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2017/09/30

ジャパン・フェスティバル・ベルリンの規模とアートコレクター

ジャパン・フェスティバル・ベルリンはまだ規模が小さいから、ひとつの作品で会場の印象を左右できます。とはいえ出演者心理としては、より大きい展示会に参加する方が誇らしく、実績としても有効でしょう。

しかし現実には、延々と広がり続く大型フェスティバルだと、規模に比例して作品の脇役感が増し、相対的に個々の出し物の印象は薄れます。町祭りも大規模になるほど、たこ焼きや金魚すくいなどのひとつひとつの存在感がなくなるあの感じ。

美術館学の研究で、展示作品が多いほど来館者が個々の作品に入れ込まない法則があり、これは無意識に脳の疲労回避で、気持ちを浅く保つ反応と説明できます。高級アートフェアでは、作品数が意外なほど少ないのに全部売れたりして、この応用あっての成果でしょう。

作品が最も目立つのは部屋に一点だけの展示で、今はどうか『モナリザ』がそうだったような。ルーヴル美術館の旅行者から、時代順に絵画を一点ずつ全て鑑賞すると、時間が無駄になる失敗が言われたもので。歴史名作の中からマイ傑作を探し出すのも骨が折れます。

ジャパン・フェスティバル・ベルリンは全体が昇り調子にあって、芸術の階のお客によその市からの偵察訪問があると聞き、今回は初めて意識しています。ここへ行けば何か見つかるぞという、期待感の種をまいておくことを考えています。看板も出して。

ベルリン市の地理はドイツのかなり北東で、ロシア寄り。中心街は旧東ドイツ側エリアも多い歴史事情で、今ベルリン市内で会うアートコレクターは、裕福な南部からの出張も多いのだそう。前に取り扱い画家で売れたケースは、ベルリンに別荘を用意した南部の方で、フェスティバルで見てアフターにも買ってくれました。
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2017/09/25

美術作家サイトは外国向けが現実的だとしても

日本でネットアクセス数が多いネタは、金儲け、芸能人、ファッション、東アジア問題、政権対立、ダイエット、健康だそうです。殺人事件の三大動機である金、異性、名誉に、プラス生命の話題は、人々の永遠の関心でしょう。

活字執筆ビジネスの募集も、株や為替投機、芸能人追っかけルポや美容ダイエットが圧倒的に多いそう。登山とか鉄道模型、夜釣り、クラシック音楽などは、国民の関心が低くアクセス数がかせげないから、広告収入に結びつかないという。

鉄道模型よりは熱意が少ないであろう現代アートは、社会現象につなげてイベントを成り立たせている面があります。実際に現代美術どころか美術全般で、ネットで情報を探す人はかなり少ないとわかっています。絶滅が言われるマイナースポーツの方が、まだ一桁以上アクセス数が多いほど。

だから、日本向けの作家サイトでは何も起きないものです。芸術論をムキになってサイトに並べても、アクセスはそれほど増えないし。民主的なアートフェアより独裁的な公募コンテストがしっくりくる国内で、庶民が美術を探す目的はあまりない理屈か。

ならば外国向けに作家サイトを作れば、外国からアクセスがあるかといえば、偶然発見される確率は、アルファベットサイトの大海でやはり低いでしょう。そこで、現地の展示会でアドレスを知らせ、直接アクセスされるアポイントツールとして、サイト設計するのが現実的です。絵はがきがそのひとつです。

展示会場で作品を見て、作家サイトで調べる慣習が向こうにあります。その目的にマッチした作家サイトを作って、話が進んだ例があります。気をよくして、見てわくわくするサイトを研究中です。その方針はまず自演を薄めること。
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2017/09/18

東日本大震災の幽霊とアート・マネージメント・システム

アート・マネージメント・システムで画家のコンセプト整理に当たるうち、スピリチュアリズムに話が行くことがあります。思考より哲学より、まだ奥のもの。並行して、個人サイト用の増補出版草稿も進めており、これがなぜか東日本大震災の幽霊関連テーマです。

東日本大震災は世界にツナミとゲンパツの衝撃を起こし、ドイツでは政策が急きょ180度変わったほど。ただ副産物として「今の日本はどういう国か」「日本に特別なものが多い」「旅行して最高だった」「僕も日本を知りたい」と、世界的な反応も起きました。

2016年から、東日本大震災の現場に出る幽霊の話題がネットに増えました。大学の研究が発端ですが、霊体があるかないかの話に向かわないのがミソです。興味本位の不謹慎との指摘もあったものの、太古以来の慰霊の方向へと収束し、割り切らないグレーなとらえ方に理解がある日本人が多い。

災害現場の怪現象は、かつての民放テレビならこうかも。「不思議な体験が続く、犠牲者の霊が出没する夜、その時カメラは見た」。しかしこうした昭和の感覚は変容し、今はフォークロアの原型にむしろ忠実です。「今の日本はどういう国か」が表明されている感じ。

はっきり感じ取ることと、存在することはイコールでなく、空白があります。そのすき間で、もめるひとつが芸術です。上手なデッサンや鮮やかな色とは違う、説明困難な次元に芸術性が宿る現象を体感することが多いから。

日本の画家は花鳥風月を基本形として、社会問題を後回しや婉曲にとどめる作り方が多いようです。そこには、かえって原始的なスピリチュアリズムが入りやすいのでしょう。ただそれを絵に表すのに、慰霊方向に落ち着きながらも、「その時カメラは見た」の衝撃も欲しいのですが。
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2017/09/15

電気自動車とデジタルカメラ

ガソリン自動車やディーゼルをやめて、電気自動車へ替える話題が続いています。各国が電気への移行時期を宣言し始め、メーカーも急ぎ出して。しかしユーザーが盛り上がらないのは、電気自動車一辺倒は不況を強めるフラグだから。

部品数を減らす合理化で、製造メーカーは縮小されるから、大量失業は必至です。従来車でナンバーワンのドイツに焦りの声もあります。エンジンと変速機やデフなど動力伝達の設計技術も工作精度も全て御破算となり、代わりに原子力発電所が必須だから。

自動車史で元々先に出された本命の案は、電気自動車でした。実現が無理とわかりガソリンに振り替えた、その時先行した一人がドイツのダイムラーさんでした。近年は蓄電池の改良で実現可能となり、長い寄り道からやっと本命に戻るところ。

すると、すでにある燃料車はゴミになります。歴史的なスタイリッシュ・スポーツカーも、乗る対象から外れて値打ちも下がるでしょう。それが実際に起きた例はカメラでした。過去のカメラ名機はデジタル時代が進むと暴落し、今や中古店でだぶついています。

死蔵のオブジェになったフィルムカメラを復活できないかと、ハイテク時代の夢があります。すぐに思いつくのは、市販フィルム型の電子センサーです。パトローネサイズのコントローラーと薄膜センサーを合わせたユニットを装填するだけで、裏ぶた交換が不要なタイプ。

フィルムの代わりに入れて済めば、ドイツのライカやコンタックス、日本のペトリやミランダも甦るでしょう。アメリカではすでに市販され、しかしキヤノンとニコンの特定カメラ専用で、裏ぶた交換式で低画素です。復活するカメラは主に日独の製品だから、まず日本で改良するのが自然でしょう。
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2017/09/13

SUZUKI個展「White variation」、銀座K's Gallery [参加者ニュース]

KAORI SUZUKI個展
「White variation」
銀座K's Gallery
東京都中央区銀座1-13-4、大和銀座一ビル
2017年10月2日(月)~7日(土)
月-木 12:00-19:00、金 12:00-20:00、土 11:30-17:00

写真

Kaori SUZUKI 作品撰集サイト
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2017/09/11

ジクレーが一般化して起きつつある絵画の変化

ジクレーはアート制作の技法というより、仕上げの仕様です。できた作品は版画。たとえばムンクの『叫び』は何枚も存在します。作者は油絵を目視で版画に彫り直し、刷って量産しました。その目をカメラに替えて、インクジェットプリンターで刷ればジクレーになります。

ジクレー化で芸術性は失われません。ディテールのニュアンスは当初は失われましたが、ハイテクの力でもう水彩画はジクレーと見分けられず、専門家の鑑定が必要です。油絵なら、触れたりにおいでわかりますが。

立体造形をカメラワークで演出した不思議な版画もつくれ、『叫び』の頃より自由度が高まりました。しかしジクレーの積極的活用とは別の面で、全ての絵画作品が影響を受けています。一枚の絵にかけるエネルギーが上がる傾向です。上げざるを得ないというか。

逆に、簡素な略画や消化作品は値打ちが下がっています。というのは、絵を一枚かいて売ったらそれで終わりではないからです。撮影画像を使ってジクレー化して、もう一度売れるから。二度でも三度でも百度でも。まるで、打ち出の小づち。

イメージの著作権は作者にあるから、極論すれば生涯に一枚だけに全力投球して傑作をつくれば、生涯何枚も売り続けられる理屈になりました。一枚に力を注ぎすぎないよう労力を配分すべしという、従来の力学がなくなります。

音楽で一つのヒット曲を何度でも歌って千回でもコンサートが組める、それと似た立場に美術も近づきました。版画家に限らず、画家と名のつく全員が。広く浅く多作するよりも、一点をディープに作る作戦も考えられます。『叫び』だけを増産する手が取れる時代なのです。
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2017/09/08

新聞テレビ対ネットはどちらがウソつきかの出版不況問題

日本に限らず、世界の報道各社がフェイクニュース競争に明け暮れているという。印象操作の工作も、内外ともめっきり増えました。しかもデマを、視聴者たちが比較的早く見破る時代です。ウソの浸透も、その否定も高速化。日本の妊娠米とか。速さの理由はインターネットだと言われます。

日本で多いフェイクニュースのひとつが、書店の消滅はネットが原因だという説。無料の電子情報に食われたから出版不況が起きたと。これがデマとわかる理由は、書店の倒産ラッシュは1998年だったからです。当時のIT雑誌をめくると、ネットが全然普及しない日本を嘆いています。ネットは関係ない話。

紙の本が全盛の時に、街の本屋さんはバタバタ倒れました。ネットの被害者ではなく、不況の被害者だったのです。最近台頭してきた「事の真相」系の報道にみる、「消費税5パーセントへのアップで日本はガクンと傾いた」説が、因果関係として時代の動きと合います。

何のことはない、1989年に3パーセントで始めた消費税を、1997年に5パーセントに上げて、その消費の冷え込みで書店が翌年に倒れたのです。国民は一日二食に減らす前に、本や雑誌の不買で節約に努めたのでした。年に50冊も雑誌を買ったのをゼロにした人も、当時みました。その雑誌はやがてどれも休刊し。実は同じ年に、街のCD店も急に消えました。

新聞社が新聞の値段に軽減税率を求めるのはなぜか。消費税アップでどれほど出版物が落ち込むかを、社内で痛感しているから法律を変えたいのでしょう。新聞社の幹部は人の心をよくわかっていて、あの時消えた書店の二の舞が、自社に起きるのを避けたいのです。本が売れない原因を正しく知る人たちの行動です。

新聞テレビ対ネットのどちらがウソつきかが世界で議論されますが、人が事実を述べても主観的な表現に必ずなります。別人が書けば違う内容になる。だから論説の多彩化を正常とするほかありません。絶対の正解はなく、最高のものも逆方向からみると最低なのは、やはり美術作品と同じ。
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2017/09/06

サッカーとアートで誉めたりけなしたりの切り換え

サッカーチームが大活躍をみせたかと思えば、次の試合で不調の体たらくをみせる展開は、各国の全チームで起きています。それに対してイタリアの記者は、試合ごとに良い選手をベタ誉めし、次回に悪いと言葉を尽くしてけなします。

その切り換えが、日本では理解されない空気があります。ネットの意見をみると、「前回はあんなに持ち上げたのに、今回は冷たいね」「てのひら返しがひどい」「見物人は勝手なことを言う」「愛がないなら見るな」の声がよくみられます。

「現代のベートーベン事件」「STAP細胞事件」の騒ぎでも同様でした。「あれほど称賛したのだから、今になって叩くなんてひどい」という意見が多かったのです。上げるだけ上げてから、どーんと落とすのは悪い行動だと言いたげな、観衆への嘆きと冷やかしです。「君らはどっちやねん」「態度が矛盾している」と。

この嘆きと冷やかしに潜むものは、縁故社会の度合いだと感じます。好調時に称賛したら味方同士の関係になり、味方なので不調を見逃してやれという人情があるのです。つまりほめるだけの味方と、けなすだけの敵の、二種類にきっちり分かれる前提で考えているのが日本式なわけです。

これは往年の社会学的考察にみる、ムラ社会性が疑われます。ひいきの関係で回転する、お友だち内閣とか政府の諮問委員会みたいに、無批判のスルーが好き。そうした縁故重視に対して、イタリア方式の日本人も増えたのかも。今回の試合という「新作」だけを採点して、過去の名作を評価に混ぜない感覚が日本にも増えた。

何年か前にゴッホ作とされる絵が見つかり、ショボい出来でした。ゴッホらしさがない習作です。世界の美術館は、アートは内容が大事だとして低評価を意思表示しました。ところが日本の関係者が高く落札して、アートは内容よりネームバリューなのだと世界に意思表示しました。
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