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2015/04/29

DENのブログが再開していました

更新が止まっていた「ベルリンからの手紙」ブログの話をしたら、直前に再開していました。同じ日に。

このついでに再整備していますが、テンプレートにいくつか不具合があったみたいです。よくあることで、テンプレート作者の想定よりも字数が多いと、全体の形が崩れる現象です。一部が重なったり、玉突き的にずれたり。

動的サイトによくある構成で、食器に当たるサイト構造と、料理に当たる字や写真が別に保管されていて、配信サーバーで盛り付けされる、その際に量が合わない場合が問題です。コンテンツありきと考えて、テンプレート構造の方をいじることにします。

ブログの動作のスローぶりは10年前からあまり変わらず、ブログユーザーの意見には入力レスポンス改善要望が多くあるものです。しかし無料だから限界がすぐ来てしまい、やはり有料サイトの動作はずっと軽いものです。

海外の重いブログは、広告と画像を詰め込んだせいでスクロールがまるで動かなかったりしますが、そうならないようにする対策は色々とあります。
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2015/04/26

絶対美術と標題美術?

「ベルリンからの手紙」ブログが一向に増えず、広告が出たままです。たぶん美術と音楽を混ぜようと張り切ったせいでしょう。美術と音楽の謎をすっきり語った者は、そもそも人類史上珍しいほどですから。無茶振りぎみ。

音楽には絶対音楽と標題音楽があり、後者は物語を持つ音楽を指し、より耳なじみがよいもの、そこから話がスタートします。

例として、プロコフィエフ『ピーターと狼』では、小鳥はフルートで猫はクラリネットで表します。小さく軽く飛び回る動物は、高音域の楽器で小刻みなメロディーを奏でる、これも標題音楽の常道です。ホルンが小鳥だったり、フルートがおじいさんや狩人ではおかしい。

そうした音楽の分け方を、美術の抽象と具象、表現主義と写実主義、無機性と有機性、ポストモダンの記号論やメタファなど、似たような対立軸をからめたエッセーを考えたら、ちょっと難題すぎるでしょう。

現実に引き戻しますが、日本では「抽象美術がわからない」と言い出せば、とりあえず常識人に仲間入りできます。庶民だけでなくセレブまでが、具象はわかり抽象はわからないと言えば共感を呼び、無害な人にみえる風土があります。抽象美術ファンの国会議員は皆無で、アニメファンが限界で。

現代美術の難易度はさらに別の軸です。芸術創作の立場と受け手の理解の壁を、脳の機能や帰属社会も含めて解くのは、大学教授にもまとめきれない仕事でしょう。スタート前から時間切れ。ちなみに欧米の美術展で音楽がよく出てくるのは、この件と少し関係があります。
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2015/04/23

アーティストサイトは静的か動的か

ショップの次に企業でも、動的なサイトが大流行中です。動的サイトとは、アニメが動くサイトではなく、読者が見る寸前に表示ページを組み立てるサイトです。組み立てるのは、遠方のWEBサーバー内プログラム。

たこ焼きにたとえれば、つくり置きの包みが静的サイトで、注文を受けて焼き始めるのが動的サイト。移動たこ焼き店は、販売車が動くから動的なのではなく、現場でつくるから動的だと呼ぶ、そのような論法です。

動的サイトの典型が、無料レンタルブログです。ネタの活字と画像はデータベース化され、読者のリクエストに応じてサーバー側でネタを組み替え、画面を即席でつくって送ります。同一カテゴリーの記事のみ抽出し、並び順を変えたりも可能です。

動的ブログから動的サイトへ一般化するにつれ、逆に静的サイトの見直しが起きているそうです。静的サイトは、紙芝居のように全ページを作ってあります。精密に作り込めるから、パーツの微妙なチリ合わせなど、妥協しないデザインに好都合です。

たとえばこのブログページでは、グリーンの線と、その左にある白線はそろわず雑然としていますが、静的サイトだと整えてデザインしやすくなります。また、素人にはメンテが難しいサーバーソフトの支援なしに映るから、静的サイトは完全版を手元に永久保存できます。

切実な違いのひとつはスピードです。動的サイトの反応にタイムラグがあったりノロノロするのは、送り出しサーバー内で処理待ちの行列ができるからです。必要度の低い分野では、読者の関心を切らさない静的サイトの俊敏さが有利だという話。
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2015/04/20

個展へ接近する手

ドイツでは業界人もコレクターも、ソロが張れるアーティストを買う傾向があります。当然といえば当然ですが、現代美術展がひしめくベルリンなので、団体展にとどまらない充実した作家に関心を持ちます。個展の格は思ったより高くなっています。

個展で先が開け、制作活動のターニングポイントになった例はしばしばありましたが、コストはかかっています。複数のスタッフが一作家に時間をかけ、方々に手を回して動くから、グループ展一個分に似た費用が一人分になります。

そこをやわらげようと、ミニグループ展を考案中です。たとえばテーマを用意し、2人以上のコラボ展など。あるいは、もう少し大勢で芸術運動を仕掛ける案。何となく当てどもなく展示してもだめだからと、理念の論文も付けることも考えます。

にわかづくりで念入りにまとめるのはとても間に合わないので、メンバーは事前に集まっている中からということになり、早くから芸術運動物語の文脈づくりでも始動しています。
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2015/04/15

作家サイトの寿命

作家サイトは一生ものにはなりません。本来は自動車に近い高コストなのに、あまり長くは使えない、その一因はハイテクからの圧力です。ホームページの構造はどんどん変化していて、だから古びます。

流行は、1990年代はフレーム構造、2000年代前半にテーブル構造、後半にボックス構造と、W3C推奨の反映で次々変わっています。今はサーバープログラムが流行中で、動的ページが増えました。最新サイトの表示が重いのは、サーバー内のコール・レスポンスが増えたから。

以前多くあったのはアニメと音楽が出迎えるサイトで、今の静止画が流れるサイトが似ています。いずれもやがて嫌われるようになり、動画の仕様も変更されるから、だから入魂のサイトを作っても作っても、いずれ時代遅れになります。

ページ幅も変わります。VGAモニターがまだ多いからと幅600ピクセル推奨が続き、SVGAとXGA兼用の幅720に広がり、ブラウン管が生産終了し液晶のハイレゾ化で幅1000超に解禁されたと思ったら、スマホ兼用でまたぐっと狭くなって。コマーシャルなリキッド構造も、最新トレンドです。

6日後の4月21日からスマホ対応サイトを優先するとGoogleが公表し、業界はまた過渡期です。ゆったり間をとったアーティストサイトは、ブランドイメージをかもす代わりに、旧式認定マークを貼られるかも知れません。

スマホで今は動かないユーザーフレンドリーな仕掛けが、動く時が来ればまた作り直しでしょう。最新トレンドべったりなほど後で化石に見えてしまうデザイン物の宿命が、WEBにもあります。
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2015/04/10

美術のプロとアマチュア

今できる最大の力を出し、後は天にまかせて結果を待つ。人はそれをアマチュアと呼びます。プロは結果ありきで逆算して行動するもの。行く末を天に預けるなどの、ばくちを打たないのがプロ。

美術家のプロの最終目標は、ひとまず作品を売って黒字を出し続けることでしょう。自分以外に何人も養うのも、ひとつの理想形でしょうか。

ところが絵画や彫刻などには、芸術性という付加価値が求められます。放棄してもよいのですが、求めるケースも多く。他ジャンルにくらべ飛び抜けて強く。デザイングッズと違い、差異化で際立たせるのをよしとする哲学が核心にあります。

しかも、それをより際立たせた人ほど不遇となったのが歴史の必定で、ここが常に身の振りの分岐点でもあり、損得勘定が加わる場面でもあって。とはいっても、天命のごとく自動選択されるのが普通でしょう。各々、さして迷うほどでもなくて。

結局、アマチュアリズムによってのみ、芸術の革新性の扉が開かれるのだと思えます。値がつかない部分に、芸術が宿ってきたのが結果論です。その意味では、プロアーティストを育てようという言い方は、あまり芸術的でない気がしています。売れっ子の育成は、芸術の育成とは異質なのかも。
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2015/04/05

個展の予約コーナー

グループ展やアートフェア募集が最近は企画リストにあまり並ばないから、どうなったのかとご心配かも知れません。実は、代わりに少人数展が動いています。

団体展の減少はベルリン事情の反映で、日本人作家への現地の関心が、個展や少人数展に向かい始めたのが理由です。日本作品へのご祝儀的な興味はまだあるにしても、当初の珍しさは薄れぎみ。いうなれば見学対象から買い物と研究対象へと、格上が求められているというか。

作品20個なりをすぐに用意できる作家が、外国のコレクターから期待されます。画廊なら、なおさら安定供給至上。こちらも連携アーティストを補強して、切り出し方も改良しながらプレーに参加します。にわかづくりの消化不良にならないよう、傾向と対策を早めにご相談ください。

また展示場の光景がきれいに写るよう、ドイツ側にプロ仕様のカメラも新調することにしました。
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2015/04/04

希望の光の描き方

連続テレビドラマで、善と悪が交錯する物語を放送しにくくなったと言われます。一例は、不良が立ち直る物語。

素行の悪い少年が何かをきっかけに心を入れ替え、良識の人へと成長していく脚本です。第一回でみせた主人公の素行の悪さに、視聴者からクレームが来て、早々と番組の打ち切りを余儀なくされるという。

似たことが、かつて日本のギャラリーで起きていました。闇を描いて、一条の光が差して、希望へと向かう表現をプレゼする場合。闇の作品を見たマネージャーが一言、「うちのギャラリーは、暗い作品はお断りしています」。

反語表現が少ない日本語のせいで、芸術的視点が制約を受ける説があります。バラ色を表すのに、対比や逆転で強める反語的な持っていき方が、人々にほとんど解されないのです。むろんマネージャーたちも苦手。

その結果表現はベタになり、バラ色だけの使用を余儀なくされる限界が生じます。光が鮮やかに輝く、その背景の暗さが糾弾されるものだから、軽くさわやかな青空作品ばかりが市中に増えてしまう理屈です。平和ボケしたようなアート作品群。

一方、欧州国ではどす黒かったり、灰色の重い作品が好評の結果も目立ち、羽を伸ばしていける希望があります。ただしその場合も、暗く沈んで終わりの作品ではなく、希望の光が差す仕掛けが具現化していてこその希望でしょうが。
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