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2020/06/17

『別れの朝』高橋真梨子が再現した前野曜子|ジャニス・ジョプリン日本版

コンガ奏者がリーダーのペドロ&カプリシャスは、今六代目のヴォーカリストだそうで『別れの朝』『ジョニィへの伝言』『五番街のマリーへ』の70年代三大ヒットが知られます。後の二曲は高橋まり(現真梨子)が歌ったので、一曲目もそうかと思われがちですが別人です。

『別れの朝』はドイツ語版が知られたウド・ユルゲンス作曲の世界的ヒット曲で、カスタネットが特徴的。歌詞は「あなたに伝えたいことがある、でも言葉がみつからない、ピアノなら伝えられる」というラブソング。日本版カバーは、なかにし礼が歌詞を全く変えました。

「別れの朝、二人は、冷めた紅茶、飲み干し」「ちぎれるほど、手を振る、あなたの目を、見ていた」と、ピアノと関係ない失恋ソングでした。ピンク・フロイドの『吹けよ風、呼べよ嵐』の5日前のリリースで、当時オリコン一位で放送は耳タコなほど。歌は前野曜子。

『別れの朝』は前野没8年後に、独立していた高橋真梨子がやっと歌い、二人の歌がよく比較されます。歌を歌う高橋真梨子に対して、思いを歌う前野曜子が迫真的で自然体で、本人も再現できなかった傑作に仕上がっています。今も前野ファンの熱心なフォーラムがあります。

高橋の歌を、前野の歌と信じる人が多いバージョンが動画サイトにあります。バックの演奏が一致するので、1971年にマルチトラック録音したカラオケに、高橋が前野をエミュレートして歌った企画盤でしょう。二つは非常によく似て、前野は声がより素でヴィブラートが浅い技巧の少なさで判別できます。

前野曜子は昭和最後の1988年まで生きて、3年後に訃報が出た孤独な生涯でした。ペドロ&カプリシャスの契約中に脱退し、出世から外れた奔放行動も遠因かも知れません。ジャニス・ジョプリンに近い最後で、しかも『ムーヴ・オーバー』の名演がありました。売り方を計画するプロデューサーが必要だったのでしょう。
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2020/06/12

新型コロナパニックで人の本性をみたという記事|消費税増税の影響下

今日のネット記事で驚いたのは、新型コロナの特別定額給付金10万円が、全国で38パーセントが給付済みという進行の遅さです(直後のラジオ報道では35.9パー)。一カ月の生活費としても微妙な低額だから、元気づけと精神変調やパニックをおさえる機能なのに、イマイチ果たせず。

別の記事は、コロナ自粛で身近な人の性善と性悪をみせつけられた話題です。誰が神で、誰が悪魔なのかが露骨にわかったという。それがコロナ前の人柄やイメージと一致せず、他人の隠されていた内面を知るや、喜びと幻滅に動転したという意見が多数集まっています。

そしてやはり目立つのが、「日本人はこんなに性格が悪かったのか」という新発見と、落胆した深さです。ギスギスしてがめつく、自己中で排他的で、意地悪で差別的で、人間不信に陥ったような意見が多い。これを機に、絶交、離婚、転職に動いている報告も寄せられています。

しかし少しだけ、日本人擁護を加えたい気にもなります。バブル時代には日本人の人柄はもっとよかったのです。今のこの傾向はマイナーでした。1995年の阪神淡路地震の当事者は、そうギスギスしていませんでした。自己責任なんていう、他人をとっちめたり切り捨てる流行もなかったのです。

するとインターネットの普及が国民の性格を悪くしたと早合点しやすいのですが、日本を決定的に暗くしたのが1997年の消費税増税でした。国税はそもそも財源ではないし、消費税は格差拡大の副作用を除けば、主目的は消費をやめさせ、経済縮小させてデフレ化する政策です。生活レベルを下げて、貨幣価値を守る原理です。

法人税減税の穴埋めと、輸出企業への還付金が動機の消費税を「高齢化時代の福祉の財源」と偽ったせいで、国民は高齢者や障がい者や子育てママを敵視し始めて、23年前に日本人の分断は約束されたのです。分断ぶりは2000年頃の2ちゃんねるにも記録され、今もアーカイブされています。
2020/02/19

ベルリン近辺の新たな美術展示開拓スタート|日独の芸術観を克服

ベルリン市には大きいアートフェア以外に、小さな美術展が色々あります。どれか試してみたいと前から考えていました。最近めぼしいものをひとつ見つけてもらったので、情報を集めています。

日本のようなコンテストで賞を出す制作競技はなく、全てが展示即売会です。美術を展示する意味や目的そのものが、日本とは違っています。

フェアの規模の大小は、作品サイズにだいたい相関します。日本から送ればサイズ制限で小品に限られ、あまり大きいフェアだと会場規模に負けてしまいます。プリントなら2メートルとか巨大にもできますが、今はまだ小品にとどめています。

このタイプの企画の目的は、やはり現地に作品を広めることで、売る意識で全てをセットします。繰り返す話ですが、美術の高尚さへの敬遠は日本以外では目立ちません。それで、売るために妥協的作品に向かう悩みも小さいのです。売る用と売らない用で、作り分けはいりません。

日本の課題は、より目立つことです。地味が好感度になるのは日本だけで、世界は特に渋好みではなく。日本製は腕が劣るのではなく、社会の抑圧に応じて目立たせない技術鍛錬に難点があるのです。

というわけで、今年もまたアート・マネージメント・システムで、売れる作品をひとつでも増やします。日独の差異を乗り越えて日本製アートを目立たせようというわけです。
2020/02/12

オリオン座ベテルギウスの超新星爆発はいつ|冬の大三角の頂点が消えた

夜の星空で、三つの一等星が囲む形といえば、まず夏の大三角です。三角定規の30度タイプに似ています。対して冬の大三角は、ほぼ正三角形です。何しろ全天で最も明るい一等星シリウスが頂点に輝いて、非常に目立ちますが、問題は目立たないあれです。

おおいぬ座でもこいぬ座でもない、全天一のヒーローたるオリオン座。その左上に位置するベテルギウスが、異常に暗くなって二等星に落ちているのです。数年前までオレンジ色に輝いていたのが、この冬は特に毎晩かすむような暗さです。

ベテルギウスの寿命は尽きかけて、超新星爆発が近いことがわかっています。太陽の位置に置けば、地球と火星の軌道より直径が大きく、木星近くまで届く赤色超巨星の最後は、満月並みの明るさで輝き、昼でも少し見えるほどでしょう。

ただし、今のこの暗さが爆発の予兆ではなく、爆発は数百年後かも知れないし、今夜かもしれないしという状態です。もし今夜だとしても、起きたのは600年前ですが。一等星が爆発して中性子星に変わる過程を目視できるなど、人類の文明史で初なので楽しみの学者も多いようです。

マイナーな恒星が爆発した例は、残骸の「かに星雲」で知られ、1054年に異常に明るくなった記録が、中国の元代の歴史書に記録されました。日本でも古くに、そこからの引用らしきが二次記録されています。

ハッブル宇宙望遠鏡が撮影した「かに星雲」は、ほぼ完ぺきな抽象モダンアートに見え、ディテールが無限に存在するフラクタル図形です。ただし、多くの天体写真は誰かが色を強調していて、人の美的感覚も混じったアートなのですが。
2020/02/01

海外アート展に送る作品を選び出す理由|アートマネージメント補強企画

ここで企画している展示は、アーティストの好きな作品を思い思いに出すのとは違い、少し選んでいます。欧米では日本型のコンテスト方式ではない、アートフェア方式の展覧会です。だから好きなものを出せば済むはずですが、それだと売れにくいのです。

たとえば日本で好評の洋画であっても、西洋の人の関心は下がるはずだから、どうせなら和を感じさせるモチーフや作風を選んだ方が得策です。これは異国情緒ともいえるもので、文化財を買う動機には自分と違う世界の発見が大きいのです。

そしてもうひとつの課題は、作品の完成度です。完成度は精度の高い低いではなくて、「出来上がっている」という実感です。めちゃくちゃな絵にも、めちゃくちゃな筋書きなりに完成度が存在するでしょう。

日本だと開口一番「自分は絵とか全然わからないから」となりますが、ドイツではそれは少ないように感じています。こちらの想像ですが、買わない理由が見つからないことが大事です。チェックの筆頭は、「独自性を完成させているか」です。

「独自性があるか」より一歩進んで、「完成させているか」です。日本型のコンテスト方式だと、基本的に審査員の理解範囲に入れていく必要があり、挑戦的な絵が出にくい傾向があります。それで日本の作品は手加減されていて、そこをいじれば上がるとして、アート・マネージメントを考えました。

日本に根強いのは、「美術は自由だから自然体で生まれる作品が正しくて、販売が視野にあると汚れてしまう」があります。これはしかしコンテスト感覚の延長にすぎません。最初から売る前提だと、かえって何でもありへと広がります。
2019/10/26

日本の村祭りとハロウィン祭の絵になる構図|美術は地域文化そのもの

最近、祭りを描いた絵画に関わり、日本の村祭りは反グローバリズム的だと感じました。国際化にはインターナショナルとグローバルがあり、前者は国境が前提で、後者は国境を消すので、民族差別が逆に激しくなり闘争が続いた歴史があります。過去のグローバリズムでも、反動の武力衝突が起きたものです。

地域の祭りは民衆のエネルギーが結束し、郷土の共同体を形成するから、ナショナリズムの動きです。祭りと芸術は出発点が似ています。祭りの絵のモチーフはお祭り騒ぎのにぎわいや盛り上がりですが、同時に影が感じられるのが特徴です。

子どもの頃の村祭りや町祭りを思い返しても、華やかな中に物悲しい余韻がありました。明るく楽しい遊園地とやや違い、かげりがあった記憶があります。祭りの絵は古代の霊的な気分をも誘い、絵に描かれた子どももレジャー参加とは違う雰囲気です。

祭りの動機が、農作物の収穫を天に感謝することと、亡き先祖を思い偲(しの)ぶことだからか。祭りのしるしを始めデザインビジュアルに古色が含まれることも、メランコリックなエレメントとして大きいでしょう。絵画に描かれる物品もまた、多少でも神秘的な意匠が選ばれているし。

今年もハロウィン祭の季節です。日本のハロウィンでは、お化けたちは子どもにお菓子を配らず。成人のゾンビ仮装を経て、ムシャクシャ発散とヤケ酒騒動にそれたみたいな。これもデフレ不況の傷心と、荒廃した国民感情の一面でしょう。暴力を規制緩和し、テロも表現の自由だとするグローバリズムらしさか。

ところで祭り気分の絵をかけば、より芸術的な作品になる理屈で、ハロウィン祭のイメージ画はどう描けるのか。小学校で課題にすればカボチャの記号化にモチーフが集中し、カボチャ顔の競演になりそう。
2019/10/09

ノーベル化学賞のリチウムイオン電池|バブル時代に研究投資した成果

2019年のノーベル賞候補一覧が事前に出回っていて、これが来そうだと感じた方が多かったかも知れません。リチウムイオン電池の開発で、旭化成の吉野彰氏が化学賞に決まりました。社内外に協力者がかなり多い研究だったことでしょう。

バブル時代の前に発売されたリチウムイオン電池には、大きい欠点がありました。メモリー効果です。充電を繰り返すうちに、いっぱいまで入りきる電力が減ってしまいます。使っているうちに使用可能時間が短くなり、こまめな充電もだめという注意書きが目につきました。

それがもうとっくに目立たないほど、長寿命の製品に変わっています。今、普通に一眼レフカメラを買うと、ローエンド製品でさえストロボと、モータードライブも付属します。以前は、単三電池8本のバッテリーパックなどが必要でした。

ところでリチウムイオン電池を、リチウム電池と略して呼ぶと、異なる別ものになります。リチウム電池の代表は、パソコンのマザーボードにはめ込んであるボタン電池です。CR2032の型番は、コイン形状のリチウム電池、直径20ミリ、厚さ3.2ミリの意味。

今回のノーベル賞となったリチウムイオン電池は、当初爆発炎上した事例があり、ノートパソコンをジェット旅客機の客室に入れないなどの制約がありました。この面も高性能化しています。日本で決定的な製品が出たことも、当時は当然な気がしていましたが。

やはり話はこっちへ向かいます。1990年頃の日本は、世界初を目指す創造に燃えていました。ジャパンマネーが内需に向いて。今は緊縮財政(通貨削減)が選択されて、国際競争の通信機器仕様5Gも日本は蚊帳の外。日本が小走りすれば5Gなどはちょろいのに、政府財政の逆走で内需が消えたから旭化成も動けず。
2019/09/27

北欧国スウェーデンを日本が目指す|ベオグラム4000レコードプレーヤー

北欧の主要四カ国の特徴は、まず人口が少ない。ノルウェー、スウェーデン、デンマーク、フィンランド。人口が最多のスウェーデンでも日本の13分の1で、神奈川県プラス島根県の人数。他の三国は24分の1程度。内需が小さいから、海外輸出に頼る工業国を目指してきました。

携帯電話の勝ち組だったノキア社はフィンランド、バブル前から日本でよく見かけた車ボルボ社はスウェーデン、オーディオ界のグッドデザインで鳴らしたB&O社はデンマーク。ベオグラム4000という、おしゃれなレコードプレーヤーです。

富裕層向けの高付加価値製品を作り、石油を多く使う先進国です。スウェーデンの16歳少女の国連演説は、ブーメランだと感じた人がいたはず。演説内容に資本家のお金儲け批判が含まれましたが、彼女が所属する環境NGOの願いは現金収入です。僕らに補助金をよろしくと。それはともかく、人命とお金は今や等価です。

かつてアフリカ諸国への援助の議論で、向こうに必要なのは食料ではなくお金だという本質論がありました。アフリカ国の産業育成を手伝い、輸入する側の先進国も富む必要があるメカニズムでした。今の問題は、富を1パーセントの人が巻き上げる、その手段にCO2温暖化説を利用している点です。黒幕は国単位ですらない。

日本の国会議員はよく、日本を欧州国ふうに変えたがります。そのターゲット国は明治時代は意外にもイギリスでなくフランスで、近年はドイツ、スイス、北欧国がよくあがり、意識高い系がスウェーデン指向。亜熱帯アジアの人口大国で、地震と台風の災害大国だという与条件を、コロッと忘れて。福島、倉敷、千葉。

日本をそこまで北欧四カ国に変えたいなら、真似るのは消費税率よりもグッドデザインのポリシーでしょう。ベオグラム4000流の高付加価値デザイン開発を目指せばよいのに、そこはディスカウントのバッタものでいいやって風潮。
→Beogram 4000
2019/09/06

日本のおもてなし観光も議論と分析が苦手|美術の批評も未発達だし

現代日本の欠点として内外からよく指摘されるのが、「日本人は議論ができない」です。ネットでも論破という語が出回りますが、論破の名人といえば、概して論点ずらしと極論放言に、細部の揚げ足取りと人格攻撃です。そして大声。絵の面積が法外に大きいみたいな感じか。

本当に多いのが、「君には言う資格がない」の封じ込め方です。言う場を与えないことで否定する手。最近海外報道が書き立てたのが、新聞社の質問に答えない政府首脳でした。アホな質問には答えませんと、さえぎった失点でした。アホな質問を返り討ちにするチャンスだったのに。

国際ビジネスのサイトで、英米の学者がよく日本の悪い面を指摘します。多いのは「日本人は分析ができない」です。代表的な指摘は、「日本の長所さえ分析できないのは実に惜しい」という、励ましのアドバイスです。

成功も失敗も分析しない限り、次の目標が決まりません。少しずつ積み上げる向上が起きないのです。連想するのはサッカー日本代表です。本部による分析が毎度ないから、4年ごとに課題の量と質が前と同じで、一過性の感が強い。過去の延長に今がない。

この失敗を観光で繰り返しているらしく、外国から日本に来てくれる動機を探っていない問題が言われます。たった今の収入金額に一喜一憂するだけで、未来計画が空白らしいという。つまりはマネージメント能力の話か。これはコスト削減ありきの緊縮財政の連鎖も一因でしょう。

アートでも分析が流行らず、傑作の根拠を説明できない現象が顕著です。だから、偉い人がほめたか、外国が認めたか、価格が高いか。三つのどれかで食指が動く。お墨付きの尊重から一歩出るのがなかなか。作品のどこがよいかを、自分の言葉では言えない状態。そこで作品称賛の言葉を書くことが増えました。
2019/08/11

事故物件を恐れる心理と死者の敵視と冒とく|東日本大震災だけは例外

毎年お盆が近づくと決まって出てくるニュースに、幽霊の話題があります。今年の記事のひとつに、事故物件公示サイトという情報会社がありました。自殺や殺人や変死が起きた家や土地を明記して、国民に知らせるネットサイトだという。

サイトを見ると場所を日本地図で示してあり、駐車場での自殺や飛び降りと記されています。そのアパートやマンションなどを、世間に広く知らせる便利サイトだという。この話題の裏には、日本の貧困化で自殺と孤独死が増えた事情もあります。今さら好景気にする正解がとれない、政界のメンツ問題が言われるほどで。

若者に限らず中高年の自殺も急増したのは1997年頃からで、世界的に韓国と並んで目立って高い若者の自殺率がひときわ上がったのは、失われた何年と言われた平成デフレ不況です。しかし事故物件を告知する前提に、根本的な疑問もあります。

亡き人の霊が悪役である大前提です。化けて現世の人に危害を加えたり、あの世へと連れていく解釈に沿っています。不幸を避けたければ、事故物件に住むなという警告以外の何ものでもない。死者が連続殺人鬼と化して、生きている善人を攻撃すると決めてかかっています。人の霊をテロリストと認定している。

不遇な者の霊が、生きている者を保護したり、危険を教える役になる前提がありません。たとえば水路に落ちかかった子を、そこで事故死した人の霊が道路側へ押し返してもよいはず。しかし逆に、水路へ引き込もうとする極悪な犯罪者の位置づけに、霊が想定されています。

霊を敵視し冒とくする共通心理は何か。死への恐怖は当然として、日頃他人へ抱く敵意の投影や、死者を究極の障がい者とみたてた差別的感情もありそうな。ところが、あの東日本大震災の幽霊研究だけは、被害者の霊を悪役扱いしませんでした。ふるさとを思う守り神へと、初めて解釈を変えていたのです。
2019/06/28

シンデレラの主張にお国柄の違い|シルヴィー・ギエムとルドルフ・ヌレエフ

シンデレラ・コンプレックスという語があり、いつか王子様に見出され幸せになる期待を抱く、女性の心理のある一面だという。シンデレラ物語には人間の運命の、よくあるパターンを示すエピソードが多く含まれます。

『白鳥の湖』同様に王子が嫁を決める舞踏会があって、クラシックバレエがプロコフィエフ作曲で確立されています。舞台装置に深夜零時の時計があり、巨大なメカニズムを見せる演出もありました。12回打ち鳴らす音は大きく悲劇的。

逃げ出したシンデレラは靴が片方ぬげ、王子はそれを手がかりに辺境の地まで探し回ります。ついに王子一行は家にも来て、該当者なしで最後に残った家事手伝いの女が、あの時の本人とわかる。ふところから落ちた靴が、決め手の証拠。

この部分の成り行きで、シンデレラのキャラ設定が何とおりかあります。日本の感覚なら「そのほうもこちらへ参れ、足を入れてみよ」と、お供の者が強引に試させるのが順当でしょう。「おおっ、うまく合うではないか、もう片方はどこじゃ」という流れ。

しかしシルヴィー・ギエム主演のルドルフ・ヌレエフ版は違いました。義母や義姉たちがもめる中で、シンデレラは隠していた片方の靴を、堂々と床に置くのです。その押しの強い積極的な性格なら、家を出て独立してベンチャー起業も楽勝。

ソ連から亡命したヌレエフは、アメリカのハリウッド映画界をモチーフに振り付けしました。シネマにあこがれる女性が、スター俳優の相手役を選ぶオーディションに誘われ、契約書にサインするという奇抜さでした。『ロミオとジュリエット』を『ウェストサイドストーリー』にした感じ。パリオペラ座で受け継がれ、さらなるアレンジが加えられています。
2019/03/13

2020東京オリンピックへの反対意見は正当か|飽きた個人に説得力なし

2020東京オリンピックまであと500日を切りました。このオリンピックに反対する声は多くみられます。一番多い声は「五輪の後に必ず景気が落ち込む」という経済法則です。長くデフレ不況を続けている日本には、財力も体力もないから、活動を止めて静かにしている方がよいという意見です。

シンガポールのペーパーカンパニーに開催地決めの投票工作を依頼したと、フランスが日本を調べているニュースもあり、インチキなら直ちに開催を返上せよという声も多い。声の裏には、政界のお友だち企業だけが儲かる仕組みがあるのは確か。その根拠は人件費節約宣言です。経済波及を小さな輪にとどめる宣言です。

しかし注意がいるのは次の声です。「オリンピックはもう飽きた」「もうたくさんです」「どうせ見ないし」。飽きていない人や、実物を見たことがない人のために開催しても公平なはず。21世紀だけでソルトレイク以降の冬夏すでに9回ですが、実物を見た人は一部だけ。

まして1964東京オリンピックを見た世代の「もういいよ」は説得力なし。少年少女や児童が世界一のスポーツを間近に見るなら、断片シーンであれ教育的な意義は大きいでしょう。開催が大国の持ち回りの貧乏くじだとしても、降りると斜陽感が大きいだけ。

「無駄な東京五輪はやめろ」の意見は、どの国のどの人が書いたかわかりません。世に一個しか存在しないインターネットのおもしろい性質で、アメリカ大統領選の候補者攻撃を、ロシアの団体がロシアから書き込んでいた現実もありました。昔は資金工作、今はネット工作。

1964東京オリンピックの翌年には法則どおり経済悪化し、しかし五輪運営は赤字でも内部の借金にとどまります。外国からの借金で開催するわけではなく、国内での金の貸し借りは内需に相当します。文化波及効果も全て足せば、日本株の支えにはなるでしょう。
2019/03/08

はやぶさ2が小惑星りゅうぐうへタッチダウンした動画|生物の起源

小惑星探査機『はやぶさ2』が撮影した写真をつないだ、映像ふうの動画がJAXAから公開されました。小惑星『りゅうぐう』へ一本足を当てた、いわゆるタッチダウンの場面です。小石や砂がパラパラと舞い上がる様子が写っています。

初代『はやぶさ』が小惑星『イトカワ』にタッチした時は、衝撃で燃料もれが起き何カ所か故障したために、今回はあらゆる改良が行われたそうです。そのタッチ時に弾丸を撃ち、舞い上がった小石を採取する方式です。

初代は持ち帰った石が砂煙だけのプチ成功にとどまり、今回は改良されています。人類が得た地球外天体の土壌は、今もアポロとルナで得た月の石や土だけで、他天体の十分な量が欲しい。人が行けば手づかみできても、機械だとなかなか。

小惑星『りゅうぐう』は直径870メートル、重力は地球の8万分の1とわかり、質量50キロの人は約0.6グラムと、1円玉より軽くなります。人が何とか立てても、歩く一歩の動作だけで脱出速度を超えて、飛び立ってしまい戻れないでしょう。

なぜ大量の小天体が火星と木星の間隙に存在するかの疑問よりも、炭素や水はあるのか、太陽系の起源と生物の起源などの調査です。少し前に、地球の生物誕生は、月の前身が地球に激突した時だとする仮説が出されました。その前提の激突自体は昔の太平洋飛び出し説の後、アポロ15号で手堅い説になっています。

地球に衝突した天体にまぎれていた生物が、地球に乗り移った俗説がありますが、今は地球で生物が生まれた説が有力です。ただ、原始地球の水と電気だけでは有機物質に生命が宿るのは無理との実験結果もあるようです。日本は今、他天体の鉱物資源よりも、生命の不思議に関心が向いています。
2018/09/29

熊本のくまモンの米きぬひかりはうまい|世界に勝てる日本米の完成度

数年前にスーパーで米を買った時、一番変なのを選ぼうと思いつき、黒いクマが大きく描かれた袋のを買いました。熊本県のゆるキャラ「くまモン」という、お笑い系の商品デザインです。それを炊いてみると。

うまい。うますぎ。表面にツヤがあり粒が立ち、ややモチ米ふうで味も濃いという。驚きです。その後ニュースがあり、全国的に米の味が5年ほどで目立って向上し、超Aランクも入れ替わったという。それまで最高だったコシヒカリが、序列トップから陥落した報道です。

それを確かめようと毎回異なるものを買うと、なるほど全般に味がよいのです。何年か前とかなり違い、ニュースのとおりでした。ただ、「くまモン米」に及ぶものはなく、くらべるとどれもあと一歩。

それで最近、熊本産の別の米を買いました。品種も異なります。すると、やや「くまモン米」に似ているのです。何が起きているのかネットで調べると、何と「くまモン米」は6年も前に日本一の味に選定されていました。

米の味はどれも似たもので、水の量、ひたす時間、むらす時間で大違いの不安定さですが、日本人ならやはりわかるようです。美術がわからないという人も、見る回数が増えれば解消するのかも知れません。

政府がTPPを検討していた頃は、グローバル製品の輸出黒字と引き換える犠牲として、日本の米文化ももうおしまいと言われました。が、高品質化して付加価値をつける戦略を進めていたのかも。農家がひそかに世界も意識していると感じます。
2018/07/03

ベルギー戦のたらればを批判しもしもを主張|ワールドカップ2018

ベスト8進出への決勝トーナメント、日本対ベルギーは世界から強い関心を持たれました。16カ国中、ヨーロッパ10カ国、中南米5カ国、アジア1カ国と、ポツンとひとつ混じった特別ゲスト状態で。その日本は試合内容で個性を発揮できたので、文化芸術にもつながればよいのですが。

苦悩する日本が奇跡的に勝ちかけて世界は仰天し、苦悩するベルギーが奇跡的に逆転勝ちする、サッカー漫画にありそうな展開でした。あるいは『あしたのジョー』みたいな。このミラクル結果が大量の「たられば」を誘い、諸説が出回っています。

「ああやっていたら勝てた」「こうやっていれば上に行けた」の仮説が、SNSに林立しています。そんな中「もし日本の監督を替えなければ、16位で止まらず4位まで行けた」という意見もありました。それに対し「たらればは言うだけ無駄」と反発する意見が多いのです。

終わればもう始まらない、というのが反発する理由です。さらにこう続きます。「前監督が指揮すれば、そもそも全敗し32位で終わっていたはずだ」と。出たあー。他人の「たられば」は空想無用と否定し、自分の「たられば」は通す。勝つ証拠がないように、負ける証拠もないのに。

人は仮説を心の支えにするものなのか。仮定で出した結論を証拠として、次の結論を固める思考が世界中にみられます。いわゆる論理の飛躍というやつ。願望と我欲の世界。

「たられば」は画家の作風選択でもいえます。作風が複数あった場合に、果たしてどれで行けばよかったかと悩みます。一回売れないだけで失望し捨てた画風が、実は生涯には正解かも知れないし。逆に大売れして、スジを読み違える失敗もあるわけで。
2018/01/13

成人式の振袖は無駄で華美か|新興伝統文化のロストテクノロジー

振袖の販売会社が納品当日に消えて、社長がゆくえ不明の事件。被害者への同情以外に批判も盛んです。100万円分の服を着る20歳女性へのぜいたく批判も噴出し、日本に特有の平等意識と、格差社会の貧困で生じた精神荒廃の風景というか。

文化人類学にあるように、成人式の振袖はイニシエーションの機能を持っているようです。イニシエーションと呼ぶ文化行事は、日本語に訳すとしばしば「成人式」となり、各民族特有の大人社会に入る関門です。

男の子がやらされるイニシエーションにバンジージャンプがあり、また世界には虐待として廃止されたイベントもあります。女の子の場合、成人式の振袖姿は七五三の延長に相当する節目かも知れません。しかも意外に新しいイベントです。

振袖での参列は古来の風習ではなく、昭和の、戦後の新興伝統だそうで。洋服に席巻されて不況になった呉服業界が、何とか販路をつくったことで、成人式に花を添えたかたちです。大陸の呉の時代に伝わった呉服が発展し、保全し残ることができている状態。

外国から見るとニッポンのあこがれファッションで、80年代のテイスト・オブ・ハニーが「スキヤキソング」を歌うステージ衣装とか。無駄で華美なのが振袖の価値といえます。宮大工の世界と少し似た、ロストテクノロジー寸前の成功例。

近くドイツで展示する作品にも、振袖のモチーフがあります。キラキラ部分がうまく輝いた状態を撮った一枚を採用していて、柄がよい濃度で出るように何度も調整し直しました。
2017/05/10

日本のおじぎ文化と普段の姿勢

外国人が日本へ来て知った驚きの風習で、三本の指に入るのは「おじぎ」だそうです。ショップでも街中でも仕事の打ち合わせでも、ひんぱんにおじぎされてびっくりという。日本のおじぎに女性型と男性型があるつもりでいたら、前者は接客で後者は礼儀のようです。

女性的な接客型はへりくだりだから、目上へのリスペクトの意味で体を小さく見せます。肩幅を狭め、身体の最大幅も小さくし、前から見た面積を減らします。具体的には手の位置を脚部まで下げることで、腕の付け根を低くして「なで肩」に見せます。

手の位置が高いと正反対の「いかり肩」になるから、そうならないよう手を胴体よりも下に置きます。明治15年発行の『小学女礼式』のさし絵がこれで、手が大腿部にあり、連動して自然な前傾姿勢です。それに対し、男性的な礼儀のおじぎは、手が前ではなく横にあります。

覚えている方も多いでしょうが、小学校の指導でズボン足の側面にある縫い目に中指が来るあれです。つまり普通に起立したまま、体を前傾する。だから「なで肩」ぎみでありながらも、肩幅はそれほど狭まりません。それもあって男性的に見えるわけです。

マンウォッチングの人間行動心理学で解釈すると、低い両手もまた戦わない意思表示でしょう。「どうもどうも」とやるおじぎは、会釈の機能以上に丸腰のしるしだったのでしょう。手裏剣や毒針も手の内にないと示す意味で。

来日した外国人は周囲のおじぎ攻めに、おじぎで応じてしまうそうです。再びおじぎが返る無限ループが困るという。変なのと思いつつ、これが日本だと楽しい人も多いらしく。日本の万物は、おじぎの精神で築かれている気もします。普段から前かがみの人が多いのも、そのせいなのかも。
2017/05/08

日本語を捨てようとする日本と、学ぼうとする外国

日本生まれの日本人が英語で業務を行うよう、方針変更した国内企業が複数ありました。人、物、金の行き来が自由な、国境なきグローバル時代に対応させる目的でした。英語圏の国が世界制覇する前提の奇策でした。

当面の結果は業績がやはり落ちています。一般に母国語で仕事をすすめれば、きめ細かく伸び伸びできる利点があります。日本語の場合は、言語本来の精度の差で独自のアイデアや技術を過去に得てきたと、再評価もできるでしょう。

日本語には、声色の脚色なしに豊富な言い換えバリエーションで、細かく表現できる容量があります。「わびさび」「もったいない」「微妙」「テキトー」とか。その多彩さを指して、世界の言語の中で最も難しいとの評が根強くあります。ひらがなとカタカナの書き分けもそう。

逆にその微妙さに着目して、日本語を学ぶ外国人が意外に増加中だそうです。新しいきっかけは、日本語を外国の視点で分析したマニュアルだそうです。日本語は欧米語より文法が簡単で、習得は楽だという意外な分析になっていました。

「てにをは」の助詞は重大だとしても、省いても伝わる場合も多い。母音が英語の15~30個に対して5個だから、なまっても意味は変わらない上に、冠詞がない気楽さもあります。「ワタスィー、キタ、ニポン、ハジメーテ」で伝わる。もっと神経質な言語だと思っていたのが盲点。

かつて日本が捨てて外国が拾ったものに、「団体主義」がありました。不況の90年代に、企業が能力主義で個人を対立させた自己責任ブームの頃、欧米企業が終身雇用的なチーム結束を導入し、国際競争力を上げた裏話があります。浮世絵の価値を日本より先に外国が知ったのと、ちょっと似て。
2017/04/29

外国人が体験する日本の旅情とは平安時代であろう

現代日本へと続く過去で、よく注目されるのは通算264年の江戸時代です。1980年代には江戸を読み解くおもしろ本が何冊も出てきました。好景気の高揚感が背景の「東京って最高」ブームでした。早くから人口爆発と災害の心配で、東京一極集中が批判されていたものの、30年もたった今も一極集中は進行中です。

明治に急造したかに思える東京は、ほぼ江戸の街が持ち上がったものだそうです。落語も実は、明治の話題で江戸を感じさせる芸。しかし和風文化の本当の基盤は、京都で391年間の平安時代と思われます。現中東や現中国から文物を取り入れた次の、オリジナル開発へ進んだ頃だから。

平安の表現物に紫式部『源氏物語』も含まれますが、絵巻だけでなく当時の屏風絵などで特徴的なのが、アイソメトリック構図です。焦点を無限大とした斜投影図法で、遠くの物が近くの物と同サイズで描かれた大和絵がそうです。理系が作図したみたいな。

これは、建築設計のビジュアル構成図版に今も使う技法でもあり、西洋式の透視図法と違い、奥行き感がなくべちゃっと平板で、模式的な抽象性を感じさせます。遠くにある物体も縮尺が等しい。

ところどころに雲が描かれ、初期のパルテノン神殿みたいに派手な原色もふんだんにあり。また平安時代の発明に動画的な描法もあり、ぶれたり走行の軌跡みたいなモーションのラインも平安の表現です。漫画の元祖だとも言われます。

平安を連想させたのは、日本大好き外国人が撮影した旅の記録映像でした。写した物とともに、写す目も和風に感化されたのか、動画の雰囲気が平安時代の風情に近いのです。まだ歌舞伎や茶華道が生まれる前の、原始的で実験的な和風が現代の日本に残っている気がします。
2017/03/28

江戸しぐさという謎の道徳と徳川慶喜の大政奉還

小学校の道徳の授業で、「江戸しぐさ」なるものが一部の教科書にのって小さな騒ぎが起きました。江戸時代に常識だったとする日常の心がけが「江戸しぐさ」だという。しかし今の歴史学者は誰も知らず、記録にも落語にもなく。なかったものを国会議員と官僚が信じ、教科書にのせました。

その教科書を批判する本によると、「江戸しぐさ」に出てくる川を渡る船内で席を譲るマナーは、馬も乗るから座席がない江戸の船ゆえ、嘘の話だとわかるという。「江戸しぐさ」は、現代の若者を調教する目的で江戸を名乗り、最近でっちあげた作法だと結論されています。

てんまつで気になったのは、「江戸しぐさ」の資料が現代に残っていない疑問に対する、愛国NPO法人の釈明でした。説明では「江戸しぐさ」を伝承する江戸っ子たち全員を、明治政府が虐殺して葬り去ったから、いったん途絶えたのだと。途絶えたのを僕らは復活させたくて、教科書にのせたのだと。

日本でそれはないねと多くが直感したはず。うそつけと。というのも、外国の人がたまげる日本史です。フランス革命のごとき貴族と市民の戦いではなく、話し合いで徳川幕府から朝廷へ権力を戻した大政奉還の穏便ぶりが史実でした。日本をほぼ完成させていた徳川の殿様は、未来を信じ政権を返却した。

江戸から明治へは、東京に改名して持ち上がっただけで、同じ中味です。同じ建物のまま、洋服や靴を試す江戸の人たち。明治への革命に内戦はなきに等しかった。日本以外によくみる市民虐殺を言い出したばかりに、しぐさ自体の出自が疑われ、騒ぎになったのでした。

大政奉還してトップから降りた徳川慶喜(よしのぶ)は文明開化に加わり、侯爵となり国会議員となったそう。その徳川慶喜の孫娘が、平成時代にラジオ番組に出たことがあります。慶喜の質素な人柄と、彼の大好物だったカツオブシの逸話を披露してくれました。