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2015/05/14

人間の誤解、作品の誤解

テレビドラマや、ラジオドラマの物語。その脚本の持っていき方で圧倒的に多いのは、人の見えない行動をめぐる憶測と誤解です。

「あの時、お母さんは何もしてくれなかったじゃない」と叫んだ娘。ひそかに奔走して手を尽くしていた母の姿を、死後に知らされ愕然とする筋書きとか。「君はどこをほっつき歩いていたんだね」と繰り返した上司は、後半に「そうか、そこまで調べたのか、よくやった」と納得する。

目の届かない部分の推測に心乱され翻弄される体験は、誰もが日常的です。その手のドラマに、誰もが現実感や既視感を覚えます。

大きいところでは戦争もそうです。相手国の兵器の性能が読めない時に、疑心暗鬼がふくらむのが好例でしょう。米英は根拠なきイラク戦争で大失敗し、結果はテロ国家の建設へ。例外的に日本のようなスパイ天国では、首脳の意向も内情も他国に筒抜けになっていて、むしろ故意の誤読で政治利用されてしまうという心配の声もあるほど。

小さい話に戻って、美術作品。作者の思いは何かというのもそうです。どの作品にも見えない謎があります。より大きい妄想をかきたてる作品は魅力的です。いつしか、妄想をかきたてる付加価値を与える手段に、制作者の重点が移っている面が出てきました。
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