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2019/10/26

日本の村祭りとハロウィン祭の絵になる構図

最近、祭りを描いた絵画に関わり、日本の村祭りは反グローバリズム的だと感じました。国際化にはインターナショナルとグローバルがあり、前者は国境が前提で、後者は国境を消すので、民族差別が逆に激しくなり闘争が続いた歴史があります。過去のグローバリズムでも、反動の武力衝突が起きたものです。

地域の祭りは民衆のエネルギーが結束し、郷土の共同体を形成するから、ナショナリズムの動きです。祭りと芸術は出発点が似ています。祭りの絵のモチーフはお祭り騒ぎのにぎわいや盛り上がりですが、同時に影が感じられるのが特徴です。

子どもの頃の村祭りや町祭りを思い返しても、華やかな中に物悲しい余韻がありました。明るく楽しい遊園地とやや違い、かげりがあった記憶があります。祭りの絵は古代の霊的な気分をも誘い、絵に描かれた子どももレジャー参加とは違う雰囲気です。

祭りの動機が、農作物の収穫を天に感謝することと、亡き先祖を思い偲(しの)ぶことだからか。祭りのしるしを始めデザインビジュアルに古色が含まれることも、メランコリックなエレメントとして大きいでしょう。絵画に描かれる物品もまた、多少でも神秘的な意匠が選ばれているし。

今年もハロウィン祭の季節です。日本のハロウィンでは、お化けたちは子どもにお菓子を配らず。成人のゾンビ仮装を経て、ムシャクシャ発散とヤケ酒騒動にそれたみたいな。これもデフレ不況の傷心と、荒廃した国民感情の一面でしょう。暴力を規制緩和し、テロも表現の自由だとするグローバリズムらしさか。

ところで祭り気分の絵をかけば、より芸術的な作品になる理屈で、ハロウィン祭のイメージ画はどう描けるのか。小学校で課題にすればカボチャの記号化にモチーフが集中し、カボチャ顔の競演になりそう。
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2019/10/09

ノーベル化学賞のリチウムイオン電池とバブル時代

2019年のノーベル賞候補一覧が事前に出回っていて、これが来そうだと感じた方が多かったかも知れません。リチウムイオン電池の開発で、旭化成の吉野彰氏が化学賞に決まりました。社内外に協力者がかなり多い研究だったことでしょう。

バブル時代の前に発売されたリチウムイオン電池には、大きい欠点がありました。メモリー効果です。充電を繰り返すうちに、いっぱいまで入りきる電力が減ってしまいます。使っているうちに使用可能時間が短くなり、こまめな充電もだめという注意書きが目につきました。

それがもうとっくに目立たないほど、長寿命の製品に変わっています。今、普通に一眼レフカメラを買うと、ローエンド製品でさえストロボと、モータードライブも付属します。以前は、単三電池8本のバッテリーパックなどが必要でした。

ところでリチウムイオン電池を、リチウム電池と略して呼ぶと、異なる別ものになります。リチウム電池の代表は、パソコンのマザーボードにはめ込んであるボタン電池です。CR2032の型番は、コイン形状のリチウム電池、直径20ミリ、厚さ3.2ミリの意味。

今回のノーベル賞となったリチウムイオン電池は、当初爆発炎上した事例があり、ノートパソコンをジェット旅客機の客室に入れないなどの制約がありました。この面も高性能化しています。日本で決定的な製品が出たことも、当時は当然な気がしていましたが。

やはり話はこっちへ向かいます。1990年頃の日本は、世界初を目指す創造に燃えていました。ジャパンマネーが内需に向いて。今は緊縮財政(通貨削減)が選択されて、国際競争の通信機器仕様5Gも日本は蚊帳の外。日本が小走りすれば5Gなどはちょろいのに、政府財政の逆走で内需が消えたから旭化成も動けず。
2019/09/27

北欧国スウェーデンを日本が目指すならプロダクトデザイン

北欧の主要四カ国の特徴は、まず人口が少ない。ノルウェー、スウェーデン、デンマーク、フィンランド。人口が最多のスウェーデンでも日本の13分の1で、神奈川県プラス島根県の人数。他の三国は24分の1程度。内需が小さいから、海外輸出に頼る工業国を目指してきました。

携帯電話の勝ち組だったノキア社はフィンランド、バブル前から日本でよく見かけた車ボルボ社はスウェーデン、オーディオ界のグッドデザインで鳴らしたB&O社はデンマーク。ベオグラム4000という、おしゃれなレコードプレーヤーです。

富裕層向けの高付加価値製品を作り、石油を多く使う先進国です。スウェーデンの16歳少女の国連演説は、ブーメランだと感じた人がいたはず。演説内容に資本家のお金儲け批判が含まれましたが、彼女が所属する環境NGOの願いは現金収入です。僕らに補助金をよろしくと。それはともかく、人命とお金は今や等価です。

かつてアフリカ諸国への援助の議論で、向こうに必要なのは食料ではなくお金だという本質論がありました。アフリカ国の産業育成を手伝い、輸入する側の先進国も富む必要があるメカニズムでした。今の問題は、富を1パーセントの人が巻き上げる、その手段にCO2温暖化説を利用している点です。黒幕は国単位ですらない。

日本の国会議員はよく、日本を欧州国ふうに変えたがります。そのターゲット国は明治時代は意外にもイギリスでなくフランスで、近年はドイツ、スイス、北欧国がよくあがり、意識高い系がスウェーデン指向。亜熱帯アジアの人口大国で、地震と台風の災害大国だという与条件を、コロッと忘れて。福島、倉敷、千葉。

日本をそこまで北欧四カ国に変えたいなら、真似るのは消費税率よりもグッドデザインのポリシーでしょう。ベオグラム4000流の高付加価値デザイン開発を目指せばよいのに、そこはディスカウントのバッタものでいいやって風潮。
→Beogram 4000
2019/09/06

日本のおもてなし観光でも議論と分析が苦手らしく

現代日本の欠点として内外からよく指摘されるのが、「日本人は議論ができない」です。ネットでも論破という語が出回りますが、論破の名人といえば、概して論点ずらしと極論放言に、細部の揚げ足取りと人格攻撃です。そして大声。絵の面積が法外に大きいみたいな感じか。

本当に多いのが、「君には言う資格がない」の封じ込め方です。言う場を与えないことで否定する手。最近海外報道が書き立てたのが、新聞社の質問に答えない政府首脳でした。アホな質問には答えませんと、さえぎった失点でした。アホな質問を返り討ちにするチャンスだったのに。

国際ビジネスのサイトで、英米の学者がよく日本の悪い面を指摘します。多いのは「日本人は分析ができない」です。代表的な指摘は、「日本の長所さえ分析できないのは実に惜しい」という、励ましのアドバイスです。

成功も失敗も分析しない限り、次の目標が決まりません。少しずつ積み上げる向上が起きないのです。連想するのはサッカー日本代表です。本部による分析が毎度ないから、4年ごとに課題の量と質が前と同じで、一過性の感が強い。過去の延長に今がない。

この失敗を観光で繰り返しているらしく、外国から日本に来てくれる動機を探っていない問題が言われます。たった今の収入金額に一喜一憂するだけで、未来計画が空白らしいという。つまりはマネージメント能力の話か。これはコスト削減ありきの緊縮財政の連鎖も一因でしょう。

アートでも分析が流行らず、傑作の根拠を説明できない現象が顕著です。だから、偉い人がほめたか、外国が認めたか、価格が高いか。三つのどれかで食指が動く。お墨付きの尊重から一歩出るのがなかなか。作品のどこがよいかを、自分の言葉では言えない状態。そこで作品称賛の言葉を書くことが増えました。
2019/08/11

事故物件を恐れる心理と東日本大震災の幽霊

毎年お盆が近づくと決まって出てくるニュースに、幽霊の話題があります。今年の記事のひとつに、事故物件公示サイトという情報会社がありました。自殺や殺人や変死が起きた家や土地を明記して、国民に知らせるネットサイトだという。

サイトを見ると場所を日本地図で示してあり、駐車場での自殺や飛び降りと記されています。そのアパートやマンションなどを、世間に広く知らせる便利サイトだという。この話題の裏には、日本の貧困化で自殺と孤独死が増えた事情もあります。今さら好景気にする正解がとれない、政界のメンツ問題が言われるほどで。

若者に限らず中高年の自殺も急増したのは1997年頃からで、世界的に韓国と並んで目立って高い若者の自殺率がひときわ上がったのは、失われた何年と言われた平成デフレ不況です。しかし事故物件を告知する前提に、根本的な疑問もあります。

亡き人の霊が悪役である大前提です。化けて現世の人に危害を加えたり、あの世へと連れていく解釈に沿っています。不幸を避けたければ、事故物件に住むなという警告以外の何ものでもない。死者が連続殺人鬼と化して、生きている善人を攻撃すると決めてかかっています。人の霊をテロリストと認定している。

不遇な者の霊が、生きている者を保護したり、危険を教える役になる前提がありません。たとえば水路に落ちかかった子を、そこで事故死した人の霊が道路側へ押し返してもよいはず。しかし逆に、水路へ引き込もうとする極悪な犯罪者の位置づけに、霊が想定されています。

霊を敵視し冒とくする共通心理は何か。死への恐怖は当然として、日頃他人へ抱く敵意の投影や、死者を究極の障がい者とみたてた差別的感情もありそうな。ところが、あの東日本大震災の幽霊研究だけは、被害者の霊を悪役扱いしませんでした。ふるさとを思う守り神へと、初めて解釈を変えていたのです。
2019/06/28

シンデレラの主張にもお国がらの違いか

シンデレラ・コンプレックスという語があり、いつか王子様に見出され幸せになる期待を抱く、女性の心理のある一面だという。シンデレラ物語には人間の運命の、よくあるパターンを示すエピソードが多く含まれます。

『白鳥の湖』同様に王子が嫁を決める舞踏会があって、クラシックバレエがプロコフィエフ作曲で確立されています。舞台装置に深夜零時の時計があり、巨大なメカニズムを見せる演出もありました。12回打ち鳴らす音は大きく悲劇的。

逃げ出したシンデレラは靴が片方ぬげ、王子はそれを手がかりに辺境の地まで探し回ります。ついに王子一行は家にも来て、該当者なしで最後に残った家事手伝いの女が、あの時の本人とわかる。ふところから落ちた靴が、決め手の証拠。

この部分の成り行きで、シンデレラのキャラ設定が何とおりかあります。日本の感覚なら「そのほうもこちらへ参れ、足を入れてみよ」と、お供の者が強引に試させるのが順当でしょう。「おおっ、うまく合うではないか、もう片方はどこじゃ」という流れ。

しかしシルヴィー・ギエム主演のルドルフ・ヌレエフ版は違いました。義母や義姉たちがもめる中で、シンデレラは隠していた片方の靴を、堂々と床に置くのです。その押しの強い積極的な性格なら、家を出て独立してベンチャー起業も楽勝。

ソ連から亡命したヌレエフは、アメリカのハリウッド映画界をモチーフに振り付けしました。シネマにあこがれる女性が、スター俳優の相手役を選ぶオーディションに誘われ、契約書にサインするという奇抜さでした。『ロミオとジュリエット』を『ウェストサイドストーリー』にした感じ。パリオペラ座で受け継がれ、さらなるアレンジが加えられています。
2019/03/13

2020東京オリンピックに反対する意見は正当なのか

2020東京オリンピックまであと500日を切りました。このオリンピックに反対する声は多くみられます。一番多い声は「五輪の後に必ず景気が落ち込む」という経済法則です。長くデフレ不況を続けている日本には、財力も体力もないから、活動を止めて静かにしている方がよいという意見です。

シンガポールのペーパーカンパニーに開催地決めの投票工作を依頼したと、フランスが日本を調べているニュースもあり、インチキなら直ちに開催を返上せよという声も多い。声の裏には、政界のお友だち企業だけが儲かる仕組みがあるのは確か。その根拠は人件費節約宣言です。経済波及を小さな輪にとどめる宣言です。

しかし注意がいるのは次の声です。「オリンピックはもう飽きた」「もうたくさんです」「どうせ見ないし」。飽きていない人や、実物を見たことがない人のために開催しても公平なはず。21世紀だけでソルトレイク以降の冬夏すでに9回ですが、実物を見た人は一部だけ。

まして1964東京オリンピックを見た世代の「もういいよ」は説得力なし。少年少女や児童が世界一のスポーツを間近に見るなら、断片シーンであれ教育的な意義は大きいでしょう。開催が大国の持ち回りの貧乏くじだとしても、降りると斜陽感が大きいだけ。

「無駄な東京五輪はやめろ」の意見は、どの国のどの人が書いたかわかりません。世に一個しか存在しないインターネットのおもしろい性質で、アメリカ大統領選の候補者攻撃を、ロシアの団体がロシアから書き込んでいた現実もありました。昔は資金工作、今はネット工作。

1964東京オリンピックの翌年には法則どおり経済悪化し、しかし五輪運営は赤字でも内部の借金にとどまります。外国からの借金で開催するわけではなく、国内での金の貸し借りは内需に相当します。文化波及効果も全て足せば、日本株の支えにはなるでしょう。
2019/03/08

はやぶさ2が小惑星りゅうぐうへタッチダウンした動画

小惑星探査機『はやぶさ2』が撮影した写真をつないだ、映像ふうの動画がJAXAから公開されました。小惑星『りゅうぐう』へ一本足を当てた、いわゆるタッチダウンの場面です。小石や砂がパラパラと舞い上がる様子が写っています。

初代『はやぶさ』が小惑星『イトカワ』にタッチした時は、衝撃で燃料もれが起き何カ所か故障したために、今回はあらゆる改良が行われたそうです。そのタッチ時に弾丸を撃ち、舞い上がった小石を採取する方式です。

初代は持ち帰った石が砂煙だけのプチ成功にとどまり、今回は改良されています。人類が得た地球外天体の土壌は、今もアポロとルナで得た月の石や土だけで、他天体の十分な量が欲しい。人が行けば手づかみできても、機械だとなかなか。

小惑星『りゅうぐう』は直径870メートル、重力は地球の8万分の1とわかり、質量50キロの人は約0.6グラムと、1円玉より軽くなります。人が何とか立てても、歩く一歩の動作だけで脱出速度を超えて、飛び立ってしまい戻れないでしょう。

なぜ大量の小天体が火星と木星の間隙に存在するかの疑問よりも、炭素や水はあるのか、太陽系の起源と生物の起源などの調査です。少し前に、地球の生物誕生は、月の前身が地球に激突した時だとする仮説が出されました。その前提の激突自体は昔の太平洋飛び出し説の後、アポロ15号で手堅い説になっています。

地球に衝突した天体にまぎれていた生物が、地球に乗り移った俗説がありますが、今は地球で生物が生まれた説が有力です。ただ、原始地球の水と電気だけでは有機物質に生命が宿るのは無理との実験結果もあるようです。日本は今、他天体の鉱物資源よりも、生命の不思議に関心が向いています。
2018/09/29

熊本のゆるキャラ米は国際市場へ打って出るのか

数年前にスーパーで米を買った時、一番変なのを選ぼうと思いつき、黒いクマが大きく描かれた袋のを買いました。熊本県のゆるキャラ「くまモン」という、お笑い系の商品デザインです。それを炊いてみると。

うまい。うますぎ。表面にツヤがあり粒が立ち、ややモチ米ふうで味も濃いという。驚きです。その後ニュースがあり、全国的に米の味が5年ほどで目立って向上し、超Aランクも入れ替わったという。それまで最高だったコシヒカリが、序列トップから陥落した報道です。

それを確かめようと毎回異なるものを買うと、なるほど全般に味がよいのです。何年か前とかなり違い、ニュースのとおりでした。ただ、「くまモン米」に及ぶものはなく、くらべるとどれもあと一歩。

それで最近、熊本産の別の米を買いました。品種も異なります。すると、やや「くまモン米」に似ているのです。何が起きているのかネットで調べると、何と「くまモン米」は6年も前に日本一の味に選定されていました。

米の味はどれも似たもので、水の量、ひたす時間、むらす時間で大違いの不安定さですが、日本人ならやはりわかるようです。美術がわからないという人も、見る回数が増えれば解消するのかも知れません。

政府がTPPを検討していた頃は、グローバル製品の輸出黒字と引き換える犠牲として、日本の米文化ももうおしまいと言われました。が、高品質化して付加価値をつける戦略を進めていたのかも。農家がひそかに世界も意識していると感じます。
2018/07/03

ワールドカップ2018のベルギー戦の「たられば」

ベスト8進出への決勝トーナメント、日本対ベルギーは世界から強い関心を持たれました。16カ国中、ヨーロッパ10カ国、中南米5カ国、アジア1カ国と、ポツンとひとつ混じった特別ゲスト状態で。その日本は試合内容で個性を発揮できたので、文化芸術にもつながればよいのですが。

苦悩する日本が奇跡的に勝ちかけて世界は仰天し、苦悩するベルギーが奇跡的に逆転勝ちする、サッカー漫画にありそうな展開でした。あるいは『あしたのジョー』みたいな。このミラクル結果が大量の「たられば」を誘い、諸説が出回っています。

「ああやっていたら勝てた」「こうやっていれば上に行けた」の仮説が、SNSに林立しています。そんな中「もし日本の監督を替えなければ、16位で止まらず4位まで行けた」という意見もありました。それに対し「たらればは言うだけ無駄」と反発する意見が多いのです。

終わればもう始まらない、というのが反発する理由です。さらにこう続きます。「前監督が指揮すれば、そもそも全敗し32位で終わっていたはずだ」と。出たあー。他人の「たられば」は空想無用と否定し、自分の「たられば」は通す。勝つ証拠がないように、負ける証拠もないのに。

人は仮説を心の支えにするものなのか。仮定で出した結論を証拠として、次の結論を固める思考が世界中にみられます。いわゆる論理の飛躍というやつ。願望と我欲の世界。

「たられば」は画家の作風選択でもいえます。作風が複数あった場合に、果たしてどれで行けばよかったかと悩みます。一回売れないだけで失望し捨てた画風が、実は生涯には正解かも知れないし。逆に大売れして、スジを読み違える失敗もあるわけで。
2018/01/13

成人式の振袖は無駄で華美なファッションか

振袖の販売会社が納品当日に消えて、社長がゆくえ不明の事件。被害者への同情以外に批判も盛んです。100万円分の服を着る20歳女性へのぜいたく批判も噴出し、日本に特有の平等意識と、格差社会の貧困で生じた精神荒廃の風景というか。

文化人類学にあるように、成人式の振袖はイニシエーションの機能を持っているようです。イニシエーションと呼ぶ文化行事は、日本語に訳すとしばしば「成人式」となり、各民族特有の大人社会に入る関門です。

男の子がやらされるイニシエーションにバンジージャンプがあり、また世界には虐待として廃止されたイベントもあります。女の子の場合、成人式の振袖姿は七五三の延長に相当する節目かも知れません。しかも意外に新しいイベントです。

振袖での参列は古来の風習ではなく、昭和の、戦後の新興伝統だそうで。洋服に席巻されて不況になった呉服業界が、何とか販路をつくったことで、成人式に花を添えたかたちです。大陸の呉の時代に伝わった呉服が発展し、保全し残ることができている状態。

外国から見るとニッポンのあこがれファッションで、80年代のテイスト・オブ・ハニーが「スキヤキソング」を歌うステージ衣装とか。無駄で華美なのが振袖の価値といえます。宮大工の世界と少し似た、ロストテクノロジー寸前の成功例。

近くドイツで展示する作品にも、振袖のモチーフがあります。キラキラ部分がうまく輝いた状態を撮った一枚を採用していて、柄がよい濃度で出るように何度も調整し直しました。
2017/05/10

日本のおじぎ文化と普段の姿勢

外国人が日本へ来て知った驚きの風習で、三本の指に入るのは「おじぎ」だそうです。ショップでも街中でも仕事の打ち合わせでも、ひんぱんにおじぎされてびっくりという。日本のおじぎに女性型と男性型があるつもりでいたら、前者は接客で後者は礼儀のようです。

女性的な接客型はへりくだりだから、目上へのリスペクトの意味で体を小さく見せます。肩幅を狭め、身体の最大幅も小さくし、前から見た面積を減らします。具体的には手の位置を脚部まで下げることで、腕の付け根を低くして「なで肩」に見せます。

手の位置が高いと正反対の「いかり肩」になるから、そうならないよう手を胴体よりも下に置きます。明治15年発行の『小学女礼式』のさし絵がこれで、手が大腿部にあり、連動して自然な前傾姿勢です。それに対し、男性的な礼儀のおじぎは、手が前ではなく横にあります。

覚えている方も多いでしょうが、小学校の指導でズボン足の側面にある縫い目に中指が来るあれです。つまり普通に起立したまま、体を前傾する。だから「なで肩」ぎみでありながらも、肩幅はそれほど狭まりません。それもあって男性的に見えるわけです。

マンウォッチングの人間行動心理学で解釈すると、低い両手もまた戦わない意思表示でしょう。「どうもどうも」とやるおじぎは、会釈の機能以上に丸腰のしるしだったのでしょう。手裏剣や毒針も手の内にないと示す意味で。

来日した外国人は周囲のおじぎ攻めに、おじぎで応じてしまうそうです。再びおじぎが返る無限ループが困るという。変なのと思いつつ、これが日本だと楽しい人も多いらしく。日本の万物は、おじぎの精神で築かれている気もします。普段から前かがみの人が多いのも、そのせいなのかも。
2017/05/08

日本語を捨てようとする日本と、学ぼうとする外国

日本生まれの日本人が英語で業務を行うよう、方針変更した国内企業が複数ありました。人、物、金の行き来が自由な、国境なきグローバル時代に対応させる目的でした。英語圏の国が世界制覇する前提の奇策でした。

当面の結果は業績がやはり落ちています。一般に母国語で仕事をすすめれば、きめ細かく伸び伸びできる利点があります。日本語の場合は、言語本来の精度の差で独自のアイデアや技術を過去に得てきたと、再評価もできるでしょう。

日本語には、声色の脚色なしに豊富な言い換えバリエーションで、細かく表現できる容量があります。「わびさび」「もったいない」「微妙」「テキトー」とか。その多彩さを指して、世界の言語の中で最も難しいとの評が根強くあります。ひらがなとカタカナの書き分けもそう。

逆にその微妙さに着目して、日本語を学ぶ外国人が意外に増加中だそうです。新しいきっかけは、日本語を外国の視点で分析したマニュアルだそうです。日本語は欧米語より文法が簡単で、習得は楽だという意外な分析になっていました。

「てにをは」の助詞は重大だとしても、省いても伝わる場合も多い。母音が英語の15~30個に対して5個だから、なまっても意味は変わらない上に、冠詞がない気楽さもあります。「ワタスィー、キタ、ニポン、ハジメーテ」で伝わる。もっと神経質な言語だと思っていたのが盲点。

かつて日本が捨てて外国が拾ったものに、「団体主義」がありました。不況の90年代に、企業が能力主義で個人を対立させた自己責任ブームの頃、欧米企業が終身雇用的なチーム結束を導入し、国際競争力を上げた裏話があります。浮世絵の価値を日本より先に外国が知ったのと、ちょっと似て。
2017/04/29

外国人が体験する日本の旅情とは平安時代であろう

現代日本へと続く過去で、よく注目されるのは通算264年の江戸時代です。1980年代には江戸を読み解くおもしろ本が何冊も出てきました。好景気の高揚感が背景の「東京って最高」ブームでした。早くから人口爆発と災害の心配で、東京一極集中が批判されていたものの、30年もたった今も一極集中は進行中です。

明治に急造したかに思える東京は、ほぼ江戸の街が持ち上がったものだそうです。落語も実は、明治の話題で江戸を感じさせる芸。しかし和風文化の本当の基盤は、京都で391年間の平安時代と思われます。現中東や現中国から文物を取り入れた次の、オリジナル開発へ進んだ頃だから。

平安の表現物に紫式部『源氏物語』も含まれますが、絵巻だけでなく当時の屏風絵などで特徴的なのが、アイソメトリック構図です。焦点を無限大とした斜投影図法で、遠くの物が近くの物と同サイズで描かれた大和絵がそうです。理系が作図したみたいな。

これは、建築設計のビジュアル構成図版に今も使う技法でもあり、西洋式の透視図法と違い、奥行き感がなくべちゃっと平板で、模式的な抽象性を感じさせます。遠くにある物体も縮尺が等しい。

ところどころに雲が描かれ、初期のパルテノン神殿みたいに派手な原色もふんだんにあり。また平安時代の発明に動画的な描法もあり、ぶれたり走行の軌跡みたいなモーションのラインも平安の表現です。漫画の元祖だとも言われます。

平安を連想させたのは、日本大好き外国人が撮影した旅の記録映像でした。写した物とともに、写す目も和風に感化されたのか、動画の雰囲気が平安時代の風情に近いのです。まだ歌舞伎や茶華道が生まれる前の、原始的で実験的な和風が現代の日本に残っている気がします。
2017/03/28

江戸しぐさという謎の道徳と徳川慶喜の大政奉還

小学校の道徳の授業で、「江戸しぐさ」なるものが一部の教科書にのって小さな騒ぎが起きました。江戸時代に常識だったとする日常の心がけが「江戸しぐさ」だという。しかし今の歴史学者は誰も知らず、記録にも落語にもなく。なかったものを国会議員と官僚が信じ、教科書にのせました。

その教科書を批判する本によると、「江戸しぐさ」に出てくる川を渡る船内で席を譲るマナーは、馬も乗るから座席がない江戸の船ゆえ、嘘の話だとわかるという。「江戸しぐさ」は、現代の若者を調教する目的で江戸を名乗り、最近でっちあげた作法だと結論されています。

てんまつで気になったのは、「江戸しぐさ」の資料が現代に残っていない疑問に対する、愛国NPO法人の釈明でした。説明では「江戸しぐさ」を伝承する江戸っ子たち全員を、明治政府が虐殺して葬り去ったから、いったん途絶えたのだと。途絶えたのを僕らは復活させたくて、教科書にのせたのだと。

日本でそれはないねと多くが直感したはず。うそつけと。というのも、外国の人がたまげる日本史です。フランス革命のごとき貴族と市民の戦いではなく、話し合いで徳川幕府から朝廷へ権力を戻した大政奉還の穏便ぶりが史実でした。日本をほぼ完成させていた徳川の殿様は、未来を信じ政権を返却した。

江戸から明治へは、東京に改名して持ち上がっただけで、同じ中味です。同じ建物のまま、洋服や靴を試す江戸の人たち。明治への革命に内戦はなきに等しかった。日本以外によくみる市民虐殺を言い出したばかりに、しぐさ自体の出自が疑われ、騒ぎになったのでした。

大政奉還してトップから降りた徳川慶喜(よしのぶ)は文明開化に加わり、侯爵となり国会議員となったそう。その徳川慶喜の孫娘が、平成時代にラジオ番組に出たことがあります。慶喜の質素な人柄と、彼の大好物だったカツオブシの逸話を披露してくれました。
2017/03/26

新科目の道徳教科書でボツとした日本のパン屋

小学校の新科目となる「道徳」の教科書検定の話題。郷土愛不足という意見がついた例にパン屋の物語があり、和菓子屋に変えたら合格した報道がありました。これを聞いて、明治時代の「あんパン」開発を連想した人も多いと思われます。調べると4月4日が「あんパンの日」だとか。

あんこを後付けでなくパンに内包してつくる方式で、和菓子に近い独自製法だったという。さらに連想してメロンパン(関西はサンライズ)やうぐいすパンなど、日本発のパンがあります。しかし、海外からの注目はそのあたりにとどまらず。

来日旅行客が話題にした、トンデモなパンも連想しました。試食してマニア化したり、絶対食べない宣言も出た4種です。「カレーパン」「やきそばパン」「スパゲティーパン」「ポテトサラダパン」という、いわゆる調理パンがそれ。海外で驚かれる理由のひとつは、炭水化物同士のセットだから。

小さな手作りパン屋を持ちたい人がけっこう多いのは、自分が食べたい以外に、独自の工夫の余地が望めることもあるでしょう。市販の手作りパンを見て改良の余地を感じ、色々と思いついた新規参入もあろうし。成否は水ものではなく、能力主義的な要因が大きいし。価格破壊も不要。

ルーツが洋物のパンでは、郷土愛や愛国にならない暗黙の諒解だったのでしょう。が、かりんとうや金平糖などの専門店にくらべ、パン屋は日本色を出せる創造的な場に変わっているから、教科書で位置づけ直す機会だったかも知れません。古きを守る伝統ではなく、新しきをつくる伝統として。

同時に、もっとくだらないことも連想しました。パン屋と和菓子屋の呼び方です。XX屋は放送禁止用語に含まれ、XX店やXX業と言い換える自主規制が放送局にありました。パン屋は不適切な言葉で、製パン店が適切な言葉だとの内部規制。今回のニュースでは規制しませんでしたが。
2017/03/24

日本のお菓子がけっこうな人気だって

ジャパン・フェスティバル・ベルリン2017で、菓子の出展が目立ちました。市販のパッケージ商品がきれいに並べられた写真。前からですが、世界中で日本の菓子が人気で、ほとんど依存症的な外国のファンもいて、SNSやブログの来日体験記にも菓子を大量に買い込んだ話が出てきます。

菓子は加工食品であり、保存食です。この分野で日本製品の完成度を感じたのは、1960年代でした。親族に輸入雑貨の店主がいて、外国の菓子をたくさん送ってくれたのです。板チョコレートや粒キャンデー。カルミンやレモンドライのタイプが多くありました。

赤い網の袋に、エキゾティックなお菓子が詰めてあり、外国語のきれいな包装紙が印象的でした。色々な種類のお菓子が、量もどっさりで。ところが、試しに食べてみると全くびっくり。思いっきりまずい上に、とても薬臭かったからです。とにかく、お菓子らしい味がしない。

板チョコは薬品臭ばかりが強くて、カカオの香りや砂糖の甘さが皆無。まるで食べ物ではないみたい。砕ける粒タイプのキャンデー類は、フルーツ味のはずが味をつけ忘れたような感じで、本当に新品なのか疑ったほどでした。そしてやはり、医薬品のようなにおいばかりが強くて。

外国ではこれがおいしいのか、国によって味覚がこんなに違うのかと、強い疑問が残りました。それが近年の日本製菓子の世界的人気で、やはりそういうことだったのかと納得。クオリティーの内外差は昔からあったのだと。

日本で超人気の菓子は初登場が明治大正など古い場合も多く、ロングセラーになっています。一方で後発の菓子は、新鮮な個性派として新客獲得を想定して企画されるようです。美術作品に本来期待されるクリエイティブ指向の展開が、日本の菓子にみられます。
2017/03/19

日本の桜ソメイヨシノの由来は今も謎なのか

サクラの季節になると出る話題に、花見のサクラ並木に多い種ソメイヨシノの由来があります。今ならDNA鑑定でわかるはずだと思っていたら、すでに調査が進み、日本の在来種同士の交配種と確定しているそうです。

日本に古くからある物産は、二つの運搬コースが言われてきました。ひとつはペルシャ、インド、そして随や唐など現中国から海を渡って来たもの。正倉院の宝物が一例の、シルクロード。もうひとつは、かつて南方と呼んだ東南アジアから、沖縄を経るなどして本土に着いたもの。

ソメイヨシノもそれらのコースが推定されて謎でしたが、実は人が住まない太古から列島に自生していた種が直系と判明し、これで歴史ロマンもしぼんだかも知れません。命ある生き物だからわかりやすい。そして在来種の交雑比は不詳でも、挿し木は人為的で昔の日本人が広めたことも確か。人名も見当がついていたかも。

観賞用に花びらが大型化され、日本中の並木は同一個体のクローンらしい。そのソメイヨシノがワシントンにも輸出されていて、この寒波でまとまった数が枯れたニュースがありました。もしかすると日本から再び送るのかも。とにかく温暖化が望まれます。

ところでサクラを写真に撮るのは難しく、目で見た印象と違う雰囲気になり、意外に絵になりにくいのです。理由のひとつは、ソメイヨシノの花の色が微妙すぎて、機材で生じるカラーフェイリア(色味のずれ誤差)が勝ってしまう点もあります。

サクラの花は何色かというクイズがあり、ピンクと思っても実際はかなり白色に近い。その落差はよく心理色で説明されますが、山沿いに見るヤマザクラがソメイヨシノより赤い花に見えるのは別の理屈です。ヤマザクラの花は白なのに新芽が赤いから、印象派絵画の点描効果です。遠景と接写でかなり違って見えます。
2016/11/06

ヨーロッパに伝えたい日本の空間感覚

日本美術の特異性というか持ち味のいくつかを、ヨーロッパに広めたいと常に考えています。たとえば、空間を大きくとった絵画です。売れそうなのに思ったほど売れないのがこれで、画面内スペースの解釈に日欧の違いが表れます。

空白がポカッと広い絵は、日本で多くみられます。しかしデザインバランスの問題として、間の取り方は傑作か駄作かの分かれめのひとつです。絵にすき間がありすぎると充実感が抜けてしまう問題は、制作ガイダンスでも話に出しています。

意図的な意匠として画面内に大きめにとった空間が、他国でどう見られるかは大きい関心事です。間合いに成功した表現なのか、踏み込みが浅くとどまった失敗なのか。洒脱を未熟と、誤解釈されないかという心配。

売れる絵は、日本とヨーロッパ各国で一致しません。料理のすまし汁とシチューの違いに相当する文化的趣味の違いも要因でしょう。むろん、異国情緒は互いに逆だし。また取っ付きのよい画風はどんなタイプかは、作品流通が少ない国と、流通が多い国では違うでしょう。

言葉に表しにくい部分ですが、売り絵のコツが日欧で違っているというか。流通が多いヨーロッパでは中心価格帯がいくつもあり、高い方も安い方もピンキリという違いもあります。

わからない作品ジャンルには、どうしても権威主義が入り込みます。だから日本からヨーロッパへ送る作品は、相手にとってわかりやすいサブカルっぽいものほど、実力だけで立つことができやすい傾向もあるのです。
2016/06/30

壁素材型アートの課題

こちらで見せ方に執着している作品に、ヴァーチャル壁タイプがあります。リアルの土か石かセメント壁に似た作品です。汚れたり崩れたり、あるいは朽ちたりコケむした、古色の材質をイメージした絵もあります。ざらざらしたテクスチャーや、濃淡ムラの情感を味わう抽象画の一種。

そうした壁素材型の絵は欧米にもありますが、とりわけ日本ではうんと地味で渋い調子が多いようです。自然指向の写実といえる、空気的な存在のワビサビ。しかし、ドイツでは見せ方が難しいのです。

日本の建設業はスクラップ・アンド・ビルド方式です。平野部が狭く地価が高い上に、建物付きの土地だとはね上がる固定資産税。古建築の取り壊しを急がせて新築を促す制度は、土建国家と呼ぶ根拠のひとつです。日本の展示会場は、新築のきれいな壁である可能性が大。

対してドイツでは古建築のリユースが多く、各地に昔の工場や集会ホールを転用した展示場があります。リフォームはホコリ落とし程度で、柱や壁は塗り直さずそのまま。ドイツの展示会場は、汚れてくすんでボロボロだったりも多く、見た目が素材アートしちゃっています。

ヴァーチャル壁タイプの美術作品は、日本の展示室では引き立っても、ドイツの展示室では埋没する心配もあるのです。展示場建物内装の肌触り感が、アート作品にそっくりなせいで。

日本の壁素材型で現地で好評だった絵もありますが、結果がイマイチの作品は日本の感覚では絶品だったりします。向こうに合わせて作り変えるのもおもしろくないし、これは意外に大きい課題です。