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2021/01/16

全米ライフル協会が解散しNY脱出?|TPP改めFTAで銃規制は変わるか

全米ライフル協会は銃器と兵器の製造業が中心の組織で、アメリカ最大のロビー団体です。銃規制を公言した議員を落選させる激しいキャンペーンでも知られ、議員たちは銃規制を強める政策を口にできません。

その全米ライフル協会がNYを出てテキサス州へ移る話があり、団体を解散して再結成する計画だという。汚職問題が関係するそう。そこでこちらも、日米がTPPで合意すると日本の銃規制が変わるかもと踏んでいました(その後FTAに交替)。

TPPはアメリカ合衆国憲法の下位にあり、日本国憲法の上位として定義されます。基本的人権の尊重をかかげる日本国憲法とて、アメリカ企業がTPP裁判に告訴すると、判決は日本国憲法に優先するので、一企業が相手国を壊せる仕組みです。

自由貿易で最初に壊される日本の制度は、軽自動車規格と国民皆保険制度とされます。日本政府が国民を保護すると、アメリカの車や高額保険の権利を損ねるから、福祉のないアメリカに合わせるよう、アメリカの裁判所が命令を出す仕組みです。カナダ国は全ての裁判に敗れていました。

それを銃にあてはめると、日本でもコルトやスミス・アンド・ウェッソンの薬装式連発短銃を庶民が買えるよう、法律の変更を迫ることができる理屈です。日本では競技用の単発短銃(ラピッドファイアーピストル)を国内に50人だけが持て、自宅ではなく警察署に短銃を保管する規則です。

輸出販売チャンスを失わせる障壁として、銃器メーカーがアメリカのTPP裁判所に訴えると、日本は銃社会に強制改革される理屈です。今後さらに貨幣発行を断ち、貧困化を進めテロの機運を強めれば、日本人の武装したい民意は高まるはずです。福祉制度は今以上に嫌われ、弱者の撲滅を国民は支持する恐れがあります。
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2020/11/05

アメリカ大統領選挙の不正と伝統文化のドラマ|メートル法でない世界

パソコンを自作すると、ハードディスクや電源やケースと、フロッピーディスクやDVDドライブの止めネジが異なる不便を知ります。開発元がアメリカか日本かで、インチネジとミリネジの違いです。ミリネジの方がネジが小さめで山が細かい。

これがいまだに世界を分断する、英米のメートル法拒否問題です。車のスピードのマイルやゴルフのヤード、水量のガロン、ボクシング体重のパウンドなど、世界の10進数と違って計算しづらいし、端数処理がラフで科学では不便です。

アメリカ大統領選挙で毎度話題になる「選挙人」の数も似て、2026年に建国250年になる歴史の中で、受け継がれてきた伝統文化です。アメリカ国民の合理性には昔から疑問符がつき、日本以上に日本らしいと言われたりもします。

今開票作業をやっている共和党トランプ対民主党バイデンの大統領選でもめているのは、またしても郵便投票です。不正の温床だからです。民主党が強い大票田で、なぜか郵便投票率が高い州があり、郵便投票分を加えると民主党の票が伸びたことがあるのです。

改めて数え直すと有権者数を超えていたり、投票用紙が家に届かなかった苦情や、なのに投票済みになっていて排除された事件がありました。日本でも期日前投票で、なりすまし投票の発覚が何度もありました。投票に行かない人から購入したか、団地のポストから盗んだ疑惑でした。人類に不正選挙はつきものです。

州制度の特性で自治州の勝手にできるから、トランプ大統領は投票日より後に届いた郵便投票を無効にする裁判の構えです。それでも抜本的見直しをやらないで繰り返すのは、伝統文化を守る意識なのか、利害の思惑なのか。縁起もあるかも。
2020/09/23

オリオン座とさそり座が交替した夜|コロナから半年で冬へ向かう

夏が終わり冬へと向かう、そのしるしは天空にはっきり。深夜1時の東の空に、早くも横倒しのオリオン座が完全に昇っています。新型コロナが始まった頃、そこにあったのはさそり座でした。ともに季節の星座で、さそり座は蚊取り線香の香り、オリオン座はひんやりして無臭。

深夜の天頂に今火星が輝き、南西には木星と土星が並んでいます。より明るい惑星に目を奪われますが、恒星を図形化した星座は、公転で毎日少しずつ動いて、自転で毎分少しずつ動いて、ともに東から南を通って西へと消えます。

これに緯度が加わります。東京は北緯36度、ベルリン市は52.5度。差は16.5度。まずベルリン市では北極星がより高くなります。周囲を取り巻く大くま座(北斗七星)やカシオペア座や、近くにたどれるアンドロメダ銀河は、下がった位置も高めで常に丸見えです。

一方で南天の下部が東京より削られます。公転面を延長した黄道上にあるさそり座と、近い緯度のオリオン座とも、ずいぶん低い位置で家々に隠れやすいでしょう。日本では明快に輝く全天一の恒星シリウスは、ベルリン市では地平線ぎりぎりにあるでしょう。

これらの恒星は全て我が銀河系のメンバーであり、しかしアンドロメダ銀河だけは隣の団体の全体像です。肉眼で見えても距離は地球から250万光年で、600光年にあるオリオン座ベテルギウスの4千倍の遠方で、人が行くことは不可能です。

地球の生物以外の宇宙人がいて、地元で絵画展覧会を開いている期待は、NASAのあいまいな発表のせいで高まっています。そして将来、アンドロメダ銀河は銀河系と衝突します。だんだん大きく見えてきて、衝突寸前の光景はすさまじいかといえば、実際はスカスカの真っ暗なはずで、これも何かの教訓になりそうな。
2020/08/10

核兵器廃絶に反対する日本と核兵器不拡散条約|芸術関係者の反応

昭和の時代には、日本の芸術家、アーティストと呼ばれる人たちは当然、核反対の立場でシュプレヒコールに加わっていました。今では事態の複雑さや必然的に起きる矛盾を認めて、冷静に考える人も増えたように感じます。

日本で検証されないまま惰性的なのが、核兵器の是非論です。唯一の被爆国なのに核兵器禁止条約には不参加です。理由は、日米安全保障条約と呼ぶ軍事同盟でアメリカの核で武装している立場だからです。

検証が不十分なのは、その核があるために他国からの攻撃を免れている効果です。たとえばドイツは国内に核兵器を置いた共有国で、対ロシアの抑止力としてミリタリーバランスが計られています。日本では核弾頭などを船から上陸した記録は知られず、国土に置いていないはずですが。

核を持たない国より持った国の方が、少なくとも自国を安全にして安定させられると証明されています。9.11後のイラク戦争もそうで、誰もが奇妙に思っているのが「イラク国は直接関係ないのになぜ?」でしょう。結局イラクの石油など国営企業は、その後アメリカ資本がオーナーになっています。

フセイン大統領と、その後リビアのカダフィ大佐も、国内の勢力に惨殺されるのを食い止めなかったアメリカの、決定的な汚点になりました。核計画を立てて放棄した者を、アメリカが生命保証しなかった悪い実績です。

逆の現象は前に起きていました。長年不仲なインドとパキスタンは、ともに核兵器を持つとケンカがやんで、安定を取り戻した困った実績があります。核を持てば国が滅ばない現実があり、核兵器廃絶の説得力に穴があいています。
2020/05/08

新型コロナウイルスは段ボール箱で何日生きる?|荷物や手紙の汚染時間

美術品を送る段ボール箱や申請書類の封筒などに、コロナウイルスが付着していると、どの程度危険なのか。その情報がブルース・リーによって報告されています。雑誌フォーブス・ジャパンのサイトにあります。

空気中に浮遊する細かい物質に付着した場合は、最大3時間生存できるそうです。銅だと4時間、段ボールだと24時間、衣服は24時間と予想、プラスチックやステンレスは72時間だそうです。銅で短命なのは殺菌効果でしょう。日独間で荷物を送れば中は安全で、外箱も丸一日放置すれば安全みたいです。

吸水性のある物ではウイルスは短命で、硬質なものだと長生きし、でもその程度です。かつてインフルエンザウイルスでは、湿度によって寿命に大差があり、温かく湿った室内では数時間、低温で乾燥した環境で4日から7日と言われました。

ウイルスは本当に生物かという議論もありました。普通の生物は細胞内のDNAが二重らせんで、二つがバックアップになっています。しかしウイルスはRNA型で一個のらせんなので、自分が別物に化けるのを防ぐメカがありません。哺乳類の免疫を無効化して、何度も感染する理由です。

それ以前によく言われたのは、寄生している本体を死滅させる矛盾です。ウイルスが住む場所を失う自滅行動です。プラスチックやステンレスの表面に引っ越ししても3日きりでおしまいなのだし。こうして自己保全しないから、生物の定義に当てはまりません。

なぜ今ウイルスかは多くが気づいているように、グローバリズムという現代思想が最大原因とされます。人・物・金の国境をなくし、国家間を自由に動かし、資本家の利益を極大化させる手段。過去にも同じ思想下で起きていました。人・物・金の移動を制限することを、極右と呼ぶ現代に蔓延したのです。
→フォーブス誌サイトの記事
2019/03/15

カリスマ政治家の登場を待つ世界の人々|低迷し行き詰まると超人願望

日本の総理大臣は常に「降ろし」の声にさらされます。現総理にやめろの声がかかるのは、憲法を変える目標を公言しているからでしょう。防衛力は強めずに弱めよという声が集まりました。一方で、難解なデフレ経済悪化への批判は少なめ。

それが異例の長期政権となった理由は、代わりがいない悩みです。国民が願うのはカリスマ総理大臣で、誰かものすごく有能な人が現れたら、日本の問題は根本から解決するのにという願いがあります。東京都知事と大阪府知事の選挙でも常に言われてきました。

郵政民営化のあの人が総理大臣になった時、美しい写真集と自伝が大ヒットしました。やっと本命キターと。結果はワーキングプアを激増させる元年となり、日本の最新技術(ハイテク大企業)が外国の手に次々渡っただけだったねと、年月を経て評価も転じました。

日本にシャッター通りを定着させたのは消費税5パーのあの総理大臣ですが、リーゼント総理と呼ばれた後、下ネタまで出てすたれたきり。時のカリスマ偉人とて、後で皆が冷静になれば煩悩多い一人の人にすぎず、中味が特別すごい超人は現実にはいないわけです。裸の王様だらけ。

3月が予定だったイギリスのブレグジット(EU脱退)は、暗礁に乗り上げました。そもそも脱退を進めるメイ首相は脱退反対派なのに、脱退推進派が次々去った後始末に回る不遇です。グローバル社会と民主主義が合体困難な治世の難易度が、人の能力を超えてしまった意味にみえます。何となくユーゴスラビア状態。

カリスマをわかりやすく示すのが美術作品で、当時の大ヒット絵画が後退し、代わりに後世の教科書を占めたダメ絵画列伝は、印象派やゴッホ限りではないわけで。それで、近代の巨匠画家には自伝があまりないのでしょう。
2018/08/06

東京医科大学の受験点数操作のイカサマ|隠された深刻な性差も多様に

私立東京医科大の受験で、女子と男子浪人の試験点数を減らして不合格にしていたニュースが、世界に発信されました。当初は女性差別だとして、マスコミでも騒ぎになりました。差別に抗議するデモも起きて。

大学病院と系列大手医院で、女性医師だと当直に穴があきやすい問題が指摘されました。だから男子学生を増やしたという。これは弁解のやり損ねで、当直のローテーションを工夫せよとか、長時間労働をなくせ、育児負担を女性に押しつけるなと、受けのよい批判へ世論が向かいました。

問題は科目です。女子の合格が増えすぎると、切断した腕をつないだり、心臓の穴をふさいだり、肺や頭部を切開する外科医が減りすぎるのです。代わりに皮膚科、眼科、麻酔科、産科、小児科が増える現実があるという。ローテーションや育児休暇どころでない、人命救出の悩みでした。

だから、男女の定員枠を決める手が正解でした。すると女子は競争倍率が上がり、最低偏差値が上がり、受験生は減ります。女子からの受験料収入は落ちる。そこをイカサマして、受験料を奪う詐欺事件だったのです。

ただし金欲しさにみえても、差別議論の回避で始めたイカサマだったのかも知れません。たとえばビルの便所掃除は、女子便所もあるから女性しか採りません。異性のトイレへ入るのは、女性のみ許される。しかし男女差別する管理会社にみられたくないから、男性も応募させて奇問試験や面接で落とす策略がありました。これの大学版かも。

患者をメスやノコギリで切り込む難しい手術は、女子医学生の進路希望が少ない。この性差を、医学部が国民に打ち明けられない理由が焦点です。国民は医学部に対し、「どうか定員枠を設けてください」と命ごいする必要があります。その陳情場面なら、生々しいルネッサンス絵画にありそうだと想像してしまいました。
2018/06/26

強豪セネガルに日本は勝てていた試合なのか|ワールドカップ2018

昨日の早朝のサッカー試合は2対2で引き分け、日本は3勝はなくなったものの、イエローカードの少なさでグループリーグを突破できる確率が100パーに近い。ところが今度は、ゴールキーパーへのバッシングが起きています。世界からも。

キャッチした場所がゴールの中だったとか、ボールをグーで前方へはじいたら、すぐ前にいた相手の足にはね返され、ゴールに入った場面。各国からコメディー扱いされていて。それさえなければ、日本はセネガルに勝てていたとのため息が出ています。

しかしサッカーの「たられば」の分岐予測は、他の競技よりも外れる確率が高いでしょう。勝てそうなら負けて、負けそうなら勝てる異様な不安定さが、ゲーム中にも作用するからです。

何ごともなくキャッチしていたら、双方の選手たちの心境が順当に推移し、前評判どおりだったかも知れません。「コメディー」が互いの目に入り、全員に心理的カオスが起きた計算も必要でしょう。事態が深刻だと感じた側が、攻める気持ちが高まるなど。

勝ち負けのパラドックスが法則どおり双方に起きたから、海外で言われた「ジェットコースターのような」あっちがゴール、こっちがゴール、あっちがゴール、こっちがゴールとなったのかも。思い出すのは、2011年の日本女子の決勝戦です。それが男子でも起きました。

70日前の監督の異常な交替で、カオスが選手の心理萎縮を解いて奮起につながったのかも知れません。3年指導した日本人監督が異常解任され、急きょセルビア人監督に差し替えても、似た展開が起きた疑いです。その根拠は、運動力と思考力は選手の内部にあるから。
2018/03/08

パラリンピックのアルペンスキー|メダルの値打ちの不安定は美術並み

冬のオリンピックのたびに、日本のアルペンスキーは地味でした。オーストリア、ノルウェー、ドイツ、スイス、フランスなどアルペン強豪国には伝統の蓄積があるとされ、日本が及ばない理由が様々言われてきました。

一方のパラリンピックは、日本も存在感があります。2014ソチでは、チェアスキー(シットスキー)の男子滑降とスーパー大回転で日本は二冠でした。

そのアルペンコースは容赦なく荒い中急斜面だから、転倒も激しい。片足で滑る選手がギャップで大クラッシュしたり、視力がない選手はマイク通話しながらも前走ガイドに追突したり、ゴール後に止まれない転倒も多い。

そんな中、チェアスキーは一本スキーのかかし状態で、スタンス幅や前後差、外向外傾もプルークもステップもなく。ひざ屈伸はコイルバネで代用され、時速120キロに達して荒れた部分で飛びはねて怖い。でも上位選手はさすがにうまい。

長野の頃はカテゴリー細分化でメダルの総数が多かったのを、後にハンデ制で同じ土俵にまとめてメダルを減らしました。それも含めメダルの重みは安定せず、価値の公平性がすっきりせず、パラリンピックと距離をとる人も世界に多いのではないかと。

成績の価値から離れてみると、スキーの激しさと難しさが残ります。その点は美術も似て、作品の値打ちから離れたら、もっと作品に近づいた鑑賞ができるでしょう。現実は、どういう価値を持つのかに気を回すあまり、作品と距離をとることになりやすいのですが。
2018/03/07

日本女子パシュートの待って待って待って|アルペンスキーの都市伝説

テレビは理解を広めるのが早い代わりに、早合点した誤解を広めやすい欠点もあります。スポーツ選手の中にも若いなりに言葉を選び、誤解を解こうとする場面がみられます。

平昌オリンピックのスピードスケート女子パシュートで、日本が優勝した直後のテレビ番組。準決勝に出て決勝に出なかったメンバーを、「四番手の控え」と呼びました。チーム側が聞いたら、それはないよとなりそうな。

スキージャンプ団体などと異なり、団体パシュートは同時に固まって滑走するのが特徴。データに基づいた組み合わせと隊列で戦略を組み、互いが互いを非常に頼る役割分担となり、チーム内に番付け序列と違う構造があるはず。一家の父母を番付けしないのと似て。

変わって、80年代末に年長者が語った話。「海外のアルペンスキー五輪メダリストと、日本の指導的プロスキーヤーが番組の中でレースした。日本のプロが楽勝し、アマチュアが出る五輪は格下と知った」「五輪金の欧米選手より優れたスキーヤーは、日本にゴロゴロいるとわかった」と。

待って、待って、待って。アルペンスキーの聖地キッツビュールの滑降コースを完走できた日本人は、1987年から31年間いません。ところが2018年に56位に入りお祝いだという。回転種目でも、1956年の猪谷選手以来62年間メダルはなく。ゴロゴロどころかスッカラカン。

「学校のプロ美術教官は、歴史名画より上の絵が描ける」みたいな誤認識は、バラエティー番組の演出を真に受けたのでしょう。いや待って、待って、待って、絵には旗門不通過や転倒はなく、完成できて勝算もあるかも。
2018/02/25

五輪アルペンスキーが日本は弱いのはなぜか|思想面の分裂も疑われる

平昌オリンピックの閉会式がやがて始まります。今回はスケート種目の伸びと、カーリングなど初メダルや入賞があった陰で、アルペンスキーはほとんど空気でした。滑降、スーパー大回転、大回転、回転。昔から言われてきた、「日本のアルペンスキーはなぜ弱い?」の疑問です。

答は「勝ちに行かないから」で、こうやれば勝てる道理から逆算した準備が足りないせいです。準備のひとつは、異常に雪が荒れたコースです。荒れたコースは国際スキー連盟の策で、気持ちよく整ったコースで下位選手が勝つ番狂わせを防ぐため。

気持ちよく滑れるコースでポール練習ばかりやっても、オリンピック本番は飛ばされたりつまずいて完走も難しい。実際に日本のトップ選手は、繊細な技術はあっても、序盤のポール不通過や転倒が昔から多かった。

整った氷上で自分を出すスピードスケートと違い、ウソだろ?という起伏とガサガサ雪の危ない斜面を、スキー選手は滑らされます。スケートと違いスキーは障害物競走でもあり、きれいにかっこよくきめるゲームでなく。

その結果を指して、体格が劣る、体重が軽い、手足が短い、スキー人口が少ない、性格が向かないなどの理由づけが百出。こういう場合に真っ先に疑うべきは、組織が思想的に分裂していないかです。勝ちに行く合理的な解決へと、焦点が結ばない何かがないか。

この着眼で日本の美術をみると、思想的な分裂みたいなものは確かにあるでしょう。一例は、お手本に似ていることを芸術と呼ぶ派と、似ていないことを芸術と呼ぶ派の対立です。二つの思想は完全に逆だから、間にはさまった画家は迷って中途半端になりやすい。
2018/02/20

スキークロカンのワックスでドイツ勢に完敗|美術の細いペン画みたい

スキー複合個人ラージヒルの渡部暁斗選手は、ジャンプがトップなので金メダルに近づきながら、結果はドイツ勢三人が表彰台を独占。やはり気になったのは、体重以上にワックスが合わなかった疑いです。

スキーやスノーボードの裏面のワックスは、雪質によって変えます。日本国内でも、鳥取、長野、北海道の各スキー場で使い分けることが多く。雪温が高いと撥水性向上、低いと摩擦軽減のために、パラフィンやフッ素樹脂などの固形ワックスが多種製造されています。アイロンで溶かして塗ります。

草レースだと選手が塗るわけですが、ワールドカップや五輪ではワックスマンが同行し、当日の雪質を分析しワックスを選びます。「スキーが滑らなかった」という声は、ワックスが雪温と雪質に合わなかった意味です。

ワックスがあまりに合わないと微妙な差どころでなく、何となくつんのめって後傾に構える重い感覚が起きるなど、初級者でも滑走性の悪さに気づきます。冬の五輪で純粋にタイムを競う種目は全て、空気抵抗とともに雪と氷の摩擦との闘いになっています。

ワックスの失敗を選手が訴えないのは、ワックスマンに全面的に頼っている理由もあります。ドイツ選手がそろって好調だったのは、ワックスかストラクチャー(裏面の細かい刻み加工)のノウハウもあったのかも。

マテリアル選びは美術でもあります。一歩離れるとかすんで他人に伝わらない絵は、線が細すぎるペンが原因なのも見かけます。世界に挑むには太くて繊細に見える絵へと、やり方を変える必要もあるでしょう。
2018/02/13

2018平昌オリンピックは強風で波乱|スポーツとアートの公平性の問題

冬のオリンピックは、全員が公平にはなりません。スキーの回転や大回転は、ポールや旗門のきわを皆が回り、徐々に雪が掘れ自分のラインどりが難しくなります。そこで塩類をまいてアイスバーン化し、ランキング順に一本滑り、タイムの逆順に二本目を滑って合計タイムで競うなどが対策です。

雪と氷の宿命で足元の状態が皆違い、だから夏の大会ほど厳密性がないのは確かでしょう。そこでジャンルごとのワールドカップのシーズン成績と照らし合わせて、リザルトが順当か波乱かを観客も計算に入れて見ることになります。

平昌オリンピックで、スキージャンプ男子とスノーボード女子スロープスタイルは、法外な強風で波乱となったようです。「でも全員が同じ条件だから、言い訳はやめよう」という声もありますが、そんなわけはありません。

仮に選手一人の体に吹きつけた強風のエネルギー量が全選手とも等しくても、吹きつけたタイミングは異なります。その瞬間の姿勢によって運悪く転ばされたり、運良く無傷だったりします。

そこまでの波乱はなくとも、公平のばらつきは美術の団体展でもあるでしょう。会場のどの場所か、隣に何が来るかでビジュアルな干渉が起きたり。自信作が低評価となった時、位置の不運を嘆いたり不満もあるかも知れません。しかし自分がよい位置を占めると、他人は逆になります。

この課題に対してこちらで行ってきたのは、ビジュアル的に引き立つ配置を考えることと、途中で行う作品の並び替えでした。さかのぼって、搬入時に梱包開封を簡便化して、時間の余裕をつくる必要があります。展示会場に零下十度の強風はなくとも、下準備はやっぱり重要です。
2018/02/10

スノーボードは現代アート的な登場だった|2018平昌オリンピック

平昌(ピョンチャン)オリンピックの開会式が終わったところ。日本のスノーボード選手は、そろそろ五輪金メダルが出てもよい頃に思えます。前回は銀でした。ボードのやや異物的ポジションを、一般化させる機会でもあり。

1986年頃は長野県の大半のスキー場で、スノーボード(当時はスノーサーフィン)は禁止でした。ボード持参でリフトに乗るのも禁止で、登山客としてテクテク歩いて上に行き、オフピステを滑るしかなかったのです。

当時のボード製品は砲弾型シェイプで、180度プロペラしてバックで滑れないもの。映画『私をスキーにつれてって』では、スノーボーダーのエピソードもなく、実際のゲレンデでも珍しかった超マイナースポーツでした。

それが、前後対称の長円形フリースタイルボードと、モノスキーに似たアルペンボードに分かれてヒット。旧型スキー板の物理限界によるスキー場の大不況を、救世主的な新アイテムとして支えた歴史となったのです。

ボードはスキー場の秩序を、一時的に壊しました。両足スタンスが固定で、雪面に止まって立ち続けられず、谷に向いて座ってばかりの障害物。左右非対称の死角が原因で、前走者への追突。厳禁のイロハだった靴歩行で雪面に穴をあけ、コース外の遭難騒ぎもボードが圧倒的比率。

スノーボードを美術にたとえれば、具象アカデミズム相当のスキーに対して、新興の現代アートでした。高齢の先輩がいない自由度の高い世界で、80年代の若い入門者が今最長老の重鎮となって、技術的な蓄積もできてきました。しかし、国際スキー連盟の下に置かれた自主問題はあります。
2017/10/07

日本のロヒンギャ問題が内戦に発展しない理由

テレビ特集番組で知られる、バングラデシュ、ミャンマー、マレーシアなどの国名が出てくるロヒンギャ問題。南アジアの国籍なき人々の集団ですが、日本では群馬県に多いそうです。国籍がないまま民間に退避していて。

そしてミャンマー国では国際問題となり、各国が責め立てている最中です。差別はよせと。しかし訳ありな過去のいわくが大きいから、差別をやめろとだけ圧力をひたすらかけるのは、たぶんまずいのでしょう。

東京での話。パビリオンに入る行列に並ぶ日本人が、1人の外国人旅行者からあなたの前に並ばせてくださいとお願いされた。時間不足で困っているならと、係員を呼んでOKを出すと、観光バス3台分の人を連れて来たという。1人なら許せても、100人は許せないのが普通です。

日本でロヒンギャ問題が破裂しないのは、人数が200人台だからです。ミャンマー国では50~80万人と数千倍です。数量の程度問題を考えないで、ミャンマー国は差別がひどいと各国報道やコメンテーターが叩くのは、たぶんまずいのでしょう。

ドイツのデュッセルドルフ市には日本人が多く、ジャパン・デーと呼ぶフェスと日本人街もあるという。しかし合計5千人だそう。企業の派遣であれ1年以上いると移民になりますが、その規模なら許されるのでしょう。選挙権もないし。でも100倍の50万人となれば、扱いが変わる覚悟も必要でしょう。

差別差別と簡単に口にする前に、負担できる国力かも計算に入れないと、たぶんまずいのでしょう。人間の力は無限ではないから、程度問題を考える習慣を国際社会は持つべきでしょう。程度問題への配慮を欠いた原理先行のポジショントークは、世界の歪みを拡大させるでしょう。
2017/09/06

サッカーとアートで誉めたりけなしたりの切り換え

サッカーチームが大活躍をみせたかと思えば、次の試合で不調の体たらくをみせる展開は、各国の全チームで起きています。それに対してイタリアの記者は、試合ごとに良い選手をベタ誉めし、次回に悪いと言葉を尽くしてけなします。

その切り換えが、日本では理解されない空気があります。ネットの意見をみると、「前回はあんなに持ち上げたのに、今回は冷たいね」「てのひら返しがひどい」「見物人は勝手なことを言う」「愛がないなら見るな」の声がよくみられます。

「現代のベートーベン事件」「STAP細胞事件」の騒ぎでも同様でした。「あれほど称賛したのだから、今になって叩くなんてひどい」という意見が多かったのです。上げるだけ上げてから、どーんと落とすのは悪い行動だと言いたげな、観衆への嘆きと冷やかしです。「君らはどっちやねん」「態度が矛盾している」と。

この嘆きと冷やかしに潜むものは、縁故社会の度合いだと感じます。好調時に称賛したら味方同士の関係になり、味方なので不調を見逃してやれという人情があるのです。つまりほめるだけの味方と、けなすだけの敵の、二種類にきっちり分かれる前提で考えているのが日本式なわけです。

これは往年の社会学的考察にみる、ムラ社会性が疑われます。ひいきの関係で回転する、お友だち内閣とか政府の諮問委員会みたいに、無批判のスルーが好き。そうした縁故重視に対して、イタリア方式の日本人も増えたのかも。今回の試合という「新作」だけを採点して、過去の名作を評価に混ぜない感覚が日本にも増えた。

何年か前にゴッホ作とされる絵が見つかり、ショボい出来でした。ゴッホらしさがない習作です。世界の美術館は、アートは内容が大事だとして低評価を意思表示しました。ところが日本の関係者が高く落札して、アートは内容よりネームバリューなのだと世界に意思表示しました。
2017/08/26

アスリートのドーピングとアーティストの盗作

WBCボクシングで、山中選手のTKO負けニュースが話題でした。具志堅選手の13連続防衛記録に並ぶかというタイトルマッチで、一度もダウンしないままコーチがリングへ上がり試合を止め、「神の左手」がさく裂せず不完全燃焼の4ラウンド。

これで引退だから、果たして棄権が早すぎなかったかがテレビで議論されました。「打たれたダメージはそれほどなく、いつもの逆転勝ちの余地があった」「相手のペースだったから、続けても身の危険があった」など対立意見が噴出して。

ところがチャンピオンベルトを奪取した相手選手は、その後の検査で来日前の禁止薬物ドーピングが発覚し、没収試合になるかもという。山中選手を棄権させたことが妥当だったかはもう過去の議論で、今はベルト返還や再試合の議論へ移った目まぐるしい展開です。

オヤジ談議ならともかく、評論家やスポーツ記者が書いたスポーツ新聞や専門誌はどうなるのか。元挑戦者の好調と、元王者の不調を細かく取材した入魂の分析も、全て的はずれな結果論になるわけです。敗因分析も全く無意味だったという。

似たことは五輪でもあり、ハンマー投げの銀メダルが金に繰り上がった以降、日本も何度か巻き込まれました。表彰台の映像と公式記録で顔ぶれが食い違う、おもしろくない事態です。八百長でメダルを奪ったと、アクセス広告狙いのフェイクも現れるし。後で結果がくつがえる心配が大きいのなら、評論家たちも真剣に論じる熱意が落ちる。

美術で似ているのは、コンテストの受賞作が盗作だったケースです。違法ドーピングでの一位だったわけで、創造力や感性を称賛した文章は、勘違いの妄想みたいに浮いてひどい被害。数年に一度の騒ぎでも、美術業界の悪いイメージが抜けなくなっていきます。
2017/07/29

価格破壊するほど世知辛くなる国内経済

日本は製品もサービスも質が高いと外国から称賛されますが、やりすぎと言う声もあります。サービス残業だとか。価格破壊だけでなく値上げで飛び出したU社は、付加価値つきのワイシャツを高く売り始めました。通常1600円ほどのワイシャツを、部分オーダー可能で2900円にしたという。

この商品を買ってリポートしたニュース記者がいて、普通なら7000円するオーダー品を、ここまで安くできたU社をたたえました。続いて欠点もあげ始めました。ここも、そこも、オーダーできればベストだったと、他社とくらべた不足分を次々と指摘したのです。

「出たあ、モンスタークレーマー」と、ネットに飛び交う批判。「安物に高額品の高性能を強いる悪質ユーザー登場だ」と。他社より不足しているから安くできるわけで、全部そろった商品なら2900円でなく7000円で売るのが道理です。

「安い価格」の意味を、勘違いする人が増えた指摘があります。相場より安い製品は、必ず劣っています。一例が激安トンカツ弁当で、ISO14001に則って廃棄された古いトンカツの生ゴミを、途中で誰かが拾い集めて入れたから激安で出せた話。ゴミのおかずをやめたら、弁当の価格は上がる。ゴミを詰めたから安く食べられる。

逆に妙に高い弁当が美味だった体験は、駅の売店などであります。それを思い出したきっかけは、パソコンパーツです。「玄人志向」なる国内ブランドは、サポートが弱点だとの勘違い苦情がやはり出て、別の人に叩かれていました。玄人並みユーザーの自力救済を条件に安価だと、企業理念に書いてあるから。

パソコンパーツはボックス(リテール)品とバルク品に分かれ、ハードディスクなら12000円と7000円の違いがあります。中味は全く同じで、安い方は部品に詳しいユーザー向けです。しかし最近、中グレードの電源ユニットを買うと初期不良でした。不良品に慣れたユーザー向けか。
2017/07/22

日本温暖化はなぜ起きたのか

暑い一日が連日のニュースネタですが、過去との比較で「昔はここまで暑くなかった」という言い方が聞こえてきます。データとしても、日本は昔よりも最高気温や平均気温が上がっていたはず。そして、その理由はわかりきったことです。

昔の暑さはましだったとカメラに答える人は、今の方が太陽エネルギー照射が増えたという、例の地球温暖化をイメージしているのかも知れません。しかし世界の科学者が恐れているのは寒冷化の方です。日本が暑くなった最大の原因は、単にペイヴメント面積の増加です。

造園分野には、地面に敷く素材で周囲環境がどう変わるか、データハンドブックがあります。土や芝生、池などにくらべ、アスファルト、コンクリート、レンガ敷きなどは、はっきり体感するほどあたりの気温が上がります。赤外線の輻射を受け、周囲に伝導するから。文明の進歩で、都市が暑くなるパターンはこれです。

都会を歩くと、さらに冷房のラジエーターからの送風が歩道に吹いたりして暑い暑い。街の中に空き地や鎮守の森、沼地などが減って駐車場やビルに変わると、どんどん暑い夏になっていきます。田舎を都会に変えると暑い夏が来るもの。

こうして硬質な素材で地表を覆うことで、地域の気温統計までが人災的に上がる変化を、ヒートアイランド現象と呼んでいます。それを裏づける証拠は、ネット地図に見られます。グーグルマップで故郷を見ると、山も谷も田園風景も消えて均質な住宅地になっていたり。昔より暑いはず。

そして自然が残っている所は涼しいままだけれど、限界集落となり人が住むに適さなくなっているようです。ある人口密度を境にして、住宅地がゴースト化していたりもします。涼しい地は人がいないのだから、ここは涼しいぞと言い出す声もなく、暑さを訴える声ばかりが集まるわけです。
2017/06/11

美術よりも早くひっくり返ってしまった野菜健康法

日本で売られる鶏肉はブラジル産が多く、輸出元の食品不正があって各国で禁輸となっていましたが、最近解けました。しかしそうなる前から、アメリカでは輸入禁止対象だそうです。アメリカが禁止するとは相当なもの。

危ない食品をあげていけば、食べるものがなくなると騒ぎが起きたのは、1960年代でした。語りぐさがあり、香り高いジュース類が無果汁だと雑誌『暮らしの手帖』が暴露したのがひとつの事件でした。

最近では、ニュースに多い小麦アレルギーとは別に、出回り始めた警告は野菜です。一昔前の日本では、野菜は健康に良く肉は悪いとされました。たぶん当時のチョコレートやピーナツと同じで、肉は値段が高かったから、買わない理由が後づけされた気がします。つまりイソップのぶどう。

ところが1990年代に学者が「野菜には毒が多い」と生物学の基本を告げて、近年は信じられ始めたのかも知れません。野菜の毒はジャガイモの芽やホウレンソウのアクが連想されますが、動物に食われないよう全般に毒素が多く、新しい話題は年月経て悪影響する遅効性物質です。後年になって害が現れる毒。

健康食品でもある植物性オイルにも、長年かけて脳障害を起こす物騒な説が出ています。日本に菜食主義が流行らないのは、もはや輸入肉が安価で地場野菜が高価になった逆転もありますが、確率的なリスク分散を図る合理性もある気がします。賭けをせず、どの馬にも賭けるローリスク・ローリターン。

美術ではよく駄作と名作が交代しますが、その変化は時代をまたいでスローです。一方で、コーヒーや卵やスイカの評価が変更される早さを思えば、美術は価値が長続きするたとえに使えるほど安定しているのかも。