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2015/06/18

アート塾に似てきたような

少人数展で、美術家への指南みたいなことも増えています。「この作品のここをこうすれば、顔役になるであろう」というのに始まって。

美術家は信念どおりに作っていて、その尊い自主性にまかせるべきという自己責任論が、世間の芸術イメージにあるかも知れません。他人があれこれ言わない前提で。しかし実際には、大物もゆれて迷ったりするのです。

迷う原因は、いつものあの問題です。作品は常に芸術と非芸術の分岐点で、トーナメントに直面しています。特殊性と一般性との間で、刻一刻と悩むのが人間でしょう。天才とて、超人とは違う。

特殊性を選べば、独自色でレア化します。しかし独自のレアという価値観は未来偏重であって、今の自身が置いて行かれる場合も多いのです。今現在の自分には逆に一般性が魅力で、作品に「今日らしさ」を求めてしまう落とし穴が常につきまといます。

これはゲシュタルト心理学にあったような、類似性への親近感です。どこかで見たイメージに、親しさ、好ましさ、いやされる思いがわき、そこへ向かわんとする脳のはたらき。その結果、当代に目に映る諸作品に近い作風へ自動的に引き寄せられ、多数派に加わってしまう創造性喪失が起きます。

時代にフィットし、普遍性のない凡作にとどまる方向へと、気づかない力が常にかかっているわけです。芸術はなぜ長い年月を経て、優劣が裏返るのかという命題があります。それは19世紀で終わった話で、僕らの時代にはもう起きないのさという、根拠なき楽観論は結局は間違いです。
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