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2018/07/30

犯行の動機と制作の動機:真相は常に闇の中|ジョン・レノンとピカソ

世界最悪のテロは、1995年の日本で起きた地下鉄サリン事件とされます。カルト宗教が化学兵器を使い、不特定多数の殺りくを成しとげた唯一の例だから世界一。政情不安な国でも、ここまでの惨事はないらしく。

日本国民に最悪の感覚が薄いのは、当時のカルト団に賛意が集まった点もひとつ。今も犯人側に同調する識者は多く、外部応援団がいた当時のままかと錯覚するほど。日本を変えたい潜在願望の層の厚さなのか。

目立つ同調はテロ実行犯は良い人だというもので、これはマインドコントロールが広範に及んだ当時を知らないと理解が困難でしょう。警察官や自衛官など公務員も入信し、事件阻止と捜査に逆風が吹きました。団体と報道関連の縁故も複雑にからんだ難事件でした。

今も聞く意見に、「事件の動機が明らかになっていない」があります。この動機解明願望の例として、ジョン・レノン殺害事件を思い出します。延々と続く「動機は何だ?」の問いに、動機の解明とは何だ?を思うのです。

動機は犯人が語っています。なのに未解明との声があるのは、解明内容が気に食わないからか。自分なら殺意なんか抱かないから、告白内容は虚偽なのであり、代わりにアメリカの闇を早く白状しろという思いのファン。望む解明内容を延々と待ちわびることになるという。

動機の闇といえば、絵画制作の動機が記憶にない現象もあります。画家なら知ることで、制作には自発と偶発が混じり、作品はただ残るだけ。ピカソ『ゲルニカ』がモノクロ画調である動機は、戦争表現の意図よりも、大画面に塗る絵具の混色がめんどうだったのかも。動機なんてこんなもん。
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2018/07/21

2018年夏の日本は気温が高すぎる|気象記録で目立つ町おこし作戦

前年の天気予報サイトにはなかった「厳重警戒」マークが、この夏はよく出ます。さらに上の「危険」マークも出て、熱中症の死亡ニュースも続く毎日。7月8日が最後の雨で、この先も晴れマーク予報が並んで、しかも盆地以外は夕立ちもなく。

記録的な高温を地球温暖化ガスで説明する報道は、さすがに減りました。二酸化炭素を減らした結果の気温上昇だし、涼しい夏だった昨年との違いも説明できないし。直前の冬が並はずれて寒波続きだった記憶もあろうし、陽光と宇宙線のはたらきの知識や、ヒートアイランド現象の知識も、報道局に広まったことも大きいでしょう。

グーグルマップで過去を知る地を確かめると、前はあった林も池も山も消えて、宅地になっています。当時の日本は人口増で、土と水と緑をコンクリートや瓦など石質に替えると、年々暑くなる理屈で、これがヒートアイランド現象。むろん気象変動の最大の要因は、太陽活動の変動ですが。

しかも裏話もあるようで。日本の最高気温は長年、山形県の40.8度だったそう。原因は盆地のフェーン現象。が、別の地でついに新記録が出ました。しばらくしてトリックが指摘され、現代の百葉箱たるアメダスの敷地を、アスファルト舗装で囲むようにして生じた高温でした。

なぜそんな場所に変えたかは、気温の記録を上げるためだそうで。地表を覆う材質によって日光の反射率と保持率が変わり、気温が大きく上下する土木技術を利用して、「日本一暑い町」の称号をゲットする町おこしが目的だったらしく。各地が日本一の座を狙って競争していたそうで。

近年意外なのは、国民が緑化を求めない点です。植樹で街を涼しくする話が出ないのは、新築マンション全室にエアコンがあるからか。激しい気候が景気につながる期待など、熱波願望もあります。安価な対策は、一日に飲む水の量を倍に増やせば死なないあたりでしょう。
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2018/07/18

不景気を打開するネガティブ型アートを探そう|社会問題か花鳥風月か

日本は好景気だとの声は意図的なデマで、不景気の最中です。その証拠は、残業代カットが国会のせめぎ合いだから。実際が好景気なら、残業代を上げる案のラッシュです。もうひとつ、仮に好景気なら増税ではなく増収が耳タコなはず。現実は逆で、GDP拡大で増収した歓喜を聞かない。

たとえばこういう違いがあります。好景気なら人々が「お金を残したら負け」と本気で感じて、使うのにやっき。今は「お金を使ったら負け」と本気で感じて、節約にやっき。土用のウナギも食べずに。この冷えた心を、日本語で不景気と呼びます。景気は心理だから。

大正昭和のことわざ「景気は気のもの」はその意味です。サイフのひもがゆるい時が好景気、固い時が不景気。好景気デマを流す目的は、持ち株会社や資産運用企業など資本主義の上層への中央からの忖度です。貧困時代と呼ばずに、宴会離れやゴルフ離れや旅行離れと呼び変え、思想変化で説明するのが忖度のわかりやすい例か。

人は景気が良いとポジティブ思考、景気が悪いとネガティブ思考になります。貧すれば鈍する。後者の典型が日本は終わった説。しかして美術のように率直表現する分野は、ネガティブ思考にこそ基盤があります。楽天的なアートは、緊張が切れて見ごたえがないから。

ドイツで求められるアート表現の内容面で、社会性や社会問題の語が出てきます。写真分野でよく聞いたのですが、この概念は日本人は苦手です。なぜなら日本美術の基盤は花鳥風月で、作品に社会性を込める感覚から遠いから。ソーシャルをどう料理すべきかわからない。

日本は1995年あたりから格差社会の乱世へ踏み出し、国際発言力も低下して、花鳥風月で楽しくやる空気は落ちています。三番ではだめで二番に上がりたい、その気概を美術に込めたいと思い、そういう目で国内作品を見たりもします。
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2018/07/14

コンクリートから人へ土建行政を縮小して|岡山・広島・山口は大洪水

先日の台風に続いた梅雨末期の豪雨で、瀬戸内海の北に面した県で想像しがたい水害が起きました。岡山、広島、山口など。過去の東南アジア国を連想させる水びたしとなり、日本は大丈夫かと感じた国民も多そうで。

実家をやられた芸能タレントが言うには、住宅の床上浸水どころか床下でも、後で住めないほどだそうで。清水でなく泥水は当然として、トイレの下水も容赦なく混じるから。下水を閉じ込めるインフラも検討すべきと、今回ささやかれたほどです。

土砂崩れは、山沿いの宅地開発と関係します。かつてテレビで公開された「水害の履歴を地名につけた」昔の知恵を、「平成の市町村合併」で自由に地名変更して消し去る流行が、前から危険視されたものでした。

一方の河川の氾濫は、平成大不況が関係します。直前のバブル時代には全国各地で河川の大工事ブームがあり、完成後は異様に高いコンクリート護岸の底に水がちょろちょろ。数十年に一度の豪雨を計算に入れたスペックでした。バブルで大金投じたそれら改良河川は、今回は氾濫せず。

ところが平成大不況の事業仕分けで経費削減ブームに転じ、残りの工事は中止されました。東日本大震災でも言われた話。コンクリートから人へと転換し、災害に弱い途上国状態で時間が止まったかたちです。土建立国と言われるうちが華だった、日本のローカル事情です。

五月に、リーディング・ミュージアム(先進美術館)なる政府案が出ました。各美術館の収蔵品を市場で売り、運営費に当てる不景気対策です。当事者の学芸員たちは反論し損ね、国民が懲罰的に国に賛同する懸念があります。政府の都合に対しキュレーターの都合をぶつけた対立を、芸術文化育成の都合でまとめて倒す出版原稿を考えています。
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2018/07/09

サッカーのてのひら返しは悪いこと?|出来栄えで評価を変える公正さ

サッカーワールドカップを通して、よく言われた語は「てのひら返し」。その意味は複雑です。観衆が良いと思えば絶賛し、悪いと思えば批判するのは当然だから、その入れ替わりを思想変節の意味で「てのひら返し」と呼んで問題視するのは、何か違うぞと。

西洋美術史上最大の「てのひら返し」は、やはりゴッホで起きたのでしょう。今さらの恥ずかしいまねを消すために、僕らもゴッホを19世紀同様に冷遇しようという解決は、もちろん無意味な秩序維持でしょう。一貫していないことを批判するのは、やはり何か違うぞと。

日本代表サッカーの課題に、チーム強化の目的意識の整理があり、これを長年やらずに今回もやらないのは理由がありそうです。ひとつには、何をどうすれば結果がどうなるかの因果関係がわからない問題です。分析能力との相談になるわけです。

たとえば縦パスでスピードを上げ、前を向いてのシュートは、あれほど苦手だったのに今回できていました。成否は相手も関係するし、偶然のはずみも多分に含まれるから、失敗した部分を直せば未来が開けていくかは不明です。偶然のはずみの最たるものがオウンゴールです。

これは美術展覧会の結果にも言えます。売れた作風に重点を移し、売れ残りは今後廃止すればよいかは、芸術の神でないとわかりません。数回だめでやめたら、ゴッホもなかったわけで。不人気な作品が最も正解なのかも知れないし。

ドイツ代表は過去にない散々な一次リーグ敗退でしたが、同じ監督で次を目指すそうです。偶然起きた成功や失敗を慎重に除外し、データを冷静に分析する専門家集団がいるのでしょう。何ごとにもたまたまの浮き沈みがかなり混じるから、過剰反応には注意がいるということか。
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2018/07/03

ベルギー戦のたらればを批判しもしもを主張|ワールドカップ2018

ベスト8進出への決勝トーナメント、日本対ベルギーは世界から強い関心を持たれました。16カ国中、ヨーロッパ10カ国、中南米5カ国、アジア1カ国と、ポツンとひとつ混じった特別ゲスト状態で。その日本は試合内容で個性を発揮できたので、文化芸術にもつながればよいのですが。

苦悩する日本が奇跡的に勝ちかけて世界は仰天し、苦悩するベルギーが奇跡的に逆転勝ちする、サッカー漫画にありそうな展開でした。あるいは『あしたのジョー』みたいな。このミラクル結果が大量の「たられば」を誘い、諸説が出回っています。

「ああやっていたら勝てた」「こうやっていれば上に行けた」の仮説が、SNSに林立しています。そんな中「もし日本の監督を替えなければ、16位で止まらず4位まで行けた」という意見もありました。それに対し「たらればは言うだけ無駄」と反発する意見が多いのです。

終わればもう始まらない、というのが反発する理由です。さらにこう続きます。「前監督が指揮すれば、そもそも全敗し32位で終わっていたはずだ」と。出たあー。他人の「たられば」は空想無用と否定し、自分の「たられば」は通す。勝つ証拠がないように、負ける証拠もないのに。

人は仮説を心の支えにするものなのか。仮定で出した結論を証拠として、次の結論を固める思考が世界中にみられます。いわゆる論理の飛躍というやつ。願望と我欲の世界。

「たられば」は画家の作風選択でもいえます。作風が複数あった場合に、果たしてどれで行けばよかったかと悩みます。一回売れないだけで失望し捨てた画風が、実は生涯には正解かも知れないし。逆に大売れして、スジを読み違える失敗もあるわけで。
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