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2017/12/29

ジャパン・フェスティバル・ベルリン新作 ブランド絵はがき図鑑11

一カ月後のジャパン・フェスティバル・ベルリン2018に並ぶブランド絵はがきの新作は、5点にとどまりました。すでに人手に渡った原画が3点あり、過去に撮影されたストック画像から版を起こしています。トップセールスが出やすいのはたいてい新作なので、会場では目立たせます。

実は申し込み数はもっと多くあったのですが、製品化に至りませんでした。絵はがきは今どき家庭でもつくれますが、現地事情も考えた絞り込みによる結果です。ヨーロッパ国には美術があふれ、一般化し、アートのグルメも多いから、相手の手が出る根拠がひとつ以上欲しいという事情があります。

ところで現地社会はといえば、EUのグローバル主義政策で相対的に勝ち組となったドイツでさえ、景気失速中にあるのは確かです。が、停滞が当たり前になってしまった日本とは違いGDPは上がっているので、消費活動は活発です。新作をもっと送って欲しいという向こうの事情も健在です。

版はすでにドイツ側へ送っています。現地はGDP上昇のせいか、印刷料も人件費も前回より値上がりしているとわかりました。

ブランド絵はがき
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2017/12/27

クラウド・ファンディングの美術活動は謝礼が値打ち

国内でクラウド・ファンディングが流行りだと複数の参加者から教えていただき、さっそくCF事業の担当者と話をしてみました。わかったことは、まず支援を受ける側が一方的に得しない点。当然、寄付側も平成大不況の中にいるから、お互いに余裕が少ない前提です。

ちょうどふるさと納税と似て、本来ないはずの納税を受けた自治体が高級和牛をたくさん贈るなど、返礼品の量と質から入る必要があります。純粋に寄付だけ受けるのはだめで、お返しが必要な制度です。美術の場合は返礼を作品とするから、市販されない記念品となり外注経費も少なくて済みます。

物語企画でやるとして返礼品を考えると、けっこう充実しています。「ドイツで売れた絵はこれです」と実績つきのジクレー版画が輝いているし、ベストセラー絵はがきもあります。いずれも刷る前から厳選してあるから、どれもほぼ当たり。

今回知った大きい現実は、知らない他人からの寄付が少ない点でした。前に外国で話題になったような、広域から支援が集まったというネット時代の美談は、美術ではあまりないらしいのです。

つまり、親兄弟や友人や職場の同僚と町内のご近所さんが、支援の多くを占めている現実です。昔でもあり得た縁ある人々からの寄付が、意外に多いというデータを聞きました。ちょうど美術の売却と似て、内輪の人づてが絵画などの購入者になりやすい日本の傾向を思い出します。いやこれは、ゴッホさえもそうでした。

物語企画のドイツ展の作品購入は逆で、作者を知らない他人ばかりです。現地では作品の中身で食指が動きます。その現地へ作品を送るイベントへの支援は、出品者に縁ある方々が頼りになると予想できます。出品者の作品を、優れものにしておくことが最重要課題でしょう。
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2017/12/24

クレーンゲームが奇妙な方向へ進歩した日本文化の危機

クレーンゲームはマニピュレーターを操作し、中の景品をつかみ取ったり、引っかけて落とすマシンです。これをゲームセンターで不正に設定した詐欺事件として、大阪府警がいっせい摘発した珍しいニュースです。日本語が不自由な外国人旅行者もカモにしていたらしく。

外国人がクレーンゲームを、日本のサブカル文化として紹介した動画があります。ところが国内ネットには何年も前から、ぼったくりだの詐欺だのという報告が多くあります。客の撮影では、景品をアームでつかむタイプは握力がひどく弱く調整され、景品が自重で滑って持ち上がらない手口が大半です。絶対に景品が取れない。

器具を落下させ穴に命中させるタイプは、客がやれば全て失敗し、店員は全て成功します。命中率ゼロと命中率一を切り換える電気的な隠しスイッチがあり、店員が押し分けて客をあざむく様子が動画に映っています。

景品を吊すひもを切るタイプは、ハサミをあえて故障させてあり、景品を横へ押すタイプは、横へ押す動作を殺してあるという具合。景品にもおもりを入れて持ち上がらなくしていたり、針金や両面テープで固定し移動を食い止めてあったり。累計投入金額に達した直後のみ、機能障害が正常に戻り客が成功する「確率機」が主流だとは、元店員の証言です。

アームの爪は大きく、穴も大きく、ハサミも大きく、この大ざっぱなデザインが詐欺の伏線に思えます。難易度を上げて腕を試させる方向ではなく、ごく平易そうなデザインにした上で機能障害でプレーを妨害し、客から料金をだまし取るマシンに仕上がっています。なぜその方向へ進歩したのか。

現行のクレーンゲームが正常動作すると、平易すぎるデザインゆえ景品を取りまくる客が続出するでしょう。本来はイカサマを排除してなお成功率が低くなる、日本の技術を活かしたデザインが必要でした。その方向へは行きませんでした。似た例が他のジャンルにもないか気になります。美術にはないと思いつつ。
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2017/12/21

ならば、どういう作品が外国出品に必要か

完結した作品が必要です。作品を探すうちに本人が出品を断念したケースに、タブローの不在がよくありました。かきさしのスケッチ画はあるが、完結した一枚がないというのでは、出品に至らないことが多かったのです。

「自分は絵をかいていて、あれもこれも色々やってみたい」系のブログに見かけますが、断片スケッチの紙を並べると迫力が出ても、一枚だけを抜き出すと物足りないのです。おかずのつくりさしが一個ずつ入った弁当が何箱もあっても、それだけでは売れない。

売る時は一箱にまとめて、腹につもる程度に満ちている必要があります。部分的におかずを上手につくれても、市場に出すには一個の箱全体を満たして完成していないとだめ。売れる弁当をつくるために、それなりの充実が必要です。

ただし日本で介入してくるのが、「自由が大事だ」「売る目的はよくない」「商業主義はまずい」という抵抗感です。コマーシャリズム的な作為を排除したい思いが混じってきます。世界ではあまり一般的でない特殊な思いですが。

商業と芸術は特に相関しないものですが、反比例でとらえやすい日本では、美術家が実力発揮しにくい面があります。「モナリザ」「夜警」「浮世絵」などは、実は商売作品だったのに、変に崇高に解釈する間違いが起きています。見上げすぎるというか。

断片的なスケッチ作品は売り物にならず、画学生の習作のようなかき散らした制作活動では足りません。さらりとした浅い感覚でヒョイヒョーイと走りがきしたような絵は、外国のお客の感興を誘わないものです。
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2017/12/17

作品の販売を強化する発端は外国からのブーイングだった

今年の新人は、参加検討中に出品を断念したケースが多かったようです。不合格はないから、最初に出品向けの作品を探すわけですが、その途中で準備不足を感じたのかも知れません。制作の上手下手の次元ではなくて。

作品の良し悪しは、当初の企画では不問でした。コンテストではないから。ところがドイツ側のお客は、日本のように何でもありではなかったのです。作品が至らない時は、現地客ははっきり指摘したそうな。現地での反応から察するに、作品内容がショボいのは最もまずいと知りました。

日本の展覧会は全く違う考え方ですね。鑑賞は無料だから、出品する側の美術家が望むとおりの作品を気が済むよう展示するものだと。作る側が自由に振る舞う権利があるというのが、日本のアートイベントにみられる常識でしょう。僕の芸術的衝動が優先すると。

しかしアートが一般化して、市民一人一人が審査権を持つヨーロッパは違います。無料見物であれお客たちの時間を消費しているのだから、引き換えに得るものが必要なのだと。この得るものとは、目の保養だとか心の糧となる体験などではなく、作品の実物だったのです。

現地客は作品を買いに来ます。家の壁やコレクションに加えるために、日本の新作展にも足を運んでくれます。裕福なコレクターは、内容しだいで高くても買う。当然ながらこちらも応じます。元々が売り物のつもりでない実験作品や奇抜作品であっても、相手が買い取れる範囲に入れて送り出します。

ところが日本では「芸術は自由なはず」「自分を曲げるべきでない」「ゴミが何億円にもなる時代だし」の何でもありが悪く出て、見る相手の存在が消えています。「別に売れなくてもよいさ」の割り切りが、芸術度を下げる元凶です。
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2017/12/14

芸術はロストテクノロジーだというおもしろ説

芸術弁論タブーのひとつは、外国のアートにくらべ日本のアートが劣っている話題です。それよりもっと大きいのは、人類にとって芸術の意味が変化している話題かも。悪い変化に触れるタブー。ダーウィンの進化論と似て拒絶反応が返ってくるから。

ちなみに進化論が今も猛烈に攻撃される動機は、よく言われる宗教との整合問題は二の次です。最大の動機は、猿が人間に進化するという誤読で生じました。チンパンジーなど霊長類との確執。えっ、誤読だって?。

進化論を嫌う感情の正体は、人の祖先が猿だとは許せない自尊の思いであり、だから昔からダーウィンを猿の顔に描く仕返しが多発しました。しかも実は曲解です。ダーウィンは猿がヒトに変化したと言っていません。言わないのに言ったとカッカする人類の動機は、類人猿を嫌う本能の先走りでしょう。嫌いだから焦った。

かくも感情で収拾がつかない類例に、ロストテクノロジーがあります。昔の人にできて、今の人にできないこと。MT車のダブルクラッチ?。一例はエジプトの大ピラミッドで、現代人が信じたくなる説は「当時地球に飛来した宇宙人がピラミッドを建てた」「それなら今の僕らに作れないのも納得」。

似た感情がアポロ陰謀説で、50年前の人にできて今の人にはできないから、映画監督がスタジオで収録した壮大な芝居だった説が、正論を圧倒しています。日本では若者のほぼ全員が半信半疑で、ピラミッド同様に永劫の疑いを克服できない人類の宿命として映ります。

これらロストテクノロジーが、芸術に起きている疑いがあります。昔の作品を見てインスパイアされ、燃える思いで作った成果がショボい現象です。後発の作品ほど彫りが浅い。太古よりも必ず縮こまり、スケールが小さい並品どまりです。人類が技術を失いゆく現象が、建造物や宇宙旅行だけでなく芸術にもみられます。
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2017/12/11

アート展示会の下準備でやることが増えている時代

大学で屋外彫刻をつくり、苦労して完成し市街地に運ぶ直前に、教官から突然言われました。「作品タイトルは何?」。考えもしませんでした。ひどくあわてたのですが、たまたま台風が来て外は強風だからそこから取り、後の芸能タレントグループと同名になり。

音楽分野で曲のタイトルに、その時に起きた事件をヒョイと題名にするのはよくあり、ビートルズ曲にもそうしたテキトーなタイトルがあります。問題は、美術展に向けて美術家がやっておくべき準備の多さです。

アーティスト名と作家サインを決めていないと、けっこうあわてます。日本ではサインは作品を汚すもので、絵の純粋さと清潔感を保つためにサインを省くか、しぶしぶ淡く小さく入れる傾向があります。しかし市民が価値を決める欧米文化では、署名なき状態は不利だという。

また作品が人手に渡ると、サイズや材質などの情報が永久にわからなくなります。サイトをつくる時に作品一覧をつくりますが、ネームがそろわず空欄ばかりになり格好がつかないことに。だから出品前に作品を計測します。

特に絵画は、撮影画像がないと悔恨となるでしょう。非常に精密な複製画がつくれるハイテクの時代になっているから、作者の存命中は版画の名で売るルールです。作品完成時の高画質な画像は生涯の収入源になり、展示会にも顔を出し続けられる利点です。昔はなかった今の特典です。

大学の彫刻では、教官からのもうひとつの質問に面食らいました。「作品の値段はいくら?」。考えもしませんでした。2人チームで組み上げた高さ3メートルの鉄製彫刻を、売る発想がこちらに全くなかったのです。この最初のつまずきは、後に日本国内によくみる問題だと知ります。
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2017/12/07

ジャパン・フェスティバル・ベルリン用の作品編集が混み始め

この秋の寒波は例年の11月ではなく、12月に始まりました。ジクレーの版下づくりも混み始め、前年より遅れたピークになります。夏に準備した作品が今回はなく。毎度着手を早めたい理由は、時間を多く当てた作品はやはり相応に練られるから。

ドイツ側でフェスティバル主催者の宣伝が始まり、アーティスト資料は例年ジクレー版画の中から送っています。ただ、決定した作品はまだ少しだけ。

版画系の募集は今の時流に話が広がりますが、前回も啓発の苦心がありました。ジクレーは何でも版画にできて便利だとしても、複製作品への抵抗は国内にまだ残るからです。日本画より洋画に多いジクレーへの敬遠があります。

原画は本物で複製は偽物だと何となく感じるのは、比較的新しい感覚でしょう。近世の画家たちの方がむしろ、複製作品に寛容でした。多色インクプリンターが発売された1997年から、日本では印刷美術の是非論が起きました。

では現代のアート市場の反応はどうか。意外にも撮影画像にデジタルで描き足すタイプの作品が、ドイツで売れゆきがよいのです。もしかすると美術作品が複製物に入れ替わる流れが、ごくゆっくりでも起きているのかも。

原画は下絵にとどめ、プリント画で完成させる方法だと、絵を写真のごとく何度も市場に出せるメリットがあります。原画を手放しても資産が残る時代の特権でしょう。そこが大事な理由は、一人の最高傑作は比較的若い頃に出るせいもあります。撮影画像が命綱で、作者が持っている限り特権として再発売できます。
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2017/12/05

日本で現代美術が一般化できない原因は売らない前提か

日本には美術の一般市場がないせいで、現代アートフェスティバルは市街地で開催されず田舎へ向かうのか。市民社会と切り離されたオタク文化の内輪で、珍世界の存在意義を保つ。この現代アートの冷遇構造をつくった犯人は誰でしょうか。

たぶん単にニワトリとタマゴと思われ、いざ売らんとした時のウリの少なさが新しい原因でしょう。作者は最初から出し物と考え、売り物と考えないから、作品にウリがない。実際「過去にドイツで売れた作品はこれこれです」とサイトを示すと、一定数の参加辞退があります。作品のハードルが高めだと感じるらしく。

美術家が自分の思いで作るのには慣れていても、売るには慣れていないと考えられます。それも当然で、日本の公募展覧会は販売禁止のコンテストが大半なのです。お客が見るだけに制限された展示だから、作者も見せるだけの想定で考え、他人が買わない範囲で作る。

「我が家に飾るため、無名の作品を買いに来ました」というお客は、ドイツには多く日本には少ない現状です。作品と鑑賞者のこの関係が、独日アートの隠れた大差です。買って友人に自慢したくなるおもしろい絵画が、日本にはできにくい構造といえるでしょう。ひとりよがりという言葉は使いたくないのですが。

見るだけのお客には何だって通用し「いいね」が返ってきても、買う前提のお客だと通用する範囲があるでしょう。展覧会イコール売買マーケットのドイツでは、作品がウリの華を持っていて当たり前になります。市販音楽CDの曲づくりと似て。

売れる作品を商業主義として、芸術への冒涜とみる傾向が日本にあります。ゴッホやモディリアニなど売れなかった画家への敬意も、原因であり結果でもあり。美の常識への挑戦や既成の概念超えより、心休まる作品に話題が集まってくる。しかし買う立場にすればウリがない。
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2017/12/01

日本も美術市場を一般化させる工夫が必要では

最近、著書ブログでよく触れるのは、美術の一般化と特殊化です。これが日本に特有のデフレ脱却失敗劇とも関係があります。具体的には、美術家が作品を売る場が少なすぎる問題です。展覧会は山とあれど、売る場は限られる。困窮時に絵や彫刻を売る場が国内にない。

日本の美術が特殊化している根拠は、現代アートフェスティバルを田舎や離島で行う慣習です。1980年代から変化していません。地域文化の創造育成にみえて、実はみやこ落ちした隔離策かも知れない、うがった見方もできます。「うがった」は邪推ではなく隠れ正論の意味です。

先進国のアートフェスティバルは、市街地や生活圏で行います。会場で飲んで食べて鑑賞するのは同じでも、基本的に都市祭であり売買の見本市です。ドイツのフェスティバルもお客は買う作品探しに来ます。見学とは違う。

売買しない展覧会は盛り上がらないから、出品する側の目的も市場に問い換金することです。売るつもりの作者は本気。だから我々も、ドイツの現地市民が買える範囲に作品を入れます。あの手この手で。

一方の日本には市場がないか、あっても限定的です。展覧会は見学会にすぎない。その証拠に、公募美術展覧会の大半は売買禁止のコンテスト展です。売らない展示ばかりが多く、アート市場がさっぱりない現実です。買わない前提で見学する市民は、それほど本気で見ないし。

結果、画家は作品を放出する場がなくプロ化できない。通販も欧米がずっと売れ、それプラス生活圏で美術即売会がひんぱんに開かれるから。差は歴然。あちらには駆け込み、投げ売るマーケットが一応あるから、完全ゴッホ化しにくい。この日独差は、写真アートも同じ状況です。
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