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2015/12/30

画家の家と建築家

先進国の中でも日本の生活水準が低い根拠に、住宅の狭さがあります。昔からよく言われてきたウサギ小屋という語を浮かべつつ、今のドイツのアパートとくらべてもため息ばかり。

日本の貸し住宅の狭さに、絵をかく人は困っているでしょう。たとえば1メートル四方のキャンバス、S40号なる日本サイズがあります。大作といえない中作。ほぼ全ての自宅で、これを床に置くことは困難でしょう。一週間だけこの絵を寝かせて置くスペースが、家の中のどこにもないのです。

床に広場的なユーティリティースペースがないせいです。あるのはケモノ道のような人の動線、足の踏み場だけ。

日本で言う広い家とは、要するに7DKや8LDKを指します。部屋数が多いから合計面積が大きいだけ。体験する最も巨大な空間は8畳や6畳止まりで、25畳ではない。六間半の釣り竿を伸ばして床に置き、浮き下を見ながら仕掛けを作るのは困難です。自転車も分解できないし。下宿ふうの間取りがその正体で、各部屋は狭小です。

そこで、住宅建築家の出番です。戸建てや低層集合住宅の専門家なら、百平方メートル(30坪)の大きい2DKでも難なくつくれます。ところが日本の建築家は、ネットで悪く言われています。あいつらは危険だから、関わってはいけないと。

建築屋の連中の仕事からみて危険性は浮かんでこず、これは競合業種からのネガキャンと判断できます。そう、これは住宅の話題ではなく、ネットにひそむ闇の話題です。五輪スタジアム問題にまた尾ひれがつき、内外の建築家が振り回されているので連想しました。
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2015/12/27

ジクレー版画の部活

ジクレー版画の入稿編集中に、課題もみえてきました。ハードルは作品の撮影です。原画が写真やCGの場合なら、元々の工程がジクレー版画づくりと同じだから追加作業はありません。が、油彩画や水彩画の場合はデジタル撮影が必要になります。

カメラが出回る時代だから簡単そうですが、オートカメラで絵画の色彩、明暗、階調を正確に記録するには知識が必要です。ジクレー工房が、プリント技術よりも撮影技術を誇るのは、出力結果に大きく響くからです。

オートカメラは、昼の風景か人を写す用途に調整されています。山河をくっきりさせたり、肌色を明るく飛ばして若く見せる補正が常時オンだったりで、絵画を忠実に写すのは苦手。「写りのよいカメラ」の意味が違うのです。

昔から最も撮るのが難しい写真は、空中撮影や戦場カメラマンよりも、絵画の撮影だと言われてきました。絵のフチを直線に、四つの角を直角に、隅と中央の照度を等しく一様に写すだけでも、機材と時間と手間がかかります。手間を省いてそこそこに写すにも、そこそこのノウハウが必要です。

参加者側で撮影にてこずってしまうケースもありましたので、ジクレー研究会を設けようと考えました。ヨーロッパ(EU中心)向けに、ジクレー版画を製品化する目的です。
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2015/12/25

日本の不景気の新次元

今の景気策は、ニワトリと卵の悪循環を物価で解決する方式です。一番目に物価を上げて、二番目に企業収益アップ。三番目の賃上げで国民の所得が増え、四番目に物が売れてGDPと国力がアップする計画。

成果が出ない理由は、国民は物を買えば負けだと思っているからでしょう。実際の好景気では、貯金がなくて収入が小さくても、国民は物を買ったわけです。貯金が150万円しかないのに、車や家具を買ったり、楽器やビール醸造キットを買いました。お金を使っても、また入ってきたからです。

「今は物余りで買いたい物がない」は関係ない話で、要は出費が怖い。4倍の600万の貯金があっても、リストラされたら4年で路上生活に落ちる恐怖で、サイフのひもを締めるだけ。仮に増収があっても、将来に備えて金庫へ。1億円持っても、未来が怖くて節約に走る今の日本の空気。

この空気が変わるには、ハローワークが今の求職ブームから、求人ブームに変わらないといけません。必要なのは全分野の人手不足で、賃上げは副産物でしょう。そして今後ロボットにまかせて求人が増えないなら、マルクスのセオリーも崩壊済みと認め、方向転換すべきでしょう。

ワーカーが不要でユーザーのみ必要になる先進文明国の未来を悟ったのか、オランダはベーシックインカムを試験導入しました。日本も崩壊への自覚が必要でしょう。囲碁の大会にプロに混じってコンピューター選手が参加する意味を、国の首脳たちは理解できず腰の重さが目立ちます。
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2015/12/23

誰も語れない絵 ブランド絵はがき図鑑6

最も推している一枚で、当コレクションの狙いどころを正しく示しています。何かを連想させますが、何にも似ていない。「ほら、あの、あれみたいな」という、「あれ」が存在しない絵です。たとえようがなく、解説不能な造形。

そのため、口だけで説明するのは至難でしょう。「こんな感じ」という手がかりがない。美術史にも類例が特に存在しないと思われ、系譜をたどれないでしょう。言い換えれば、美術に造詣が深い面々の辞書になく、誰も語れない。現代人には対応不能。日本発の謎の商品です。

ブランド絵はがき
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2015/12/21

多品種アーティストの再スタート

具象と抽象を両方作る西欧の画家は、20世紀にやっと現れました。最初の抽象画は1907年だから当前。民族学による第三世界の造形をヒントに、西欧で抽象美術が生まれ、やがて多様化の時代が来たわけです。一人の作家が、全く違う作風を複数手がける時代。

しかし何系統も続けると、二兎を追う弊害も出てきます。どの品種も極まらずに拡散した作家の例もみられ、何屋さんを目指すか迷走ぎみだったり。確たる顔がつくれない遅れを、本人もわかっていたりとか。

年季イコール芸術ではないとしても、創作には時間も必要でしょう。ある絵を完成させるのに、その絵を何枚も描かないと、絶妙に収まらないのはよくある体験です。多品種に拡散しない方が、傑作の出現率が上がる計算。

日本に限らず、芸術という概念を職人芸で代用している人は世界中に多くいます。要するに、手が器用な細かい仕事を指して芸術と呼ぶ勘違いです。しかしそうだとしても、芸術性という得体の知れない迫力にも、細部の詰めを要するのは事実でしょう。手の器用さとは別の次元で。

たとえば鳥の絵で、木立の枝が鳥に一部隠される、その隠れ方もだんだん気になるのが本当でしょう。くちばしと葉の干渉も。位置関係を少し変えても良し悪しが生じることでしょう。前例のない破天荒さえ場数を踏んで結実させるもので、一発で成功させるのはたぶん無理。
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2015/12/20

好景気と不景気の階級闘争

人間は基本的に短絡思考であり、先見性はオマケかも知れません。美術の評価の話ではなくて。たとえば、物があまり売れない時代になると、売れるように値下げする発想が、短絡思考の典型です。

値下げするには働く人の賃金を下げる、これが落とし穴。偉そうに言うまでもなく、働く人と物を買う人は同一人物だから、賃金を下げるといっそう物が売れなくなる。賃下げは国の自殺行為で、これを自殺と気づくこともできない意気消沈が、平成日本病の病根といえそうです。

国会に出てくる賃下げ方向の法案は、不景気を続ける宣言以外の何ものでもないでしょう。国民は耐乏生活が延びる合図と受け取り、サイフのひもをいっそう固く締めて、持久戦に負けるまいとするばかり。

残業代カット、共働きのすすめ、移民提言など、人件費を下げる目的の案件がラッシュで、景気が上昇しないよう釘を刺してしまっています。吉報のはずの東京オリンピックも、それらに打ち消されて凶報と化した状態。

不況へ不況へと持っていこうとする議員たちにも、事情はあります。不景気は格差社会と因果関係があるから、好景気に転じると運営側の立場が昔に戻り、報酬が今よりも減る悩みです。経済のプロの知恵を借りれば借りるほど、景気悪化に拍車をかけるメカニズムが日本にあるという。階級闘争が進行中で、一部は中東に未来を感じ、一部は国内カルトに集う流れ。
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2015/12/18

もてない男のクリスマスソング

このシーズン、ショップ街やアーケードで流れるクリスマスソング。際立つ一曲が『アヴェ・マリア』でしょう。途中から大きく動転する展開が、ハッピーソングとあまりに違っていて。賛美歌に含まれながらも、キリスト教と全く関係がないこの曲は、謎が多いままです。

シューベルトには、こうした悲しみの思いに響く曲調が目立ちます。めそめそとメランコリックに始まり、すぐに高揚に向かってまた沈む、大仰ではないスモールスケールの回し方は、ほとんど彼の個性といえるもの。境遇の反映であろうというのが、よくある見解です。

全くもてることなく暗い貧乏な青年時代を生きて、31歳で亡くなった浮かばれない人生だそう。25歳で作った代表的な交響曲7番(旧8番)『未完成』も、初演は没後37年。ベートーベンが彼の才を認めるも、知るのが遅すぎて間に合わなかったらしい。

今日、誰も真似できない巨星も、当時は中堅でもない局地評価の未熟者で終わっていたという。いくつかのチャンスをものにできず、派手な活躍はなし。かつて松本零士の劇画でも、ドラマのない地味な悲哀の物語に描かれていたシューベルト。主人公でさえなくて。

どう演奏すべきか不明な曲も含め1000曲も書きためて、ほとんど何も得ずに消えていった。盛り上がらずじまいの失敗人生が残したクリスマスソングが、冬の商店街に鳴り響いています。
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2015/12/17

メールの転送という安全策

パソコンと携帯電話のそれぞれに、別のメールアドレスをお持ちの方も多いのではと思います。しばらく一方ばかり使っていて、もう一方に届いていたメールに長時間気づかない事故が起きたりもします。

対策は簡単で、メールアドレスの国際ルールは共通なので、相互に転送できます。一方に来たメールを、もう一方のアドレスへも丸ごと送る設定が、全プロバイダーで可能です。「Aアドレスに来たメールは、Bアドレスにも転送」という設定が、Aアドレス側のどこかにあります。

たとえば全メールをパソコン側に集めると、順序の時系列を確認しやすくなり、携帯を紛失してもバックアップが存在して安心。デジタル通信にはあらゆる機能が用意され、手を抜いて楽ができるようにしてあります。
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2015/12/14

フランス印象派と日本の浮世絵

日本の浮世絵がフランス印象派に影響を与えた話は、誇大広告かも知れません。印象派は基本的に点描画で、プリズム分光で発見された日光の正体にヒントを得ています。光は電磁波であり、周波数で色が決まる科学を応用した実験絵画で、レーザー光の前の時代。

後世のカラー印刷やカラーテレビの原理です。ルノワールもドガもタッチはガサガサと粗く、対する穏和なスーラの影響を受けたのがゴッホ。ゴッホは浮世絵を大量に持っていたから、浮世絵からの影響も言われます。

しかしそれは音楽でいえば、ジミ・ヘンドリックスがマーシャルとストラトキャスターでアメリカ国歌を演奏したようなものでしょう。ゴッホは得意の油彩で、おいらんをギンギンにディストーションして演じただけです。

浮世絵は基本的に、面相筆の筆跡が主役です。そのスピードのある線をゴッホは引かずに、ベタベタと点描タッチで浮世絵をカバーしただけ。「アメリカ国歌に影響されたロック」「国歌が生んだジミヘン」と言わないのと同様。どだい、浮世絵と印象派は水と油でしょう。

浮世絵は、今もヨーロッパで理解の外のようです。異国情緒のモティーフが目当てだから、具象に限定なわけで。塗り分けが基本の西欧絵画に対し、日本絵画では仮想の区分線を引きます。線が物体に化けたのが光琳でした。根にあるのは書道。面を塗らない線画は参加者にも散見され、理解していないヨーロッパに正しく真髄を伝えたいと考えています。
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2015/12/12

絵画のプリント濃度のトリック ブランド絵はがき図鑑5

最も苦心した一枚で、ほどよいピンク色が、いちごジャムのように赤黒くプリントされました。失敗原因に思い当たらず、後続の発注をストップしてドイツで印刷所に問い合わせました。

長く回答はなく、ふと突然発見しました。実物の絵はがきを天地ひっくり返すと、上がひどく暗かったのです。撮影の照度ムラが原因とわかりました。下半分が暗いから、全体が赤黒く見えるという。画面では目立たず、プリントすると目立つ不思議な現象です。

逆さに見るまでわからなかったのは、絵の上部と下部でパーツの密度感が違う点がひとつ。それより大きかったのは、上が明るく下が暗い配色に違和感がない、人の目の生理です。レディースファッションで、トップカラーが明でボトムが暗だと安定し、逆だと不安定に見えるあの原理です。

画像処理でならしながら三度印刷して、ムラを減らして暗く落ちるのを防ぎました。しかし回収前の初版がジャパン・フェスティバル・ベルリンで複数売れたので、一から精密撮影して四度目の正直も考えられます。コラージュ作品なのでジクレーにも好適でしょう。

ブランド絵はがき
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2015/12/11

アーティスト広告代理サイト

大衆を扇動して芸術家の地位を生み出したケースは、日本では稀少かも知れませんが、世界ではチームプレーも盛んと聞きます。他のジャンルと違って、美術はわからない人が多いから、「これが真の芸術」とメディアを駆使して演出すれば、大衆は簡単に染まっていく傾向があるからです。

何でもない作品も輝いて見え、そこを基準とする受動的反応が期待でき、続きは大衆が受け売りで広めてくれるから、芸術の定義もろとも我田引水するビジネスモデルが成り立ちます。何でもない作品を神扱いさせて、倒錯した価値観も広めさせる副作用まで込みで。

現代の広告業。国会議員選挙を戦う請け負い業務が、広告代理店のパッケージ商品になっています。一般人が境遇を訴えて募金を集めるにも、シナリオを練る企画会社があるとか。おもしろいのは企業の不祥事の会見で、これも広告業者がおわび文や質疑回答を代筆して、企業幹部に頭の下げ方や泣き方を指導してから本番へ送り出すとか。

ここで用意するドイツでの個展パッケージでも、シナリオは練ります。国政選挙のようなハイリターンと違い、コスト面のしんどさはありますが。それを事前の準備に位置づけたのが、作家サイト制作ワークショップです。

作品集サイトの編集では、美術制作コンセプトごと練り直します。あるだけ全ての作品を並べては逆効果なので、選択にも時間をかけます。会見の言葉を前もって選ぶみたいに。大衆扇動にまではならずとも、既存資源で最大限の演出を考えます。
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2015/12/09

表現の自由と、表現の制限

今から三週間ほどで年が明けると、『わが闘争』を書いた男の没後70年が過ぎ、ドイツの自治体が持つ著作権が失効します。誰でも販売できるパブリックドメインへと刻一刻と迫る今。『わが闘争』は長く禁書だったせいで、読もうと待ちわびている人も多いそうで。

パリのテロ事件のきっかけになったイラスト画もそうですが、「表現の自由」対「表現の制限」は永遠の課題です。株価操作の風説流布も自由な言説表現といえるし、学校の爆破予告も自由な主張表現には違いなく、想定される害と実害によるのが各国の対応です。

誤報や虚偽記事をめぐって、日本の新聞社が「これも表現の自由」と言って反論し、新聞社同士が論争しました。公器でウソを広める自由を、認めるか認めないかの論争です。「表現の自由」はモンスター化し、対抗側もモンスター化し、人類が表現をめぐって我が闘争という状態です。

美術で表現の自由といえば、わいせつ論争が浮かびます。違法の線引きなども。しかし、合法でも許されない表現は非常に多く、たとえばゴッホの絵も冷たく却下されました。「これでプロのつもりか」「美術としてこれはない」がパリの判断。法的には認められ、常識的には認められない絵だったのは、ゴッホに限らず。

美術家の挑戦も、法規への挑戦か常識への挑戦かに大別されるでしょう。一応それ以外の挑戦もありますが。現代人にとって、法規の話題は割り切りやすく、常識は割り切りにくい。常識への挑戦の方が摩擦はずっと大きくなって、作る方にもよっぽど負担なのです。
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2015/12/08

モノクロ写真の黒 ブランド絵はがき図鑑4

専門的な話ですが、印刷所の入稿データ仕様で、プロセスカラー限りの場合があります。スポットカラーが使えず、モノクローム写真がスミ(黒)でなく有彩色で出ます。それを演出効果にできることもありますが、元のイメージからはもちろん変わります。ウォームブラックという感じ。

日常生活では黒っぽい色も便宜的に黒と呼びますが、本物の黒は「色」ではないだけに色気が全くなく、非情さを感じさせる場合もあります。たとえばカラー写真集を見た後でモノクロ写真を見ると、一瞬死んだ雰囲気を感じたり、ポツンとそこだけ時間が止まった遠い過去になった気分に。

ブランド絵はがき

初のモノクロ写真で、これは最終チェック時の四色原稿画像なので目につきませんが、プロセスカラーで刷り上がると少し紫色に見えました。非情さが消えて穏和に変わっています。
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2015/12/06

商売に反発する日本の伸びしろ

日本人の中に、「商売は悪」という強迫観念があります。典型はハロウィーン祭で、イベント情報公開後に噴出するのが、「隠された商業目的に僕はだまされないぞ」「あれは商売だからみんな相手にしてはだめ」という声。

商業活動を絶対悪とした正義感は、先日の日本料理、和食の海外進出を政府がもくろんだ場面でも表れました。「国の伝統を売り物にするな」「何もしないで自然にまかせろ」の声。まるで妨害。スキを突いて、別国のアジア人たちが海外の和食産業を仕切っているありさまです。

そういえば大学の学園祭でも、模擬店で上手に黒字を出した学生は、クラスメートから尊敬よりもむしろ軽蔑されたはず。商いがうまい人間は、日本人の嫌いなタイプといえるでしょう。

しかしイベントが商業と連携するのは、自由主義経済社会の特徴です。共産主義との違い。日本古来の伝統行事も、商工会議所や青年会が動いて協賛企業を募り、だから山車やみこしに企業名が書いてあったりします。

古文書にみる鎌倉や江戸もそうだったし、打ち上げ花火の「かぎやー」「たまやー」もそう。尊い神事や慰霊祭も、地域景気浮上策や富国の雇用創出などで、商売と二股かかっています。現代の黒いカラクリを見破ったぞと、得意になるほどの極秘野望でもなくて。

この話題は昔からあって、プラントやシステム一式の海外売り込み失敗がよく報道されました。優れ物を作るまでが神聖で、売る尽力はけがれとみる哲学がじゃましています。国内観光も、商売嫌いを返上してからが伸びしろでしょう。まだ返上せず、だからまだ伸びず不況。
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2015/12/04

ジャパン・フェスティバル・ベルリンの作品価格

ジャパン・フェスティバル・ベルリンでは、過去に美術が比較的よく売れました。ただ、他のアートフェアと少し違う特徴もあります。それはプリントアートが特別に人気な点で、水彩、版画、CG、写真などが好調でした。

ペーパーアートが堅調になった現象は、EUの景気と関係があるのは確かです。流れの発端はやはり、アメリカ発のリーマンショックとEU発のギリシャ危機。が、別のメカニズムもあって、サブカルの陰でアートが出遅れ、お客の予算がまだ低めという傾向です。クールジャパンに遅れた美術。

現地では予算外なら買わないから、よいものはきっと売れるであろうという考えは禁物です。日本では高ければ優れ物と思いローン購入しますが、EU国では値打ちを自己判断して予算内で現金買いです。しかしそれに合わせて、2000ユーロから80ユーロに下げるのはこちらも無理。

そこで、高級絵画からジクレー版画をつくれば、サイフの範囲にも入って、非売的な参考品からも脱するという計画です。電子で国境を越えて現地生産すれば、梱包や輸出入を考えなくてよいし。

将来はリアル40号キャンバス画を並べる日も来ると信じますが、今募集しているのは40号絵画を温存して版画化するハイテク戦の実験です。
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2015/12/02

八百長相撲説にみるコストパフォーマンスの素人とプロ

素人とプロの発想、最大の違いは採算性です。たとえば大規模陰謀論は、素人考えでつくられます。「世界を裏からあやつる闇組織の手で、あらゆる事件事故は仕組まれた」という考え。

「大相撲は前もって勝ち負けが決めてあり、力士たちは芝居を演じている」という説があります。具体的に横綱の名があげられ、ヤラセでつくられたヒーローだと解説されていて。裏を知らない国民は、全編八百長の興行に感動している愚か者だとの耳寄りな風説。

これを社会人が全く信じないのは、費用対効果が理由です。壮大な計画を組み上げ、現場を指導し手配し全体統率する。その能力を持つ天才博士の人件費を、誰が払うのか。働く社会人は、相撲協会の財源に憂慮の念を禁じ得ない。歴代力士への口止め料も巨額に累積し、紙幣印刷機も備える大規模は必至。理事長自身がボタンを押して、節電に努めるとか。

最近知ったのですが、ヨーロッパ人に作品梱包発送を頼むと、驚くべきハイコストです。日本人はサービス残業がオフィシャルで、不払いなどブラック経営に慣れっこでも、向こうは別。人件費やテナント料も、ゼロ査定での搾取が視野にある日本と違い、最初から込みだったりして。

話を戻して、現実という現象は確率と複雑系のカオスで動きます。最たるものが一人の職業で、両親の強い圧にも子は従わないもの。落語家も、画家もそうかも。結婚もそうで、小説より偶然の積み重ねの方が奇想天外、刺激的でおもしろい。

相撲協会は三日坊主で投げ出すでしょう。「力士に好きにやらせて僕らは傍観するだけで、毎日ハイライトが生まれヒーローが誕生し、客も入るわい」と。だったら美術も横綱を上が決めないで、画家に好きにやらせて傍観するだけで、毎日傑作が生まれるわいと、参考になる話です。
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2015/12/01

美術展と音楽CDの作品量 2

ポピュラー音楽アルバムが一枚で78分もあると、傑作と呼ばれにくくなるであろう話のつづき。

作品が多いほど個々が迫って来ない現象は、美術館計画学の初歩です。民間の展示会でも、絵画20点を並べると4点が売れて、ならば100点並べると同じ二割の20点売れる計算ですが、結果は意外に少なかったり、3点きりと実数が逆転したりも起きます。

たまたまのこともありますが、作品の数量が多いほど、鑑賞者の脳が疲労してマヒし、感性が低下する理由もあります。また、最初から大量の作品が目に入ると、個々の作品に割り当てる集中力を減らして、深入りしなくなる心のブレーキもはたらきます。無意識に頭脳の温存を行うせいで、キャッチ力の鈍化が起きるわけです。

企画の中で作品を絞り込む作戦が増えたのも、印象が数量に反比例する相関へ考慮しています。作風は変えずに、そろえ方を変えるなど。作品が多いほど展示日数も増やし、途中で並べ替える手間も欠かせません。

巨匠の回顧展ではスタッフによるお膳立ても念入りで、お客は作品への深入りと、深読みや買いかぶりも起きやすくなります。スタッフはお客が見過ごさないよう、傑作はこれと示しておくのが美術館の使命なのでしょう。しかしこれでは、主役と脇役が決まった筋書きのある鑑賞になるでしょう。
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