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2015/05/01

現代美術は小道具か

日本映画に出てくる応接間のシーン。撮影の前に、大道具さんが応接間の室内セットを準備して、小道具さんが掛け軸を準備する。

小道具の掛け軸が、非常に独創的な絵ならどうなるか。常軌を逸した異端の作風だと、何が起きるか。映画の中で掛け軸が暴れ出し、俳優たちを跳び越えて意外な空気をつくるかも。小道具が主張し始めて。

当然ながら小道具さんは、いかにも掛け軸らしい絵を用意するでしょう。普通の人が即座に浮かべそうな、みんなの脳裏に刻まれているタイプの絵。普及済みの、それらしい画風を選ぶはず。変な絵ではなく、普通の絵を。最高にうまい以外に、特段の変哲のない絵。小道具が主張しないように。

現代美術公募展でも、小道具の掛け軸と似た選定で、地味に沈むケースがみられます。あうんの呼吸で集まった場合もあろう、同窓会的な現代美術ごっこ的様相。気分は懐メロの風情。

斬新でない、古いものが幅をきかせている話ではありません。斬新と呼ぶ対象自体が、関係者の念頭でパターン化している話です。突飛な作風自体が、もう規格化している実情。奇抜カタログがすでに存在し、どの奇抜で行くかの選択状態です。これはけっこう見落としやすい話なのです。

こちらとしては、暮らしを豊かにする善良アート以外にも、応接間を食ってしまう変則変異や悪の相も混じっていて欲しいわけです。最近いくつか見つかり、特集展を思い立ちました。
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