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2023/11/30

絵画販売サイトの販促は画竜点睛を欠く|美術作品の論評力が不足

絵画販売サイトから、作品を登録販売している美術家が販売促進に参加できる知らせが来ていました。でもそれが本当に販促になるかといえば、無理なのかも。日本国民はそもそも、同時代美術(コンテンポラリーアート)への無関心が強いから。作品と鑑賞者の間に特別な壁があります。

日本で必要な販促は、露出度アップではありません。作品群を鼻先に突きつけられても、人々は価値を受け取ることができないからです。認知度を上げても買うには至らないことが多い。美術の香りがそもそも嫌いだったりするから、香りをかがせてもだめ。そこが壁です。

販促を行うなら、その壁を除去し、乗り越えやすい説得やスピーチが必要になります。それならできそうに思えますが、その解説もまた現状と同じ方向に流れてしまうから、聞かされる方は「また念仏が始まった」とがっかりします。

念仏の典型が「評価が高いよ」です。なぜ高評価なのかを宣伝マンが自分の言葉で言えず、高いとの情報で押し切ろうとしがち。作品の内容を読み取る力がやっぱりないからです。だから終始伝わるのは、「僕は絵についてはわかりません」です。

わからない者がセールスをやるから、話が前へ進まない。宣伝を聞く側も何が何だかわからないから、とても手が出ない。「この絵の何がどう優れているか」を誰も言えずに時間だけが過ぎます。売れない絵画販売会社は、画家からお金を取らないとやっていけない。

「海外で評価が高い」の殺し文句に頼っているとの指摘は、前から言われてきました。対象が日本の画家なら「価値の逆輸入」の受け身になるわけです。こちらでそれとは違う流れをつくろうと複数の通販業者に持ちかけましたが、どこも現状維持から飛べずにいました。悪い現状を変えるのを怖がって。
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2022/08/14

現代アート絵画塾の解説文を入れ替えて|欧州美術との落差を解消

現代アート絵画塾の解説文を入れ替えました。なかなか率直な書き方ができないと感じていました。日本で絵をかく人は作品を売ることを彼岸に置いた制作は意外に少なく、どちらかといえば真理追究的な方向が多いと感じます。

海外美術展示イベントに古くからご参加の方は、当初は売れる率が低く、売れると朗報が話題になった覚えがあると思います。しかし途中からほとんど売れなくなりました。そこでここで募集に加え企画もやるようになると、しだいに画商の役回りに変えて、売れる作戦へと発展させました。

作品展示あっせんや代行ではなく、はっきりと売るためのオプションコースを設けました。欧州展示で作品が売れる率を高めます。それで5点に1点が売れましたが、もっといけるはずです。周辺をいじっても解決しないので、デジタル版画の特性を活かして作品を改良しています。

ドイツ市場で続けるメリットとして、芸術性で何とかなる点があります。「芸術的に作れば売れなくなる」という逆行現象が起きにくい。「芸術性を薄めてやらないと嫌われてしまう国だ」的な困惑が確率的に出にくい相手です。わりと素直に成果が出るのを確かめました。

ところで日本の通販サイトの全作品を点検してみると、ドイツでこれらは買われないだろうという作品が並び、スカウトしたくなるワクワク感も乏しいと感じます。買う側にお金を払わせるだけの、特別な特徴が抜けている作品が多いのです。

買うものがない展示に苦情が来るほど、買い物目当てに見に来てくれる国だから、送り出す側が「売るつもりはないし」では未来はなさそう。芸術的なほど売れていくのだから、こちらに無駄や損はないという明るい気持ちです。
2022/05/23

わずかな改良で躍進する絵画|海外美術展の不都合な真実に勝つ

何年も前ですが、参加者からメールが届いて「美術をやめました」とありました。こちらが募集だけ担当した頃に何度も参加してくれた方ですが、「えっ、なぜ?」と一瞬感じながら、「やっぱりそうか」とも思いました。改良の余地があると気にとめていた作品だったのです。

海外美術展に出品するには、不都合な真実があります。日本より売れやすいのは、異色でトンガッた作品も欧州の人はよく見ている、キャパシティーの大きさです。一方で少しでも非凡を求められるのは、世界の作品が集まる地だからでしょう。

初期の企画ではすぐに限界が来ました。現地の人々の関心を誘う作品を増やすために『アート・マネージメント・システム』というオプションを用意しました。事前に作品を向上させると、現地での売却率は上がり読みは当たりました。

少しいじれば、欧州で売れる領域に容易に入る作品が日本に多くあります。そこでさらに『現代アート絵画塾』なる個人講習を開催し、個々の作家がパワーアップしやすい念入りなプログラムを用意しました。「こういう変化でずっとよくなる」を相談しながら探る作戦です。

最近、日本の通販で海外の作家をチェックすると、日本の作家の方がイケるのではと思えました。ただ日本の作品に共通した不足分があるのも確かで、美術の内外差はけっこう根深いように感じます。では、その内外差の原因は何か。

日本の展覧会が「コンテスト」(競技会)中心で、「フェア」(販売会)が乏しいのも一因だと推測しています。日本では「作品の立つ瀬」「どの目を意識するか」が内向きです。展覧会イコール即売会という欧州では、日本の作品は通じにくい。欧州向けの改良を考えています。
2022/05/21

作者のクセを活かせば現代アートは拡充|セザンヌは手が苦手

現代アート絵画塾は、微妙な本質論を大事にします。「作者が今できないことを、できるようにする」努力はプラスになるかという命題です。それだと、18世紀以前の描画訓練に戻ってしまいそうだからです。

技能向上で芸術性が高まらないのは、歴史を振り返った結果論です。スポーツともそこは違うのかも。野球のバッターは、自分がやりやすいフォームに流れると打てなくなるらしく、やりにくいフォームへ改造するコーチがいるそう。

絵画塾では、自分のやりやすい方向を大事にします。苦手の克服は作品の凡俗化に向かい、マイナスになる危険もつきまとうから。独自色が一般色に化けるのは進化ではないし。特に「絵らしく」は強い誘惑ですが、得るより失う方が大きい。

海外遠征でわかったのは、いかにも絵らしい絵にまとまった作品は、食傷されているのか関心を持たれません。「らしさ」から逸脱している方が支持され買われるという、わかりやすい指標です。異色であり違和感があることがカギです。

しかし日本では逆の常識が存在し、「らしくないのはだめ」というふうに海外と反対の価値観で回っています。この問題はもう言われ尽くしており、しかし解消していません。芸術性を高めると浮いてしまう現象が、日本に今もあります。

セザンヌは手の描写にクセがあり、どの絵も手は技能不足で「何じゃこりゃ」と。セザンヌ絵画の芸術性は明瞭でも「何が優れているかがさっぱりわからん」の声が昔から多いのは、写実の精度が悪いからでしょう。人一倍へたな画家なので、芸術はそこじゃないとわかります。
2020/12/26

作品は改善すべきか改革すべきか|現代アート絵画塾の方針

当初は展示企画のオプションだったマネージ・アンド・プロデュースのオプションを、現代アート絵画塾という単独企画に変えて好評です。もっとも作品改良するとなれば、日本ではやや抵抗があるのが普通かも知れません。

というのは、日本では芸術は売り物と対立する葛藤があり、束縛のない自由な衝動を尊重するからです。それがかえって伸びしろの制約になり、買うほどの特異性が小さくなる面があるのです。気の向くままだと、普通の凡作に向かってしまう。

売買市場が拡大しなくなり、受験産業に似た公募コンテスト展が増えるわけです。国内で展示即売会はブレイクしなかったし、展示会は高尚なままです。市民が美術を見る目を持たない前提で、上が価値を決めて下に習得させるやり方です。

この環境で制作する作家は、急進改革では失敗しやすいと感じます。思えば1980年代から叫ばれた日本の各種変更は、改革と名のつく全てが日本を壊してきました。改善とは違い、改革は飛び跳ねて、残念な結果となる経験則があります。

改革が失敗する理由は、過去とのつながりを断つからです。人は過去の延長に現在を築き、足し算方式をとることが多い。CG画で起きることですが、制作後に全てをやり変えると、長所も短所もまとめて裏返しとなり、元あった筋の良さも崩すから積み上がらないことが多くあります。リセットは改善とは違う。

作品を土台ごとひっくり返すと損失が目立つから、こちらも手直しにとどめてその範囲は広がっています。従来の9割を活かし、1割以下の改善でも大きく違うものにできます。美術のこういう方向での前進があまりないのも、コンテスト展だと見る人々が受動的になりすぎる結果だと感じます。
2020/10/29

大阪市の廃止消滅にあこがれる心理と人間|芸術の破壊的創造

日本では改革は全て悪く出ています。景気は下がり、社会経済は傾き続けました。その理由はわかりきっていて、改良や改善とは違い、改革は逆効果も同時だからです。悪い部分は良くなり、良い部分は悪くなる。朝三暮四的な改革も多いし。

企業でも根幹から変えて戻れない改革だと、意外に多くが倒れています。既存の物ごとの切り捨てが後で利いてきて、喪失に気づくと士気は著しく下がります。人間はロボットとは違い心理的な存在で、生物なのだとよくわかる現象です。

企業の強みは次々と改革して仕様変更する動きよりも、伝統と称したコアにあり、部分的にいじって広げていく方がプラスです。日本は1992年を境に好景気が終わり、バブル不動産の不良債権処理でマネーストックが300兆円以上消えました。

政府の通貨発行権で円を注入するよう世界は要求しました。が、銀行をよく思わない国民感情で見送り、日本は貧困化しました。今の50歳と30歳で、日本の実力がどの程度なのか体験が極端に違います。改革の不吉さは年輩こそ経験しています。

改革が失敗する法則は、美術制作も同様です。個人の生涯のテーマは初段の試作に表れているもので、それを捨てない方がうまくいきます。捨てて一新すると自分の絵に持って行く基盤がかすんで、以前に戻らない条件と相まって、自己流が収束しにくい虚無が生じます。

現代アート絵画塾でも、制作の改革や一新は逆効果だとみています。作品は手直しで見違えるほど改善し、逆転できるケースが大半です。野球のフォームとは違い、作品づくりで過去を捨て去るのは遠回りしすぎで、人はロボットのようにはソフトを替えられないものです。
2020/08/15

世界大恐慌のアートはシュールレアリスム|超現実主義は今も標準美術

新型コロナで全国で業務が縮小し自粛も続く中で、ドイツの展示と通販販路の模索と並行して、何件か現代アート絵画塾を続けています。題材となる作品は、全てが個人のマイブームに関わるモチーフです。

新型コロナも今どきのモチーフに使えそうです。ふと思ったのは、前回の世界大恐慌では、どういうアートが生まれていたのか。振り返ると、シュールレアリスム、超現実主義の真っただ中だったようです。

シュールレアリスムは1920から30年代のパリの芸術運動で、無意識をテーマに、社会問題に広げるアートでした。その中頃1929年に、米ウォール街の株暴落が起きました。超デフレ不況で失業と餓死が増え、貧困化の反動で伸びたファシズムも、シュールの制作ネタになったでしょう。

シュールレアリスムのバックグラウンドは、心理学と精神医学でした。西洋文明で歴史上最も美術が創造的になったのは、1930年代だと言われるのは、シュールレアリスムの表現手法の普遍性が大きいでしょう。

意味論、暗喩、記号論、象徴など、モダンの以前にポストモダンへ飛んだような、論理拡張した作品構成が開花したのでした。根底に、全体主義的な管理社会の台頭に対して、人々の警戒と否定意識が起きていたこともありました。

日本では具象の印象派と野獣派だけがわかる人が多いのですが、新世代はシュールレアリスムが標準になってくるかも知れません。ダリに人気が片寄りすぎてはいますが。シュールは具象の延長で抽象思考的で、しかも不穏な謎を持つ作品が多いのが特徴です。
2020/07/27

美術制作塾・作品撮影術など補強企画の時間|コロナ休み中の募集

日本列島は大部分が長い梅雨のまま真夏へ向かい、でもコロナ感染者数は記録更新が続きます。旅行推進GoToトラベルキャンペーンで感染が広がる恐れで、混乱ぎみです。スポーツ系と芸術系が羽を伸ばせる日は、なかなか近づきません。

日独とも集会の自由が不十分で、展示がセットできない状態です。ただこれも考えようで、空き時間に作家補強企画は続けています。「現代アート絵画塾」「絵画撮影技術ガイド」「作家サイト制作」などです。

「現代アート絵画塾」は、日本であまり聞かない芸術制作のパワーアップ相談室です。20世紀初頭のパリ前衛アートが連帯で花開いたのにヒントを得て、一人で考えると狭まりがちな作品制作に、プラスのアイデアをつけていくものです。作品評価の感覚が、日欧で差が開いた実態が根底にあります。

芸術は世界言語だといえても、美術様式は世界言語でないようです。日本は世界と逆の価値で動くことがよくあります。海外基準でチャレンジの成果が出るよう補強し、現地の的に当てて売却率を上げる作戦です。

「絵画撮影技術ガイド」では、時代の新技法であるデジタルプリント、版画テクノロジーを活用します。最高作がすでに手元になく、画像も撮っていなかった無念の事態が何度もあり、手遅れになる前に改善します。

「作家サイト制作」は、作家のハイライトだけを見せるために、作品展示壁を模したデザインポートフォリオです。従来の自叙伝型サイトが詰め込んで薄まる欠点を改め、他薦を基準とした別冊特集号の感覚で組みます。
2019/10/19

現代アート絵画塾・アートマネージメントシステム|単独企画スタート

日本中で美術制作から撤退する人もいれば、新規参入する人もいます。やめる人が多ければ、席が空いて新人の入る余地ができるとも考えられます。ここでも新人を応援していますが、絵をひとつ描くにも方法の確立は課題です。

ありふれた作風に同化しないよう、差異化に時間がかかるのは今どきも同じです。「今すぐ自分に何かができそうだ」という勢いだけでは、作り始めてすぐ壁に来るもので、準備期間はやはり必要です。

『現代アート絵画塾』という、画期的な企画を考えました。オプション設定にあるアート・マネージメント・システムの単独版です。この企画の背景にある問題は、日本に広がる美術の孤立無援のマイナス面です。支援にも条件がありすぎるし。

今も健在なアート思想に「自分を貫こう」「自らを絶対曲げるな」的な純粋主義があります。芸術は一人の世界だから、自然体を徹底するんだ、何にも左右されてはならない、真っ直ぐにという、原理主義的な理想です。結果は個人の分断。

そんな孤立が起きやすい美術制作に対して、たとえば音楽の世界では一人の限界は明らかで、だから共同作業で完熟させる方式です。その応用なのか、美術も先進国でチームワークが増えています。ここでも意見交換する程度から始まりました。

美術制作も歌と似て、休むと錆びついて実現できない体に戻り、スランプから復帰できずアートと縁が切れやすい。日本だけで起きているデフレ不況で、休止を余儀なくされるケースもあるし。展示目標の設定がない場合でも、別の時間の過ごし方でパワーアップできるよう図る企画です。
→現代アート絵画塾・アート・マネージメント・システム