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2019/04/30

今日は平成時代最後の日|バブル着地失敗から人類史上最長デフレ不況

平成時代の最大の特色は、人類史上最長のデフレ不況でしょう。海外エコノミストがあきれるほどの前代未聞の長期記録。なぜそうなったかは、冬の海から遭難者を拾い上げ、水風呂に入れて死なせたロジックだと、答は出ています。ならばなぜ、お湯に入れなかったのか。経費削減です。

冬の海に相当するデフレ不況の原因は簡単で、政府支出を削減する緊縮財政です。お金の価値が上がり、物価が下がるのがデフレです。人件費という名の物価も下がり、中産階層が貧困化し結婚と子育てがしぼみ、少子化も進みました。一億総中流をやめたから、子どもの減り方が加速した簡単な話。

無駄な出費が多い昭和に、日本は裕福でした。節約と削減に精出した平成に、明快に貧困化しました。普通なら法則に気づくはずが、原理の逆を続けた理由は何か。風呂の温度を上げなかった理由は。答は「レントシーキング」と呼ぶ、民主主義をさりげなく壊すキーワードでした。

明日から始まる令和時代に、国民はもう一度分断されるはずです。政府は財政出動してGDPを上げ多子化に変えよという派と、経費削減を強めて貧困化をすすめ国を小さくせよという派が、ネットと報道に分かれて戦うのが令和時代。主要国の自殺は迷惑だと、国際社会から叱られるまで続けるはず。

二次大戦の最大の原因は、1930年頃からのドイツ庶民の貧困でした。その欧州大戦と、日本が主役の太平洋(大東亜)戦争が同時期の理由は、1929年の「大恐慌」がカギです。貧困化した大勢が優秀だと大戦は起きます。だから大戦は財閥と金融の富裕層が仕組んだと、陰謀がささやかれるわけです。

今のままでは先進国は壊れ、優秀な同士なら大戦が起きます。そこで現状を変える動きが各国に出てきました。どう変えるの?だと周回遅れです。低体温症の庶民に風呂をわかす政策に決まっています。日本とドイツは世界経済に影響を与える立場なので、文化交流美術展程度でも国際政治の風向きを感じます。
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2019/04/24

お金とジクレー版画が似ているおもしろい現象|打ち出の小づちと需要

芸術と経済が似ている話題の次は、お金とジクレーが似ている話題です。マネーとジクレーに共通するキーワードは「打ち出の小づち」です。何かを無限に出すことができるなんて夢話に思えますが、制度として実際に存在します。

現代のお金、貨幣、マネーの意味は、大昔と全く同じで、中世とは全く違います。違いは管理者が自由に増やせる点。中世の貨幣は金銀銅なので、鉱山で掘れば増えました。なので景気を立て直したくて5パー増やそうにも無理です。ところが現代なら電子プリンターでポンポン増やせます。お金も版画も。

「誰もがお金を増やせたらだめでしょ」。そのとおり権限を持つのは銀行であり、洋服店ではなく。「でも増やしたら得しちゃうよ」。そのとおり増分を借りた人が使用権を得ます。「穴埋めはどうするの」。穴埋めする財源はいらず、総額が年々増えるだけ。考え方や今後の実験ではなく、現にやっています。

「ならば銀行が一京円増やせば、国民一人ずつに一兆円をタダで配れるでしょ」。できます。ただし、ラーメン一杯が十億円に上がるでしょう。お金の価値が下がるインフレというやつ。つまりインフレ率がちょいプラスになるよう、お金を増やせる上限が情況ごとにあります。人類は最近これを理解し始めました。

話は変わって、日本にジクレーが生まれた頃にも、お金と同じ疑問が出たものでした。「プリンターで出したペーパーが美術作品だといえるなら、一億枚刷って一枚一万円で一兆円儲かるよね」「そんな商売はずるい」「うまい話のプリントアートを美術と認めるな」「打ち出の小づちの版画をやめさせろ」。

売上は本当に一兆円でしょうか。お金と同じで、版画にも無限に刷ってかまわない理屈がある一方で、価値を保てる上限の量があります。ありふれて、だぶついて、もういらないと言うまで増やせば、値打ちは下がり紙くずに。そんな現代ジクレー論と似た現代マネー論を、理解する日本人が今なぜか急増中です。
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2019/04/23

交通事故を演じるスタントマンが事故死|平成デフレ不況の人件費下落

4月になって、交通事故を芝居する動画をまとめて見ていると、12日にまさにその事故が起きました。事故を再現する交通教室で、高校生が見ている中スタントマンがトラックに本当にひかれた事故です。大丈夫かと思っていると、その直後にやっぱりと。

動画を見て変だと感じたのは、生身の人間が頭を守っていない点です。自転車が出会い頭に車にはねられる演技で、スタントマンは車の屋根を転がって後部に落ちますが、地面に落ちる瞬間に頭の位置がまちまちなのです。そりゃまずいでしょ。

映像体験は効果が小さいから、リアルな事故再現が必要としても、ロボットを使えないか考えました。まず自転車に実物大の人形を乗せ、サーボモーターのバランスとりで自動運転させ、時速50キロの車ではね飛ばすとか。ドガーンと耳に残る衝撃音なはず。

人の芝居よりは抽象化した演出ですが、この案が難しい理由は人形セットも毎回壊れて、コストがもったいないからでしょう。人命を危険にさらした方が安上がりになるという、まさにデフレ不況の逃げられない宿命です。

過去の記録動画に、スタントマンが地面に寝て掛け布団のようにトラックが上に来て、人はバンパーをつかんでズルズルひきずられる実演があります。トラック車内に二人いて、一人がひかれ具合をテレビカメラで見ながら走らせていると思っていました。そんな安全策はなかったから、今回の死亡事故です。

経費削減した結果、安全も人命も削減して、途上国的な生身のスタントが流行っていたわけです。入札価格が低い業者が仕事をもらえるから、安全を省いて死を賭すのも致し方なく。もし令和が平成の延長なら、今後人件費をさらに下げて外国移民にやらせることになり、海外からも糾弾されるでしょう。
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2019/04/19

経済の間違いは芸術に似ている|お金を金銀銅の代用と解釈して貧困化

人類というか先進国のほとんど全員が、何百年も勘違いしていることがあります。「それって芸術のことでしょ」と言われそうですが、芸術の方がまだ理解者が多いだろうという、すごい分野があることを知りました。それは経済です。

前にノーベル経済学賞の人自身がお金の意味を間違って解釈していた、そんな指摘が話題になっていました。しかしよく考えてみれば、お金の正しい意味が記された教科書など原典が間違っているのだから、同情を誘うばかりです。

常識のどこが間違っているかは、マネーは金銀銅の代用であるというくだりです。その説明は史実に反する真っ赤な嘘で、世界最古のお金は文章を彫った粘土板でした。粘土板を紙に替えて、くさび文字を渋沢栄一や津田梅子、北里柴三郎の版画に替えたら現代と同じです。マネーは生まれつきプリント物、証書でした。

金銀銅とプリント物は何が違うか。プリント物には上限がありません。1980年代の耳タコな言い方「国に財源はあるのか?」は、勘違い発言でした。財源なる概念は総量が固定した金銀銅の場合です。プリント物の財源はプリンターのインクです。「国にお金がない」「奪い合い」という概念が国内経済には存在しません。

ということは、世界の各国政府(EUは除く)は、インフレギャップが生じない範囲で、デフレギャップが埋まるまで、お金を刷って国内に投資すればよいわけです。ばらまきだと経済成長しないから、まずインフラ投資。現にやっている国があり、最近は中華人民共和国もやりました。意外に堅実な首脳ですね。

それにしても、天才や偉人たちまで誤解しているのはなぜか。理由は簡単で、先に間違った説明を頭に入れて理論を固めたからです。物々交換から貨幣へ置き替えたというニセの説明で脳が満たされたから訂正不能。これはしかし芸術にもいえて、なまじ学問がない方が理解がスムーズなのはよくあることです。
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2019/04/14

世界で対立と分断が進むグローバル時代|日本各地も独立ごっこブーム

イギリスのブレグジットは、イギリス分裂とEU分裂の同時進行ですが、似た現象は日本にもあります。一例は大阪都構想で、上司の大阪府からみて部下の大阪市が強すぎるから、市を政令指定都市から格下げする改革です。

東京23区のように大阪市を区分けし、長年の既得権者を排除する意図らしく。イギリスのブレグジットと同様に、住民投票で賛成反対が真っ二つでした。似た独立への動きはいくつかあります。「北海道独立宣言」「横浜市特別自治構想」「琉球独立運動」以外にも潜伏していて。

一方東京23区の住民には、東京市へ戻したい願いが昔からあるという。動機は民主主義と自治権の回復で、イギリスのブレグジットと同じですが、大阪都構想とは逆方向です。大阪市を補強する特別自治市構想と思いきや、府を補強する都構想なので「?」が多かったのです。

これら独立ブームの背景は自己責任論です。根幹は、新自由主義経済による世界のグローバル化で、人、物、金の移動の自由は規制緩和なる保護放棄とセットゆえ、助け合いやセイフティーは不正です。傾いたやつは不要だから倒して、勝者は一人とするのがグローバル思想。そこで二番以降が脱退し独立するわけ。

二重行政などの無駄を削減したくなる原因は、むろんデフレ不況です。内部の資金争奪戦は当然の帰結。グローバルは耳当たりがよくても、富を上方移転させ庶民を貧困化させるビジネスモデルなので、社会の余裕が消えてギスギスします。きずなの語が平成に流行ったのは、互助を違法とする時代風潮だから。

発想を転換した有志グループも現れました。イギリスの混迷は他人事でなく、令和時代をきっかけに新自由主義経済をやめ、節約もやめて経済成長を優先する運動。ところで分断で伸び悩む事例は、日本で起きた美術からの現代美術の脱出もそうです。現代美術の立場は、北海道、横浜、沖縄と何かが似ているのかも。
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2019/04/09

先進美術館構想から一年たち本気?|資産海外移転のレントシーキング

先進美術館(リーディング・ミュージアム)構想が政府から提案され、やがて一年です。当時ネットに多かった反応は、「役所がまた変なことを始めた」「国が文化にタッチするとロクなことがない」「官にはセンスがない」など昔ながらの言い方でした。しかし注目点はそこではないでしょう。

国民が気にすべきは、お役所仕事がどうこうではなく、法律の裏に受益者がいる点です。近年の日本でも、受益者がロビー活動で政策委員に要望し、委員がまとめた案を国会議員の起立多数で、簡単に法律に加える手順が続いています。

利益供与は違法でも要望は合法であり、実際に世界中の法律の多くは特定の願いをかなえる目的です。穴があいた法律や、なぜか罰則がない刑事法も、私人の都合が割り込むからです。近年のキーワードは「レントシーキング」。

日本の美術館が昔買った有名絵画など所蔵作品を、欲しがる者は世界中にいます。具体的な作品は、リストアップ済みだったりするでしょう。ミレー、ゴッホ、ピカソ、ミロ。ステラなど現代も含めて。彼らがそれを入手するのに、美術館が自由に売り払える制度を設けて欲しいわけです。

当時は3億円や8億円の絵がニュースでしたが、今では価格も20倍などです。今こそ欲しがる国際投資ファンドや金満国があります。経営難の県立美術館などから名画を引きはがし、新興の富裕国へ移すプログラムが先進美術館の主目的でしょう。

一人当たりのGDPが日本より高い国は、2017年に24カ国です。「日本はもう経済成長しない成熟国だ」などと将来を放棄すると、今ある名画名作を引き抜かれてしまうでしょう。大企業や科学技術の次は、美術品を海外へ持って行かれる番だと、少し気を回しておきたいところです。
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2019/04/07

美術市場拡大の一歩は内需の復興|ウォール街から消費税10パー批判

アメリカの『ウォール・ストリート・ジャーナル』は、日本の消費税10パーセント化が、さらなる経済悪化の自傷行為になるとの社説を出しました。この話題は日本国内に広がり、経済低落は時代の策略だったと振り返られています。

新古典経済の末えいである新自由主義経済は、規制緩和がスローガンです。先進国を貧困化させ、富を移転させるプロセス自体を金脈とする経営思想といえます。EUではスペイン、イギリス、フランス、イタリアなどが伝統の強みをそがれて、音を上げ始めました。スペインのアート市場もさっぱりだとか。

同時期に日本は長年GDPが横ばいで、国際発言力が落ちました。クジラに限らず。これは日本のポテンシャルまでつぶして、貧困にし向けた策略の結果だと、ネットでも持ち切りです。ではどうすれば日本は失われた27年から復帰するのか。

国債を多めに発行し、民間へ発注して科学振興や未来テクノロジーに投資し、内需に利く消費税を3パーに戻してGDPを上げる。こうしたデフレ対策を、上記5カ国が行うのが正道でしょう。通貨発行権は、日本と特待生イギリスにのみありますが。

ところで、なぜ『ウォール・ストリート・ジャーナル』なのか、少し奇妙です。90年代のウォール街は、世界を新自由主義経済で統一する本部であり、各国をデフレ化してマネーを国際ファンドへ移管する頭脳集団だったはず。日本にとどめを刺す直前のタネ明かしは、誰に何を伝えるサインなのか。

日本は数少ない輸出黒字国なのに、内需国です。それなりに多い人口による消費力でGDPを巨大化させ、円の信用を維持してきました。鉄道模型や書画骨董が売れるうちが強い。日本の内需が大きいほど外資が儲かる新しい主義でも、ウォール街の新世代がみつけたのかも。
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2019/04/04

日本美術市場を拡大する研究クラウドファンディング|売れる国にする

クラウド・ファンディングの第二弾を昨日公開しました。『日本美術を躍進させる研究会ファンクラブ』と題して、日本の美術市場を今よりも大きくしようという、勉強会的な変則案です。難解なテーマなので、ゴールを設けないファンクラブ型を選びました。

活字情報発信に重点を置き、細く長くということを考えました。2018年に国内で公的な話題となった「日本の美術市場は小さい」「絵や彫刻を買う人が少ない」問題を研究するものです。一時的ニュースですぐに忘れられましたが、その後好転したわけでもありません。

欧米の美術市場にも問題は多いのでしょうが、国内に最も抜けているのは誰が作品の価値を決めるかです。美術作品を前にして、国民が自分で考えて値打ち決めする判断を、やってはいけない空気が強く残っている特異な問題です。出すぎた真似であるかのように。

別に難しい話にしなくても、周囲にこんな声が満ちています。「美術なんて高尚なもんは自分にはさっぱりです」「アートとか全然だめ」「僕は絵はわかりません」といちいち前置きする人が多い。その「わかる」がどういう意味かは別にして。

わからないと言う人が多い地は、売買も細い。展示会は盛況でも見るだけ。ついに政府も市場の小ささを問題視して、美術館の所蔵作品を外資にも流せる道を設け、運営経費をつくる構想が出たほど。その構想への反応は「難しいからわからない」「勝手にやれば?」。

「絵なんて好きなように見ればいいでしょ」になぜか日本だけ遠く、この内外差が市場規模の差になっています。しかも絵が売れない理由の説明は、絵の価値を国民に伝える努力不足だとして、資産運用の話になっています。絵を見る目を養う話ではなく、絵の信用情報を強化する話になっています。
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2019/04/02

令和時代の指令は上意下達か|美術展覧会のコンテスト対アートフェア

昭和時代は年に25足せば西暦の二ケタとなり、暗算は楽でした。平成時代は年に88足すと西暦で、しかし世紀をまたぐと12引くめんどうさ。来る令和時代は年に18を足しますが、繰り上がりでやや暗算しにくいでしょう。偶数奇数は一致します。

「令和のレイは命令の令」と、ラジオで繰り返されました。昭和の国語大辞典では令の一字に「命令」「おおせ」の意味があります。そのせいか否定的意見もネットに続々と上がり、勝ち組の上から目線説や、政官財の癒着強化説さえみられます。もっとも、グローバル経済主義のデフレ促進策は全世界同時ですが。

国語大辞典に命令以外に書いてあるのは、尊敬の意味です。ただ令嬢の語は出生の格差だから、やはりお姫様願望的な現代日本の深層心理はあるのかも知れません。女児向けキラキラネームみたいでも、高齢男性名に同じ二字があるそうで。国民は早く慣れるのでしょう。

「平成」の時にも批判は多く出ました。サウンド面で、母音が「えいえい」で発音は「ええええ」となるから、メリハリがないとの批判もありました。しかし平静な時代にはならず、バブルのピークと貧困家庭が急増したボトムとも含み、起伏のあるジェットコースターになりました。結果がよければ文字も輝いてみえるはず。

「令和」が日本らしく映る一面をこじつけると、日本の展覧会のほとんどを占めるコンテスト方式を浮かべます。事前に審査員が作品の優劣を決めて、結果を庶民に教えるかたちで、上から指導していくイベントです。国民も指図に違和感はなく、これは令と和のイメージどおりでしょう。

対する欧米の展覧会はアートフェア方式が大半で、作品に色づけしない状態で市民一人一人が審査し、優劣を決めて買うことで授賞に替える慣習です。欧州は19世紀に価値の多様化や多極化を意識しており、表現の検閲を避けようとしてきました。日本は令を発してでも、この部分だけは国際化してよいはずですが。
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