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2017/08/31

海外遠征展覧会の募集作品の指向は全方位

時々質問を受け、「自分の作品は、そちらの指向に合わないと思いますが」という前置きが届きます。その合わない作品の方向性は一定せずまちまちで、合わないという同士の共通性もなく多様です。ということは作者の気持ちの問題か。

日本ではデフレ不況が長く続き、たとえば今の30歳は、小学校に入ると不況が始まりました。不況の時代は、普段から何かとギスギスした暮らしの空気になるものです。重箱の隅をつつく否定気分が蔓延し、ネット以外でもみられる不寛容もそう。

たとえば、今の国内求人はバブルを超えた好景気とアナウンスされ、むろんデマです。本当のバブル時代は、猫の手も借りる毎日でした。「手があいた男がいるって?、いや女か、何でもいいから連れて来て」という調子。その場で採用。やがて社員。

今は違います。求人で不採用にされた声の山。足りないのは猫の手でなく、超人の手だから。該当者がいるのか謎の条件つき求人が目立つ。一頃流行ったコンピューター結婚システムが、有名大学卒で年収2000万円、身長180センチ以上の若いイケメンを求めたのを思い出します。今の求人もこの買い手市場と似ている。

この渋い求人の空気は、同じ国内の求美術でも起きるはず。作る側が条件を多重に求められているような気分が蔓延していて。しかしドイツ遠征展では、求日本美術状態が続いているから難しいハードルはありません。あらゆる作風を買う気運が現地にあり、割とゆるい。

ここで募集する作品にも、指向性はないのです。ただ、芸術性が低いメリットはないという普遍性はあります。どんな料理でもよいとして、味がしないと誰にとってもまずいから、味をはっきりさせておく必要はあります。
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2017/08/26

アスリートのドーピングとアーティストの盗作

WBCボクシングで、山中選手のTKO負けニュースが話題でした。具志堅選手の13連続防衛記録に並ぶかというタイトルマッチで、一度もダウンしないままコーチがリングへ上がり試合を止め、「神の左手」がさく裂せず不完全燃焼の4ラウンド。

これで引退だから、果たして棄権が早すぎなかったかがテレビで議論されました。「打たれたダメージはそれほどなく、いつもの逆転勝ちの余地があった」「相手のペースだったから、続けても身の危険があった」など対立意見が噴出して。

ところがチャンピオンベルトを奪取した相手選手は、その後の検査で来日前の禁止薬物ドーピングが発覚し、没収試合になるかもという。山中選手を棄権させたことが妥当だったかはもう過去の議論で、今はベルト返還や再試合の議論へ移った目まぐるしい展開です。

オヤジ談議ならともかく、評論家やスポーツ記者が書いたスポーツ新聞や専門誌はどうなるのか。元挑戦者の好調と、元王者の不調を細かく取材した入魂の分析も、全て的はずれな結果論になるわけです。敗因分析も全く無意味だったという。

似たことは五輪でもあり、ハンマー投げの銀メダルが金に繰り上がった以降、日本も何度か巻き込まれました。表彰台の映像と公式記録で顔ぶれが食い違う、おもしろくない事態です。八百長でメダルを奪ったと、アクセス広告狙いのフェイクも現れるし。後で結果がくつがえる心配が大きいのなら、評論家たちも真剣に論じる熱意が落ちる。

美術で似ているのは、コンテストの受賞作が盗作だったケースです。違法ドーピングでの一位だったわけで、創造力や感性を称賛した文章は、勘違いの妄想みたいに浮いてひどい被害。数年に一度の騒ぎでも、美術業界の悪いイメージが抜けなくなっていきます。
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2017/08/22

海外美術展に参加する初心

初参加で出品作が完売するつもりでいても、実際は希望どおりにならないのが普通です。おそらくSNSで国内からの「いいね」評価が多かったから、流通量が多いヨーロッパへ持って行けば、ほぼ確実に売れるという読みなのでしょう。

しかし日本とドイツの美意識の違い以前に、美術が特殊化している国と、一般化している国の違いがあります。尺度をどこに置くかが違います。見る価値に置く日本と、買う価値に置くドイツの差があります。

日本での作品評価は見る価値に寄りがちですが、ドイツだと買う価値になるから本気度が違います。想像ですが、日本では「拍手するけれど買おうとは思わない」が多く、その分甘い評価になりやすいと推測できます。見るだけならタダだから、何とでも感じて、何とでも言えるという。

見る価値の採点よりは、買う価値の採点の方が真剣なはず。この差はまんま、売らない公募コンテスト方式と、売るアートフェア方式の違いになります。だから海外遠征では、公募コンテスト感覚からアートフェア感覚へ切り換えると、やはりうまくいくのです。

しかも海外遠征だと相手は知らないお客だから、仲間内の「いいね」とは違う関係です。結果的に参加者は、何かを変えつつ方法を修正しながら、やりたいことを固め直す作業に入ります。「芸術は自由に伸び伸びやるもの」の信念だけでは、相手がついて来ない確率が上がるから。

一般の募集展示は、全てがプライベート感覚に終始する自己責任方式です。しかし世界ではチーム作業化もみられます。ここでは傾向と対策はある程度わかっているから、買う価値に迫る効率化の手だても用意しています。
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2017/08/18

日本とドイツのソーセージの話題

ネタ半分と思うのですが、ドイツ人が魚ソーセージを思いついたおもしろ動画を見ました。ドイツ国内に動物肉のソーセージはあっても、魚肉のソーセージはない。なぜ世の中に魚をソーセージにするアイデアがないのかという、ドイツ人からの呼びかけ。

そこで世界で初めて、我々ドイツが開発しようではないかという提案です。やがて誰かが日本に魚のソーセージが1960年代から存在すると発言し、やっぱり日本かということになり、一度見てみたいという話に向かったとか。

1960年代の日本で売られたのは、魚肉ソーセージと魚肉ハムばかりでした。メーカーは水産加工業。誰もが知るのが、長さ20センチで直径が指ほどの、オレンジ色のビニールで包んだ、中味がピンク色のあれ。昔の学校給食に出て、ビニールをむくコツが極意になっていたあれ。

お中元用ハムの詰め合わせは、それを太くしたようなもので、今でもすたれずに続いています。断面が長円形の、ハンバーグ名の商品もあります。それどころか赤と白のウインナーソーセージも、長く魚肉が主体でした。よりポークらしい味なら、フランクフルトソーセージがあった程度が1970年代まで。

日本でソーセージの概念が大変化したのは、1980年代のポークブームでした。カリッとくる食感とジューシー、強い香りの本格派が急に現れました。あらびきや黒豚などの広告合戦。最初の印象は、あぶらっこい。従来の淡白な味から慣れを要した過渡期を経て、ついに一般化しました。

日本で魚肉ソーセージが開発されたのは、豚肉ソーセージが高価だったからで、社会はまだ貧しかった。それが動物的なきつい風味の敬遠と歩調を合わせたような。日本に昔からあるちくわとかまぼこも、日本型ソーセージだと動画にありました。確かに高級かまぼこは高価。
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2017/08/11

アート・マネージメント・システムへの抱負

アート・マネージメント・システムはオプション企画で、コラボ制作プロデュースです。これが生まれた背景は、もちろん日独美術事情が変化したことです。ドイツの観客は日本美術を珍しがることも減り、値打ちを探し始めました。

一方日本では、国民は美術がよくわからないとして、常に敬遠している傾向があります。称賛すれど買わず、新進美術家が制作するハードルは低い。どうでもよいからという何でもあり状態です。ブラックボックス展への期待も根は同じか。

「美術は自由」「何でもアート」「衝動が尊い」式の現代アート特有のノリが、ともすれば手抜き作品の横行を生む隠れた一面です。この指摘に日本側は納得できないかも知れませんが、ラフスケッチふう作品は他国で通用せず、苦情まで来ましたから。テコ入れを余儀なくされました。

日本で美術を作る目標の主流は、公募コンテスト展です。審査者の思い入れた視点で選抜するから、応募作品は買われる尺度をおろそかにしてきた問題があります。選抜されるよりも、買われる方が責任重大でしょう。売り物では変態作品はよくても、未熟作品だとまずいから。

これらの課題を整理し、回を重ねて徐々に観客と距離をとれるようになったので、作品に買う価値を盛り込むアート・マネージメント・システムを始めました。

現代アートは自由を唄うノリが裏目に出て素人芸が増えますが、日本では公募展がほとんどなので気づきにくい構造があるわけです。要は、作品が商戦にもまれていないハンデです。世界のアートフェア方式は日本には希少で、展覧会の方式の差が作品の差になる因果関係も読めてきました。
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2017/08/05

パソコンのシステムバックアップ説明がわかりにくい

ジャパン・フェスティバル・ベルリン2017で、日英コラボ作品のイギリス側パソコンでハードディスクが故障し、2点が出品できなくなりました。急きょ旧作に差し替え、ドイツでは目新しさで売れたものの、新作の登場は延期です。

BSD系のMacOSならドライブ番号はないとして、Windows系はOSをCドライブに置き、データはDやEドライブに保存するのがコツです。一個の物理ドライブをCとDなど論理ドライブにパーティション分割すると、どれかがアクセス不能になっても他が助かる確率が上がるから。

Dドライブの保存データを、外部のUSBハードディスクなどに適宜複写するのが、よくあるリスク管理です。Dドライブが故障しても、できるだけ最新に近いデータが残ることを期待して。

しかしCドライブだけは、手動コピーで再現できません。ランダムコピーだと無効になる指定セクタプログラムがあるからです。そこで、Cドライブをバックアップする専用ソフトがあります。

OSにも一応リカバー機能がありますが、不調を健康に戻すだけなので、ディスクが物理的に破損すると復元不能です。つまりハードディスクが盗まれ、ドリルで穴をあけられたり燃やされたらおしまい。そこで、Cドライブを新品ハードディスクに再現できるソフトが本命なのです。

本命はCDで起動する「クローン作成ソフト」で、しかしその説明はわかりにくい。ディスクが死んでも別ディスクに再現できるタイプなのかが、すぐに判別できないネット説明も多い。ある種の芸術論と似て「いったいどっちの話か?」と、決め手の言葉が難しい問題があります。
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2017/08/02

ジャズピアノのジェリ・アレン死去から一カ月以上

アメリカのジャズピアニストのジェリ・アレンが、6月27日に亡くなって一カ月以上たっています。が、日本語ネットに情報は少なく、かなり知られざる人だったのかと感じさせます。

ピアノの達人タイプでなく、作曲も含めた個性を聴かせるタイプで、不穏でスローな節回しを流し込むスタイルはすぐ判別できるもの。反面、職人気質プレイヤー好みの日本では、個性の人があまりウケないのはやはりというか。不思議な造形の抽象画家のような、微妙な地位のピアニストです。

スタンダードナンバーを演奏して、古参リスナーをうならせるには向かず。『100ゴールドフィンガーズ』と称する、NYから日本へ大物ピアニストを一度に10人呼ぶジョイントコンサートに出た際に、話題にならなかった覚えがあります。日本では悲運にもブレイクせずの感。

アメリカのジャズシーンに、同じ女流で有名なリズム楽器演奏家が少数います。歌うベーシストとして世界的スターとなったエスペランサ・スポルディングと、著名ドラマーのテリ・リン・キャリントンとACS JAZZ TRIOを結成して活動中。突然の訃報なので、アルバムはなくNYコンサートも穴があいて。

日本では各界で女性を優先的に起用しては、前代未聞のトラブルで幕引きするパターンが続きますが。ジェリ・アレンは夢の共演も続き、バークリー音楽院の名誉博士やピッツバーグ大学の教鞭など、後進の育成も順調でした。

しかし90年代後半からのジェリ・アレンは、若き日のカルト的な作曲も演奏も薄れていたのも事実。カルト的な画風の画家が、毒が薄まり埋没ぎみになってきた時のような焦りを、このピアニストに感じていました。
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