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2015/09/28

絵はがき企画のリニューアル計画

今日はドイツ側で電子版画の試し刷りですが、Japan Festival Berlin行きはまだ資金が不十分です。補うためにJapan Festival Berlin展示用の、アーティスト絵はがき出版の募集を近く始めます。

今までは店頭常設がメインで、フェスティバル参加はオプションでさえない、単なるオマケでした。ところが、お祭りはさすがに売れ方が大きく、ほとんど全ての図柄にファンがついたので、こちらも色々と考えました。そして何と、思いがけない2年連続開催になっているし。

とりあえず、メインをフェスティバル用としてひっくり返し、企画の主旨自体を組み直す予定です。時間がたった既存出版分についても思案中ですが、結論はまだ出ていません。
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2015/09/27

空飛ぶ円盤のような芸術

空飛ぶ円盤は、そもそも発端がウソだったと知られています。日本では、UFOの和訳が「空飛ぶ円盤」と思っている人が多く、それを英訳すれば「フライング・ディスク」。しかし実際の英語は「フライング・ソーサー」だそうで、「飛んでいる皿」が騒ぎのスタートでした。

ところがこの英語自体がアメリカ新聞社のねつ造で、最初の目撃証言は「水面に皿を投げた時のはねるような飛び方だった」であり、形がツバメふうかボール状かは言わなかった。これを新聞社が「皿のような物が飛んでいた」と虚偽の記事を出して、以降は空中に皿状オブジェ類を吊って撮影する大ブームが起き、写真家たちが本物認定を期して腕を競いました。

今日まで続く騒ぎの全体から注目できるのは、宇宙人来襲への人類の畏怖とあこがれであり、ほとんど宗教心に等しい動機が読める点です。撮影者自身が「実はこういうトリックでした」と証言しても聞き入れてもらえないほど、がんこに偏向していく人類の運命が感じられます。

美術で似た現象に、ムンクの『叫び』があります。「あれは叫んでいなくて、耳をふさいでいる絵だ」といくら言っても、ウソ解釈の方ががんこに通るのは、そもそもタイトルが間違っているからでしょう。円盤と同じ運命です。

人々が作品から何を受け取るかは、題名に左右される説が考えられます。この説を裏づける例はベートーベンの交響曲です。作者は5番目のシンフォニーと名づけただけで、『運命』は後世の人がつけた呼称でした。
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2015/09/24

1億総活躍社会の背景

日本国政府が新たに示した目標は「1億総活躍社会」で、今日発表されたばかり。この標語の背景として、国民が活躍できない社会に日本が長く陥っている実態があります。

国内企業で社員やスタッフが活躍しにくい、その発端は能力給や成果主義でした。これは、バブル後の給与減をカモフラージュした偽装配当で、能力主義とは異なるもの。往年の年功序列を強制終了させたとされます。

容易に誰でもリストラ可能な組織では、親子ほど違う50才と25才が競合するから、ベテランが駆け出しに仕事の要領を教えなくなります。年上が年下の失敗を、よい知らせと受け取る。このギスギスした気分が、まず起点。

責任回避込みの不明瞭な指示が多発され、組織内は激しい行き違いと手戻り、弁解と水掛け論に終始する、ご存じ日本病です。五輪準備で国内建築家やデザイナーが活躍できなかったのも、予想を裏切らない光景か。

これをグローバル時代の到来だと誇ろうとしたら、欧米企業は古き日本の家族主義を参考にし始めていたオチがありました。全員が活躍できるのは、全員の地位が安定した社会であり、否定されて久しい一億総中流社会へのゆり戻しかとも思える標語です。

ヨーロッパの多くは今も貴族由来の階級社会で、ドイツもそうでアートのセグメントにもその軸線があります。武士を完全解体した日本は、アジア的な経済セレブで上流階層を構成したものの、その層が必ずしも日本の規範となる義理もなく、結果的には価値観がばらけた感があります。
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2015/09/23

日本の平成不況の原因

新世代は、今の長く深い不況の概要を知らされていないかも知れません。日本不況の原因でないキーワードは、少子高齢化、就労人口減少、晩婚、ポスト冷戦、リーマンショック、ギリシャ危機、9.11、3.11、東アジア国台頭、ゆとり教育、通販、ブラック企業、インターネット。

次に、不況の原因と関係が深いキーワード。1ドル240円、プラザ合意、公定歩合、バブル景気、設備投資、内需、民営化、地上げ、自己責任、不良債権、潜在貸し渋り、非正規雇用、派遣労働、デフレ、民事再生法、グローバルスタンダード。

1987年に銀行の期日指定定期預金3年ものに100万円預けると、1年後に68000円の利子がもらえました。しかし、数年で30000円ほどに下がりました。2015年の今は1年でわずか300円の利子。凋落ぶりは、1984年あたりの35000円と今の300円の差です。100倍以上。

世界の足を引っ張る日本へ、欧米国が言った「too little too late」の意味。バブル後の銀行の貸し倒れと担保目減りの負債を、日本政府が都合するのが小さく遅かったとされます。銀行は不遜で意地悪だと感じていた民意があって、国のトップが序盤に先送りして失われた23年です。

「飲み会や合コンに行かない若者が、結婚せず子も産まないから、人口が減って物が売れず不況になった」とは、よくあるウソ話です。原因と指摘された多くは結果の方であり、長く続いているこの不況の主なあらすじは、金融の数字の物語です。
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2015/09/22

プログレッシヴロックとサブカルチャー美術

セックス・ピストルズらのロンドン・パンク・ロックが台頭した時、反面教師として叩かれたのはブリティッシュ・プログレッシヴ・ロックでした。「3分で足りるのに、20分もかけて時間が無駄だろ」と。

ところが世界中に広がり、途上国にも浸透したのはプログレでした。人気の理由は、作品として長くつきあえるからでしょう。作曲と演奏の能力とセンスが目立って高い、一部の才人が主導した音楽だったからです。

プログレの特徴は、演奏主体、長尺、ドラマチック、意外な転調、変拍子、めまぐるしい切り替わりなど。さらにセンチメンタルな影差す旋律が多く、傾聴できる点がクラシック音楽と似ています。ストリングス・キーボードの多用もオーケストラふう。

日本と関係が深いのは、吉松とエマーソン・レイクとかのレベルに限らず、一部サブカル系アートのバックグラウンドにプログレ曲が潜む点です。世の歌の大半はラブソングですが、プログレは違って、自然の流転、社会不安、人生の蹉跌、現世の刹那、太古の回想、未来の宿命など、ユニバーサルでコズミックなテーマが多い。

これが日本のアニメイラスト画にある、楽園と地獄、魔界の宮殿、人類最終戦争や時空相転移など、ファンタジー物語の舞台にマッチするという。日本のサブカルの根に、総合芸術的な広がりがあるともいえます。

対するファインアートは、今や物語を喪失した感も。美術と美術がインスパイアし合う閉そくというか。既存作品を模写して、自分ふうにつくり変えずに審査を受けるなど、やる意味ないじゃんという話題もありました。
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2015/09/21

コンピューター画に見えてしまう絵

手描きの絵画を外国で展示して、コンピューターグラフィックスに見られる場合があります。この絵はデジタルだろうと、バイヤーに勘違いされる不利は見過ごせません。

その前に、本物のCG画の現実はどうか。キャンバス画にくらべて、デジタル絵画の制作コストは一ケタ上がります。一方売価は、キャンバス画ならA3サイズで20万円も考えられますが、A3ジクレーならプレミアム付き2万円が上限かも知れません。原画は売らないから妥当なところ。

制作費が10倍、売価は10分の1がデジタル画の会計だから、もうけるには100倍損。ジクレーをつくるなら、制作費が普通に1倍で済んで、ブツも手元に残るアナログ画から版を起こす方がずっと有利な計算です。

当然、アナログ画がCGと誤解されたら損します。所有者も「これCGでしょ」と言われて、本当は手描きだったら微妙。80年代に日本で数が売れたアメリカ製の版画がミクストメディアだったのは、量産したオフセット印刷に絵具を塗って、手描き並みに値を上げるためでした。

21世紀の水彩の手描き原画は、いっそのことハンドメイドとわかる工夫が必要でしょう。特に日本の新世代アートにはサブカル系イラストも多く、デジタル原画に見られやすい。これは芸術への無理解とは別次元なので、改善策を個別提案しています。
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2015/09/20

第1号は鯉。ブランド絵はがき図鑑1

ブランド絵はがきの一作目は魚でした。打ち上げ花火の音にびっくりして、川からこいのぼりが飛び上がったシーン。ドイツのブランデンブルク州テルトウ市の展覧会で、ポスターに使われた絵画でした。今も市のサイトのバックナンバーにあります。

原画はもっと範囲が広く、絵はがきでは周囲を多めにカットしてあり、何パターンか試して決めた配置です。硬質な作風にアナログの香りを残そうと、最初から処理手順がやや複雑になっていて、これは原画の撮影条件によってもやり方が変わります。

ブランド絵はがき
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2015/09/17

2015年の日本最大の問題

日本が直面した大問題は景気です。23年続く不況は先進国での一人負けで、世界が笑顔の中、日本だけがずっと泣き顔でした。日本の奇妙な不調は最近不調続きの五輪準備に限らず、あらゆる分野で続いています。

この記録的な不況のキーワードは非正規雇用で、奴隷制度とささやかれているもの。今の日本が奴隷を必要とする理由は、資金難を下層国民にしわ寄せして企業を存続させるためです。シベリア抑留を彷彿とさせるブラックバイトが、典型的なビジネスモデルでしょう。国民は奴隷依存度の高い低いに注目するから、上層をサンプルとした政府統計と食い違うわけです。

平成奴隷制の最大の難点は、能力主義でないこと。企業でよくみるのは、才なき正社員を才ある非正規が指導教育する光景です。さえない社員の年収は、指導者の3倍から7倍という逆転が生じています。逆転を消す目的で、正社員より十分劣った非正規だけを選んで使う企業もあるほど。

こうした地位と能力の著しい乖離が、日本の国力をめっきり弱らせました。90年代に始まった技術の海外流出で、電器、電機、電子は軒並みだめ。美術も巻き込まれています。

最近政府は、軽減税率を先輩のヨーロッパ式税制に学ばず、より手続きが複雑な珍案で出しました。こうした日頃の行いのせいなのか、先輩のヨーロッパ式戦争抑止力理論に、国民が耳を貸す雰囲気が全く消えています。意趣返しの試合みたいな様相で。

国会が荒れても、しかし間違ってはいけません。日本が直面した大問題は景気です。
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2015/09/16

シンプルな略画でヨーロッパを魅了できるか

ヨーロッパに作品を出す時、スケッチふう略画を選ぶ画家がいます。たいてい若い方ですが、通用しにくいのです。別にヨーロッパに限らない話で。

大画家の画集や回顧展の図録などに、よくサラサラとシンプルに筆のすさびを表した絵が掲載されています。そうした温かい人柄を感じさせる味わい深い絵でもだめなのか、という疑問も出るでしょう。それは大画家だから許される余技です。「大物だから」の言い方には、尊敬以外も含みます。

社会をゆるがす事件が起きると、ジャーナルが大物人物のコメントを出します。そのコメントに中味がないなあ、誰でも言えるなあと感じることがあるはず。ジャーナルが狙ったのは、ハロー効果と呼ぶ心理現象です。「たいへんなことが起きて驚き、深刻さに憂慮します」と、道行く主婦が言ってもだめで、著名な大物が言うと一転して視聴者は重く受け止めます。

誰が言ったかによって感じるものに大差が生じる人間のいい加減な心理を、ジャーナルは販売促進に使うわけです。一種の名前借り。たまたま道行く主婦の正体が、大物の評論文を手がけるプロのゴーストエッセイストだったりすると、笑えない笑い話になります。

新進の画家が小手調べ的な作品を送っても、ヨーロッパの大物が同じことをやった場合のテイストを、相手は感じてくれません。突き詰めれば、大物もたいしたことをやっていない証拠でもあり、自己ベストとハロー効果で成り立つ面があります。

新進画家も、わずかな自己ベストを手に挑むべきでしょう。デビュー時から略式作品で流すのではなくて。探せば2点は傑出品が隠れていて、でも本人の関心はそこになかったりもします。
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2015/09/15

ブランド絵はがきがセルフでない理由

絵はがきを作るなら、昔から写真DPEのポストカードがあり、またデザイングッズ販売サイトもプリントシール感覚で扱っていました。安いだけに行き届かず、試しに作って興味をなくした人も多かったことでしょう。

絵画作品を撮影すると、画質は一定しません。露出アンダー、ピンぼけや手ぶれ。傾いて台形や平行四辺形に写ったり、広角レンズのタル形歪み。色かぶりや色乗り過剰。最も解決困難な照度ムラ。スキャナーはフラットベッド型のゴミ、外注のプロ仕事でも、黒線や光学的な白線引き。

業者の修整は別途で万円に達したりして、絵はがきの売り上げを超えるから、経済原理で事務的な絵はがきにとどまるわけです。この実態に気付いたのは、作家カード類をベルリン市内で集めてみた時でした。構図も画質もイマイチだったり、版組みルールの誤解も意外にみられるようで。

ここで作るブランド絵はがきがセルフ入稿でないのは、美術品として作っているからです。事務用品とは違い、ベルリン側の客層も想定してあります。絵はがきも厳密にはオフセット版画ですが、ミニサイズのしかも定型だから色々な細工が必要です。

ところで、まだ一枚も売れていない図柄は、スピード選定の絵が多いのかも。意見を出し合い作り込んだ、苦難の図柄の方がお客の反応がよく、最近は作家に他の作品も見せてもらうケースが増えました。
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2015/09/13

わかる芸術を発見したと思ったら罠

クラシック音楽史上最高のピアニストは、19世紀のリストとされます。作曲でも美曲、難曲、技巧曲が多い。しかし最近の反論では、もっと速く弾ける新人ピアニストはゴロゴロいて、リストなんて下位だという。人間は進歩して年々向上すると言いたげな今ふうの主張ですが、実はワナがあります。

アップライトピアノが合う部屋に、達人がグランドピアノを置く理由は何か。音が美しいからか。最大の理由は高速のアクションです。鍵盤を押して離すとすぐに戻る。1秒間に鳴らせる音数が、グランドピアノの方が倍に達し、新製品が有利という。

現代ピアニストがハイスピードに弾きまくる、その手柄はメカのレスポンスでした。ピアノメーカーの勝利。

これと何となく似た現象が美術にもあって、たとえば絵具の鮮やかさです。後世ほど、抜けるように輝く原色が増えています。昔は複数の混合だった色が、顔料の開発で原色チューブで次々と新発売。「鮮やかー、きれいー」と感動する近年の絵画は、画家の腕というより画材メーカーの勝利。

ところで、速度アップや彩度アップは万人にわかりやすいから、玄人は避けたくなります。それが作品を評価する軸を乱しもします。うんと地味な中間色が好まれた昭和の絵画も、枯れた趣味というより、一般人や子どもが反応しにくく、立ち入り難いようにした高尚狙いだった疑いがあります。輝く原色も渋い中間色も、色で芸術性を判断するのはワナです。
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2015/09/11

コピペデザインに恐怖する国民

ネットでめぼしいデザインを見つけて複写し、模倣や転用してクライアントに納品する。そんなデザイン業務のビジネスモデルがあると知った国民は批判し、テレビも雑誌もネットも大荒れでした。国民が批判する動機は怒りで、根底にあるのは恐怖感と考えられます。

実現したら人類が終わるという、「あること」があります。すぐ浮かぶ例は、大量殺りく兵器の市販や、クローン人間の技術完成など。透明人間や瞬間移動や呪い殺人など、オカルトは除くとして。そんな「あること」のひとつに、際限なきコピー技術があります。一線を越えると、便利どころか社会を崩壊させるコピーテクノロジー。

ハイテク不正は、大学受験のネットカンニングが怖い一例でした。試験会場からネットの質問サイトへ試験問題を送り、寄せられた回答を書き写した受験生がいた事件です。携帯電話の徹底排除で終結しましたが、電話は今後も高度化、小型化するから、国民の不安は消えていません。

情報伝達機器の高度化によって、能力至上からかけ離れていく不安が、国民の恐怖の正体です。何を指して才能と呼ぶか、何が根拠の順位づけで、その人を偉人と決めた実力の内訳は具体的に何か。放置すれば秩序がつぶれていく予感を感じて、国民は危機を読み取ったのです。

模倣なき創造はあり得ないからという同業の弁解に、国民は納得しませんでした。「芸術は模倣から始まる」の格言も、うまい言い逃れになっていて。コピーする人からではなく、コピーされる人から王者が出て欲しいと、日本国民が思ったことは確かです。
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2015/09/09

Macintoshパソコンの注意点いくつか

Macパソコンの補足説明です。歴史では、アメリカのXeroxパロアルト研究所を見学した二人の若者の、一方がMacOSを、一方がWindowsをつくったとされます。画面にウィンドウが開いてアイコンが並ぶデザインはゼロックス社の発明で、それまではSF映画に見るような活字行が出て問答する画面でした。

現在のMacパソコンのOSコア部はUnixのBSD系で、最近ベルリンのビジネスマンにMacファンが増えたと聞きました。Macがクリエイター向けで、Windowsがビジネス向けだったはずが、近年逆転したようで。20年来のクリエイターは、転換時期はWindowsNT版「3Dスタジオ」の頃とご記憶かも知れません。

OS9の後継OSXも、Windowsと相性がよくない部分があります。OSXのファインダーにある圧縮解凍ソフトは、知られたバグで実用性に難があります。代わりに優れたフリーソフトが出回り、ビジネスでは必須です。またメールプログラムのバグで、不規則な貼付化けも起きます。

MS-Officeデータは、両者で互換がありません。これはWindowsのいわゆるOLE技術に当たる、MacOSのマルチメディア混在機能が、コスト理由で互換性を捨てているからかも。アイコンやリソースフォークの可視制限や、役物の文字化け、カラースペースの優先順など、まあ色々あります。

何かが起きてもガイドしますので、ここでは心配はいりません。不具合ではなく、仕様の場合もあります。
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2015/09/07

Japan Festival Berlinの何じゃこりゃサイト

何年か前、ドイツの日本見本市 Japan Festival Berlin のサイトを見て感じたのは、これはちょっとー。実際はアートグッズの展示即売によって人混みなのに、サイトでは消えていて、無形文化に関する写真ばかりだったからです。地味というか、何か違うでしょ。

盆踊りのような地区大会か、と思った参加者もいたほどです。「作品を広くみんなに見てもらえる場じゃなさそうで残念」の声まで出てきました。

実際はドイツ中から知識人や好事家、コレクターや一般市民も集まり、広くみんなが見るこれ以上の絵画発表の場はないのに。サイトのプレゼンテーションによって、イメージずれを起こしているように感じました。

一般のアートフェア(展示販売会)にくらべて、女子高生から長老まで見て買ってが、ジャパン・フェスティバルの芸術展示の特徴です。しかもお客は最初から日本文化が目的だから、日本代表として関心を独占できて、こちらのペースで売り込みやすい。フランスやアメリカのギャラリーと競合せずに、主役を張れて。

今回のサイトも、やはりダサい。別にこれに限らずアートフェアのサイトは、内輪の気分や作業のウェイトに引っ張られすぎの編集が多いと感じます。画家が自分だけでサイトを作っても、関心が片寄ってしまうのと似て。

前回のフェスティバルの後、2年後のためにサイトから正そうと是正案を考えました。物語として未参加に終わっていて未遂でしたが、あきらめるのはまだ早い。
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2015/09/06

東京ジャズでも発揮された自由の気風

今年も東京ジャズが開催され、無料とあって盛況だったようです。ジャズの最大の特徴はジャズコードと呼ぶ不協和音ですが、もうひとつ知られたポリシーが「音楽は自由なり」とする原則です。たとえばスタンダードナンバーの『ハウ・ハイ・ザ・ムーン』の場合。

同一ルート音でメジャーセブンスからマイナーセブンスに切り替え、二度下げて回すサイクルを、セッションのステージでは別コードにアレンジします。ものすごく遅いテンポに変えたりとか。過去によく売れた演奏とは、できるだけ似ていない編曲にするのがむしろお約束で。

この発想はクラシックとは逆なのは当然として、ロックよりも格段に自由です。「まさかそうくるとはね」と客に思わせるのが腕。曲名がわかっていても、何が出てくるかは始まるまでわからない。ミュージシャンもお客も、ワンタイムの一期一会が前提という。

お客もスタジオ盤どおりは望まないで、変則的な演奏だけでなくハプニングも待っています。アドリブ延長や語りやミストーンも含めて。そういえば昔のスタジオ盤でも、ソロ交替タイミングを間違えたリーダーが、「コルトレーン、コルトレーン」と叫ぶOKテイクなんてのがありましたが。

ジャズミュージシャンの多くはクラシック出身で、練習中に楽譜にない音を試しに鳴らして、音楽の特別な力に目覚めたケースが多いようです。世界共通言語となる音楽は、ジャズで実現されています。そして、人と違うことが偉いという価値観が、ここに集まる人の根底にあります。
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2015/09/04

著作権の思想とジクレー版画

東京オリンピックのマーク騒動でちょこちょこ出るのは、著作権を批判する声です。「著作権なんていう悪法さえなければ、みんなが何でも自由に使えて幸せになれるのにね」という、昔から日本でよく言われた著作権廃止願望がまた聞こえています。

世界の著作権ルールはそれとは逆で、独創性をかばう法律です。考え出したやつが一番偉いのだと。だから新しい物を皆で生み出そうと。守ってあげますと。世にオリジナルを増やす思想。他人のアイデアを拝借して、楽して利益を上げる側には立っていません。つまり著作権は、先進文明国の論理であって、途上国とは対立します。

法の穴を突いて、いつの間にか権利が別人に移って、オリジナル発案者が退けられる事態を、何とか防ごうと設定された著作権です。原作者クレジットが、永久に制作した本人に固定する規定によく表れています。いくらお金を積んでも、別人が作った話にできない仕組みです。

ここで参加者からも質問があった、ジクレーの原画の著作権に触れます。画家がキャンバス画を描いた、それを写してジクレー版画を作れるのは描いた画家だけの特権です。そのキャンバス画を買った人が撮影して、プリントするのは違法です。原画や画像データをいくら所有しても、使う権利がありません。

キャンバスに記されたイメージ画こそが著作物の正体であり、絵を買った人は絵具つきの画布と木枠と釘を得ただけで、ソフト的な版権は画家から動いていません。画家だけがジクレーなど電子版画類を販売でき、原画のキャンバスを買った人は原画を手元で見る権利だけ。

この作者中心主義が、オリジネーターを大事にする著作権法の思想です。オリジナルを輩出しない側にとっては、いやな法律になっています。
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2015/09/03

作家サイト制作ワークショップへ向けて

作家ホームページ制作をいくつか並行しています。パイロット版で、珍しいワークショップ形式です。ねらいや理念を、解説しながら進める趣向。これは、作家のお気に入り作品を並べるサイトとは違います。本人が羽を伸ばして、やりたいことを自由にのびのびやって、思いを伝える自作自演サイトでは限界もあるからです。

自叙伝サイトではなく、作家の特集号として編集者の視点で外国に見せるサイトです。サイトもまた広義の出版物だから、編集判断が入るのは自然なことです。音楽でいえば自主制作盤や自薦集ではなく、プロデューサーと選び直してリマスタリングしたベスト盤といえるでしょう。

作品の位置づけを、大統領、四天王、飛車角金銀、実験もの、ジョーカー、トリックスター、裏側、番外などにキャラ分けし、雑誌編集法でまとめます。すると、最高傑作がどれなのかも作家と異なる場合があります。作品全般の共通する欠点を、作家自ら発見することも。

ミニコミ誌と商業雑誌の違いに似ています。編集判断が入ることで、冗長と密度低下が除去されます。読者の都合を重視し、作家自身も距離を置いたサイト読者となって、アイデアの源泉にも利用できて。

無料セルフサイトが普及し、ミニコミふうプライベートサイトが広まっていき、作家がどんぐりから脱する壁が生じています。サイトがあるだけでは尊敬されず、表紙で読者が飽きている最新事情への対抗策もあります。作品内容と見せ方のギャップを埋める試みです。
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2015/09/01

著作権とデザインとアート

2020東京オリンピックのマーク。関係者が最初に王立劇場へ出した反論は、ベルギーは商標登録していないので権利がない、だから日本は法律違反にならないという論法だったような。今の話とは全然違い、ベルギーのマークに日本の五輪マークが似ている前提の主張でした。

この登録商標絶対主義は怪しく、表現物は作者が著作権を登録する必要がありません。先進文明国が加盟する「ベルヌ条約」で、自動的に作者が著作権を持つからです。日本は19世紀に加盟済み。デザイン的なアートが増えた現代では、抽象的な紋様も美術表現として守られるのが原則です。トレードマークの登録に関係なく。

著作権の原則は日本ではややルーズで、かつて国内の絵画や写真コンテストで、主催者へ著作権が移ると明記した悪質な出品規約が出回っていました。作品を応募した側は著作権も放棄するものだと、てっきり思っていた担当者が各地に多かったみたいで。

では、ジクレー版画なら不慮の権利移動はあるか。オリジナル作品は渡さず、画像だけを編集者に渡して刷ったジクレーの著作権は簡単で、書籍と同じです。原作者と編集者が共同で版権を持ちます。共同というのは、その編集された入稿データに限って、両者合意でプリント可能な意味に限定されます。編集者の好きに増刷はできません。

ついでの一般論ですが、手刷りの版画と違ってジクレー版画は20枚や100枚はなく、たいて1枚刷るだけのワンメイクです。受注生産なので2枚目はサイズ、カット、余白、用紙などの仕様が変わることも多いもので。手刷りよりレア度は高いのが実態です。
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