車を売り込む時に安全性の根拠として、ATレバーのポジション配列が全世界で共通だという説得が出回りました。今は共通になっていません。美術の多様化を喜ばないようなカタブツが、機械操作のデザインで多様化に入れ込むのは、困った流れです。
2017/04/25

事故の論理という本

テレビや新聞などマスコミとは違い、新興のネットにのみ真実があるというネット優位説が聞こえてきます。ネットに真相が出ることが多いのは確かですが、圧倒的に虚偽が多いから真相にたどりつきにくいのも、ネットの現実でしょう。

そんなネットで商品名を探すと、今発売中のショップページが大量に並びます。が、絶版になった過去の名著『事故の論理』は、言葉自体がネット上に全くないとわかりました。『事故の論理』とは、国鉄の事故調査部署の長が記したドキュメントでした。

列車事故の報告書から抜粋し、なぜ起きたかの理由を解き明かした一般向け読み物で、新書版だったような。印象に残っているひとつは、行く手が赤信号なのに列車を走らせた正面衝突の大事故でした。大勢が亡くなったのです。

「信号の色に注意せよ」という教訓は無効です。なぜなら信号は青だったから。運転士は青信号を確認して列車を進めたのでした。夜の暗がりに浮かぶ信号、その色は赤ではなく青だったことは確か。その青信号は、鉄道用と同じ方向に見える遠方の道路信号機でした。一瞬取り違えたことが、調査と実験でわかったのです。

その本もきっかけだったか、外国人が日本の列車で驚く、あの安全策が生まれました。運転士が信号機を指さし、「信号は青を確認、進行しまーす」と声に出すあれ。行動を自分に解説しながら運転する。ヒューマンエラーを誘う要因がたまたま集中する確率を、自力で下げる方法です。

今日で12年たつ宝塚線の107人死亡事故は、若い運転士が到着遅延の罰則を回避しようと、熱くなって飛ばした脱線と解釈できます。到着の遅れより速度超過の方が罰則が大きいのだと、音読させるマニュアルも必要でした。責任の9割は、本来プレッシャーに弱い人間の脳のはたらきに、上司たちが認識不足だったミス。過労自殺と共通する現象でしょう。
2017/04/11

良貨と悪貨の論理でビットコインを楽しむ

最近また、放送でビットコインが宣伝されています。円天やセカンドライフを識者たちが絶賛したパターンと似て、国民に警戒される理由は複数あります。仮想通貨でなく決済法や投機商材だとする見解もあり、存在目的がぶれること自体が不安定要因です。

ビットコインに懸念する声に、ののしる書き込みが多いのも特徴。「参加しない者は時代遅れのバカ」と言い切った、過去の大型詐欺事件の勧誘とそっくり。本当に良い物なら、叩かないのがヒトの心理です。ちなみに、既参者は新参者が増えると資産アップするねずみ講の機能があり、買った人が勧誘に回ります。

米ドル、ユーロ、円、英ポンドの四強と違う不安定な通貨の国には、以前から代替貨幣願望があります。要は中国の国民が自国通貨を国外持ち出しするために、疑似通貨を必要としているわけです。日本でも2017年4月から仮想通貨法が施行され、目的は来日した中国人が高額商品を買いやすくすること。

仮想通貨の最大の利点は、当局に知られずに資金を動かせる点で、アングラマネーとマネーロンダリングがユーザーが喜ぶ利点です。だから現に、日本で大金が消滅した事件の犯人は、結局何をどうやってもわからずじまい。

副次的な利点として、決済の手数料を安くできる効用もあります。理論上は。従来の正攻法で日本からドイツへ展示活動費を送ると、特にユーロレート加算部分のコスト負担が大きいのです。国境を越えると大きく目減りするのも現実。

しかし捕捉できない超自由主義で世界は不安定になるはずで、仮想通貨の根底には無政府主義願望もあり、何となく現代アートの一部にみられたアナーキズムと親しい方向性です。国を壊して世界を組み直すおもしろさの一方で、安定と秩序を今も保つ最古国日本に欲しいのは、こうしたデフレ促進要因とは逆方向なのも現実。
2017/02/27

アカデミー賞の受賞作発表ミス

映画の第89回アカデミー賞で、プレゼンターがアナウンスした作品賞の受賞作が間違っていたハプニングです。受賞スピーチが途中でストップされ、別作品が発表し直され会場が混乱したという。プレゼンターが渡されたのが、女優賞の使用済み封筒だった手違いだそうで。

あり得ないし信じられないという声や、故意に場を混乱させようとした芝居説も出ています。が、何かの渡し間違いは起きる可能性が常にあります。こちらにも覚えがあって、1990年代後半のスキー旅行で起きました。

毎回、団体の幹事をやっていました。早朝に列車を降りてチャーターバスに乗り継ぐ時に、バスの切符を渡すと。バス会社は、「うちの会社と違う」と言い出したのです。「そんなわけはない、旅行会社から渡された切符はこれです」というやりとりが続きます。

相手側の運転士や係員たちも皆出てきて、「これはうちじゃない」「これでは乗れない」と口々に言います。15分もたっていて、バスの中には他の大勢のお客と、こちらの仲間も満員状態で乗って待っています。事前の切符の発行ミスが考えられ、どうしようかと考えた時、ふと思いつきました。

「もしかしてこういうことか」とカバンの中を探すと、ありました。往路の切符が。切符は2枚ありました。山に登る往路と下山する復路で、バス会社が異なっていたのです。行きに帰りの切符を提出したから、わが社でないから乗れませんと相手は言うしかなかったわけです。

気づいてしまえば全くバカバカしいミスですが、あの時は全く気づきませんでした。発想が念頭にない以上は、起きていることを起点にするから、注意深くなりようもなく。当然ながら相手も、「これは帰りの切符でしょ?」と思いつきもしないわけです。アカデミー賞のケースも、対策は浮かべることができても、責める気にはなれず。これが人生なのでしょう。
2016/11/24

アメリカ大統領選挙後の火種と勝負ごとの真実

ドイツのメルケル首相が四期めを狙う選挙の前に、アメリカで大統領選挙後の火種がまだ残っているようです。投票の管理コンピューターで不正があったかもと、状況見分で言い出す勢力があるらしく。

しかしそれ以前に、選挙人制度という方式に、ややすっきりしないものがあります。クリントンの敗因とトランプの勝因を分析するオピニオン記事は、日本でも次々と出されています。が、今回の勝敗はこの間接投票制度によって偶発的に生じた結果になっています。

というのも、アメリカ国民はクリントンにより多く投票したと、とっくに公表されているからです。国民投票だとクリントン、その命を受けた選挙人投票だとトランプという、ねじれた得票が国家分裂をよけいに演出しています。

クリントンに入れた国民が多いとわかっている以上は、クリントンが国民に背を向けられた理由やトランプが愛された理由を分析する意味がありません。日本でも多くが飛びついて女性差別を嘆いてみせた「ガラスの天井」は、アメリカ国民によって見事に壊されていたわけで。

論じるなら、なぜクリントンは同じ民主党のオバマの後に、なお過半数の国民に支持されたのかと、なぜトランプにワーキングプアでない層も投票したのかという、二つが柱でしょう。加えるなら、一票の重みに不規則な大小をつける選挙人制度の話題も。南部に多いアフリカン対策だったなど。

ところで、政治分野で言うような勝ち負け論は、芸術ではダウトです。逆の価値観の採点者に交替すると、最高と最低が入れ替わる恣意的な世界だからで、作品の勝因や敗因はそれこそ神の領域にある分野です。その神の実体は、現実的には後世の子孫のようですが。