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2014/08/30

清純派アートの可能性

清潔感という議題が現代美術にあります。この物語の中では、特に。

ペーパーアートコレクション2014で、最初に売れたのは木版画でした。その伝統版画、今どきの強みのひとつが汚れです。版画につきものの部分ムラや版ごとのばらつきが、現代に失われた何か不足分を埋めているのだろうと感じます。

日本美術のひとつの流れとして、もう長く精度競争している感があります。作品をがんばって作りますという時、ある種の正確さを求めることで、純度を上げる意味が混じってきます。同時代の工業製品に引きずられたのか、うまい絵とはチリひとつないクリーンが前提というような、きれい志向。

こうした清純に向かう新作美術に対して、版画は逆です。陶芸で、二年に一度しか出ない色なんてのがありました。本釉トルコの還元焼きでまれに出る、不思議な渋い空色とか。そこまでは化けない版画にも、思わぬおもしろい成果へ転ぶ可能性はあります。多色刷りのずれ具合なども。

その逆へ自動的に向かってしまう悩みが電子絵画です。特に3D系は普通に作ればすっきりクリアーすぎて、エディトリアルデザインにでも似てきて、芸術テイストが薄れます。そこで、マッピングで汚したり、ソリッドやサーフェイスを歪める技術が多用されてきました。

電子絵画では、きれいを極める作品はまだ道半ばで、汚す作業はこれから折り返して高度化すると考えられます。手づくり版画に生じる汚濁は不慮であるだけに、人がわざとやる汚し作業を迫力で上回っています。
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2014/08/27

売れる作品の特徴

以前から時々受けた質問のひとつに、ドイツではどういう作品が売れるのかというのがあります。それは誰でも知りたいわけです。ヒントだけでも。

「これが売れる」という模範が示せない理由のひとつは、まんべんなく売れたから。そして、まんべんなく売れない時もあったからでもあって。実際に展示ごとに、ヒーロー、ヒロインが入れ替わってきた印象があります。

理由のもうひとつは、本来クリエイトは価値が多様化しているから。コンビニアートを目指すよりも、自分色をつくり上げて、世界と価値観を共有することを意識した作家も多いと思われます。そそのかせて、作風を引率するのもなんだかなあ、という。もしゴッホに売れる絵をかかせていたら、歴史に残らなかったわけで。

だからおそらく、「過去にこういう売れる傾向があったような」と法則らしきを聞いても、そちらへガクッと変更するケースは少ないでしょう。混沌とした美術界で、大事なものが他にあるわけです。その大事なものについて、折々にヒントを出していくことにします。

結果的には「何じゃこりゃ」というタイプから売れたりがあって、コンテンポラリーのおもしろさです。ただ、会場でお客に見過ごされてはおもしろくないから、壁に並べるレイアウトを途中で変えるなど小細工は加えます。
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2014/08/26

画廊の取り扱い作家になる秘術

タネ明かしすれば、ギャラリーに作品があれば、取り扱い作家になります。鑑賞と購入目的の顧客に、そう映るからです。

ギャラリーは、作品の取り扱い時間を増やして売ろうとします。こちらでも特集展示会の期間を長めにとって、さらにじりじり延長したり、遅れた問い合わせ向けに、展示後もすぐ解散せずにしばらく取り置きます。しばしば、展示が終わってから売れたこともあって、逆にプレビューの前に売約になることも考えられます。

取り扱い作品強化の目的に、作品の高級化など上昇志向もあります。ただし、高額作品を仕入れて高値転売しても、古美術を回しているだけで、やはり新人発掘で先見性の表明が第一志望です。国際アート情報発信地とは、世界の新人が舞台に上がる地にほかならないから。

では、図版で新作家の露出度を上げる手はどうか。アーティスト年鑑2014を編集し、ベルリンの他ギャラリーにも置いてもらったりとか。しかし冊子の編集出版は、現地事情があって延期してしまいました。

日本では、絵画のローン購入が流行った頃がありました。が、ドイツでは人と美術の関係はそんなに大層ではなく、女子高生も低予算でメッセに買いに来るほど。アートが暮らしの中にあるドイツでは、作品の実物を置いたが勝ちです。コレクターや他ギャラリストの視察、報道取材でも、冊子より実物の方が話が早い。

他の高級ギャラリーにも、出資すれば作品を置くことはできます。1点で2千ユーロからのレベルです。実際に売り出しに色々とコストがかかるから、ベルリンの感覚では驚く額でもないようです。
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2014/08/24

画廊の専属作家はどうなっているか

日本の漫画で描かれた、近世ヨーロッパの画家の人生。画家に資産家のパトロンがつくストーリーで、パトロンのためだけに絵をかく画家は、人生丸ごと囲われていき・・・。パトロンでなくとも、画商が画家を支配できるのか。必ずそこを通して絵を発表する契約を結ぶのが一般的なのか。

今日でも、画廊と画家の関係でイメージされやすい構図のひとつに、こうしたお抱え専属があります。芸能事務所と所属タレントの関係に似たイメージです。しかし現実は、画家が一画商のみに向けて制作するのはまず無理と思われます。

近世ヨーロッパ絵画は、全てが具象でした。写実系スリーパターンで、人物、風景、静物。しかし現代では既成の概念を壊すと称して、アートの範囲が多様化し拡散しています。お客の価値観も多様化済みだし、ヨーロッパがコンテストからアートフェアへ移行した理由もそれです。

もちろん、拡散したはずの作風に流行が生じ、類似作が集まってたむろするトレンドができる現象もあります。が、一応建前として一人一人が違う絵を描くアイデンティティーの時代です。さらに、画家の人数も多い乱世。

そんな現代に、一画廊が一画家を昔のように囲ったら、売り込みコストでじきに破産するでしょう。互いの権利と義務をゆるくしないとかえって成り立たないでしょう。実際に欧米でやる売り出し戦術に、複数の画廊での同時展示があります。20世紀より前からあった方法でしょう。

こちらからも、ベルリンの高級ギャラリーへ参加者の作品を貸し出しています。一部のフォト作品も同様。この時、その画家の所属ギャラリーは一応あっても、厳密性は薄れています。ゆるいルールで、ギャラリー同士が組んでネットワーク化しています。
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2014/08/22

作家のホームページは必要なのか

美術作家のホームページは、ヨーロッパで活動するには一応必要とされます。どっちでもいいだろうと思ったのですが、そうでもないらしくて。

どっちでもいいと思ったのは、日本で作家サイトを出しても、まず何も起きないからです。サイトを作れば何かが変わるかと期待したら、何もなかった例が大半でしょう。国内では見る需要がないシラケ業界。現に、活動停止した美術サイトがけっこう放置されています。大物になった後で作っても間に合う感じ。

ヨーロッパでは、市民レベルでも作家の検討にサイトが使われています。それなら無料ブログに作品を並べていけるかと思えば、公式サイトが格上なのだとか。意外な風習で、自己投資するプロを買い、無料のアマチュアと区別するところが、ヨーロッパ社会にあるようです。

日本が自由でくだけているのか、美術家の作風や力量は最大関心事でないのか、不思議な部分です。とにかく外国向けには、外国語オフィシャルサイトが有効なのは確かのようです。

ところが、美術家はWEBサイトの収益問題にぶつかります。主因は、サイト制作費が車の価格帯だから。Eコマースの商用サイトなら込み込み50万円で普通に作っても、やがて50万円が入ってくるから、設備投資として一応成り立ちます。奮発した結果リターンも大きくなれば、バランスします。

しかし作家サイトは、50万円が入ってくる予定が普通はありません。それで、長年サイトを持たずにいる作家が多くなっています。
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2014/08/19

日本とドイツ、アートギャラリーの体裁

新しいDENのインテリアを、モダンに変える計画を考えました。日本のグッドデザインによくある、白黒グレーを基調とした無機質でクリスタルな感じに。しかし現地検討であっさり却下。木質が混在し、物を色々と置いた現状のゴチャゴチャが、お客の好みなのだそう。

この差は、日独の一般的なギャラリー設計にも表れています。日本でアートギャラリーと聞けば、ニュートラルでクリーンなスペースが浮かびます。すっきり清潔感のある空間。デコラ張りやガラステーブルなど、白か透明が主体。しかしドイツだと、もっとアットホームでカジュアルです。

古物を古いまま使い続ける習慣はドイツの国民性のひとつで、空き家再生プログラムなど建造物のリユースもそうです。日本にも、スクラップ・アンド・ビルドとは逆の、リインカーネーション運動がありました。大阪の中の島にある様式建築群を再生して残すもので、1980年に提案され話題になりました。ユーミンの同名アルバムが出たのは、その3年後。

長く日本には土地神話はあっても、建物神話はなかったようです。上物は付属品にすぎず、築20年でゼロ査定になる住宅制度もそうです。一方、建物での神話づくりが好きなドイツでは、輪廻転生を打ち出すまでもなく、現代美術と古建築の組み合わせなどは多くあります。

ドイツのギャラリー観がわかるイベントに、「芸術の夜」がありました。ライプツィヒ市内のストリート沿いに臨時ギャラリーを点在させ、アート即売を行う町内祭です。それが趣のある廃墟に限らず、オフィスの地上階とか、飲み屋の一角とか、職人工房の壁とか、どこでもギャラリー状態でした。

人々は買う作品を探し回っていて、日本のように雰囲気ある作品鑑賞を楽しむのとは違います。アートを並べた場所が即席ギャラリーとなって、すぐに他人と作品を論じ合う、そういう日常感覚が根底にあります。
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2014/08/16

アート制作共業の可能性

ポピュラー音楽プロデューサーはアルバムの方向性を決めたり、編曲やミックスでその実現に関わりますが、作曲したケースも多くあります。

あるロックバンドがアルバム制作中に、急きょプロデューサーを加えたことがありました。どうも今イチだと、バンドリーダーもわかっていました。録音済みの曲を聴いたプロデューサーは全てボツにして、新たに自ら作曲してアルバムヒットへとひっくり返し、バンドはシーンに返り咲きました。

レーベルの命運をかけて売ることが至上の音楽産業に対し、美術も同じでいけるかは微妙でしょう。ただ、多くの美術作品に関わり売り出しを図る時、「この作品はここが惜しい」と感じることが多いのも事実です。「ここをいじれば変わるのに」と。

一作品の細部だけでなく、作家の方針自体にも一言思い付いたりします。「こうやれば売れる」という方向ではありません。「やりたいのはこういうことでしょう」「でも何かが足りない」「足りないものはこれでは」。

制作への介入は音楽ではよくあるのに、美術では流行っていません。実は参加者からも、制作内容への助言を求められることはあるのです。でも深入りしないよう、こっちにブレーキがかかります。

表現物のひとつ、フィギュアスケートの演技では、監督やプロデュース担当だけでなくコーチもつきます。「選手が好きにやればいいのさ」だけでなく、何か合理的なクリエイティヴィティー向上作戦が美術でもとれないかと、他ジャンルとくらべながら考えることがあります。
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2014/08/13

過去の景気と美術の関係

文化活動は景気と関係して上下しますが、同時に上下するのではありません。美術景気は、社会経済の好景気に先行するようにみえます。

今から一番近い過去の美術ブームは、あのバブル時代でした。しかしバブルの引き鉄となった「プラザ合意」より前に美術の活況は起きていました。そして、空前の好景気を全員が感じた不動産獲得ブームや、三大スポーツブームが全盛の頃には、美術は引き潮に変わっていたのです。

さらにさかのぼった半世紀前、東京五輪前の1950年代美術ブームも、高度成長よりも先に始まったようです。美術ブーム30年周期説とは別に、景気前座説が考えられます。

80年代後半は、金利操作による株価爆上げがなくとも好景気だったと想像できます。するとその前に何があったのか。まず近代美術館建設ブーム、有名な町おこしブーム、ロフトやフィッシャーマンズワーフ活用ブーム、メセナブーム、公共彫刻ブーム、パフォーマンス広場ブーム、版画ローン購入ブーム、そしてインスターレーションブーム。

ただし、メセナ以外は足が速かったものでした。当時のにわかギャラリストたちが肩で風切ったかと思えば、半年後に展示スペースも部署も人も消えていた高速回転ぶり。美術景気が早じまいした後に、バラ色の好景気たるバブル時代を人々が謳歌した順序でした。

なので、好景気を受けて計画された公共建築では、イベントスペースやパフォーマンス広場はすたれて用意されなくなり、むしろ死語となっていました。理想のイベントに参加しようとねばって待った美術家たちは、出番なしに終わった、それが80年代の一面でした。
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2014/08/10

日本の景気は上昇前夜か

国際都市でアートを動かす定点の活動。気になるのは、両国の景気です。美術は景気に強く影響される分野です。そして日本のごく最近の景気は、1980年代のある時期と似ているかも知れません。

2009年にアメリカで住宅金融破綻、国内では大震災、ギリシャなどの財政危機。失われた20年から日本が出られない事件に何度も見舞われました。しかしこの1年、やっと明るいきざしが見えています。ひとつは、自動車の色です。道行く車のカラーが、ついに変化し始めたのです。

覚えている方もいると思いますが、80年代に大売れしたスポーティーなファミリーカーの赤は、バブルの前の流行でした。景気が悪化していく90年代からは、白、黒、グレー(シルバー)の車でないとほとんど売れない時代が続いています。

それが今年2014年になって、鮮やかなブルーやグリーンの乗用車があっちこっちを走っています。赤も帰って来て。2000年代に絶滅したかに見えたオレンジやパープル、栗色やあさぎ色の車も。呼び方のわからない中間色のパステルカラーも復活中です。

社会の気分が、これまでの沈んだグレーから、はしゃいだ赤や青へ向かっているのかも知れません。あるいは他人と同じ無難な白黒に、もう同化したくない心理かも知れません。過去に照らせば、景気が持ち直して国内の美術が動く前夜が、こんな感じでした。
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2014/08/05

美術のプロデュース

ポピュラー音楽のプロデューサーは、商品化アドバイザーの意味が強いようです。よく知られた伝説的な実例に、ポール・サイモンの「The sound of silence」のシングル盤がありました。プロデューサーの勝手なアレンジで大ヒットし、フォークグループがスーパースターに飛躍したのです。

キャンバス画だと一発でスーパースターとはいかないでしょうが、しかし日本でもアートのプロデュースという言葉は、話題にのぼりながら長くくすぶっていて、少し前からやってみる人がいます。

ただしアートでは、商品化が正義とは限らない問題があります。音楽のポール・サイモンも、作詞作曲した本人は大ヒットしたバージョンが不満で、陽が当たらなかった元バージョンがその後も本命だったそう。

アートの尺度は、売れる売れない以外にユニーク度も大きいでしょう。作家の念頭には自分らしさがまた別にあって、それぞれの方向は一致しないでしょう。売れ行きだけを追う者は、実際には少ないでしょう。

何が何でも売る目的で出品することはむしろ少なく、提案の賛同者を探す目的が多めの気がします。うまくいくとわかっている定石には乗らないぞという気概もあって。このギャラリーがそんな場になればと願っています。

今度の企画の絵はがき作製は、大衆雑貨のプリントグッズとは少し違います。一枚のミニチュアで作品のこころを伝えるべく、プロデューサーの視点で技術投入します。
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2014/08/03

効率よくアートを世に出す方法を考える

参加者の中に、過去の個展の回数が非常に多い方がいます。そして、実際に成果を上げてきたようです。全部がそうではないのですが、そうでない誤典の話は後でやりましょう。展示の頻度を高めるという作戦は、たぶん作風を認知させる基本の基本です。

外国の美術家がよくやりますが、露出度を高めるには展示会をガンガンやるのが近道で、これは50年前のパリなどから変わっていないようです。同時に複数カ所で展示とか、次々と連続させるとか。

たとえば、ネットに特集的なサイトを出して露出度を上げることも考えていて、こちらもプログラムを整備中です。サイトの話題ならおまかせを。

しかし結局はネット以前に、美術家とリアル画商とリアル論者がタッグを組むなどした、挙党態勢が必要に感じられます。我々の物語というのも、その挙党態勢をデジタル時代向けに合理化したものといえます。

たまにポツンとスポット的に展示に参列しても、作品が旅する思い出づくりで終わりがちで、散発的でも集中して見えるシステムを求めてしまいます。レギュラー出演画廊を持つことも、ひとつの解答だろうと考えています。

そのうち物語流写真展を募集しますが、壁への展示で終わらない何かを考案中です。
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