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2020/08/30

コロナ陰謀説と情報リテラシーと民主主義|ドイツの自由参加デモ大会

ドイツベルリン・コロナデモ

ドイツベルリン・コロナデモ

8月29日のベルリン市で行われた大規模なデモです。最多のドイツ国旗以外に各国旗の集団があり、「自由」「民主主義」「予防接種強制反対」「コロナ嘘」「マスクいらね」などプラカードもまちまちで、相反したりします。屋外で三密は免れても、撮影者のみ距離をとり、マスクありで誰ともしゃべらず。

最近、情報リテラシーが言われます。不正確や間違った情報を拡散させる罪です。国産だけのトイレットペーパーや、ヨード系うがい薬の品切れもありました。深刻なのがコロナ陰謀論です。ひとつは、コロナは狂言芝居で、死因はインフルエンザや暗殺だという説です。

アメリカのSNSで「コロナウイルスは5G通信で高速拡散した」「ビル・ゲイツらしいぞ」の陰謀説が有名です。かつてWindows 95が出た後にも、「パソコンに触れた子どもに、パソコンウイルスがうつらないか心配だ」と、各国の保健所に相談が集まったものでした。

悪意の実行プログラムの隠密増殖と動作を感染にたとえたら、人体の病気と誤認した笑い話です。しかし日本人は笑えません。国家をゆるがす「国の借金1100兆円」が、同類の笑い話なのに皆が真剣だからです。

各国政府は財政出動で国民にお金を裏から与え、表の就業所得と相乗効果で、国民も国家も経済成長します。国民に与えたお金は政府の貸借対照表で、貸方欄に負債計上する簿記ルールです。その負債を借金と偽って吹聴し、返金できずに国が破綻する筋書きの妄想デマです。

この妄想で、日本はコロナ対策が経費節減で省かれ、それは国民全般の誤解の産物で起きた平成大不況と同一原因です。ちなみにFacebookは「コロナは架空の嘘」説を削除する方針で、民主主義と衆愚主導の線引きに乗り出しています。
all photos: (c) Mihara
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2020/08/26

ドイツはベーシックインカム試行|日本は勘違いのまま関心もなし

ドイツはベーシックインカムの試行を決めました。3年間試すようです。やはりと思ったのは、何カ月か前のドイツスタッフからの情報でした。コロナ給付金60万円を早めに中断したそうで。日本で10万円を決めるより前に終了しました。

合理的なドイツ人が国民を切り捨てるのも奇妙で、新ナチスの台頭を許しかねないと感じました。やはり福祉制度に変更を加える妥当な考えで、月1200ユーロ15万円を120人に支給し、支給なしの1380人とも実地テストするという。

ベーシックインカムについては、日本で語る人はほぼ全員が勘違いしているので、こちらで重要点を説明しています。ベーシックインカムが容易な国は、世界に7カ国プラス1カ国あります。プラス1カ国は中華人民共和国ですが、7カ国の中に日本は入っています。

ところがドイツは入っていません。なぜかといえば、自国通貨マルクの発行権を返上しているからです。だから試行の原資は寄付金だそう。ところが欧州委員会はベルギー国にあっても、欧州中央銀行(ECB)はドイツのフランクフルト市だから、マルク発行のノウハウを継続しているはず。

だからドイツ自身はEUの財政のオブザーバー以上で、財政出動の意思決定権もあるのではと。フィンランドやスイスも決断し、他の国も次々決めると予想できます。国民側のマネーストックM3までを何割か吐き出せば、通貨発行権をめぐって各国はアナーキーから内戦へ向かうからです。現代のフランス革命です。

日本ではベーシックインカムを勘違いして陰謀論になっていて、アイデアとして出にくい問題があります。なので他国が進むのを指をくわえてながめて、十分に犠牲が積み上がってから重い腰が上がる、いつものスロースタートでしょう。

→ ベーシックインカムの基本構造
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2020/08/23

コロナ特別定額給付金の締切り1週間|原資は税金ではなく財務省証券

新型コロナの特別定額給付金10万円の申込期限は、8月末です。ネットカフェ難民や、路上生活者がまだ残っているという。国内景気に左右される美術系には、気になることです。そして国民の多くは、給付金の正体を根本から間違っています。

10万円は打ち出の小づちといえる、国債(急場は財務省証券)の発行と償還の作業で生みます。多額を出すほど好景気になります。もらう人が国内に多いほど、国民側にあるお金の全量が増え、経済は右肩上がりに向かい、コロナ不況の損失補てんに成功します。

住民基本台帳にない平成難民に受け取らせて使わせ、マネーストックを増やすのが課題です。ところが国民は解釈間違いしています。10万円は納めた税金のリターンだと誤解し、(消費税以外を)納めていない者に受け取る資格はないとして、感情的なのです。この思想がいわゆる財源論です。

固定したサイズのパイを分配するという、誤った安易な思考で、優生思想へと自然に進んで国民の選別を必ず始めるのです。現にネットニュースの意見投稿コーナーでも、持ち家を失うなどした路上生活者たちを厳しく非難し、10万円を受け取らせまいと妨害に必死です。

芸術とくらべれば慣れっこなのは、芸術もまた逆転の常識で回転し、傑作と駄作が海外と逆だったりするからです。全員の思いが誤解で全滅なんて、世の中にけっこうあります。写真術や脳死、インターネットも、最初は全員が誤解していました。

ところで中国と並び、日本がコロナ戦で一番強いと言われる根拠は、生産力です。正反対がレバノンで、生産力がありません。核兵器以外は何でも短時間に作れる日本は、お金を多く発行しても消化する商品が足りるから安定します。しかしここに財源論を持ち込むと、借りたお金の返済で子孫が滅ぶ妄想に至るらしく。
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2020/08/18

AI技術で白黒写真をカラー着色する|遠い歴史もリアルに迫る

カラー写真が普及したのは、1970年代になってからでした。60年代以前の写真は白黒が多く、古びて感じられます。エコール・ド・パリの巨匠画家たちの姿もモノクロームプリントで残っていて、遠い過去へと思いをはせる印象です。

戦後75年の今年2020年に、20歳で戦地へ行き戻った人たちは95歳にもなり、戦中の様子を語る人の少なさが目立ってきました。その中で今年の大きい話題は、人工知能AIによる白黒写真のカラー化技術です(2017年から発表)。着色すると生き生き感が違います。

ジクレー版画や絵はがき制作で要注意なのが、画像の画素数や色数をいったん減らせば復活できない、情報削減の不可逆性です。だから残された白黒写真に色をつけるには、写った物体を判別して色を推理することになります。

超高解像度スキャナーで写真をデジタル化し、AIソフトがこの部分は樹木だと認知すれば、幹と葉と花を区別します。幹は茶色系、葉は緑色系、花は赤や白をソフトが提案してきて、それから修整します。

赤か白かは白黒写真上の濃度で区別でき、AIの守備範囲になるでしょう。でも赤リンゴか青リンゴかはわからなかったりして、他の条件で判断してパラメーター入力するなど、最後は人間の知識で解決することでしょう。

突きとめられない筆頭は、服の色らしいのです。戦時中にピンクやライムグリーンの服はないだろうけれど、灰色に写った私服が茶色系か緑色系かはわからず、だから間違っている可能性も計算に入れて、大まかに鑑賞する前提でしょう。

→ 2000年代のネットでよく知られた、92歳世代が若い頃の写真

→ AIでカラー化すると
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2020/08/15

世界大恐慌のアートはシュールレアリスム|超現実主義は今も標準美術

新型コロナで全国で業務が縮小し自粛も続く中で、ドイツの展示と通販販路の模索と並行して、何件か現代アート絵画塾を続けています。題材となる作品は、全てが個人のマイブームに関わるモチーフです。

新型コロナも今どきのモチーフに使えそうです。ふと思ったのは、前回の世界大恐慌では、どういうアートが生まれていたのか。振り返ると、シュールレアリスム、超現実主義の真っただ中だったようです。

シュールレアリスムは1920から30年代のパリの芸術運動で、無意識をテーマに、社会問題に広げるアートでした。その中頃1929年に、米ウォール街の株暴落が起きました。超デフレ不況で失業と餓死が増え、貧困化の反動で伸びたファシズムも、シュールの制作ネタになったでしょう。

シュールレアリスムのバックグラウンドは、心理学と精神医学でした。西洋文明で歴史上最も美術が創造的になったのは、1930年代だと言われるのは、シュールレアリスムの表現手法の普遍性が大きいでしょう。

意味論、暗喩、記号論、象徴など、モダンの以前にポストモダンへ飛んだような、論理拡張した作品構成が開花したのでした。根底に、全体主義的な管理社会の台頭に対して、人々の警戒と否定意識が起きていたこともありました。

日本では具象の印象派と野獣派だけがわかる人が多いのですが、新世代はシュールレアリスムが標準になってくるかも知れません。ダリに人気が片寄りすぎてはいますが。シュールは具象の延長で抽象思考的で、しかも不穏な謎を持つ作品が多いのが特徴です。
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2020/08/10

核兵器廃絶に反対する日本と核兵器不拡散条約|芸術関係者の反応

昭和の時代には、日本の芸術家、アーティストと呼ばれる人たちは当然、核反対の立場でシュプレヒコールに加わっていました。今では事態の複雑さや必然的に起きる矛盾を認めて、冷静に考える人も増えたように感じます。

日本で検証されないまま惰性的なのが、核兵器の是非論です。唯一の被爆国なのに核兵器禁止条約には不参加です。理由は、日米安全保障条約と呼ぶ軍事同盟でアメリカの核で武装している立場だからです。

検証が不十分なのは、その核があるために他国からの攻撃を免れている効果です。たとえばドイツは国内に核兵器を置いた共有国で、対ロシアの抑止力としてミリタリーバランスが計られています。日本では核弾頭などを船から上陸した記録は知られず、国土に置いていないはずですが。

核を持たない国より持った国の方が、少なくとも自国を安全にして安定させられると証明されています。9.11後のイラク戦争もそうで、誰もが奇妙に思っているのが「イラク国は直接関係ないのになぜ?」でしょう。結局イラクの石油など国営企業は、その後アメリカ資本がオーナーになっています。

フセイン大統領と、その後リビアのカダフィ大佐も、国内の勢力に惨殺されるのを食い止めなかったアメリカの、決定的な汚点になりました。核計画を立てて放棄した者を、アメリカが生命保証しなかった悪い実績です。

逆の現象は前に起きていました。長年不仲なインドとパキスタンは、ともに核兵器を持つとケンカがやんで、安定を取り戻した困った実績があります。核を持てば国が滅ばない現実があり、核兵器廃絶の説得力に穴があいています。
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2020/08/06

新型コロナと第二次世界大戦のインパール作戦|緊縮財政の呪いあり

新型コロナウイルス禍は、日本にとって第二次世界大戦と関係があります。二つの面で。ひとつはピンチになると、責任がぼかされる上層部の不可解な動き。もうひとつは、戦後の連合軍の意向を引きずった不可解な緊縮財政です。

ピンチの責任問題は古ネタです。命令ではなく自粛要請を出して、国民の同調圧力と監視や私刑にまかせるなど、権利と義務の不釣り合いです。重大な局面が来ると上層部が消えたり、敵側に寝返っていた現象が戦後の言い伝えどおり。

最悪と言われたのはインパール作戦です。ビルマ州(現ミャンマー国)で、日本兵の多くは飢えて亡くなりました。食料なしでもがんばれば勝てる式の精神主義が、今のコロナ政策の「仕事はひかえて欲しい、補償金は出さない」とよく似ていると言われます(国民の要求で補償金をある程度出した)。

もうひとつの二次大戦つながりは、補償金を出し渋るその理由です。戦後の進駐軍(GHQ)の日本管理法の再来が、プライマリーバランス黒字化です。国債発行削減と消費税増税の自滅です。国費をまかなうのは国債発行なので、発行をおさえると当然貧困化し、現に23年間のデフレ不況です。

これは進駐軍が日本をアジア最貧国へ下げ、再軍備不能にするプログラムでした。3年後に朝鮮戦争が起き、日本は警察予備隊を組織し、東京五輪に向けドル借金で財政出動し、韓国に物資を送り西側の成長株となり、共産主義の防波堤となりました。進駐軍時代に終わった懲罰を、なぜか1997年に再開した不思議です。

日本のコロナ騒動は、このように二次大戦の続編として、現イラクの混乱と似ているのです。「戦後は遠くなった」と言われたのは1996年まで。最近は「二次大戦の頃の日本は今のこんな空気だったのかな」と若い人も言い始めました。
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2020/08/01

へたなデッサンが現代のテーマとわかる比較図|現代絵画の迫真性とは

昨年秋に、地元の図書館へ初めて行きました。新刊ばかりの書店と違い、古風な雰囲気です。音楽関連コーナーにくらべて、美術関連コーナーはけっこう蔵書が多くあります。比較的新しい本のひとつに、デッサンの技術書がありました。

「写実デッサンがこんなに上手に描けるよう、あなたを変えます」の教科書です。鉛筆デッサン画のビフォー・アフターが並んでいます。「おっこれはすごいぞ」と思ったデッサンがありました。上達したアフターではありません。ビフォーの方がよく見える絵なのです。

ビフォーは正確さに欠けて、歪んでいます。変なくせがあるのです。それに対してアフターは正確で、個人のくせが消えています。ニュートラルでスタンダードで、端正で透明な存在です。その教科書が目標とするデッサン画は、実は18世紀に西欧が目指した方向性です。

それに対してビフォーのデッサン画は、後期印象派以降のデフォルメ系に映るのです。セザンヌ以降の絵か。それだけ新しい感覚だからモダンに見えます。しかし、へたな絵の方がモダンに見えるのはなぜでしょう。それは、19世紀後半からへたな絵に迫真の時代を感じる歴史的な変化です。

訓練不足のデッサンほど、我流が多く混じります。そのまま独自色となりやすく、現代に求められるユニークを達成しやすくなります。皆が同じ模範回答を目指して免許皆伝としたのは、19世紀前半まで。その後の作画は個性化の道でした。

現代のアーティストは間違った絵に賭けており、独自の作風に意味を見出します。写真のごとくちゃんとした絵が必要なら、写真で済むというだけの話。つまりカメラの発達で絵の役目が変わり、写真では撮れないへたな絵の競争に変わりました。間違い方が足りない絵は、歴史が選択しなくなりました。
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